毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

ダニー・ネフセタイさんが育ったイスラエルという国

2024-03-30 16:15:51 | 平和

昨年10月~12月頃、

「イスラエル」という言葉を聞いただけで心臓がドキドキした。

毎日まいにち、パレスチナの悲惨な状況をXの動画で観ているうちに、

見なければならないと思ってもどうしても見るに耐えず、思わず立ち上がってうろうろ歩き、

イスラエル軍の兵士たちに汚い憎しみの言葉を発したりした。

今年1月に入り、何とかその時期を脱して、

イスラエル人の書いた文章であっても冷静に読めるようになって手に取ったのが、この本だ。

『国のために死ぬのはすばらしい?』(高文研)

著者はダニー・ネフセタイさん(1957年生まれ)。

日本に滞在して40年余り、今は埼玉県在住の木製家具職人だそうだ。

本の前文には「イスラエルで生まれ育ち、ワケあり教育を受け、その後日本に移住して

生まれ故郷に対する別の視点を持つようになり…」とある。

この本を読んで初めて「ワケあり教育」の実態を知り、

イスラエルの人々に対する否定的感情がかなり変化した。

やはり、知ることが理解の第一歩なんだなあ。

 

イスラエル国家がユダヤ人の絶え間ない戦争の歴史の中で得た教訓は

徹底した愛国心と軍国主義の教育こそが国家の基礎である、ということだった。

今でもイスラエルの学校で、小学生から叩き込まれるスローガンに次の2つがある。

捕虜になるな、死ぬまで戦え。

②国のために死ぬのはすばらしい。

この2つは戦争の史実を根拠とする。

①「捕虜になるな、死ぬまで戦え」は、ローマ帝国がエルサレムからユダヤ人を追い払ったとき(紀元 70年)、3年間抵抗を続け、最後はマサダ要塞で集団自決したこと(紀元73年)に拠る。1973年第4次中東戦争でエジプトの捕虜になったイスラエル軍部隊に対して、イスラエル国民は「よくも死ぬまで戦わずに捕虜になったな!」「マサダの教訓はどうした!裏切り者」と罵声を浴びせた(16歳のネフセタイさんもそう叫んだ)。

マサダ要塞:イスラエル国防軍新兵の入隊宣誓式の場所「マサダは二度と陥落しない」と誓う。観光地になっている。

②「国のために死ぬのはすばらしい」は、テルハイでのアラブ人とユダヤ人入植者との戦い(1920年3月)で死んだユダヤ人司令官ヨセフ・トルンペルドールが最後に遺した言葉。

テルハイ:もともとアラブ人が多い地域だったが、シオニズム運動でユダヤ人が入植し、衝突が絶えなかった。イスラエル建国前にアラブ人と勇敢に戦って死んだトルンぺルドールは❝建国の獅子❞と呼ばれ歴史上の英雄になった。イスラエルの歴史は戦争ばかりだが、その中でも「テルハイの戦い」は特別で、毎年「テルハイの日」は学校行事になっており、教室の壁には黒板ほどの大きさの横断幕が掲げられ、そこには「国のために死ぬのはすばらしい」と書かれている。

学校、家庭、地域、メディア情報などによって、国民は

イスラエルの正当性を否定するもの=アラブを敵対視(ナセルとヒトラーを同種とする)し、

闘争の美化と不可避性を刷り込まれ、国民の‶信念“が形成されている。

多数のイスラエル国民の声は次のようなものだ。

「相手を嫌っているのはイスラエル側ではなくアラブ側である」

「戦争を望んでいるアラブ人と違い、私たちユダヤ人は平和を愛する優れた民族である」

「悪者のアラブ人とは和平交渉も不可能だし、彼らの言うことも信用できない」

「ラグバオメルの焚き火」という13世紀から伝わるユダヤ教の祭りがある。

ネフセタイさんは子どもの頃、ジャガイモなどを焼いて食べるとき、ヒトラーやナセルの人形も焼いたという。

祭りで敵国リーダーの人形を焼くことについてイスラエル人は

「私たちは年に一度、相手側は毎日やっている」と本気で言うという。

 

『国のために死ぬのはすばらしい?』ではないが、

『イスラエル諜報機関暗殺作戦全史 上・下』ロネン・バーグマン(小谷賢訳・早川書房)という本の一節に、

「誰かが殺しに来たら立ち向かい、こちらが先に殺せ(rise and kill him first)」がある。

こちらが先に殺せ(rise and kill him first)」は、

政府や軍部当局がよく引用する言葉だそうだ。

政治指導者の多くは元軍人で、

元特殊部隊出身の首相も複数居る(ネタニヤフ、シャロン、ラビンなど)。

 

イスラエルには徴兵制度がある(男子18歳から3年間・女子2年間)。

青春時代の人生で最も美しい時期に戦争(人殺し)の練習だ。

とまあ、

(これだけ叩き込まれれば、ああなるわね)と教育の恐ろしさを再認識せざるを得ない。

ネフセタイさんは日本で暮らしていても、

ずっと、イスラエルは正しい、正義の戦争だと思っていて

日本人の妻が批判しても、イスラエルを援護していたそうだ。

しかし、2008年、イスラエル軍が約3週間のガザ攻撃で

450人の子供を含む1400人のパレスチナ人を殺害した時、

ネフセタイさんの心の中で何かが変わった。

それまでも大きな戦争は何度もあったが、

この時イスラエルの戦争の質が変わった、イスラエル国民もどこか変わった、と感じたという。

ネフセタイさんはそれ以降、戦争という手段を絶対にやめようとしないイスラエルに異議を唱えて、

現在に至っている。

変わったのはイスラエルだろうか、ネフセタイさんだろうか……。

外国から故国を見ることの意味は大きい。

そして、そんなに大昔でない過去の日本も、

今のイスラエルと酷似した教育が為されていたことを痛苦に思う。

それにしても私たちは、国家の意向に沿って洗脳されるだけの存在なのだろうか。

自立した個人としての自分はそのまま自分だと勘違いしつつ、

実はただのモブ群衆の一部品になり果てるような、

ただの情けない愚か者なのだろうか。

そうならないためには何を成すべきか、歴史の経験の中にヒントがあると思う。

と言うか、私たちはそこからしか学べない。

 

⤵ダニー・ネフセタイさんの最新書はこちら。

 

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『185頭と1人・生きる意味を探して 吉沢正巳』…観なかったけど

2024-03-27 13:56:36 | 反原発

⤴授業で使った写真

友人のきんときさんがあるTV番組を紹介してくれたが

テレビを観なくなって幾星霜、番組の時間に合わせて自分の生活を調整する習慣は失われ、

せっかくのお勧め番組もたいがい気がついた時には既に終わっている。

番組予約の方法は忘れたし、思い出すのも億劫だ。

そういう訳で、今回紹介された番組も事程左様に見逃がしてしまった。

しかし、これは観ればよかったとつくづく後悔した。

ネットの有料アーカイブでも、もう観られない。

それは、福島原発事故後、トラックに福島の被爆牛を乗せて霞が関に横付けし、

生きている牛の命を殺処分するな、と訴えていたあの吉沢正巳さんのその後の話だった。

きんときさんの紹介文:

NHK『こころの時代』〜『185頭と1人 生きる意味を探して 吉沢正巳』

吉沢さんは福島県浪江町「希望の牧場」で国策に反して、一人で被爆した肉牛の世話を続けてはります。
「どんな命にも意味があって寿命まで生きるべきだ」と高齢になり衰弱していく牛たちに最期まで餌をやり続けてます。
元は肉牛を金儲けの手立てとして、二歳になれば屠殺場に出していたけど、原発事故を契機に無惨な死に方をさせてはいけないと。そこには、国策に翻弄された満蒙開拓団だったお父さんの姿と重なる思いがあるそうです。

吉沢さんのお父さんは満州で終戦、その後の悲惨な行程の中で歩けなくなった幼子二人、義理のお母さんを(ソ連兵に殺されるなら、自分の手で)と…。

お父さんはシベリア抑留を経て帰国後、一頭の牛を飼うところから始められたそうです。

「無惨な死に方をさせてはいけない」という吉沢さんの言葉が重く響きます。

原発事故から年月が経ち、人々の関心、意識も薄れてきたのを感じていらっしゃるそうです。
『希望の牧場』のボランティアの方も5人に減り、一人で1日も欠かさず、お世話をされてる姿が胸に迫ります。

いろいろ考えさせられる番組です。

 

『希望の牧場』についてはずっと以前、私もブログで書いたことがあった。

中国の大学の授業で日本の環境問題の一つとして福島原発事故を取り上げたとき

吉沢さんの希望の牧場も教材にした。

なぜ吉沢さんが「希望の牧場」と名付けたのか、学生たちに考えを聞くと

「どんな暗い夜でも必ず朝が来る。絶望的状況にあってもきっと希望は生まれる、

困難に直面している自分を励ます気持ちだったと思う」

というように、被災者吉沢さんの心に寄り添おうとする気持ちは感じられたが、

「牛を殺すなと言っても、牛を殺して肉を売って商売していたのに」と指摘する子がいたり、

「中国の原発は日本と違うシステムだから事故は絶対に起きない」と自国の原発を礼賛したり、

まあ、いろいろな意見が出ていたのを思い出す。

←授業で使った写真↓

 

私だとて「希望の牧場」の「希望」の重みがそんなに分かっていたわけではないが、

霞が関や渋谷ハチ公前で軽トラに乗って都民に訴えたり、

沖縄辺野古の座り込み現場に牛とともに登場して連帯を表明したり、

といった行動も併せて考えると、

国策に翻弄されたままでは、人間の命も牛の命も終わらせないぞ、

という強い意志をひしひしと感じていた。

今回きんときさんの紹介文で、

吉沢さんのお父さんが満州動員-敗戦-死の彷徨-シベリア抑留と、国策に翻弄され、

自分にとって最も大切な命を自らの手で潰した体験を持つということを知り、

吉沢さんの行動の芯に触れた気がした。

私も、日中戦争に従軍し除隊後一旦北海道に戻って結婚して、すぐに再び中国山東省に渡り、

日本軍関係の会社で働いて敗戦から半年後、這這の体で日本に引き揚げてきた父と

それに付き添った母を持つ。

当時の引揚者に国が与えた北海道の厚生開拓村(と言っても道東の未開のただの山)で、

火入れをし、焼き畑から農業を始めた30代頃のやせこけた両親の顔、

その後、親戚同士が集まり平野部で共同農場を経営するようになってからも

死ぬ間際まで肉体労働が付いて回った両親の曲がった背中を思うと泣きそうになる。

もし、戦争がなく、安定した社会に生まれたら

賢かったあの二人はどんな人生を送っていただろうか。

もう一度、あの人たちを生き返らせて十代からやり直させてあげたい。

国は国民のためにある、日本は戦争を放棄する、と今の日本国憲法は保証してくれている。

その憲法に守られて、生まれてから死ぬまで平和な時代を過ごさせてやりたかったなあ。

日米安保の下、敵基地攻撃能力の保持-大軍拡ー戦争準備に突き進んでいるアホ国家日本、

国の「安全保障」とは、

原発事故のない、戦争の不安のない、安心できる暮らしを国民に保証することが第一だろう。

福島以上の原発事故や再び日中戦争がないと命を思い出さないのか、この国のアホどもは。

⤴父母の故郷でもあり、私の故郷でもある北海道斜里・以久科から見た斜里岳(しゃりだけ)

 

 

 

 

 

 

 

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「世界の誰一人として私たちを批判する権利はない」イスラエル元外相

2024-03-24 22:06:45 | 人権

世界の誰一人として私たちを批判する権利はない。

1961年、イスラエルのアイヒマン裁判結審後におけるゴルダ=メイア外相(当時)の発言だ。

2024年の今も、

世界世論の非難の声、

国際司法裁判所の「ジェノサイドを止めよ」という判決、

常に後ろ盾であるアメリカ政府の「さすがにやり過ぎだ」という助言すら無視して、

パレスチナへの無差別虐殺を止めないイスラエルは

世界に対して昂然とこの言葉を言い放っている。

世界の誰一人として私たちを批判する権利はない。

600万人もの人間を虐殺したナチスの究極の悪の被害をこうむったユダヤ人が

未来永劫それを忘れず、許さないというのは当然だ。

日本はユダヤ人ホロコーストには直接加担していないが、

アジアの地で朝鮮・中国をはじめ多くの国々を侵略し、その国の人々を虐殺した歴史を持つ。

ヨーロッパの加害国がいまもユダヤ人に負い目を持っていることはよく分かる。

日本も同じ立場だと感じている。

しかし、だからと言って

イスラエルがパレスチナ人を蹂躙し、虐殺することに目をつぶっていいわけはない。

それはそれ、これはこれだ。

 

今、世界は安定・平和という薄い膜に裂け目が生じ、

第二次世界大戦並みの混乱・カオスに突入しつつある気がする。

日本の多くの人々は

「ガザの人たちは可哀想だけど国連が機能してないんだからどうしようもない」と、

それほど関心を持っていないように見受けられる。

しかし、パレスチナ人へのジェノサイドは他人事ではない。

世界が、社会が、人心が壊れるその流れの中に日本もすっぽり入っているのだから。

パレスチナの人々へのジェノサイドを見て無感動でいることは

すでに人の心が壊れている証左だ。

人の心を失った人間とは一体なんなんだ。

 

 

 

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誰もイスラエルを止めることができない

2024-03-15 23:57:08 | 戦争反対

アメリカ及びドイツ、フランスなど西欧はイスラエルをこんな国に育て上げて、

どう責任取るんだ。

欧米が世界を支配するためにどれほど恥ずべきことを

繰り返し、繰り返し、歴史に汚点を刻んできたか。

未来永劫、その汚点はぬぐえない。

クソ野郎ども!

⤵支援物資待つ市民29人死亡とガザ当局、イスラエル軍の攻撃で(字幕・15日)Reuters

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E6%94%AF%E6%8F%B4%E7%89%A9%E8%B3%87%E5%BE%85%E3%81%A4%E5%B8%82%E6%B0%9129%E4%BA%BA%E6%AD%BB%E4%BA%A1%E3%81%A8%E3%82%AC%E3%82%B6%E5%BD%93%E5%B1%80-%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E8%BB%8D%E3%81%AE%E6%94%BB%E6%92%83%E3%81%A7-%E5%AD%97%E5%B9%95-15%E6%97%A5/vi-BB1jVs3X?ocid=socialshare&pc=LCTS&cvid=784d53a36e064a4c96b97480e11fd866&ei=42#details

 

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大石あきこ「クソ野郎」裁判で山口敬之にも完全勝訴(控訴審)

2024-03-13 20:45:33 | 表現

大石あきこさんが橋下徹に訴えられた裁判で、完全勝訴したことはこの間書いた。

今度は山口敬之だ。

今日、あの伊藤詩織さんをレイプした犯罪者山口敬之に

大石さんが名誉棄損で訴えられていた裁判の控訴審判決が出た。

そもそも山口が問題にしたのは

大石あきこさんが2019年に旧ツイッターに載せた2つの文だった。

その1:

「もとTBSの記者で安倍総理の❝御用❞山口敬之氏、伊藤詩織さんに対して計画的な強姦を行った。その山口氏側の敗訴不服の記者会見に伊藤詩織さんが出席している。強くてまっすぐな人だ。たくさんの絶望を支援者と乗り越えてきたんだろうな。」

その2:

「一億円超のスラップ訴訟を伊藤さんに仕掛けた。とことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がったクソ野郎

この2文について著しく名誉を棄損されたとして、山口は2022年東京地裁に訴え、

次の3点を請求した。

①上記2つの文をツイッターから削除すること

②損害賠償金880万円を山口に支払うこと

③山口に対する謝罪文をツイートすること

 

2023年7月の地裁判決では、

〈その1〉は適法な論評であるとしたが、

〈その2〉は「1億円余りのスラップ訴訟をしかけた」までは問題なしだが、

続く文の中の「クソ野郎」は攻撃的かつ激しい侮辱であるとして名誉棄損を認め、

22万円の賠償金支払いと、ツイッターの文〈その2〉を削除するよう命じた。

その地裁判決は大石側、山口側双方とも不服として東京高裁に控訴した。

で、今日2024年3月13日の高裁判決(相沢真木裁判長)が出たんだけど、

高裁では22万円支払いなどを命じた1審判決が取り消され、

山口敬之の請求は全て棄却された。

高裁で一審判決が革新的に覆るのは難しいとされる中でのこの判決だ。

大石あきこさんは嬉しかっただろうな。

最近、頬がこけてきた大石さんを動画で見ていて私は密かに心配していたのである。

問題の「クソ野郎」表現について相沢裁判長は、

「クソ」という言葉が直ちに人糞を意味するとは解されず

「クソじじい」や「クソまじめ」、「クソ忙しい」などと

ののしりや強調の意味で用いられるとして

「『クソ野郎』という表現は、いさささか品性に欠けるきらいがあるものの、

他人に対する最大限の侮蔑表現であるのかは、

疑問を差しはさまざるを得ない」とし、その観点に立ち、

「直ちに人身攻撃となり、意見や論評の域を逸脱したとは断じられない」

と判断した。

一審判決が「クソ野郎」という言葉そのものを

人身攻撃の表現で違法だとしたのに対し、

二審は「クソ野郎」がどのような内容に対しての言葉であるかを考えたという点で

画期的だったのではないだろうか。

即ち、一億円超のスラップ訴訟を伊藤さんに仕掛けたクソ野郎=O.K.

とことんまで人を暴力で屈服させようという思い上がったクソ野郎=O.K.

言葉そのもので断罪した「貴族的」な一審判決と鮮やかな違いだ。

相沢裁判長、あまり良い評判は聞いてないけど今回は見直した。

裁判報告の記者会見で大石さんが、

「私は誰にでも「クソ野郎」と言っているわけではありません」

と弁明するのが可愛かった。

とにかく、言葉狩りにならず、言論の自由が確保されたと言うか、

悪に対して強い言葉で論評することを法的に認めたいい判決だったと思う。

フェイスブックなどのサイトでは「馬鹿」「クズ」などといった罵り表現を

避けるのが当然という傾向があるが、

「馬鹿」「クズ」に値する内容であれば、

その表現を使ってもいいのだと太鼓判が押されたわけで、

大石さんほどではないが普段から悪に対する強い表現を厭わない私としても

表現の自由さが広がり、嬉しい気がする。

近年、ポリティカル・コレクトニスとかが我が物顔に振舞っていて、

それが表現の幅を狭め、表層のみを正しいとする風潮を蔓延させている。

「馬鹿」がだめで「愚か者」がO.K.なんて、

それこそ馬鹿の極致だ。

 

大石あきこ、山口敬之に完全勝利!控訴審 高裁判決後 記者会見 (2024年3月13日15:00〜) ・・・動画ではやたら「クソ野郎」という単語が飛び交って可笑しい(ブルーはーと)

 

 

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国会前で即時停戦の声を上げる若者たち

2024-03-08 21:56:55 | 人権

ある人が、毎日増えていくパレスチナ・ガザの犠牲者のことを知人に話したら

「うわ、意識高い系~」と嫌がられたという。

しかし、大阪で「イスラエルはガザ攻撃をすぐさまやめろ!」デモをしたとき、

何人かの中学生か高校生かがずっとデモの横をついて歩いてくれた。

デモへの嫌がらせのため意味不明な言葉を喚き散らす街宣車が一台あったものの、

町行く人々もいつもの能面のような表情は少なく、

共感する雰囲気を感じた。

イスラエルのガザへの無差別爆撃によって

毎日まいにちパレスチナ人の犠牲者が増えていくことを辛く感じ、

イスラエルは間違っていると思う日本の人々はたくさんいると私は思っている。

今夜3月8日国会議事堂前集会では、

月曜日からのラマダンを体験しようという呼びかけもあったが、

それはちょっと考えさせてもらうとして、

他にも呼びかけられたうち、オンライン署名はすぐさまできるので賛同し、

一番下に貼り付けた。

このブログを読んでくださった方も、ぜひご賛同をお願いします。

 

集会の様子を撮った動画で、

全身の力を振り絞って発言する若者たちの言葉が心に響いた。

その中の一人の発言:

「私たちは国民として政府を批判する権利、

人間としてジェノサイドに加担することを止めろという義務があります。

なぜなら、目を背けること、沈黙し続けること、アクションをしないこと、

それらは私たちの人間の心を崩壊させるからです。

心を失ったら私たちは何になるのでしょうか!」

  ↓     ↓     ↓     ↓     ↓

 

[署名]ファナックは、パレスチナ虐殺に加担しているイスラエルの“死の商人”に、武器製造ロボットを売るのをやめてください!

*ファナック(本社:山梨県)はイスラエルに武器製造ロボットを作って売っている企業です。

  ↓     ↓     ↓     ↓     ↓

あなたの声がチカラになります

あなたの声がチカラになります

ファナックはイスラエルの“死の商人”に武器製造ロボットを売るな! #StopFANUCNow

Change.org

 

 

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冷静さを保って見られないガザの悲惨

2024-03-05 23:38:06 | 人権
 
「イスラエル軍の攻撃で112人死亡」支援物資待つガザ市民犠牲にABEMA TIMES
「57万人が歴史上最悪の食糧不安」ガザ飢餓の危機 報道ステーションANN
「食糧危機のガザ 子ども15人が栄養失調で死亡」 ANN
「やせ細って死んでいくガザの子供たち」栄養危機が発生と国連 REUTERS
「U.S. Airdrops Food to Gaza While Arming Israel to Drop Bombs」Democracy Now! (アメリカが空から食料を落とす傍ら、イスラエル軍は爆弾を落としている)
「16歳を射殺」ヨルダン川西側のパレスチナキャンプをイスラエル軍が夜襲REUTERS
 
 
ここ数日のネット記事や動画のタイトルを見ただけで
今のガザ市民全体が文字通り死に瀕していることが分かる。
日本政府はガザ市民の餓死に加担している。
パレスチナの人々にとって命綱のUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)への
資金拠出を停止しているからだ。
アメリカの尻にくっついて
何でも「はい、分かりました親方~♥」しか言えない属国の日本。
恥ずかしい
情けない
悔しい
私は日本人だが日本政府によって自分の尊厳が傷つけられていると感じている。
パレスチナの人々の地獄の苦しみに対して
私たちはそれを救う責任があるが、
日本政府は私たちにその責任を果たさせないよう妨害している。
私はイスラエル、及び、その後ろ盾であるアメリカなどの製品を不買している。
しかし、その筋道から言えば、日本製品も買えなくなってくる有様だ。
戦後長らく日本政府の権力を握っている腐れ政党の者どもを追い払いたいが、
それは今の日本社会の人々の多数がそう希望しない限り無理だ。
「戦争反対・武器より外交」の志を貫く優れた政治グループが
リーダーシップを握ることを心底願うだけのちっぽけな自分だが、
せめてこのパレスチナの旗をブログに貼って、
パレスチナの人々に想いを馳せる。
どうか生き延びてほしい。
 

⤵[日本政府および各国にUNRWAへの資金拠出再開を求める署名]

あなたの声がチカラになります

あなたの声がチカラになります

UNRWA (国連パレスチナ難民救済事業機関)への資金拠出を見合わせた日本政府【ならびに各国政府】に撤回を求めます❗️

Change.org

 

それでも世界中の心ある人たちがガザを救うために行動しているのだから簡単に心が折れてはいけない。

⤵下の動画は年寄りに「止めろ!」と言われてもパレスチナを救うために訴え続けるアメリカの若者たち。

 

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カメムシ逝く

2024-03-02 10:46:46 | 自然

三日前はいつもより暖かい日でした。

冬ごもりで固まっていた身体が少し伸び伸びして、

裏庭に出る硝子戸の桟に薄っすら溜まった埃にまで気が付いたのです。

割り箸と濡れティッシュでスーッと汚れをふき取っていて、

端っこに固まっている緑の塊を発見しました。

開ければすぐ外に通じる方の端です。

(外から入ってきたのかしら)と掌に取りました。

 

10秒後ぐらいに、ふと(あれ?まさか)と不安が過ぎり、

木立ベゴニアの葉で冬眠している家のカメムシを確かめに行きました。

カメムシは居ませんでした。

掌で固まっているカメムシを見ても、

10秒間「家の」カメムシと全く思わなかったのです。

これが安全バイアスというものなんだと分かりました。

いつかは死ぬと思っていても、今日であってほしくないので

思考をストップさせる回路が働いたのです。

確かに、ただのカメムシと家のカメムシは違いました。

約4カ月の間、同じ空間で生きてきたのです。

ほとんど同志と言ってもいいくらいでした。

哀惜の念が湧かないはずがありません。

 

遺骸は外の柚子かグレープフルーツか定かでない木の下に埋めました。

命が芽吹く春に、逝く命もありました。

 

 

 

 

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