毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「来たー!南昌の火鍋夏」 2012年6月30日(土) No.385 

2012-06-30 21:51:08 | 中国事情
(;´Д`)うう、あぢい。
急に暑くなるからね~、もう南昌はあ~。
今は夜9時過ぎなのに31.8℃だ。

天気予報を見ると、明らかに雨期は終わった。
そう言えば一週間前から蝉が泣いている、じゃない鳴いている。

週間天気
2012年6月30日 17時0分発表
都市名 南昌(Nanchang)
7月1日(日)35/27(最高/最低℃)
7月2日(月)35/27
7月3日(火)36/27
7月4日(水)34/26
7月5日(木)34/26
7月6日(金)34/25
7月7日(土)35/26

つい数日前までは☂マークが目立っていたのに、この変わり方・・・。
これが南昌だ。
そして、35℃と書いてあっても実際には往々にしてもっと高温になる。
ここの天気予報は、何かにつけて暑すぎず、寒すぎず、と控えめだが、
現実はもっと暑く、もっと寒い。
南昌の天気の神様は
「どうせやるなら派手にやる」といった性格のようだ。

あ、でも明後日7月2日にはこの火鍋から脱出だ~い!
大阪まで火鍋化していませんように・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Twitterの効用例」  2012年6月29日(金) No.384

2012-06-29 20:05:32 | 原発事故
中国時間午後8時、
GOOのHP画面上に小さく「反原発デモ10万人」の文字発見。クリック。


「反原発デモ 10万人」の話題- いまトピ 1,750
話題の発生時刻: 2012年6月29日(金) 19時9分
首相官邸前で原発再稼働停止を訴える大規模なデモが行われている。参加者数は10万人に達するとの報道。
(参照元:twitter.com/#!/searc...)

編集者:いまトピ編集部


(なに!今やってんのかい。じゃあ、私もちょっと行ってみようかな)
と思いますよね、みなさん。はい、まだやってるかもよ。東京のヒトは行ってね~!


なんかパソコンてアナログっぽいわ。
でも仕方ない、ここは中国。
アナログメールで東京の息子に「行けたら行って」と送った。

アナログでもすぐ返事が来た。
「わかった!そこ、梶くんも行ってるかも知らん。」と。
梶くんとは、元ブルーハーツのドラムスの梶くんです。
先週はアジカンの後藤くんが行っていたという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「テスト風景」  2012年6月29日(金) No.383

2012-06-29 16:13:35 | 中国事情
2週間前になってしまったが、最終テストのスナップ写真である(学生の了解済みだよん)。
教室は100人は座れる大教室だ。
長机に固定された椅子が6つ程くっついている。
会話の授業もこのタイプの教室でするので、
ペアを変えたりグループ活動したりするのが泣く程やりづらい。

テストの時は隣同士離れて座る。
荷物は全部最前列か最後列の机上に置く決まりがある。
しかし、油断すると教科書、辞書などを
机の中にヒッソリと隠している子がいる(このクラスとは言わないが)。
後ろから見たら丸見えなのに~
手前右側の学生は、テスト参加者名簿を左側の子に渡している。
後ろ右側に白くて細長い物体がある。エアコンだ。
殆どの教室にエアコンがあるのが、財大生の自慢だった。
今年から南昌大学にも設置されたとか、
学生の情報は速い。
天井にはファンもあるが、カタカタ鳴ってうるさいし、いつ外れて落下するか気が気ではない。



丸暗記は、学生たちが小さい時から叩き込まれた勉強法。
(スゲ~!こんなにきっちり暗記したのか!)と時々舌を巻く。
北京や上海の学生と異なり、服装は概ねおとなしく、髪も金髪など皆無。
パーマも「エースをねらえ!」のお蝶夫人みたいなカールが
定番だ。皆、似たような格好をしているなあ、と感じる。
日本のなんでもありとは、正反対。
これは見ていて(服装表現はもっといろいろあってもいいのに)と思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「女子学生の寮の部屋」 2012年6月28日(木) No.382

2012-06-28 20:08:42 | 中国事情
もうすぐお別れの4年生3人組に、自分たちの寮の部屋を写真に撮ってくれるよう頼んだら、
快く引き受けてくれた。
ということで、今日は彼女たちの部屋を覗いてみよう。
(本当はもっと部屋全体が分かるようにとって欲しかったんだけどね~

まず廊下。あちこちぶら下がっているのは折りたたみ傘。
南昌では傘なしに暮らすことはできない。


やっぱりここにも東方神起。
(北京の大学院進学が決まった範さんは9月、東方神起の北京ライブに行くかどうか迷っている)
上にベッド、下が机という配置で、部屋の両側に2人ずつ、合計4人が一部屋に暮らしている。
もちろん、各部屋には洗面所、バスルーム(トイレ・シャワー)、窓付き。


この狭い、暗い空間で、彼女たちはひたすら勉強し、3人とも大学院進学という成果を手にした。
日本語学科なので日本の地図も常識として覚えなければならない。


本立てには教科書類に混じって、妹尾河童「少年H」、村上春樹「国境の南、太陽の西」、乙武洋匡「五体不満足」などが並んでいる。以前の日本人教師が寄付したものが多い。


大体の部屋は綺麗に整頓されている(らしい)。
たまにこんなのもあるが・・・。
散らかると言ったら、まず靴置き場なのかな。それにしても靴をたくさん持っていること。
靴箱ないのが致命的だね。


彼女たちの先輩は数年前まで、パソコンや携帯をもたない子がザラに居たそうだが
今は携帯は1年生から全員が、パソコンも3年生ぐらいまでに、ほぼ全員が買い揃える。
パソコンや電子辞書は、アルバイトして買う子が多い。
後輩の2年生の多くは、この夏休みのアルバイトに賭けている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「twitter・ facebook・ブログやらの効用実感!」 2012年6月27日(水) No.381

2012-06-27 21:05:31 | 東日本大震災
今日は朝から何回もインターネットで日本のニュース(特に自分の地元・関電株主総会)をチェックした。

しかし、朝9時ぐらいでは関西電力株主総会について、
「反原発グループが会場前で怒号・占拠」「橋下市長大暴れ?」とか
日本のメディアの際立った特徴である興味本位の野次馬みたいな見出しばかりが目について、
反原発・脱原発グループの方からの発信は見つけられなかった。

午後にMBSの切れ切れニュースが動画で見られた(中国だからね~、すぐ切れちゃうんですよ。でも、見られるだけマシ)。
梅田芸術劇場前からの中継だった。
それで、気がついたことがある。
ニュースキャスター達は、会場の内部のことばかり話題にして、
自分の周りで太鼓叩いたり、ワーワー言っている原発反対グループについては
一切、見事に、何にも触れることはなかった、ということだ。
まるでスターの追っかけみたいに、
橋下市長の発言ばかり追い掛け回していて、
普通の市民が外で声を上げているのに、全く取材しようともしない。
日本のメディアの態度が非常によくわかった。
(ただしカメラはニュースキャスターの顔ばかり撮っているのもちょっと・・・と思ったのかして、
一回だけ誰かの背中のゼッケン《忌野清志郎の顔と‘いらねえ’という文字》をややアップにした)

さっき(午後8時頃)もう一度、ネットニュースを見たら、
なるほどね~、と思えるのが目に入った。
例えば下のようなもの。携帯でブログやtwitter、facebookにどんどん情報を書き込んだり、見たりして、
みんなチャッチャと行動しているのね~。
(中国政府が認めないわけだわ。強力だね、こりゃ)




2012年06月26日01:08に投稿 http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo

カテゴリオフ会原発

6月27日(水) 大阪・梅田で「脱関電オフ」第3回を開催するよっと。
関電株主総会の感想を語ったりします。

■企画内容

▼オフ会名称:脱関電オフ

▼開催日時 2012年6月27日(水)

▼集合時間 18時00分

(注)18時10分くらいに移動すると思われ。会場に到着したら場所をブログとツイッターで告知します

▼集合場所 大阪駅「時空の広場」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「明日9電力会社株主総会を前に想う」 2012年6月26日(火) No.380

2012-06-26 13:20:12 | 東日本大震災
WEB版河北新報によると、
「いわき市小名浜港に上がったカツオが、風評被害により、東京築地市場で値がつかなかった」
とある。
私が思うに、選挙権がある大人はみんな福島産の食べ物を食べる義務がある。
これがちょっと過激なら、ぐっとトーンダウンして
「放射能の影響が出るころにはもう寿命尽きている元気な年寄りは」皆食べる義務がある、と言おう。
大人には原発を今まで止めることをしなかったという責任があるからだ。
特に、原発ムラの人々は朝・昼・晩、三度のご飯はきちんと福島の魚や野菜、米を食卓に乗せなければならない。
当たり前でしょ。
もし、検査で放射性物質が検出されたとしても、食べる義務がある。
私はそう思う。

放射能汚染されたがれきを全国に散らばらせるのには反対だ。
放射能被害は最小限度に留めるべきだからだ。
しかし、被害を受けた人に犠牲になってもらって
自分はのうのうと暮らすことにも反対だ。
何をするべきか?
放射能被害に遭った人たちが生活を立て直すために手を貸すべきだ、と思う。
それ以前に、申し訳ないという気持ちになって当たり前じゃないだろうか。
原発を推進してきた日本と日本人は、ずっと、原発立地県で暮らす人たちの危険リスクを省みてこなかったのだから。
「何言ってんだ、電力会社からもらった金でその県の人たちは潤ってきたじゃないか」
と言う人もいる。
しかし、福島県富岡町(福島第二原発の近く)から茨木県水戸市に避難している核災害避難者の木田節子さんは、
「町から毎年1万1196円、20年近くもらい続けてきた。でも、これっぽっちのお金で原発事故も我慢しなきゃいけないということか?」
「私たちは毎年、1万1196円もらってきた責任を取って、あの土地も家も諦める。だから政治家も、もっと良い給料もらっていたお前たち(原発事業関連者)も、責任を取って原発の後始末をしろ!」
と訴えている。

私はこの夏日本に帰ったら、福島に遊びに行こうと思う。
相馬市沖のタコとツブ貝を−−−福島で暮らしている人々の食べているのと同じものを食べ、少しでも気持ちを分かち合いたい。
元気なお年寄りの誰か、一緒にこの夏福島に行かない?

大阪では、明日(6/27)、朝8:00茶屋町梅田芸術劇場集合「茶屋町ジャック!」(関電株主総会包囲行動)があるそうです。


福島のニュース(河北新報web版)
『試験操業で漁獲の相馬沖魚介類、店頭へ「待ちわびた」敬遠も』

原発事故後、初めて販売された地物のタコを買い求める客
=25日、ヨークベニマル相馬黒木店



 福島第1原発事故で休漁し、試験操業で漁獲された福島県相馬市沖のタコとツブ貝が25日、相馬、福島両市のスーパーや魚店で販売された。原発事故で漁の全面自粛となった県沖の魚介類が店頭に並ぶのは1年3カ月ぶり。相馬市のスーパーでは地物の味を待ちかねた客が次々に買い求めてほぼ完売し、漁復活に向けて一歩を踏み出した。

 相馬市のヨークベニマル相馬黒木店には、ボイル加工されたタコ、ツブ貝がトレーに入れられて陳列された。タコの価格は100グラム当たり128~148円で、同店に並ぶ国産の半値。消費者の反応を見ようと、価格を抑えて売り出された。
 相馬市の主婦斎藤照子さん(77)は「待ちわびた味。これで浜も活気づけばいい」と話し、タコを試食して買い物かごに入れた。
 ヨークベニマルは同店と市内のもう1店でタコ78キログラム、ツブ貝35キログラムを仕入れた。夕方までにはほぼ売り切れ、「地物を望む人が多く、反応がいい。次回は宮城県南でも販売したい」と言う。
 タコはミズダコとヤナギダコ、ツブ貝はシライトマキバイで相馬双葉漁協(相馬市)が22日に相馬市の50キロ沖で漁獲した。検査で放射性物質が検出されなかったことを受け、加工して計680キログラムを出荷。相馬市の11店のほか、福島市で販売された。
 販売好調だった一方で敬遠する消費者も。2児の母で3人目を妊娠中という相馬市の主婦(28)は「原発事故前は国産や地元産の物を食べたが、今は逆。特に海の物は心配で買えない」と語る。
 水産卸のいわき魚類(いわき市)は「休漁で地物の水揚げがなく、いわきでも相馬産の引き合いはあるが、いわき市の小名浜港に揚がったカツオが風評被害で東京の築地市場で値が付かなかったこともあり、首都圏での販売は厳しいのではないか」とみる。
 相馬双葉漁協の南部房幸組合長(78)は「安全性には自信を持っている。浜の現状を理解してもらい、多くの消費者に買ってもらいたい」と話した。次の試験操業は27日で、検査で基準値を下回れば県外向けにも出荷される見通しだ。
2012年06月26日(火)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「また!yahoo.co.jpが使えない」  2012年6月25日(月)No.379

2012-06-25 09:11:07 | 中国事情
先週も約2日間、中国全土でyahoo.co.jpに接続することができなかった。
「原因は不明だが、国家が介入している可能性がある」と日本のメディアは伝えたが、
また同じ事が起きている。
今朝、中国時間で9時前(日本では10時前)、
yahooメールをチェックしようと思ったらYAHOO!JAPANのホームページが開かない。
Internet Explorer can not display the webpage http://www.yahoo.co.jp/?mode=pc
と表示される。

この春からfacebookやtwitter、Ustream、アメブロ、エキサイトブログ、等等も
見られなくなった。
無料ソフトfree gateでは強化された国家のSNS規制に太刀打ちできなくなったのだ。

でも、mixiだけは規制の対象外だ。
twitterやfacebookでデモ参加を呼びかけることはあっても
mixiではあまり聞かない。
例えば、私の入れてもらっているグループは
FMCOCOLOの以前の番組「南港ミュージック エンターテインメント」(上柴とおるDJ)のファンの集いみたいなので、
話題は、音楽(洋楽中心)や「さっき宇宙ステーションが空を通過した」といったホンワカしたものだ。
政治的グループももちろんあるだろうが、
mixiは、ある意味閉ざされたグループ内の交流といった性格があるので、
デモなんか呼びかけても広がり度は低いのだろう。


というわけで、このブログを見てくださっている方、
私へのメールはこのgooメールか、live.jp(windowsの無料ホットメール)の方にくださいね。ハア~
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「南昌日本語コーナー」 2012年6月24日(日) No.378

2012-06-24 21:08:33 | 中国事情
昨日、先週に引き続き南昌市内八一公園の日本語コーナー(日語角)に出かけた。
財大としては過去最大の参加者(4人)だ。私も入れると5人。
先週はバスが混んでいた。
今週は端午節でもあるし、もっと混むことを見込んで
朝、4年の劉さん、範さん、黄さんと3年の洪さんは8時半に麦路園近くのバス停で乗車、
途中、下露のバス停で私が乗り込み、市内に向かった。
天気予報では一日☂マークだったが、ラッキーにも外れて、曇天ながら雨は降っていない。

9時半過ぎに公園の一角にある日本語コーナー(日語角)に到着。


誰もいなかった・・・。
しょうがないので、財大メンバーを写真に収めようとカメラを向けると
「先生、またブログに載せるんでしょう!」
と顔を背けられた。


その後、ボチボチ人が集まり、いつもの日本語コーナーが始まった。


下の人は王さん。彼は文革のとき下放され、手元にあったたった一冊の本を持って農村で数年過ごした。
その本が日本語の学習本だった。独学で日本語を学んだそうだ。
その後87年に国費留学生として岡山大学に留学し、こうして今も時々日本語コーナーを訪れる。
隣で頭がバックパックになっているのは、範さん。


3人娘と記念撮影。実はみんな、とてもキュートな子たちである。
左から、劉さん、王さん、範さん、黄さん。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大船渡の漁師さん達」 2012年6月22日(金) No.377

2012-06-22 14:03:45 | 東日本大震災
「ほぼ日刊イトイ新聞」の「仕事!論」に岩手県大船渡の漁師さん3人へのインタビューが載っていた。
昨年3・11以降、私の涙腺は特に緩んでいるのだが、
話の中で「だからさ、俺たち今、わーくわくしてんの!」
のくだりで、堪えられない涙がまたまた・・・。
何百年もの間、過酷な自然と圧政に耐えて生きてきた東北人のふんばり力が全開の話だ。
あまりにも長いので、みんな「ほぼ日」の仕事論読んでと言いたいが、
やっぱり途中まででも紹介したい。
東北弁は北海道弁と共通するところがとても多い。
何しろ北海道は東北出身者が多いからね。
私が生まれる前に亡くなった父の母(つまり祖母)も岩手出身だそうだ。
熊谷さんの言葉、なんか懐かしい響きだと思った。





── 昨年の震災で、みなさんの船は‥‥?
熊谷 流されてしまったね。

── そうでしたか。
熊谷 だで、また新しく、つくるのさ。
いま、造船所の数が足りてないもんだから順番待ちしてんだけど。
── ご予定では?
熊谷 ことし9月着工の、12月完成予定。
── じゃあ、またみなさんで漁に出る、と。
熊谷 ただよ、俺たち「震災前の状態」には、戻りたくはないのさ
── ‥‥とおっしゃいますと?
熊谷 だってよ、思い返してみるとさ、津波の前は、海は痩せてしまってたしよ
獲れたら獲れたで価格が暴落して「大漁貧乏」になるしで漁師はみーんな、きゅきゅうとしてたんだもの
── ‥‥なるほど。
瀧澤 あの状態に戻るだけなら、「復興」ではない

熊谷 それもこれも、震災直前は、貧乏ヒマなしでよ、魚を食べる人のことなんてぜんぜんかまってられなかったのが原因なのさ。
── 食べる人‥‥というのは最終的な消費者のこと、でしょうか。
遠藤 ま、これまでの漁師というのはお客さんのことをあんまり、考えてこなかったんですよね。 獲るだけ獲って、市場に持ってくだけで。

── ええ。
熊谷 でもさ、津波にやられて気がついたのは、これからはそれじゃダメなんだっつうことでさ。
遠藤 やっぱり、震災で海に出られないようになると、お客さんのことをどうしたって考えるようになるんです。
── それは、具体的にはどういった‥‥。
熊谷 お客さん、何がうれしいかってことさ。 たとえばよ、サンマでも何でもいいんだけどさ、「魚がたくさん獲れました」と。
── ええ、ええ。
熊谷 今までみたいにそれをそのまんま市場に持ってくだけならお客にとっては珍しくもにゃあし、俺らにしたって値段が安くなって「大漁貧乏」になるのさ。

── はい、なるほど。
瀧澤 だからさ、それをよ、たとえばだけどね、すぐ出さないでちょっとプールかなんかに泳がせといてさ、日にち見てからいつもどおりの岩手県じゃなくて山形に出すとか、
ちょっと冒険して北海道に出しちゃうかとか、そういう工夫をすべぇと。

── 漁師さんたちが、魚の「流通」面にイニシアティブを取れるようにしよう‥‥と。
熊谷 だってそうすりゃあ、お客さんもうれしいし、俺らも値段が上がって、うれしいべ?
遠藤 ただね、漁師がそこに関わり出してしまうと、漁師じゃなくなってしまうんです。
── 日々、漁があるわけですものね。
瀧澤 だで、チーム組んでやろうやと。
── チーム。
遠藤 これまで、漁師というのは魚を獲る個人プレーヤーだったんだけれども、魚を貯蔵しておく設備を持っていたりインターネットの流通ルートを持っていたり、そういう他業種の人と組合をつくって協働するんです。

── それは「魚を獲って、うまく売る」集合体をつくる‥‥ということですか?
瀧澤 今、いっしょにやろうやって相談してる八木さんのところにCAS(キャス)って冷凍機があんのさ。
── はい、知ってます。 八木さん、というのはインターネットで鮮魚を直売してらっしゃる三陸とれたて市場の八木健一郎さんのことですね。

瀧澤 そう。
── 以前、取材させていただきました。 そのときに「CAS」のこともお聞きしていて、それはつまり、これまでの冷凍技術とはちがい瞬時に水分を凍結させることで冷凍による「食味の低下」を大幅に防ぐ「すごい冷凍庫」であると。
熊谷 そうそう、だから、そのCASを使ったらよ、まったく旬でない時期に味の落ちてない魚を出せるのさ。
── なるほど‥‥。
「漁師さんが魚を獲る」ということ自体は以前と変わらないけど、「獲った魚が、お客さんと接する面」をいろいろ、工夫していくと。
遠藤 そう、気心知れた仲間と連携してやるんです。おんなじ考えのもとでね。
── 「漁師さんが、市場とつながる」試みですね。
瀧澤 それもよ、被災してからのこの1年、俺たち漁師が、海に出られなくてヒマだったから考えられたことであってさ。
熊谷 被災前、きゅうきゅうとしてたころなら「そんなの、かまってられるかい!」ってでっかい声出して言ってしまうところよ。

瀧澤 そういう意味では、貴重な1年だったね
── あの震災を経験したあとに「貴重な1年だった」って言えることって、
なんというか、すごいと思いました。
瀧澤 ‥‥漁場が深いのよ、岩手県て。
── はい、水深が。
瀧澤 だからよ、毛ガニでもホタテでもなんでも、そのぶん「甘み」が違ってくるのさ

熊谷 そうそう。
── 「深い」と「甘い」んですか。
瀧澤 俺たち、水深200メーターで獲ってんだけど海洋深層水が「甘み」に作用してんだと思うんだ。
熊谷 カニミソの味も違うぞ。まーろやかだから
── つまり、岩手の魚介はうまいぞと。
熊谷 おーーう!
瀧澤 だから、俺たちのうんまい魚がさ、CASだとかインターネットだとかと組み合わさったら最強だべ?
遠藤 やはり、どこの漁師だって「自分たちの獲る魚がいちばん美味しい」と思ってなきゃあ、やっていけませんのでね(笑)。

瀧澤 あとさ、ほんとはね、ここで獲れた魚は、この浜で食べるのがいちばん、うまいの。
── そうなんでしょうね。
熊谷 人には「五感」つうのがあるっちゃ、目あって、鼻あって、何だ、肌で感じたり、そういうのがぜんぶ、のどをを通ったときの味になるんだな。
── ええ、ええ。
瀧澤 ならばさ、この大船渡の浜に漁師小屋つくって俺らの漁師料理を商品にして食べさせる店をつくったら、いいと思うのさ。
── 熊谷さんたちが、この調子で料理をしてくれたりしたら楽しそうですね! 何より食べてみたいですし、漁師料理。
熊谷 ウニを溶いた醤油で食うイカなんか、うんめぇんだぞー。なあ?

遠藤 商品としても、ネットで販売したりしてね。
熊谷 どうよ、おもしろくなりそうだべ?
── はい、ほんとに。
熊谷 さっき話した、俺たちの「よかった時代」な?
── ええ。
熊谷 あれ、昭和60年代なんだけども、あの頃は、ほーんと楽しかったの、毎日が。
瀧澤 いろいろ、めちゃくちゃでさ(笑)。
熊谷 昼間はゴルフ、夜は漁でガバーッと獲ってさ、3日くらい寝ないでも平気だったのさ。
── はー‥‥。
熊谷 赤字出たって一発逆転できる浜だったから、そういうギャンブル的な意味でも、楽しかったのよ。
── 聞くだに、スリリングな毎日です。
熊谷 でもよ、その時代が終わったあとは‥‥行政なんかとも、なんだか揉めたりしてさ、魚も捕れなくなったりで、俺らの暮らしは、ずーっとダメだったの。 貧乏でせつない漁師生活、しやったのさ。
── ‥‥ええ。
熊谷 それでも、どうにかこうにか生きてやったのが、今度の津波で、どん底まで落ったっちゃ。
── はい。
瀧澤 だから、津波から復興しよう復興しようってどんだけ言ってもよ、あの、おんなじところに戻るんじゃダメなの。

── 「以前の状態」に戻るだけでは。
熊谷 でも、ほれ、さっきのCASの話から何から、津波のあとにみんなでいろいろ考えて、話し合いをしてやろうって決めたことにさ、俺たち、いま、わーくわくしてんのさ
── そうみたいですよね!
瀧澤 CASで鮮度保持して、販売ルートを考えて。
遠藤 「季節をぶっ壊す」ようなことですから。
熊谷 半年後にサンマの刺身を食べられるだとかさ、そんなの、だーれも考えたことねえっちゃ。
── それがやれるぞ、と。
瀧澤 それを、やるぞーと。
熊谷 だからよ、これから俺らがはじめることを想像したときの、この「わーくわく感が」よ、むかし、めっちゃくちゃに「よかった時代」に味わったわーくわく感に、どっか似てんの。(後略:続きはほぼ日刊イトイ新聞『仕事!論』に)

2012-06-21-THU
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「端午節間近」  2012年6月21日(木)  No.376

2012-06-21 17:49:37 | 中国事情
陰暦5月5日は中国の端午節。
今年は新暦の6月23日がその日に当たる。

陰暦は旧暦、農暦とも言われているが、長く言えば太陰太陽暦だとか。
近年、その陰暦に心惹かれている。
浅学寡聞にして二十四節気のうち、いくつも知っているわけではないが
大寒、立春、清明など、文字を見ても耳で聞いても、
自然の知らせが身体にすうっと入ってくる。

いつか陰暦を大切にした生活をしたい。
晴耕雨読みたいな。
そんなこと思っているうちに、人生の時間ももうちょっとしかなくなってきた。
いつだって行きあたりばったりなので、実現はおぼつかない・・・。

今年の陰暦5月5日は土曜日。
先週に引き続き、
普段忙しくて出かけられない南昌市内の日語角(日本語コーナー)に行く予定だ。
嬉しいことに4年生の3人娘に3年生の期末試験を終えた2人が合流し、
財大日本語学科始まって以来の多勢で八一公園に結集する。
(初めてで最後かも・・・)


下の写真は南昌市内に行く時、いつもバスで渡る八一大橋付近のスナップ写真。
「一日一分間中国語ニュース」から拝借した。
女性が選んで買っているのはヨモギの葉。
ヨモギと菖蒲は端午節にはなくてはならないものだそうだ。

(ヨモギは良いよね。私は子どもの頃からヨモギが大好き。香りも立ち姿も葉の形も全部好きだ)



端午临近 艾叶飘香
图为,6月18日,在南昌市八一大桥附近,一位市民在选购艾叶和菖蒲。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「学生達とのお喋り」  2012年6月20日((水) No.375

2012-06-20 16:47:38 | 中国事情
昨日、2年生の女の子5人が遊びに来た。
律儀に麦路園で大きくて超重い┗(;´Д`)┛西瓜と、チマキをたくさん買って来てくれた。
お土産など気を使わなくてもいいのに、
さらに、はるばる麦路園から重い西瓜を運ばなくたって、
私の宿舎の傍にも全家百貨や財大購物広場があるのに、
この辺が2年生の可愛らしさだなあ。

その大きくて甘い西瓜を食べながら、
子どもの頃の話になった。
4年生の思婷さんが以前書いた作文に、
『小さいとき、弟と近所の畑から胡瓜を盗んで見つかり、二人で泣きながら謝りに行った』
というのがあったし、
同じ4年生の王栄えいさんも、
「野菜を取ったとき、すぐ見つかって、畑に何時間も立たされた」
と話していたのを思い出して2年生に言うと、
「私はトマトを取ったことがある」
「私は大根」
「私は果物」
と、体験発表が相次いだ。

どうして大根なんか盗んだのか聞くと、
「近所にスイカやトマトの畑がなかった。胡瓜は日照り続きで苦いので
一番水分があって美味しいのは、大根だった」
とのこと。
なるほどねえ~。
ちなみに大根を取った奉さん(大昔の話ですからもう時効ね)は、広西チワン族自治区出身。
小さい頃きれいだった村は今、町からトラックで運ばれたゴミが谷間を埋め尽くし、
その谷付近は異臭を放っているそうだ。
農村出身の学生たちは、
「農村には戻れない。仕事がある都市で暮らすしかない」
という。

農村が都市のゴミ捨て場になっている。
都市のために農村が犠牲になる構造は、
例えば「ゴミ」を「原発」に置き換えたら、日本でも全く同じだ。
大飯原発再稼働が日本政府によって決定された。
本当にあとさき考えない人々によって
(大江健三郎の言葉を借りれば「想像力のない人々」によって)
簡単に、日本の(そして世界の)あとさきが決まっていくのは、
何と言ったらいいか…、言葉が出ない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本人は幸せ」考  2012年6月18日(月) No.374

2012-06-18 21:36:45 | 日記
昨日の李君のメールの最後の言葉、
「日本人は幸せだなあと思います」
については、
多大な違和感と同時に、彼の幸せ観の中に懐かしいとは言えないがレトロなものを感じた。

よくメディアが親切に教えてくれるのだが
今、日本人の80%以上が「幸せじゃない」と感じているそうだ。
そもそも、日本人の多くが「幸せだなあ」と思っていた時代はあるのだろうか。
あるとすればそれはいつなのだろう。
「幸せだったなあ」
はある。それはつねに過去だ。

私の経験で言えば
「こんな自然がいっぱいのところで生活できて、君たちは幸せ者だ」
「あんたは大学までやらせてもらえて、ホントに幸せだよね」
「身体が頑丈で幸せだね」
「好きなことができて幸せだね」
などなど、
自分に投げかけられたそういう言葉ほど不愉快なものはなかった。
「幸せ」とは、
人に決められたくないものである。
「自然がいっぱい」が幸せだったら、自分もここに来て暮らせばいいんだ。
「大学にいったこと」は就職の幅が広がり、生活の経済的安定に繋がった。
学費を出してくれた両親には本当に感謝している。
しかし、それと幸せとは別だ。
例えば、生活が経済的に安定しているお医者さんの妻が夫を殺しちゃったりするでしょう。
「好きなことができて幸せ」と言う発言には
「私は不運にもできなかった」という不幸感が言外に滲み、
まるで私が「スミマセン」と謝らなければならないような、非難めいた雰囲気すら感じられる。
それ以前に、
(私が好きなことをしているかどうか、なぜアンタに分かるのか?)
という苛立ちが先立つ。

そもそも、私は(幸せだなあ)と思う必要があるのか、
つねづね疑問に思っている。
ただ淡々とベストを尽くせばいいんじゃないかと。
人には「Be happy!」とか言うけど、
それは気分のことを言っているので、
「元気でいてね」みたいな意味だ。

李くんは以前作文に
「夢は北京に行っておいしい食べ物を食べることです」
と書いたことがあるので、
「物質的に満たされた生活を送ること=幸せ」という幸せ観を持っているのが
分かる。
李くんが将来、お金持ちになって
カップ麺やパン&牛乳とオサラバし、毎日、豪華なステーキやワインに囲まれて暮らすようになったら、
幸せはその生活にあるのだろうか。
それは、李くん自身が判断することだ。

今、不景気とはいえ、日本人の多くはカップ麺とパンだけの生活以上の経済レベルにあると思う。
しかし、幸せとは思っていない。でも、それは即ち、不幸なことなの?







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本からのメール」  2012年6月17日(日) No.373

2012-06-17 18:56:08 | 中国事情
財大日本語学科の3年生が4人、3月末から岡山商科大学に留学している。
最初こそ、何回かメールが来たがその後プッツリ途絶えていた。
留学生活が軌道に乗ってきたんだな、と思っていたが、
先日、4人の一人李君からそれを裏付けるようなメールが来た。
読むと、中国の大学生が日本の生活を体験して、
どのように思っているかが分かり、興味深い。
経済的には逼迫しているに違いないので
アルバイトが早く見つかることを祈るばかりだ。
(しかし、彼は顔がちょっとイカツイからなあ・・・)
ところで
この手紙の最後の文を読んで、皆さんはどう感じるだろうか。


先生、
 ご無沙汰しております。お久しぶりの手紙ですね。
お元気ですか。南昌はどんどん暑くなってきましたね。
ぜひ、体をお気をつけてくださいね。
 二か月ぶりのお手紙ですが。もうしわけありません。
では、この二か月間の生活をご報告させていただきます。
実は、大事件は二つだけだと思います。

 一つは、昨日試合応援をきっかけにして、東京に行ってきました。
うちの商科大学は第61回全日本硬式野球選手権大会出場しました。
結果は悲惨かもしれませんが。
私にとって、初めて東京に行き、
初めて東京ドームで野球の試合を見て、
初めて東京の電車に乗り、
初めて東京で晩御飯(ゼミの先生がくださったお金ですよ)を食べました。
いろいろの思い出を作りました。
たとえば、初めて「ウノ」を遊びました。
初めてこんなにバス酔いしてしまいました。
初めて原宿に行きました。
初めて秋葉原のメード喫茶に行きました...。
正直に、私はスカイツリーを見たかったが、みんなと一緒に行動したほうがいいと思って、やめました。

 二つ目は、さっき、バイト先にお電話をかけました。
明日面接に決まりました。1か月ぶりの面接ですよ。
うれしくてうれしくてたまらないです。
この前も何か所で面接しましたが。全部だめになってしましました。
いろいろ経験したにかかわらず、今もすごく緊張しています。
もし私の日本語の能力は足りないせいだったら、どれほど上手になければなりませんか。
面接の注意事項を少し調べましたが、大体大丈夫だと思いますが、
なんでダメになってしまったかわかりません。
もちろん、私より先に日本に来た、
大連の中国人の学生たちは悪いイメージを残りました。
時々、「うちは日本人の方しか募集しません」と答えられた場合もあります。
もしよろしければ、先生からアルバイトの面接注意事項を教えていただきたいと思っていますけど。

 ほかの日々は、大体、朝目を覚めしてから、
牛乳とパンを朝食として、講義に行って、昼食は除き(時間がないので)、
夕食は豚カツラーメンとか、カップラーメンとか、カレーご飯とか、
手作りの中華料理とか、コロッケなど、いろいろ食べます。
この二か月の間、私は自分の日本語は全然進歩しないと感じていますが、
だんだん日本の生活に慣れてきたと思います。
日本の皆さんは幸せだなあと思っています。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「有意義な一日だった」   2012年6月16日(土) No.372

2012-06-16 17:15:35 | 中国事情
突然夏に突入した昨日今日。
久しぶりに南昌市内の日本語コーナーに出かけた。
2011年2月27日の我がブログで創設者博堅さんについて書いたが
財大日本語学科の学生たちは
このせっかくの日本語コーナーに、ほとんど参加できていない。
彼女ら彼らが日本語が話せるようになる2年時に、
財大特有の第二専門(金融とか会計とか)が週末スタートする。
選択制とは言え、ほとんどの学生は選択するので、
土日も授業がみっちり入る。
参加したくても不可能なのだ。

お馴染み、4年生の範さん・劉さんも、4年間本当に一所懸命脇目もふらず勉強してきた人たちだ。
今日、彼女たちは初めて日本語コーナーに出かけた。
もう南昌にいる日も少ない彼女たちに、
一度はこの由緒ある日語角に参加して欲しくて誘ったのだった。
バスはいつものように混んでいて、
30分以上バスに乗っている間に車中の暑さで二人ともグッタリしてしまったが、
八一広場手前でバスを降りて中山路を15分ほど歩き、10時半、なんとか八一公園に到着した。

今日はとても人数が少なかった。
聞けば今日は英語4級、6級の試験日だそうだ。
また、今は学期末試験の最中か、既に終わって学生が帰省した学校も多い。
参加者は会社勤めの人が1人、医学部の大学院生が1人、東京に18年住んでいたコックさん1人、
南昌大学の先生1人(日本人)の4人が話しているところに私たち3人が加わり、その後学生1人、日本人の先生2人が増えて
全部で10人だった。
南昌大学の先生とは初めてお会いしたが
ナント、私のブログをいつも見てくださっているということで
(そういうこともあるのか~!)と吃驚(びっくり)もし、また嬉しい出会いだった。

今日、市内に出かけてしたいことはもう一つあった。
人民元を日本円に両替することである。
日本で両替すると本当にバカバカしいほど手数料を取られる。
宿舎近くの中国銀行では1回500ドルしか両替できないし、即日でもない。
金額に上限をつけないためには、職場の在職証明書と納税証明書が必要だと言われた。
昨日も劉さん・範さんに手伝ってもらって近所の中国銀行に行ったが、同じ返事だった。
仕方ないのでその書類を作ってもらおうとオフィスに行ったら、
「中国人が代理で中国銀行本部で外貨両替するのは上限が全くないし、書類も要らず、即日交換できる」
とのこと。2年間ここにいて、全然知らなかった。イヤハヤ。
他の日本人の皆さんはご存知だろうか。
もしこのブログを読んで初めて知ったという方は、
ぜひこの方法を試してみてね。

両替を無事終えて、昌北の宿舎に直行。冷えたスイカとちまきを食べて2人はすごい勢いで昼寝した。
昼寝の習慣がない私は寝ようとしても寝られず、ウロウロしていたが
起きてきた2人に、これもありがたいQQ電影をインストールしてもらって
一日の最後を「パッチギ!LOVE&PEACE」を見て締めくくることができた。
実にめでたい一日であった。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ミズ劉のド迫力」  2012年6月14日(黙) No.371

2012-06-14 16:30:19 | 中国事情
自分の予定では、今日はコーヒーを飲みながらテストの採点をしたり、
静かに今学期の反省をする日だった。

しかし、物事はそんなに上手く運ばない。
昨夜からまた断水だ。

今週の管理人室の当番は、厳しい文言が学生に評判のミズ劉だ。
しかし、彼女はなぜか私を「朋友」と呼び、
「おや、買い物に行ってきたの」
「今日は授業はないのかい」
「お帰り。お疲れ様」
などと声をかけてくれる。
彼女とは不思議なことに中国語会話が成り立つ。
(実はボディランゲージが主なんですけどね)

朝8時半、訴えに行くと早速部屋に来てくれたミズ劉は、、
断水原因が水道のプリペイドカード認知機付近にあると判断し、
直ちに、この宿舎の何でも修理してくれるお馴染みの王さんに電話した。
私の部屋から電話しているので丸聞こえのその声の調子はほぼ怒鳴り声で、
「水、水、水が出ないんだよ!早く来い!」
と聞こえた。
学生がビビるのもよくわかる。
電話を切った彼女は、
「あいつは『今日はできない』だの「水なんか出なくても問題ないだろう』だの抜かしやがる。」
と怒っている。
それは怒ってくれてありがたい。
今日は久しぶりに晴れた朝だ。シーツとかいろいろ洗濯もしたいのだ。

5分後、ムッツリした表情の王さんが登場。
今日は二日酔いかなんかで機嫌が悪いのかと最初考えたが、
思えば以前も、この二人は私の部屋で喧嘩したことがある。
2年前の夏、南昌に到着したての我が部屋は、傍を通っただけでテレビがついたり消えたりする
ホーンテッドハウスだった。
一度できちんと直らず、繰り返し部屋に来て修理をする王さんに対し、
「この下手くそ!安い部品ばかり使うからだ!」
と、罵倒したのがミズ劉だった。
その迫力に私は、これからの道のりの厳しさを思わずにはいられなかった。
意外とこの2年間、すんなりやってこられたのは
やはりワタクシの人徳であろうか。

今日もミズ劉と王さんは台所でしゃがみながら、喧嘩としか思えないやりとりをしていた。
器具を交換しなければならないという大それたことになってしまったらしい。
先週のパソコンケーブルに続き、大きい故障だ。
ミズ劉は
「中国の品物は何でも、本当にろくなものがない。
作る人間が、金(かね)、金、金しか考えないから手抜きの良くない品物が出回るんだ。」
と嘆いた。中国の庶民の心からの声だと思う。

その後、ド迫力のミズ劉と王さんは、わりと仲良く帰っていった。
それだけでもちょっとホッとした。
ミズ劉、あんまり怒鳴っていたら血管切れるで~。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする