「想像して
今日のために生きている全ての人々を。
想像して
平和に暮らしている全ての人々を。」
40年も前にJOHN LENNONが全ての人の心に訴えたこのメッセージが、
こんなに切実に共感できるというのは、
世界が連帯し得ていないからで、
それどこころか
かなり反目し合っているからで、
私の周りには
中国と戦争したい日本人も、
日本と戦争したい中国人も、
誰ひとりいないのにもかかわらず、
今年4月、あの愚かな政治家が
国を遊び道具にして引っ掻き回したことが引き金となって、
折しも今年は日中国交正常化40周年を迎えたというのに、
40年の間、丁寧に、少しずつ積み上げてきた互恵関係が
ガラガラと音を立てて崩れてしまったせいである。
このブログでは、
日本ではあまり紹介されない中国の大学生たちの生の声を時々紹介してきた。
尖閣諸島(釣魚島)で揺れた9月、10月、
私の教え子である日本語学科の学生たちに
「この間の事態についてどう感じているか」書いてもらった。
今年最後のブログにはその文を載せたい。
どうか、中国の人たちがどんな思いで日々暮らしているのか、
想像して欲しい。
どんなにみんな平和に暮らしたいと願っているか、
感じ取って欲しい。
そして、日本からこちらにメッセージを送ってもらえないだろうか。
日本人がどんな思いで日々暮らしているか、
どんなに平和が大切だと思っているかについて。
―――――この文は10月中旬に書いたものです―――――
○そうそうさん
実は私も残念な気持ちを持っています。
釣魚島はいったい誰のものなのか分かりません。
もちろん自分の利益のために
「釣魚島はずっと中国のものだ」というのは当然です。
この島の具体的な歴史は分からないけど、この問題は歴史的問題です。
20世紀の問題であり、解決していません。
私は平和を愛しています。
だから戦争なんか嫌です。
でも、中国国内の状況を見て、実に恥ずかしいと思います。
どうして我が国民はそんなに落ち着かないの?
どうしてそんなに馬鹿なことをするの?
そんなに低い素質なんて見たくないよ。
在中国の日本人に「ごめんなさい」と言いたいです。
○思めいさん
この間、中日関係がこんなに悪くても、
私の親友は東京の大学に留学に出発しました。
これは中国国民が、依然として日本国民を信じていることを示しています。
国民同士は相互理解と信頼を深め合って行くべきです。
本当にこの事件が早く終わってほしいです。
もし私たちまで中日友好のために頑張るのを止めたら、
こんな情勢が続いたが最後、最悪の場合は戦争になりかねません。
そんなことになったら、両方とも損するに違いありません。
自分のためにも、私たちは中日の架け橋を作り続けましょう。
○翀しんさん
この頃、中日関係の悪化によって、
多くの日本語学科の学生たちは肩身が狭いと感じ、
今後の就職も心配になって、
そうしたら、日本語を勉強し続ける意欲もなくなってしまいました。
しかし、このように消極的な態度では何も変わらないでしょう。
この時こそ、中日友好のために私たちができることは、
一体何かをよく考えるべきではないでしょうか。
日本語学科の学生としての私は、まず、
日本語のレベルを高めなければならないと思います。
それから日本社会、日本文化、そして、中日友好の歴史などを理解して、
周りの人に紹介します。
日本語学科の私たちまで日本人に敵意を抱くとしたら、
中日両国の関係はどうなるでしょうか。
そう考えると、私たちも中日友好に重要な役目を担っています。
実は、一般の考えと違って、
日本語学科の学生は肩身が広いのです。
せめて私はそうだと思います。
大方は私が日本語を勉強しているのを聞くと、
「本当ですか。羨ましい。私も学びたい」
と言ってくれます。ある男性は、
「電話番号を教えてくれますか。
時間があるなら日本語を教えて」
と言うに至っています。
ちょっと不思議だと思うでしょう。
こう考えてみると、私たちにできることがいろいろあります。
日本語を活かして、自分の知っている日本や日本人を多くの中国人に紹介します。
これまでも、そして、これからも
日本人は中国人の変わらない親友でしょう。
教室が暗いムードで、声も出なかった9月末。
そのとき、学生たちは必死で日本語を学ぶ意味を考えていた。
学生達の作文からは、私を励ます気持ちもヒシヒシと伝わってくる。
2年前に知り合い、ともに過ごした月日が、私たちを結びつけてきた。
その信頼関係をもとでに、
私たちはさらなる信頼の輪を広げたいと思う。