毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「安倍靖国裁判・原告の訴え」2014年12月30日(火)No.1067

2014-12-30 22:12:36 | 反戦

年の暮れに自分も原告の一人としてかかわっている

安倍靖国裁判のことを書いておきたい。

 

ちょっと前のこともすぐ忘れる(て言うか創りかえる)日本人が増えてきた今日この頃、

心配なので念のためにおさらいすると、

これまでも小泉首相(当時)が靖国神社に参拝したとき、

下記の二つの裁判所が、首相の参拝は公式であると認め、

それは政教分離を原則とする憲法に違反すると判断した。

福岡地裁 04年4月7日(亀川清長裁判長) 公的 違憲  
大阪高裁(二次) 05年9月30日(大谷正治裁判長) 公的 違憲  

     http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/2691/yasukuni/ikensosyou.html

 

今回、安倍首相と靖国神社を裁判所に訴えた理由は、

政教分離の原則もさることながら、

首相の靖国参拝は私たち国民が平和に生存する権利を脅かすものだからである。

いったい靖国神社とはどんな神社なのか。

1978年からA級戦犯が「英霊」として合祀されていることが象徴するように、

戦争を美化するとんでもない神社であることは確かだが、

以下の山本さん(原告の一人)の意見陳述(訴え)の中にも、

靖国神社が戦死者にどんなことをしたかが述べられている。

「英霊」などと口先だけのカッコいいほめ言葉で、

戦死者一人ひとりの死んでいかなければならなかった無念を美化するのは、

死者を冒涜し続けることである。

(死者の声が聞けたらいいのに)と心から思う。

 

――――――原告意見陳述原告意見陳述  山本博樹

ここに一枚の写真があります。私の叔父です。名前は十一。                                              

敗戦の日の20日前、1945年7月、フィリピンはミンダナオ島ダバオ付近で亡くなりました。戦死です。   

22歳の若さ、今生きていれば92歳です。この叔父のことからお話しします。                                  

 

叔父は、滋賀県の長浜農学校を卒業すると、

パラオ諸島の国立熱帯産業研究所に入った後、

ミンダナオ島はダバオ市にあるマニラ麻を独占的に扱う「太田興業KK」に就職しました。

最後の手紙は昭和18(1943)年3月20日の日付で、

兄である親父のもとに届き、中に一枚の写真が入っていました。

ダバオ富士と親しまれていたアポ山を背景に、背の高いヤシの木にもたれ、

白の開襟シャツで長浜農学校の破帽をかぶり、

下駄ばきでリラックスしているセピア色の叔父は、「青年ここにあり。」の感でした。                                 

その写真をみて、私は、会ったことのない叔父にずっとあこがれてきました。

この写真は、私の子どものころから、家の仏間の壁にかけてありました。

 

高校生の終わりころのある日、いつものように

「仏さん拝んだか?」と母が聞きますので、「拝んだよ!」と鉦をたたいたあと、

何の気なしに壁を見ると、あれ!叔父さんの写真がない。

代わりに、こんな写真が掛けてあったのです・・・。

見てください。なんと、軍服を着ている。

帽子も、愛用していた農学校の破帽ではなくて、軍帽子。

しかも、驚いたことに、手には軍刀を持っている。

「うわっ、座敷の奥まで戦争が入り込んできた!」

見るなり、私はそう思いました。

ビックリして、親父に聞きますと、返ってきたのが

「靖国神社がしてくれた。

階級を書いて写真を送ると軍服姿にしてくれると聞いたので、靖国神社に送った」

という返事。

私は「靖国神社ってなんやろう」と思いつつ、もう一度見に行きました。

よく眺めると、軍刀を持った手は、叔父さんの手ではない。

誰の手だかわからない手がにゅっと隅から出てきて、軍刀を持っている。

おぞましいというか、気持ち悪いというか、言いようのない気持ちに襲われました。

「靖国神社って、平和に暮らしている家の座敷の奥までやってきて、

再び戦争を持ち込もうとするのか」と。

しかし、その時は、親父によう言いませんでした。

実の弟のことだし、私のうかがい知れない思いがあるかもしれない、と思ったからです。

親父が亡くなるまで、この写真は祖父母の隣に掛けたままでした。

それでも私は、座敷に行く度に「早よう軍服を脱がせてやりたい」と、ずっと思ってきました。                    

 

昨年末、その靖国神社に、首相アベシンゾウが参拝を強行しました。                                           

福岡地裁、大阪高裁と二度も違憲判決だったのに、

近隣の諸国から「参拝はやめろ!」と言われているのに、です。

この参拝は、戦死して何十年もたった叔父にもう一度軍服を着せ、

「戦争を座敷の奥深く持ち込んだ」ヤスクニのやり口を国家権力が正当化するものです。

その軍服こそ、昨年秋の秘密保護法の制定であり、

今年の集団的自衛権行使の閣議決定ではなかったでしょうか。                                           

 

私は親父が亡くなったのを機に、軍服姿の叔父の写真を元の開襟シャツに戻しました。

叔父の最期がどうであったのか、詳しいことはわかりません。

ただ、勤務先の太田興業からは、敗戦の翌年である昭和21年、

叔父の消息不明を詫びる手紙が届きました。

叔父が砲兵として現地召集されたのは、昭和19年の10月だったようです。

手紙によりますと、太田興業の社員らはダバオがアメリカ軍に占領されたので、

前もって近くの山に自主疎開していました。

そこから遥か下界の戦場を眺めると、空襲は熾烈を極め、

皇軍はなすすべもなく山中に逃げ込んでいく。

あまりの貧弱さと戦意の無さに、軍に頼らず避難していてよかった、

と皆で胸をなで下ろしていたところ、憲兵がきて、

一人残らず「タモガン」というところに集団で疎開しろ!と命令したそうです。                                   

 

そこはジャングルの奥地で、しかも軍が在留邦人より先に退却している場所でした。

食料も宿舎もない。                                                                       

牛馬が通るくらいの道なき道を、機銃掃射を受けながらの逃避行になりました。

密林地帯だから湿気が多く、日光に当たることもできず、病気で倒れる人が続出しました。

やがて乏しい物資の奪い合いが起きます。

昨日まで「忠勇義烈の皇軍」と謳われた兵隊が強盗となって邦人の食料を狙い、

果ては殺人事件まで起こす。                                                              

「タモガンの集団疎開は、この世ながら生き地獄で、飢えと弱肉強食の密林だった」

と書かれています。

あのインパール作戦で、飢えと病気のため次々命を落とした皇軍兵士の退却路は

「白骨街道」「靖国街道」と呼ばれました。

これと同じような「ヤスクニの密林」の阿鼻叫喚の様子を、この手紙は伝えています。

叔父や同僚の兵士たちは、この「ヤスクニの密林」で、どのような思いで命を捨てていったのでしょう。

 

後に私の親父が、遺骨収集団の一員として付近を訪れたとき、

持ち帰った小さな石ころを、ジャングルの写真といっしょに

祖父母に見せていたのを思い出します。

フィリピンでの戦争は、日本にとって勝つ見込みのない戦争、

無謀で悲惨な戦争だったと言われています。

が、それに巻き込まれた現地の人たちの思いはどうだったでしょうか。

実際、日本軍に家族を殺された人たちの報復はすさまじく、

日本人であることがバレたら命がなかったと言われるほどでした。

フィリピンの六代目大統領となったエルピディオ・キリノ大統領は、

妻と子ども全員が日本軍に虐殺され、

一人を除いて遺体を葬うことすらできなかったと証言されています。

それでもカトリック信仰などから、1953年にはB ・C級戦犯約100名に恩赦を与えています。

アジアの人たちにこれだけの苦しみをもたらした皇軍兵士のどこが英霊なのでしょう。

皇軍のどこを顕彰するというのでしょう。                                                          

 

今また、集団的自衛権を巡り、

日米同盟のため地球の裏側までも派兵するとの議論が出ています。

靖国神社は、そして安倍首相は、戦闘によって命を失う自衛官の奥さん・子どもに、

「お国のために死んで、お役にたてた。英霊として祀られて本望だ」

と言わせたいのでしょうか。

「日本のルネ・クレール」と呼ばれ、敗戦の翌年に亡くなった映画監督の伊丹万作さん、

「お葬式」の映画監督伊丹十三さんの父である彼は言います。

「だまされていた」と平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。

いや、現在でもすでに、別のウソによってだまされ始めているにちがいない、と。

私は、叔父十一に軍服を着せたヤスクニと、

そこに参拝することでかつての皇軍の過ちを繰り返そうとするアベに

「だまされる」ことを拒否します。

国家の一方的な意思により、無断で合祀された叔父たちを、

ヤスクニから取り戻し、親の元に返したい。                                                    

肝心なことは、父や叔父たちが自覚することなく一生を終えた

「侵略に加担した罪」は今も消えていないということです。

甥であり息子である私がなしうる贖罪とは、

過ちを反省するどころかますます居丈高になってきた

「靖国を美化する気風」と戦うことだと考えています。

2014年10月21日

―――――――――――――――

(通信アジアネットワーク)                                                     http://www.geocities.jp/yasukuni_no/

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「共産党の池内さおりさんのことなど」2014年12月30日(火)No.1066

2014-12-30 01:14:43 | 日本事情

選挙の過程を振り返り、

今回一番心に残っているのが、日本共産党の池内沙織さんの演説だった。

東京12区から立候補し、見事衆議院議員になった32歳の若者だ。

 

はっきり言って私は日本共産党には昔から違和感があった。

唯我独尊、批判を許さない決めつけ体質を感じ、

ビビッドな現実の世界の姿を分析できているのかという疑問があった。

それでも選挙ではときどき投票したりもした。

いわゆる無党派層の私は、

どこに(だれに)入れるか、いつも顔ぶれを見て判断する。

 

今回、フェイスブック、ツイッターなどの動画で選挙演説をいろいろ聞いた。

その中で思わず聞き入ったのが、それまで全く知らなかった池内沙織さんの語りだ。

20歳で韓国のナヌムの家を訪ね、

小林多喜二を読んで日本共産党に入党したという。

自公やらが話題にするのを避けていた数々のテーマ、

原発、集団的自衛権、特定秘密保護法、憲法改「正」、

過去の戦争で日本が侵略した紛れもない事実などについて、

真正面から堂々と、そして誠実に話す彼女は説得力があるだけではなく、

時代が変わったことを想わせた。

彼女や彼女に続く若者たちが、新しい時代を切り開く政治家として成長し続け、

既成野党に新風を吹き込んでほしい。

 

山本太郎さんが生活の党に入ったことも併せて、

若者政治家に希望の光を感じたブルーはーとである。

 

 

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「青森・あさこハウスがSOS!」2014年12月27日(土)No.1065

2014-12-27 21:23:17 | 反原発

http://blog.rairu.com/?eid=408 

「おとじろうとらいるのひび」さんのブログで見つけた記事です。

早速今日お邪魔した友達宅で話題にし、住所を書いてもらって、

他の友人にもメールで拡散+行動を呼びかけました。

私自身、葉書を書く習慣から離れつつあった今日この頃ですが(年賀状も書かない)、

これから毎日一通の葉書を書いて投函するのを日課の一つとします。

 

――――――以下上記ブログより一部転載

「青森・あさこハウスからSOS!」というメールが来ました。

(メール文:『 』部分)

『東北電力はあさこハウスに通じる道路を通行量が少ないことを理由に

閉鎖しようとして通行量を量り始めました!

皆さん、あさこハウスに毎日ハガキを一枚お願いします。

宛先039-4601青森県下北郡大間町字小奥戸396「あさこ はうす」 』

『あさこハウス』がなんなのかは知っていますか。 

 青森県大間原子力発電所の建設の話が持ち上がってから35年。

土地買収が進む中、最後まで土地を売らず、原発建設を阻止してきた熊谷あさ子さんが

その土地にログハウスを建て、住民票を移したそうです。

その後、不慮の事故で突然亡くなり、 娘の小笠原厚子さんが

「あさこはうす」と命名し、自転車で畑仕事に通い、

太陽光発電パネルや風力発電設備を設置し、

ライフラインがなくても将来移り住めるように整備を進めているそうです。                                      

大間原発を計画している『電源開発』は、あさこさんが土地を売らなかったために、

原子炉施設の建設予定地を変更せざるおえなくなり、

工事の計画が大幅にずれ込みました。



そして、3月11日の福島原発の事故が起き、今建設工事が中止になっています。

つい最近、大間町の金沢町長以下町議団が経産省に「大間原発の工事再開」を陳情

というニュースを聞いたばかりです。

大間原発は、フルMOX燃料のみを燃やす、世界で初めての原子力発電所になります。

「やらせ問題」などで聞くプルサーマルのあの燃料です。

普通のウラン燃料に、使用済み燃料を再処理して作ったプルトニウムを混ぜて、

燃料のリサイクルにするというのですが、使われるのはプルトニウムのみで、

使用済み核燃料のわずか1%にすぎません。

「MOX燃料の加工・輸送・貯蔵・使用済みMOX燃料の処理処分に要する

エネルギー投入量を差し引くとマイナスになる」といわれています。

そして、多くの原子力発電所と同じように、計画当初に、ないとされていた、

新たな活断層が発見されています。

さて、話を元に戻します。

お金で次々と反対運動をつぶしていく中、唯一残った反対運動のとりでの

「あさこハウス」をなんとか、みんなの力で、守りたいと思います。

道路を封鎖しようなどという姑息なことを許してはいけません。                                           

もう一度、メールの文を転載します。

『電源開発はあさこハウスに通じる道路を

通行量が少ないことを理由に閉鎖しようとして

通行量を量り始めました!

皆さん、あさこハウスに毎日ハガキを一枚お願いします。

宛先:039-4601青森県下北郡大間町字小奥戸396「あさこ はうす」 』

こんなことが起こっていたのですね。
 
1枚のハガキで、あさこハウスの応援が出来るのであれば、
 
こんないいことはありません。
 
これは、みんなで広めましょう。
 
―――転載ここまで
 
 
 
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「魚をさばく」2014年12月26日(金)No.1064

2014-12-26 23:16:00 | 日記

北海道ウトロの姉が特大の鮭を送ってくれた。

何年振りかで魚をさばいた。

そう言うとまるで、何の苦も無く上手にできるように聞こえるかも知れないが、

見よう見まねのド下手なやり方だ。

父母が生きていた頃、2尾くらい一度に送ってくれて、たまたま姉からのと重なり、

夜中の12時過ぎまで台所でフラフラになりながら解体作業をしたことがある。

そのとき、一切れ、ひときれを異常に分厚く切っていたのを思い出し、

我ながらいい加減だったとニヤニヤした。

翌朝早くから仕事に出ていくわけじゃなし、

ズタズタにしないように気をつけて、ゆっくりさばき三枚におろした。

骨にくっついた肉もていねいに削ぎ剥がしてマリネにする。

最後に頭を三平汁にしようとまな板に置いた。

鮭の顔を見て、急に(何年を、どこでどのように生きたんだろう)と思った。

ごめんね、全部きれいに、一生懸命食べるからね。

 

 

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「ナルトのおかげで深まった絆ー日本アニメと私⑤」2014年12月25日(木)No.1063

2014-12-25 21:14:21 | 日本語

今日は私のブログには似合わず、ちょっぴりロマンチックな内容の作文を紹介しよう。

この作文を書いた施芳芳さんは今月末の大学院受験に備え、

夏休みも故郷に帰らず、ずっと数人の受験生グループとともに勉強に励んできた。

今日もこんなメモが送られてきたばかり。

これ、全部暗記するのかあ・・・。

「試験には平常心で臨む」という彼女だが、

大学院受験を決めたのも、ひょっとしたらNARUTOの影響が少しあるかも知れない。

作文を改めて読んでそう感じた。

 

―――「アニメと出会い、違う世界に

江西財経大学3年(現4年) 施芳芳

ここ数十年、日本のアニメが中国の若者たちの間で人気があることは知っていた。

しかし、私は大学に入るまでほとんどアニメを見たことがない。

それは、小学校の時、祖母にテレビを見る時間を厳しく制限されたためだ。

また、中学、高校では、ずっと寮に住んで勉強ばかりしていた。

大学生活が始まり、ルームメートたちが日本のアニメについて楽しそうに話すたびに、

会話に入っていけず、(私に青春時代はあったのだろうか)と自問したものだ。

 

しかし、日本語の勉強をきっかけに、私はとうとうアニメの世界の住人になった。

最初に見たのは『名探偵コナン』だ。

「真実はいつも一つ!」の口癖と、事件の真相を探っているときのコナン君はとてもかっこいい。

 

私の周りにアニメファンはたくさんいる。

ある先輩は『名探偵コナン』が大好きで、約700話の全てを見続けているそうだ。

先輩がコナンのよさを語った中に、毎回、日本の文化について、いろんな知識をもらえ、

大変勉強になるという理由があった。同感だ。

私が「八十八歳」は米寿だ、としっかり覚えたのも『コナン』のおかげなのだ。

別の先輩は『ナルト』ファンで、

「『ナルト』を見ていたら元気になるし、話の筋はとても奇抜だ。

危険や命を顧みず、仲間を守る。見れば見るほど心を癒すアニメなんだ。」

と、目を輝かせて語った。

 

実は、私の英語学科の彼氏も超『ナルト』好きだ。

いつも二人は『ナルト』の話で盛り上がる。

「『ナルト』は中国の『西遊記』や古代の神話や侠客物語に似ているよ。

たぶん、岸本斉史さんは中国の文化が好きなんだろう。」

「孫悟空もあるよね。面白いな。ところで、アニメの中の仲間関係どう思う?」

「『ナルト』では、忍者は実力によって三人チームを編成する。

人はそれぞれ長所と短所があるから、敵に対して、それぞれの長所を合理的に使うんだ。

修業するとき、仲間はライバルとして強め合い、友達として励まし合う。

仲間を救うためには、自分の潜在能力の全てを出し尽くすんだ。」

「誰にでも友達は大切だよね。ナルトたち、羨ましいな。

あ、そう言えば、あなたにはそんな人いるの?

その人のために努力して、努力して、強くなりたいっていう……。」

「もちろんいるよ。」

「誰だれ?教えて。」

「両親とか、弟とか…、君も。」

『君も。』と聞いた私は、嬉しくて泣きそうになった。(ナルトのお蔭だ!)

 

後日、私は物語全体の把握のため、第一話から辿ってみることにした。

見たら、さらに彼の心の奥の気持ちが分かり、私たちは一層親密になれた。

『ナルト』は、人としての価値観や世界観などを示す素晴らしい作品だ。

その上、しょっちゅうおしゃれな言葉が出てくる。

「人は己の知識や認識に縛られて、それを現実と思う。

しかし、知識や認識とは曖昧なものだ。実は、その現実は幻かもしれない。

人はみんな思い込みの中で生きている」。

 確かに、この世界は広く、知らない事はたくさんある。

それなのに、私たちは自分の視界を全てだと信じてしまいがちだ。

真実を遠ざけ、勝手な思い込みをする危険性を常に私たちは持っている。

 

主人公のナルトは小さい頃、体の中に九尾がいるので、人に疎まれ、一人の友達もいなかった。

彼は自分の存在を認めてもらいたくて、度々悪いいたずらをした。

でも、友達ができてから、ナルトは前向きに生きるようになった。

村を守るリーダーを夢見て、仲間とともに戦う。

存在価値は誰でも欲しいんだ。

何の特権も持たないナルトには、努力と自信しか有するものがない。   

 

『ナルト』に出会って、私の考え方も変わった。

世界はこんなに広い。

自分の小さい世界から出なければならない。

ちゃんと自分の目を見開いて、この世界を見よう。人生はただ一度きりだ。

努力と自信で自分を強めたい。

強くなれば、大切な人を守ることもできるだろう。

「人は大切な何かを守りたいと思った時に、本当に強くなれるものなんだ。」                  (『ナルト』)

――――――――――――――――――

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「十三〈帰国者の友〉新年会に向けて」2014年12月24日(水)No.1062

2014-12-24 21:06:20 | 中国帰国者

 

さて、もうすぐ来年だ。

となると新年会だ。

その前に忘年会だ。

ということで、ボランティアグループ「帰国者の友」スタッフ有志が我が家に集った。

新年会の相談というより、育児・職場・社会関係の放談でストレス大発散でした

 

あ、でもちゃんと決めることは決めましたよ。

「帰国者の友」新年会は次の通り。

中国帰国者(1世~3世)と交流したい方は、

全く初めて、見ず知らずでも構いません。

どうぞお越しください。

いちゃりばちょーでー

日時:2015年1月18日(日)昼12時~

場所:ロマネハウス2階〈帰国者の友〉…淀川区役所道路向かい裏(一筋入ったところ)

住所:大阪市淀川区十三東1-8-3

行き方:阪急十三東口商店街を突き抜けて淀川通りを淀川区役所方面に5,6分歩く。区役所手前の交差点を東(右)に渡り、さらに道路沿いに10m進み右折し、3mで左折。ふう、これで分かったかな?てか、みんなスマートフォンあったら大丈夫だよね(私はないけど)。

連絡:nijinokanata_2*yahoo.co.jp(*を@にする)

会費:1000円(3種類の鍋料理+飲み物などいろいろ代)

 ----------------------------------------------------------

<付録>

過去の中国「帰国者の友」関連ブログのいくつか挙げました。お暇な時にでもご覧ください。

「帰国者の友《中国語教室》」 2014年8月17日(日)No.966 http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/c/3bd50efc9abd1120951f827d0f90601e

「大阪人として生きる帰国者――石田さん母娘」 2013年7月24日(水)No.717 http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/755d34b2d6914ae5e0018e5cf2093801?fm=entry_awc

「日本に帰った帰国者の人生-李達夫・遅素媛さん夫妻」2013年7月23日(火)No.716 http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/bc429e00910099ba50671bf20612c07e?fm=entry_awc

「大阪『帰国者の友』からの便り」 2013年5月11日(土)No.646 http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/452d0739c681428e588b69fa78ea2f6c?fm=entry_awc

「大阪で『中国帰国者の友』催し4/29」 2013年4月18日(木)No.624  http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/c15d6b0b7c7c76f26a1287f77ff65255

「李さん夫婦―ある中国帰国者の人生」 2013年1月28日(月) No.555 http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/b88f7d52c5300149aefe25ad82b3613e?fm=entry_awc

織姫&彦星生活…帰国者の雅子さん」2012年8月13日(月)No.412 http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/d12e79f26a25b83625e6374a2aa65772?fm=entry_awc

「私は中国残留の子どもだった」  2012年7月22日(日) No.399 http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/1877300cc6123bcd200c01559dd4a03f?fm=entry_awc

「帰国者の友」にもようやく春が」2012年3月27日(火)No.318 http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/e/5c31cc82438ae7b6ac429c0c7751cca2

 

 

 

 

 

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「なぜ中国の若者は日本のアニメが好きなのかー日本アニメと私④」2014年12月23日(火)No.1061

2014-12-23 23:22:59 | 日本語

この真正面からのargumentativeな文はどうだ。

中国の若者、と一口で言っても1年毎に雰囲気が違う。

なので日本語教師も、1年毎に新しい時代を感じるのだ。

下の作文は最も若い1年生(今年の5月当時)の作文で、

アニメのタイトルの多くは私にはチンプンカンプンだ。

そして何より、日本アニメのオタクとして真っ向から論戦を張る態度が、非常に新鮮だった。

政治的発言ではなくても、世間的に通りが悪そうなことを敏感に察知し、

さりげなくその話題を避ける傾向は日本だけではなく、中国にもある。

と言うか、中国ではよりシビアな環境なのだから、

生きていくためにはしかたがない面もある。

日本は、言論の自由があると言うのに……(ああ、もう今はないか)。

ところで、日本語学科の学生のみならず、

日本のアニメファンの裾野は本当に広い。

私も、興奮した面持ちの知らない学生に話しかけられ、

「日本のアニメで日本語覚えました。『ナルト』『ワンピース』」

と言われた経験がある。

 

―――「なぜ中国の若者は日本のアニメが好きなのか」

江西財経大学1年(現2年)陳楊

私は中学生の時からアニメを見始めたが、高校時代には本当に「狂気」になっていた。

最初見たのは同級生がずっと強く推薦してくれたアニメ『家庭教師』であった。

それをきっかけに、アニメの世界に入った。

『ソウルイーター』と『の祓魔師』などは高校時代の少ない楽しみの一つでした。

たとえ高校三年間の一番勉強で忙しい時期であっても、毎週の休日に実家にもどり、

コンピュータを立ち上げ、毎週一回ずつ更新する20分のアニメを追いかけて見た。

 

ちょうど今日は、ずっとファンだった『妖精の尻尾』がようやく一年ぶりに更新する日だ。

ついに更新される喜びと感動の気持ちは言葉で説明できない。

  

では、なぜ中国の若者は日本のアニメが好きなのか。

まず、日本のアニメ制作は精巧である。

そして、日本のアニメ・漫画の人物はモデルのようだ。

これは特に女性にとっては、美を追求する一つの方法だ。

自分の愛を求める気持ちをアニメの中で探すことは、生活に対する愛の表現だ。

『北斗の拳』の英雄描写は非常に成功したが、

ケンシロウの正義感、拉欧の天下に君臨する気概と、多奇の仁愛も生き生きと描写した。

怒りの鉄拳が敵の体を粉砕する画面を見た時、気持ちがわくわくする。

 

中国人は想像力に欠けて、創造したキャラクターは人よりもっと醜いです。

日本の漫画の人物に比べて、まさに雲泥の差がある。

また、中国のアニメはあまりにも知識を伝えることを強調しぎて、ストーリーはつまらない。

中国は『三国演義』、『水滸伝』、『西遊記』のアニメ版をみて、私達はもう見飽きた。

どんな人物をどのように変えても、ストーリーは変わらない。

 

次に、中国市場のアニメの対象は基本的には幼児で、

ほとんどのテーマは「道徳的教訓」だ。

しかし今の社会、少年の思想はますます多様化し、

彼らの視線はもうただ「戦火がない、完全平和」のことに置かない。

反抗的な心理なので、彼らにもっと世界のマイナス的な面も見たい、

日本のアニメはちょうどこの要求を満足させる。

アニメを通して、世界の弊害を説明して、邪不胜正(勧善懲悪)のことだけでなく、

多くの懸念や変わる思惟はますます多くの若者が惹かれる。

 

多くの知識人は日本アニメを見下す。

しかし、日本のアニメはちょうど東方啓蒙文化の高きから低きを臨む如き、

姿を変えた一種の青春啓蒙ドラマである。

日本のアニメは友情や愛情などを宣伝する。

これは若者たちを互いに励まし、助け合わせるものである。

日本のアニメは物語だけではない、教訓も含まれている。

私たちは、『スラムダンク』から理想のために奮闘すること、

『シャーマンキング』から仲間、友達の大切さ、

『ナルト』から根気強さ、

『カードキャプターさくら』から「きっと、絶対に問題ない」という魔法の言葉を得た。

日本のアニメには独創性や魂がある。

現実生活の中で見つからない共感、喜びと感動が見つかる。

さらに教育の意義もある。

 

日本では、アニメが重要な産業として重視されている。

しかし中国はそうではない。

例えば、吹き替えだ。

日本で吹き替えは声優と言って、アニメになくてはならない職業、

また非常に感情移入が必要な職業である。

例えば、蘭(名探偵コナン)の吹き替えの山崎和佳奈はこの役の声を演じるために、

わざわざバンジーをして絶叫の声を学んだ。

ひるがえって中国の吹き替えは、悪く言えば吹き替えだなんて言えない。

感情もなく、2人は台本に照らして朗読するだけで、基本的なストーリーも知らない。

だから、吹き替えの効果は期待できない。

 

今、多くの人は日本のアニメを見るのが非愛国的行為だと言う。

これはとてもおかしい主張だ。

日本のアニメを見るかどうかと愛国は何の関係もない。

逆に私は、日本のアニメを見ることが愛国的行為だと思っている。

なぜかというと日本のアニメを見ることによって中国のアニメの欠陥を認識することができ、

そして、外国の知識をも吸収することができるからだ。

私たちは明確に日本アニメが中国のよりもっと強固であると認めている。

――――――――――― 

 

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「我が爆走時代-日本アニメと私③」2014年12月22日(月)No.1060

2014-12-22 21:22:29 | 日本語

「ミニ四駆」…、聞くだけで懐かしい言葉。

1970年代~80年代にかけて日本の子どもたち、特に男の子たちが

夢中になったあの車のおもちゃだ。

なんと中国の山西省でも同じ現象が巻き起こっていたことを、

私は譚松さんの作文を読んで初めて知った。

流行のきっかけはやはり、その地域のテレビ局による日本アニメ放映だそうだ。

実は、近年中国では外国アニメの放映に関する規制が敷かれ、

ゴールデンタイムに外国アニメをテレビ放映することができなくなっている。

外国アニメといっても、そのほとんどは日本のアニメだそうだ。

「文化侵略からの自国文化の保護」という言葉も聞いた。

全く割り切れない、怒りに似た気持ちが湧く。

 

―――――――――「我が爆走時代」

江西財経大学3年(現4年)譚松

 

真っ暗な部屋に、たった一つ小さい電気スタンドが点き、聞こえるのは時計の音しかない。

その部屋で、一人の男の子がマシンを専念に改装し、トイレに行く暇もないほど没頭している。

そう、その男の子こそ、子どもの頃の私だった。

 

当時、私の住んでいた山西省では「爆走兄弟レッツ&ゴー!」という

ミニ四駆に関するアニメのシリーズ番組が、ロングランになっていた。

その放映とともに、私が住んでいる町にもミニ四駆ブームが巻き起こった。

一時、町のどこでもポケットにミニ四駆を詰め込んだ子供の「ミニ四駆レーサー」が闊歩し、

チームを組んで他のチームと競い合うシーンも少なくなかった。

 

もちろん、私も例外ではなく、夢中になって、

自分のマシンを解体したり、組み立てたりしていた。

あまりに何回も繰り返した結果、ある部品を一見して配置すべき場所が言い当てられ、

目を閉じたまま、解体されたマシンを組み立てることができるようになった。

普段の生活でもまるで専門家のように、味方のマシンのみならず、

ライバル達のマシンもしょっちゅう修理してあげて、友達がいっぱいできた。

 

「レースよりも大切なことがある。私は皆と走って、それが分かったんだ。

私たちは誰にも負けない自分だけのミニ四レースマシンを持っているんだ。」

と言ったのは、三国籐吉だ(初期は嫌味でお調子者だが、

烈や豪と打ち解けた後、サポート役をしっかり務めるようになったキャラだ)。

三国さんは、コースに飛び出した子供のミニ四駆を他のレーサーに踏みつぶされないように、

とっさに掴んで足を捻挫し、試合が続けられなくなった。

そのシーンは現在でも私の記憶にはっきり残っている。

 

小学校4年生から中学生に至るまで何年もの間、

私がずっとミニ四駆に惹き付けられていたのは、

恐らくその三国さんの言葉と重なるものを心の奥に抱いていたからだと思う。

各国、各地から初めて出会うレーサーとマシンが

同じレース会場に集まって勝敗を決める場面があった。

結果はもちろん重要だが、それはイベントの一部に過ぎない。

自分が知恵を絞って改装し上げたマシンと一緒に走れる楽しさ、

また、ライバル達のマシンがどんなに速くても、

自分のマシンは自分にとって誰にも負けない宝物だという純粋な愛と誇りが、

各レーサーの顔に満ちている。

ミニ四レースが勝敗を超えて楽しいのは、

そんな打ち込む者たちが交歓し合う場だからだろう。

 

そのアニメを見ていた時、中日の違いなど、私には関係なかった。

アニメ第二シリーズの国際試合で、中国チーム、欧米チームではなく、

日本チームの勝利を心から望んでいた私は、

主人公と一体になり、同じ心を持っていたのだ。

 

今、振り返って見ると、そのアニメと出会って本当によかった。

主人公の星馬兄弟「烈」と「豪」は、

私にミニ四駆(その時期の私の人生の全てだった)を贈ってくれただけではなく、

決して諦めず、ぐらつかない恒心と、いつでも前向きで努力する向上心を身を持って教えてくれた。

当時の私にとって、二人は決して架空の人物ではなく、ものごとの考え方、行動のお手本だった。

 

あっという間に大人になった私は、もうミニ四駆で夢中に遊ぶ年ではない。

しかし、その「ミニ四駆レーサー」生活で得た恒心と向上心は、

高校での果てしないく続くように思えた受験勉強や、大学入学試験など、

多くの困難を乗り越えさせてくれた。

これからも、ずっと私の人生を支えてくれると思う。

 

「風になりたい 走れ 僕の夢 决してあきらめずに ウィニングラン! 風を感じて 走れゴールまで 勝利の輝きをこの手に」

これからも、このテーマソングを耳にするたびに、いつも胸が騒ぐことだろう。

先日、ネットである言葉が目に留まった。

「人が心から惜しむのは時間が流れ去ることではなく、

流れ去って、もはや戻れない昔―あの時代なのだ」と。

「爆走兄弟レッツ&ゴー!」は私の子供時代。

あの戻れない時代……。

 

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「ちびまる子ちゃんから日本が見えた-日本アニメと私②」2014年12月21日(日)No.1059

2014-12-21 21:55:50 | 日本語

中国の子どもたちが日本のアニメに接するのは、

ほぼ100%がテレビ番組で中国語に翻訳されたものだが、

言葉は中国語でも、内容は日本の作品そのものだ。

日本の人々の習慣や価値観が反映されたアニメ主人公や登場人物の行動を見て、

中国の子どもたちは色々な刺激を受け、考えていることが分かる。

 アニメを通して日本について知り、ときには驚き、ときには共感を持つ。

日本のアニメが中日の偉大な架け橋であることは間違いない。

 

―――「『ちびまるちゃんから、日本の家族が見えた」               

 江西財経大学3年(現4年) 周文毓

 

「マジって?これ周ちゃんなの?すっごく可愛いじゃん!」

友達が家へ遊びにきた時、壁に張ってある小さい頃の私の写真を見て叫んだ言葉だ。

振り返って見た私も、思わず笑いだした。

写真の中の私は「ちびまる子ちゃん」そのものの風情で、ぼおっと立っていたのだ。

 幼い時、ずっとアニメが好きだった。

特にその頃よくテレビで放映されていた「ちびまる子ちゃん」が大変気に入っていた。

毎日夕方、家族みんながテレビの前に揃って、晩ご飯を食べながら

「ちびまる子ちゃん」を見ていたその光景は、

今考えると何と幸せなシーンだったかと胸にせまる。

 

普通、大人までアニメが好きだなんておかしいと思うかも知れない。

でも、本当に、当時の中国の家庭では、このアニメが大人気だったのだ。

家族は私の性格がまる子ちゃんに似ていると言い、

しまいに、祖母は、私のヘアスタイルをちびまるこちゃんカットにしてしまった。

もう、どこから見てもまるこちゃんそのものだ。

あの写真はその頃に撮ったものだった。

 成長するにつれて、アニメはだんだん私の生活からフェードアウトしていった。

しかし、「ちびまる子」は、我が幼年期の象徴として心にしっかり根付いている。

私は今も、どこかで放映されている「ちびまる子ちゃん」を見かけたら、

必ず思わず足を止めて興味津々で見てしまう。

 

なぜこんなにこのアニメが気に入ったのか?

もちろん、一つ目の理由は、このアニメの中のまる子ちゃんに自分の姿を見つけて、

本当に共感するからだ。

この小さくて可愛らしく、利口で活発な女の子は、

いいところがいっぱいあるが、欠点はもっと多い。

しょっちゅう朝寝坊したり、中途半端だったり、ひどくぐうたらでいい加減だ。

いつも先生や両親に迷惑をかける。やっぱり、これはまるで、私のことだ。

その一方、彼女は楽観的で、好奇心いっぱいだ。

突然勇気を出して、クラスで正義のために公正な発言をすることもある。

更に、漫画家になる夢を持ち続けているその持続力には感心するしかない。

今もなお、「ちびまる子ちゃん」を見ると心がほのぼのするのは、

口に出せない苦痛、自信喪失や不可能なことをこの9歳の女の子に託し、

素晴らしかった幼年時代の自分にひと時、戻れるからだろう。

 

実は、私はまる子ちゃん同様、いや、それ以上にまる子の家族が大好きだ。

家族みんなが仲良く、お互いに助け合うその姿を見たら、

いつも心全部がホンワカと温まる。

特に私が印象深かったのは、まる子ちゃんと父親が一緒にお風呂に入る場面だ。

お父さんと娘が一緒に入浴するなど、中国では絶対見られない光景だ。

だから、初めて見たときは、本当に不思議だった。

でも、一緒に湯浴みしながら大声で歌を歌う親子二人は、

私の心までホカホカに温めてくれたのだった。

 一日中仕事や勉強を頑張った一家のメンバーは、夜にようやく、

家族揃って晩ご飯を食べながら、今日あった出来事や近所で聞いた話をする。

学校の先生とか、会社の人事とか、スーパーの物価、

さらには隣の家が買った新しいテレビまで、なんでも自由に話せる。

何と楽しい時間だろう!

晩ご飯のあと、いつもお父さんがひと声かけて、

まる子ちゃんが嬉しそうにいそいそと走っていく。

お風呂の時間だ。

立ち込めている霧のような湯気の中、二つの幸せそうな顔が浮かんでくる。

こんな親子の楽しい場面を、私は、これから何度も思い浮かべるだろう。

 

初めて家を離れ、見知らぬ都市の大学に進学してきた私が悩んだとき、

また寂しさを感じたとき、いつも「ちびまる子ちゃん」を見たとたん、気持ちがすっきりした。

まる子ちゃんとその家族の生活のスタイル―毎日平凡で小さいことをも楽しんで、

苦しいことをも楽しさに変える技―は、私にずいぶんプラスパワーを与えてくれる。

 

人に腹を抱えて笑わせる、この面白い女の子と、平凡でも幸せなその一家から、

心優しい普通の日本人の生活が見えてくる。

 ――――――――――――――――――

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「日本アニメと私―中国人の日本語作文①」2014年12月20日(土)No.1058

2014-12-20 15:35:35 | 日本語

私は子どもの頃からの漫画好きで、

親に怒られないよう、押入れに隠れて読んだりした所為で

このようなウルトラ高度近視になったのではないだろうか、と長年クヨクヨしていた。

大学を出て1年ほど眼科医で働いたが、

そこのお医者さんに「近視は遺伝です」と言われて、ようやくホッとしたものだ。

中国でも私のように親たちの厳しい規制の下で、なんとかアニメを見続けてきたのが、

今の大学生世代だ。

半世紀近くの歳の差をものともせず、

中国の大学の教室内には共感の渦が巻き起こったっていうか。

次の作文を読めば、中国の子どもたちの姿が目の前に浮かんでくる。

ほぼ日本と同じ(笑)。

 

――――――「アニメとともに成長した私」

江西財経大学2年(現3年) 周巧

「瑜ちゃん、またアニメ見てるの?宿題は終わったの?」                         「いつも、いつも、アニメばっかり見てる!一体、将来何になるつもりだ!」

自分の少女時代を振り返ってみると、そんな両親の叱り声がいつも家中に満ちていました。確かに、勉強する時を除いて、私はほとんどの時間をアニメを見ることに費やしていました。                                                                   「ちびまる子ちゃん」や「ドラえもん」からスタートし、その後の「カードキャプターさくら」や「デジタルモンスター」、そして、宮崎駿監督の作品に出会うまで、                               様々なアニメが、いつも私の傍で成長を見守ってくれていたのです。

 それらのアニメの中で、「カードキャプターさくら」は、見ていない人も多いのではないでしょうか。                                                     私がそれを初めて見たのは小学校の四年生の時です。                         まだ幼稚な子どものことなので、その少女アニメに迷ってしまったわけです。            なぜなら、その「桜」という主人公は可愛くて勇敢な女の子で、他にも可愛い友だちキャラが登場し、なんと、魔法のカードまで持っていたからです。                         それが羨ましくて、自分も桜ちゃんになりたくてたまりませんでした。

 両親は、晩ご飯を食べながら、また、宿題をしながら、日課の「カードキャプターさくら」を見ている私を、                                                    「アニメばかり見て、何か意味があるのか?テレビを見るな!」                               と叱りました。                                                                   そんな両親の言葉にも耐え、私は、カードを手に入れるために、掃除やお皿洗いなど、大嫌いな家事も手伝いました。                                                            家事を通して稼いだ、あるいは、お小遣いとして母からもらった1毛銭を握りしめ、毎日終業のベルが鳴るか鳴らないかのうちに教室を飛び出して、友達仲間と一緒に間食のお菓子を買いに行きました。                                                             友達とお菓子の袋に入っているカードを交換したり、漫画を読んだり、前の日に見たアニメのことをしゃべったりして呑気に暮らしていた私です。

「 桜ちゃん」熱はそれからまだまだ続き、(厳しい家風の我が家の両親がどうして許してくれたか不思議ですが)、たまに友達の家でそのアニメを見たり、晩御飯をご馳走になったり、女の子同士の秘密を交換したりして過ごしたこともあります。                                しまいに、私たちは、自分たちで手作りの「桜ちゃんの星の杖」を作り、桜ちゃんの仕草を真似してさんざん遊びました。                                                            そのアニメのおかげで、私たちの友情はどれほど熱を帯びて、団結が強固になったことでしょう。

 再びそのアニメを見たのは六年生でした。                                              たった二年間の間に、友だちは、もうバラバラになっていました。                                  以前に買ったカードやポスターなどを見る度に、固い友情を確かめ合った友達や、彼女たちと遊んだ思い出を思わずにはいられませんでした。                                            もうそんなのんびりした生活には二度と戻れません。                                           それはまさに「是なるも人は非にして事事休し,語らんと欲して涙先に流る」、                         つまり、「物事は依然として変わらないが、人の心はもう変わってしまった。心の悲しさを訴えようとすると、涙が先に溢れてくる」という状態です。

  今、私は大人になって、好きなアニメの好みもアニメ作品に対する理解も成熟したものになりました。                                                                      恋愛物語だけでなく、友情や人性、人間と自然、社会の関係などをテーマにしたものも大切だと思います。

 日本のアニメの中には、中華文化に関するものが枚挙に暇がないほど多くあります。                                                                         例えば、「中華一番」や「三国志」などです。                                                       (外国人なのに、どうして、日本人は中華文化にそんなに詳しいの?中国人の私たちは、どうすればいいの?)と、アニメを見て、自国の伝統文化保護について考えさせられることもあります。

 今でも、私は時々家族にこう言われます。                                                  「また、こんな子供っぽい番組見てるの?本当に、いい加減にしなさい!」                            (そう言われても、本当にいろいろ勉強になるんだから)と心で呟き、                          家中に充満する小言の中でしぶとくアニメを見ています。

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「中国人の日本語作文コンクール授賞式・北京の日本大使館で」2014年12月19日(金)No.1057

2014-12-19 19:43:02 | 中日(日中)関係

回を重ねるごとに二ユース等で取り上げられる機会が増えてきた

「中国人の日本語作文コンクール」(日本僑報社:段躍中代表)は、

今年、10回目を迎えた。

今春、4月から5月にかけて私は江西財経大学での最後のお勤めを果たすべく、

朝から晩まで、週末も祝日も関係なく、ひたすら作文チェックを続けたが、

今年度は中国人の先生方も分担してくださったので、

過去4年間のうち、最も楽ちんだったかもしれない。

今年のテーマは、

①「ACG(アニメ・コミック・ゲーム)と私                                         ―なぜ中国の若者が日本のアニメ・漫画・ゲームに魅かれるか―」 

②「公共マナーと中国人」

の2つで、学生たちが多く選んだのはやはり①の方だった。

このテーマの所為でこの作文コンクール始まって以来の4000人以上もの応募者がいて、

毎年複数の入賞者を誇る江財大は、

唯一3年生(現4年生)の余立君さんが3位に入選したに留まった。

 

↓日本大使館授賞式会場での余立君さんと段躍中さん

(私が「ブログに載せるから絶対ツーショットで撮ってもらいなさいね~♡」

と言ったらきちんと実行した余さん。私の教え子はやるときゃやる

 

しかし、毎年学生たちの作文を読んでいると、

入賞など無関係に面白い作文にたくさん出会う。

身内贔屓もあるのだろうが、

それらの作文が日の目を見ずにお蔵入りになるのは本当にもったいない。

なので明日から何回かに分けて、秘蔵の作文を当ブログでご紹介することにする。

あ、もちろん入選した余立君さんも含めて、全入選者の作文は一冊の本になって

既に出版されているので、

ぜひ、この機会にご購入ください、って段躍中さんでもないのに、

私はこういう時必ず、しゃしゃり出るのである。

大阪のおばちゃんたちに長年鍛えられた賜物です

 

〈関連報道〉

TBSニュース(これは今日で一週間目なので、ぎりぎりで見られるかも)「テーマにアニメも、中国大学生の日本語作文コンクールの表彰式」http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2371411.html

朝日デジタル「中国人の日本語作文コンクール、最優秀賞に姚さん」http://www.asahi.com/articles/ASGDD4470GDDUHBI010.html

毎日新聞「熱点話題:(25)日本語作文コンクール」http://mainichi.jp/feature/news/20141214mog00m030007000c.html

↓人民網日本語版「第10回中国人の日本語作文コンクール」 北京で授賞式http://j.people.com.cn/n/2014/1216/c94473-8823553.html

 
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「明日はきっと元気になる」2014年12月18日(木)No.1056

2014-12-18 18:55:13 | 日記

福島の空さんは選挙が終わるたびに鬱になるという。

私は選挙が終わるたびに頭痛・発熱・落涙の症状に襲われる。

大根の葉っぱが数ミリ伸びているのを見ては涙し、

「ホーハイ節」を唄ってもハラハラと涙が滴る。

この涙癖は、2011年3月以来ずっと引きずっており、

さらに加齢が追い打ちをかけているのだ。

(もう、ブログ書くのも辞めよっかな)と昨日は弱気になり、

パソコンから遠ざかった。

で、今日見てみたら、どなたのブログにお邪魔したのかと思うほどの

コメント欄の賑やかさ。

「通りすがり」とかの変なコメントでないばかりではなく、

一生懸命読まなければわけわからんほどの込み入った長文なので、

心身ともに弱っている私は、呟いた。

「明日、あしたね。」

明日はきっと元気だ。

 

 

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「辺見庸さんの言葉を読む」2014年12月16日(火)No.1055

2014-12-16 21:27:05 | 日本事情

安倍政権が長期化することになった。

一昨年冬の衆議院選挙の結果を私は、中国で信じられない思いで見ていた。

今年は日本に戻り、日本国内のムード、人々の表情が分かったせいか、

結果を事実として見ることができる。

しかし、この結果は民主主義を何よりも大切に考える者に緊張感・緊迫感を強いるものだ。

いよいよ、何かが始まる。

安倍首相の選挙後の第一声は、選挙活動では一切訴えなかった、

「憲法改正は私の悲願」

だった。

こういうずるいやり方に対して、怒りも何も感じない人が日本人の多数を占めるという。

 

今、少し静かに、この危機を見つめ、考えたい。

私たちはいつ、どこから、どのように今に至り、こんなに腐り果てたのかを。

神奈川新聞に辺見庸さんのインタビュー記事が載っていたのを、

ツイッターで誰かが教えてくれていた。

このブログでシェアしたい。

 

安倍政治を問う〈11〉 目を見開き耳澄ませ 

作家・辺見庸さん 

2014.12.14 09:30:00

 インタビュー前日の6日、辺見庸さん(70)は都内で行われた特定秘密保護法反対デモに赴いた。

街頭デモに出掛けるのは、脳出血で倒れて右半身が不随となった2004年以来だった。

 「何メートルかでも歩こうと思って。行ったけど、ほぼ終わっていてさ」。

週末の午後、銀座の街にイルミネーションが瞬いていた。

「驚くほど盛り上がってなかった。本当のことを言うと絶望的だった」

 クリスマス前のきらびやかな風景と盛り上がらないデモ。安倍政権に反対するということが力の問題としてマイノリティー化していないか。帰途、辺見さんは思った。「マイノリティーとしての自覚をどう持てばいいのか」

 ■策謀的選挙

 「間接民主制の弱点を使った策謀でしかない」。今回の総選挙をそう断じる。

「勝てると踏み、重大な問題を引っ込め、

アベノミクスというメッキが剥げないうちに選挙をやってしまえという話だ」

2年前の総選挙で自民党は憲法改正草案に盛り込んだ国防軍の創設を公約に明記していた。

今回の公約では末尾に「国民の理解を得つつ憲法改正原案を国会に提出し、憲法改正のための国民投票を実施、憲法改正を目指します」とあるだけ。

具体的な改正内容は示されていない。波風を立てず、争点化を避ける思惑が透ける。

 〈与党3分の2の勢い〉〈自民300議席うかがう〉

 投開票日を前に各メディアに与党圧勝の予測が大きな見出しで躍る。

「策謀的にもかかわらず、本質を問わず、反発しない。政権が仕掛けてきたシナリオに乗って、メーンテーマは『アベノミクスの是非』か。言いなりじゃないか」

「策謀」に加担するがごとくの報道を難じる辺見さんの言葉が、胃に重く沈む。

集団的自衛権の行使容認、特定秘密保護法、武器輸出、原発の再稼働…。

戦後の最も枢要な問題について、結果が予測通りなら、

安倍政権の方針を追認したと解釈されてしまう。

「まさにキャッチ=22だ」。ユダヤ系作家ジョーゼフ・ヘラーの小説タイトルである。

 

作中にある軍規では、狂気に陥った者は戦闘機に乗らずに済むとある。」

しかし、狂気を申告できるのは正常さの証明となり、戦闘機に乗るはめになる-。

「こっちの主観的な意図も、結局は向こうのわなに引っ掛かるという意味だ」

〈彼ら(人民)が自由なのは、議員を選挙するあいだだけのことで、

議員が選ばれるやいなや、人民は奴隷となり…〉

ルソーの言葉を引き、辺見さんは続けた。

「犬が餌を投げられ、取ってこいと言われている。選挙民を侮蔑しているよ」

 

■見込み違い

 戦後70年を目前にした年の暮れの総選挙。

議会制民主主義に安住し続けたわれわれの楽観主義、そして戦争責任を追及せず、歴史を忘却してきた帰結として、今の風景があると辺見さんは考える。

昨夏、憲法改正についてナチスドイツを引き合いに「あの手口に学んだらどうかね」といった麻生太郎副総理の発言が思い起こされる。

「あれはジョークじゃなかった。恐ろしい。気付くのが遅い」

国会に憲法改正の早期実現を求める意見書や請願がいくつかの地方議会で可決、採択されている。

自民党本部の要請を受けた同党会派による全国的な動きだ。

投票年齢を18歳に引き下げる改正国民投票法も成立。

改憲に向けた準備は着実に進みつつある。

アベノミクスを最大の争点に据えた選挙後、改憲の信任も得たとして論議を加速させるはずだ。

 

「民主的な全体主義」-。

そうした語義矛盾でしか、現状は語れないと辺見さんは言う。

民主主義はもろい。

絶えず勝者を監視し、働き掛ける動きがなければ死んでしまう。

そのことに私たちはどれほど自覚的であったか、と問う。

「日本国憲法、9条は自明の事実として正当性を語る必要はなく、徹底的な反戦主義に俺たちは生き方を合わせることができた。そうやって過ごしてきたことが、俺は見込み違いだったと思う」

自身を語る人称はいつしか「僕」から「俺」に変わり、声は怒気をはらんだ。

「日本の思想、文化、メディアを含め、平和憲法、9条というモラルスタンダードの補強作業をしてこなかった。安楽死だ。闘ってこなかったんだ」

 

■内なる特高

NHK会長らの人事、公示を前にした民放各社への選挙報道に対する要望に権力の策動を見る。

「今、血相を変えて努力し、工夫をしているのは保守勢力の方だ」

芸術家のろくでなし子さんと作家の北原みのりさんが警視庁にわいせつ物公然陳列などの疑いで逮捕された。

特定秘密保護法を治安維持法とみなす辺見さんは強い危機感を抱く。

「身柄逮捕に驚いた。逮捕しても大丈夫だと見くびっている。警察は芸術論争をするつもりなんか毛頭ない。

2人は警察批判や政権批判をしていた。狙い撃ちの恫喝(どうかつ)。

そして周囲の萎縮だ。警察が特高的になっている」

辺見さんがそれ以上に驚いたのは、逮捕に関してメディアをはじめ世論に反発する声がほとんどなかったことだ。

「政権に対する恐怖心がない。僕は怖い。はっきり言って今のやり方は怖いんだ」

一層、不気味に思うことがある。

「彼女たちの逮捕を軽視し、冷ややかに笑う世間の反応まで権力に見透かされている。

社会全体が自警団のようになっている」。

特高は外部ではなく、私たちの内部にいる。

権力に瀬踏みされ、自由の幅はさらに縮んでゆく。

 

■感性の戦争

 フランスの哲学者ベルナール・スティグレールが用いた「感性の戦争」という言葉を辺見さんは口にした。

株価とにらめっこしつつ生活保護基準を引き下げる。

「弱者や貧困者に対するこの政権のまなざしは、残忍だよ」。

辺見さんは続けた。

「貧困も可視化されずに見えにくくなっている。

目を見開き、耳を澄まさなければ。

民主的な全体主義の中で『感性の戦争』は決してオーバーな言い方ではない」

 

6日のデモをまた振り返った。

「派手なイルミネーションの中で、すごくしょぼくれて見える。

でも、自分の生活圏から数ミリでも足を延ばし、行動する以外にない。

今は普段と違う状況だ。

こっちも普段と違う目つき、身ぶりで、怒り、いら立ちを自分で表現する。

たとえマイノリティーになっても、臆せずものを言う。やれると思うんだ」

 

選挙後も日常は続く。戦前から、戦争が始まる時も突然、風景が変わったのではないように。

日常の至るところで「感性の戦争」は起きている。

目を見開き、耳を澄ませ-。

 

へんみ・よう 1944年宮城県石巻市生まれ。70年共同通信社入社。初任地は横浜。78年北京特派員時代の中国報道で新聞協会賞。91年「自動起床装置」で芥川賞。94年「もの食う人びと」で講談社ノンフィクション賞。96年退社。2011年詩文集「生首」で中原中也賞。近著に小説「霧の犬」。

 【神奈川新聞】http://www.kanaloco.jp/article/81601/cms_id/116317

 

 

 

 

 

 

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「希望の歌を唄う」2014年12月15日(月)No.1054

2014-12-15 15:28:02 | 日記

生き難い。

息がし難い。

そんなときには歌を唄う!

 

今日の私は矢野顕子だ~!

若いときの矢野顕子さんの枠からのはみ出し方、自由自在さが私は大好きだ。

何十年も前に買ったCDsのうち、「JAPANESE GIRL」をかけまくり、歌いまくった。

CDの最後の方にあるのが、「希望」という言葉が決め手の「丘を越えて」

皆さんも好かったらどーぞ

 

丘を~越え~て~ 行っこ~よ~

ま~す~み~の そ~らは ほんがらかに晴~れ~て

楽し~いこころ~ 

   鳴~る~は~  胸の血潮~よ~

   た~た~え~よ 我~がは~るを~

い~ざ~ 行~け  はるか きぼ~う~の~

おかを こ~え~て~~

るるるっる~  

るるるっる~

るる~るるるる~ 

(2番は省略しますが、なんとあがた森魚とのデュエット)

 

↓下のはライブ・ショーでの歌で、「サイコ・サイコ」も最高です♡

https://www.youtube.com/watch?v=uM79pPnp7Tg

 

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「香港の若者から日本の友へ」2014年12月14日(日)No.1053

2014-12-14 14:27:37 | 政治

日本の多くの若者が選挙に行かないという。

香港の若者たちは、民主主義的選挙を求めて闘ってきた。

占拠闘争は強制的に排除されたが、民主化闘争は次の表現を模索しているという。

そんな香港の若者たちが語る、日本の友へのメッセージ動画がある。

https://www.youtube.com/watch?v=Zrw_TDfVkC4

「民主主義を求め闘う香港の若者から日本の友へ」

ーFrom Hongkong Youth to Japanese Friendsー

 

香港の若者の声は、

闘わずして既に負けている日本の「無関心・無責任」層にまで届くだろうか……。

Youtube動画が見られない人のために、言葉を文字にしてお届けしたい。

――――――――――――――――――――――

「私たちは民主的な選挙を求めて闘っています。私たちは自分でリーダーを選ぶことができません。それが問題なんです。」

「私たちは自分たちでリーダーを選びたいんです。」

 

Q:あなた方は何のために闘っていますか。

「私たちは普通選挙制度のために闘っています。」

「〈自由を尊重する〉という価値観を失いたくないんです。」

「普通はのどが渇く前に水を用意しますよね。のどが渇いてから水を用意するのでは遅いんです。だから、問題が起こる前に立ち上がらなくてはいけません。まさに今がそのときなんです。」

「香港の現状を変えたいんです。だから私たちの不満を伝えるために外に飛び出し叫ぶんです。」

「私は民主的な選挙を心から望んでいます。それが人々に自由を与えてくれると信じているから。」(『還我真普選』と布に書かれた文字が映る)

「この先社会はどうなるのか、私たちの暮らしはどうなるのか。それを考えることはとても重要だと思います。私たちが闘うのは自分たちのためだけではなく、次の世代のためでもあります

 

Q:あなた方にとって民主主義とは何ですか。

「民主的な選挙はマイノリティを守ってくれるんです。さらに、富裕層、大多数の人々、そしてマイノリティの間のバランスを取ってくれます。」

「民主的な選挙があれば、すきなように未来が描けます。よりよい未来のために投票することができます。私たちの掴みたい未来のために。」

「私にとって民主主義はとてもシンプルなものです。それは〈自由〉です。自分の言いたいことを言える自由、そして好きなように自分を表現できる自由です。」

「若者たちは、また別の未来を描けるはず。」

「未来はあなたのものです。他の誰かに決めてもらうのではなく、あなた自身が未来を決めてください。」

「あなたには国を良くする力があります。そして社会を変える力もあります。だから、ぜひ投票に行ってください。」

「私は日本のみなさんに、ぜひ選挙に行かれることをお勧めします。どうか投票する権利を無駄にしないでください。」

「もしかしたら、今の日本のみなさんにとって民主的な選挙は当たり前のことなのかも知れません。                                                                     民主主義とともに生まれ、自由とともに育ってきたのかも知れません。                                  でも、今当たり前のようにあるあなたの人権や自由が、ある日突然なくなったらどうしますか。」

「日本のような先進国で生まれた人々にとって民主主義とは当然のものなのかもしれません。                                                                       でも、私たち香港の人々は闘わなければ民主主義を手に入れることはできません。                       私は日本の皆さん、とくに若い人たちが、自分の手でリーダーを選べるということがいかに尊く、いかに稀有なことであるか、ということに気付いてほしいと思います。                           あなた自身だけではなく、日本の未来のために。」

「次の世代のために」

「あなたの未来のために」

「あなたの国の未来のために」

「未来のために投票してください」

Vote for your future!

 

(以下字幕)

一票じゃ日本は変わらない、だって?確かにそうかもしれない。

もし、君が一人だとしたら。

どうして一人で立ち上がろうとする?

皆で立ち上がるんだ。

届けよう、声を。

さあ、行こう。

日本の未来は君の手の中にある。

―――――――――

 

 

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