毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「最後のカレーパーティーは日本語学科の先生方と」2014年6月30日(月)No. 934

2014-06-29 21:31:09 | 中国事情

 

 

明後日朝の出発を控え、最後のカレーパーティーを開いた。

今まで何十回も学生たちにカレーをご馳走したが、

日本語学科の老師達にはまだ食べてもらっていない。

厳先生などは家でよくカレーを作るとのことだが、

学生たちが太鼓判を押してくれる私の味をぜひ試してもらおうと、

最後の最後に、日本語学科の中国人の先生方を

拙宅ならぬ拙宿舎にお招きした。


ジャーン!フルメンバー初登場。

左から朱先生、劉慧さん、陶先生、熊先生、厳先生。

これらの中国人の先生方の寛大さと鷹揚さに後押しされて、

私は江財大で実にのびのびとやってくることができた。

本当に「おかげ様」です。

 

なんと!学院がオーダーメイドのチーパオ(旗袍)をプレゼントしてくださった。

日本に帰っていつ着ようっかな~

 


お土産の果物を置いて帰っていった5人。

私は明後日はここにいない。

つまり、明日一日で全部食べなければならないのだ。

だが、明日も学生たちが何人か来る。

大丈夫だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「南昌郊外・江財大近辺の4年の変化/不変化」2014年6月29日(日)No. 933

2014-06-29 21:31:09 | 中国事情

バスの込み具合は、全く変化なし。

昨日232番でウォルマート前から昌北、下露へと向かうバスの中。

周文いくさんは余裕の微笑み。

しかし、エアコンも効かず蒸し暑いし、

前の方はよくスリがいるという。

 

市内よりさらに歩道の状況は悪い。

夜歩くのはたいへん危険である。

 

右の突き出たコンクリート片はこの4年間で何人の人を躓かせたことだろう。

もちろん、私もその一人だ。

 


この崩れたコーナーは改善された結果である。

初めは段差が激しく、いつも「ヨイショッと!」と言いながら上ったものだが、

一角を崩してコンクリートで固め(もう剥がれかけだが)、

人々が通りやすいようにしたのは良かった。

みっともないが、前よりマシだということでO.K.ね。

 


財大南門(自動車用)のガードマンの態度は、改善された。

以前はガードマンの後ろをそっと歩いて通過しようとしたら激しく叱責され、

「もう一度引き返してやり直せ」などと、

日本の小学校の先生みたいなことを言うのであった。

異なる言語で言い合いになって、

もうちょっとで身体に接触されそうになり、

傘で防衛したのも懐かしい思い出・・・じゃないっつーの。

 

地下道は暗く、じめじめしていたが、

昨年ライトアップされた写真がたくさん貼られ、

通るのが楽しくなった。

でも大雨が降るとすぐに水が溜まり、

ジャブジャブと漕いで渡る難所になる。

 

今日買い物に行ったスーパー「財大購物広場」の中。

初めは甘くブレンドされた袋入りコーヒーしかなかったが、

今ではネスカフェ・インスタントコーヒーの大瓶・小瓶が常置されている。

 

キューピーマヨネーズもズラリ!青い方は奇妙な味がするが、

赤いラベルのはパーフェクトだ。

 

今年2月に気がついたのが、この調味料の棚。

「ハウス百夢多(バーモント)」カレー」と「青芥辣」(わさび)を発見したとき、

時代がまた変化したことを感じた。

中国の若者(大学生)はカレーライスが大好きだ。

中国全体では日本のカレーライスを知らない人が圧倒的だが、

大学のスーパーは若者の嗜好を敏感につかんでいるのだろう。

 


このコーナーは4年間全く変わらない。

私はこの消費者参加型コーナーが大好きだ。

調理の仕方も分からないのに思わず買ってしまって、後悔したことも

一度や二度ではない。

 

米はボールですくって欲しいだけ袋に入れ、量ってもらう。

日本でも米はこのようにして売って欲しいものだ。

 

 

油、油、油。このような棚がもう一つある。

調味料売り場で最も場所を取っているのが油売り場だ。

私の油摂取量が飛躍的に多くなったことが、この4年の変化である。

 

野菜、果物はどんどん値上げしているとは言っても、相対的には安いものだ。

例えばコーヒーの大瓶は85元だったかする。

左の桃を10個買っても10元ちょっとだ。

野菜、果物を心置きなく食べられる生活ともお別れだ。

きれいに包まれた日本の桃は、ここ数年買ったことがない。

高すぎて買えないのだ。

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「最後の南昌八一公園日本語コーナー」2014年6月28日(土)No.932

2014-06-28 22:25:58 | 中国事情

おそらく再び訪れる機会はないかも知れない、

南昌市内八一公園の日本語コーナーに出かけた。

今にも雨が降りそうな天気だった。

途中、八一大橋辺りでバスの窓に雨粒が付き始めた。

写真は八一大橋の袂に立つ白猫・黒猫像のうちの黒猫。

言わずと知れたトウ小平の

「白い猫でも黒い猫でもねずみを取るのは良い猫だ」

に由来する。トウ小平は党内闘争で何度も失脚したが、

その期間、南昌で臥薪嘗胆の日々を過ごした時代もあったという。

 

703バスを省人民病院前で降りて大通りを環湖路に向かう。

 

環湖路には果物屋、食堂など昔ながらの店が多い。

果物の並べ方は、郊外の店と違い、たいへんきちんとしている。

 

南昌ではミニトマトは果物の仲間。右はあっさりした味の火竜果。

 

茘枝(ライチ)は今が食べ頃。南昌は果物が本当に安くて美味しい。

 

振りかけた雨が止み、散歩する老夫婦の姿も。

 

歩道の状況。湖南省長沙市との違いが分かる。

 

八一公園北入り口に到着。

手前の道路わきには、いつもの年配者グループがいつものようにいた。

 

入り口を入ると赤い横断幕。文字が薄れてきている。右端の文字は「軍」。

 

公園内の散歩道を通り・・・。

 

は~い、着きました。日語角(日本語コーナー)。

まだ10時だし、雨模様だし、学期末だしで、人数は少ない。

遠くから気づかれないようにカメラを向けたのに、

八木先生は素早く扇子で防衛。なぜ、分かったのだろう?

 

次第に人が増えてきた。

 

右の周文いくさんは授業があったのに途中で抜けて、

私と最後の別れに来たという(ほろり)。

彼女のアラレちゃん帽をちょと拝借して、いつものメンバーに被ってもらった。

 

さようなら、劉波さん。日語角の大黒柱。

 

さようなら、周さん。りんご、ありがとうね。

 

さようなら、いすゞ自動車のwakisakaさん。

中日友好の会社員。

 

さようなら、スーさん。海老餃子を「へび餃子」って言ったね。

いつまでも忘れないよ。

 

さようなら、higaさん。

きっとこれからも日語角に通い続ける人でしょう。

 

劉慧さん、まださようならは言わない。

私たちは、明後日も明々後日も会うから。

ずっと、傍で帰国の手伝いをしてくれて本当にありがとう。

 

日本語コーナーのみんな、ひとまず、さようなら。

日語角の灯火が、人から人へとバトンタッチされて

いつまでも続きますように。

 

 

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「湖南省・長沙から江西省・南昌へ」 2014年6月27日(金)No.931

2014-06-27 22:00:33 | 旅行

花火の帰りは、みんな(3人娘、中南大学3人衆、私)で

バス停のある通りまで散歩がてら歩いた。

途中の路上で屋台のおばさんが油桃を売っていた。

通り過ぎながら余立君さんが「それ、いくら?」と

いかにも買いそうもない素振りで聞くと、後ろから

「「一斤4元だよ」と返ってきた。

どんどん遠ざかりながらも余立君は、

「一斤3元でどう?」と口だけ交渉している。

さらにかなり遠ざかった後ろから、

「それでもいいわ。家に余りを持って帰りたくないから!」

と大声がすると、彼女はくるりと振り返り、

「それなら買うわ」と、15mほどの距離をとっとと引き返した。

その時の劉文潔さんの顔がたいへん印象的であった。

その顔は(余立君はね~、もう、どうしようもない人だから~)

と物語っていた。

おばさんが袋に入れてくれた10元分の油桃を、みんなで

「あれ~、これ軽すぎるわ。もうちょっと入れて」

と、さらにいくつも放り込んだ。

おばさんはモニョモニョ言っていたが、皆完全に無視状態だった。

つまり、こうだ。

屋台などでは、最初から秤を操作して割高に売りつけるのが、

中国では非常によくあることなので、客は

「袋の中身が少ない、おかしい」

と文句を言って交渉するのが、一般的なのだ。

日本では、表示されたらそのままお金を払うのが大方だろう。

とにかく中国で暮らすには、するどい観察力と、強い交渉力が必要なのである。

学生たちはそんなに若いのに、もう、その技を身に付けている。

くるくる(舌を巻く音)。

 

ホテルの下は夜中まで土曜の晩の賑わいを呈していた。

下は12時ごろの様子。

誰も帰らないでお酒を飲んだり、ぺチャクチャ喋ったりしている。

 

次の朝、路上はすっかり掃除され、朝の屋台で朝御飯を売っていた。

朝8時頃の下の様子。

大学がたくさんあるので、おのずと学生客が多い。

 

南昌に帰る日だ。

前の晩の散歩で足の裏に水ぶくれができた施芳芳さんの水を

針で穴を開けて取り除いた。

見たところ、大手術の様だ。

絆創膏が無くなったのでここまで大げさになった。

施さんのボーイフレンドが見たら、さぞ驚くであろう。

 

朝から暑い長沙。

屋台では作りながらマントウ、肉まん、シューマイなどを売っている。

作りながら売る商法はアピール力がある。

なんだか知らないけど、とても美味しそうに見えるのだ。

 

 

食べ物を見ると無意味にニコニコする余立君さん。

 

朝食後、駅に向かう班とスーパーで買い物してから駅に来る班に分かれた。

私が「お土産に湖南省・張家界の葛粉が欲しい」と言ったため、

わざわざ買いに行ってくれたのだ。

余さんと劉文潔さん(彼も一緒に南昌に行く。家族が南昌にいるので)が、

スーパー葛粉班、劉慧さん、施芳芳さん、私が一足先に駅に行き、

切符を入手する班になった。

私はいずれにしても、ただついて行くだけなんだけどさ。

 

長沙駅には銃を持つ武装警官が立っていた。

張家界駅では、パトカーの中から

「文明のマナーを守りましょう」

と呼びかけていただけだったのが、都心部に来たらこうも変わるものなのか。

南昌でも、同様に銃を持って2人の警察官が立っていたのには仰天した。

(南昌までもか・・・)と正直思った。

逮捕されたら嫌なので、写真を撮るのは控えた。

 

 

長沙ー南昌の5時間ほどの汽車の中。

急に乗務員が大声で物売りを始めたような?

いえいえ、この人は四川省のどこかとどこやらが汽車で繋がった記念の

プレゼントを乗客にくれようとしているんでした。

話芸の達者なこと、またここにも吉本の芸人が・・・、といった風情。

 

 

この人の後で、本当に物売りの乗務員が来たけど、

実に際立ってつまらない語り口の人だった。

従って、誰も買わない。


トランプやらさんざんした後、若者たちはラーメンを出した。

中国でラーメンと言えばこのブランド。

「辣」と書いてあるのはいわゆる激辛だ。

しかし、おそらく日本の激辛はここでは普通だと言われるだろう。

それくらいこの「辣」は、辛い。

そうだ、これもお土産に買って帰ろっかな。

 

へえ、フォークをこう刺して蓋を閉めるのか。

 

ああ、今回も本当におもしろい旅だった。

ありがとう、3人娘。

中南大学の3人衆。

そして、旅で出会ったたくさんの人たち。

 

そうそう、おまけで20日、我が宿舎に来てくれた

劉文潔さんの浴衣姿を披露しましょう。

ほぼ日本の落語家だ。

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「湖南省・長沙の街角スナップ」 2014年6月26日(木)No.930

2014-06-26 23:04:31 | 旅行

長沙市は南昌市と比べると、

道路はスッキリ舗装され、街路樹もどこかカッコイイ。

つまり、南昌より洗練された大都市なのだ。

しかし、横丁の市場には南昌でも見かける食材などが売られて、

中国南部の伝統的な食文化の一端が感じられる。

 

下は、一人ゆっくりと散歩する老人。

南昌でも年配の人々はこの紺色の服を制服のようにして着ている。

長沙は歩道が平坦で歩きやすい。

南昌の歩道はデコボコで、私は日本の車椅子の友人知人たちに

南昌に来てちょうだいとは遂に言えなかった。

 

下は湖南大学の鉄柵。やはり、ここにも抜け穴が。

どこの学生も考えることは同じだ。

 

 

「外で油絵を描いている人を生まれて初めて見ました」

と言う劉慧さんは江西省景徳鎮出身。

南昌市内では、路上でさかさまに文字を書く技を披露する人は

よく見かけるが、確かに油絵は見たことないな。

 

さて、見るだけでもワクワクする市場に来た。

日本では見かけない物もたくさんある。

 

なぜ中国の庶民のおじさんたちはお腹を見せたがるのか。

日本のおじさんは腹巻で隠すのに。

 

南方風うちわ。右のが5元、左が10元。

私はお金もないのに10元のを買ってしまった。

 

右の土色の生き物は蛙。食用である。

 

こちらも蛙。種類が違うような同じような・・・。

 

うわーい、ザリガニだーい!って、これも食用である。

 

すっぽん。どこで捕獲されたのだろう。

 

俵状の包みの中に鶏の肉が入っているそうだ。

 

油の瓶が半端じゃない大きさ。

これは全中国共通なのだろうか。もちろん南昌もこのサイズがスーパーに

ゴロゴロ置かれている。

「こういう油は気をつけないと品質が悪いことが多いです」

と、3人が口々に言う。

よく、中国人はブランド好きだと言われるが、

それには根拠がある。

ブランド商品は品質を信頼して買うことができるからである。

つまり、それ以外はどうしようもない商品があまりにも多いのである。

油では金魚印とかがブランドものと聞いて、ずっと私もそれを買うようにしてきた。

 

 

花咲く街角。前を行くのは中南大学の劉文潔さんたち。

 

実はこの中南大学の3人が、夕食をご馳走してくれたのである。

学生に奢って貰うとはちょっと情けないが、

彼らはかたくなに割り勘を拒否するのである。

生野菜のドレッシング和えが出てきたりして、

料理もどこか南昌とは違う。

右端が余劉君さんの古くからの友人、劉文潔さん。

英語6級試験受験後、駆けつけてくれた。

 

おいしい会食。お酒がないのが清々しい。

日本についての話題はやっぱりアニメ。「NARUTO」が大好きだと言う3人。

 

食後はタクシーで河岸の花火を見に連れて行ってくれた。

長沙市では、雨天以外の毎週土曜日に花火を打ち上げているという。

どんだけ金持ちなんだー!

打ち上げ時間は約1時間。人々は浴衣こそ着ていないが、

淀川花火大会とほぼ同じノリで、屋台もたくさん出ている。

湖南省名物臭豆腐(おいしいよ!)を食べながら、孔明灯を上げたりして、

長沙の人々は週末の花火で楽しんでいた。

 

アメリカのシアトルの花火はBGMつきで、非常にうるさい感じだったが、

ここ長沙では静かに上がり、人々が「おおー!」「きれいー!」と歓声をあげるだけだ。

アジア共通の感性かな?

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「中国の郵便局から日本に荷物発送」2014年6月25日(水)No.929

2014-06-25 22:54:21 | 中国事情

4年間、日本からの荷物を受け取りに行くだけだった

財大蛟橋園傍の下露郵便局だが、今回初めて日本へ荷物を発送した。

以前、人に聞いた情報では、

いったん荷物を段ボール箱から全部出されてチェックを受けるので、

きちんと入れても意味がないとのこと。

そして、船便で送るということは、

道中どんな酷い目に遭うか分からないので、段ボール箱だけでは心配だから

物品をビニール袋に入れた後にダンボールに入れるのが安心だということで、

八木先生が巨大ビニール袋をたくさん持ってきてくださった。

 

午後1時、まず宿舎の私物で次の日本人の先生に使ってもらえそうなものを

陶先生の車で麦蘆園まで運び、取って返して、

蛟橋園宿舎の荷物を下露郵便局まで運んだ。

午後1時登場の陶先生、八木先生に加えて、

途中麦蘆園資料室から4年劉慧さん、

そして、その後の宿舎からは何と4年陳小雲さんが加わり、

総勢5名の大部隊となった。

そして、私の荷物は12個にも膨れ上がった。

荷造りする前は劉慧さんと私の二人で運ぼうかな、なんて考えていたことの

なんと甘いことかが、積み上げられたダンボールを見て分かった。

今日手伝ってくださった二人の先生方、

人が困ったときにフッと現れる陳小雲さん、

そして、この間ずっと私のすぐ傍で一つひとつの作業を

きっちりやってくれている劉慧さんには、本当に感謝、ひたすら感謝である。

 

下露郵便局の入り口(下に子どもの落書きがある)。

18:00までと書いてあるが、今は昼休みなしにぶっ続け営業して、

17:00時までになった。

荷物は16:00までに持ち込んでほしいとのこと。

 

突然登場して手伝ってくれた陳小雲さん(私は陳さんが既に南昌にはいないと思い込んでいた)。

 

ここに至るまでに、個々12枚の票にあれこれ書かねばならず、

ボールペンを人数分持参して皆でてきぱき書き込んだ。

中国の住所は漢字ばかり、しかも大変長い。

我が娘は日本からこちらに荷物を送るとき、住所を書くのに、

あまりに文字数が多くて手の筋がつったと言う。

(今までの人生であまり漢字を書いてこなかったからだろう)

 

左から八木先生、劉慧さん、陶萍先生。

受け付けてくれるのをひたすら待っている。

「受け付ける」とは中身を確認し、箱を梱包することである。

陳小雲さんは、どこへ行ったかと思ったら、

このとき、みんなのために飲み物を買いに行っていたのであった。

天性の気配り才能。私は一生かかってもそういうことはできない。

 

現在、ここの職員の客への応対態度はとてもいい。

4年前は、はっきり言って無愛想で偉そうだった。

(下の写真の職員さんたちではなかったと思う)。

4年間で中国的に言えば「文明的マナー」が隅々まで行き渡ったのか、と

感心していたら劉慧さんが、

「麦蘆園の郵便局員は不親切で、ときどき客とけんかします」

とのこと。下露郵便局は海外へ発送できるが、麦蘆郵便局はできない。

下露郵便局はインターナショナルなのである。

(今日、偶然、東華理工大学の村岡先生も荷物を持ってきていた。

ということは、この近辺ではこの郵便局だけからしか海外発送できないのだ。

私の宿舎から徒歩5分の下露郵便局がそんな郵便局だったとは

今まで全く気がつかなかった)

 

他の人の荷物はダンボール箱より、袋に入ったものが多い。

 

袋に直接、住所が書き込んである。これは国内便だけだろう。

 

受付は少しずつ進展する。一度に12個受け付けず、

後から来た1個だけの人などを優先するからだ。

結局4時前から5時まで待った。

それでも、荷物の中身にクレームがつくわけでもなく、

一応スムーズにことが運んでいるのだから、不服は言えない。

4時以降も客が次々来るので、職員さんたちの中から、

「ああ、今日は定刻通りに帰れないわ」

という声があがった。

 

とにかく、大仕事が一つ片付いた。ありがたい。

外に出ると、昼間は全然なかった出店がいつの間にか一斉に並んでいた。

 

宿舎で一休みした後、皆で蛟橋キャンパス傍の四川料理のレストランで

夕食を食べた。

魚の鍋物が大変おいしかった。一日の終わりに感謝。

 

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「帰国の荷造り」 2014年6月24日(火)No.928

2014-06-24 22:52:34 | 日記

7月初めにここを引き払って大阪へ帰るので今週はその準備に当てる。

4年間でたくさん物が溜まった。

次の先生が使えそうなものは一時麦蘆園の資料室に保管しておくことにする。

電気ストーブ、プリンター、電気毛布、扇風機、CDラジカセなど。

しかし、CDラジカセと扇風機はぎりぎりまで私が使用するので、

この宿舎に置いていくことになる。

どうぞ取られませんように・・・。

以前、夏休みに3階の部屋まで泥棒が入ったのでねえ。

下は明日、陶先生が車で麦蘆園まで運んでくれるもんセット。

 

折り返し、宿舎に引き返し、本部キャンパス傍の郵便局から

船便で発送する荷物が結構ある。

日本から送った荷物のダンボール箱を取っておいてよかった。

箱の弱っているところを補強する作業に結構時間を取られたが、

一日かけてだいたいまとまった。

 

4年前、愉美子さんが持たせてくれたお香が、

なんと、まだ数本残っていた。香を焚いて作業するといい感じ。

 

今日のBGMはこれだ。

入っている曲のほぼ全てが好きなのばかり。

大阪に同じのがあるので誰かにプレゼントしてあげたいが、

こういう声が好きな人、南昌にいるかな。

学生は、まず聞かないだろう。

 

先週木曜日の送別会でいただいた花がほぼ限界だ。

毎日茎を切るので、こんなに小さくなった。

せめて明日一日元気でいてね。

 

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「長沙市・中南大学の学生たちはスゴイ!」2014年6月23日(月)No.927

2014-06-23 20:35:46 | 旅行

13日夕方7時、張家界から汽車で長沙に向かった。

余立君さんが気を使って私だけ寝台車を予約し、

自分たち3人は翌朝6時に長沙に到着するまで椅子席で過ごした。

張家界に行くときもそうだった。

どんなに狭くても、最上階ベッドであっても、

そして夜10時半まで、天井からラジオ放送が大音響で流れていても、

やはり寝台車は身体が休まる。

劉慧さん、余立君さんが自分たちの座席からやって来て、

私が最上階のベッドなのを心配し、一番下のベッドと交代してもらうと

何度も言うのを、私は断った。

値段だって最上階は安いのだ。納得しなきゃ。

一般的に中国の若者たちは年配者に対して、とても気を使う。

儒教の伝統が生きているのだろう。

バスの席も日本に比べてよく譲る。

しかし、時々思うのだが、子どもに対して過保護なのと同様、

年配者にも過度に世話をする傾向を感じるのは私だけだろうか。

(これはまた別の日に書くことにする)。

 

早朝6時、長沙に着いた。

うわーい、長沙だ、長沙だ!と訳もなくワクワクする。

 

ホテルに到着し、荷物を置いて一休みしていたら、

長沙の中南大学3年生の劉文潔さん(余さんの中学・高校の同級生)が

訪ねてきた。

何と、その日の午後は英語6級試験(中国独自の試験)を受けるのに、

午前中だけでも私たちを案内すると言う。

ああ、何といい人なんだ。

(そう言えば施芳芳さんは、

私との最後の旅行になるだろうから、と言って

お金を払って受験申し込みしていた英語6級試験を受けずに、

この旅行をともにしているのである。みんなっ、いい子過ぎるぞ~)

 

劉文潔さんがまず、私たちを案内したのはここである。

自転車がとても多いのは江西財経大学と違うところだが、

ここは中南大学の図書館である(数年前に立ったばかりらしい)。

中もたいへん近代的で、江財大とはエライ違いだった。

図書館職員は専門の図書館学を学んだり、

海外留学経験がある人しか採用されないと聞いて、びっくり。

江財大は、大きな声では言えないが~!

博士の連れ合いとか、家族とか、共産党員だとか、

つまり縁故(コネ)就職ばかりだと聞いている。

4年前、私が初めて麦蘆園の図書館に入って、まず驚いたのが、

2階の入り口右側カウンターの職員がエアコンがかかっている中で、

平気でタバコをふかしていたこと、

そのうち「ウェイ?」とか言って電話でしゃべりだし、

それが生半可な声の大きさではなかったこと、

その話は最低20分は続いたことなどであった。

・・・・・・・・・

中南大学は湖南省のトップレベルの大学だとのこと。

学生たちはどんなだろう、と見れば・・・

あわわ、席、満員だわ。

この階も。

また、この階も。

試験が間近なので、座席確保は至難の業だという。

D区はコンピューター・ラボラトリーだが、コンピューターではなく、

ただ座席目当ての学生も多いとのこと。

外に出ると、卒業生がお馴染みの服装で記念撮影をしていた。

 

中国の大学ではごく普通の光景。

 

あれ?ここは食堂のはずだが?

そう、図書館からあぶれた人々が食堂で勉強しているのである。

日本の大学生たち、ここまで頑張っているかなあ。

これを見ると、中国の将来は明るいのが分かる。

 

さて、図書館のあるキャンパスを離れて、

劉文潔さんの寮のあるキャンパスの食堂にバスで移動。

この移動に自転車が便利なのだ。

バス停で見かけた自転車でリヤカーの荷物を運ぶ人。

廃品回収業の人だという。

大阪でもたくさんの空き缶を自転車に積んで運ぶ人がいるが、

リヤカーを取り付けると積載量がこのように一気に増える。

 

こちらの食堂は、もう昼食時間帯の終わりで、閑散としていた。

注目してほしいのは、テーブルと椅子だ。

落ち着いてご飯を食べようという気になる木目入りテーブルと、

しっかりした本当の椅子だ。

江財大の第一食堂の1階の椅子はけばけばしい色の四角いプラスチックだ。

背もたれもない。

ここで、私はシミジミ(ああ、江西省は本当に貧乏な省なんだなあ)と感じた。

 

午後の試験を受ける劉文潔さんといったん別れ、

夕方の再会を約束して別行動に移った。

通りには、毛沢東の巨大な像が立っていた。

しかし、地元の人は見慣れすぎているのだろう。

気にして立ち止まるのは私たちのような観光客だけだった。

(続く)

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「張家界最後の森は○○だらけ」 2014年6月22日(日)No.926

2014-06-22 20:16:19 | 旅行

さて、旅行の話に戻る。

6月13日、哀しい労働馬と毒蛇を見た後、私たちは最後の森の散歩に出かけた。

北京からの瞬発力ある夫婦は、残念なことに持続力がないので、

森の入り口で「私ら、下で待っているから~」と、別れた。

こういう見晴らしのいいところも、多いが、

前日、前々日と違って、主に森そのものを楽しむコースだった。

私の最も好きなパターンだ。

 

張家界だけに生息する松が鬱蒼と茂る。

 

根もまるで動く生き物のよう。

 

目の前にブラブラぶら下がるものが・・・・・・。

 

ああ、またお猿さんだ。おなかに子どもが張り付いている。

 

観光客は大喜びで、餌を与えたりしている。

 

人間がそういうことをするから、こういうことになる。

顔で笑って心で怖がる施芳芳さん。

 

下は人間の持ち物を、食べ物かどうか鋭くチェックする猿。

もはや世界自然遺産の地に生息する動物と言うより、サル山の猿だ。

 

森を抜けて、安心とともに脱力する施芳芳さん。

 

余立君さんが、

「もし、あの北京の夫婦なら、どんなに食べ物を持っていても

猿に襲われたりしないだろう」

と冷静に分析した。

 

麓の平地で待っていた夫婦はとても元気。

そして写真という手段で愛を表現する。

さあ、明日は湖南省の省都、長沙だ。

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「日本から漂ってくる果てしなく低レベルなムード」2014年6月21日(土)No.925

2014-06-21 15:18:17 | 日記

今日も夕方から送別会だ。

(ヤレ、いそがし)と浮かれている間にも、

日々、日本からイヤなニュースばかり届けられる。


特別なサイトを見ているのではない、

yahooのポータルサイトで目に飛び込んでくるものばかりだ。

yahoo.jpはサンケイ系のニュースが多いのが特徴だが(提携しているので)、

あの極端な国粋主義的サンケイを持ってしても美化しきれない出来事の数々が

ネット画面から滲み出てくること夥しい。


1つ例を挙げれば、

6月18日、東京都議会で「妊娠・出産」について質問中の女性議員に対し、

自民党議員団の中から

「早く結婚しろ」「産めないのか」と言った

明らかに女性差別である野次が飛んだこと。

しかも、それが誰であるのか現在分かっていない。

なぜなら、言った本人(男性議員であることは明白)が、

こそこそ隠れていて名乗り出ず、

当然、謝罪もしていないという、日本の潔い伝統的美意識と鼓舞される

「武士道精神」からは考えられない事態であるからだ。

この事件は日本だけで隠しおおせず、

既に海外でも、このあまりにも低レベル議員発言が

報道され拡散している。

――――――――――――――――

The Guardian

 

 

The Wall Street Journal

 

 

NDTV (インド)

CNN

 

Channel NewsAsia

中国で私がよく聞く「日本人は、○○ですね」の○○は、

「勤勉」「真面目」「優秀な素質」「思い遣りがある」「マナーがいい」など、

いずれも褒め言葉ばかりだ。

今、私は中国の人々に何と言って答えたらいいのか、脂汗が出てくる。

日本の男性政治家たちに酷い女性差別意識があることは、

1年前の橋下徹大阪市長発言(まだ彼は大阪市長やっているのか?)、

石原慎太郎というろくでなしのレイシスト・セクシストによる

数々の発言と相まって、

もう、どうしようもない勢いで、

世界中に拡散しているのである。

 

 

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「いつまでも愛してる…それはこっちの台詞だ」2014年6月20日(金)No.924

2014-06-20 22:22:24 | 日記

昨日、江財大日本語学科の学生たち・先生方が

私のために送別会を開いてくれた。

親は死ななければならない。

教師はやめなければならない。

北山修の名言だ。

親が死んだときには、涙がたくさん出た。

心に大穴が開いた。

その後、ある時ふと私は北山修氏の言葉が腑に落ちた。

 

私のための送別会の日、

前日の夜中までかかって準備をしてくれていた

3年の朱聡さん、2年の優慧斌さんたちが、

湿っぽくならず、楽しいムードを盛り上げてくれた。

私は他人のことでは涙もろいが、自分のことでは滅多に泣かない。

自分の送別会で泣くことなど考えられない。

しかし、「先生、目を閉じてください」と言われ、

「はい、いいです。」で目の前に横断幕がバーンと広げられ、

それを持つ学生たちの顔、それを取り巻いて私を見るみんなの顔を見ると、

ぐっと奥歯をかみ締める必要があった。

『先生、いつまでも愛してる』

 

「おいおい、そりゃこっちの台詞だよ。

私こそ、みんなをいつまでも愛し続けていくんだ。」

宿舎に戻って、もらった横断幕を広げ、一人ひとりの名前を見ながら、

そうつぶやいた。

「愛してる」なんて日本では滅多に使わない言葉。

でも、中国では自然に言える。

 

ありがとう。

さようなら、みんな。

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「張家界最後の日ー森林公園へ行く道ー」2014年6月18日(水)No. 923

2014-06-19 00:03:27 | 中国事情

張家界3日目は森林公園を見学し、

夕方、張家界駅から長沙へ向かう予定だ。

森特有の澄んだ空気に包まれるのもこの日で終わりだ。

朝、例によって瞬発力ある北京夫婦は早起きして私たちを下で待っていた。

 

荷物は駅に運んでもらい、私たちは森林公園に向けて、出発!

宿舎を出てまもなく水田が広がり、遠くに牛がいた。

牛がいるとなると、当然こういうのも・・・・・・。

江財大卒業生の劉思ていさんなら一目で分かる黄牛の糞だ。

道路わきにちょこんとお供えしてあった。

 

劉慧さんが、気を取り直して民家のくちなしの香りを楽しむ。

 

壁に「子どもと痴呆の人は火遊びするべからず」

と書いてあった。(その他の人はしていいのか?)とついいつもの癖が出る。

 

村の家は押しなべて立派に建て替えられている。

「新農村」運動の成果であり、観光業で潤っているためでもあろう。

ガイドの熊(XIONG)さんに関係ない家の前に立ってもらった。

 

いよいよ森のモノレール乗り場に向かう。

すると、観光客用の散歩道の脇で鋭く叱る声が・・・。

女性が鞭で石と泥に苦戦する馬をピシパシ叩きながら前進させているのだ。

「足元がお悪い中をようこそお越しくださいました」

という言葉があるが、馬は本当に足元が悪くて足がブルブル震えている。

見ているほうも辛い。

こちら(観光客)側はおしゃれに整備された道路、

片や、労働するものたちの使う道はこれだ。

 

あれこれ思いが頭をよぎり始めたとき、人々が上を見て騒ぎ出した。

木に猿がいた。

 

今度は、道路わきできれいな赤いくちばしの鳥が、何かをつついている。

 

近づくと、なんと蛇だ。弱っているがまだ動いている。

熊さんが、すかさず大きい石を何度も蛇にぶつけて殺した。

(そこまでするのか)と思ったら、

これは毒蛇だから絶対生かしてはおけないとのこと。

私はこの年になってもいろんなことが分かっていない。


さあ、最後の張家界の森はどんなだろう。

というところで、次につづく。

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「張家界の人々と植物」2014年6月17日(火)No.922

2014-06-17 22:50:15 | 中国事情

張家界二日目は天子山に行った。

この日、同じ宿舎に泊まった北京からの若夫婦も一緒に出かけた。

天子山は前日の武陵山よりなだらかで整備された道が続き、

まあ楽なコースだったのだが、前日の筋肉疲労でふくらはぎが痛かった。

遠くの景色もほぼ同じに見え出し、

足元の草などに気が向いた。

ふるさと北海道の草ととてもよく似ている。

 

 

 

蕗は微妙に違う。茎の筋がはっきりしていないのだ。

 

ジャーン!三つ葉まであった!!

土屋族の人々がこれを料理に使っていることが、翌日の夕食で分かった。

南昌では一度も見たことがない。

 

瞬発力のある北京からの若夫婦を先頭に、

午前中の天子山散歩を楽しむ我が一行。

 

どうして中国の人々は、写真を撮るのにこのように熱心なのだろうか。

これは北京の若夫婦。

 

賀竜という人は、山賊出身の革命家なので、

この山に記念碑が建っている。

 

整備されていない道をガイドさんは『山賊の道』と言った。

山賊道は土がフワフワして足に優しい。

前を歩くのは施芳芳さん。

 

途中の見晴らし台に写真撮りの商売をする人がいた。

私が3人娘と日本語でペチャクチャ話していると「韓国人か?」と聞く。

日本人だと言うと「勇気がある日本人だね」とのこと。

なぜかと問えば、彼が今まで見た日本人は団体客ばかりで、

皆、目がビクビクしていたと言う。『ビクビク』と言ったとき、

彼は目で真似をして見せた。

その表情を解説すると、

『ビクビクした』というより「警戒心を持った」とか、「信用しない」という表現が

適切かも知れない。韓国人や中国人観光客は、

日本人から見れば傍若無人に思えることもあるが、

少なくともエンジョイしていることは一目瞭然である。

日本人が、観光地でまで警戒しているように見えるのはどういうわけか。

・・・・・・・・・。

そういうわけで、私は彼の日本人へのイメージを変えるために

愛想良く手を振り、「さよーならー」とか言ったりして別れたのだった。

 

午後、北京の夫婦は一人は心臓が悪く、もう一人は足が痛くて、

「八百階段コース」をパスした。

そもそも、張家界に来たのが間違っていたと二人は言う。

私もできたらパスしたかったが、

ここで引き下がったら何のために張家界に来たのか訳わからん。

年寄りの冷や水と言われても行くしかない。

 

下は軽やかな表情で階段を上る余立君さん

(しかし、実は彼女も既に「足痛~い」と愚痴を言っていたのである)。

 

下を見てビクつく劉慧さん。

 

 

足元の鉄網の下は深い峡谷だからね。

 

ここで、北京航空大学の先生が落ちて死んだので、この鉄網が張られたと言う。

・・・・・・・・・

 

そんなにまでして見たかったのか、この景色を。

 

八百階段の入り口にお店屋さんがあって、

食べ物好きの余立君さんが吸い寄せられていった。

これはいったい何だと思う?南瓜じゃないよ。

 

山奥の岩の下に巣を作る大きな蜂の蜜だという。

完全防備で取らないと大変な目に遭う。

 

この若いお店屋さんの雄弁なこと、

大阪の吉本のスターにもなれるのでは、と思った。

宿舎のオーナーと言い、ガイドさんと言い、土屋族の人々は

有能で雄弁だ(といっても3人しか知らないけど)。

 

 「このような秤を使う売り手はよくごまかします」

と、余立君さん。日本人は言われたらすぐに何でも信じる傾向があるが、

中国で暮らしていると、表面の数字やらを鵜呑みにしては生きていけない。

したがって、人間力がおのずと発達するのである。

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「少数民族・土屋族の人々」2014年6月16日(月)No.921

2014-06-16 21:46:34 | 中国事情

湖南省張家界付近には約120万人の土屋族(Tujiaーzu)が暮らしており、

その数は中国全土430万人の土屋族の4分の1強にあたると、

宿舎のオーナーは説明した。 

しかし、wikipediaによれば全中国835万人(2010.11月調べ)となっており、

落差が激しい。

それはともかく、土屋族の人々はこんな切り立った断崖絶壁の山々で、

どうやって暮らしていたのだろうか。

1982年に世界自然遺産に指定されるまで、

地元の人々は、狩猟と農業で自給自足的生活を送っていたそうだ。

森には猪、猿がたくさん生息する。

観光客の餌を目当てに猿はどんどん人間に接近してくる。

看板には「猿に餌を与えないでください」と書いてあるのに、

多くの人々は、それを無視して、ときには、アイスキャンデーなどまで

与えている。どうしようもない。


土屋族の代表料理の一つが下の写真で、

干し肉を戻したものと豆腐、野菜などを炒めている。

唐辛子は江西省以上にふんだんに使われている。

これは「辛くしないでね」と注文したもの。

 

これがその干し肉。表面は黴が生えているが、洗うので大丈夫なのだろう。

 

我が3人娘に囲まれているのは、張家界きっての名ガイド、熊(Xiong)さん。

土屋族の人々はみんなこのような顔をしているのかといえば、

NO!である。熊さんはガイドで毎日山々を歩き回っているので、

無駄な肉がなく、敏捷な人である。

 

かたや宿舎のオーナーは丸顔で、日本のタレントの誰かに似ている。

チェックのシャツを着て、宿泊客に張家界の歩き方の説明をしている人。

食卓には朝食のお粥とマントウ、漬け物が並んでいる。

食事は、外の吹き抜きでする。

 

張家界の山々には、以前、山賊が跳梁跋扈し、

麓の住民を襲っては金品を奪い、また、若い女性をさらって自分の妻にした。

それを恐れて、若い娘は四六時中家の中に閉じこもって暮らしていたそうだ。

土屋少数民族の貸し衣装屋さんに、他にはないこういうのがあった。

黒装束は山賊役、美しい衣装は麓の娘役で、

中国人観光客が演技を楽しんでいた。こういうところは大阪的か?

 

 

峡谷に「ヤッホー!」「日本、大好きー!」

などと、叫んでこだまが返るのを楽しんでいたら、

ガイドの熊さんが、

「山賊は出て行けー!」

と叫んだので、山賊との戦いは土屋族の人々にとって

かなり死活問題だったのだなあ、と思った。

 

最後に、我が3人娘が土屋族の民族衣装で撮影。

写真を撮ってくれて20元だった。

3人とも最初は「似合わないから~」とか言って、

尻込みしていたが、いざ着てみると、みんなとても素敵なお嬢さんに

変身した。昔だったら、すぐ山賊に誘拐されたであろう。

↓劉慧さん。

 

↓余立君さん。

 

↓施芳芳さん。

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「湖南省張家界・長沙に行ってきた1」2014年6月15日(日)No.920

2014-06-15 21:43:59 | 中国事情

湖南省とは江西省の西隣の内陸の省だが、

省都は長沙で、長沙は「中国の4代火鍋」を南昌と争う都市であること、

そして、湖南省は毛沢東の出身地であることくらいしか私は知らなかった。


今回、3年生の余立君さん、施芳芳さん、そして4年生の劉慧さんの3人に

案内してもらって未知の内陸省の一端を覗かせてもらいに行ってきた。

張家界は長沙から急行列車で11時間ほどさらに内陸に入ったところにあった。

汽車の駅を降り立つと、警察署の自動車から何やら録音の声が聞こえる。

聞くと、「社会的マナーを守ること、つばを吐き散らかさないこと、

ゴミを道路に捨てないこと」などと言っているそうだ。

そこからバスに乗り、約1時間で張家界のふもとの宿舎に到着。

早速午後にガイドさんに連れられて、張家界の一つ、武陵山に向かった。

ロープウェイでのぼり、下りは徒歩だという。

(へえ?歩かないの?)と思ったが、

後になってみると、歩いて登るなどとんでもないことだった。

だって、こんな山なんである。

 

あわわ。誰がこんな山を想像できたであろうか。

 

ガイドさんの話によると、

このロープ・ウェイはタイ人の技術者、労働者によって作られ、

昨年から運行しているそうだ。

それまでは50人乗りのバスみたいなロープウェイだったと聞いて、

(今年来て本当に良かった)と思った。

 

ロープウェイから下を見た。

下りには自分がこの森のどこかを歩いて降りるとは信じがたい。

 

山の上にはいくつもの見晴らしのいいところがあり、

64歳のガイドさんが軽やかな足取りでサッサと前を行く。

しかし、難所っぽいところになると、

「自分はここで待っているから、

あんたたち自分でぐるっと回ってここに戻っておいで」などと言うのである。

 

しかたなく、狭い急な石段を上ったり降りたり、

私たちは奮闘した。

 

こんな場所もあった。

 

へっぴり腰で渡る余立君さん。

もちろん、その後の全員も同じようにギクシャク固まりながら続いた。

 

柵の下はこれこのように怖いんである。

 

心を落ち着けようと上を見ると、サツキかな?と思える花があった。

 

 

そのように苦労して数時間後、午後7時頃ようやくふもとに戻れた。

人の生活が感じられてほっとする。

 

家の脇には鶏が放し飼いにされ、ひよこが何羽もピヨピヨ散歩していたが、

私たちの気配を感じてお母さんの胸元に避難してしまった。

 

今回の旅行仲間はこの3人のレディたち。

右から劉慧さん、施芳芳さん、余立君さん。

道中のエピソードは明日以降のお楽しみに~。

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