毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「加藤周一『羊の歌』を読んだ」 2014年2月28日(金)No.857

2014-02-28 21:37:42 | 日記

私は頓馬である。やることがなんでもズレているのだ。

どうして加藤周一が元気なときにこの本を手に取ることができなかったのか。

「羊の歌」(岩波新書)を読み終わった今、

滅多になく頼りにできる先輩を見つけたとたんに失ってしまったような気持ちだ。

加藤さんは2008年、母が逝ったのと同じ年に亡くなっていた。

 

子どもの頃、ずっと手塚治虫氏の漫画が煙たかったが、

二十代後半に、突然、スッと全身が手塚漫画を受け入れたこと。

高校1年の頃、寺山修二さんが癪に触って仕方がなかった、にもかかわらず、

高3では一気に全肯定に針が振り切れた。

それもこれも、加藤周一さんと同じパターンだ。

まず、何か魅惑のオーラを感じると、私は防御的に反応する。

自分が吸い込まれ、飲み込まれる危険を避けるためだ。

それほど、私は吸い込まれ、飲み込まれやすい人間なのであるから。

 

加藤周一さんは、長年、私の心の中であまりにもオーソドックス過ぎる存在としてあった。

(ヘヘンだ、こっちゃあ生まれも育ちもサブカルなんざんす)

といった構えが人との垣根を作るのである。

トテモ良くないデス。

 

今頃になって加藤周一さんの「羊の歌」を買ったのは、

江財大資料室の本棚にに「日本文学史序説」(ちくま学芸文庫)を見つけ、

日本文学の授業のための参考書として手に取ったことに始まる。

単に参考書として読み始めたのだが、数ページで引き込まれた。

ただたくさんものを知っているだけの人が書く文章ではなかった。

分析の油断なさ、判断の的確さ、そして文学への深い愛がひしひしと伝わってきた。

 

冬休みは、池澤夏樹や樋口一葉、村上春樹を読んで終わった。

もう南昌に戻らなければならないという日、

関空の丸善書店で機内で読む本を探しているうちに、

「羊の歌」の背表紙が目に入り、迷わず買った。

 

まるで、現在の日本がたどっているのとほぼ同じ状況を、

加藤周一は少年時代に体験していた。

その書き方が尋常じゃなく説得力があるのは、

その時代の雰囲気が、今の時代とあまりにも似通っているからか。

『 』は「羊の歌」からの引用である。

 

『私は1931年、満州事変の始まった年に中学校に入り、

1936年、二・二六事件の年に中学校を出た。』

『毎日、新聞を読み、放送を聞いていたが、日本国が何処へ行こうとしているのかを

全く知らなかった。』

『全ての事件は偶発的に起き、一瞬間、私たちを驚かしただけで、忽ち忘れ去られた。

井上蔵相や団琢磨や犬養首相が暗殺され、満州国が承認され、

日満議定書が押し付けられ、日本国が国際連盟を脱退し・・・・・・

しかし、そういうことで私たちの身の廻りにはどういう変化も生じなかったから、

私たちはそのことで将来身辺にどれほどの大きな変化が生じ得るかを、

考えてみようとしなかった。』

毎日、新聞を丹念に読んでいた彼の父は、

家族しか聞いていない夕食時に‘自由に’意見を述べたが、その‘自由な意見’も

新聞と放送が検閲と自己検閲を通して(報道の自由のないところで)選択し、

国民に伝えた情報を材料にしたものだった。

南京陥落のニュースが伝えられた際、彼の父が

「提灯行列もいいが、この先がたいへんだろうな」と述べたことに触れて、

『「皇軍」が「東洋永遠の平和」と「善隣外交」のために、

婦人子どもを含む中国住民の数万人を虐殺したということを知ってさえいたら、

父は「提灯行列もいいが」とはおそらく言わなかったことだろう。

「われわれは何も知らされていなかった」という国民は、

自らもっとも自由だと信じていた時、もっとも不自由であった。

ユダヤ人の強制収容所を「知らされていなかった」多くのドイツ国民のように。

「軍事目標に限られた」爆撃のために廃墟と化したヴェトナムの町の実情を

「知らされていなかった」多くのアメリカ国民のように。』

 

それでも、加藤周一の少年時代と今はやはり違う。

今の日本の状況を、後世、子や孫の世代は何と言うだろう。

「どうして思想信条の自由や言論の自由、知る権利があったのに、

誰も安倍首相の暴走を止められなかったの?

みんな、何考えてたん?ただのアホやったん?」

と言われても、もはや「知らされていませんでした」では通らない条件を私たちは持つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「南昌八一公園の風景」 2014年2月27日(木)No.856

2014-02-27 19:11:58 | 中国事情

2月15日、22日の八一公園の様子。

2月15日(土)は、まだ寒かったが、春節の名残りだろう、人々が普段よりウキウキしていた。

下は、いかにも楽しそうに歌う二人。後ろにはCASIOのキーボードで伴奏する人が。

 

右は南昌日本語コーナー設立者博堅先生、左は日本語コーナー世話役の劉波さん。

博堅先生は翌日、杭州の自宅に帰った。

 

翌週2月22日(土)打って変わってうららかな天気。

日本語コーナーに人々が戻ってきた。

アニメ好きの小学生の女の子たちも、もう1年以上通ってきている。

 

 高松日中友好協会のボランティア、豊田先生も中国の若者たちと談笑。

 

何を思ったか、急にマジックを披露し始めた江西財経大生、周文いくさん。

帽子が何と、懐かしいドクタースランプ=アラレちゃんだ。インターネットで買ったそうな。

それにしてもこのドヤ顔(笑)。

 

このマジックには、日本語関係じゃない人たちも興味深そうに周りを取り囲んだ。

後ろの男性もずっと見ていた一人である。中国の人たちは好奇心を隠そうとしない。

非常に率直な感じで、なんかホッとする。

 

昨年4月から岡山商科大学に出張していた江西師範大学の丁勇先生も帰って来た。

もう、一年が経とうとしているんだなあ。

 

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「領域を越境されることに私は寛大じゃない」 2014年2月26日(水)No.855

2014-02-26 14:15:31 | 日記

 

昨年(2013年)、春節休み中に昌北の財大宿舎に戻ると、

財大購物広場(スーパー)には、しなびた蜜柑が少し転がっているだけで、

新鮮な野菜は全くなかった。

仕方がないので、干しシイタケを水でもどしたりして細々と暮らしていたら、

劉思婷さんが故郷樟樹から

香菜や小白菜や揚げ餅やらてんこ盛りカバンに入れて持ってきてくれた。

 

今年は、何と、大根、ニンジン、白菜、蓮根など、たくさんの重い野菜を

江西科技師範大のヤギ先生が、まるでカサコ地蔵様のように運んでくださった。

ありがたや。

そのときの大根が、葉だけになってまだ元気である(写真)。

 

しかし、今年、財大購物広場の傍のもう一つのスーパー「全家百貨」に行くと、

あら?野菜や果物、肉など、ほぼ普段通りに売ってるじゃありませんか。

去年は財購にしか行かなかったのだが、おそらく全家百貨では何でも売っていたのだろう。

(何故私は、昨年、全家百貨に足を向けなかったのか)と自問した。

 

で、領域の話になる。

当時、私は、あることで全家百貨の店員に腹を立てていたのだ。

ある日、私は野菜など少量の商品を買うためにレジに差し出し、

「大きい袋を1枚ください」と言った。

大は小を兼ねる。大きいのを1つ買っておいて、

これから何度もその袋を再利用しようと考えたからである。

しかし、店員は品物を指さし、

「アンタはちょっとしか買わないくせに(と聞こえた)、小さい袋でいいんだよ」

と、私が拙い普通語で「我要大袋子!」と繰り返すのを無視して、

小さい袋しか売ってくれなかった。

後に、学生たちにこの話をしたら、学生は必ず、

「その店員さんは小さい袋が2角、大きいのが4角なので、

親切な気持ちで小さいのにしたのでしょう」

と言う。そうかも知れない。しかし、その判断は間違っている。

大か小かを選ぶ権利は、お金を払う客の私にある。

客は客の算段があるのであり、店員がそれを覆す権利はない(大袋がないならともかく)。

明らかに越権行為であり、自分の領域を侵されたと感じた私は、

二度と全家百貨には行くまいと決めた。

(その割に一年経ったら、すっかり忘れているんですケド(笑))

 

領域を勝手に乗り越えてこられたと感じることは、他にもある。

以前に書いたが、他のクラスの先生が課題を学生に出して、

「その課題はブルーはーと先生に見てもらってもいいです。

先生は日本人だから日本語が上手ですから~」

と学生に言い、先生自身はそれ以前もその後も私には何の打診もしてこなかったこと、

また、学生たちが気楽に、

「先生、これは○○先生のクラスのスピーチ原稿なんですけど、チェックしてくださ~い」

と、持ってきたり、逆に私が出した課題を、

「もう、△先生に見てもらいましたから~」

と言ったりするとき、私の頭は活火山状態になる。

 

ずっと以前、アメリカの大学で学生だったとき、こんな体験をした。

ライティングクラスのレイトン先生が、名詞節の文をいくつか作ることを宿題に出したが、

その名詞節というのが、いまいちスッキリ分からなかった私は、

レイトンを一生懸命探した。2日間ウロウロしたが運悪く見つけることができなかった。

ちょうどその時、別のクラスのC先生を見かけた私は、仕方なく、

名詞節についての解説を頼んだ。

「お門違いなのは存じていますが、あいにく、レイトンを見つけることができなくて~~」

と、事情を説明して。

C先生は「他にも名詞節について尋ねてきた学生が何人かいたよ。どれどれ…。」

と言って説明してくれた。

私はホッとして、それで終わったと思っていた、が、

しかし、次のライティングの授業後、

「君たち、僕ではなくてC先生に名詞節について質問したんだね。

C先生が僕に、メチャクチャ怒ってきたよ」

とレイトンが言ったとき、全てを察したのだった。

自分が義務と責任を果たすべき範囲、自分の裁量で判断するのが当然な範囲があり、

それを自分の領域として人は暮らしている。

一般に、アメリカ人は、多くの日本人より、領域を侵害されることに非常に敏感である。

それもまた、自分の属する集団の思考傾向や習慣で異なってくる。

私が領域を侵されたと感じることの多くは、

ここの人々には、そう感じられない。

何故なら、領域そのものが実に曖昧なのだ。

しかし、人々がバスにきちんと並ばないことよりも、

バスが時間通りに来ないことよりも、

自分の領域と思うところを乗り越えてこられることに、私は慣れない。

おそらく、これだけは今後もずっと慣れないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「3人の卒業生の来訪」 2014年2月24日(月) No.854

2014-02-24 20:55:03 | 日記

2月5日、2年前江西財経大学を卒業したお嬢さんたちが宿舎に遊びにきたときのスナップ。

(左から劉思婷さん、黄斯麗さん、範夢しょうさん)

2月5日の写真をなぜ今頃?と思われるだろう。

掲載したくともデジカメからパソコンに繋ぐケーブルを大阪の家に忘れて来て、

それが今日、ようやっとこさ、娘経由で中国まで届いたのである。

ああ、これでスッキリしたわ~。

 

で、いち早く2月4日朝に到着した範夢しょうさんと私は、

全家百貨(スーパー)で豚肉や野菜、果物を買い、

宿舎で夕食の支度ををしつつ、後の2人の到着を待っていた。

と、肉を切っていた範さんが、

「先生、これ、何ですか?」と言うので見たら…

どう見ても、お乳。

「これはこれは」と2人で驚いているところへ黄斯麗さんが到着し、

「このお乳はオスのですね。小さいですから。」

と、こともなげに言う。

そう言われるまで、範さんと私は(お乳があるということは、この豚は女性だったのだ!)

と思い込んでおり、

「これは気の毒なことをしてしまった」

「もーしわけないから、せめて美味しくいただきます」

などと混乱した会話をしていたのだった。

いや、男性でも申し訳ないのです……。

劉思婷さんは、この現場を見ていない。

なぜならば、南昌から最も近い樟樹から来る劉さんは、乗り間違えて遠い贛州まで行ってしまい、

最も遅く(夜11時に)着いたためである。

昌北の夜空に毒舌家、範夢しょうさんの大声、

「劉思婷のヴーカ!」

がこだました。

 

下は関係ないんですけど、

中国に戻る直前、尼崎の近松記念公園を散歩していた時に見つけた水仙の花です。

お乳を見た方、この花でちょっと心を落ち着けていただけますでしょうか

 

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「学生の故郷の環境問題」 2014年2月23日(日)No.853

2014-02-23 20:15:41 | 中国事情

春節を故郷で過ごした学生たちの多くがちょっぴりふっくらして大学に戻ってきた。

3年生には先学期末に

「故郷の自然環境の変化」について調査しレポートを書く課題を出しており、

先日からその宿題を見始めたが、ウ~ム……。

例えば、アンケート調査に応える住民の声で、

「汚染のせいで外に出るのが嫌だ」(70歳;退職者)

「外に出る時はマスクをしなければならない」(16歳;学生)

「車を運転する時、時々道路が見えない」(35歳;ドライバー)

「煙がいつも重いと感じる」(50歳;清掃員)

以上ハルビン市。

「以前は山水の景色が素晴らしかったが、今は川の魚さえ減っている」(祖父)

「今は工場が増え、いろいろな収益があるが、同時に大気・水質・土壌汚染も増えている。

多くの土壌はもう耕作に適していない。」(農民)

「子どもの頃はこの川でいつも魚取りをしたが、

今の子どもはできない。以前の生活が懐かしい。」(幼馴染)

以上江西省贛州市石城県。

このように、住民が自然環境の悪化を愁いている地域もあるが、

意外とそんなに深刻に考えていない地域も多い。

自然は破壊されたが、収入は増え、

生活は豊かになったので幸せだと感じる人が多い、と

レポートしている学生が何人もいる。

また、何が原因で環境が悪化し、

それへの対策は如何にすべきかという知識が行きわたっていない感が強い。

 

まだ全てのレポートを読んではいないが(多くは解読するのが困難ではかどらない)、

環境破壊の深刻さに住民が気づいていないという深刻さが、

浮かび上がって来そうな予感がする。

 

 

 

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「小出裕章さんの言葉を静かに噛みしめる」 2014年2月22日(土)No.852

2014-02-22 20:32:36 | 政治

一昨年江西財経大学を卒業し、外交官を目指した一人の女の子が北京外交学院の大学院に進学した。

しかし、入学してまもなく彼女から届いたメールは終始暗いトーンだった。

彼女は中日友好のため、そして、世界平和のために活躍する外交官になりたかったが、

大学院では、どうすれば中国にとって有利な外交が展開できるかが関心事であり、

彼女の「地球はみんなのものですよ!」という主張は全く歯牙にもかけられないアホ発言だった。

彼女は政治を見限って、司法試験の勉強を始め、昨年受かった。

今、中国各地を回って就活しているだろう。

小出さんの文を読んで、ふと、その教え子斯麗さんのことを思った。

 

―――引用ここから

 

小出裕章さん「脱原発を目指す人たちがお互いを傷つけあうことはやめて欲しい」                政治 / 2014-01-24 17:23:37  小出裕章さんからのメール

都知事選についての意見 

私はこれまで、原子力のない世界を求めて、私の場でやってきました。

私以外の方はやろうとしないこと、私にしかできないことを選びながら、やってきました。

私の戦いは「原子力マフィア」と呼ぶ強大な権力が相手でしたので、私の戦いは常に敗北でした。

それでも、負けても負けてもやらなければいけない戦いはあると思ってきましたし、今でもそう思います。

歴史は大きな流れですので、目の前の小さな勝ちを得るためではなく、遠い未来から見ても恥ずかしくない戦いをするべきだと思ってきました。

私が原子力に反対するのは、単に原子力が危険を抱えているからではなく、それが社会的な弱者の犠牲の上にしか成り立たないからです。

当然、戦争の問題、沖縄の問題など、無数に存在している課題と通底しています。

今回の都知事選に関していうのであれば、私は宇都宮さんの主張に賛同します。

彼にこそ都知事になって欲しいと願います。


ただ、すでに「脱原発」を最大のテーマとして細川さんが立候補しました。

そして、小泉さんが細川さんを支持しました。

小泉さんは小泉構造改革を行って社会的弱者を切り捨てた張本人ですし、靖国神社にも参拝する人です。

私は小泉さんが嫌いだと発言してきましたし、細川さんや小泉さんを支持したいとは思いません。

ただ、今回の知事選での動きを見ていると、これまで反原発・脱原発を担ってきた私の友人、知人が宇都宮さん支持、細川さん支持で引き裂かれてしまいました。

中には相手を激しく批判する人も出てきてしまいました。

私は大学闘争の世代で、当時はたくさんの党派、セクトが乱立し、お互いの小さな違いを取り上げて批判し合い、中には殺し合いすらが起きました。

私は、そうした動きが嫌いでしたし、当時女川原子力発電の反対運動に関わり、その運動に力を貸してくれる限りは誰でも受け入れ、共に活動することを選びました。

今回の都知事選で獲得するべき目標はなんなのでしょう?

負けてもいいからきちんとした論争をするという立場はもちろんありますし、私自身はずっとそうしてきました。

ただし、私が政治、特に選挙が嫌いな理由は、選挙が勝つか負けるかが決定的で、本当に自分がやりたいことだけをやっていることを許さないからです。

そして、今回の知事選では、私は舛添さんに勝たせることだけはあってはならないと思います。

宇都宮さんと細川さんが原子力に反対すると表明し、残念ながら私の友人・知人にしてもそうであるように、必ず票が割れるでしょう。

すでに、告示日が過ぎましたので、宇都宮さんと細川さんの一本化は不可能となりました。

今回、細川さんを支持した人たちの中には、舛添さんを勝たせたくないと思っている人がたくさんいると、私は思います。

残念ながらここまで来てしまえば、それぞれの人がそれぞれの思いに従って票を集めるしかないでしょう。

脱原発の人が多くの票を集めてくれることを願いますが、票が割れる中、舛添さんが利を得ることを私は怖れます。

せめて、究極の目標を忘れずに、脱原発を目指す人たちがお互いを傷つけあうことはやめて欲しいと願います。

私はこれまでにも政治は嫌いで、決して関わらないと公言してきました。

ただ、前回の都知事選で宇都宮さんを支持する旨表明しました。

でも、今回の経験を経て、私はますます政治が嫌いになりましたし、今後は一層、政治、特に選挙からは遠ざかろうと思います。

私の主戦場は「原子力」の場であり、従来通り、その場で私しかやらないこと、私にしかできないことに私の力を使います。

そして、差別のない世界を目指す人たちと連帯したいと思います。

 

今回の選挙を自らの課題として戦っている皆さんに対しては、申しわけなく思います。

政治が大切であることは十分に承知しています。

政治に関わってくださる皆さんをありがたいと思います。

しかし、私という人間は政治が苦手です。

他の誰でもない私の個性だということで、お許しいただけると嬉しいです。

  2014年1月24日 小出 裕章

 

 

 

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「文楽を観て泣いた日」 2014年2月20日(木)No.851

2014-02-20 20:35:29 | 日記

気風のよかった故スエミ姐さんの親衛隊みたいなのが大阪にはいくつも現存し、

私もその一つに寄してもらっている。

便宜上「太子GIRLS」とでもしておこう。

「太子GIRLS」は、元来、喋ることと遊ぶことが本職の面々で、

浪速の伝統芸能「文楽」が好きかと聞かれたら、(暇だからたまに文楽でも観よう)

という程度だと言えよう。

それが、橋下大阪市長の文楽への補助金カット方針を聞くに及んで、

「ええ?ユネスコの無形文化遺産の文楽に対してそーゆー扱い!?

大阪をカジノ賭博と文化不毛の町にする気かい??」と驚き、呆れて、

とにかく一月中に人形浄瑠璃「文楽」を観に行こうと決めた。

1月24日午後、スエミ姐さんのお骨が収められている一心寺にお参りに行き、

そのまま徒歩で国立文楽劇場に向かった。

その日午後の演目は、

「面売り(めんうり)」

「近頃河原の達引(ちかごろかわらのたつひき)」四条河原の段/堀川猿回しの段

「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」阿古屋琴責の段

正直、「面売り」でちょっと寝た。

しかし、次の「近頃・・・」の堀川猿回しの段で、私はすっかり目が覚めて、

人形遣い・語り・三味線の三位一体の技に心を奪われ、

(まるでロックコンサートみたいやなあ)と思った。

で、最後の演目だ。

これが凄い。あまりにも凄い。

この写真は、阿古屋という遊女に、恋人である平家の落ち武者景清の行方を吐かせようと、

源氏の役人畠山重忠が責めをする場面だが、

責めの方法として楽器を演奏させるのである。

ウソをついているか否かが、演奏の乱れなどで判るからだそうだ。

琴、三味線、胡弓を次々と弾かせ、阿古屋の三曲とも一糸乱れぬ演奏に

判官畠山重忠が無罪を言い渡すというストーリーで、

ま、単純と言えばそうなんだけど、これは江戸時代、上方庶民の娯楽だったのであるから

(文楽の歴史は16世紀に遡るが)、そんなに複雑な物語である必要はない。

見せ場は、演奏シーンである。

人形である阿古屋が本当に演奏しているかのごとき人形遣いの技!

で、一般的には人形遣いは顔を見せているのが一人、あと二人は黒子であるが、

この阿古屋だけは、三人とも顔を出している。それだけの芸を見せているのである。

あまりの音の良さにボーっとなり、目から勝手に涙が……。

後からチラシを見ると、まず、しょっぱなの三味線を「ベン」と鳴らしたのは、

人間国宝の鶴澤寛治師匠だった。

イヤ、魂を吸い取るような演奏とはこのことなり。

これは「文楽ライブ」と言ってよい。

しかも、鳥肌が立つ演奏と、義太夫(唄みたいな語り)、人形遣いの鬼気迫る技の饗宴である。

 

この「壇浦兜軍記(だんのうらかぶとぐんき)」阿古屋琴責の段は、

必ずもう一度、観たいものだ。

否、一度と言わず何度でも。

皆さん、大阪日本橋の国立文楽劇場に一度行ってみてください。

鳥肌演技が待っていますよ。できたら、今年度内(3月末まで)にね。

 

資料:朝日新聞デジタル2014年1月15日                                       

大阪市は今年度の補助金について、

国立文楽劇場の入場者数が年度内10万5千人以上ならば満額、

それ未満なら入場者1人につき約1930円ずつ削減、

9万人以下ならゼロという指針を示していた。

1月15日現在の合計入場者数は約8万8千人。

 

 

 

 

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「やがて哀しきオリンピック」2014年2月19日(水)No.850

2014-02-19 18:39:21 | 日記

―――オコジョさんのコメントに応えて―――

あれは2012年8月、夏休みで大阪に戻った私は阪急電車に乗り、席に座っていた。

人が乗って来たので座席を詰めると同年輩の女性が軽く会釈をして隣に座り、やおら

「昨日は遅くまでコーちゃんのテレビ見ていて3時間しか寝てないねん」

と話しかけてきた。

(コ、コーちゃんて?誰?誰やね~ん?)と必死で文脈をたどり、

ちょうどロンドンオリンピックが開催中だったことから、

取りあえず知っているコーちゃんはこの人だけだったので、

「コーちゃんとわ、北島コースケ選手のことですか?」

と聞くと、その見知らぬ夫人は、当然のように

「そう、そ。もう自分の息子みたいに可愛くて~」

と、その後もテレビを見ない私には分からないオリンピックの試合について、

ニコニコしながら次々と言い続けていた。

意味不明なそれらの単語はまるで小鳥のさえずりのようで、

しばし曖昧に対応していたが、しまいに本を取り出して読むふりをし、

一方的な会話をストップしてもらうしかなかった。

 (なぜ、私がオリンピック競技に興味があると決めつけているのだろう、この人は)

(なぜ、コーちゃんで話が通じると思ったのだろう、この人は)

 

実は、ずっと以前から、オリンピックの時の国民の様子には違和感を抱いている。

日本では、オリンピック開催時には多くの人々がテレビで熱心に観戦し、

日本の選手たちを応援するようだ。

外国の選手たちも日本の選手同様、日々鍛錬して試合に臨んでいるはずだが、

外国人選手についての記事は、日本選手の微細に取材されたものに比べ、

質量ともに雲泥の差で少ない。

ネットニュースでは当然のように選手の名字だけ、または名前だけを載せるが、それは

(みんなそれだけで分かるだろう。皆一丸となって日本の選手を応援しているのだからな)

という押しつけ感がある。

まあ、それぐらいなら我慢もしよう。

自分が見なければいいのだ。

しかし、当然に選手は奮闘の結果、勝ったり負けたりするのだが、

そして、勝った時は何の問題もなく、皆がキャーキャー言って出迎えるが、

負けたとなると、一丸となって応援してあげていたはずの国民の中から、

「税金泥棒!」

「楽しかったなどと、負けた者が口にすべきではない」

「期待に応えられず、申し訳ないと思わないのか」

「裏切り者!」

などと、選手に対する鋭い攻撃の声が噴き出すのである。

今回、ソチ・オリンピックではいつもにも増してこの罵声が声高に聞こえてきた気がする。

これらの発言の背景には、「選手はお国を背負って立つ国の代表」と言えば聞こえはいいが、

「選手は国家意識発揚の道具である」というメチャクチャな思想がチラ見えする。

国別のメダル個数が当たり前のように報道されるのを見るにつけ、

(もう、オリンピックとか止めればいいのに)と思う。

ナショナリズム発揚に一役も二役も買っているこの大会、

今回の中日韓の国民の激しい罵り合いは、

選手の頑張りとは無縁のところでなされている。

もう、うんざりだ。

 

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「NHKは人命よりソチ・オリンピック報道が大事?」 2014年2月17日(月)No.849

2014-02-17 21:09:05 | 日記

15日未明から降り続いた大雪のため、

甲信越地方では多くの地域で「陸の孤島」が出現しているという。

交通網やライフラインが寸断、市民生活に大きな影響が出ている、

まさに非常時としか言い様がないその時に、NHKを始め各TV局は、

この災害状況を(あまりか、ほとんどかは知らないが)伝えていないそうじゃないか。

昨日16日現在、山梨県によると、自衛隊による救援活動が始まったものの、

河口湖町では女性ひとりが凍死したのを始め、

車内に取り残された人々の安否などもすべては確認できない状況だという。

「県内だけでも、家に帰れず、車の中で過ごしている人々が数百人にのぼるのではないかとみている。凍死や一酸化炭素中毒など死の危険に直面している人も少なくないはず。政府は本当に対応を急いでほしい」(県庁職員)                            ―――DAYLY NOBORDER 2月16日(日)21時22分配信

こんな緊急事態を報ぜずに一体NHKや民法テレビ局は何やっているのか。

ソチ・オリンピックの報道で忙しいのだそうだ。

NHKの災害報道(臨時災害報道も含む)は、放送法(第8条など)で定められ、

大災害時には報じなければならないものと義務づけられているが、

今回の山梨の悲劇は、ネットばかりが大騒ぎし、

テレビは高額な放映権料を気にして、ひたすらオリンピック競技を映し続けているという。

これが本当だとすれば、

ここにも、どれほど今の日本が壊れているかが示されているというものだ。

籾井、百田など安倍首相のお気に入りばかりが役員に収まって、

全世界に醜悪な日本ナショナリズムの姿を臆面もなく曝け出しているNHKは、

定められた放送法も無視して、

彼らにとっては国民の命より大切なオリンピック報道に邁進しているというのだから。

 

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「中・日・米・英の小学生のルール」 2014年2月16日(日)No.847

2014-02-16 19:04:13 | 教育

明日から授業が始まると言うのに、

日本では忘れていたネット・サーフィンに多くの時間を費やして、

ほぼ一日を過ごしてしまった。

でも、授業のネタになるかも知れないから~、と合理化できないこともない。

 

レコード・チャイナや新華網JPの記事が、あまりにも日本人の心にヤサシイ響きなのが多く、

ホンマかどうかつい疑ってしまうほどである。

例えば新華網JPでは

「日本が嫌いどころか、全てが好きだ」、ネットユーザーの告白に「言いにくいことを...」「日本人が中国人を嫌いなのが残念」―中国ネット XINHUA.JP 2月16日(日)9時4分配信

 出張で初めて日本を訪れた中国人、目の前で起こった驚愕の光景とは?―中国ネットXINHUA.JP 2月15日(土)9時57分配信

 

私がこれらを転載すると、まるでヤラセに映りそうなので、

今日は同じ新華網JPの記事で興味を引いた、

表題4か国の小学生のルール(たぶん学校で先生やらに言われる言葉のことだろう)を

御紹介しよう。

各国の児童への教育姿勢・何を教えることが重要と思っているかの違いが

顕著に現れているので面白かった。

ここからーーーーーーーーーーーーー

中米日英、各国で大きく違う「小学生のルール」とは?「隠し事はダメ。秘密はお母さんに喋ってしまおう!」―中国メディア

http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/372104/

 2014年02月01日

 中国と日本、アメリカ、イギリスの「小学生のルール」を比べた文章が

インターネットで話題になっているという。

なかでも中国版「小学生のルール」は実用性に欠け、お題目主義の一面があるらしい。

新華毎日電訊が伝えた。

中国版「小学生のルール」
1 祖国を愛し、人民を愛し、共産党を愛そう
2 法律を守ろう。校則と社会のマナーも大切に。
3 勤勉に、探究心を絶やさず学習を続けよう。ボランティア活動も積極的に。
4 命を大切に。体を鍛え、清潔に過ごそう
5 精神力を鍛えて自分を磨く。健康的な生活習慣を身に付ける
6 勤労は素晴らしい。自分でできることは自分でやろう
7 両親を大切にしよう。年上の人には礼儀正しく接すること
8 団結心を大切にし、他人にやさしく
9 自分の言葉には責任を持とう

日本版「小学生のルール」
1 遅刻をしない。学校に来たら勝手に外に出ない
2 チャイムが鳴ったら決められた行動を。廊下で走らないこと
3 教室では静かに。私語も禁止
4 遅刻、早退など緊急の場合はまず先生に連絡すること
5 下校時間は守ろう
6 登下校時は決められた通学路を通ること。買い食いはダメ
7 地震や火事の場合は先生の指示に従うこと

 アメリカ版「小学生のルール」
1 先生には敬意を払うこと
2 遅刻をしないこと
3 質問があるときは挙手を
4 自分の席で先生と話をしてもよい
5 欠席した時は、授業の内容を先生やクラスメートに聞いて理解しておくこと
6 緊急の場合は先生に連絡すること
7 宿題に誰かの助けを借りないこと
8 カンニング禁止
9 授業でわからないことは先生に聞くこと
10 遅刻や欠席は保護者が記入した届け出を提出すること
11 病気、家族の不幸、宗教上の事情の場合は欠席も可
12 先生の質問に答えられる人は積極的に挙手を

 イギリス版「小学生のルール」
1 健やかに育つことが何より大切
2 むやみに他人に体を触らせないこと
3 お金より命が大切
4 隠し事はダメ。秘密はお母さんに喋ってしまいましょう
5 知らない人から食べ物や飲み物をもらわない
6 知らない人と話をしない
7 身の危険を感じたら物を壊して逃げよう
8 身の危険を感じたら一目散に逃げよう
9 悪い人をかばってはダメ
10 悪い人には嘘をついてもよい

(翻訳編集 tnsn)ーーーーーーーーここまで

 

※日本の小学校にはまるでルールがちょっとしかないように勘違いする人がいるかも知れないが、

例えば大阪では、冬にマフラーをしてくるな、手袋もダメとか、

男子はできるだけ半ズボン、女子はスカートを着用せいとか、

学校によっては意味が分からない校則を編み出す先生方がマジョリティだった。

ただ、同じ「日本」と言っても、大阪と北海道ではま~ったく違って、

北海道は非常に大雑把だ(った)。

案外、北海道は沖縄と似ているところがあるかも。辺境同士で。

 

私の胸に沁みたのは次の項目だ。

特にイギリスのは泣くほど好きだ。

7 両親を大切にしよう。年上の人には礼儀正しく接すること(中国)

1 先生には敬意を払うこと(アメリカ)

7 宿題に誰かの助けを借りないこと(アメリカ)

7 身の危険を感じたら物を壊して逃げよう(イギリス)                                 8 身の危険を感じたら一目散に逃げよう(イギリス)                                 9 悪い人をかばってはダメ(イギリス)                                           10 悪い人には嘘をついてもよい(イギリス)

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「人生は苦しい。そして短い」 2014年2月15日(土)No.847

2014-02-15 21:17:51 | 中国事情

一昨日13日は八一公園に日本語コーナーを設立した博堅先生の送別と、

岡山商科大学から戻ったばかりの江西師範大学の丁勇先生の歓迎を兼ねた宴会があり、

今日15日は、博堅先生が日本語コーナーに来られる今季最後の日ということで、

日本語コーナー活動後、参加者みんなで近くのレストランで昼食会をした。

今度いつ博堅先生が南昌にいらっしゃるか、

そして、その時に私は南昌にいるかどうかも分からない。

普段、何かと言えばすぐ宴会する「南昌ノミニケーション」には少々くたびれていた。

しかし、今回は、また会おうと言ってもその日は来ないかも知れない大切なひと時だ。

「渭城の朝雨軽塵を浥し

客舎青々柳色新たなり

君に勧む更に尽くせよ一杯の酒

西のかた陽関を出づれば故人無からん」

とは、こういう場合にピッタリの詩だなあと一人感じ入っていた。

挨拶で博堅先生が開口一番に言われたのが

人生は苦しい。そして短い。

だった。

博堅先生は1933年、福島県で生まれ、戦時下の1944年11歳で中国に戻った。

博堅先生のお父さん、博棣華氏は、

当時福島高商(現福島大学経済学部)で中国語などを教え、

中国に戻ってからは華北交通大学の学長に就任した知識人だった。

博棣華氏は1946年1月から半年間、大学を解放して多くの日本人引揚者を保護し、

天津港から日本に帰したが、後にそれを罪に問われて逮捕され、

出獄後、時を経ずして痴呆になった。

博堅先生は1946年~48年、13歳から15歳の間、

バス会社に雇われたり、新聞売りをしたりしながら小・中学校で勉強した。

1949年、16歳で革命軍に参加し、いくつかの部署を経た後、

朝鮮戦争に少年兵として従軍し、

部隊の士気を高めるために小さな打楽器を打ち鳴らして

戦士を鼓舞する役割を担った。

しかし、なんと「日本関係者」だということで軍隊を追放されてしまった。

それから文化工作団で俳優、脚本・原作執筆など活動の場を得て専心し、

後の江西省歌舞団の実力者としての礎を築いた。

さらに、文化大革命時には4年間下放されたが、

改革開放の時代が到来し、

大阪の戦友会「椿会」の江西省訪問、侵略戦争への謝罪の旅に同行して通訳を務め、

重大な歴史の生き証人にもなっている。

その後も椿会メンバーと交流し続けたために海南島で省政府により監禁されるなど、  

時代と国家に翻弄される人生が続き、今年81歳を迎えた。

今日のこの言葉の裏には、こうした多くの事実が横たわっている。

 

それなのに、どうしてだろう。

博堅先生は中国も日本も嫌いにならないのだ。

博堅先生が設立された八一公園日本語コーナーは来年30周年を迎える。

中国中探しても、こんなに自主的かつ元気に活動している日本語コーナーはないだろう。

(もしあるなら教えて)

 

現在、博先生は自身が日本語コーナーを設立するに至った経緯などを含め、  

江西省と日本との友好の歴史について執筆中である。

本人は「記憶がしっかりしているときの記念に」とおっしゃるが、

脱稿の暁には日本のどこかの出版社が引き受けてくれないかなあ。

 

きょうだいや身内に多くの大学卒業、大学院博士号取得者、大学教員がいる中、

自分は中学校にしか行けなかったと嘆く博先生は、地位ある人を紹介する際、

「この方は○○大学の博士号を取りました。たいへん偉い人です。」

と言う。

その言葉にいつも苛立ちを覚え、

「じゃあ、学校に行けなかった農民は偉くないんですか」

と要らんことを言い続けたワタシだが、もちろん心情が分からないわけではない。

しかし、最後まで市井の人でありつつ、自分の人生でなしうるベストを尽くし、

偉大なる庶民として、私たちの敬愛する先輩として、命を輝かせていただきたいと、

心の深いところで願っている。

 

 

 

 

 

 

 

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「鹿児島に中国人養父母への感謝の石碑設置―中国版ツイッター」2014年2月14日(金)No.846

2014-02-14 17:05:14 | 中日(日中)関係

  Record Chinaは、中国残留日本人孤児たちが

鹿児島県に中国の養父母への感謝の碑を建てたことについての、

中国版ツイッターの声を拾って伝えている。

こうした声も、日本には伝わりにくい現状だろう。

拡散目的でここに紹介する。

 

 

ここから――――――――

鹿児島に中国人養父母への感謝の石碑設置=

「涙が出る」「中国はなぜ“恨み”伝える?」―中国版ツイッター

配信日時:2014年1月24日 21時10分

23日、日本メディアによると、                                       第2次世界大戦後の混乱で中国に残された日本人孤児を育てた                 中国人養父母たちへ感謝を示す石碑が、鹿児島市に建てられ、除幕された。

石碑には「救いの手を差し伸べた中国人養父母の慈愛の精神に感謝し、                    日中友好の末永い存続を願う」などの碑文が刻まれている。

石碑の設置は、日本人遺華孤児鹿児島会代表の鬼塚建一郎さんが発案した。                鬼塚さんは                                                          「もし敵国の子どもに手を差し伸べてくれる養父母の慈愛がなければ、                      私はここにいない。多くの人の助けがあって石碑設置に至ったことに感謝したい」                と述べた。

このニュースは中国でも報じられ、「中国版ツイッター」には多数のコメントが寄せられている。           以下はその一部。

「安倍首相はこれを見て反省しろ」                                            

「実際の行動によって感謝を示した。これは信じられる」                                

「恩を感じる心を持った日本人は、安倍首相を支持しないと信じている」

「これこそ日中関係の帰着点」                                               

「日中の平和こそ、両国民の利益だ」                                           

「この種の報道があるたびに涙が出ます」

「日本には親中の人もいる。中国のように党の天下ではないのだ」                         

「中国の改革開放後の日本の大きな援助に感謝しています。                           残念なことに、国内では関係の報道があまり見られないけど。日中の長期にわたる友好を望みます」           

「日本で伝えられるのは“愛”、われわれが伝えるのは“恨み”。なぜだろう」(翻訳・編集/北田)http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=82302&type

――――――――ここまで

 

 

 

 

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「中日友好の声がお互いの国に届くために」 2014年2月13日(木)No.845

2014-02-13 23:26:33 | 中日(日中)関係

今日、ある中国の方と話していて、一瞬(まさか?!)と耳を疑った。

その方(Aさんとしよう)が厳しい表情で言うには、最近テレビを見ていたら、

また漁船の船長が尖閣諸島近くで逮捕されたとのこと。

映像に両手を括られた船長が映ったという。

少し後で別の中国の方(Bさん)が来られ、

それは2010年秋の事件を再放映したものだと分かった。

しかし、AさんはBさんの解説を受けるまで、

最近、また同様な事件が起きたのだと完全に誤解していた。

このように、人は簡単に誤解する。

 

お返しに(?)私は、この間NHKラジオのニュースで言っていた

「鹿児島の残留孤児たちが中国の養父母に感謝の碑を建てた」ことは知っているかと聞いた。

AさんもBさんも知らなかった。

「中国のテレビはいいことは1つも知らせず、悪いことばかり教える」

とAさんは憤慨していた。

私も日本のマスコミについて同様に思う。

 

ところで、日本では、

「こうなったら、自分たちで新しい情報伝達機関を作るしかない」

と動き始めた人たちもいると聞いた。

皆がお金を出し合って、独立系報道教養番組を2013年1月に立ち上げた

「ラジオフォーラム」www.rafjp.orgなどがその筆頭だろう。

もはやメディアに頼りつつ文句を言うことに見切りをつけて、

自分たちの力をつけていく時期に来ていると思う。

もちろん、大マスコミの中で自分の伝えたいことを

一生懸命工夫して記事にしている報道・新聞・雑誌記者の存在は感じるし、

その人たちと連携することも大切だろう。

取りあえず、下はその鹿児島の残留孤児たちのニュースだ。

鹿児島朝日新聞の小池寛木さん、記事を書いてくれてありがとう。

これで、ほんのちょっとでも中国の人たちに

(こんな日本人もいるよ)と拡散することができる。

 

―――出所は 2014/01/24 朝日新聞/鹿児島県―――

 終戦の混乱で中国東北部(旧満州)に残された日本人孤児を育てた

中国人養父母たちへの感謝の石碑が鹿児島市で23日、除幕された。

日中間で国同士の関係はこじれたまま。

建立に携わった孤児や日中交流関係者は、

この碑が友好を再び取り持つことを願っている。                                  

 感謝の碑は鹿児島市の天保山公園にできた。

高さ約2・5メートルで、「中国人養父母感謝之碑」と記された。

除幕式は市内に住む残留孤児、自治体など関係者約70人を迎えて開かれた。               

 発起人で鹿児島市に住む残留孤児、鬼塚建一郎さん(73)は

「(感謝の碑は)日中両国の永久の絆になる」とあいさつし、

感謝の気持ちを漢詩にして読み上げた。

中国駐福岡総領事館の李天然総領事は

「心より感謝を申し上げる。この厳かな雰囲気を目の当たりにして感無量の気持ちです」

と述べた。                                                           

鬼塚さんは中国・黒竜江省出身。

旧ソ連軍侵攻による混乱のなか、実父と生き別れ、実母とも死別した。

凍傷や皮膚病で生死の境にあった5歳のころ、

吉林省の農家、トウ兆学さん(当時45)夫妻が引き取り、育ててくれた。

約40年間、北朝鮮国境の長白山(白頭山)のふもとでともに農業を営んで暮らした。1

986年に帰国し、市内の量販店で定年まで働いた。                                 

中国では現地の子どもから「日本鬼子」といじめに遭うこともあったが、

実子と分け隔てなく育ててくれた養父母に救われた。                                

「残された私たちは、もし養父母たちが引き取ってくれなければみんな死んでいた」

と鬼塚さん。

「異国の孤児に救いの手をさし伸べてくれた恩を忘れてはいけない」と、

感謝を示す碑の建立を思い立った。                                           

旧知の県日中友好協会長で高島屋開発相談役の海江田順三郎さん(85)に相談し、

互いの私財を投じての建立が決まった。

東京に建てることも考えたが、快く市有地提供に応じた鹿児島市での建立を選んだ。             

厚生労働省によると2013年12月までに永住帰国した残留孤児は2553人。

県内には13年10月現在、25人おり、平均年齢は75歳と高齢化が進む。

この日、式典には約10人が家族と訪れた。

遼寧省で育った残留孤児、高山文夫さん(71)=鹿児島市=は

「またここに来て、命を救ってくれた養父母のことを思い出したい」と話した。

 尖閣諸島問題や首相の靖国神社参拝を巡り、きしみ続ける日中関係。

海江田さんは建立を

「国とか政府ではなく中国人と日本人、人間同士の付き合いを大切に考えるきっかけにしたい」

と話し、こう期待する。

「これを皮切りに、残留孤児がいる全国各地に『感謝の碑』が広がれば、

日中関係も前進するんです」(小池寛木)

 

 

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「茉莉香米と納豆」 2014年2月12日(水)No.844

2014-02-12 18:45:00 | 日記

今日も寒い一日だった(ってまだ5時間以上残っているけど)。

マイナス最低気温(-1℃~-5℃)が4日間続いている。

窓を開けて外の気温と部屋の中のを比べてもほとんど同じなのが、

ここの生活の困難なところだ。

そんなときには、用事を作って外に出かける。

今日は、銀行になんぼお金が残っているかチェックしに行くことにした。

寒いのと並行してだろうか、大気が優良状態なので、

途中からマスクを外して蛟橋北キャンパスを散歩した。

秋に高松日中友好協会の筒井先生を案内した池にはマガモかも、

と思える水鳥が5,6羽まとまって浮いていた。

池の周囲は人影まばらで、途中、学生らしきカップル1組と

車椅子の若者とそれを押すお母さんに出会ったくらいだ。

キャンパス内ではもちろん、南昌市内でも滅多に車椅子には出会わない。

道路がデコボコで、とてもじゃないがムーズに通行できる状態ではない。

車椅子を押す人が、

車がビュンビュン走る車道の隅を通っているのを見たこともある。

車椅子でそよ風のように町に出られる環境が、早く南昌でも実現しますように。

 

さて、宿舎に戻り、

冷蔵庫の残り物ご飯(この辺の美味しい米=茉莉香米)を電子レンジで温め、

大阪から冷凍して大量に運んできた解凍納豆をかけて食べた。

・・・・・・信じられないくらい、美味しかった。

過去3年半、私はなぜ一度も納豆を持ってこなかったのか、

悔やんでも悔やみきれない。

しかし、失われた時間をもとに戻すことはできないのだ。

これからは、残っている全納豆を誰にもあげずに自分だけで食べ尽くそうと思う。

 

 

 

 

 

 

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「都知事選の結果への脈絡なき感想」 2014年2月11日(火)No.843

2014-02-11 19:08:11 | 日記

一昨日夜、早々とマスゾエヨウイチの当確が報じられた。

選挙前は「元首相との一騎打ち」とメディアが伝えていたので、

そんなにショックも湧かず、ただ(やっぱりそうか)とガッカリした。

その後、今日まで選挙の記事を丹念に見る気力が起きなかったので放置していた。

そもそも、選挙直前に「有名人・文化人」による脱原発候補一本化の動きが見られたとき、

ナント、細川さんではなく、宇都宮さんに立候補を辞退するよう要請したことを知り、

その時は心底驚いた。

そして、この選挙は私の思考をはるか超えると、さじを投げたのだ。

「脱原発都知事選候補に統一を呼びかける会」というその会の主なメンバーは、

鎌田慧さん、小山内美江子さん、落合恵子さん、河合弘之弁護士、佐高信さん、

武者小路公秀さん、むのたけじさん、吉岡達也さんら、

みんな信頼に足る立派な人達ではないか。 

さらにまた、南相馬市長の桜井勝延さん、湖西市長の三上元さん、

前東海村村長の村上達也さんといった、

発周辺自治体の首長や前首長らが名を連ねている。

これらの方々は、心から脱原発を願い、

そのために自らの血を流してでもこの選挙に勝ちたかったのだろう。

私も1本化には賛成だ。しかし、引っ込むべきは後から出てきた細川の方だと思ったので、

驚愕したのだ。ある友人は、

「映像的にあの二人(細川・小泉)は、すごいものがあるよ。とにかく皺だらけなんだから~。」

と、テレビを見ない私に教えてくれた。

私は(皺くちゃでもいいけどさ、小泉&細川元首相は、

なぜ宇都宮さんがずっと前から出馬しているのに、

人の足を引っ張るようなことするのかな。よっぽど自分に自信があるんやな)

と、「小泉劇場」という言葉も思い出して不愉快だった。

にもかかわらず私の心に(細川でもいいわ。マスゾエに対抗できるなら)

という妥協的アイディアがムクムクと首をもたげてきたのも事実だ。

大変失礼だが、私は今の東京都民を信頼していなかったのだ。

なにせあの猪瀬が圧倒的に支持されたのだ。

前回、美しい心と誠実さ、社会的弱者を切り捨てない正義を体現する宇都宮さんは、

汚い心と不誠実さ、社会的強者の代弁者、猪瀬に4:1の大差で負けた。

今回も、メディアは宇都宮さんを泡沫候補のように扱い、ろくに記事にもしなかった。

 

で、今日、ちゃんと得票数を見て驚いた。

朝日デジタルなどが田母神の60万票をセンセーショナルに報道し、

宇都宮さんの得票数には全く触れていなかったので、

「都知事選挙結果 得票数」で検索してみると、

舛添要一  211万2千票
宇都宮健児 98万2千票
細川護熙  95万6千票  
田母神俊雄 61万8千票

と出てきた。

宇都宮健児さんが細川さんを抜いて第二位だった。

100万票近く入れた東京都民に頭を下げたい。

もし、大阪だったら、もうワヤクチャだろう(考えるダニ恐ろしい)。

東京都民の冷静に考える力を垣間見た思いだ。

もちろん、一方での田母神の61万票も視野に入れなければならない。

どんな考えを持つ人たち(または、持たない人達)が、投票したのか。

いずれにしても、宇都宮さんと細川さんの票を合わせると、

193万8千票で、マスゾエに肉薄している。

そしてマスゾエも一応「段階的に脱原発」と公約したのだから、

脱原発の票は300万票以上である。

安倍首相がこういう計算ができるヒトだと苦労しないんですけど。

 

 

 

 

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