2年生になり立ての子たちが書いた作文を紹介する。
この子たちは、昨年10月後半から、日本語に初めて触れた子たちである。しかも、クラスの多くは、会計だの金融だのを志望していたが、成績上やむなく日本語学科に変更した子たちだ。モーティベーションはさぞ低かろうと思いきや、勉強するのなんのって、すごいものだ。
そこで私もつい調子に乗って、「私の夏休み」というテーマで作文を書く宿題を出した(会話クラスなのに~)。
この2年生クラスは、新入生軍事訓練、一学期末試験、春節、二学期末試験などで、実質的には6カ月間しか授業をしていない。その子たちが下のような作文を書くのである。とにかくまじめに一生懸命勉強したらこうなるのだ。
奉◎玲さんは、広西壮族自治区出身。
中国の田舎では、家は家族が力を合わせて自分で建てるのが一般的で、この作文に書いてあることはよくあるそうだ。また、夏休みには多くの大学生が農村・山村の学校にボランティアで出かけて行く。都市出身者は行った先の中国の奥深くで、都市と農村の格差に直面し衝撃を受ける。日本の大学生も、夏休みにボランティア活動で中国の山村に出かけたらどうか。ドッジボールでもギターでも何でも持っていったらいいと思う。
きっと、ものすごくいい出会いとものすごくいい体験が待っているはずだ。
「私の夏休みの思い出」 奉◎玲
今年の夏休みは大学に入ってから、初めての夏休みだった。最初私は桂林市内へアルバイトに行きたかったが、母が電話をかけてきて、
「家は新しい部屋を増築することになったから、すぐ帰って来てね!」
と言うので、家に帰った。
だから、始めの一ヶ月間、ずっと家にいて家族の仕事を手伝っていた。毎日、忙しかった。新しい部屋を建てるためにいろいろ必要な重い建材を運んで来たり、姉が料理を作るのを手伝ったりした。
毎日、暑かったから、時間も長くなったような気がした。しかし、新しい部屋が出来ると、家族全員が嬉しがっていた。それは良かったけど、私も日に焼けてしまった。
まだ残っていた半月ぐらいの間、私はもっと有意義なことをした。それは、故郷の小さくて古い小学校でのボランティア活動に参加したことだ。その学校で一人だけの先生と一緒に、15人の生徒に授業をしてあげた。夏休みでも、生徒達は学校に行って授業を受けていた。これは、うちの故郷の学校だけあることだった。
授業は、一日に、国語と数学の二時間だけだった。学校はとても古かった。それに15人の生徒というのは一年生と二年生の合計で、同じ古い教室で勉強していた。つまり、この学校の生徒数は15人だけだった。
私は、何でも自分でするのだと思っていて、始めはすごく緊張した。しかし、実際の仕事は先生の授業を手伝って、学生の間違った宿題を直すことだけだった。
授業中、先生が一年生を教えるときは、教室の前の黒板を使ったが、二年生の時には後ろの黒板を使った。大変な教育状況だった。でも、その先生は34年間のベテランで、そのうち、27年間はこの小学校で過ごしてきた(すごいね)。
私は毎日子ども達と居て楽しかった。でも困ることもあった。それは彼らに宿題の問題を説明することだった。私は自分の頭でよく理解していたが、言ってあげたら、彼らは全然分からなかった。それで、何回も説明しなければならなかった。ときどき、私も自分の夏休みの宿題を持っていって彼らと一緒に教室で勉強した。だんだん毎日おもしろくなった。
今回の夏休み、私はアルバイトができなくて、お金をもらえなかったのは残念だった。でも、いろいろなことがあって、とても楽しかった。よく勉強になった。それに、自分で中国の貧困な田舎の教育を体験して、中国の現状をもっと詳しく理解した。中国は経済の発展を第一に置いて、大都市の教育も積極的に発展させている国だと思う。でも、田舎は何もない。だから、私は多くの人々が、田舎にいる子どもや田舎の教育にもっと関心を持って欲しい。
とにかく、私の夏休みは悪くなかった。でも、私はぜひ、来年の夏休みにアルバイトをしようを思っている。私は電子辞書が買いたいんだ。
この子たちは、昨年10月後半から、日本語に初めて触れた子たちである。しかも、クラスの多くは、会計だの金融だのを志望していたが、成績上やむなく日本語学科に変更した子たちだ。モーティベーションはさぞ低かろうと思いきや、勉強するのなんのって、すごいものだ。
そこで私もつい調子に乗って、「私の夏休み」というテーマで作文を書く宿題を出した(会話クラスなのに~)。
この2年生クラスは、新入生軍事訓練、一学期末試験、春節、二学期末試験などで、実質的には6カ月間しか授業をしていない。その子たちが下のような作文を書くのである。とにかくまじめに一生懸命勉強したらこうなるのだ。
奉◎玲さんは、広西壮族自治区出身。
中国の田舎では、家は家族が力を合わせて自分で建てるのが一般的で、この作文に書いてあることはよくあるそうだ。また、夏休みには多くの大学生が農村・山村の学校にボランティアで出かけて行く。都市出身者は行った先の中国の奥深くで、都市と農村の格差に直面し衝撃を受ける。日本の大学生も、夏休みにボランティア活動で中国の山村に出かけたらどうか。ドッジボールでもギターでも何でも持っていったらいいと思う。
きっと、ものすごくいい出会いとものすごくいい体験が待っているはずだ。
「私の夏休みの思い出」 奉◎玲
今年の夏休みは大学に入ってから、初めての夏休みだった。最初私は桂林市内へアルバイトに行きたかったが、母が電話をかけてきて、
「家は新しい部屋を増築することになったから、すぐ帰って来てね!」
と言うので、家に帰った。
だから、始めの一ヶ月間、ずっと家にいて家族の仕事を手伝っていた。毎日、忙しかった。新しい部屋を建てるためにいろいろ必要な重い建材を運んで来たり、姉が料理を作るのを手伝ったりした。
毎日、暑かったから、時間も長くなったような気がした。しかし、新しい部屋が出来ると、家族全員が嬉しがっていた。それは良かったけど、私も日に焼けてしまった。
まだ残っていた半月ぐらいの間、私はもっと有意義なことをした。それは、故郷の小さくて古い小学校でのボランティア活動に参加したことだ。その学校で一人だけの先生と一緒に、15人の生徒に授業をしてあげた。夏休みでも、生徒達は学校に行って授業を受けていた。これは、うちの故郷の学校だけあることだった。
授業は、一日に、国語と数学の二時間だけだった。学校はとても古かった。それに15人の生徒というのは一年生と二年生の合計で、同じ古い教室で勉強していた。つまり、この学校の生徒数は15人だけだった。
私は、何でも自分でするのだと思っていて、始めはすごく緊張した。しかし、実際の仕事は先生の授業を手伝って、学生の間違った宿題を直すことだけだった。
授業中、先生が一年生を教えるときは、教室の前の黒板を使ったが、二年生の時には後ろの黒板を使った。大変な教育状況だった。でも、その先生は34年間のベテランで、そのうち、27年間はこの小学校で過ごしてきた(すごいね)。
私は毎日子ども達と居て楽しかった。でも困ることもあった。それは彼らに宿題の問題を説明することだった。私は自分の頭でよく理解していたが、言ってあげたら、彼らは全然分からなかった。それで、何回も説明しなければならなかった。ときどき、私も自分の夏休みの宿題を持っていって彼らと一緒に教室で勉強した。だんだん毎日おもしろくなった。
今回の夏休み、私はアルバイトができなくて、お金をもらえなかったのは残念だった。でも、いろいろなことがあって、とても楽しかった。よく勉強になった。それに、自分で中国の貧困な田舎の教育を体験して、中国の現状をもっと詳しく理解した。中国は経済の発展を第一に置いて、大都市の教育も積極的に発展させている国だと思う。でも、田舎は何もない。だから、私は多くの人々が、田舎にいる子どもや田舎の教育にもっと関心を持って欲しい。
とにかく、私の夏休みは悪くなかった。でも、私はぜひ、来年の夏休みにアルバイトをしようを思っている。私は電子辞書が買いたいんだ。