毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「タイで『I'm sorry about Kenji.』と言われた」2015年2月25日(水)No.1100

2015-02-25 20:39:28 | 旅行

↑ホテルの部屋から望んだバンコク市内

   

↑ホテル屋上のプール。束の間のゼイタクか。      ↑ホテルにはムスリム用のお祈りルームも。

 

今日はタイ・バンコク在住2年になる息子の誕生日です。

日本に戻ってから毎日あれこれあり過ぎて、

もう、旅行の感想を書くのも時期外れっぽく感じるのですが、

せっかく息子が街を案内してくれたんだし、

そういうことはこれから再びあるかどうかも分からないので記録しておくことにします。

 

バンコクの印象は(すごい国際都市だなあ!)ということです。

国際色豊かな人々が観光に訪れるのみならず、

多くは定住しているということで、

アジア、アフリカ、中東、ヨーロッパ、オーストラリア、北米、南米と、

世界各国からの人々が、まるで生まれた時から自分の街であるかのように

のんびり歩いている姿がまず心に留まりました。

名実ともに東南アジアのハブ都市であると言えるのではないでしょうか。

中国の上海とも違う雰囲気の国際ビジネスの中心地です。

北部のチェンマイ市などは異なるタイの顔を見せてくれるそうですので、

もし、行けたら今度はチェンマイにも足をのばしてみたいものです。

 

↓バンコク近郊のアユタヤ遺跡。

塀の内側に並んでいる像のほぼ全ては首がなかったり、脚だけだったり。

ビルマが攻めてきて破壊しつくしたそうです。

↓上の像に近づくとこうなっています。修復せずにこうして残しておくのも、

歴史の学習として有効だと思いました。

こうした像を見ると、とても悲しい気持ちになりますけど…。

 

この不思議な仏像の顔も、戦争で破壊され、地中に埋まっていたところ、そこに木が

生えて成長し、顔が根っことともに浮上してきたとのことです。

バンコク市近郊のアユタヤ市には、日本の室町時代に王朝が栄えていて、

日本から山田長政も来て住んだところだと、ガイドさんが説明してくれました。

(そう言えば当時シャムという名前だったかな)と、昔習ったことが微かに蘇りました。

「学校に通わず自分で覚えた日本語なので、下手です。私の言うことわかりますか。」

と謙遜して言うガイドさんですが、

アユタヤ朝がビルマによって滅ぼされたことについては、

「これもビルマにやられました。あれもビルマが壊しました。」

と、何度もビルマの名前をあげていたのが印象的でした。

何百年経っても、歴史は消すことはできません。

特にやられた国や人々の心の中はそうです。

呑気な(そう見える)タイ人でもやはり、同じです。

日本人は自国の侵略の歴史を、もっと、もっと真面目に見つめるべきなのに、

負の歴史は消して書き換えようとする歴史修正主義が闊歩しています。

今の日本は情けない国に堕しています。

(おっと、また安倍の顔がちらつくわっと。せっかく気分転換を図ってんねんけど)

 

↓仏像の顔を包み込む木は、空に向かって大きく伸びていました。

 

↓さて、暑くて熱いバンコクでは、

クトクという乗合タクシーに揺られ、風を切るのが楽しかったです。

中国の大学近辺のぎゅうぎゅうに詰め込むミニバスより、

ゆったりして風が入り放題なのがとても心地よかったです。

   

 

↓ちらっと息子の住むマンションへ。何と、プール付きなのには絶句……。

そんなお金があったら、親に送金してくれよ~~。

 

↓夜は連れられてお楽しみタイ料理のお店に。

「キャベツとコンドーム」という変わった名前の店でした。

 

↓迎えてくれたサンタとエンジェルはなんなんでしょう、

全部コンドームで作られていました。

↓記念撮影用コンドームディスプレイ。

↓料理はトムヤンクンやタイ風もち米をはじめ、各種普通のタイ料理でよかった。

暑いので、なによりビールが美味しかったです。

お客さんは地元タイのみならず欧米系、インド系など様々。

 ↓このようなディスプレイを見ていると、

日本で『ろくでなし子さん』が逮捕された仕打ちは異様である気がしてきます。

店に入ったらすぐ、どういう場合に、どのようにコンドームを活用すべきかを、

詳しい図入りでパネルにしてありました。

また、店を去るときには、ご丁寧に全員にコンドームがプレゼントされました。

(もちろん私も記念にもらって帰ってきました)

エイズ撲滅をテーマにしているのかな、とも思えます。

ここの経営者は政治家だそうです。

  

 

↓最後の晩に食事に招待してくれた娘の友人、アティタヤさん(左)と妹さん(右)。

アティタヤさんは英語の先生、妹さんはフライトアテンダントだったのですが、

今はお母さんの傍で親孝行しているそうです。

隣りに座ったアティタヤさんに

「I'm so sorry about Kenji.」と言われ、

すぐに後藤健二さんのことだと分かりました。

とっさに

「I think he was killed by our country's prime minister ABE.

If we have another person as the PM, the result might be different.」

という言葉がついて出ました。彼女は黙っていました……。

 

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「聞きしに勝る国際都市バンコク①」2015年2月21日(土)No.1097

2015-02-22 00:27:36 | 旅行

やっぱ、タイは暑いので、樹木も北海道や本州とは異なり、

日本列島で言えば沖縄の木に近いですね。

4日間の駆け足旅行の足跡を写真に留めてみました。

   ↓アユタヤ遺跡で撮った木2種。

  

 

   葉っぱなし。花だけ。シブいです。

  

 

旅行から戻り、大人はみな旅行疲れや日本の寒さでダウンしたのに、

一人、ビクともしていないのがまだ1歳4か月の孫娘。

出発時からずっと長距離を独立独歩、歩き続けたましたが、

あまりに小さいので道行くごとに、

「OH!キュート!」「很可愛!」

と衆目を集めていました。

昔から歩けていたかのような堂々たる歩行ぶりです(歩行歴僅か2か月)。

↓「まるでフライト・アテンダントやな」

と突飛な想像力で我が子を褒めちぎる親バカの母(=我が娘)でした。

(持っているカバンの中は紙オムツです)

 

ややO脚なのは、おむつをしているのでしかたがない。

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「明日から息子の住むタイへ」2015年2月9日(月)No.1093

2015-02-09 21:30:33 | 旅行

こんなときですが、明日早朝からちょっと

タイ(バンコク)の息子のところに行ってきます。

本当は辺野古に行きたいんですが、

だいぶ前から予約していたので仕方がない。

ということで、このブログ数日お休みいたします。

常夏のバンコク報告をお楽しみに~。

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「ちらっと見の上海の街」2014年11月10日(月)No.1025

2014-11-10 21:41:08 | 旅行

夕方5時に浦東空港から大阪関空行きの飛行機が出発するので、

余裕を見て2時には空港に着きたいと言うと、立君さんが2つ提案した。

1つ、午前中地下鉄で豫園に行き、見学する。

2つ、昼にお兄さんのアパートに帰って、周さんが会社の車で来てくれるのを待ち、

近所の美味しい鴨肉ミーフンを食べる。

ということで、評判の豫園に行きたかった私はホクホクした。

 

↓出発前の朝の上海住宅地(お兄さんのマンションの窓から撮った)。

(なんか違和感感じるなあ)と思ったのは電線の束のすごさだ。

 

↓豫園には全世界から観光客が押し寄せ、たいへん混んでいた。

中国はどこの観光地もこうなのだ、と諦めなければならない。

  

 

元々、明代の役人がお父さんのために18年間もかけて建てたという庭園で、

ようやくできた時、肝心のお父さんは亡くなっていたという。

その後、一時荒廃するが、清朝(乾隆帝)時代に再建され、

さらに紆余曲折を経て、1982年、国務院より全国重点文物保護単位と指定された。

上海様式と言われる建築が歴史的雰囲気を伝えている。

   

   

 

 庭園の一角にそびえたつ銀杏の木。樹齢400年だそうだ

  

「郭沫若」の署名があるので彼の直筆文だろう。癖字だな。

文字には性格が映し出されるというが…。

 

↓庭園の職員が洗濯物を隠そうともせず、干している(もちろん庭園の中)。

これは何もここだけに限ったことではない。

あちこちの国家的重要文化財に指定されたところでも、人々は平気で

赤いパンツなどを乾かしていたりする。

日本(特に本州)ではそういうことを絶対しないと思う。

良し悪しではなく、おもしろい違いだ。

 

↓何と、豫園にうちのクロちゃんとそっくりな猫がいた。

うう、クロちゃん、久しぶりだね~~

  

 

 

さて、豫園の外は「豫園商城」と呼ばれ、お土産屋さんなどが立ち並ぶ。

面白かったのが、これ。↓

赤い丸の中に黒い眼鏡のようなのがあり、そこを覗くと紙芝居が始まる仕組みだ。

客が6人そろうと、右端のマイク装備の男性が野太い声で、非常に巧みに昔物語を語り出す。

中国非物質文化遺産に指定されているとのこと。お代は20元だったかな?

 

  

 

↓日曜日で家族連れも多い。肩車の男の子のヘアスタイルは、

今、中国の流行りのようだ。

 

かつら屋さんのマネキン、ここまでリアルにしなくても…。

 

ふう、やれやれ、駆け足で連れて行ってくれた余立君さん、

本当にどうもありがとう。

↓マンションに戻り、インドネシアで買った辛い海苔を、

とても美味しいと言って食べる立君さん。

やはり、江西省人だな。

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「湖南省・長沙から江西省・南昌へ」 2014年6月27日(金)No.931

2014-06-27 22:00:33 | 旅行

花火の帰りは、みんな(3人娘、中南大学3人衆、私)で

バス停のある通りまで散歩がてら歩いた。

途中の路上で屋台のおばさんが油桃を売っていた。

通り過ぎながら余立君さんが「それ、いくら?」と

いかにも買いそうもない素振りで聞くと、後ろから

「「一斤4元だよ」と返ってきた。

どんどん遠ざかりながらも余立君は、

「一斤3元でどう?」と口だけ交渉している。

さらにかなり遠ざかった後ろから、

「それでもいいわ。家に余りを持って帰りたくないから!」

と大声がすると、彼女はくるりと振り返り、

「それなら買うわ」と、15mほどの距離をとっとと引き返した。

その時の劉文潔さんの顔がたいへん印象的であった。

その顔は(余立君はね~、もう、どうしようもない人だから~)

と物語っていた。

おばさんが袋に入れてくれた10元分の油桃を、みんなで

「あれ~、これ軽すぎるわ。もうちょっと入れて」

と、さらにいくつも放り込んだ。

おばさんはモニョモニョ言っていたが、皆完全に無視状態だった。

つまり、こうだ。

屋台などでは、最初から秤を操作して割高に売りつけるのが、

中国では非常によくあることなので、客は

「袋の中身が少ない、おかしい」

と文句を言って交渉するのが、一般的なのだ。

日本では、表示されたらそのままお金を払うのが大方だろう。

とにかく中国で暮らすには、するどい観察力と、強い交渉力が必要なのである。

学生たちはそんなに若いのに、もう、その技を身に付けている。

くるくる(舌を巻く音)。

 

ホテルの下は夜中まで土曜の晩の賑わいを呈していた。

下は12時ごろの様子。

誰も帰らないでお酒を飲んだり、ぺチャクチャ喋ったりしている。

 

次の朝、路上はすっかり掃除され、朝の屋台で朝御飯を売っていた。

朝8時頃の下の様子。

大学がたくさんあるので、おのずと学生客が多い。

 

南昌に帰る日だ。

前の晩の散歩で足の裏に水ぶくれができた施芳芳さんの水を

針で穴を開けて取り除いた。

見たところ、大手術の様だ。

絆創膏が無くなったのでここまで大げさになった。

施さんのボーイフレンドが見たら、さぞ驚くであろう。

 

朝から暑い長沙。

屋台では作りながらマントウ、肉まん、シューマイなどを売っている。

作りながら売る商法はアピール力がある。

なんだか知らないけど、とても美味しそうに見えるのだ。

 

 

食べ物を見ると無意味にニコニコする余立君さん。

 

朝食後、駅に向かう班とスーパーで買い物してから駅に来る班に分かれた。

私が「お土産に湖南省・張家界の葛粉が欲しい」と言ったため、

わざわざ買いに行ってくれたのだ。

余さんと劉文潔さん(彼も一緒に南昌に行く。家族が南昌にいるので)が、

スーパー葛粉班、劉慧さん、施芳芳さん、私が一足先に駅に行き、

切符を入手する班になった。

私はいずれにしても、ただついて行くだけなんだけどさ。

 

長沙駅には銃を持つ武装警官が立っていた。

張家界駅では、パトカーの中から

「文明のマナーを守りましょう」

と呼びかけていただけだったのが、都心部に来たらこうも変わるものなのか。

南昌でも、同様に銃を持って2人の警察官が立っていたのには仰天した。

(南昌までもか・・・)と正直思った。

逮捕されたら嫌なので、写真を撮るのは控えた。

 

 

長沙ー南昌の5時間ほどの汽車の中。

急に乗務員が大声で物売りを始めたような?

いえいえ、この人は四川省のどこかとどこやらが汽車で繋がった記念の

プレゼントを乗客にくれようとしているんでした。

話芸の達者なこと、またここにも吉本の芸人が・・・、といった風情。

 

 

この人の後で、本当に物売りの乗務員が来たけど、

実に際立ってつまらない語り口の人だった。

従って、誰も買わない。


トランプやらさんざんした後、若者たちはラーメンを出した。

中国でラーメンと言えばこのブランド。

「辣」と書いてあるのはいわゆる激辛だ。

しかし、おそらく日本の激辛はここでは普通だと言われるだろう。

それくらいこの「辣」は、辛い。

そうだ、これもお土産に買って帰ろっかな。

 

へえ、フォークをこう刺して蓋を閉めるのか。

 

ああ、今回も本当におもしろい旅だった。

ありがとう、3人娘。

中南大学の3人衆。

そして、旅で出会ったたくさんの人たち。

 

そうそう、おまけで20日、我が宿舎に来てくれた

劉文潔さんの浴衣姿を披露しましょう。

ほぼ日本の落語家だ。

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「湖南省・長沙の街角スナップ」 2014年6月26日(木)No.930

2014-06-26 23:04:31 | 旅行

長沙市は南昌市と比べると、

道路はスッキリ舗装され、街路樹もどこかカッコイイ。

つまり、南昌より洗練された大都市なのだ。

しかし、横丁の市場には南昌でも見かける食材などが売られて、

中国南部の伝統的な食文化の一端が感じられる。

 

下は、一人ゆっくりと散歩する老人。

南昌でも年配の人々はこの紺色の服を制服のようにして着ている。

長沙は歩道が平坦で歩きやすい。

南昌の歩道はデコボコで、私は日本の車椅子の友人知人たちに

南昌に来てちょうだいとは遂に言えなかった。

 

下は湖南大学の鉄柵。やはり、ここにも抜け穴が。

どこの学生も考えることは同じだ。

 

 

「外で油絵を描いている人を生まれて初めて見ました」

と言う劉慧さんは江西省景徳鎮出身。

南昌市内では、路上でさかさまに文字を書く技を披露する人は

よく見かけるが、確かに油絵は見たことないな。

 

さて、見るだけでもワクワクする市場に来た。

日本では見かけない物もたくさんある。

 

なぜ中国の庶民のおじさんたちはお腹を見せたがるのか。

日本のおじさんは腹巻で隠すのに。

 

南方風うちわ。右のが5元、左が10元。

私はお金もないのに10元のを買ってしまった。

 

右の土色の生き物は蛙。食用である。

 

こちらも蛙。種類が違うような同じような・・・。

 

うわーい、ザリガニだーい!って、これも食用である。

 

すっぽん。どこで捕獲されたのだろう。

 

俵状の包みの中に鶏の肉が入っているそうだ。

 

油の瓶が半端じゃない大きさ。

これは全中国共通なのだろうか。もちろん南昌もこのサイズがスーパーに

ゴロゴロ置かれている。

「こういう油は気をつけないと品質が悪いことが多いです」

と、3人が口々に言う。

よく、中国人はブランド好きだと言われるが、

それには根拠がある。

ブランド商品は品質を信頼して買うことができるからである。

つまり、それ以外はどうしようもない商品があまりにも多いのである。

油では金魚印とかがブランドものと聞いて、ずっと私もそれを買うようにしてきた。

 

 

花咲く街角。前を行くのは中南大学の劉文潔さんたち。

 

実はこの中南大学の3人が、夕食をご馳走してくれたのである。

学生に奢って貰うとはちょっと情けないが、

彼らはかたくなに割り勘を拒否するのである。

生野菜のドレッシング和えが出てきたりして、

料理もどこか南昌とは違う。

右端が余劉君さんの古くからの友人、劉文潔さん。

英語6級試験受験後、駆けつけてくれた。

 

おいしい会食。お酒がないのが清々しい。

日本についての話題はやっぱりアニメ。「NARUTO」が大好きだと言う3人。

 

食後はタクシーで河岸の花火を見に連れて行ってくれた。

長沙市では、雨天以外の毎週土曜日に花火を打ち上げているという。

どんだけ金持ちなんだー!

打ち上げ時間は約1時間。人々は浴衣こそ着ていないが、

淀川花火大会とほぼ同じノリで、屋台もたくさん出ている。

湖南省名物臭豆腐(おいしいよ!)を食べながら、孔明灯を上げたりして、

長沙の人々は週末の花火で楽しんでいた。

 

アメリカのシアトルの花火はBGMつきで、非常にうるさい感じだったが、

ここ長沙では静かに上がり、人々が「おおー!」「きれいー!」と歓声をあげるだけだ。

アジア共通の感性かな?

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「長沙市・中南大学の学生たちはスゴイ!」2014年6月23日(月)No.927

2014-06-23 20:35:46 | 旅行

13日夕方7時、張家界から汽車で長沙に向かった。

余立君さんが気を使って私だけ寝台車を予約し、

自分たち3人は翌朝6時に長沙に到着するまで椅子席で過ごした。

張家界に行くときもそうだった。

どんなに狭くても、最上階ベッドであっても、

そして夜10時半まで、天井からラジオ放送が大音響で流れていても、

やはり寝台車は身体が休まる。

劉慧さん、余立君さんが自分たちの座席からやって来て、

私が最上階のベッドなのを心配し、一番下のベッドと交代してもらうと

何度も言うのを、私は断った。

値段だって最上階は安いのだ。納得しなきゃ。

一般的に中国の若者たちは年配者に対して、とても気を使う。

儒教の伝統が生きているのだろう。

バスの席も日本に比べてよく譲る。

しかし、時々思うのだが、子どもに対して過保護なのと同様、

年配者にも過度に世話をする傾向を感じるのは私だけだろうか。

(これはまた別の日に書くことにする)。

 

早朝6時、長沙に着いた。

うわーい、長沙だ、長沙だ!と訳もなくワクワクする。

 

ホテルに到着し、荷物を置いて一休みしていたら、

長沙の中南大学3年生の劉文潔さん(余さんの中学・高校の同級生)が

訪ねてきた。

何と、その日の午後は英語6級試験(中国独自の試験)を受けるのに、

午前中だけでも私たちを案内すると言う。

ああ、何といい人なんだ。

(そう言えば施芳芳さんは、

私との最後の旅行になるだろうから、と言って

お金を払って受験申し込みしていた英語6級試験を受けずに、

この旅行をともにしているのである。みんなっ、いい子過ぎるぞ~)

 

劉文潔さんがまず、私たちを案内したのはここである。

自転車がとても多いのは江西財経大学と違うところだが、

ここは中南大学の図書館である(数年前に立ったばかりらしい)。

中もたいへん近代的で、江財大とはエライ違いだった。

図書館職員は専門の図書館学を学んだり、

海外留学経験がある人しか採用されないと聞いて、びっくり。

江財大は、大きな声では言えないが~!

博士の連れ合いとか、家族とか、共産党員だとか、

つまり縁故(コネ)就職ばかりだと聞いている。

4年前、私が初めて麦蘆園の図書館に入って、まず驚いたのが、

2階の入り口右側カウンターの職員がエアコンがかかっている中で、

平気でタバコをふかしていたこと、

そのうち「ウェイ?」とか言って電話でしゃべりだし、

それが生半可な声の大きさではなかったこと、

その話は最低20分は続いたことなどであった。

・・・・・・・・・

中南大学は湖南省のトップレベルの大学だとのこと。

学生たちはどんなだろう、と見れば・・・

あわわ、席、満員だわ。

この階も。

また、この階も。

試験が間近なので、座席確保は至難の業だという。

D区はコンピューター・ラボラトリーだが、コンピューターではなく、

ただ座席目当ての学生も多いとのこと。

外に出ると、卒業生がお馴染みの服装で記念撮影をしていた。

 

中国の大学ではごく普通の光景。

 

あれ?ここは食堂のはずだが?

そう、図書館からあぶれた人々が食堂で勉強しているのである。

日本の大学生たち、ここまで頑張っているかなあ。

これを見ると、中国の将来は明るいのが分かる。

 

さて、図書館のあるキャンパスを離れて、

劉文潔さんの寮のあるキャンパスの食堂にバスで移動。

この移動に自転車が便利なのだ。

バス停で見かけた自転車でリヤカーの荷物を運ぶ人。

廃品回収業の人だという。

大阪でもたくさんの空き缶を自転車に積んで運ぶ人がいるが、

リヤカーを取り付けると積載量がこのように一気に増える。

 

こちらの食堂は、もう昼食時間帯の終わりで、閑散としていた。

注目してほしいのは、テーブルと椅子だ。

落ち着いてご飯を食べようという気になる木目入りテーブルと、

しっかりした本当の椅子だ。

江財大の第一食堂の1階の椅子はけばけばしい色の四角いプラスチックだ。

背もたれもない。

ここで、私はシミジミ(ああ、江西省は本当に貧乏な省なんだなあ)と感じた。

 

午後の試験を受ける劉文潔さんといったん別れ、

夕方の再会を約束して別行動に移った。

通りには、毛沢東の巨大な像が立っていた。

しかし、地元の人は見慣れすぎているのだろう。

気にして立ち止まるのは私たちのような観光客だけだった。

(続く)

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「張家界最後の森は○○だらけ」 2014年6月22日(日)No.926

2014-06-22 20:16:19 | 旅行

さて、旅行の話に戻る。

6月13日、哀しい労働馬と毒蛇を見た後、私たちは最後の森の散歩に出かけた。

北京からの瞬発力ある夫婦は、残念なことに持続力がないので、

森の入り口で「私ら、下で待っているから~」と、別れた。

こういう見晴らしのいいところも、多いが、

前日、前々日と違って、主に森そのものを楽しむコースだった。

私の最も好きなパターンだ。

 

張家界だけに生息する松が鬱蒼と茂る。

 

根もまるで動く生き物のよう。

 

目の前にブラブラぶら下がるものが・・・・・・。

 

ああ、またお猿さんだ。おなかに子どもが張り付いている。

 

観光客は大喜びで、餌を与えたりしている。

 

人間がそういうことをするから、こういうことになる。

顔で笑って心で怖がる施芳芳さん。

 

下は人間の持ち物を、食べ物かどうか鋭くチェックする猿。

もはや世界自然遺産の地に生息する動物と言うより、サル山の猿だ。

 

森を抜けて、安心とともに脱力する施芳芳さん。

 

余立君さんが、

「もし、あの北京の夫婦なら、どんなに食べ物を持っていても

猿に襲われたりしないだろう」

と冷静に分析した。

 

麓の平地で待っていた夫婦はとても元気。

そして写真という手段で愛を表現する。

さあ、明日は湖南省の省都、長沙だ。

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「劉思婷さんと歩いた奈良」 2013年8月21日(水)No.730

2013-08-21 18:47:40 | 旅行
名所旧跡を外すと、残るは鹿、シカ、しか…。
奈良はみごとなまでに「鹿の街」だった。


東大寺に向かう参道で食べ物をくれそうな人にすり寄る鹿たち。
「ねえ~ん、ちょ~だ~い♡」と言っているらしい。


たまにシカ事故もあるようで、こんな看板を見た。







国際観光都市だけあって、4か国語で表記してある。だが、KICKを「たたく」とは?
「蹴る」では印象が強烈すぎるためだろうか。確かに絵を見た限り、悪気のない鹿が
太鼓を叩くように、ボコボコと子どもを叩いているように見える。
シカシ、めったにこうした攻撃はしないのだろう。
道行く人たちも鹿たちも、たいへんゆったりしたムードだった。


セント君の傍にも鹿が寄り添う。


       
セント君に奈良に来た挨拶をする劉さん。よく見たら、
セント君の頭にも角(つの)が!セント君も鹿だったのか…。


鹿にとっては「わが町・奈良」。鹿が食べない様に、ゴミ箱も全くない。道路にポイ捨てなどもってのほかである。









鹿をカメラに収めようと「鹿、鹿、こっち見て~!」と
しきりに話しかける若者。


無視する鹿。


故郷江西省では黄牛が友達だった劉さん。鹿さんたちとも
自然に友達関係に。劉さんが京都より奈良が好きなのは、
鹿の存在もあるのかも知れない。


☆この日、一日中奈良を案内してくれたのは、この間まで江西省九江学院の日本語教師だった藤野妙子さんでした。藤野さん、謝謝!
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劉思婷さんと歩いた京都」2013年8月18日(日) No.727

2013-08-18 19:36:08 | 旅行
「夏バテ」ではなく「夏休みバテ」とでも言おうか。
前半、飛ばし過ぎで、ここ数日薬を飲みながら過ごしている。
南昌に戻ったらちょっと一休みしよう(―_―)!!

劉さんと行った京都・奈良観光の写真をちょっと紹介。
今日は京都編(観光名所じゃなくて、ふと目に留まったスナップをピックアップした)。
〈7月30日撮影〉


阪急四条河原町から祇園に向かう途中の家の前。
さすが京都!暑い日差しにふっと涼風がよぎった。



何故頭をつけないのか。



京都にしては信じられないくらい安くて、美味しくて、親切なハンバーガー屋さん。
清水坂を降り、東山通りを五条坂に向かう途中にある小さな小さな店(「ホップクローバー」だったかな)。
劉さんが中国から来たと言うと、手作りお土産をくれた。さらに飴ちゃんまで。



清水寺から少し下ったところにあるお墓。江戸時代からの墓がズラリ。
「○○兵衛」といった名前が刻まれている。



日本では珍しくも何ともないが、劉思婷さんは「わ~、カワイイ!」と。
信楽焼の狸(たぬき)。



清水寺近くでパーフェクトな舞妓さん二人。撮影会をしていた脇から一枚パチリ!



銀閣寺近くの店。竹久夢二、懐かし~!!!あがた森魚の
「お~なみだ ちょうだい~、あ~りが~とお~」のフレーズが頭に浮かんだ。



これぞ京都人の気概!銀閣寺から歩いて吉田神社の横を通って京都大学に行く途中、普通の家の前にぶら下がっていた。



キャンパスの中をさんざん歩いてようやく京大正門前に。途中、親切な京大職員さんたちに、何度も道を聞いた。
「あ、言い忘れたけど、時計台下の部屋は入って休憩できますよ」と引き返して来てまで教えてくれた人もいた。
皆、本当に本当に親切だった。



中国の大学で国家のやることに大学生がこのように異議申し立てするのは、
どこかやっているのだろうか(多分ないだろう)。これは立て看板(省略形は「立て看」)と言う。
原発再稼働反対の内容である。京都大学では去年行った時も立ててあった。



京大の門に張り付いていた蝉。蝉だけは町のどこにでもいる。クマゼミ?



大阪十三に戻ってきて、晩御飯に入った沖縄料理の店。
「美ら島(ちゅらしま)」ダイニング」と名前入りのチヂミ。



「わあ、すてき!」と喜ぶ劉思婷さん(実はヤラセ)。後ろは若くて男前のマスター。
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