毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「大晦日、山東省で日本軍の過去に向かう」No.1552

2015-12-31 21:14:39 | 反戦

大晦日、日本ではNHK紅白歌合戦を観て過ごす家庭が、まだ多いと聞きます。

私はその日本的「習慣」から外れて幾星霜も経ちます。

(わざとらしい盛り上げ方のショーだ)と確か高校生くらいの時思った記憶がありますので、

その頃には、「みんなが観るからみる・みんながするからする」ことから逸脱していたのでしょう。

中国では大晦日は2月7日の春節前夜になります。

今日は一学期最後の授業日で、

3年の日本文学史の講義、2年の日本語会話の試験をしました。

 

その話はまた後日書くことにして、

今日は一年の締めくくりに相応しいと思う記事を載せます。

山東省は戦時中から1946年2月まで父と母が住んだところです。

私の推定では1939年から1941年(か1942年)まで兵役についていた父ですが、

その父が中国で残虐な行為をしたのではないかと、

私は高校生の頃からずっと心配でした。

以前、まだ元気だった母が、

「父さんは兵隊では宣撫工作隊だった。中国語が上手だったから」

と話したとき、どれほどホッとしたかわかりません。

少なくとも、直接手を下さなかった可能性が高いと思えたからです。

しかし、山東省に来て戦争当時を彷彿とさせる地名を見つけたり、

ここ菏澤でも日本軍による性犯罪があったのを知ったりすると(下)、

もはや、ホッとすることなど許されない気持ちです。

日本軍がなぜ普通ではありえないほど酷い鬼畜生に成り果てたのか、

沖縄で米軍が戦後70年間で繰り返してきたことと重なり、

戦争に駆り立てられた人間の変化には、本当にぞっとします。

菏澤 馮庄 43.10.18 衆目注視の中で25歳の婦女を輪姦、陰部にコーリャン 殻を挿入、最後は刺殺

中国戦線における日本軍の性犯罪-山東省・湖北省の事例- 笠原十九司

 http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/06/kasahara_seihanzai.htm


笠原十九司さんの業績を否定し、

「彼のやっていることは伝説を事実だと強弁することであり、彼の発言はファンタジーだ」

という主張もあるようです。⇒yamamoto8hei.blog37.fc2.com/blog-entry-186.html 

つまり、日本軍はそんなにひどいことをしていないと言いたいのでしょう。

下に実際に兵士として山東省に出兵した人(田村豊さん)のなま証言があります。

多くの元兵士は、あまりに酷いことをしたのでとても語れず、それをいいことに

日本軍の残虐行為はなかったと主張する傾向が強まっている日本ですが、

田村豊さんのように、人間の良心を振り絞って証言してくださる人が続くことを

心から願います。 

歴史の事実は政治の都合で捻じ曲げたり、なかったことにしてはならないのです。

ウソの歴史は学ぶ価値などありません。


来年が少しでも良い年になりますように!

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「忘れていなかった『はだしのゲン』の感想」No.1551

2015-12-30 17:58:14 | 日本語

12月30日(水)。

4年生「ビジネス日本語会話」最後の日で、試験日です。

最後と言っても4年生は来年1月15日ぐらいまでは試験続行のために

大学キャンパスに残っていますので、(今日でお別れ~)という感じは全然ありません。

この教室の暖房はぬる~い温かさが触ったら感じられる程度です。

でも、北向きで全く暖房が機能しない3年生の教室に比べたら断然マシです。

試験中、私は3階の教室の窓からキャンパスを見下ろし、

退屈なので写真を撮ったりしていました。

霞はp.m.2.5を含む大気汚染の様子です。

今日は265、重度汚染でスタートです。

(その後370:厳重汚染、さらに中度汚染166へと変遷しました。

一日のうちでもコロコロ変わるのです)。

下は厳重汚染の時間帯だったかと思います。

「花曇か 一瞬想像しましたが 実はやっぱり 塵の集まり・・・」

とか、暇なので一首詠みましたよ(笑)。


室内では2時間弱の試験タイム続行中。

もう、早くできた二人ほどが帰って行きました。

(クラスは元々17人でしたが2人が日本に留学し、総勢15人です)。

 

左が提出した試験解答です。右は・・・?

そう、先週鑑賞した後、「感想書いてね」と言っていた『裸足のゲン』でした!

私はすっかり忘れていたんでした~~!!!

 

短いのや、ちょっと長いのや、いくつかご紹介します。

日本・中国の方々ときっちり確認したいのは、

日中両国民は戦争を厭い、平和な暮らしが大切だと、心から思っている

ということです。

下の感想は日本のSEALD’sやT‐ns SOWL、ママの会の声と全く同質のものです。

一体、だれが戦争を煽っているのかを冷静に見極め、

私たち民衆は、それに対して対抗措置をとらなければなりません。

日本だ、中国だ、と国によって

庶民の平和を大切に思う気持ちに違いがあるはずがないのです。

 

――――――『はだしのゲン』感想 菏澤学院4年生――――――

 『戦争に負けると分かっていたなら、

なぜ、もう少し早く戦争を止めてくれなかったのかね。

せめて、一週間前に戦争が終わっていたら

広島も長崎も新型爆弾を落とされずに、

何十万の人たちが死なずに済んだのに……。』

上の言葉は私の胸に深く刺さった。

人間は自分の飽くなき欲望のため、他人の健康と命を簡単に無視する。

戦争と悪徳はいつも相伴う。

戦争を経験した年代ばかりでなく、若い私たちもみんな、戦争を嫌っている。

戦争はもう御免だ。

(劉 田)

 

 今、『はだしのゲン』というアニメを観たばかりなんだ。

ものすごく感動したので、一応その感想を書いてみようと思う。

 始めのシーンはお父さんと子ども、3人で原野に走る場面だ。

お父さんはこう言った。

「この原野の麦はとても丈夫で頑固な作物なので、

君たちは麦に学んで、強く生きていくんだぞ。」

2人の子どもはずっと笑って原野を駆け回っていた。

私は(なんて元気な子どもなんだ)と思った。

 家に帰った後、子供二人は妊娠中のお母さんに栄養を補うために

他所の家の池で鯉を釣った。

子どもたちの親を思う優しさが出ている場面だ。

あの時は戦争中なので、警報がよく鳴ったが、敵は全然来ない。

戦争のことを心配しながらも、この一家は一緒に楽しんで暮らしている。

この表面的な楽しさは深い意味を含んでいる。

これらはその後の苦しみを対比させるための作者の技だ。

 そして、災難が起きた。アメリカ軍が広島市上空から落とした一つの爆弾が、

人々の悪夢になった。

広島が人間地獄になった。

皮膚がめくれた人間や、目が飛び出た人間、

そして足に蛆虫が湧いた人間たちの様子は、

この世の地獄だ。

生きている人間がゾンビになった。

幸せなゲンの一家も災難から逃れられなくて、父親と弟、姉が死んだ。

(許されない!)

この光景がビンビン響いた私はそう思った。

その後生まれた赤ちゃんは栄養不足のせいで死んだ。

ゲンちゃんとお母さんは二人、呆然となり、

なんの張合いもなく、ただ生き続けていた。

この原爆は今もどんなに多い傷を残しているか、私は見なくてもわかる。

これらは全て人間自身の犯した過ちだと思う。

(張 燕)


 人間には、いつでも必ず情けがあると思います。

原子爆弾が長崎、広島に投下された時、

全滅というほどひどい目に遭った多くの人たちは、

水もご飯もないばかりでなく、自分自身も色々な病気に罹って苦しく死にました。

民衆は生きていくすべがなかったと言っても過言ではないと思います。

 主人公のゲンちゃんが、戦争の中で自分の家族のメンバーが死ぬのを

直に見なければならなかったことは、どんなに辛かったでしょう。

でも、お父さんとの約束を守るために、

必死に生き抜こうと覚悟したゲンちゃんは、

どんなに苦しいことがあっても、

頑張ってお母さんと妹さんのことを守らなければなりません。

 自分はどんなに苦労しても、その決意を変えないゲンちゃんは、

弟が生きていた時、一緒に魚を盗んでおかあさんに食べさせたことがあります。

魚を盗まれたお爺さんも、ゲンちゃんの話を聞いてから、

魚をとるのを許可しました。

隣りのおじさんも、ゲンちゃんのお母さんのことを聞いて、

心を込めて食料をあげました。

 幸いなことに、放射能で何十年も不毛だと言われた大地に草の芽が出ました。

お金持ちの、怪我をした弟さんも元気を出して、

再び生きる気持ちを取り戻しました。

それは、生きることはそれだけで意味があるからではないでしょうか。

そして、世間には悪い人よりいい人が必ずたくさんいます。

ですので、どんなことがあっても、元気を出して頑張って生きて行きましょう。

(滕 坤)

―――――――――――――――――――――――――――続く(かも)


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「一学期末試験(前半)始まる」No.1550

2015-12-29 23:11:19 | 中国事情

一学期末試験が始まりました。

前半は今月末12月31日まで、授業最終日にするお気楽テストです。

後半は1月10日からだそうですが、詳細については未だ知らされていません。

下は数日前の3年「日本語作文」試験時の様子です。

教室には暖房が届いておらず、ずっと寒いまま今まで耐えている3年生です。

ガッツリ着込んでいますが、必ず誰かは風邪を引いています。

後ろに明るく輝いているのは、

モリ先生が見るに見かねて自分の宿舎から運んだ電気ストーブ。

ないよりずっとマシです。

(私も提供したいところですが、私の部屋のは最初から壊れていて使えません…)。

 

何故カーテンをしているかと言うと、少しでも外の寒気を防ぐためです。

カーテンの下に見えるのが暖房装置(お湯が通るもの)ですが、

去年からずっと壊れたまま作動しません。

マイナス10℃の日はどんなに寒かったか(この日もマイナス2~3℃)。

風邪を引いている学生の机上のティッシュが痛々しいです。

 

同じビルディングでも、暖かい教室、ちょっと暖かい教室といろいろです。

3年生は同じ学費を払っていてこの仕打ちです。

もし私が学生なら、うーむ、腹を立てて退学するかな。

3年生は何度も市長に電話して抗議したそうですが、市長の回答は

「どうしようもない」

の一言だったそうです。

中国人の先生に尋ねると、市長や学長にはこれに関して権限がなく、

山東省政府教育部かなんかの管轄だそうです。

山東省は江西省よりお金持ちの省なのですが、

教育にそんなにお金をかけてくれないらしいです。

なるほどね~。

 

さて、日本語学科最大のラッキーな教室は1年生の教室です。

お湯の暖房装置は作動していませんが、直方体ボックスタイプのエアコンがついていて、

学生たちは上着を脱ぐ人さえいますよ。

種の発芽じゃないけど、勉強にはある程度の快適な温度が必要です。

エアコンのおかげで、一年生の教室は雰囲気も明るく、

勉強への姿勢も前向き、字もきれいと、いいことづくめですよ。

下はカタカナがもうひと息の学生の解答ですが、文字が整っていると思いません?

一年生はおしなべてこの程度の字を書いています。

中国語は、促音(おと、かこ、ちょとなど)、撥音(さぱつなど)、長音(ようじ)、

濁音・半濁音・清音の違いなどが明確でなく、

漢語母語話者の学生たちをいつも悩ませています。

しかし、今年の一年生は一歩一歩慣れてきている様子。

もうすぐ冬休みですが、春節に帰ったらアニメ『天空の城ラピュタ』の挿入歌の

『君をのせて』を家族に歌って聞かせるのも宿題の一つです。

毎週1回の授業で歌うだけで、かなり見ないで歌えるようになりました。

この学年は日本語学科の希望の☆といったところでしょうか。

やっぱり、衣食足りて礼節を知ると言うか、

暖房足りて、勉強できると言うか。

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「自分で電力会社を選べるなんていいな!」No.1549

2015-12-28 23:18:14 | 脱原発

2016年春から一般家庭でも自分で電力会社を選べるようになるそうですね。

これは自然エネルギーを使って発電する電力を買えるということで、

朗報です!

私は、もちろん安いに越したことはありませんが、

少しくらい高くても、安全な電気を買いたいと思っています。

傲慢でウソツキの関電、東電等の電力供給独占体制を崩すことができるなら、

月に千円や二千円、どうってことないわい。

皆さんはどうお考えですか。

 

写真は「選挙行こうよ!」ブログさん↓からお借りしました。

http://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/6bd30f0d5401781ba82c22e93d67423f

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「公約は破ることと見つけたり」No.1548

2015-12-27 22:14:19 | 日本事情

自民党・公明党の連立政権は嘘ばかりついています。

こんなにまで嘘ばかりついて、国民を愚ろうしている政権を私は知りません。

それについて、多くの皆さんも大いに怒り、憤懣やるかたない気持ちを

ポスターなどの作品に表現なさっていらっしゃいます。

私は何か月も前から、お気に入りをマイピクチュアに保存しているのですが、

今年も終わりを迎えるこの時期に、溜りに溜まったうちのごく少数ですが、

ここに展示させていただきたいと存じます。

(誰の作品かはほとんど分かりません。

フェイスブック、ツイッターで見つけたということでご了承ください)。

 

『反アベ・ポスターミニ展示会』パチパチ

 

 ↓赤字のところが特にウソだね。

  

 

福島復興選挙(衆院選)のポスター(自民党のですよ、イヤ、ほんと)。

  • <form id="u_jsonp_8_z" class="commentable_item" action="https://www.facebook.com/ajax/ufi/modify.php" method="post" data-ft="{">
     
     
     
    パンダも怒った!
     
     
     
    </form>
 
 
 
後藤健二さんが拘束されたと確認された後のアベ首相の日程。
(「政府としては懸命に・・・」とか言っていたのがこれか)
 
  
 
 
 
 
 
 
アベさんがそういう態度取るんなら・・・
 
 
 
 
 
 
 
 
アベ首相アメリカ議会演説草稿(ピンク色は「ここは大きい声で」とかの注意)
 
 
 
 
 
 
 
 
↓これはぼうごなつこさんの作品
 
 
  • <form id="u_jsonp_8_x" class="commentable_item" action="https://www.facebook.com/ajax/ufi/modify.php" method="post" data-ft="{">
    いやあ、よくここまでぬけぬけと!おそれいりやの鬼子母神ですな。
    </form>

 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――

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「『全国戦災史』から70年間沖縄を除外の日本」No.1547

2015-12-26 12:59:09 | 日本事情

今朝の東京新聞、呆然となる記事でした。

知りませんでした。

民間人を巻き込んで最も激烈な地上戦を繰り広げたあの沖縄戦が、

日本の「全国戦災史」に記載されもせず

(日本には沖縄県・沖縄地方があり、全国47都道府県だと小学校でも教えているのに)、

また、特別の詳細な項立てもなく無視されていたとは・・・。

思えば戦後、

沖縄に米軍基地を建設することをアメリカに提案したのは昭和天皇だった

という事実から始まり、沖縄は70年間、日本国にとって

都合のいいように使われてきただけの存在、文字通り『捨て駒』でした。

翁長知事がずっと訴え続けている言葉、

「沖縄が日本に甘えているんですか?日本が沖縄に甘えているんですか?」

は、一貫して沖縄を踏みつけながら

それを土台に安定と高度経済成長、GDP世界2位の『偉業』を為した日本政府の姿勢と、

無自覚なまま「太平の世」を謳歌してきた日本人に、

「恥を知りなさい」と言っているに他なりません。


伝統日本の品格も、謙虚さも、思い遣りもあったもんじゃない現在の日本。

私たち日本国民は現状に甘んぜず変わらなければならないと切実に思います。

しかし、間違っても戦争できる国造りに邁進する政府や、

戦争で金もうけをする大金持ち達の太鼓持ちに堕する愚を繰り返すのではなく、

平和で安定した生活を自分も含めた全国民(含・沖縄県民!)が過ごせるために、

まず、主権者の自分が変わらなければならないと思うのです。

 

 

―――東京新聞2015年12月26日 朝刊

太平洋戦争の惨禍を後世に伝えるため、戦災に関する資料を調査・収集した政府の「全国戦災史実調査報告書」から、激しい地上戦があった沖縄戦が抜け落ちたままになっている。沖縄県は今年、政府の責任で記録を残すよう求めたが、安倍政権はあらためて調査はしない方針。政府の戦災記録に沖縄の悲劇が記載されないまま、戦後70年の年を終える。 (高山晶一)

 全国戦災史実調査は総務省などが社団法人日本戦災遺族会(二〇一〇年解散)に委託して一九七七~〇九年度に実施。空襲被害、学童疎開、思想統制など違うテーマで報告書にまとめた。

 沖縄返還(七二年)後の調査にもかかわらず、沖縄戦については一部の年表で「沖縄の守備軍全滅」などと簡単に触れるなどした程度。「四十六都道府県における戦災を対象に調査した」と前文に注釈を入れた年も複数ある。

 空襲被害の調査(七七年度)では、調査員も派遣するなどして死者や負傷者数、焼失戸数などを詳しく記録したが、那覇市などで少なくとも六百六十八人(県調査)が亡くなった四四年の「十(じゅう)・十(じゅう)空襲」は触れずじまい。学童疎開の調査(八一年度)も、都市ごとに人数や受け入れ先を記載したが、多くの学童が犠牲になった沖縄からの疎開船「対馬丸」撃沈は巻末の年表で簡単に触れただけだ。

 今年九月、照屋寛徳衆院議員(社民)が質問主意書で沖縄戦を除外した理由をただしたのに対し、政府の答弁書は、調査報告書を作った当時の行政文書が残っていないことから「不明」とした。同遺族会の元幹部は、沖縄は沖縄開発庁(現内閣府)が担当していたため「所管の違いだったと思う」と本紙に説明。「特別な意図があって沖縄を外したわけではない」と話す。

 沖縄県は十一月、国として沖縄の戦災記録を残すよう翁長雄志(おながたけし)知事名で要請。対応した総務省幹部は「県と協力しながら記録を残していきたい」と応じた。しかし、同省の担当者によると、県側からデータが提供されればホームページ(HP)に掲載する方針だが、政府として新たに沖縄戦の被害を調べる予定はないという。

 安倍政権は、名護市辺野古(へのこ)への米軍新基地建設問題で沖縄の「分断」を批判されているが、この問題でも同様の構図が浮かび上がる。

 吉浜忍・沖縄国際大教授は「最も厳しい状況に置かれた沖縄の調査をまずやるのが筋だった」と指摘。「沖縄戦の戦没者の実数はまだ分かっていない。国にしかできない調査はあるはず。それが過去に向き合うということだ」と強調した。

<沖縄戦> 太平洋戦争末期、沖縄本島などであった米軍と旧日本軍の戦闘。住民も動員され、集団自決に追い込まれたりした。沖縄県は1976年に「20万656人が犠牲になり、うち民間人は約9万4000人」と発表したが、正確な数は不明。国が、戦没者数を含む沖縄戦の実相を総合的に調査したことはない。厚生労働省が把握する戦没者数もあるが、旧日本軍の資料に基づく概数。

写真
 
 
 
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「北京に負けぬ菏澤の大気汚染」No.1546

2015-12-25 23:43:45 | 中国事情

「クリスマス・イヴの昨夜、

北京に降り立ったサンタが言う。

『わしゃ、今後二度と北京には来んわい。』と。」(新浪微博の写真より)。

圣诞老头说以后在也不来大北京了[月亮]…… 2北京·新世界中心公寓

 

とまあ、北京の大気汚染は大変なようですが、

ここ、山東省菏澤市もどうして、負けていない今日この頃ですよ。

一週間前からは連日厳重汚染~重度汚染を行ったり来たりし、

夜中に喉が痛くて目が覚めるほどでした。

昨夜の平安夜も、厳重汚染の限界値500に達しましたが、

その中を宿舎までわざわざ林檎をプレゼントしに来てくれた学生が、

「先生、今は800です」と真面目な顔をして言うのです。

周りの学生が皆がそう言っているとのこと。

当局の発表を多くの学生は信用していないのです。

インターネットで毎日調べているのですが、

菏澤市気象局の記録がときどき[― ― ―]になるので、

私も(都合が悪いので表示しないのだな)とつい疑ってしまいます。

数日前から毎日最低一回は私の安物携帯に、

「環境保持のため、2トン以上のトラックは菏澤市内の運航を禁止する」

と菏澤市当局から通達があります。

やり方がいかにも高飛車な役人思考がよく表れています。

 

さすがにほとんどの学生がマスクを着用し始めました。

それぐらいしか自衛手段がないのです。

私は厳重汚染の日は部屋の中でもマスクをしています。

目に見えるスモッグだけでなく、空気に味と臭いがはっきりあります。

(放射能も目に見えたり、味や臭いがしたら、

国も否応なくその影響を認めるだろうに……)と、

昨日、<<福井地裁、高浜原発再稼働認める>>のニュースを見て、

忌々しく思いました。

 

 

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「ほんとうの平安夜はいつ・・・」No.1545

2015-12-24 23:19:25 | 反戦平和

今日はクリスマスイブですね。

中国でも祝日にこそなっていませんが、

近年、「平安夜」にりんごを可愛らしい入れ物に入れて贈るのが

若者たちの新しい習慣になっているようです。

私も学生たちから貰ってホクホク、じゃないけど、「平安夜」を祝うというのは、

特に今年のような動乱の年には心に沁みますよ。ホロリ

わざわざ、宿舎まで持ってきてくれた人もいて、

明日が日本国家概況の授業じゃなかったら、絶対引き留めていたんですけど。

今夜のお勧め曲↓ ↓ ↓

【Happy Xmas (War Is Over)】
https://www.youtube.com/watch?v=yN4Uu0OlmTg

「戦争は終わる。もし、あなたが望むなら・・・」

本当に世界中の人殺しをやめさせるよう、

本気で望み倒さないと~~!

これ以上、人殺しで金もうけしようとする金持ちたちが蔓延したら

世界はどうしようもなくなりますよ。

今だって滅茶苦茶ですけど。

ジョンとヨーコの「Happy Christmas」は

まさに、私たちの今を歌っていますよね。

これ聞いて、気合を入れましょう。

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「4年生最後の授業に『はだしのゲン』を観た」No.1544

2015-12-23 22:58:15 | 日本語

今日は大気汚染は中度(180)で、たいしたことなかったのですが、

濃霧が発生し、またしても前が見えません。

朝10時、キャンパスの様子です。

いったいここどこ?状態。記憶を頼りに直進しましたよ。

ようやく、外国語学部のビルに到着~。p.m.2.5と勘違いしている子もいました。

 

一学期がいよいよ終盤を迎えています。

学期末試験は、授業最後の日にできる「お気楽科目」(と私が名づけている)と、

一月の大学試験週間に実施するものがあり、

私の受け持っている科目では2年「日本国家概況」、3年「日本文学史」の2つが、

試験週間に実施すると通達がありました。

(しかし、何日の何時間目とか詳細は知らせてくれないのです。

これが中国伝統の方式と言うのでしょうか。

根掘り葉掘り聞かないと情報は入手できません)。


今日は、4年生の「商務日語」が実質的に最後の授業になりました。

以前から、各学年に紹介したくて大阪から持参したアニメ『はだしのゲン』を

鑑賞する機会は今日をおいてありません。

4年の授業は1学期だけで、

来学期は就活や進学などで中国全土に散っていくのです。

まさに大海にたった一人で小舟を漕いで出ていく雰囲気です。


さて、アニメは真崎守監督1983年制作の古典的名作です。

江西財経大学では実写版を観ましたが、その中では、

戦争反対を言うことが当時の社会でどれほど袋叩きにあっていたかを

いくつかのシーンで表していました。

今日のアニメでは、もっぱら戦争中の庶民の困窮と原爆被害の酷さを描いていました。

もちろん、麦のようにたくましく、困難に押し潰されずに生きるゲンたちの姿も、

随所で学生たちの共感の笑いを誘っていました。

(例えばゲンと進次のサツマイモ争奪戦や、鯉を盗みに行くときの行進など)。

私は、途中つい夢中で画面を追い、ボロボロ泣いて終わるのが常ですが、

今日も、学生の表情を見ていたのは始めだけで、

いつものように、ハッと気がついたら、もう終わりでした。

しかし、学生たちの何人もが泣きはらした顔をしているので

(ああ、親身になって観てくれたんだ)と分かりました。

「感想を書いて」と言うと、皆ゲゲッという表情を見せましたけどね(笑)。

印象的な場面だけでもいいので、

数行の簡単な感想を書いてテストの日に持参してね、と頼み、

何人かと一緒に新しい食堂へ昼ご飯を食べに行きました。

そこにはクマのぬいぐるみがお客さんにサービスしていました。

張燕さんが「絶対リラックマですよ」と主張するのですが、

どっか違う気がするんです……。

 

 

 

 

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「不自由のない暮らしが当然と思いがちですが」No.1543

2015-12-22 17:21:35 | 日本事情

電気や水が安定供給されていることが当たり前と、

日本に居たら思いますよね。

宅配物や郵便物はスピーディーに

自宅郵便受けかドアの前まで持ってきてくれるし、

交通各社が電車やバスを時刻通りに発着させるのは経営のイロハであり、

スーパーマーケットやコンビニの店内はいつ行ってもきらびやかで明るく、

日本中どころか世界各地から運ばれた商品が展示されています。

日本の暮らしはなんて便利で快適なんでしょう。

ありがたいことです。

しかし、・・・・・・しかしです。

これは、「当たり前のこと」ではありません。 

時刻通りの電車、バス。ありがたい!

家まで宅配してくれて本当にありがたい!

世界中の品物、美味しいお米、システム化されたサービス、

飲める水道水e.t.c.何を取ってもスゴイことだ、と

ここ菏澤では、心からそう思えるのです。


かと言って、それらに不足のある菏澤の生活が耐え難いかと言うと、

始めの数週間を経過した後は、どんどん日常化し、普通になっていきます。

バスが時刻通り来ないことを事前に知っていれば、

早めに宿舎を出るとか、スケジュールを詰め詰めにしないとか、

とにかく対処すればいいのです。

世界中の品物はなくても、

ここ山東省のもの、近隣省の特産物などがたくさんあります。

チーズは売られていませんが、寧夏や内モンゴルの牛乳があります。

哈爾浜のハム、黒竜江省の東北米、煙台の醤油やりんご、

それらは私の食事を豊かにしてくれています。

そして、それらは特筆すべき安さです。

おそらく貧しい家庭でも野菜や果物はふんだんに食べられているでしょう。

(もちろん、ネットで買えばもっと広範囲に、例えばチーズでも買えるでしょうけど)。

日本に居る時の何十分の1かのモノとサービスですが、

その中にも満たされる気持ちはいくらでも湧いてきます。

 

つまり、私が言いたいのは、

「何一つ不自由のない暮らし」というのは惰性と慣れに裏打ちされており、

また、たいへん主観的で、基準などないということです。

さらに、人間はモノを一方的に与えられるだけの非力な存在ではありません。

外界の条件に即して、自分の能力を縦横無尽に発揮できる

けっこうすごい動物なのです。


私は現代の日本社会の人々の中に、「受け身」ムードが色濃く漂っているのを感じます。

それは、御膳立てされて当たり前、してもらって当たり前の生活を何年にも渡って続ける中で、

蔓延してきたもの、即ち、自分の力を発揮できるチャンスを失った者が発散する

臭いのようなものではないかと思います。

 

近年、政府の経済政策により、

富めるものと貧しい者の二極分化がすすんでいますが、

富の集中によって金持ちは、「何不自由ない暮らし」を当たり前として生活しています。

しかし貧乏に転落した多くの庶民は、

「当たり前」も金次第だと否応なく気がついてきています。

イライラ感も増えてきた気がします。

ヘイトクライムの行動者が、家に集金に来たおばちゃんを怒鳴りつけたという記事を読み、

(やはりそうなのだ、ヘイトのヒトタチは弱い立場の人に八つ当たりしているんだ)と思いました。

その落ち着かない不安の中に、〈これから将来もっと不自由になるのではないか〉

という恐れがあるんじゃないかな、と推測します。

ヘイト行動とまでいかなくても、日本の庶民の多くが少しずつ品格を失いつつあると思うのは

私だけでしょうか。

それが「失うことへの恐怖、焦り」からくるのであれば、

ここで私は声を大にして言いたいのです。

「モノなんかなくたって、全く大したことじゃないです。

不便な生活も、慣れたら普通ですよ。

何しろ自分の力を最大限発揮するチャンスが到来したんですから、

むしろ元気になりますね。P(^_^)q

不自由は、思考を生み、工夫を育て、行動力を養います。

ということで、案ずるより、不自由が易し!」と。

江戸末期に日本を訪れた西洋人が日本の大人たちがいつも子どもを可愛がり、

子どもを抱いて笑っているのを見て、

(どうしてこんな貧しい国の人たちがこんなに幸せそうなのだろう?)

と不思議に思ったというエピソードは周知の通りです。

私たちは、何不自由ない、モノに囲まれた受け身の暮らしより、

平和で笑いに満ちた、創意工夫のある生活を追求したほうがいいんじゃないかしらね。

 

   

 

 

 

 

 

 

 

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「格好よさと格好悪さを演じ続けてきたお兄ちゃん:野坂昭如さん」No.1542

2015-12-21 20:05:28 | 反戦平和

野坂昭如さん。

私から見ればメチャ魅力的で格好いい人でした。

思えば、大学に入りたての70年代はじめ、隣りの大学に

野坂さんが講演に来るというチラシを見かけ、これは、これはと出かけると、

暗めの地下教室で一人サングラスを掛け、立派でもない長机の前に座って

既にウイスキーを飲んでいたのが野坂昭如さんでした。

そんなに飲んで話がちゃんとできるのか、観客の私は心配しました。

そんな心を見透かしたのか、開口一番、

「君らみたいな小さい子どもに、しらふで話なんかできるかってんだ。」

と言った言葉がしっかり頭に残っています。

その頃野坂さんはまだ40歳ちょっとだったはずです。

(そんなに違わないのに…)と、私は心でとても面白く思いました。


告別式で五木寛之さんは盟友野坂昭如さんに、

『1960年代、反抗の季節に、ジャーナリズムの底辺からボウフラのように浮上し、

世に出た私たちを、軽佻浮薄(けいちょうふはく)と笑う人々もいた。

蛇蝎(だかつ)のようにさげすむ人もいた。

「焼け跡闇市派」と呼ばれ、「外地引き揚げ派」とからかわれ、

ときに偽善のマスクを、ときには偽悪の衣をまといつつ、

格好良さと格好悪さを虚実皮膜の間に演じつつ、私たちは生きてきたのだ。』

という言葉をおくったそうです。

東京新聞の記事を垣内 暎惠さんがフェイスブックに載せてくださいました。

ここに転載させていただきます。

―――――――――――――――――――――――――

「戦争してはならぬ」引き継ぐ 野坂さんに別れ

東京新聞 電子版  2015年12月20日 朝刊

 

垣内 暎惠さんの写真

  東京都港区の青山葬儀所で十九日営まれた作家の野坂昭如(あきゆき)さんの葬儀・告別式には、ファンも含め約六百人が参列した。列席者からは「戦争をしてはならない」との野坂さんの平和への思いを後世に伝えたいとの声が上がった。

 野坂さんは九日に八十五歳で亡くなった。親交の深い作曲家の小林亜星(あせい)さん(83)は「ひねくれたところもありましたが、男らしくて素晴らしい人」と振り返る。「戦争を知る人が少なくなっている。僕らが死んだら心配だ。もう少し頑張って皆さんにお伝えしなくちゃいけないとつくづく思いました」

 二〇一三年に亡くなった映画監督の大島渚さんの妻で女優の小山明子さん(80)は「ああいうすてきな男たちはもう出てこない。自分を貫く精神の男は出てこない」としみじみと語った。

 ライブで何度も共演したクレイジーケンバンドのボーカル横山剣さんは「知れば知るほど、強くて優しい方だった」としのんだ。


弔辞を読む五木寛之さん(代表撮影)

垣内 暎惠さんの写真


「先駆けの旗だった」五木寛之さん弔辞要旨

 野坂昭如。それは僕らにとって単なる一個人の名前ではない。一九六〇年代という反抗の季節に世に出た世代は、あなたの名前を一つの旗印のように感じていたはずである。野坂昭如とは、そんな時代の象徴であり、合言葉であった。

 放送、コマーシャル、歌、雑文など、ジャーナリズムの底辺からボウフラのように浮上してきた私たちを、軽佻浮薄(けいちょうふはく)と笑う人々もいた。蛇蝎(だかつ)のようにさげすむ人もいた。「焼け跡闇市派」と呼ばれ、「外地引き揚げ派」とからかわれ、ときに偽善のマスクを、ときには偽悪の衣をまといつつ、格好良さと格好悪さを虚実皮膜の間に演じつつ、私たちは生きてきたのだ。

 野坂昭如とは、そんな私たちの希望のともしびであり、先駆けの旗だった。同じ時代を生きてきた仲間は次々と逝き、今またあなたを見送ることになって、言葉にならない大きな欠落感を覚えずにはいられない。

 本来、弔辞とは、和紙に薄墨の毛筆で書くと教えられた。しかしあえて四百字詰め原稿用紙に万年筆で記すのは、「筆は一本、箸は二本」の厳しい世界を生きてきた仲間へのあいさつである。

 倶会一処(くえいっしょ)。いずれ、いずこの地にか、まみえん。

 

◆「軍隊で守れぬ」遺言に 瀬戸内寂聴さん弔辞要旨

 野坂昭如様。あなたが亡くなったと伝えられ、ぼうぜんとしています。

 つい先日、雑誌の往復書簡で「野坂さんと私は死ねないのかもしれませんね。覚悟して、地球の爆発するのを見てやりましょう」と書いたばかりでした。それなのに、あなたは突如一人で逝ってしまいました。まだ八十五歳とは。若過ぎる享年です。痛ましいです。惜しいです。悔しいです。

 厳しい筆致で日本の政治のだらしなさを叱責(しっせき)し、原発反対の筆をおかず、日本の前途を憂い続けました。このまま進めばやがて日本は滅びると言い続けられた野坂さんの声を忘れない国民もしっかりと残っています。

 「軍事では日本は守れない。といって平和国家をお題目のように唱えていては駄目である」というあなたの手紙の最後の文章は、切実な遺言になってしまいました。残された私たちはこの遺言を忘れず、若い人たちに伝えていくのが、せめてもの報恩になるでしょう。 (檀ふみさん代読)

 

◆妻 暘よう子こさんあいさつ

 飲んべえ、目立ちたがり、せっかち、うそつき、いいかげん。まだまだいっぱいあります。野坂昭如さん。

 春の夜でした。私はそのとき十九歳のタカラジェンヌ。初めて会ったその人は、夜なのに真っ黒い眼鏡をかけ、グラス片手に早口でしゃべっていました。変なおじさんという印象でした。

 夏の神戸、六甲山でプロポーズされました。何を言うかと思ったら「僕まつげがないんです」。外された黒眼鏡の下には、しっかりまつげがありました。きっと眼鏡の下の素顔を見てほしかったのだと思います。

 二十一歳の花嫁は何も分からず、とんちんかんな新婚生活はコントのようでした。矢のように過ぎた日々。待っていたのは十三年間の介護生活です。私にとっては、とても長い年月でした。不安だらけの介護。押しつぶされそうになりました。いいことも悪いことも、どうにか越えてきました。

 彼の周りにはいつも家族が集まり、小さな孫や猫が絡みついていました。二人の娘は「パパに寝間着は似合わない。いつもかっこいいシャツで」とダンディーな父親を守り続けました。野坂は満足だったと思います。

 亡くなる間際まで言い続けた、大事な言葉。「戦争をしてはならない。巻き込まれてはならない。戦争は何も残さず、悲しみだけが残るんだ」

 「火垂(ほた)るの墓」は世界で読まれています。日本の大事な一冊になってほしい。

 野坂は生まれて二カ月で母親と離されてしまい、母親の顔を知りません。きっとそのお母さまが迎えに来たのでしょう。目を閉じた顔は美しく穏やかで、初めて見る表情でした。ちょっとうれしそうな笑みは、母に抱かれた昭如少年だったに違いありません。

 今までお世話になった大切な皆さまに、野坂とともに心よりお礼を申し上げます。ありがとうございました。

 
垣内 暎惠さんの写真
 
―――――――――転載ここまで
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「急に本が読みたくなる」No.1541

2015-12-20 22:24:48 | 

元来、一か所にうずくまり、近所のスーパーに出かけるのもおっくうな人間なのに、

近年、落ち着かずウロウロ日本から出歩いています。

そうなると、話題の本も、そうでないのもスル―してろくに読んでいません。

北京の大学院に進学した周文毓さんが日本文学を専門に研究するに当たり、

山崎豊子を取り上げたと聞いて、

(う、地味で渋い)と思いました。

私なら絶対選ばないなあ、いや、キライじゃないけど。

では、もしわたしなら何を選ぶだろう?と我が身に問えば、

樋口一葉しか出てこないです。

あとは、むりやりだと中島敦か池澤夏樹か。

いずれにしても、非常に、あるいはやや古典的。

試験問題作りが一段落した今、急に本、本、本が読みたい気分です。

こういうとき、電子書籍が便利ですね(買ってないけど)。

日本から紙の本を運ぶのは重量がたいへんなのです。

今回はほぼ日本語関係の参考書しか運べませんでした。

インターネット図書館「青空文庫」もありますので、古い作品はたくさん読めますが、

今、私は今どきの若者の書いた本が読みたい気分なのです。

新言語を操る作家たちはどんなふうに、時代を、自分を表現しているでしょうか。

昨年読んだ本谷有希子さんの『嵐のピクニック』はとても面白かったけど、

きっと他にもたくさん輝く宝石のような若者作家がいるのでしょう。

1月後半、冬休みに大阪に戻ってすることはまずブックオフで古本の爆買いかな。

あと、ジュンク堂にも行かないとね。

あ、それから、今後私はいくら駅のそばで便利でも、

紀伊国屋書店では一切何も買いませんよ。

辛坊ヘチマだかのサイン会するような店に一円だって儲けさせたくないですからね。

紀伊国屋のカードも捨てるわ。

 

 

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「ホンマに腹立つ安倍晋三の金の使い方」No.1540

2015-12-19 22:06:19 | 日本事情

まさに湯水のようにアメリカに貢ぐわ、貢ぐわ。

それでなくてもとんでもない額の負担をしてきた日本政府です。

下のグラフを見るたびに、わたしゃ腹が立って仕方がなかったですよ。

それ、誰の金やねん、て思うと。


 

 
 
 
それなのに、なんと、さらにまた、
「思いやり予算」133億円増額って!
教育費、社会保障費は、財源がないと言って予算をカットしつつ、
何故アメリカと軍事費には全力でお金をバラマキたおすのか。
 
日本の女子学生の中には風俗で働きながら、学費をやり繰りしている子までいるのに、
日本の多くの母子家庭では、
困窮のため食べ物もお腹いっぱい食べられないような有様なのに、
日本の国立大学の学費は値上げし、
日本の学生ローンの利子は釣り上げ、
日本の年配者の年金はカットし、
日本の消費税はガッツリあげ、
日本の庶民の子育て補助金(たった3000円)まで打ち切り、
日本国民切り捨て政策も極まれりのこの状態で、
一方、
アメリカへの「思いやり予算」と軍事予算はガンガン増やしているんですからね。
戦争やってお金儲けできる財界の支援を受けて、
やりたい放題のアベ首相。
庶民は財界人でもないくせに、どうしてこのアベを支持するヒトがまだいるのか、
私は本当に不思議でたまりません。
どこかいいところが一つぐらいあるかも、と
一生懸命探してあげても、どこにも、ひとっつも見つからない、
庶民にとって百害あって一利なしの政府ですよ。
あげくに、具体的に、自衛隊員の血を流させようとしている戦争遂行政府です。
こんな政府、野放しに放っておける?
 
―――以下関連記事2つ

 
 
日米両政府は、来年度からの在日アメリカ軍の駐留経費の日本側負担、いわゆる「思いやり予算」を来年度から約133億円増の約9465億円負担で合意した 。- Yahoo!ニュース(日本テレビ系(NNN))
 
 
 
②子育て給付金、来年度から廃止へ 1600万人が対象

岡村夏樹、南彰  朝日新聞デジタル 2015年12月16日16時09分

 子育て世帯の負担軽減策として支給している「子育て世帯臨時特例給付金」(子育て給付金、2015年度は子ども1人当たり3千円)について、政府・与党は、16年度から廃止する方針を固めた。公明党が継続を求めていたが、軽減税率をめぐって公明党に譲歩したことなどを理由に自民党が取り合わなかった。

 子育て給付金は、14年4月の消費増税にともなって導入された。高所得の世帯を除く中学生までの子ども約1600万人を対象に、14年度は1人あたり1万円、15年度は3千円を支給した。

 自民党は財政難を理由に14年度で打ち切る意向だったが、公明党が継続を主張し、15年度分は金額を減らして支給した。16年度分も自民党が廃止を求めたのに対し、公明党が給付の継続を訴え、協議は平行線になったが、最終的に両党が廃止で合意した。(岡村夏樹、南彰)

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「学びに立ち合える嬉しさ」No.1539

2015-12-18 22:17:24 | 日本語

今日の夕方、我が宿舎で一年生4人の聴解補習をしました。

日頃プライベートなエリアをはっきりさせる私としてはかなり逸脱行為ですが、

寒い中、10分歩いて教室まで行くのが嫌になりまして(^_^;)。

約束の時刻ギリギリに、遠くからぶっとんで走ってくる彼女達4人と

通訳を買って出てくれた韋彤さんを見て、

(電話でちょっと遅れると言ったらいいだけなのに、ああ、なんてカワイイ)と心が緩みました。

今日は直前まで校内マラソン大会があり、それでギリギリになったとのこと、

外は寒いのに、みんな顔を真っ赤にして汗をかいているのです。

そんな彼女たちに対して容赦することなく、宿舎でさっそく勉強を開始しました。

なぜこの4人が選ばれたのかというと、

授業中の練習で最も間違いが多かった人たちだからです。

次のようなアクセント問題で、

私が読み上げる単語のアクセントを当てるのです。

例)あい : A|い○   Bあ (ピンクはアクセントが高いところ)

なおす:  Aなおす   Bな|す

あに :  Aあ    B|に

あね :  Aあ   B|ね

どうわ:   Aどうわ   B|うわ 

めんどう: Aめんど|う   Bめんどう

 ・・・・・・とまあ、こんなのが延々と続くのですが、

この9月まで全くかほぼ日本語と関係ない生活を送ってきた学生たちにしてみれば、

雲をつかむような感じなのでしょう。

しかし、一通り平板・頭高・尾高・中高型というアクセントの復習をして

(私の真似をして繰り返して言うだけ)、

もう一度、練習問題をやってみると、たった30分ほど練習しただけなのに、

えんさん10問ミス⇒2問ミス

ちんさん7問ミス⇒2問ミス

ちさん7問ミス⇒4問ミス

ちょうさん6問ミス⇒4問ミス

と、全員間違いが減りました。

もちろん本人たちも喜びましたが、私もこんなに即効があるとは思ってもおらず、

すうっと脳にインプットされていく様子を目の当たりにして、

感動を覚えました。

四声以外の言語の有様が自然に身体に入っていくことで、

何かが彼女たちの中で変わると私は思います。

幅が広がるというか、許容量が増えるというか、たかが言語、されど言語です。


ちょうど1時間の勉強の後、宿舎に一番近い第一食堂(最古の食堂)で

一緒に晩御飯を食べ、

日本人の先生と(と言うより、日本人と)初めて一緒にご飯を食べた記念にと請われ、

写真撮影をしてさよならしました。

知日派がここから生まれるのですからねえ、シミジミ……。


 

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「日本の学生がここまで貧困とは・・・」No.1538

2015-12-16 21:28:22 | 日本事情

日本に帰るたびに、学生の就職が困難だとか、

ブラック・バイトで酷い目に遭っているとか聞いても、私は長らく、

「それ、会社選び過ぎちゃうん?」

「そこそこでいいと思ったら、必ずどこかには就職できるんちゃうの?」

と、いたって冷淡でした。

若者のいわゆる「一流会社」ねらいは、かなり以前(1980年代)から

私の神経に触っていたので、

今もその傾向が持続しており、

若いもんが我が儘な愚痴を言っていると思ったのです。

 

しかし、事態はそんなレベルではないことが近年、ようやく固い頭の私にも

呑み込めてきました。

国内の貧困対策どうにかしないと。

特に、これから日本を背負って立つ若者を手厚く保護しないで、

どうやって日本に未来はあるでしょう。

北朝鮮とか同盟国とか、世界に金ばら撒いている場合じゃないです。

亡国の政策を重ねる現行政。

違う政府を私たちは自前で作らなければならない、と思います。

政治を変えなければ、本当に日本に未来はないです。

あ、でも、維新はダメですよ、言っとくけど。

「風俗という仕事があって、本当に良かった……」

何とシビアな言葉…と呆然となった事例が下に。

  ↓      ↓      ↓      ↓      ↓

 

写真:ロイター/アフロ

「普通」が遠い 貧困リスクはそこにある

12月16日(水)16時18分配信 ロイター/アフロ

風俗をセーフティーネットに生きる女性は、特別な存在ではなくなりつつある。高騰する学費をまかなうために風俗を選ぶ都会の女子大生も、後を絶たない。

ほかにも病気やリストラ、離婚、自立の難しい子ども……。性別、年齢にかかわらず、都会の貧困リスクはすぐそこにあるのだ。
(ノンフィクションライター 中村淳彦/Yahoo!ニュース・AERA編集部)

父のリストラで学費なし

「風俗という仕事があって、本当に良かった……」

山田史織さん(仮名、22)は、微笑みながらそう語る。都内の有名私立大学4年生。育ちの良さそうな清楚な風貌で、いくつか志望企業に内定をもらっている。大学の授業料を払い、普通の学生生活を送ることができたのは風俗のおかげだった。

中学2年生のとき、父親(53)はリストラされた。製造業にも派遣を認める派遣法改正の影響だった。何年就職活動しても正社員になることはかなわず、非正規職を転々とした。

やがてアルコール依存になり、生活費を入れなくなった父親に代わり、看護師資格を持つ母親(50)が時給のパートで生活を支えた。収入はせいぜい月15万~18万円。娘を私立大学に通わせるお金は家庭になかった。

高校は進学校で、大学進学は当たり前の環境だった。祖父母が援助してくれたのは入学金までで、授業料は奨学金とアルバイトで何とかする計画だった。

学費と留学費のため風俗嬢に

日本学生支援機構から毎月10万円借りた。“奨学金”と名付けられているが、返済義務のある有利子の借金は4年間で480万円にもなる。

入学してすぐに自宅近くの飲食店で働き始めたが、アルバイトは時給900円。授業を優先すると1日3~4時間しか働けず、せいぜい月3万円にしかならない。授業料は年間100万円強。途方にくれた。

「大学2年生になる直前の春休みに、学校の掲示板にあった私費留学のポスターを見た。30万円が必要だったけど、どうしても行きたくて、もう風俗店で働くしかないって瞬間的に思いました。心からお金が欲しいと思った」

その日のうちに渋谷のデリバリーヘルスに応募して、採用された。翌日出勤して3人の見ず知らずの中年男性の相手をして、店長から3万6000円のお金を日払いでもらった。

「こんなにお金がもらえるの、って驚きました。1カ月くらいで最初の目的だった30万円は超えた。でも、全然風俗を辞める気が起こらなくて、まだ続けています。奨学金の返済があるから就職しても辞めません」

写真:アフロ

山田さんのように経済的に追い詰められて風俗を始める「女子大生風俗嬢」は、特に都内の有名私立大学で増えている。

なぜなら、40年前と比べて、国立大学の学費は15倍、私立大学でも4倍以上に跳ね上がっているからだ。一方で大卒男子の初任給は2倍強にしかなっておらず、物価上昇を考えても大学で学ぶためのコストは急騰している。さらに、景気の悪化で世帯収入は全国的に下落。首都圏の大学に通う新入生では、仕送りの額が1994年の12万4900円をピークに減少。2013年には過去最低の8万8500円となり、3割も減っている。

大学進学率が5割を超える時代に、“普通の生活”ができる給料を得ようとすると4年制大学卒業は必須条件。「平成型苦学生」が増えているのだ。

http://news.yahoo.co.jp/feature/81「みんなのリアル~1億人総検証」

―――引用ここまでですが記事はまだ続きます。―――

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