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毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「父の背中」(2年生のスピーチ原稿)   2012年3月31日(土) No.322

2012-03-31 21:32:41 | 中国事情
2年生14人、3年生8人は清明節の3連休もスピーチ練習に明け暮れる。
私も2日間それに付き合う。
目標:参加者全員のスピーチ技能の底上げ。

(これがプライベートタイムを最も大切にしているはずの人間のすることか)
という葛藤は小学校教師時代から常につきまとっていた。
しかし、教師を生業にしている(していた)人はわかると思うが、
教育を「9時~5時」内で、というのは無理である。
タイミングというものがあるのだ。

また、内田樹曰く「教育とはおせっかいである」と。
ここでの私は、かなりおせっかい者に徹している。
私のおせっかいを一生懸命キャッチしてくれる学生たちがいるからだ。

2年生の吴(ご)はいきさんもその一人。今夜も寮で練習に励んでいることだろう。
彼女は、多くのクラスメートと違い、自ら第一希望で日本語学科に入学してきた。
こんな子もいるんだ、と日本の皆さんに知ってもらいたい。



「父の背中」
私はもうすぐ3年生になります。
過去を振り返ってみると、いろいろな思い出が頭に浮かんできます。
先生にほめられた時の喜び、文章を暗誦できなかったときの落ち込み、
難しい文法を勉強する時の悩み・・・、懐かしいなあ。

 クラスの中には日本語学科に選ばれた人もたくさんいますが、私は自分で選んできました。
とはいっても、入学するまでは本当に大変でした。
家族、特に父が猛反対して、私は「もうあきらめようかなあ」と思った時もあるのです。
皆さんご存知のように、大学に入学する前に、専門を選択しなければなりませんよね。
両親と相談の結果、専門は外国語に決まりました。

その後、大学からの採用通知がきました。「日本語学科」と書いてありました。それを見た母は
「ドイツ語でもなく、フランス語でもなく、何で日本語を選んだの?」
と聞きました。
「別にいいじゃん、日本語も外国語でしょう。」
テレビを見ながら私はこう答えました。
すると、ずっと黙っていた父は急に「ビッ」とテレビを消して、大声で言い出しました。
「お前、そんなに日本が好きなのか!自分が中国人だと言うことも忘れたのか!」
それを聞いた私は不服な口調で言い返しました。
「日本語を勉強したら中国人じゃないんですか?
日本に侵略されたのは当時の中国が弱かったからじゃないですか。
お父さんこそ、日本についてのこと全然わからないくせに、何を言ってるの?」
そうすると、父は一言も言わずに、外へ出て行ってしまいました。
 親に口答えしてはいけないと知っていたのに、父と喧嘩してしまいました。
本当は「ごめんなさい」と言いたかったのですが、
すごい剣幕(けんまく)で怒っている父に対しては言えませんでした。

 確かに、日本は中国を侵略しました。私も、この事実はちゃんと覚えています。
でも、日本語を勉強したからといって、「愛国者じゃない」とは言えないでしょう。
中国には、日本に対して偏見を持つ人がたくさんいます。
「日本人はみんな凶悪だ!」
「日本の製品を使うのは売国奴だ!」
「日本語が話せるやつはスパイだ!」
などと思っている人も少なくありません。
もしかして、日本も裏返しの同じ状況かも知れません。
なぜ私たちは相手のいいところが見えないのでしょうか。
他人の間違いを指摘してばかり、自分のよくないところを無視するのは正しい態度と言えますか?
皆さんも、「売国奴」とか「スパイ」なんて言われたら、悲しくなっちゃうでしょう。

私は日本のいいところを見つけたいんです。
そして、父のような日本嫌いの中国人にその日本の良さを理解させ、納得させるために、
日本語を選んで学んできました。

 今まで、大学から家に電話をかけるたびに、電話に出るのは母です。
父から電話をもらうことはありません。
「お父さんはこの日本語を勉強している娘を忘れてしまったの?」という気さえします。
でも、私は絶対にあきらめていません。
実は、父の理解と応援はもちろんもらいたいですが、
その無理解はかえって私の頑張る力になっています。
日本語の勉強で疲れた時、父が家を出ていった時のあの背中を思い出すと、
また「頑張るしかない!」という気になります。

私たちの努力を通じて、中日両国の国民はいつか心を開いて、
相手を受け入れることができるということを、私は信じています。
そして、父に認めてもらうために、
これからも、ただひたすら頑張っていきます。
吴佩
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「中国式作文」  2012年3月30日(金) No.321

2012-03-30 18:39:45 | 中国事情
午前の授業後、昼ごはんを3年生の洪さん、竜さんと第二食堂で食べた。
今日も雨。
食堂の床が滑るったらない。
靴の裏に神経をそそぎ、ゆっくり踏みしめて転ばないように歩く。
雨降りの日は、いつもいつも(なぜ床をこんなツルツルの大理石にするのか)とブツブツ思う。
新しい建築物もこうなんだろうか。
使う者が滑って転んで骨折しないようにすべらない床にすることがなぜできないのか。
ワタシャどうしても理解できない。

午後、資料室で2年生のスピーチ原稿を添削した。
驚いたことに、せっかく私が添削したのを
中国人の担任がまた修正して、
良くなるのならいいのだが、明らかに後退させている。
話し言葉はかなり不自然だし、
内容が、呆れるほど凡庸になっている。
「この前の文の方がいいのに、なぜこんなふうに書き直したんですか。」
と聞くと、学生たちは担任の先生の名前を言う。

内容が凡庸でつまらなくなっている、と私が指摘すると、
「先生、中国で作文とは、『範文』(=模範文)というのをまず写します。
そうやってワンパターン練習をして、範文にできるだけ似ているのが、いい作文なんです。」
と学生が答えたので、私はようやく、ついに、ファイナリー、
この間の私の鬱々としたマンネリ気分の原因が分かったのだった。
(なんだよ、自分のせいかと思ったら、中国式作文法のためだったのか)

なんか変だと思っていたのだ。
となると、スピーチコンテストの審査基準も
日本人と中国人では、真逆のように異なるはずだ。
来週4月6日の結果は、ちょっと心配になってきたなあ。
日本人審査員は私1人、あとの4人は皆中国人だ・・・。
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「ムカつく」も覚える優等生たち  2012年3月29日(木) No.320  

2012-03-29 19:12:14 | 中国事情
財大日本語学科の学生の多くは「ムカつく」「チクショー」を知っている。
なぜか。
私が言うからである。

どんなとき使うかというと、
例えば来週の4月2,3,4日(月、火、水)は清明節で休みになる。
それに関してつい最近、
2日(月)が休講になるので、その代わりに3月31日(土)が代講日になると知ったその時、
私の口は勝手に
「ナンヤテ、ムカつくわ。ホンマに」と発するである。
その場に学生がいたからといって制御するものではない。

もともと私は
(「ムカつく」という言葉は、とても便利で言い易いなあ)
と思っている人間なのである。
小学校の同僚たちは、ほぼ全員が、
「子どもが『ムカつく』と使っているのを聞いたらムカつくわ。」
という意見だったと記憶している。
それを聞く度に
(なんで「ムカつく」はみんなに嫌われるのだろう?
『ムカムカする』をちょっと強力に言っただけではないのか)
と疑念を抱いたものだが、敢えて異論を唱えず、したり顔で頷いたりさえしたものだ。

そのまま、公的な場では極力使用を控えてきたのだが、
やっぱり、そんなに酷い言葉とは思えない。
気分が悪くなり、吐き気を催すことを
「(胸が)ムカつく」と言うよね。
吐き気を催すほど気分が悪い(=腹立たしい)ときにも
「ムカつく」はイメージがピッタリ重なって、とても使い易いのでは?

「チクショー!」は
「ああ、しまった!」と似た意味で使う。
4年生の優等生たちは、そんな私の独り言をきちんと頭に叩き込んでいるので、
中国のあちこちで「ムカつく」「チクショー」が流布される日も近い、かも知れない。
ワシャ知らん。
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部落解放文学賞   2012年3月28日(水) No.319

2012-03-28 08:13:36 | イベント情報

選考委員が誰だったか、気になってwikipediaで調べてみたら、
1974年から2009年までの歴代選考委員の名前が載っていた。
もう亡くなった方も多い。
第38回(今年)の選考委員のなかには
確か、現代アラブ文学者の岡真理さんの名前もあったような。
清水真砂子さんも入ってくれはったら嬉しいな、
と自分勝手に選考委員を選考するブルーはーとであった。



解放文学賞


解放文学賞(ぶらくかいほうぶんがくしょう)とは、解放同盟が1974年に創設した文学賞。主催は、解放同盟中央本部と解放・人権研究所による実行委員会。応募作品は被差別の内外から募り、反差別の視点から選考される。入選者は『解放新聞』で名前を発表され、毎年3月の解放同盟全国大会で表彰を受ける。入選作品は『解放』誌の臨時増刊号に掲載される。

この賞を母胎として『解放詩集』『解放識字作品集』が刊行された。なお、特別賞(短歌)で狭山事件の石川一雄元受刑者が入賞したことがある。

部門 [編集]
1.識字
2.記録文学
3.小説
4.詩
5.児童文学
6.戯曲
7.評論

歴代選者 [編集]
井上光晴
今江祥智
岩田直二
上野瞭
小野十三郎
鎌田慧
金時鐘
木村光一
黒古一夫
高良留美子
小刈米睍(戯曲部門第4回から第6回まで)
国分一太郎
杉浦明平
竹内泰宏
立松和平
野間宏
長谷川四郎(戯曲部門第1回から第3回まで)
原田伴彦
針生一郎
土方鐵
緑川亨
宮本研
村越末男(第11回から)
山下明生
芳地隆介

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「帰国者の友」にもようやく春が    2012年3月27日(火) No.318

2012-03-27 18:46:24 | その他情報
昨年8月このブログ上で窮状を訴えた李達夫・遅素媛さんのことで朗報!

遅素媛さんの北京での入院費が厚生労働省から全額給付されることになった。
本当に良かった。厚労省はいい判断をしてくれはったなあ。
東淀川区のケースワーカーAと、雲泥の差だ。
もし、ここで厚労省が却下した場合、どうしようかと心中暗い気持ちだった。

「帰国者の友」に集う人たちは、
こう言っちゃあ江戸っ子みたいだが、
宵越しの金は持たねえ、て言うか、持ちたくても最初から無いんダス。
胸を張って言う。
お金持ちは一人もいない。
みんな、やり繰りして何とか回して暮らしているのだ。

私は何が嫌と言って、お金で苦労するのが一番嫌だ。
借金抱えて暮らすのは、骨身にしみて辛い。
なので、李さんが、
70歳からの人生を死ぬまで借金だらけで、
車椅子の妻の介護で暮らして行くことを想像しただけで
貧血が起きそうだった。
取り敢えず、一つクリアした。
ふう~。
今まで、カンパしてくださったり、お見舞いのメールをくださったり、
一緒に心配してくださった皆さんに
ここでお礼を申します。
本当にありがとう!
あなたの温かい心が、足を一歩前に出すエネルギーになりました。


朗報その2!

我が「帰国者の友」では数年前に
中国残留孤児一世、二世の4人の「歩んできた道」を
文集にした。
当時の職場のコピー機などをちょっとお借りして
こそこそと作った手作り文集である。
それを昨年、帰国者の友スタッフの一人、純子さんが
勧めてくれて
解放文学賞に応募したのだ。

それがナント!
4人のうちの1人、西井澄さんの「私の歩んできた道」が
一次選考に通ったという。
もともとこの解放文学賞の選考委員は
誰とは言えないが(つまり忘れた)
非常に有名な方々ばかりであった。
ある程度のレベルに達すると、
賞は貰えなくても、選考委員の方々に、いろいろ批評とかしてもらえるというので
応募することにした経緯がある。

残留孤児として背負わされた人生の重みを、
一人でも多くの人に知ってもらいたい、
気持ちをシェアしてもらいたい、というスタンスの帰国者たちだ。
声がかかったら
学校の先生たちに話をしたり、
小学校の餃子作りの先生として出かけたり、
帰国者の友の
篆刻、中国刺繍、中国家庭料理、切り紙など
たくさんのイベントにも積極的に参加して来られた。

そんな仲間の1人の人生が
ちょっぴり報われた、
そんな気さえした
嬉しい知らせだった。

私の記憶によれば
西井澄さんは、1945年8月15日時点で9歳、黒竜江省にいた。
李達夫さんは、1945年8月15日では3歳、吉林省にいた。
西井澄さんは残留孤児一世(両親が日本人)、
李さんは残留孤児二世(お母さんが日本人、お父さんが中国人のため)。
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「流浪する心構え」 2012年3月25日(日) No.317

2012-03-25 17:21:45 | 中国事情
 最近放課後は、ずっとスピーチコンテストの原稿添削と発表特訓に明け暮れている。
パソコンで何人もが何度も原稿改訂版を送ってくるのを読んでいて、
あることに気づいた。
どの原稿も表現がどこか似ているのだ。
私のボキャブラリーの範囲で原稿をチェックするのだから、結局こうなるのは自然の摂理である。
(だからか!)私は気がついた。
どれもこれもマンネリで、退屈で、つまらないのだ。

正直言って、
日本語教師になって以来、私の表現力は低下している。
て言うか、もともと私の「表現力」は、低下できるほど高みに達していないので言い換えれば、
私の表現は、文法に縛られて限定的になっている。
自分勝手な言葉遣いが楽しめない。
大阪に帰ったら友人に
「何、その言葉遣い?なんかヨソヨソシー!」
と言われる。
このまま行くと、とても貧しい人間になる気がする。

文法的に正確な表現は、日本語の共通ルールに則っているので誰にでも分かる文だ(ということになっている)。
学校で教える日本語は共通語(標準語)のルールであり、方言は蚊帳の外。
いわゆるニュー・ダイアレクトもダメったらダメの世界。

毎日毎日、共通語の文法に縛られて、それを教える仕事をしているうちに
自分の口から出てくる言葉が、魅力のない、不自由極まりないもののように思えてきた。
もともと、言葉を神様のように自在に操れる人間ではない。
「グサッとくる言葉を単刀直入に言う」と何回も指摘されたことがある。
真意を言葉で表現することを、諦めていた時期もある。
(ペラペラ喋る奴は、カッコ満点、中身零点)とレッテルを貼っていたときもある。
言葉で100%を表現できるはずがない、と今も思う。

ボチボチ、次の生業を考える時なのかも知れない。
流浪の民、復活か。




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「緑の帽子に要注意!」   2012年3月23日(金) No.316

2012-03-23 20:38:53 | 中国事情
 今日、2年生の朱チュウシンさんとスピーチの原稿直しをしていた時の話。

「『先生の友達ご夫婦が南昌にいらっしゃったとき、日本人の親切さと真面目さに感動しました』って、
具体的にどんなこと?はっきり言って、こういうのを凡庸で魅力ない文て言うんだよ。
なぜみんな決まり文句みたいに同じこと書くのかな。全然面白くない!」

私がズケズケ言ったら、彼女は彼女で
「でも中国ではこれでいいんです。」
と頑張る。
「あのねえ、確かに綺麗な言葉だけど、みんな同じこと言ってどうするの。
退屈で、そんな言葉聞きたくないんですよ。
朱さんだけしか気づかなかった、朱さんしか言わなかった、そんな言葉に
聴衆は反応するんだよ。」
と言うと、彼女は、
「あの、本当は気がついた事あるんですけど・・・。」
と遠慮がちに言い出した。

1月1日、東京から友人カップルが遊びに来たとき、
朱さんたち2年生がキャンパスを案内してくれた。
その時、朱さんたちは心の中で
(ああ、言ってあげようか。だまっていた方がいいのか)
と、かなりの葛藤があったという。
何のことかと言うと、
友人カップルのうち、サバさん(男性)が、緑色の帽子を被っていたそうな。
何色だったかなんて、私は全然覚えていない。
で、「緑色だったとして、それが何?」
と聞くと、
「中国では、男性が浮気をすると、女性が男性に緑の帽子を被せるのです。」
「だから、サバさんが緑色の帽子をかぶっているのを見て、
みんな心中『ああ~!』と叫び声をあげました。
でも、それをサバさんに言うべきかどうか、困って結局言いませんでした。」

そう言われれば、あの時、なんか2年生のみんなの顔が引きつっていたような・・・。
「まさか、実際に緑色の帽子をかぶった男性を見られるなんて考えてもいませんでした。
本当にオモシロイ異文化体験でした。」

ということで、
朱さんのスピーチ原稿には、
「真面目で親切な日本人」にとって変わって
「叫びたくなる色の帽子を被った日本人男性」
が登場することになった。
サバさん、このブログ見ていたら、
今度中国に来るときは帽子の色を考えてね~。



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「授業風景」   2012年3月21日(水) No.315

2012-03-21 21:58:15 | 中国事情
 3年は2学期に入ると、急に卒業を意識し始めた。
本当に慌て出している様子が伝わって、こっちは
(周りに流され易いヒトたち・・・)と、いささか可笑しくなるが、
笑わずクールに対応している(つもり)。

1学期の「日本語作文」は2学期「ビジネス作文」が取って代わった。
今はビジネス用手紙文の練習だが、無味乾燥なお手本の丸写しはしたくない。
時候の挨拶の工夫や、日本(本州、関東~関西)の季節感覚を紹介しつつ、
季節の挨拶状などを書いている。

「春とは言え、いつまでも寒さが続く南昌です。」
「毎日冷たい雨が降り続き、春が待ち遠しい今日このごろですが云々・・・。」
と、南昌ならではの前文が目立ち、
学生たちもこの底冷えする雨模様から、早く解放される日を待っているのが感じられる。

今週は「睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走」を
意味と共に紹介した。
3年生の中にもアニメ好きがいて、
5月は皐月、英語でMAY(メイ)と言うと、
「ああ~!そうだったのか!」と大喜びする子も。
もちろんこれは、宮崎駿の「となりのトトロ」の主人公姉妹の名前である。
「メイは待ってな!」
「メイも行く!」
「いい子にしてたんだよ。」
と、私お得意の物真似を披露すると、
わかる子は非常に嬉しそうであった。
(何やってんだか)

今月末、このクラスから4人が岡山商科大学に留学する。
彼女ら彼らに、別れの手紙を書く事を課題に与えた。
日頃、どちらかと言えば陽ではなく、パッとしない、ぼーっとしたクラスだが、
いざ書けば、精一杯の餞の言葉を書いていて、ホロッとした。
(やっぱ、見かけだけ、表面だけで測ってはいけないな)としみじみ思った。

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「お登紀さんからメール」   2012年3月20日(火) No.314

2012-03-21 09:59:44 | 日記
加藤登紀子さんからメールをいただいた。
私が出したメールへの返事だ。
面識は全然ない。

私はお登紀さんの『TOKIKO NOW』
(週に1,2度インターネット配信される彼女のニュースやお知らせ)
のネット読者である。
昨年3・11以降、彼女のフル回転の活動に
ここ中国でどれほど励まされたことだろう。

先日福島県郡山市での集会でも彼女は、
大江健三郎さんや16000人の参加者とともに
脱原発を全世界に向けて発信した。
日本では(いつものように)あまり大きく取り上げられなかったようだが、
ロイター通信など世界的には「日本の人々の声」として丁寧に紹介されていた。
日本の人々は、「フクシマ」の問題を日本だけの問題だと
勘違いしないでもらいたい。
いつも世界は日本のフクシマの推移を注視しているのだ。

それはともかく、
『TOKIKO NOW』を読むと
加藤登紀子さんのスケジュールは大変忙しい。
日本の良心を表現する人の身を案じて
一介の読者であるにもかかわらず私は、厚かましくメールを送ったのだった。
(その時はまだ我がFUJITSUノートパソコンも生きていた)

期待していなかったのに
すぐ返信が届いた。
嬉しいのでここで紹介すると、

メールありがとう!
今週末はスケジュールがたまたま立て込みましたが、
ちゃんと段取り考えてる予定なので、ご心配なく!
楽しい仕事にしていくことでのびのび乗り切ります。
いつでもまたメール下さい。
  加藤登紀子


このフットワークとスタンスが本当に偉いと思う。
ついでと言っては失礼だが、
『TOKIKO NOW』の最新号も転載させていただく。
永六輔さんがお元気に退院されたとのこと、
今年は日本、嬉しいことがあるよ!


☆TOKIKO NOW ----- 2012.3.192012年3月19日 月曜日 午後4:46
From: "tokiko@tokiko.com" <tokiko@tokiko.com>

今週末はまたすごいコンサートがあります!
永さんのラジオ番組TBS土曜ワイドに出演。
すっかり元気になられた永さんと生き生きとした時間が持てて本当にうれしかった。
永さんはじめ7人の「知の達人」たちとの対談の本、「命を結ぶ」が出版になり、この本のことがテーマ。
「お登紀さんが選んだ男」と永さん。
「基準は年令?」と聞かれ「抱かれたい人」と私!!
「お登紀さんは歌手なのに、どんどん発言するし、行動するからハラハラしてる。
僕は八ッ場にいっしょに行った時も祝島に行った時もボディーガードのつもりなの」と永さん。
私は素直にうれしいなあと涙が出そうになった。
2011年という大変な年、間違わずこの難局に立ち向かわなきゃ、と思った時ふっと「誰か守ってれる人はいないか」と思ったのは事実。
この本の7人は本当に兄のような頼もしい人たちばかり。
ひとり、世の中に立ち向かっている頑固者達でもある。
私のゲストコーナーの後のゲストが何と北山修さん。続きに私も出演しちゃった!
「僕は若いから入ってないのね」と北山さん。
次はちょっと下の世代の7人もいいな、と思う私。いい気なものね。
でも会いたいと思った人には会っておいた方がいい。
話は聞ける時にちゃんと聞いておこう!それが今の私の心境。
北山さんのお話、面白かった。
「ち」がつくものはみんな「命」とつながる。命を「ぬち」と呼んでも「いのち」と読んでも同じ。
「つち」も「かたち」も「きもち」も「おろち」も。
多分「血」から来ている、と。これもやっぱりアジアの響きなのかも。だって英語じゃ「ライフ」だもんね。
さてこの日は午後から文京シビックホールでNTT東日本交響楽団との共演。
これがまた、本当に歴史に残したいほどの素晴らしいコンサートになった。
Recordingしておきたかったなあ!!
管弦楽団より吹奏楽団のオーケストレーションの方が、私の気持ちに合っているような気がする。
4月21日のアースデーのステージにはこの吹奏楽団のメンバーが来て下さることになりそう!!
3月18日の日曜日は残念ながら雨模様。ちょっぴりグレーな気分にさせられるような日。
朝、ツイッターの石井ゆかりさんの「今日の占い」を見たら「きつね色」「こんがりパンが焼けるような香ばしい色」と出た。
これは何か明るくていいな、と、私も「きつね色」の服で出掛けた。
そしたらこの日「命を結ぶ」のトーク、サイン会が開かれる八重洲ブックセンターのステージのボードの色が「きつね色」!!
私の服と見事にマッチした。
でも私はきつね的なポーカーフェイスが出来ない方で、この日「命結」をはじめに歌った時から胸いっぱいになっちゃって、最後に「今どこにいますか」を歌った時は、もう、ぎりぎりのセーフ。
サイン会でもたくさんの人たちと深い握手が交わせた。
「肌寒い日曜の午後」この後は銀座シネパトスで「フクシマ2011 被曝に晒された人々の記録」の舞台あいさつ。
この時の客席の人たちともひとりひとりしっかり逢えた。自宅で原発事故を知り、南相馬の小高町から避難してきているという若い夫婦との会話が心に残った。
今週はまた週末にすごいコンサートがある。
横浜のみなとみらいホールでアイメイトの人たちを応援するコンサート。実際に盲導犬を連れた方が40人以上来られ、ステージでもいっしょにコーラスすることになっている。
先週、この中の数人が事務所まで来られたくさんのお話を聞いた。
「犬アレルギー」とかを理由にカフェやレストランやホテルがアイメイト同伴の盲人の方の受け入れを拒否されることが多いという!全く不寛容な社会よね、日本は。
それでも彼らは堂々とひとりで旅もし、仕事もし、子育てもしている!!本当にすごいね。いいコンサートにしなくちゃ!
さてこの日、コンサートの後にヨコハマのくまざわ書店ランドマーク店で本のサイン会があります!!是非ヨコハマの方、いらして下さい。
7月7日のオーチャードホールのチケットは先行販売がはじまっています。
ご希望の方はトキコプランニングへ。
ひと雨ごとに春が来る、というから、段々とこれからあったかくなるでしょう。
みなさまどうぞ体に気をつけて良い春を!! Tokiko
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「FREE GATE 対 金盾?」    2012年3月19日(月)  No.313

2012-03-20 22:34:10 | 中国事情
 皆さま、お騒がせいたしました。

現在私は自分の宿舎に設置されている、大学のコンピューターを使ってこのブログを書いている。
つまり、インターネットに接続できたんだ~い!

激動の一日を振り返ってみよう。
ったって、浙江省の郭さんに電話して聞いただけなんだけどね。

やはり、何ぼなんでも資料室の10分でネット解除されるパソコンは使いづらいものがあり、
私は宿舎に帰った後、夜9時過ぎに郭さんに電話した。
郭さんは現在、自宅で大学院入試の結果待ち状態で、落ちた場合に備えて公務員試験の準備中とのこと。
そんな事情もお構いなく、
私は自分のパソコン困窮状態を説明し、
「できればこの間突然切れたネット環境を修復したいんだけど…。」
と尋ねた。
『パソコンの神様』の異名を持つ彼は、
「コントローパネルを左クリックして、次に何とかセンターを左クリック、そして次は…。」
と、てきぱき指示する。その通りやっても無理だった。
「先生、私の考えではそのFREE GATEソフトが邪魔しているのではないかとおもわれます」 
という彼の言葉をヒントに、
保存していることも忘れていたFREE GATEソフトを削除してみた。

すると、どうでしょう!
チャンチャンとインターネットのホームページが出てくるわ、ブログが開けるわ、
何やねん。
それだけのことだったのか。ていうか、そんなささやかなソフトの存在まで金盾は見逃さないのか。
それとも、ここのネットワークに引っかかったのか。

いやあ、とにかくスゴイ。
今度からFACEBOOK見るのも逡巡するなあ。

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NO.312の続き

2012-03-19 08:46:47 | 中国事情
 資料室のネット環境は問題がある。

15分で切れるのだ。
その度に接続する。
ブログ文はバックアップできるからいいわと
呑気に書いていたら、

まともにバックアップしてくれていない。
つまり、15分以内で
超短いものしか書けないことに
なった。

ま、ここは日本じゃありませんから
臨機応変でいくしかない。
じゃ~ね~
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「BLOGは資料室から」    2012年3月19日(月) No.312

2012-03-19 08:27:44 | 中国事情
 ついに我がパソコンは壊れた。
宿舎にはもう一つ、デスクトップが設置されているが、
私が金盾に制限されないで使えるfree gate というソフトを使用して
Ustreamをさんざん見ていたら、突然ブチっとインターネット接続を切られた。
その後、二度と接続できない。
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「今日は引き籠もりにもってこいの日」    2012年3月17日(土) No.311

2012-03-17 20:26:51 | 日記
 3・11からこっち、学生べったりで疲れた。
この土日以外は、しばらくスピ・コン特訓で宿舎に帰るのも夜になる。
今日明日は貴重なDAY-OFFだ。

朝シャワーをした。
昨日の夜しようとしたら、バスルームの電気が消えたので止めたのだ。
以前から点いたり消えたり、中途半端な状態。
ここではいろんな物がすぐ、そして何回も壊れる。
もうだいぶ慣れた。

しかし、何ですかね。
この頃1日シャワーしないと、足の垢がたくさんとれてくるのですよ。
以前はこんなに垢が溜まらなかった。
靴下ちゃんと履いているのに、どういうことなんだろ?
でも嫌じゃない。
垢がボロボロ採れるのは成就感ぽいものがある。


ずっと雨がちだった南昌だが、3・11から3日間全く降らなかった。
その3日間で一気に春がやってきた。
週の後半は雨が降ったものの、これまでのような冷たい冬の雨じゃない。

今日のような休みの日は、部屋でぼんやり外の降雨を眺めるのもいいものだ。
夕方、野菜がなくなったので買い物に出かけようと、
コートを着たとたん雨が降り出した。
買い物は即座に中止。
ガサガサ探して見つけたマカロニのようなものを
テキトーに茹でたり、炒めたり、和えたりして夕食にした。
十分満足。
アールグレイを食後に飲み、大満足。

ここんとこ調子の悪いFUJITSUのFMV-BIBLOだが、
午後フッと画面が暗くなり、コードやバッテリーを外したり、
繰り返しセーフモードで立ち上げたりしているうちに、何となくまた使えるようになった。
パソコンまで中国的になってきたな。
ときどきナデナデして、機嫌をとる。
夏休みまでは、何とかして使い続けたいからね。
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「とほくまで行くんだ ぼくらの好きな人々よ」  2012年3月16日(金) No.310

2012-03-16 22:49:34 | 日記
吉本明、87歳。
亡くなった歳は母と同じ。
皮膚が薄くなり、血の気もなくなっていく。
こうして肉体は機能停止するのか。

高校の時、
先生の家で吉本明詩集を初めて手にした。
次の詩が胸にすっと入ってきて
吉本明というと、
私はいつもこのフレーズを浮かべた。

ず~っと、ず~っと前、大学に来て講演をしてくれた。
「男たちは、もうとっくにくたびれてるんだ。」
と言ってはったなあ。

最近は「ヨブ記を読む」という講演の声を聞いた。
思索することの自由な清々しさ。
ばななさんの親バカ父さん。

まだ覚えているよ。
「とおくまで行くんだ ぼくらの好きな人々よ」



胸のあいだからは 涙のかわりに

バラ色の私鉄の切符が くちゃくちゃになってあらわれ

ぼくらはぼくらに または少女にそれを見せて

とほくまで行くんだ、と告げるのである

とほくまで行くんだ ぼくらの好きな人々よ ...



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「中国の子の名前」   2012年3月14日(水)  No.309

2012-03-14 19:07:22 | 中国事情
 「秋霜」「微晩」「春雷」・・・
なんだか時候の挨拶言葉のようだが、これは中国の子の名前である。
日本人は古来、自然の機微を感じて、それを言葉で表現することに長けていたはずだが、
名前における自然表現は中国の人々の遙か後方にいるのではないだろうか。

上の名前はみんな女の子たちである。
他にも、
晨(早朝という意味)、冬華、春華、堯雲、熒碧、雲花、雷雷、発燕、晨潔・・・
みんな女性の名前だ。清々しい名前だなあ。
一方男性の名前は、
小雲、鶴、松、順泉、明華、書林、旭、駿、浩、晨輝、水竜、歓民・・・
ところどころ、女の子の名前みたいなのもあるが、かなり日本人の男性の名前に重なる。
「小雲」なんて、誰が考えたんだろうと思える、素敵な名前もある。
「雲」は女・男に共通しているようだ。

しかし、今年の一年生に変わった名前の子が入ってきた。
中国人から見ても、珍しい名前だそうだ。

その子の名は「晋菘」という。
「晋」は「すすむ」とも読むので「進む」という意味かな。
問題は「菘」。意味を調べると「すずな」。今で言う「カブ」である。
別の辞書には「はくさい」と書いてあった。
「進むはくさい」or「進むカブ」・・・。
この子の親は何を考えてこんな名前をつけたんだろう。

この子(男の子)は、日本語学科の学生でありながら、
私が
「晋菘さん、分かりましたか。」と言うと、
「イエース、イエース」
「大丈夫?」と聞くと、
「オーケーイ!」
と胸を張る。
落第点をつけても意気軒昂で、今学期はいつも一番前に座っている。
しかし、ミニテストは隣の子の解答をシミジミ眺めている。
「カブ」なんてつけたから、こんな子になったんじゃないか。
みんな、子どもに名前をつけるときは
野菜の名前は避けた方がいいのでは…。
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