今は8時半a.m.
あと1時間半後には中国上海行の飛行機に乗るため
自宅を出発します。
中国南昌ではブログを更新する環境がないはずなので
またしても日曜日まで一休み。
デジカメが古臭く思える今日この頃ですが、
それでも愛用のデジカメ、何冊かの本、着替えとお土産のお菓子などを持ち、
(実はまだ荷造りしていない)
暑かったり、寒かったり極端な天気の南昌に向けて、行ってきま~す
皆さん、いい日をお過ごしください。
今は8時半a.m.
あと1時間半後には中国上海行の飛行機に乗るため
自宅を出発します。
中国南昌ではブログを更新する環境がないはずなので
またしても日曜日まで一休み。
デジカメが古臭く思える今日この頃ですが、
それでも愛用のデジカメ、何冊かの本、着替えとお土産のお菓子などを持ち、
(実はまだ荷造りしていない)
暑かったり、寒かったり極端な天気の南昌に向けて、行ってきま~す
皆さん、いい日をお過ごしください。
私のブログとしては珍しくいつまでもコメントが届く文がある。
2013年9月26日No.758の「世の中に戦争をしたがる『バカ』がいる」だ。
http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/b06ea5fdab2ecd64a4a7b3f3184e3f64#comment-list
今年6月に卒業した閻鳳じょさんが4年生になりたての頃に書いた作文のタイトルだが、
コメントを書く人の中に、戦時中日本軍が中国で残虐な殺戮などしていないと
考える人たちがいるようなので、私はそのことがたいへん不思議である。
日本軍はわざわざ中国まで出かけて行って、一体何をしたというのだろう。
日本政府は「侵略」という言葉を使わせないように教科書検定をしてきたが、
では、日本の軍隊は中国各地でボランティア活動をしていたとでもいうのだろうか。
さっき「へそ曲がり」さんのコメントを読むと、こんなことが書かれてあった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「歴史事実」はどこに? (へそ曲がり) 一番難しいのはその「歴史事実」の確定です。いつもイデオロギーやプロパガンダでゆがめられるからです。例えば、GHQのWGI、コミンテルン指令をもとにした左翼史観、朝日、岩波、日教組などによる戦後の自虐・贖罪史観、中韓の虚偽宣伝etc。その一例として、あなたは本多勝一の「中国の旅」に書かれていたことを「事実」だと認識しているのですか?
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この人の言うイデオロギーやプロパガンダからは戦争前、戦時中に日本を席巻し、
戦後も決して絶えることのなかった右翼の史観、軍国主義イデオロギーが
すっぽり抜け落ちているのが特徴だ。
そして、批判・非難・否定の対象として
「左翼史観、朝日、岩波、日教組などによる戦後の自虐・贖罪史観、中韓の虚偽宣伝」
を挙げている。その一例が本多勝一の「中国の旅」であるようだ。
私がいつ本多勝一の「中国の旅」についてあれこれ講釈を垂れたであろうか。
何を持ってこの人はこの本と私を結び付けようとするのか。
これは「へそ曲がり」というより「ねじ込み」という手法である。
日本軍が中国を侵略したのは歴史の事実である。
根拠として私は、本ではなく、数々の学生が語る言葉を根拠の一つ目に挙げる。
ある江西省出身の学生の作文に、こういうものがあった。
「私が大学の日本語学科に入学すると知った祖父は激怒した。祖父のお母さんは、祖父がまだ子どもだった頃、目の前で日本軍によって大怪我を負わされた。それ以来、祖父は決して日本を許さない。自分の孫が、よりもよって日本語を学ぶと聞いて、何という不幸者だ、と言って落胆し口もきいてくれなかった。祖母は泣いて私を非難した。」
また、江西省出身の別の学生はお祖母さんから、戦時中、
江西省まで日本軍が攻めてきて、村の農民たちは村を離れ、
山の中に隠れた。子どもの私は生きた心地がしなかったと当時の話を聞いていた。
こんな話は枚挙にいとまがない。
もう一つだけ事実を挙げよう。
1986年、日本の戦友会「椿会」(バンバ会長、井上豊治副会長)メンバーが
団体で江西省、安徽省のかつて戦闘作戦地だった
武漢、宜春、萍郷、南昌新建県・安義県・永修県など各地を訪れ、
地元の人々に、戦争当時自分たちがした行為を謝罪した、という事実である。
(詳しくは我がブログ「ある日本軍兵士たちの責任の取り方と、日本の政治家たちのあまりの違い」 2013年7月6日(土)No.700
http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/911c953ba0e0fa15fa6b06c1b1343276 )
こんな話は中国の至る所にゴロゴロしている。
「イデオロギーに満ちた左翼史観に基づく本多勝一」などをわざわざ持ち出す必要はない。
「へそ曲がり」さんは歴史の事実を誰の本から学んだのだろう。
誰かの本は押しなべて「イデオロギーとプロパガンダ」に満ち満ちているのである。
実際に、自分で日本軍の足跡をたどれば、その土地で日本軍がどんなことをしたのかが、
分かる。中国、韓国以外でもいい。フィリピン、マレーシア、インドネシア、タイ、カンボジア…。
日本軍が侵略していないアジアの国を探すのは難しい。
「へそ曲がり」さんには是非、自分自身の目で耳で「歴史の事実」を確認してもらいたい。
誰かさんの本からではなく。
私の人生は忙しい、と時々思う。
きっと、周りの働きかけに対して積極的に反応するタイプの人間だからなのだろう。
自分自身は引きこもりが大好きであるにもかかわらず。
明日中国に行くのは、
3日前、TOEICの勉強をしていた私のところに
江西財経大学の厳先生からメールがあったためだ。
なんと!としか言いようがないが、
江西省政府が(中国では地方自治体とは言わない)、
江西省に貢献した外国人に贈る「廬山友誼賞」を私にくださるというのである。
(よりもよって、なんで、この私なんかに…)と本気で思うが、
中国の地方政府が「日本人」にこうした賞を授与することの意味を私はプラスに考えている。
これは国家間のぎくしゃくした関係を何とかしたいという思いの、中国側からの意思表示だ。
何度も言うが、日本の多くの人々がそうであるように、
中国人民の圧倒的多数は戦争を望んでいない。
平和友好関係を発展させることを希望している。
今回、それを江西省政府が公言したに等しいと私は考えている。
晴れがましい席が泣くほど苦手な私だが、
この急な申し出をありがたくいただくことにした。
実は、私は何よりも学生たちに会いたいのである。
明後日か明々後日には、あの学生たちと再会できるというこの急展開はとても嬉しい。
というわけで、また旅支度だ。
なんか、私って流浪の民だなあ……。
引き籠るの、好きなんだけどなあ。
う、うれぴー。終わった~い!
はい、はい、はい。今日、TOEICテストが終わったんですよ。
このテスト、8月に申し込んでいたのが、
北海道に行ったり、尼崎でやたらお祭りがあったり、孫娘のノロウイルスやらで、
真正面から勉強を開始したのは先週からだ。
具体的には、用事で出かける以外、
ひたすら朝から晩までリスニングとリーディングの問題を解くのである。
2週間で2冊の問題集をそれぞれ3回ずつ、繰り返した。
間違った所を繰り返し聞いてシャドーイングまでやったりして、
如何にも学生っぽく頑張ってみたのである。
こう書くとさぞや勉強オタクの年寄りと思われることだろう。
しかし、事実は全く異なる(「年寄り」部分は正しい)。
我が姉兄はよ~く理解しているが、
私は、元来、好きなことしかしたくない怠け者だ。
何十年も前の受験期も、のらりくらりと自分の好きな読書などで日々を過ごし、
引っかかった大学でも同様で、掃き出されるようにその大学を出た。
私が2週間だけでも朝から晩まで頑張ろうと思ったのは、
中国の大学生(具体的には江西財経大学日本語学科の多くの学生たち)の
勉強ぶりを4年間見続けたことが大きい。
勉強とは、ここまで頑張るものなのか、と初めて知ったと言える。
今現在も、12月の日本語能力試験に向けて、
また、大学院や公務員試験に向けて
多くの学生たちが必死に頑張っていることだろう。
ちょうど、海外のシニアボランティア活動に英語が要求されることが多いと知り、
自分に「ボランティア活動に必要だ」と言い聞かせて、
10年以上前に1回受けただけのTOEICに再度挑戦することにしたのである。
しかし、今日、試験が終わって気がついた。
ここで勉強(と言うかトレーニング)を止めると、あっという間にもとのモクアミである。
(まさか、こんな生活をずっと続けるなんて…)とも思う。う~む。
今日の試験会場はJR京橋近くだった。
会場に向かう前、お昼だったので駅構内のパン屋さんで卵ハムサンドイッチを買った。
店員の若い女の子がかなりの鼻声で「お待たせしました」と言うので、
思わず「大丈夫?すごい声やね」と返すと、冗談で返すと思いきや、
彼女は急に目に涙を浮かべ泣き出さんばかりになってしまった。
慌てて「がんばってね~」と言ってその店を後にしたが、よほどしんどかったのかしら。
試験の帰りにもちらっとその店を覗くと、その子はまだ働いていた。
一人で店を切り盛りしているのだ。
どうみてもアルバイトだったけど。
わたくし、突然ですが、今度の日曜日までこのブログをお休みいたします。
ちょっと、たいへんなんですよ~(笑)。
ま、その話は後でね。
コメントを寄せてくださった方々にお返事もできませんで恐縮ですが、
全ては26日の後にさせていただきます。
万が一、訪れてくださる方がいらっしゃってはいけないので、
待ち受け画を設定いたしました。⇓ ⇓ ⇓
ゆっくりしていってくださいねえ。
お茶を飲みながら、一曲聞いていってくださいな。
http://www.youtube.com/watch?v=Z26BvHOD_sg
昨日19日は尼崎市園田の「もぐもぐ祭り」(第13回)、
会場の猪名川自然林を含む猪名川公園へと向かった。
(孫の世話、孫の世話)。
以前、園田に15年以上住んでいたが、なにしろ生来の方向音痴だ。
午前11時に園田駅で友人と待ち合わせして、
事前に娘から聞いていた道順を辿りながら、内心おぼつかなかった。
しかし、驚くほど順調に会場である猪名川公園に着いてしまった。
駅から約20分、単純なコースだったこともあるが、
それにも増して、以前と風景がほとんど変わらず、
まるで故郷に帰ったかのごときの道行だったからでもある。
途中、貸農園があり、数人が自分の借りている区画で熱心に作業をしていた。
自転車で行けるところにこんな農園を借りられたらいいなあ…。
今住んでいる大阪市淀川区では夢のまた夢だろうか。
家々のフェンスには花がいっぱい。
「もぐもぐ祭り」会場の猪名川公園は、すでに家族連れでにぎわっていた。
この祭りは、もともと、行政とは無関係に園田地域の住民グループが始めたもので、
そのまま、市民自前のイベントとして今年13年目をむかえた。
今年の実行委員会のメンバーは30~40代がメインだという。
(ということは、第1回目の時分は中学生・高校生ぐらいだったはず)。
多くは地元出身というのも、すごいことである。
地域で育ち、地域で暮らし、地域を盛り立てている。
昨日、この祭りではやたらに小さい子が目立った。
それというのも地元の若者が結婚して子どもが生まれ、
家族で祭りに参加しているからだろう。
これって、町づくりとしてかなり理想的なんじゃないかな。
多くの都市で「若者参画」「女性参画」等を政策として打ち出し、
自治都市づくりに苦労しているが、
ここ尼崎市は住民自治という点で全国でも引けを取らないところだと思う。
市長からして若い。現在就任して4年になる稲村和美さんはまだ41歳だ(尼っ子)。
神戸大学4年の時に阪神淡路大震災に遭遇し、「神大総合ボランティアセンター」を
立ち上げ、初代代表を務めた筋金入りだが、
そう言えば、我が娘・息子も含め、地震当時、子どもたちはボランティア活動に
どれほど真剣に取り組んだか知れない。
当時の子どもたち世代が、この集会を切り盛りしているのだ。ナットク。
45万人の人口、市民運動・ボランティア精神の土台がしっかりしたこの町には、
「カジノで財政再建」などといった、
下品で行き当たりばったりな政策が通用しない、自前で頑張る人々が暮らしている。
もちろん、若者たちをサポートする年配者の層も厚い。
この餅つきおじさんグループは、去年、小学校の盆踊り大会のときもいてはった。
野外バームクーヘン作り。これも毎年お馴染みだそうだ。
その上、今回はこんな芸術家にも会えた(笑)。
灯油のポンプをくわえているこの人は、
これを楽器として演奏しているのである。
ちゃんとリコーダーになるように穴をあけてある。
このどや顔…。
この若者も園田の住民らしい。
日々、政治家のことを考えただけで心底うんざりする。
できるだけ醜いものを見ないように努力して路傍の草木を眺めているのに、
そんな私の神経を逆なでするニュースが、ああ、今日もまた……。
安倍首相がこの9月、改造内閣への女性5人起用で
「社会に変革が起こる」と自信満々だった女性閣僚のあまりの見苦しさは
どういうことだろう。
安倍首相の目に適い、選び抜かれた方がただ。
小渕経済産業相は辞職すると伝わったかと思うと、いや、辞めないと伝えられたり、
進退についてははっきりわからないが、
問題と思われる収支額は膨らむ一方だ。
こういう時、生保の受給額の多いことを激怒していた人々は、
同様に小渕氏の「政治と金」に対して声高に怒っているのだろうか。
一つも聞こえてこないんですけど。
強きに弱く、弱きに強い日本人的情けなさがチラチラ見える。
ニュース報道が事実通りなら小渕さんは当然辞めるべきだ。
そして、司法によって裁かれなければならない。
おそらく彼女は、自らを断罪して辞職するだろうと、私は(楽観的に)見ている。
私はむしろ、それ以外の女性閣僚たちこそ、政治家としての責任を取って
早く、一刻も早く辞めてもらいたいのだが、
そういう人たちに限って、自分のやっていることの意味の酷さを理解せず、
従って、自信満々でいつまでも居座る態度が全身にみなぎっている。
10月18日高市早苗総務相が今期閣僚のトップを切って靖国神社を参拝した。
正しい歴史認識に基づく鋭い国際感覚が必要とされる政治家としては
軽率極まりない行動だ。
彼女は他にも、稲田朋美自民党政調会長などと同様に、
「国家社会主義日本労働者党」―
ナチスそっくりの国家社会主義思想・反ユダヤ主義を掲げ、外国人労働者排斥を主張―
の代表者山田氏と肩を並べてたいへんにこやかに写真を撮っている。
⇓左:高市氏と山田氏 右:稲田氏と山田氏
http://www.47news.jp/CN/201409/CN2014090901002071.html
海外でも大々的に報道され、今も波紋を広げつつあるこの行動に対して、
彼女は「山田氏がそういう団体の人とは知らなかった」
としらを切っている。
そのような団体に対してどう思うか、考えを聞かれてものらりくらりと
意味不明なことをいう。これでも責任ある政治家、否、大人と言えるだろうか。
他にも、山谷えり子拉致問題担当相と、有村治子女性活躍担当相が
今日、靖国参拝をした(高市、有村両氏は大臣名を明記)。
安倍政権の女性大臣たちは近代以前の脳みそプラス無責任な小児性を備えた人たちだ。
女性だったら誰でもいいわけじゃない。
彼女たちは女性の社会的立場の現実的困苦を理解していない。
政治家には高潔な人柄と高い思想性が絶対に必要なのだ。
でないと、今の日本のように迷走の限りを尽くすことになってしまう。
いくら、花を見て心を鎮めようとしても、
政治家たちによって私の穏やかに生活する権利は侵されている。
だが、負けるものか。
サングラスをかけ、耳をふさぎ、前を見ないで、
ひたすらきれいなものだけをスポットライトのように見続ける今日この頃である。
まず、お店の名前に惹かれる。
7月、大阪に帰ってみると地元の阪急十三(じゅうそう)駅西口傍に
こんなお店(レストラン)を発見した。
「風まかせ 人まかせ」
06‐6886-8686 11時30分~15時/17時~23時(日祝休み)
昼は、いつ行ってもたいてい空いているのが嬉しい。
でも、ときに有名人(絵本作家とか落語家、ミュージシャンなど)が
ふっと座っていたりする。
店の狭さに助けられてか、経営者の松井カンコさん(映画プロモーター)の人柄か、
知らない人同士がすぐに友達になったりもする。
今日は若い友人チサトさんと昼ご飯の約束をしてそこに出かけた。
(写真のマスク姿はチサトさん)
⇓この店の職人肌の料理人・松岡さん。
自分で喫茶店を経営したり、
一流ホテルの仕込み場で包丁をふるったり、
カナダの鉄板焼き店「BENIHANA」でオマールエビを焼いていたり、
と、すごいキャリアだが、それは本人に聞いたのではなく、
朝日新聞関西版(8/12)に書いてあったので分かったことです
道理で、どの料理もなんか決まっているなと思ったわ~。
今日食べた「秘密のナポリタン」(¥650)も、
オリジナルソースがたいへんに美味しかった。
この間、時間を遣り繰りして辺野古に行ってきたチサトさん。
「自分の人生の社長は自分だ」と、
人生の時間の使い方を自分で決めることにしたカッコいいお嬢さんだ。
季節の鼻炎から喉をも痛め、今日はマスク姿で登場。
マスクして紅茶飲むポーズは、ちょっとヤラセですけどね、エヘヘ。
今は、「西淀川子どもセンタ―」(NPO法人)で仲間と共に、
地域の子どもたちの置かれた過酷な条件…
家族不和、無関心、支配、学校でのイジメ…などの下で孤立する
子どもたちを支援する日々を送っている。
何度も言うようだが、橋本市政は弱者支援に全く手を貸さない。
彼女はバイトで生活費をねん出しつつ、この活動をしているのである。
公務員たたきに人々の目をそらせ、
無駄にたくさんの収入を得ているのは政治家じゃないか。
そのことに、庶民はもっと腹を立てるのが当たり前だ。
健気に奮闘するチサトさんを見るたびにそう思う。
⇓グループ「風まかせ 人まかせ」のホームページ
少し前、フェイスブックに友人が載せていた写真。
ずっと気になっている。
「ごめんね」と謝っても、この子には何の力にもならない。
せめて、この子と同じ地球に、自分が暮らしていることを
痛みとともに覚えていよう。
胸にこの子の写真を抱いて、鈍感な自分の心を刺し続けよう。
そんなことしかできない、あまりにもちっぽけな自分。
―この女の子はもう決してお母さんに会えません。
なので、地面にママを描いて、ママと一緒に眠りました―
今日の大阪の気温は22℃―14℃で、晴れ。
昨夜寝つけず、夜中にお風呂に入ったら、今朝風邪を引いていた。
だが、構っちゃいられない。今日はお出かけ日だ。
早めのパブロンを飲み、熱いコーヒーを淹れる。
朝、自宅マンションの玄関を出ると向かいの会社が見えた。
社員たちが三々五々出てきて、ラジオ体操を始めた様子。
実にバラバラだ。お喋りしながら…。
もっとちゃんとそろっている場面を撮ってあげたかったので、
シャッターチャンスを探したが、徒労に終わった。
ほぼ終わりかけに参加する人達もいる。
学校なら許されないところだ。
駅への途中、公園で幼稚園か保育所の子どもたちが、運動会の練習をさせられていた。
約1名向きが違うが、大人のラジオ体操よりよほどそろっている。
見たところ、4歳か5歳だろうか。
一列に並ばせるために、どれほど先生方は苦労していることだろう。
しかし、何のために?
私たち日本人は代々、真っ直ぐに並ぶことが見栄えがよく価値があると、
小さい頃から頭と身体に摺り込まれる(会社で崩れるようだが)。
11年前アメリカで見たデイケア・センターの子どもたちは、
外見、真っ直ぐであるかよりも、安全のためにどうしなければならないかを、
何度も先生から説明されていたし、時には3歳の子が、
「100times I told you!」(百回言ったで!)と叱られていた。
また、中国の小学生・中学生の行間体操は、
上の会社のラジオ体操的にの~んびりしていたし、
服装も全く統一されていなかった。
お国柄の一端がこんなところにも見られる。
最近、私は関西大学に週1出かけている(いや、勉強のため)。
関大近辺は、学生向けの店が多いが、
その中でもラーメン屋さんが特に目立つ。
下は名前が魅力的な「拉麺のススメ―諭吉」
学校はどこの国でものんびりしている。
ただ勉強だけしていればいいということは、本当に気楽だ。
「傘革命」の名前がついたこの写真。
催涙ガス等による警察の弾圧に傘で抗う若者たちの写真は世界に拡散した。
今回の香港デモの主目的は「香港の民主主義を守る」ことだった。
金融街の中心を占拠することで、世界の注目が集まったが、
経済活動に支障をきたすということで、
民主主義より経済を選択し始めた大人たちが増えてきたという。
ジャッキー・チェンはそうした社会的ムードを背景に、
「学生のデモには本当にイライラする。早くやめなさい」
とお金持ちの北京支持派としての立場を鮮明にした。
天安門事件のときは、経済制裁を下した欧米諸国も
今回は「デモを支持する」声明を出しただけに留まっている。
25年前と今では中国の経済力は全く異なり、もし経済制裁などしようものなら、
逆にどれほど痛手を被るか、あまりにも明白だからだ。
(日本政府はアメリカの後に従う忠実な○○なので、言わずもがな…)
「中国の民主化」という課題を世界に提起したこの香港の若者中心のデモは、
今後どのような成果を手にすることができるか、予断を許さない。
〈デモクラシー〉
人類の歴史の中で数えられないほどの血を流しながら、獲得してきた理念。
そのために彼らは座り込んでいる。
翻って日本では、今、いとも簡単にそれがゴミ箱に葬り去られようとしているのだ。
で
昨日12日は大阪市の隣りの尼崎市で年に一度の市民祭りの日。
年に一度と言っても、尼崎はやたら祭りが多い。
この間は「ハナマダン」の祭りがあり、
来週は園田(猪名寺公園)で「もぐもぐ祭」がある。
娘夫婦は尼崎の祭りという祭りには、ほぼ出ずっぱりで出場……、
といっても祭好きだからというのではなく(いや、好きでもあると思う)、
二人の職場のNPO団体が、そういう機会を逃さず露店を出すからである。
⇓昨日は遠い東北からわんこそばの「そばっち」まで駆けつけてきた。
しかし、ノロウイルスの痛手からようやく回復した孫娘を、
祭りの人混みに連れ出すのは不憫だと思い、
孫と私は二人で留守番をした。
(昼過ぎにちらっと覗きに出かけたけどね)
⇓家に取り残されるのも知らず、魔女の宅急便風に決めながら、
何か食べたいと催促する食いしん坊の孫。
二人ボッチでも母を求めて泣くこともなくなってきた。
これも私の奮闘のたまものである。
以前にも書いたかも知れないが、
日本に戻っての楽しみの一つはラジオを聞くことだ。
「緊急のときにはラジオが一番」などと言って
娘夫婦宅にラジカセをプレゼントしたりもした。
私の好きな人々にもラジオ番組に親しんでもらいたいという思いからである。
誰彼かまわずお勧めするので、
時おり、「他人を巻き込むな!」という批判オーラを感じますが、
最終決定権は相手にあるのですから、
推薦するだけなら遠慮する必要はないでしょう。
今日、私が推薦するのはブロード・キャスターのピーター・バラカンさんです。
Peter Barakan(1951年8月生まれ)
ロンドン大学東洋アフリカ研究学院日本語学科卒業。
たくさんの著書のうち「ラジオのこちら側で」(岩波新書)は、
わざわざ晃代さんが中国まで送ってくれて、
私は日本のラジオ事情を心から懐かしみつつ読み、その後、
江西財経大学日本語学科の資料室に寄付した。
今でも資料室の本棚にあると思う。
バラカンさんは毎週土曜日の朝7時20分から9時までNHK・FMの番組、
「ウィークエンド・サンシャイン」でさまざまな音楽を聞かせてくれる。
今朝の特集はジョニー・キャッシュだった。
ジョニー・キャッシュ自身はもちろんのこと、彼の曲をいろいろな人が演奏し、歌う。
バラカンさんの選曲はどれもこれも心に響く。
こんなことをダラダラ書いても無駄なので、
ぜひ、どこかでバラカンさんの番組を聞いてほしいとだけ言い、
最後はピーター・バラカンさん自身が今日の番組で(NHKで!)話した言葉をメモする。
――――――――――――――――――――
〈最近、日本社会でヘイトスピーチなど悲しむべき事態が進行しているという
聴取者のメッセージに対して〉
『40年前、日本に来て初めて、自分が知らないことに対して
多くの〈偏見〉を持っていることに、気がつきました。
実は偏見を持っていない人など、一人もいないでしょう。
一人ひとり、自分が偏見を持っていることに気づくことが一番大切じゃないでしょうか。
他人を批判する前に、まず、自分を直すしかないと思います。
そして、自分がラジオで仕事をしているのに、こんなことを言うのは何ですけど、
メディアから伝わってくることを、まず疑ってみること、
政治家の言葉に懐疑の心を持つこと、
これが必要だと思います。』
―――――――――――――――――――――
10月28日夕大阪梅田のクラブクワトロで
[Peter Barakan’s Live Magic! EXTRA]
*バラカンさんと渡辺三郎さんのトークショー
*Jerry Douglas Bandの演奏
がある。
私は行く。
中国茶を飲むとき、
私がいちばん好きなのは、お湯を淹れて開く葉の形を見ることだ。
日本のお茶も摘むときにはこの形なのだろうが、
蒸したり、揉んだりの工程で葉の全体像が損なわれてしまうのか。
平底フラスコみたいなティーポットに白茶を淹れ、
味わいが湯に浸透する数分間、
徐々に開いてくる葉を見る。
美しい。
ノーベル物理学賞や文学賞が相次いて発表されている。
毎年文学賞の最有力候補に挙げられている村上春樹は、今年もだめだった。
私は村上春樹が大好きだとは言えないが、
「海辺のカフカ」「ノルウェイの森」「国境の南太陽の西」「1Q84」、
「カエルくん東京を救う」その他短編いくつか、
他にエッセイやスピーチ(「エルサレム賞」「カタルーニャ国際賞」など)を読んだ。
分かりやすい言葉での奇想天外な発想と表現によって
外国人や留学生にも人気があることは納得する。
また、「言葉の職人」と言っては本人が気を悪くするだろうが、
あまりにも見事な言葉による心理描写に心から賛辞を送りたい気持ちで私はそう言う。
毎日、決まった時間身体トレーニングを欠かさないという村上春樹は
(彼自身がどこかの文章に書いていた)、
研ぎ澄まされた言葉の表現トレーニングもその調子で長年鍛えてきたのだろう。
とんでもなく好きではないにしても、読んで何かを感じる作家だ。
しかし、それは小説に限ってのことだ。
彼のスピーチを読むと(あれ?これちょっと…)と思わざるを得ない。
エルサレム賞受賞式での「差別される卵の側に立つ」決意、
カタルーニャ国際賞受賞記念講演の「反核」スピーチ。
一見問題なく賛成できるようだか、
エルサレム賞の場合、
(どこにどう立っているの?村上さん。
あなたの具体的立ち位置が見えません)と私は思った。
また、カタルーニャ賞受賞時の講演に、次のような言葉を見つける。
『我々日本人は核に対する〈ノー〉を叫び続けるべきであった。
それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、
原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、
国家レベルで追求すべきだったのです。
たとえ世界中が
「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」
とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、
核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。
核を使わないエネルギーの開発を、
日本の戦後の歩みの中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、
我々の集合的責任の取り方となったはずです。
日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。
それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。
しかし、急速な経済発展の途上で〈効率〉という安易な基準に流され、
その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。』
(東京新聞2011年8月9日号;「文学者の核・フクシマ論」黒古一夫)
全文はネット検索で読んだり、聞いたりできるが、一例を下に。
http://blog.goo.ne.jp/aran1104/e/8755b1e5fc000b51a38406490eea188a
村上春樹が「我々」「日本人」と言うときの違和感たらない。
何/誰を対象にしているのか、急に言葉の遣い方が乱暴じゃないのか。
戦後、確かに反核運動は
「原子力の平和利用」を唱えるという立場の限界はあったが、
(それは「核」というものへの無知によるものだったのは衆知の通り)
それでも広島・長崎の被爆者の運動をはじめ、多くの日本人が、
反戦・反核を世界に向けて発信し続けてきたことは、
村上春樹先輩より年下の私でさえ、テレビなどで子どもの頃から知っていた。
反核運動を担ってきた人たちを無視しているとしか思えないこのスピーチは、
あまりに無神経で失礼ではないか。
それとも、個と世界との関係のみに腐心するあまり、
彼が現実に存在してきた日本社会の人々や事象については、
全く気が付かなかったのだろうか。
もし、村上春樹が遅まきながら「反核」の重要さに気が付いたのなら、
気付いてから後、彼は何をしたのだろうか。
そして、し続けているのだろうか。寡聞にして私は知らない。
「ヒロシマノート」以来の、文学者大江健三郎の決意と持続的行動を見るとき、
村上春樹の言葉の、あまりの薄っぺらさを思う。
ノーベル賞だって、本当は絶対的な価値を表現するものではなく、
オリンピック大会と同様、政治が大いに関与している。
村上春樹がノーベル文学賞を得ても得なくても、
あまり、て言うか全然、私は喜びも悲しみも湧かない。
むしろ、政治的な意味で、明日のノーベル平和賞の方に関心がある。