毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

もう御土産の心配   2011年1月26日(水) No.56

2011-01-26 13:05:09 | 中国事情
 早いものだ。もう大阪に戻って10日経ってしまった。
中国から帰る時には、学生と張り合って日本の友人たちや隣人にお土産を買い込んだのだが、そのお土産をまだ友人に渡してもいないのに、もう中国のあの人この人への土産が気になる。

 先日はユニクロのヒートテックを求めて西宮北口の「西宮ガーデンズ」に行ってきた。友人が「2階の奥にあるで~。」と教えてくれたのだが、行ってみたらユニクロじゃなくてイズミヤがあった。焦る必要は全くない。今日も明日もあさっても休みなのだ。ブラブラ中を見てみた。
 (あ、シンペイ老師のお嬢ちゃんにこれどうかな?)とあれこれ目移りしながら品物の説明書きを見ると、ホンマに油断大敵!キティーちゃん関係はほとんど「メイド イン チャイナ」なんであ~る!!
 しかしよく見ると、その「メイド イン チャイナ」でも2種類ある。
1つは、ただの「メイド イン チャイナ」、もう1つは「日本限定販売のメイド イン チャイナ」だ。日本限定販売の「メイド イン チャイナ」は、キティーの顔が崩れていない。もう一方のキティーは表情が微妙に間延びしているのがある。
 中国製品だと言っても、中国国内で出回っていないものがたくさんあることは現地で分かった。外国向けの製品が中国国内向けに比べ精巧に作られているという事情も。キティーグッズもその一つなのだろう。こんなのを中国の人にお土産で買って行ったら、その人はどう思うだろう。
 中国人が作り、中国人に還元する製品は粗悪な安物で、外国向けは高級品。それなのに、その高級品が外国で「質の悪い中国製品ボイコット」と言われ、焼き捨てられているニュースを見た、と学生の一人が言っていたことがある。「中国ではその靴はほんとに高級品で、何百元もするものだったんです。」と。
 また別の学生は「南昌市内の外国人向けレストランに、日本人老師が連れて行ってくれた。その時、私が中国人と分かったら、従業員(中国人)の態度が急に悪くなった。これが中国の現実です。」と言う。
 
 お土産一つ買うのでも、中国の若者たちの悔しさが伝わってくる。
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タバコくさい大阪のネットカフェから  2011年1月19日(水)No.55

2011-01-19 16:09:39 | 日記
 うう~、頭痛い。
1時間ほど前からここ大阪淀川区十三のネットカフェで、メールチェックしたり返事書いたりしているうちに、タバコの臭いでどんどん頭痛がしてきた。

 でも取りあえず、日本でもブログに書き込めるということが分かり、やれ嬉し!
日本は便利だなあ。便利すぎるくらいだ(複雑な気持ち…)。
 南昌の学生の一人は、
「パソコンを家に持って帰ってもインターネットにつなげないからもって帰らない。かと言って寮に置きっぱなしだと盗られるから、南昌市内の知人の家に預けて帰る。」と言っていた。

 日本は今大寒だといっても、我が家は南昌の宿舎に比べ、外と内の違いがはっきりしていて、コートを着っぱなしじゃなくてもほかほかだ。ごく近い隣の国なのに、いろいろなことが違う。

今日はとりあえず、ブログに書き込めたという足跡を残すことが最大の目的だったので、あれこれ書かんとこ。
また数日間、日中のあれこれを考えることにして・・・。
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パソコンを持たず故郷に向かう学生たち   2011/01/15(土)  No.54

2011-01-15 14:35:16 | 中国事情
 昨日採点した結果を持って、日本語学科がある麦廬園キャンパスの事務所に届けてきた。
あちこちにキャリーバッグを引きずって歩く学生が目立った。3年生は副専攻の試験が20日まであるが、2年、1年は昨日で全て終わり、今日帰る子がたくさんいる。とにかく一刻も早く帰りたいのだろう。{

 パソコンはどうするのか聞くと、何人もが置いて帰るとのこと。持って帰ってもインターネットが使えないと言う。
 少しずつ、中国全土とは言わないが、ここのインターネットの様子がイメージできるようになってきた。私の勤務する大学では、大学が管理するネットワークがあり、職員も学生もみんなそのネットワークの許可の下でインターネットを使うことができる。私は職員なので無料だが、学生は有料だそうだ。
 つまり、日本国内のように、プロバイダー(サーバー?)というものが存在しないので、各地域や学校などがサーバー的な役目を果たして、そこに属する者たちがインターネット接続できるようになっているということだろう。
 浙江省出身の“パソコンの神様”郭君は、「浙江省の家のネットワークに比べて、この大学のは、ダウンロードに時間がかかり、接続のトラブルも多い。払うお金は同じなのに性能が悪い。」と文句を言っていた。
 パソコンの普及がめざましい中国だが、農村地帯にはネットワークというものが無いので、インターネットに接続できず、メールのやりとりもできないと農村出身の子が言っていた。
もう少し、正確に詳しくその辺の事情を知りたいものだ。全中国にインターネット網が張り巡らされているのかと思ったら違うのかあ、ということだけは分かった。

 さらに、QQという全中国を網羅するコミュニケーションサイト(SKYPE的なもの、メール、チャット、ネットショップ、検索e.t.c.めちゃくちゃ便利みたい)も、その全体像や世界との関係はどうなのか、この機械音痴な頭にもだんだん分かっていくのだろうか。来学期以降の課題としたい…。

 さて、実はわたしも今回パソコンは持たずに帰国する。街角にある「ネットカフェ」は安く寝泊まりするためだけのものではないはずなので、この冬休みは「ネットカフェを使いこなそう!」が私の目標だ。
このブログも、週に一回ぐらいは書き込めたらいいなと思ってはいるが、どうなることか…。
取りあえず、2月15日まではこのブログも冬休みということで~~。
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一学期が終わった!    2011/01/14(金)  No.53

2011-01-14 22:02:18 | 中国事情
 今日、私の受け持つ科目の最後の試験が終わった。個人的には好きな「日本文学」だ。3時間半かけて一気に採点した。
日本文学と言っても、日本語を学び始めて2年半の日本語学科の学生に出す問題は、「芥川文学の特徴を詳しく述べよ」みたいなのは無理だ。読解問題は、日本語能力試験L1問題のレベルよりちょっとむずかしいかもしれない、例えば「文中から“傍観者の利己主義”の具体例を探して書きなさい。」とか「文中の“それ”は何を指していますか。」といった問題を出した。他には、語彙、漢字、短作文、知識を問う問題など。

 大学の方針で、私は3種類の試験を作った。教科書以外からも、自分の嗜好性を加味して問題を作ったので、そのどれが採用されたかちょっとワクワクした。
見ると短歌は、
「列車にて遠く見ている向日葵は少年の振る帽子のごとし」(寺山修司)
「いちはつの花咲き出でて我が目には今年ばかりの春ゆかんとす」(正岡子規)
の問題が出ていた。
学生達は非常によく勉強しており、作者を問う問題で寺山修司を間違った子は37人中1人、正岡子規は全員正解だった。念を押すが、学生は日本人ではない、全員中国人だ。内心(スゴイ!)と舌をまいた。
ひたすら覚え込む受験勉強的な問題は、彼らの得意とするところだ。
将来、彼らが日本人と話をしたとき「寺山修司の作品はね~」とか話題になれば楽しいのだが。あ、日本人の方が分からんかも…。

 どれだけ一生懸命勉強したんだろうと感心する一方、今日もまた、採点しながら(こんな風に教えた覚えはないのだが…)という解答に出くわした。
この学期末試験以前に、私は何回もミニテストをした。問いにどう答えるか、例をあげて説明もした。問いが「そうすることとはどうすることですか。」と聞いていたら、答案には「○○すること」と「こと」もきちんと書きなさい、と言った。
 今日、「密林を白く染めているのは何ですか。」という問いに、「雨ということ」などと答えている子がいた。…ため息が出た。さらに「雨だ。」と高飛車な解答が数名あり、(威張るな!)と怒鳴りつけたくなった。最近「だ・である体」を習ったばかりなので、良いと思って意識的に書いたのだろう。

 何でも、失敗して失敗して少しずつ上手になる。やっている者達は真剣だ。でも端から見ていると、ときに可笑し過ぎて涙が出ることもある。
「私は優(やさ)しい女の人が好きです。」と言うつもりで「私はやすい女の人が好きです。」と言ってしまった羅君。
「今回は作文を縦書きしてください。」と言うと、作文用紙は横用の向きのまま、文字だけ縦に書いた劉さん。
尊敬の念を込めて「お前はお元気ですか。」と書いた呂さん。

みんな、ありがとう!めっちゃわらかしてくれて~~!

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楽しい日本気象協会の天気予報     2011/01/13(木) No.52

2011-01-13 18:13:31 | 中国事情
 インターネットで、南昌でも日本に居るときとほとんど変わらない情報が得られる。
私の毎日の楽しみは、日本気象協会の天気予報だ。
折れ線グラフで、一週間の気温の推移を日本各地と南昌とで比較すると、例えば札幌や仙台は常に南昌より気温が低いのが分かる。その時心中、(あら、おきのどく~)と余裕が湧く。
しかし、東京と比べるともうほとんどの日、南昌の方が低くなる。
都市を換えるとパッと折れ線グラフが変化するのが楽しい。日本気象協会もなかなかやるなあ。 
 
 それを何回もしていて気がついたのだが、大阪と南昌では、気温の推移を表す折れ線グラフが非常に似た形状をしている。ただ、常に南昌が大阪より気温が低く、ラインは大阪の下を這いずっている。私は負け試合続きのチーム監督みたいに(だいたい、南昌!おまえは亜熱帯のくせに何やってんだよ!夏だけ亜熱帯かよ!)と心で口汚く罵るのだが、最近の南昌はビクともせず毎日気温の低迷を続けている。シベリア寒気団が中国大陸に冷たい風を吹き込むためらしい。


 ある日本語教師の先輩が、「南昌の天気は、偏西風の影響で数日後の大阪の天気として具現する。」という説を述べていた。南昌が大雨になると3日後大阪にも大雨が降る、というわけだ。そう言われれば、ここに来て以来、大阪の友人からメールなどで天候の情報が寄せられる度に(へえ、似ているな)と思った。
日本気象協会の折れ線グラフもそれを裏付けるのではないかと思う。

 風土が似ると生活様式も似る。そこに住む人々の気質も同様だ。南昌がなんか大阪っぽいと感じるのはそういうわけもあるのかも知れない。
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春節(お正月)の気配      2011/01/12(水)  No.51

2011-01-12 21:20:42 | 中国事情
 私がヒトデ型電気湯たんぽで火花を散らしたり、一年生に「ソーラン節」を教えたりしている間に、ここ南昌にも春節(旧暦または農暦での1月1日)の気配が少しずつ感じられるようになってきた。

 まず学生たちだ。14日までが主専攻の試験、15~20日までが副専攻の試験なので、彼らは毎日ずっと自習と試験の繰り返しだ。だが、どことなく&いつになくソワソワしている。
 メールをくれる学生も、「私は副専攻の試験が18日に終わるので、19日の朝帰ります。」とか別の子も「もうチケットは買いました。もうすぐ帰ります。」とか、テストのことなどそっちのけの感がある。

 先日の日本語作文の試験問題に「中国の代表的な行事」というテーマを指定したところ、最も多くの学生が「春節」を選んだことは、すでに前のブログに書いた。中には「試験の最中だが、もうワクワクしてたまらない。」などと書く浮かれ者までいたほど、「家族に会える」「友人と遊ぶ」のをほぼ全学生が待ちのぞんでいる。別な子の作文には「私の両親は一年中、出稼ぎに行っているので中秋節のときは、家に帰れなかった。春節だけは、年に一度家族が会える大切な祝日だ。」と書いてあった。
 みんなきちんとした身なりをしているので、見た目では貧しさは全く感じない。しかし、子どもを大学に通わせるために、親達は本当に必死でお金を絞り出しているのだ。大晦日のパーティーに来た子達の中に、農業収入では学費を捻出できないので親は農業をやめて出稼ぎしていると言う子がいた。作文を書いた子とは別の子だ。そして学生のほとんどは痩せている。ダイエットじゃない。お金がなくなると朝ご飯を抜いて我慢するのだ。勉強が忙しくアルバイトの時間がないので、ご飯を抜くしかしかたがないのだ。
 一年生の授業で、「牛肉、豚肉、鶏肉、どれが1番好きですか?」と聞くと「全部!」という返事があり、そのときは可笑しかったが、彼らにしてみれば笑い事ではないのかも知れない。

 貧乏について話すと、どんどん話がずれるので「春節」に話題を戻そう。

 行事を先取りするのはいつも店屋さんだ。
今日は久しぶりに大学構内の大きいスーパーに入ってみた。二階にはもう江西省特産の土産品がズラリと並んでいる。学生達が主な客だが、彼らは大きなカートを押してどんどん品物を入れている。私もつられて、おいしいかどうかかなり怪しい桂花菓子とか廬山餅とか買ってしまった。売る人がまた、お勧め上手で、「あら、日本人?日本語の先生?中国語上手ね~。」などとお世辞と分かり切っているのに、つい(エヘ!それほどでも~)とか喜んでしまう単純なヒト、それは私だす。

 それから新暦の1月1日からこっち、毎日爆竹、花火が絶え間ない。このまま2月3日の春節までパンパン!ヒュ~!が続くのだろうか。爆竹代だけでもたいへんな出費では?と心配になる。

 こうした春節ムードが次第に盛り上がりつつある中で、今日も大学本部構内の中国銀行には、キラキラ飾りをつけた大きなクリスマスツリーがロビーの真ん前にデンとおさまっている。いつになったら片付けるのだろう。2月末、日本から戻ってまだあったら面白いな。
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火花散る暖手器       2011/01/11(火) No.50

2011-01-11 13:06:43 | 中国事情
 「暖手器;電熱水袋」というものを4年生の李さんからもらった。
本当にここの学生は先生のためにお金を使うことを厭わない。せっかく買って持ってきてくれた子に「こんなもの要らん。返して来い。」とは言い難い。「今度来るときは何も持って来ないこと。」と言うのだが…。貢ぎ物の伝統が残っているのだろうか。(賄賂に当たるのでは?!)と思い、内心喜べない。

 とは言っても、この『暖手器』(箱には英語でHAND HEATERS と書いてある。一つしか入っていなかったが?)はたいそう優れものだ。
値段はサイズや模様によるが10元前後。この写真のは最長部分20cmの六角形の形だ。他にも梅花型、長方形などあるらしい。「電熱水袋」と書いてあるとおり、電気湯たんぽだ。5~10分コンセントに差し込むと、熱々になり、布団の中に入れておくと7~8時間は暖かい(始めのうちは、10秒触っていると熱くてたまらなくなるほど)。
 秋に大阪のユミコさんが、マトリューシカ湯たんぽを送ってくれ、重宝して使っているが、さらにこの強力暖手器も布団に入れて、毎晩あっちこっちホカホカに暖まったベッドで寝る。ああ、なんて幸せ~!

 しかし、たった5~10分でそんなに効率よく熱くなり、7~8時間も持続するなんて、一体水の正体は何なんだろう。隣の大学で日本語を教えているムラオカ先生は「PCBでも入っているのでは?」とイヤなことを言う。(そ、そう言われれば、確かにこんな便利なものが何故日本国内で普及しないのか、人体に何らかの影響を与える物質が使われているのでは?)と疑念がムクムクと湧き上がってくる…。お土産に買って帰るのは止めとこうかな。

 ま、それはそれ。電気毛布を買わなくてもこの冬は大丈夫だ。
今朝は授業もないし、のんびり8時過ぎまで寝ていた。昨夜10時頃に、マトリューシカとヒトデ(私は暖手器にそう命名した)をセットしたので、両方とも既に暖かさは感じない。
布団内の暖気を逃がさず、もう少しホカホカ状態にして枕元の本を読むことにした。
ヒトデ本体のお臍のようなところ(写真では赤い蓋が見えるその部分)に専用プラグを差し込み、「カイチュウが笑う」(藤田紘一郎)の続きを読み出した。寄生虫専門家のお医者さんのエッセイだ。「だいたい医者という者はもっとウンコに愛着を持たなくては」が口癖のお医者の寄生虫にまつわる面白体験記を読んでいるうち、ヒトデが既にホカホカレベル以上に熱されてきたのに気づいた。ダブルベッド上を一回転してヒトデに接近し、まだ充電中のプラグを引き抜いた。

 そのときなんですよ、火花が走ったのは~
(ギョギョ!派手に光ったなあ。こういうことは、以前○○小学校の子が、理科のピンセットをコンセントに突っ込んで稲光させたのを見て以来だ…)と、大いに驚いた。びっくりしたので本を読むのを中断して、コーヒーを飲むことにした。
電気ポットのスイッチを入れた。あら、つかない!電気ストーブも、CDラジカセも全く動かない。
いわゆる「ヒューズが飛んだ」のだ。

 朝、8時半過ぎにオフィスの1階管理人室にスゴスゴ出掛け、「ミズ劉、我有問題 again.」と訴えるしかなかった。
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中国で日本製品をネット購入     2011/01/10(月)  No.49

2011-01-10 19:14:06 | 中国事情
 いつもいつも、日本の友人や娘を頼って物品を送ってもらうのも申し訳ない。以前から一度やってみたかった中国からのネット購入に挑戦してみることにした。

(挑戦って、大げさな…。)と思う人が多いだろう。しかし、自慢じゃないが私はコンピューターに明るくも何ともない。
ただE-メールをするためにパソコンを買い、その後ワードを使ったり、検索エンジンで調べものをしたり、最近は手紙代わりにブログに書き込んだりしている、いわばビギナー歴をいたずらに更新し続けてきた人間だ。しかし、外国人である私にとって、ここ南昌の生活でのコンピューター(特にインターネット)の必要性は日本で暮らしているときと全く異なる。使えないと困る、本当に困る。

 そこで、少しでもを便利に使いこなす技を身につける練習をしてみたわけなのね。
今回買ったのは、1年生のための『NIPPONESE 伊藤多喜雄&Takio Band』(CD)と『教材用ソーラン ベストセレクション』(CD)だ。どれくらいの費用と時間がかかるかが1番知りたいことだった。

手順は①1月3日夜、Amazon.co.jpに2枚のCDを注文。クレジットカードでのネット決済。
   ②1月5日、6日に相次いでAmazonから東京都内の転送コム(株)に注文の2品が到着と連絡あり。
   ③2品を1つにまとめて梱包して発送するよう依頼。
    その後数時間後に梱包完了連絡、ただちにネット決済。少しでも遅れると7日(金)発送が
    できなくなり、土日は休みだから10日(月)発送になると書いてあるので、めちゃ焦った。
   ④1月7日転送コムが日本郵便(EMS便)に配送。
   ⑤1月8日国際郵便上海支店到着。
   ⑥1月10日南昌の我が宿舎に到着。
 1月3日の夜に江西省南昌市郊外の宿舎からネットで日本に注文・購入したCD2枚は、ちょうど1週間かかって今日夕方、手元に届いた。まあ、時間的にはGOOD JOB!特に、日本郵便のEMS便は、迅速で優れたものだということを再確認した。さらに、日本郵便はオプショナルサービスとして、①私は自分の荷物が今どこら辺まで来ているのかをネットで調べることができ(と言っても上海までだけど)、②配達完了メールを配達時(夕方6:00)から2時間後の午後8時に受け取った。すごい!かゆい所に手が届くこの配慮が、日本の商売の大きな特徴だなあ。

値段は、Amazonに支払ったのがCD2枚+送料=¥5694(これは国内にいても払わなければならない)
    転送コムには
    国際配送料 ¥1100(日本郵便に払う:今回の総重量380gの料金)
    転送手数料 ¥ 490
    まとめ梱包代¥ 500  
    合計      ¥2090

となった。転送コム自体に払う金額は¥990。これくらいで転送してくれるなら、これからも利用しようかな、という気になる。他にも中国で買える日本のネット購入サイトがあるので、比べて楽しんでみようっと。
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中国滞在4ヶ月で覚えたこと      2011/01/09(日)  No.48

2011-01-09 17:50:13 | 中国事情
 昨年2010年8月26日未明に南昌の空港に降り立ってから、4ヶ月半になろうとしている。1月16日から1ヶ月間大阪に帰る前に、この4ヶ月を振り返ってみようと思う。

 日本で暮らす中国出身者の方々、日本語教師の先輩や諸々の本などから予備知識は得ていたものの、何しろ体験していないので実感が伴わず、せっかく教えてもらってもほとんど上の空だった。
 実際の生活で、覚えて得したことを今アトランダムに挙げると、

1.野菜は何でも炒めて食べることができる!
 これを学んだのは大学の食堂のメニューだ。ニンジン、大根、蕗みたいな野菜、ジャガイモ、ピーマン、ヘチマ、冬瓜、キノコ、山菜、キャベツ、青梗菜e.t.c. 全て炒め物だ。しかも1種類のみ「ニンジンだけの炒め物」「大根だけの炒め物」といったとてもシンプルなものが多い。値段は1元~3元ぐらい。
ご飯3元+2種類の菜=5元~9元がmy昼食の値段だ。
 宿舎で真似してジャガイモ、ニンジンなど千切りにして1種類だけの炒め物を作った。(これは新発見!)と小躍りしたのはキュウリの炒め物だ。千切りにして強火で手早く炒め、塩こしょうするだけ。ちょっと横にスクランブルエッグを添え、お茶漬けの元などをスープにすると、5分で立派なディナーができる。プロパンの火力が幸いしているのか、シンプルな材料、シンプルな料理法で本当においしい。

2.言葉はメチャクチャでも、とにかく訴える!
 ここに着いたとき、宿舎の部屋はかなり傷んでいた。
テレビはぼろくそで、前を通っただけで急に点いたりした。パソコンのインターネット接続も困難を極めた。「この部屋の電気の配線は他の階の部屋よりひどいです。」と“パソコンの神様”郭さんが最近教えてくれた。
日本では、1回訴えれば迅速にほぼ100%ちゃんとしてくれる。ここは、3回以上言うのが普通だと思った方がいい。やってくれないのではない。やってもやってもすぐ壊れるのだ。
 初めは(もういい、疲れたわ。)と挫けそうになったが、宿舎管理人のミズ劉、ミズ呉ともに気のいい人達なので、毎日管理人室横を通るついでに、あーやこーや超ド下手な中国語と筆談で訴えた。たいていは修理の依頼だ。だんだん、メチャクチャな中国語と英語と筆談で通じることが実感でき、ぐっと生活が楽になった。しょっちゅう切れる電球、壊れかけのベランダのカギ、エアコン、湯沸かし、…思えばいろんなものを直してもらったなあ…。
 宿舎のみならず、スーパーや銀行、また道を聞くときもこれでいくしかない。ここでは日本語学科の学生と先生以外に日本語は全く通じない。しかし、それでもあーやこ-や訴え続けると八あん、クマさんが「来来…。」とかやって来て、何とかしてくれる国なのだ。

3.使えるものを使って暮らす!
 初め、茶こし用の網がなかった(正確に言えば今もない)。お茶の葉をどのようにして捨てるか困った。
その時甦ったのは「中国いかがですか」(小田空)の中の1シーンだ。小田空さんも20年ほど前、ここ南昌で暮らしたことがあり、その時のことなどをマンガにしている。彼女は確かお茶の葉っぱをトイレに流していたはずだ!同じようにした。本当にいい方法だ。トイレが詰まるわけじゃなし、ひょっとしたらお茶の殺菌効果が排水パイプを除菌してくれるかも…とすら思う。
 モップもどこで洗うかハテ?と思ったが、ちょうどサイズがピッタリの場所がある。洗面所だ。顔を洗うところとモップを洗うところが同じでも、後で丁寧に石けんで洗うので問題ない。だってバケツとか無いし~。

4.店の品物に同じものはない!
 ズラッと並んでいるから全て同じと思ってはいけない。
一つ一つの個性を見極めるというか、最も難の無いものをじっくり、油断無く検証しなければならない。その過程でホッチキスが飛び出していて指を怪我するとか、いくらでもあるのだということを肝に銘じておくことだ。(私は2回、指を引っかけて血を流した。未熟だった…。)8月末、3年生の精鋭部隊(範さん、黄さん、劉さん、楼さん)が、スーパーでとんでもなく時間をかけて品物を見定め、私に「これが1番品質が良いです。」と言った言葉が忘れられない。
本当にピンからキリまでのものが、同じ値段で並んでいるのだ。消費者は鋭い眼光を持って買い物に臨まなければならない。

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“我々”と思うか“我”と思うか   2011/01/08(土)  No.47

2011-01-08 20:16:39 | 中国事情
 「中国の代表的な行事」について書くテスト問題があった。圧倒的に多くの学生が「春節」を選んで書いた。次に多かったのが「中秋節」だ。両方ともに共通して挙げられたのは「家族団らんの重要性」ということだった。
 『中国人は家族と一緒にいると楽しい。料理はみなとともに食べればおいしい。中国人は国と家が恋しい。』と書いた学生がいた。
「それはどこの国の人だって同じ…。」と言いかけて(おや?同じじゃないな)と留まった。

 また、原口さんへの手紙で、ほとんどの子は「中国はきっと強くなる(良くなる)。私たちはそのために頑張ります。」と結んでいた。

 話はボブ=ディランに飛ぶ。
1960年代のボブはそれ以前のフォークソングとは一線を画した。ウッディ=ガスリ-に大変な影響を受けながらも、彼は「This land is made for you and me.」とは決して歌わなかった。
「君とぼく」が無条件に同じ括りで歌詞になれたのは、アメリカで1930~40年代、労働者対資本家というくっきりした構造を誰もがイメージできた頃だ。ウッディはその頃、1日1曲の割で作曲していたそうだ。その多くは「我々(労働者)は殺される前に団結して資本家との闘いに決起し、非人間的な暮らしから解放されよう。」といった主旨だった。
 第二次世界大戦後の冷戦時代、赤狩りなどを経て、アメリカの労働組合は弱くなった。人々は「労働者」という仲間意識を持たなくなった。その頃にボブが登場した。「Rainy Day Women」では「誰もが (どこに居ても) みんな 石を投げられる」と言う。個人はもう孤立状態にある。
若い私はその感覚に(そうだな)と思った。その石は誰が投げるのか?もはや資本家が労働者に対して投げるどころではない。どこから飛んでくるのか分からないのだ。(自分は孤立状態にある)と思う者にディランは言う。「だいじょうぶ、み~んな孤立しているんだから。」と。
 その後、ディランはどこをどう彷徨ったんだろう。ゆっくり彼の歌をたどってみたい。一昨年、彼は「ボブ=ディランのクリスマスソング」を出した。味のある声になっていた。

 昔、高校生の頃、先生たちのことはおおむね好きだった。しかし、ときどき先生達が「が~んばろう、あ、それそ~れ」とか歌っているとき(北海道は北教祖、高教祖とか活動的だった)、途中「黒金の男のコブシがある、燃え上がる女のコブシがある~」辺りでもう引っかかった。左右対称じゃないけど、セットものっていうのが陳腐だとか、また男が先かよ、とか色々理屈をこねて先生をからかっていた。本当にひねたガキだったなあ。
 その時私は、すっきりくっきりのグループ分けから、自分の感覚がはみ出していたのだが、上手く説明できなかった。(今もできていない…

 ここ中国江西省の大学生達の作文には、国家に帰属することへの違和感は全く表現されていない。「私たちはきっと頑張って中国を良くする。」その言葉通り、学生達は本当によく頑張っている。こんなに寒くてたまらない南昌で、震えながら勉強している。多分、戦前、戦中の日本の多くの若者も同様だったのだろう。どこから、どうなって私みたいなのが出て来てしまったのか。日本の現代史を検証せねばならない気になっているブルーハートであった。
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1年生に「南中ソーラン節」特訓   2011/01/07(金) No.46

2011-01-07 20:22:54 | 中国事情
 午後1時過ぎ、1年生のリーダー5人、3年生の楼さん・郭さんカップル(1年生への指導、通訳、音響係)が我が宿舎にやって来た。いつもいつも彼らは手土産持参だ。今日はリンゴ6個と大きな一房のバナナ。家からの仕送りのお金を使わせるのは、本当に申し訳ない。でも彼女ら、彼らの両親は、「よそのお宅におじゃまするときにはきちんと何か持って行くように。」と躾けてもいるのだろう。ありがたくいただくしかない。

 それにしても、中国では教師の家に行くことが、大学生でもワクワクすることらしい。1年生がスキップせんばかりの浮かれ様で部屋に入って来たときは、まるで中学生のようだった。日本では大学生が先生の家に行くという設定にまず無理がある。「何が悲しゅうてそーゆーことするかな。」みたいな。

 さて早速練習開始だ。事前にリビングのテーブル、椅子、ソファ-などを脇に除けて、ダンススタジオみたいにしておいたが、12畳ほどの広さに前列3人、後列2人でちょうど収まった。
私はこの「南中ソーラン」を練習して4日目だ。太ももの痛みはまさに限界に達している。そこで得意の口先ばかりで「ああ、だめだめ。もっともっと腰を低くして!」とか言いたい放題言いまくった。

 楼さんが、的確に指図したのと、1年生の精鋭達が見事にポイントを掴み、上手く体現したのとで、夕方5時にはなんとインターネットの動画で流したいほどカッコ良く仕上がった。
特に、「どっこいしょ、どっこいしょ」と「やーーーーーれんそーーらん、そーらん、そーらん」の力の入った網の引き方、腰の落とし方が並々ならぬ労働者魂を表現してるって言うか。(たぶん、明日は筋肉痛だろうなあ。)
 あと、特筆すべきは郭さん(パソコンの神様)の音響係としての活躍だ。ガールフレンドの楼さんに「音楽!」「もっと前のところ!」とかビシバシ言われても、「はい、はい。」と苦笑しながらチャッチャと音を出してくれた。ふと見ると郭さんは、どことなく手塚治虫に似ている。風貌も平和主義者なところも。そして彼は来年に向けて、日本への留学に焦点を絞りつつある。
みなさん、コンピューターテクノロジー関係で、安くて良い大学院はないでしょうか。郭さんに紹介してくださ~い。
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中国の大学の試験     2011/01/06(木)  No.45

2011-01-06 20:46:21 | 中国事情
 年が明けてもダラダラ南昌にいるのは、私の受け持つ2科目(3年日本文学、日本語作文)が、大学により「重要科目」に指定されてしまったからだ。「重要じゃない」科目(1,2年の日本語会話、4年の商務日本語)は12月末の最後の授業時に試験を終えた。
「重要」になると、大学が試験官を派遣する。試験の日にちと教室も指定される。授業担当者は試験後に答案の束を受け取り、採点し、また大学に渡す、という流れになっている(そうだ)。

 以前から気になっていたことだが、学生は普段からペンを使う。間違えたらグチャグチャと上から黒く塗りつぶすのが普通だ。私の目にはそれがとても乱雑に映る。
授業で何度も、
①鉛筆かシャーペンを使う。 
②修正テープか修正ペンで消す。
ことを強力に推薦してきたが、なかなか徹底しない。
 試験に至っては、なんと〈鉛筆・シャーペン使用禁止〉なのだそうだ。
その理由を聞いて(ああ~、中国はそうなのか)と思った。というのは、もし学生が鉛筆書きしたら、それを採点する者(当然教師)が、消しゴムで消して点数をつり上げたり下げたりする可能性があるからなのだそうだ。シンペイ老師は「日本ではそういうことはまずないでしょう。」とニコニコして言う。更に「ここは中国ですから。」と。

 それと、採点者には学生の解答とともに採点表が渡されるが、その採点表には各問題ごとに、[学生の得点+採点者の署名+採点した日にち]を書き入れなければならない。
第一問(15点:ブルーはーと:2011/01/06)
第二問(8点:ブルーはーと:2011/01/06)
第三問(10点:ブルーはーと:2011/01/06)…というふうに。
採点者による不正を防ぐためなのだろうが、そんなことしても効果はあるとは思えない。ただただ面倒くさい。

 日本では採点の不正に神経を使うのは、入学試験ぐらいではないだろうか。大学の普通の学期末試験でも、このようにしているのか知りたいものだ。
 私が小学校で働いていたとき、管理職は我々教員が「仕事の帰りに一杯飲んで、酒屋にテストを忘れて帰らないか」「自転車の荷台やパチンコ屋に通知表を置き忘れないか」という方向の心配ばかりしていたように思う。

 学生の珍解答は中国・日本に共通している。今日の作文では、見本に〈山田太郎〉と書いてあるのをそのまま自分の作文にも写して書いたキュートなお嬢さんがいた…。 
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南昌で「南中ソーラン節」(*_*)      2011/01/05  No.44

2011-01-05 11:20:20 | 中国事情
(また無謀なことを…。ブルーはーとはね~!
と私を知っている人々は思うと思う。
ここ南昌の大学生に「ソーラン節」を教えることになってしまった。
これを日本語学科1年担任のシュ老師から頼まれたのはこの正月だ。彼女は典型的な中国的感覚保持者である。私が日本に一時帰国する16日までに、「ちょいちょいと教えてくれたら良いです~。」とこの上なく気楽だ。私が北海道出身なので、ソーラン節など眠っていても踊れると信じている様子。

 頼まれたことはイヤとは言えないこの性格が呪わしい。面倒くさいが“ああ、どっこいしょ”と本当に重い腰をあげてやることにした。

 音源がなければどうしようもない。3日の夜、そのことにハタと気づきパソコンで探して行き着いたのが「南中ソーラン節」だ。3年B組金八先生のドラマで紹介されて一躍有名になった、北海道の稚内?かどこかの南中学校の風紀を立て直したものだという。ダウンロードしようとしたら you tubeにはたどり着けず、Hatena Diaryの動画でようやく見ることができた。しかし、ぶちぶちと途切れる。1分のものが10分もかかり、流れもさっぱり分からなかった。
 仕方なく、初めて転送コムに注文することにした。まず、Amazonで注文し、それを東京の転送コム住所に送ってもらう。転送コムはそれを南昌の私宛にEMSで送ってくれるという方法だ。
送料はかかるが、直接欲しいものが自分で買えるので便利だ。インターネットはすごいなあ!それでも私が発つ日は16日だ。ハラハラする。

 そこに、ジャ~ン!“パソコンの神様”の登場だ。郭さんとその恋人(←自分でそう言っている)楼さんは、私のために伊藤たきおの「ソーラン節」を探し出してパソコンに送ってくれた。さらに踊っている動画まで2つも添えて!
 なんだ、転送コムに注文するんじゃなかったな~。

 今この文を打っているときも、「おらがたきおのソーラン節は~}と曲をかけっぱなしだ。しかし、音が被さって「今じゃ北海道のあん○○ぶしよ~」の部分が聴き取れない。もし分かる人がいたら、教えて欲しい。それが分からなくても踊ることはできるだろうが、とても気になる。「安全」?「安心」?

 振り付けはhttp://members.ytv.home.ne.jp/hijiku/kinpachi/soran2.htm
というところでありがたい図解を見つけた。昨日から部屋でドタバタ踊っている。贅肉がまるでフトンを着ているごとく邪魔になる。ガ~~~~ン!
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クニを想う心                 2011/01/04(火) No.43

2011-01-04 16:32:33 | 中国事情
 「おクニのために死んでこい」「おクニはどちらですか」「正月はクニに帰る」「クニ定忠治」…。
各種のクニがある。
大阪にいるとき、「おくにはどちらですか。」と聞かれたら「えっと、北海道です。」と(ちょっと自慢げに)答える。外国で聞かれたら「日本です。」と(微妙に構える心で)言う。
両方に共通する「クニ」の概念は、自分が属しているところ、ということか。

 日本から外に出たとたんに、(自分は日本人なのだ)と構えなければならない。「日本人」であることを要求されるからだ。自分ではコスモポリタンぽい人間だと思っているので、これにはかなり違和感を覚える。
 2002~03年までアメリカのシアトルにいたが、その時、他のアジア人、セントラルアメリカや南アメリカ、東欧などから来た学生達は「いいねえ、日本は。金持ちで。」「先進国だよね。」「ハイテクだよね。」と、おしなべて羨ましそうな口ぶりだった。(内情を知らない外国から日本はそう見えるのかあ)とその褒められ方がこそばゆくて、自分が褒められた訳でもないのに「いや、たいしたことないから~。」などと、ふざけて調子に乗ったりしていた。
 ここ南昌で、日本に関する話をするときは自然と慎重になる。授業中、私はよくいらんことを言うのだが、こと中国と日本の比較などに話題が及ぶと、駐中日本大使も感心する(であろう)ほど丁寧に話をする。
例えば、
学生「先生、中国と違って、日本には世界中のいろいろな食べ物があるんですね。」
 私「そうですね。中国は中華料理だけでとてもたくさんおいしい料理がありますね。
    日本の伝統料理は、う~ん、野菜の煮物かなあ。外国の料理が日本に入ってきて、
    日本の食事はとてもおいしく、楽しくなりました。」
とか。学生は中国の料理がいろいろあって、おいしいと言われただけでニコニコしている。もちろんこれは嘘じゃない。事実なんだけど、私は、日本を褒められたとき、ここまで手放しに喜ぶ気になれない。


 ここ中国の学生達は、幼い頃から中国人としてのプライド、誇りを常に教えられている。自分が属するところが貧弱で最低だとか思うより、この方が堂々としていられる。いいことだ。(自国への批判を受けつけない、となると行き過ぎだが…。)ありがたいことに、私の勤務する大学の学生の多くは、冷静に世界の中の中国を見定めようとしている。こういうのを「教養ある」態度と言うのだろう。
 私は戦後民主主義教育を受けて育ってきた。「我々日本人は…」「日本民族は…」という括りで訓辞をされた記憶は、う~ん、あるのかも知れないけど覚えていない。それより「自分はどう思うのか」という方向で常に導かれてきた。戦後日本の教育が、一部の人たちから「自虐史観に基づく非国民的なもの」などと言われるが、私はまず個人を一人前にしっかりさせるという戦後教育を受けられて、取りあえずラッキーだと思う。
また知らないうちにどこかの国に連れて行かれて、戦わされたりしないように、一人ずつ自分で踏ん張る判断力をキープしたいものだ。

ま、私は「おバアさん」ですから兵役に取られる心配はないですけどね。ここ、中国に来て、「先生のようなオバアさん云々」(おそらく褒めているつもり)と語られるのにも“少~しずつ”だけど、慣れてきましたヨ。
ほんとに、ふと回りを見たら、同年齢の女性は小学生や中学生の孫がいる人が当たり前。自分の子どもが子どもを産まないものだから、日本では「おばあさん」と呼ばれたことがなかっただけなのだ…。
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南昌郊外の静かな一日    2011/01/03(月)   NO.42

2011-01-03 20:58:43 | 中国事情
  中国では、クリスマスも元旦節も祝わないとか言いながら、けっこう通りはその都度、賑わっていた。と言うのも、ここは文教地区で、大学がたくさんある。ということは、住人は圧倒的に若者が多い。若者は新しいことやお祭り騒ぎが大好きだから、店屋さんもそれに合わせて商売をするのだろう。
店のディスプレイはクリスマスの時はクリスマスっぽく、元旦に向けては食べ物や衣料品安売りセールみたいなことをしていた。(中には1月3日現在、まだクリスマスの飾りつけを堂々としている店もある。)
 安売りをすると若者だけでなく地域住民、老いも中年も駆けつける。そこで、スーパーは大賑わいの浮かれムードになるということかな。

 スーパーの中で、買い物客の顔をさりげなく見てみると、たいていは浮き浮きした感じだ。特に若者のカップルが多いが、老夫婦カップルも、赤銅色日焼けカップルも混じって、そのみんなから、何か楽しい明日に向かうエネルギーのようなものを感じた。
 ふと、(自分は周りの人にどう見えているのかな)と思った。鏡がないので分からないが、そんなに浮き浮きしていないと思う…。盆や正月が楽しかったのは、遙か昔のことで、ずいぶん前から祝日は単なる休養日になっている。祝日を祝って単調な一年にメリハリつけるという気力が無くなってしまったのだ。ヨレヨレになるまで働く日本人の典型だ。はあ~~。

 とは言いながら、私も宿舎でクリスマスからこっち、学生とパーティーばかりしていた(だって「先生と祝いたい」とか言うから~)。
年末大晦日は、部屋が人々でごった返すほどで、さすがにみんなが夜9時過ぎに帰った後は、くたびれた。しかし、外国人教師宿舎のすぐ外は花火とカラオケの大音響。家のどこにも身の置き所がない。1月1日の新年になる1分前からは「中華人民共和国国歌」まで流れ、キエ~!となった。

昨日の2年生の来訪で、パーティーも一段落だ。
今日は、昨日からの雪が残り、寒いせいか、外でワーワー言う物売りの声もとても少ない。久しぶりに静かな一日だった。
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