毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「人はみな遺族である」 2013年5月31日(金) No.666

2013-05-31 22:04:02 | 日記
「人はみな遺族である」
今日見つけた心に残る言葉。
志村建世さんのブログで見つけた。

ほぼ毎日母を、ときどき父を想う。
二人とも、とっくに亡くなっている。
また、宿舎のドア横には末美姐さんの笑顔の写真を貼り付けてある。
もはや、心底頼りにするのは死んだ人たちばかり。
私にとって都合のいいことには、
亡くなった我が身内や先輩たちは
常に寛大に、
(思うがままに生きよ)と言ってくれる。
その眼差しが支えである。

日本が変だ、
日本人がおかしい、という今の状態も、
百年後にはどうなっているのだろう。
軌道修正されていたらいいな。
それにつけても、原発だけは止めないといけない。
百年後にまだ日本という国が
放射能汚染に苦しめられていると
想像するだけで、
子どもたちがかわいそうでたまらない。
貧乏でも、せめて、
澄んだ山川や海、空気を残せたら
ひとは生きていけるだろう。
せっかく先輩たちが残してくれた
美しかった日本。
もう一度、過去形じゃない美しさを
取り戻せたらどんなにいいだろう。
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「ええっ!中国でも過労死?!」 2013年5月30日(木)No.665

2013-05-30 20:07:34 | 中国事情
にわかには信じられないが、
中国でも過労死が年間60万人にも達するという。
南昌市にはそういう人いないんじゃないかと思うけど。
何しろビジネス・ピープルもみんな昼寝するので昼休みが2時間もある土地柄だ。


「圧力山大」=ストレスがアレキサンダー大王(中国語で「亜歴山大」)のように
大きいという、発音が似ているのに掛けた流行語だそうだ。
「チャイラボ・中国ほっと通信」によると、
『レンタルオフィス世界最大手、英リージャスの調査によると、
世界80カ国・地域の会社員1万6000人のうち、
昨年よりストレスが増したと答えた人は、
中国本土では75%、香港では55%に達し、
ランキングの1位と4位となりました。
これは、平均の48%を大きく上回り、
中国本土の中では、上海(80%)と北京(67%)が上位2都市でした。』


下の写真と文は同じく「チャイラボ・1日1分中国語ニュース」より転載したもの。

中国上班族压力全球第一(中国の出勤族のストレスは世界一)

不知从何时起,“压力山大”成了都市白领自嘲的流行语。
(いつの間にか、「圧力山大」は年のホワイトカラーが自嘲する流行語となってしまった)
《新华网综合 2013.05.15より一部抜粋》

ーーーーーーー転載ここまで

それでもやはり、多くの若者は上海や北京に向かう。
日本語学科の卒業生は、南昌市に日系企業の就職口がほぼないので
ストレスフルな大都市へと移動するしかない。
ところで、写真の若者はなぜ梨を抱えているのか?
そのワケは
「鴨梨(ヤーリ)」(梨の意味)という言葉が
「圧力(ヤーリ)」」(ストレスの意味)と発音が似ていることから
梨をかかえてアピールしているとのこと。やはり掛詞ね。

 
コメント (3)
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「中日両国民の特性、品格上の差異」 2013年5月29日(水) No.664

2013-05-29 21:08:36 | 中国事情
今日、麦盧キャンパスの停留所で帰りのスクールバスを待っていると、
英語学科の先生方(全て中国人)が、
車で一緒に帰ろうと誘ってくれた。

ありがたく便乗して蛟橋キャンパスまで帰ってきたが、
車中、北京から南昌に来て5年になるという若い先生が
「私は北京の大学で日本語を第二外国語として選びました。
その時学んだ日本人の先生はたいへんきめ細やかで厳しい先生でしたが
その先生にいろいろ影響を受けて、私も今は非常に厳しい教師です。」
と話してくれた。
最近、私は自分が余分にキビシくしているかのように
学生たちに思われているふしがあり、
(ありえないし~)と不服だったので、
その話を聞いて、我が意を得たりと喜んだ。
「語学を始める時に、大学生もへちまもない」
というのが私の口癖である。
全くゼロからスタートするときには、
謙虚に教えを乞うべきだろう。
それがきめ細やかな(精緻な)ものであればあるほど、
きちんとしたものが学べるのであるから、
喜ぶのが当たり前じゃないか、と私は考える。

しかし、多くの中国人の原風景に
「精緻」というものはあまり根づいていないようだ。
王敏著「美しい日本の心」の中で截李陶さんは、
日本人の特性、品格の特徴に触れて、次のように言う。
日本趣味を、特性、品格について分析してみると、
『崇高』、『偉大』、『幽雅』、『精緻』の四つの品性のうち、
豊富なのは『幽雅』と『精緻』であり、
欠けるのは『崇高』と『偉大』、特に『偉大』である。


これを多くの中国人に当てはめてみると次のようになるかも。
中国趣味を、特性、品格についてみると、
『崇高』、『偉大』、『幽雅』、『精緻』の四つの品性のうち、
豊富なのは『偉大』と『崇高』であり、
欠けるのは『精緻』と『幽雅』、特に『精緻』である。

ほぼ、真逆な特性を持つ隣同士の国の民族。
補完し合えば、とてもいい関係になるはずなんだけど。
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「詭弁の弄し方①ー橋下徹の場合」 2013年5月28日(火)  No.663

2013-05-28 19:48:27 | その他情報
昨日5月27日、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長が
日本外国特派員協会(東京都内)で「従軍慰安婦発言」の釈明会見を行った。

この記者会見に出てくる『旧飛田(とびた)遊郭』街に、私はかつて行ったことがある。
浪花の歌う巨人‘パギやん’こと趙博さんの
「通天閣ブラリ散歩」ツアーに参加したしたとき、
案内されたのだ。
狭くてトラディショナルな地元商店街をぶらぶら行くと、
突然(ここは何や?!何時代に紛れ込んでしまったんや~!)
と叫びたくなる場所にポッと出た。
それが『飛田(とびた)新地』だった。
旅籠みたいな建物の一階玄関がバーンと開いていて、
冬にも関わらず腕も胸も露わなウエディングドレスっぽい衣装に身を包んだ
色白の若いお嬢さんが
看板女優の風情で横向きに座っている。
それだけではなく、
その娘の傍か玄関前には必ず年配・やり手風のお婆さんが立っている。
観光地大阪のど真ん中に、これほど堂々と売春街があるとは???
法律で禁じられているのにどういうわけ??????
と、理解不能状態で、頭を殴られたような衝撃を受け、
ヨロヨロ帰ったのを覚えている。
一緒に行ったフミちゃんも、
「アカン、こういうの見たら、もうアカン」
と暗い顔でブツブツ言っていた。
私もフミちゃんも娘を持っている。
玄関先に座らされた娘と、わが娘を重ねて想像すると、
本当にゾ~っとする。
現実にこの玄関先から入っていく可能性が
自分たちの娘にもあるかと思うと・・・。
あの娘たちは、自ら進んで「職業選択の自由」で選んだと、誰が言えるだろう。

橋下徹はその旧飛田遊郭(料理組合という名称)の顧問弁護士だった。
それを外国人記者に追求されて、
彼がどう答えたか、顛末が
「逝きし世の面影さん」のブログに掲載されていたので
ここに転載させていただく。
詭弁の達人と言われる橋本徹だが、外国人記者にはさっぱり効果がない。
さらに、ひどいことに、日本のマスコミはこの記者会見の内容を
全く報道していないということだ。
私は中国にいるのでネットが頼りだが、
確かに朝日デジタルも毎日JPもyahooニュースも、
旧飛田遊郭顧問弁護士関係には一切触れていない。
そんなことしても、隠しおおせるわけないのに・・・。

ここから転載ー―――――――

『完全に中身が腐っている、日本のマスコミ』

恐ろしい『橋下徹タブー』の売春業者顧問を
全員で隠蔽する日本のマスコミとは違い、海外の目は厳しい。
日本維新の会の橋下徹大阪市長は日本外国特派員協会(東京都内)で
自身の従軍慰安婦発言の釈明会見を行う。
5月27日、特派員協会としては異例の398人もの多数が集まり、
参加した記者からは地下鉄サリン事件での
上祐史浩オウム真理教広報部長の出席の時以来との声も出るほど盛り上がる。
大甘の談合体質の日本のマスコミとは大違い。
慰安婦問題追求に情け容赦がない。
旧遊郭街飛田の顧問弁護士の経歴が外国人記者の槍玉にあがり、
橋下大阪市長はしどろもどろの釈明を行う。
売春業者の顧問弁護士だった経歴と
現在の大阪市長という公的な役割との整合性を問われ橋下徹は、
『かつては顧問弁護士だったことは事実。
それは、飛田の組合という「料理組合」の顧問弁護士。
日本において違法なことがあれば、捜査機関が適正に処罰する。
料理組合自体は違法でもない』
と逃げようとするが記者席からは失笑、嘲笑が漏れる。

『詭弁を弄して恥ずかしくないのか』

会見に参加した記者からは、
『名称は「料理組合」かも知れないが、
飛田は、お店の二階に上がってお金を払えば買春できることは、
大阪のちょっとませた中学生なら誰でも知っている。
中学生が聞いて、「橋下さん、嘘ついてはるわ!」と思うような
詭弁を弄してひとりの政治家として恥ずかしくないのか』
と追求される。
厳しい追及に橋下市長は薄笑いを浮かべながら
『違法なことであれば、捜査機関が行って逮捕されます。以上です』
と話を一方的に打ち切っている。
『なーにいってんだ』とのヤジや嘲笑で、
到底橋下徹の弁明が受け入れられた雰囲気ではない。
ところが、
日本の既存のマスメディアは報道機関では無く、隠蔽機関であった。
これらの外国特派員と橋本徹のやりとりは一切無視して報道していない。
翌28日朝刊やテレビニュースは
橋下徹の外国特派員協会の顛末を詳しく報道しているが、
飛田遊郭の話は何かのタブーなので封印して報道しない。
相手は外人記者なのですよ。
タブーとは、その共同体の内部だけに通用するルール(禁忌)であり、
部外者にはまったく無関係。
いくら国内で『橋下徹タブー』を厳重に封印しても、
今のように完全隠蔽は無理で、
今後日本以外の世界では面白可笑しく日本の恥
『政治家橋下』を大宣伝してくれるでしょう。
隠して『隠せる』なら隠蔽工作に意味があるが、
今の日本のマスコミのレベルは
寝小便した布団を隠す幼稚園児程度の知的水準(判断力)である。
小学生でも(必ずばれる事が分かっているので)隠さない程度の良識がある。
何故、今回は日本国内限定ではなくて外国特派員協会なので、
最初から『隠せないのだ』と気がつかないのか。
心底、情けない。
日本の崩壊は、最終局面に入っているのでしょうか。

逝きし世の面影5月28日―「従軍慰安婦は必要だった」橋下発言の根っこ部分―
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/6c2c50f41a1e885c73615e9389e40a18


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「ホッと一息、スイカを食べる」 2013年5月27日(月) No.662

2013-05-27 18:23:02 | 中国事情

もう、スイカが美味しい季節になった。
昨日、3年生の夏斐さん・雷国華さんが1年生6人を連れて遊びに来た。
このスイカはその時のお土産だ。
毎年、先輩が後輩の面倒を見るこの日本語学科の雰囲気は本当にいいものだ。
卒業してもなお、強い絆を感じる子たちも多い。

昨日は先週に引き続き、トンカツとカレーライスをみんなで作った。
肉が先週に比べて柔らかく、食べやすいトンカツができてヨカッタ。
先週の人たち、ゴメンねえ(。-∀-)
我が宿舎に来てトンカツを食べた人たちは、
この夏休み、故郷に帰って、是非とも日本料理のトンカツを
家族に振舞って欲しいものだ。

今日は先程までかかって、
「第9回日本語作文コンクール」の応募作品を最終チェックし、
第一便の52作品を東京の日本僑報社に送った。
約2ヶ月間、毎日毎晩これに時間を使ってきたのだ。
送った後で、ジワジワ(ほぼ終わった~)という実感が湧いてきた。
そこで、ホッと一息ついて、お土産のスイカを切ったのだ。
みずみずしくて、おいしい。

スイカを食べているとき、
数日前に周双双さんが言っていた言葉がふうっと蘇ってきた。
お茶会のとき、見ている学生たちは手持ち無沙汰なので
スイカの種とかひまわりの種を食べていたらどうか、という提案だった。
ワビ・サビ・幽玄のお茶会にスイカやひまわりの種・・・。
思い出したら、笑いが止まらなくなった。
やはり、日本の伝統茶道を味わうには道のりが遠い(^O^)
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「お茶会風景」 2013年5月26日(日)  No.661

2013-05-26 21:31:57 | 中国事情
一昨日、金曜夕方のお茶会の様子を撮った写真を
周双双さんが送ってくれたので、
その少しをご紹介。

小西先生ご夫妻。
長年連れ添うと、雰囲気が似てくるのだろうか。
ゆったり、穏やかな語り口はお二人に共通していた。
四国の風土なのかも。


男性の小西先生が主にご指導されるのかな、と
スタート時点では想像した。
手馴れたご様子の準備風景。


まもなく女性の小西先生に主導権が移譲され、
その後は、ずっと座布団もなしで1時間以上
ご指導くださった。
私なら5分持つかどうか・・・。


「お招きいただきましてありがとうございます」のお辞儀。
そこまで頭を下げなくても・・・(^_^;)


会の最後に、2学期日本語コーナーの最後でもあるので、
3年生の4人に「雨ニモマケズ」の歌を歌ってもらった。
この歌は日本文学の時間に
グループ発表したものだが、もともと6人だったうち、
一人は日本の岡山県に留学、もう一人は腰の骨を折って、寮で静養中。
波乱万丈なグループだが、
4人は最後まで澄んだ美しい声で(もちろん日本語で)歌いきった。
左から徐丹雯さん・侯暁同さん・王雲花さん・羅翀さん。
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「時には言葉がコタエルことも」 2013年5月25日(土)No.660

2013-05-25 22:31:34 | 中国事情
作文コンクールの締切が1週間後に迫っている。
まだ、添削は続いているが、できるところまでしかできない。
この期に及んでまだ提出しない学生もいるのは、ちょっとオドロキだ。
曲がりなりにも、日本語を学んで2年、3年経とうという時期に
日本語で作文のひとつも書けないでドースル。
おそらく、該当者たちは中国語で書けと言われても嫌に違いない。
作文は書けば書くほど、好きになると思うのだが、
小学校から高校まで、作文は散々書かされてきたと言うわりに
作文好きな学生は多くない。
中国の作文教育は、以前、ちょっと書いたことがあるが
お手本を写すことからスタートすること、
いわゆる美文であること(修飾が多すぎて、大げさだと日本的には感じる)、
といったことが重視され、自分の考え、気持ち、自分だけの気づきなどは
あまり指導されなかったと多くの学生が言うのを事実だとすると、
なんかね~。

それでも、四苦八苦して書いてあるのを読むと、
時には感動の涙が溢れ、
時にはグサッと胸に刺さる言葉もある。
例えば「中国人にとって、日本人は天敵です」とか。
例えば「日本について何も思っていない人ですら、『日本』と聞くと、
一瞬行動がストップする」とか。
もちろん、書いた学生に何か不服を感じるのでは決してない。
(中国人にとって、日本とは、そこまで特別なのか)
と、コスモポリタン的我が浅薄さを情けなく思うのだ。

そういう作文が続くと、さすがに心がちょっぴり弱ってくる。
今日はそういう日だった。
で、Aaron Nevilleの「Jesus Loves Me」を聴いた。
Jesusが誰であるか、モワッとして鮮明ではない。
しかし、「loves me」のところが重要なのである。
誰か(大きい存在)が私を愛している
私はこの世に愛されている
こういう言葉は、「お天道様はご存知だ」と同様に
何とか自分を持ちこたえさせる時のおまじないになる。
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「お茶会~日中友好協会高松支部小西ご夫妻をお招きして」 2013年5月24日(金)No.659

2013-05-24 21:04:37 | 中国事情


財大日本語学科2学期の日本語コーナー最終日を飾った
日本の伝統茶道の紹介。
もちろん、私にはできるはずがない。
茶道の細かい決まりごとなど、聞く先から忘れていく人間である。

というわけで、今日は、
南昌市と友好姉妹都市である四国の高松市から3ヶ月間派遣されていらっしゃった
小西先生ご夫妻にお越しいただき、抹茶の点て方、飲み方のご指導を受けた。

2年生、1年生が掃除・準備してくれた教室中央にゴザを敷き、
茶せん、茶杓、お茶碗などを用意すると、
場は一気にお茶会ムードに早変わり。
3年生の陳小雲さん・雷国華さんの司会で会がスタートした後、
浴衣姿の三人娘(周双双さん・余立君さん・李静さん)が、
甲斐甲斐しくお手伝いしてさらに雰囲気が盛り上がった。
やはり、浴衣姿のアピール力はすごいな。


普段、学生にとって日本人といえば、私が代表である。
それは日本人に対する大いなる誤解の元になりかねないのを(^^;)
わたくしは日々、非常に危惧しているので、
今日は、日本文化に触れる以前に、
生身の日本人に触れるという、いい機会になったと思う。
おふたりは、とても穏やかな口調で語りかける、
実に優しい日本人だった。
(ああ、私はこういう方々の爪の垢を煎じて飲んだとしても、決して真似はできないな)
と、おふたりの声を後ろの方で聞きながら確信した。

日中友好協会の活動に、私は直接関わりはないが、
尖閣(釣魚島)問題やアベシやら何があっても、
淡々と両国民の民間友好を担っているこの団体、
そして、飛行機代やら自前で中国に来て、
ボランティア活動をされている人々の存在はたいへん大きいと思う。
今日、私はおふたりを「天の助け」と感じた。
小西両先生、非常感謝。m(_ _)m

あと、今日のイベントを担ってくれた全ての皆さんに「ありがとう!」
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「乙武さん“騒動”で感じたこと」 2013年5月23日(木) No.658

2013-05-23 19:56:47 | 日記
日本の皆は知ってるとは思うけど、何日か前、
乙武洋匡さんが車椅子で、予約した銀座のイタリアンレストラン(ビルの2F)に
食事に出かけたところ、車椅子であることを理由に断られた。
「車椅子であることを事前に告げるべきだ」
「ほかのお客様の迷惑になる」
という理由で。
乙武さんが、下まで降りてきて抱いて席まで連れて行ってほしいと頼むと、
忙しいことを理由に拒絶された。
「これがうちのスタイルなんでね」
と言われ、乙武さんは腹を立てて、twitterにこの店の名前を出して
「銀座での屈辱」(「カノッサの屈辱」とか昔習ったなあ。関係ないけど
と名付けた。
その後、twitterは
レストラン非難の意見、乙武さん非難の意見で‘炎上’した。
「店の障害者に対する対応の悪さ。障がい者に対する理解のなさ」、
「乙武さんが事前に車椅子で行くことを告げなかった常識はずれ。
しかも店の実名まで出して大人気ない」、
と、二つの意見が真っ向対決みたいになったそうだ。

この騒ぎ方は、ここ何年もの日本人の傾向の典型的パターンだ。
そりゃ、喧嘩している当人たちは
頭に来ているから、店の実名を出しちゃったり(乙武側)、
車椅子であることも言わずに来て、こっちは今忙しいんだ(店側)、
となることは、そんなに不思議ではない。
とにかくカッカと怒っているから、私も当事者ならするかもね。

しかし、当人たちが怒ってちょっと過激になったからといって、
それを頭ごなしに断罪するのは、周りのもののすべきことではない。
少なくとも、周囲は当人同士より冷静に、
あれこれ思いを巡らすことが可能なのだから。
このすぐさま決めつけたり、断罪したりするのは近年の日本的悪い癖だ。
この乙武さんの入店拒否‘騒動’で一番気になったのが
周囲のtwitter意見が優しくないことだ。
当人同士がハッピイになるように、手助けしようという方向で意見が炎上したら
どんなによかっただろう。
みんな、もうちょっと、心にゆとりを持とうね

(乙武さんは、気軽に「抱いて席まで連れて行って」と言ったんだろうな。
いつも彼の周囲はそんな雰囲気が満ちているのだろう。
アメリカでは、障害者が援助を求めたら(求めていなくても)、
即座に見ず知らずの周辺にいる人たちが
「Can I help you?」と声をかけ、手助けしていた。
お店の人は、
「他のお客さんに迷惑」と言わず、
「他のお客さんに手伝ってもらいましょう」
と、言ってあげたらヨカッタのにな。
でも、そう思えるのにも、教育や体験が大いに影響するから、
周囲が、レストラン店主に優しく忠告してあげれば、今回のことで学ぶのでは・・・)
と私自身は感じた。
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「ゲイの権利を考える中国の若者たち」 2013年5月22日(水)  No.657

2013-05-22 20:23:20 | 中国事情
「中国でもゲイの人々の結婚を法的に認めるべきである」
というテーマをめぐって2年生会話クラスでディベートしたのが先週。
今週は、そのディベートを聞いた2人の学生が
自分の感想、意見を述べるひと時を持った。

その二人は寮のルームメイトで、その部屋では他のルームメイトとともに、
約一ヶ月間、ゲイ・ピープルの権利を巡って討論を続けていたという。
おそらく、はじめ彼女たちは、
中国社会の一般通念から一歩も出ていなかったであろう。
そんな20歳前後の中国の女の子達の意見である。
ただし、残念なことに、彼女たちは
ゲイの人々がどのように努力して、
家族を形成してきたかについて
歴史的事実を知ることができていない現実がある。
やはり情報が少ない。


(王がせい)
 皆のいろいろな意見を聞いた後で、
私は“ゲイに結婚を認めるべきではない”と思いました。
実は、私は本来、ゲイの結婚に賛成していました。
なぜ思いが変わりましたかと言ったら、
やはり、朱さんの言った
「親孝行が何より大切」という理由に感動したからです。
 まず、親孝行は中国人として非常に重要です。
少なくとも、私にとってそれは一番大切なことです。
社会人である以上、責任を持たなければなりません。
もしも、人々が我がままに自分が思うように生きたら、
社会は崩れる恐れがあります。
確かに、人間は夢を追う権利があります。
でも、勝手に権利を使えば、集団の中に生活している他の人に
迷惑をかけないでしょうか。
社会は一人の社会じゃなくて、皆の社会だからこそ
他人への影響を考慮しなければなりません、と思います。
 そして、たとえゲイ達が深い愛を持っていても、
子どもを産むことができないでしょう。
ゲイ達の行為も、次世代に影響があるに違いありません。
従って、次世代、ゲイが増えていったら、子供の出生率は
いっそう下がるでしょう。
人口も減って、労働者は不足して、社会は後退しかねません。
みんな、そう思うのではないでしょうか。


(とう碧霞)
私はゲイの結婚も認められるべきだと思います。
1990年5月17日、WHOの正式な発表で、ゲイは精神疾患ではないと
認められました。
従って、ゲイの愛も普通の愛だと認められたということです。
今、世界で、ゲイは多くなる一方です。
中国の張国栄とか、アイスランドの大統領とか・・・・・・。
ゲイはもう、不思議なことではないです。
それから、ヨーロッパでは色々な国でゲイの結婚も法律的に認められました(資料1)。
例えば、フランス、イギリス、ドイツです(資料2)。
でも、ヨーロッパ人はオープンな人たちだから、と言う人たちがたくさんいます。
中国は伝統的な生活や考え方が主流の国で、
人々の考えはまだ保守的だからです。
ゲイに自分の子どもがいないことは親不孝だ。
そう思う人もたくさんいます。
しかし、これは本当に親不孝でしょうか。
親孝行とは、親を幸せにすることです。
それならば、
もし、子供が親に十分な思い遣りや心配りをしたならば、
親は楽しんで暮らすことができて幸せでしょう。
親の立場からすれば、
自分の子どもが人生で、自分の世界を見つけて、
元気に楽しんで生きて欲しいのではないでしょうか。
子どもが自分の幸せを見つけたとしたら、
どうして親はそのことに反対しますか。
それと同じで、
もし、子供がゲイの親を持ったとしたら、
子供も、ゲイの親を支えるべきだと思います。
 愛は全ての人間の基本的な権利だからです。
誰でも自由に愛することができます。
ゲイも同じではないでしょうか。
ゲイの結婚も普通の結婚のように法律で守られるべきだと考えます。
それゆえに、中国も法律的にゲイが認められるべきです。


資料1)ヨーロッパでは7カ国(スウェーデン・ノルウェー・デンマーク・アイスランド・ポルトガル・オランダ・スペイン・ベルギー)、アメリカ大陸ではカナダとアルゼンチンの2カ国とアメリカの一部の州で同性結婚が法的に認められています。 アフリカでも南アフリカ共和国でのみ認められています。 また同性結婚は認められないが、夫婦関係と準じて同性愛者同士の付き合いを認める「パートナーシップ法」というものもあります。 パートナーシップ法を定めている国も多く存在しています。
http://www.carib-offshore.com/marry.html

資料2)後藤純一 「世界中で認められつつある同性婚 今、イギリスとフランスが熱い!──新しい家族のカタチ 〜同性カップル編〜」2013年4月16日 
教会の反発などもあって同性パートナー法(同性婚に準ずる、事実婚のような制度。男女の夫婦とほぼ同じ権利が与えられる)止まりだったフランスとイギリスでも、現在、政府が後押しして同性婚を実現させようとスパートをかけている。すでに下院では法案が可決され、ゴールは目の前という熱い状況だ。
欧州だけでなく、カナダやアルゼンチン、南アフリカといった国々でも、多くのゲイ・カップルやレズビアン・カップルがウェディングベルを鳴らし、オーストラリアやブラジルなどでも同性パートナー法が認められてきた。
同性パートナーの権利を認める国がひとつもないのは、実はアジアだけ。アジア一の先進国であるはずの日本は、このまま人権後進国であり続けるのだろうか?
http://gqjapan.jp/2013/04/16/lgbtmarriage/




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「思いがけない再会」 2013年5月21日(火) No.656

2013-05-21 19:36:48 | 日記
普段、忙しくていちいち占いなど見ない私が、
今朝、ふとgooホームページの左下辺りに、
「bluehearts-10-11さん運気・・・ハッピー度70%」
という文字を見つけ、
いつになく、ちょっとクリックしてみると、
下のようなアドバイスが、
わざわざ私だけのために書かれてあるではないか。
今までぼんやりしていて、気がつかなかった私は恐縮して、
「花凛さん」という見ず知らずの占い師さんの
お言葉を今更ではあるが拝読した次第である。

strong>幸運を呼ぶ、あなたの運気予報 presented by 花凛
【5月21日】 花凛から blueheartsさんへのアドバイス

たとえば、久しぶりの友達に街でバッタリ会ったり、
好きな人と共通の趣味があることが発覚したり、
あなたの心を躍らせるようなことに違いないはず。


そうですかあ。
今日は誰に会うのかな、ワクワク(o>ω<o)
と期待したのは一瞬で、
こういうのを記憶する脳内装置がないために、
ありがたいお言葉もたちまち忘れ去って、今日一日は終わった。
というか、終わろうとして、いつものように
蛟僑(本部)キャンパスでバスを降り、
財大購物広場(スーパー)に向かった。
(雀巣インスタントコーヒーと優選トイレットペーパーは絶対買わねば・・・)
と、買う品物を考えて歩いていると、
「先生!」と
日本語で声を掛けられた。
日本語学科のある麦盧キャンパスならよくあることだが、
ここ、蛟僑キャンパスでは珍しいことである。
顔をみると、明らかに何回も見たことのある女性が、
ニコニコこちらを見て立っている。
はて?誰だっけ??
こういう時、なかなか
「えっと、あなたはどなたでしたかね~?」
と私は聞けない。
「あら~!久しぶりい~。お元気い~?」
とか言いながら、脳みそフル回転でこの女性の情報をかき集めるのだが、
悲しいかな、私は『覚えやすく、忘れやすい』タイプの記憶装置しか備えていない。
「先生、私はまだ、日本語を忘れていない。」
その子は言った。
(うう、聴講生だったかな?もっと近い存在だったような…)
「そう、それは良かった!私は今から財購に行くの。」
「あ、私は図書館に行きます。」
「ん、じゃ、まったねえ~!」
と、調子よく別れた。
(誰や、誰や?今のは誰だった??)考えても分からない。
聴講生にしては割と日本語上手いな。

・・・・・・・・・分かった!!!(15分後)

彼女は、3年前、私が赴任し立ての時の1年生のクラスで、
真面目に勉強していた文国栄さんだった!
今、3年生のクラスは転学部や日本留学やらで人数が減り、32人だが
1年当時は40人もいて、非常に賑やかだった。
1年生修了時に、6人が転学したが、その中に文さんもいたのだ。
それにしても、かなり流暢な会話が成り立っていたな。
ほんとに「日本語を忘れていなかった」んだなあ。
(ああ、嬉しいったらないな)そう思うと同時に、
これが、占いによって予言されていたものなのか、と
花凛さんの占いに心が傾くのである。
明日の朝も占い見よっかな~。</font>







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「『橋下徹氏発言の背後にある人権侵害肯定価値意識』ー植草一秀氏」2013/5/20(月) No.655

2013-05-20 17:30:21 | その他情報
橋本慰安婦発言は世界中から当然呆れられているが、
ただ単に呆れられただけではなく、
「日本では過去を美化し、新たな戦争に向けて準備しようとする政治勢力が
跋扈(ばっこ)している。危険信号だ。」
といった批判が、
日本政府が日本国を無条件に捧げ、頼りきっている
アメリカからも声高に発せられている。

この橋本発言のポイントは何か。
5/16の植草一秀さんのブログ文が正鵠を得ていると思う。
問題点の整理に、たいへん役に立ってありがたい。
文全体は長いので、取りあえず前半を掲載させていただく。
(太字;ブルーはーと)

植草一秀の『知られざる真実』
2013年5月16日 (木)
「橋下徹氏発言の背後にある人権侵害肯定価値意識」

焦点は国権と人権との位置付けである。

国民を国家の一部=手段=道具と見なし、
国民を国家のために活用することを肯定する立場と、
国民と国家との間には、根源的な緊張関係があり、
国民の権利に対する国家の介入に最大の警戒を払う立場との間には
天地の開きがある。

これが国権と人権の問題だ。

この問題に敗戦後の日本が示した究極の回答がこれだ。

日本国憲法

第九十七条  この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

基本的人権は、

人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果

であり、

過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたもの

と規定した。

国権ではなく人権重視、なのである。

そして憲法は、国家権力=国権が人権を侵害しないよう、
国家権力を縛るために制定される。

これが立憲主義の考え方である。

日本国憲法は第11条にも次の条文を置く。
第十一条  国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
橋下徹氏の

「従軍慰安婦は必要だった」

発言は、人権に対する国権の優越を是認する橋下氏の判断を示すものである。

そもそも、戦争そのものが国権による人権の侵害である。

安倍晋三氏は靖国参拝を正当化する理屈として、

「国家のために命を捧げた英霊に敬意を表し、その御霊を敬う行為」

と主張するが、国家のために命を失った人のほとんどは、
基本的に国家によって不本意に命を奪われた人々である。

戦争行為そのものが、
もっとも深刻な人権侵害行為である点を見落としてはならない。

長崎の原爆投下で被曝しながら、被爆者の救済に命を捧げた永井隆博士が
「花咲く丘」に記した次の言葉。

「戦争はおろかなことだ!戦争に勝ちも負けもない。あるのは滅びだけである」

沢木耕太郎氏は、クリント・イーストウッド監督の映画「父親たちの星条旗」に込められた真のメッセージが次のものであると批評する。

「戦争を美しく語る者を信用するな。彼らは決まって戦場にいなかった者なのだから」

そして、クリント・イーストウッド監督は、

「ずっと前から、そして今も、人々は政治家のために殺されている」

と語る。

戦争は国と国の間で行われるものではない。

安全な場所にいる戦争指揮者と前線の兵士・民衆との間で行われるものである。

国家権力は、前線の兵士も前線の従軍慰安婦も、そして前線の市民も、
敵味方の区別なく、権力の所有物として、
その尊厳と命を踏みにじってきたのだ。

橋本徹氏、石原慎太郎氏、安倍晋三氏に共通する特性は、
国家の権力の名の下に、民衆=人民=国民を虫けら同然に扱う、
権力者の傲慢と高慢を濃厚に備えていることだ。

彼らは、戦争を煽り、戦争を創作し、人民を虫けら同然に扱う。

その一方で、戦争を美化し、虫けら同然に扱った人々を祀る施設を、
英霊を讃える場所として美化する。
それは、戦争遂行の道具として、
虫けらの人民を再生産する必要があるからである。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/post-985e.html
植草一秀の『知られざる真実』
-マスコミの伝えない政治・社会・株式の真実・真相・深層を植草一秀が斬る

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「学生たちとの至福の時」 2013年5月19日(日) No.654  

2013-05-19 21:17:17 | 中国事情
ようやく仕事にも出口が見えてきた今日この頃、
我が宿舎は2年ぶりの周双双さんを始め
劉慧さん、陳小雲さん、董光輝さん(彼は初めて)の3年生たちが
これまた全員初めての2年生余立君さん、施芳ほうさん、袁てんさん、楊文雅さん
を連れて、やって来た。
やっぱり、私には大人のパーティーより学生たちとのひと時の方が似合っている。
豪華な花束をプレゼントされ、私は舞い上がった。
中国式(南昌式?)花束はだいたいこういう感じにまとめられている。



周さんは、1年生の時、私がまだ1階に住んでいた2011年1月始めに
「ソーラン節」の特訓先鋭部隊のひとりとして来て以来だという。
ア、ソーラン、ソーラン
ドッコイショー、ドッコイショー
の曲に合わせて「ドン」とシコを踏むたびに、
床から白い土埃が舞い上がったのを
今でも覚えている。
その時も、当時3年生の楼晨けつさんがアシスタントを務めてくれたが、
今日も、3年生が来るというので、大学院寮から駆けつけ、
変わらずせっせと後輩のために
世話を焼いたり、料理を作ったり、大活躍してくれた。
もう、日本語学科ファミリーって感じ。
2年生もこの環境の中で、
たくましく「日本語学科チーム」として育ってくれることだろう。

早速メールで感想を送ってくれた2年生の楊文雅さんと、
3年生の周双双さんの文をご紹介。

先生へ
 きょうは、本当にどうもありがとうございました。
あんなに美味しい料理を作ってもらって超幸せと思っています.
私はこの前からずっと肉を食べたいといったんですけど、
食堂の肉料理の中に、ほとんど肉はない、野菜ばかりです.
今度は先生のおかげで、たくさん肉が食べられて嬉しかったです。
私、食べるのが大好きで、肉でも、野菜でも。
       楊文雅から

注:「あんなに美味しい」と言っても、
いつものカレーライスとトンカツ、野菜サラダなんですけどね(^^;)

先生:
 こんばんは、こんな遅くまでお邪魔するのはすみません。
今日は本当にありがとうございます。
先生が作ってくださった料理をいただいて、とても幸せだと思います。
そして、先生のおかげで、トンカツとカレーライスの作り方が分かりました。
今度は必ず家族に作って上げます。(*^ワ^*)
揚げピーマン(?)の作り方も十分分かりました。
「ブルーはーと式料理」を習って、嬉しいと思います。(笑)
さまざまな話をして、大変勉強になりました。ありがとうございました。

下は今日お撮りしました写真で~す。一緒に努力した成果、ちょっと先生にお目にかけます。(周双双)

注:トンカツは、結局、今朝女性達に豚肉を買って来てもらって
無事作れたんでした(硬い肉だったのが残念!
見た目には硬いかどうかはわからないので、食べてみて初めて分かった)。
でも、何人もで流れ作業をしたのでテキパキできました。
トンカツの衣(ころも)セットが余ったから、
ピーマンもトンカツと同様に衣をつけて揚げてみました。
かなり美味しかった、よね?食べた皆さん

  

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「財大購物広場に豚肉がなくなった日」 2013年5月18日(土)No.653

2013-05-18 22:15:23 | 日記
今月は財大の学生たちのために全力を注ごうと決めて、
南昌市内にも出かけず、ひたすら昌北の片隅で
仕事に勤しんでいる。
明日は、作文と試験問題作りの手を休め、
ちょっと一息、3年生や2年生とカレーやトンカツを作る日にした。

しかし!
夕方、いつものスーパー「財購」に行くと、
どういうわけか、明日のメインディッシュに欠かせない
豚肉が全く、すっからかんに、売り切れていた。
冷凍肉もない。
ただ、冷凍鶏肉はあったが、
学生たちが恐怖で固まると予想されるので
買わなかった。
なぜなんだろう。いつもたくさんあるのになあ。
ひとつ考えたのは、
今日で副専門(土日の朝から晩までの授業)が終わったクラスが多いから、
多くの学生は肉を買って、パーティーでもしているのでは?
ということだ。
昼間から夕方にかけて、爆竹や花火がやたら鳴っていた。
授業が終わった喜びを爆竹に託しているのだろう。
(ってホントかな(^O^))

しかし、トンカツするのに豚肉がなくてどーする。
仕方がない。
明日はソーセージで串カツだ。
カレーは肉なしだ。(^^;)
ああ、スキップして来る陳さん、周さんたちの
落胆が目に浮かぶ。
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「二年目のサボテン」 2013年5月17日(金)No.652

2013-05-17 21:21:22 | 日記
去年の冬に劉思ていさんからもらったサボテンが、
二年目を迎え、ちゃんと可愛い瘤みたいな新葉を出した。
最初は三葉だった。
去年の春に手前右側のだけ新葉を出し、その新葉からもう一つ新葉が出てきたが、
そのあたりで夏休みになったので、
管理人室のミズ劉とミズ呉に水やりをお願いして日本に帰り、
8月末に戻ってみると、
新葉が横になっていた。
写真中央のヒョロヒョロして左横に伸びている部分である。
それには原因がある。
夏休みの間、このサボテンはオフィスビル内の
日の当たらない階段のところに置かれ、
確かに水は一週間に一度、きちんとやってもらっていたが、
全く外の日の目を見ていなかったのである。


今見ても哀れなり。
それでも頑張って、今年は三葉とも新葉を出した。
私も粘土のような土を変えなければ・・・と思いつつ
もう一年が過ぎた。
植木鉢のちゃんとしたのも用意したい。
しかし、また、夏休みが来る。
また、戻ってきたとき、ヒョロヒョロかと思うと、
悩ましい。
誰か、このブログ読んでいる人で
この夏休み、このサボテンを育ててくれる人はいないでしょうか(^人^)
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