昨夕、女子学生二人が遊びに来た。一人は、今年日本語学科を卒業して財経大学大学院国際貿易コースに推薦入学した李えいさん、もう1人はこれまた奇跡の復活で推薦入学が決まった4年生の楼さんだ。
同じ外国語学部(中国では「外国語学院」と言う)でも、英語学科の学生の場合、大学院の英語コースを選択して、それに推薦されると学費は無料だ。しかし、この財大大学院には日本語コースがないので、日本語学科の学生が(当然他学部や他コースに)推薦されても、学費は2年間で24000元という、途方もない金額を払わなければならない。
ただ、試験をパスできるという特典があるだけだ。「だけ」と言っても大きい特典だが。
二人とも、ラッキーなことに8000元(大学の老師の給料2ヶ月分ぐらい)の奨学金を得ることができたそうだ。楼さんは、後の16000元の学費をどうやって捻出するか、頭が痛いと愚痴っていた。行けども行けども、問題はお金だ。
そんな二人に将来行きたいのはどこか聞くと、楼さんは「日本!」と言う。彼女は江戸川コナンの世界の人なので、「江戸」に行きたいんだそうだ。卒論テーマも江戸時代の何かにするという。
他方、1歳年上の李えいさんが行きたいのは、深センでも上海でもなく、やはり北京だそうだ。歴史と文化が息づく落ち着いた都市だと言う。私は十数年前に、内モンゴルに行くため一晩北京のナントカ飯店に泊まっただけで、覚えているのは、朝の出勤時、広い車道がほとんど自転車で埋め尽くされていた光景だ。道路が競輪選手たちに占拠されたようなその様子は圧巻だった。今は当然自動車が取って代わっているに違いない。
多くの学生たちにとっての憧憬の地、北京で働き始めた4年生の甘しゅくさんがレポートを送ってきた。彼女もまた、北京に憧れて江西省を出て行った生粋の江西省っ子だ。
実習レポート 甘しゅく 2011/10/25
知人のおかげで、私は仕事ができました。しかも首都の北京です。生まれてから一度もほかの省に行くことのなかった私は、本当にうれしかったです。初めて行くとき、一人で道もわからなくて、なんだか浮き草のようでした。北京に着いてから二週間後、やっと仕事場に入りました。
毎日会社に行くのは45分くらいかかって、しかも人が多くて混んでいます。毎日朝9時から午後6時まで、昼食の時間は12時から13時までです。昼寝の時間がないので、午後は本当に疲れて潰れるようです。
私の月給は2000元です。でも、物価は本当に高いです。昼食だけでも15元~20元かかります。南昌では一日でもこんなにかからないです。本当に大変です。みなさん、南昌にいる日々、大切にしたほうがいいですよ。
会社は中关村にあります。(中关村って、クラスメートのみなさんは知っていると思いますが、先生は知っていますか?もし知らなかったら、えーと、皆さん多分先生に教えると思います。)
国慶節のとき、北京の胡同を旅行に行きました。以前はただテレビで見たことがあるだけでしたが、実際に見ると大変心が打たれます。しかし、この古代からの住居様式がだんだん減っています。国家政府が何か政策を取らなければならないと思います。
北京に来てから、雨が降ったことがない。とても乾燥して、でも長くいると、心が静かになるような気がする。
まだ北京にいる時間が浅いので、具体的のことはまだ実感していません。後、また皆さんに紹介します。
「『中关村』て何?」と学生に聞くと、「え~っと、秋葉原みたいな…」「シリコン=バレイのようなところです」ということで、IT関連の企業が集中しているところと解釈した。深センレポートにも似たような地域(=関内)があったような…。
同じ外国語学部(中国では「外国語学院」と言う)でも、英語学科の学生の場合、大学院の英語コースを選択して、それに推薦されると学費は無料だ。しかし、この財大大学院には日本語コースがないので、日本語学科の学生が(当然他学部や他コースに)推薦されても、学費は2年間で24000元という、途方もない金額を払わなければならない。
ただ、試験をパスできるという特典があるだけだ。「だけ」と言っても大きい特典だが。
二人とも、ラッキーなことに8000元(大学の老師の給料2ヶ月分ぐらい)の奨学金を得ることができたそうだ。楼さんは、後の16000元の学費をどうやって捻出するか、頭が痛いと愚痴っていた。行けども行けども、問題はお金だ。
そんな二人に将来行きたいのはどこか聞くと、楼さんは「日本!」と言う。彼女は江戸川コナンの世界の人なので、「江戸」に行きたいんだそうだ。卒論テーマも江戸時代の何かにするという。
他方、1歳年上の李えいさんが行きたいのは、深センでも上海でもなく、やはり北京だそうだ。歴史と文化が息づく落ち着いた都市だと言う。私は十数年前に、内モンゴルに行くため一晩北京のナントカ飯店に泊まっただけで、覚えているのは、朝の出勤時、広い車道がほとんど自転車で埋め尽くされていた光景だ。道路が競輪選手たちに占拠されたようなその様子は圧巻だった。今は当然自動車が取って代わっているに違いない。
多くの学生たちにとっての憧憬の地、北京で働き始めた4年生の甘しゅくさんがレポートを送ってきた。彼女もまた、北京に憧れて江西省を出て行った生粋の江西省っ子だ。
実習レポート 甘しゅく 2011/10/25
知人のおかげで、私は仕事ができました。しかも首都の北京です。生まれてから一度もほかの省に行くことのなかった私は、本当にうれしかったです。初めて行くとき、一人で道もわからなくて、なんだか浮き草のようでした。北京に着いてから二週間後、やっと仕事場に入りました。
毎日会社に行くのは45分くらいかかって、しかも人が多くて混んでいます。毎日朝9時から午後6時まで、昼食の時間は12時から13時までです。昼寝の時間がないので、午後は本当に疲れて潰れるようです。
私の月給は2000元です。でも、物価は本当に高いです。昼食だけでも15元~20元かかります。南昌では一日でもこんなにかからないです。本当に大変です。みなさん、南昌にいる日々、大切にしたほうがいいですよ。
会社は中关村にあります。(中关村って、クラスメートのみなさんは知っていると思いますが、先生は知っていますか?もし知らなかったら、えーと、皆さん多分先生に教えると思います。)
国慶節のとき、北京の胡同を旅行に行きました。以前はただテレビで見たことがあるだけでしたが、実際に見ると大変心が打たれます。しかし、この古代からの住居様式がだんだん減っています。国家政府が何か政策を取らなければならないと思います。
北京に来てから、雨が降ったことがない。とても乾燥して、でも長くいると、心が静かになるような気がする。
まだ北京にいる時間が浅いので、具体的のことはまだ実感していません。後、また皆さんに紹介します。
「『中关村』て何?」と学生に聞くと、「え~っと、秋葉原みたいな…」「シリコン=バレイのようなところです」ということで、IT関連の企業が集中しているところと解釈した。深センレポートにも似たような地域(=関内)があったような…。