毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「PERFECT DAYS」(パーフェクト・デイズ)を観た

2024-04-25 15:28:04 | 人間

映画館で役所広司主演の「PERFECT DAYS」を観てきました。

隣の駅前にある映画館は以前と全く変わらない空気が漂い、

それだけでコロナ以降引き籠もっていた私はほっとしたのです。

 

「PERFECT DAYS」は寡黙な映画でした。

だからでしょうか、映画を観た後、実にさまざまな思いが巡りました。

また、主人公の平山(役所広司)が自前の清掃用具を積んだ車で現場に移動する際、

カセットテープでかける曲が

これまた私の人生にとって思い出のページに刻まれたものばかりで、

何一つ身構えることなくこの映画の醸し出す雰囲気に包まれたのです。

まず、♪朝日の当たる家♪(The Animals)、

それから、♪Dock of the Bay♪(Otis Redding)、

さらにLou Reed、Rolling Stones、Patti Smith・・・(思い出すままなので順番は違っているかも)

最後にこれでもかとばかりにNina Simonの♪Feeling Good♪です。

圧巻でした。

 

映画は都内でトイレ掃除に従事する初老の男の日々のルーティンを淡々と映しています。

主人公(平山)は元いいとこのお坊ちゃんだったようですが、何かの事情でドロップアウトし、

ボロアパートに独りで暮らしています。

・毎朝早く、近所の人が外の落ち葉を掃く音で目覚める。

・身支度を整えて、植物に霧を吹き、安アパートのドアを開けて仕事に出る。

・開けたとき、毎日、空を見上げ、風を、空気を感じる。

(この場面、♪It's a new day, It's a new life♪~ニーナ・シモンの歌にぴったり)

・アパート横の自販機で缶コーヒーを買い、車で現場に向かう。

・トイレを丹念にきれいにする。

・神社の境内でサンドイッチと飲み物の昼食を取り、木漏れ日に目を細め、時に写真を撮る。

・仕事の後の風呂屋、一杯呑み屋、休みの日のコインランドリー、行きつけのバー。

・・・・・・

こんな日常が繰り返し、繰り返し、スクリーンに映し出されます。

姪が家出して転がり込んだり、

行きつけのバーのママ(石川さゆり)の元夫(三浦友和)と短い友情の時間を持ったり、

心にさざ波が立ちますが、

また翌日は、身支度を整えて植物に霧を吹き、アパートのドアを開けます。

眩しそうに空を見上げて……。

It's a new day, It's a new life...と歌うニーナ・シモンの深い哀しみに満ちた声が

役所広司の泣き笑いの表情に重なる印象的な最後でした。

 

映画館からの帰り途、

ふと、今年一月に他界した桐島聡さんのことが心に浮かび、

彼のドロップアウトの人生が思われてなりませんでした。

彼の最期の表情も平山と通じるものがあったのではないか、と。

東アジア反日武装戦線の複数グループのうち、「さそり」に属した彼は

韓国産業経済研究所だか、はざま組だかの入り口を壊しただけで

人が傷ついたり死んだりすることはなかったそうです。

無期懲役になり今も服役している

「さそり」の先輩(同志?)への義理立てがあったのか分かりませんが、

48年間アウトサイダーの人生を歩きました。

自首すればとっくに市民社会に復帰できたであろう量刑だったと推察します。

私はこれからも何度も桐島さんのことを思い出すでしょう。

彼の人のせめて彼岸に幸あれと。

 

 

 

 

 

 

 

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漱石の姿がおぼろげに見えてきた、かな

2023-07-24 15:08:06 | 人間

ここ二カ月ほど、夏目漱石の作品を読んできた。

「漱石がアジア蔑視していた」という漱石批判を知るにつけ、

漱石という人は一体どういう人だったんだろうと考え込まざるを得なかった。

漱石=差別者という主張は、

漱石の紀行文『満韓ところどころ』と漱石による朝日新聞記事『満韓視察』に対するものだ。

批判者の引用部分だけを見て(漱石はなんて酷いやつだ)と

決めつける愚を避けるために、取り合えず『満韓ところどころ』を青空文庫で読んでみた。

私はこの文章を『こゝろ』『道草』の後に読んだのだが、

『こゝろ』の、容赦なく心理を追及し、

読者の心まで締め上げるような緊張した描写とはまるで違い、

この『満韓ところどころ』は、

『吾輩は猫である』的な目で事象を眺めた、気楽で伸び伸びした文章だと思った。

内容は1909(明治42)年9月2日東京を発ってから、

一カ月半ほどの満州朝鮮の旅を綴った紀行文で、東京朝日新聞に掲載された。

旅のきっかけは『それから』を書きあげた直後、

大学予備門以来の親友中村是公(当時満鉄総裁)に招待されたことだという。

『満韓ところどころ』には錚々たる肩書のかつての悪ガキ同窓生たちが何人も登場するが、

それがこの紀行文の文体を決定したと私は思う。

因みに、ここに登場する漱石の主な友人を挙げると、

・中村是公(大学予備門同級生、落第仲間):満鉄総裁

・立花政樹(大学英文科先輩):大連の税関長

・股野義郎(『吾猫』の多々羅三平のモデルと言われて嫌がっていた友人)役職不明

・橋本佐五郎(大学予備門以前からの馬鹿で腕白の友人の一人、落第仲間):東北大学教授

・佐藤友熊(大学予備門以前からの旧友):旅順の警視総長

旅行後、漱石自身が寺田寅彦に当てた手紙の中で

この旅が「アリストクラティック(上流階級)」のものだったと書いたそうだが、

この肩書を見たらさもあらん、と納得する。

漱石が書いた対象は現地の中国人や朝鮮人ではなく、

大陸に活路を見出した日本人(しかも上層、しかも旧友)であり、

巡った旅程は典型的な観光コースとあれば、

内容は推して図るべきではないだろうか。

それに、これは断ったらしいが、

中村是公満鉄総裁から満州在住日本人向けの新聞を発行してほしいと依頼もされたそうだ。

人情厚い江戸っ子漱石には旧友たちのことを

「日本帝国主義や侵略の先兵」と記述する意志は持ちようがなかったに違いない。

この『満韓ところどころ』は

背景にこのような事情を持つ内容の文章だと私は思う。

ちょっと拙い例えを考えてみた。

あの黒柳徹子は「徹子の部屋」に仲良しの大金持ちゲストが来たからといって、

貴方が暴利をむさぼったために世界中で子どもたちが貧困にあえいでいるなどと

いちいち訴えたり糾弾したりはしない。

それと似たところはないだろうか。

 

確かに漱石は満州のクーリー(苦力)を何度も「汚い、汚い」とこき下ろしている。

しかし、漱石は満韓の旅の終わりに日本に降り立ち、

次のような日記も書いている。

「此汽車の悪さ加減と来たら格別のもので普通鉄道馬車の古いのに過ぎず。夫で一等の賃銀を取るんだから呆れたものなり。乗ってゐると何所かでぎしぎし云ふ。
(略)
小さな汚い部屋へ入れる。湯に入る。流しも来ず。御茶代を加減しゃうと思ふ。」(註1)

此汽車とは大阪―京都間のこと、

小さい汚い部屋とは京都三条小橋の宿屋のことだそうだ。

満州のクーリーに対しての記述を中国人差別というなら、

大阪―京都間の汽車や京都の宿屋に対しても漱石は上から目線で差別したと言えるだろう。

しかし、誰もそれは問題として取り上げない。

また、漱石は旅で出会った梨畑の主人(中国人)を

「背の高い大きな男で支那人らしく、落ち着き払って立っている」とリスペクトし、

外の温泉から上がった後、辺りを見回してみた風景を

「牛と馬が五六頭水を渉って来た。距離が遠いので小さく動いているが、色だけははっきり分る。皆茶褐色をして柳の下に近づいて行く。牛追いは牛よりもなお小さかった。すべてが世間で云う南画と称するものに髣髴として面白かった。中にも高い柳が細い葉をことごとく枝に収めて、静まり返っているところは、全く支那めいていた。」

と中国由来の南画を引き合いにして趣深いことを表し、

「長屋門を這入ると鼠色の騾馬(らば)が木の株に繋いである。余はこの騾馬を見るや否や、三国志を思い出した。何だか玄徳の乗った馬に似ている。全体騾馬というのを満洲へ来て始めて見たが、腹が太くって、背が低くって、総体が丸く逞しくって、万事邪気のないような好い動物である。」と、自分が昔から深く親しんできた中国文学を騾馬への眼差しとして語っている。

 

漱石の旅の後半は、胃炎に苦しみながらの

橋本さん(東北大教授)との弥次喜多珍道中だった。

弥次喜多と言えば、江戸っ子十返舎一九が本家本元だが、一九の著作

『滑稽旅賀羅寿(こっけいたびがらす)』(註2)には下のような記述がある。

信濃の旅で宿泊を請い、夜ご飯まで出してもらった農民の家の様子を書いたものである。

世話になっておきながらこれだ。

江戸っ子の「滑稽」「諧謔」は、ズケズケ言うことを本領としているようだ。

———ここから———

「この家畳というはなく皆筵(むしろ)を敷き詰めたり」

「行燈はなく薪たくさんなれば囲炉裏(いろり)にしたたかくべてその明かりにて何事もするなれば、味噌を摺(す)る手元暗がりにて何をするやわからず」

「梁の上より煤下がりて食い物のうちへ落ちたるも構わず」

「囲炉裏の端には七、八歳ばかりの女の子と四つ、五つばかりの男の子蕎麦餅を灰の中に押し込み焼きて食い」

「亭主は囲炉裏の灰の中へ唾をしながら」

「赤鰯を火箸にて挟みて炙りける」

「女房膳を据えたるを見れば真っ黒に煤(すす)びたる日光膳に朱椀の縁欠けて漆(うるし)剝げたるに」

「飯と汁を盛りて出せしが」

「玉味噌にて臭く飯は水づきて食われず」

……いやはや、なんとも(笑)。さすが、漱石の先輩だな。

 

註1)三谷憲正「夏目漱石におけるアジア」SK00010L245.pdf (bukkyo-u.ac.jp)より引用

註2)文政二年、伊那から松本、松代などを巡る旅をした十返舎一九は、その道中酒を飲み過ぎて出立が遅れ、宿場町手前で日が暮れてしまったので、小さな集落の百姓家に泊めてもらったという。この時の見聞記が『滑稽旅賀羅寿』である。『豊作でござるメジロ殿』(作画ちさかあや・原恵一郎)22話より孫引き

 

我が裏庭

虫に寄って集(たか)られているレモンバームが花をつけ始めた。

毎年のことながらレモンバームはどんな酷くやられても種を付け子孫を残す。

負けちゃいないのだ。同じ虫が青じそも食べている。見つけたら潰す。

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漱石はアジア人蔑視者か

2023-07-15 14:59:19 | 人間

夏目漱石の『満韓ところどころ』という文章がある。

非常に評判が悪い。

おそらく漱石の文章の中では最悪だろう。

あの魯迅が「漱石ですらこれだ」と嘆いたという。

「帝国主義的」「植民地主義的」視点が色濃いというのが主な評価である。

不勉強な私でも知っている中野重治、針生一郎など有名人が

厳しくこの『満韓ところどころ』を批判している。

一方、そうした批判を辿る過程で、

それとは異なる視点から漱石のアジア観を見る人もいることが分かった。

その一つで興味深かったのが、

三谷憲正の論文「夏目激石におけるアジア《朝鮮観》を視座として一一一」

SK00010L245.pdf (bukkyo-u.ac.jp)だ。

中野重治らの主張を

「“八百屋"へ行って“魚"を求め、売っていないと怒り出す客に似た立場」

と、妙に腑に落ちる表現で書いているのが楽しい。

 

私は、Aだと言われても額面通り受け取らない癖がついている。

幼い頃より、何でも真に受けてさんざん辛酸を舐めてきたからでもある。

卑近な例を挙げれば、

かつてウーマン村本が「選挙なんか意味ないし行くな。」と言ったことに対して

「ウーマン村本ってちょっとはマシなやつかと思ったけど、

そんなこと言うなんて最悪~。もう、絶対に彼は信用しない」

と真面目に怒る人がたくさんいた。

私はそれを鵜呑みにすることができず、

あれこれ村本の言説を調べたら、その発言意図は

たかまつななチャンネルの「若者よ選挙に行くな」とほぼ同じだった。

(ウーマン村本発言の方がたかまつより少し前だったと思う)。

(178) 若者よ、選挙に行くな 【2023年ver.】 - YouTube

まして、国家主義よりも価値あるものとして個人主義を挙げ、

死ぬまで執拗にこだわったあの夏目漱石、

そして、

『吾輩は猫である』と『倫敦塔』と『草枕』をほぼ同時に書いた

複眼的思考の持ち主のあの夏目漱石なのだ。

当然、用心深く、丁寧に、多面的に読まないとだめだろう。

 

『満韓ところどころ』批判の主張は主に次の二点だ。

①満鉄等日本帝国主義の大陸侵略を自然のものとして無批判に受け入れている。

②現地で見た苦力(クーリー)に対して上から目線で蔑視している。

『土』の長塚節は漱石の『満韓』を一読して「馬鹿にしとんか!」と怒鳴ったというが、

なんと漱石はその『土』の序文を書いているのである(まだ読んでないけど)。

 

漱石は深い。森鴎外も。

江戸末期から明治にかけては、これだから面白いと思う。

 

↓裏庭に生息するトカゲ。私の後をついてまわっているのかと思うほど人懐っこい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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漱石を読み始めた:その3(漱石の個人主義)

2023-07-01 15:49:53 | 人間

夏目漱石(金之助)と森鴎外(林太郎)は誰もが認める明治の二大文豪だが、

両者とも明治国家の命により官費留学したという共通性がある。

漱石はイギリス、鴎外はドイツに留学し、

学問知識のみならず価値観、思考方法など当時の西洋文明を懐深く理解して帰国した。

しかし、鴎外が22歳からの4年間、漱石が33歳からの2年間の滞在だったことを思うと、

若く滞在時間も2倍長い鴎外の方が、より広く深い影響をこのヨーロッパ滞在から受けたことは間違いないだろう。

鴎外は、家父長制と出世のために挫折したものの、ドイツで人生稀な大恋愛も経験した。

33歳の漱石はロンドンでどうだったかというと、次のような文がある。

「余の如き東洋流に青年の時期を経過せるものが、余よりも年少なる英国紳士についてその一挙一動を学ぶ事は骨格の出来上りたる大人が急に角兵衛獅子の巧妙なる技術を学ばんとあせるが如く、(中略)不可能の事に属す。」(『文学論・序』)

(いや、分かるわ。ホンマ)

漱石は東京帝国大学在学時から

「英文学とは何か?自分が英文学を学ぶ意味はあるのか?」

と疑問を持っており、

未だ答えを見いだせていなかった。

それなのになまじ英語の成績が抜群だったために、

既に愛媛や熊本で教師の仕事に就き、結婚して子供もいたのに、

言ってみれば、いやいや留学させられたのである。

しかし、さすが漱石、ただ英国で神経衰弱を患って帰ってきたのではなかった。

彼は、文学探求の方向性をここで掴んだ。

英国留学時、国家から命じられたのは

英語及び英文学のエキスを吸収して日本に持ち帰るということだった。

それは漱石を英国人・西洋文学への従属、奴婢ではないかという煩悶状態に陥れたが、

そこから脱したのが、「自己本位(自我本位)」の四字との邂逅であり、

以後、漱石の文芸(また、人生)に対する立脚地を堅めたのもこれだった。

従属して丸暗記するのではなく、自分で自分の道を見つけることが自信になる

その際、自己は主であり、他は賓である。(註:『私の個人主義』より要約)

・・・漱石の個人主義思想がガッツリ形成されていったのである。

 

今、赤文字部分を読んで(当たり前じゃん)と思う人もいるだろう。

しかし、現代生活でそれを実際、徹底的に実践している人はどれほどいるだろうか。

漱石は本当に真っ正直に、死ぬまで貫いた人だということが

読めば読むほど、ひしひしと感じられ、

漱石に対して「国民的作家」という安っぽいレッテルを貼るのは

まったく的外れだと思う今日この頃である。

青い鳥文庫『坊っちゃん』

*私が読んだ『私の個人主義』『文学論・序』『道草』はネット図書館・青空文庫による。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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漱石を読み始めた:その2(生い立ち)

2023-06-30 20:27:30 | 人間

夏目漱石(金之助)は1867(慶応3)年、江戸牛込、現新宿区生まれの江戸っ子だ。

1916(大正11)年に亡くなるまで49年しか生きなかったが、

一人の人間としては内在する力の全てを出して生きたのではないだろうか。

漱石の作品や関連書籍を読むに従い、

彼のイメージが次第に私の心の中で形を成してきたが、

それは、満身創痍で、頑固に、底知れない忍耐力を発揮して死ぬまで粘る人間の姿だった。

 

そもそも、生い立ちがたいへんだ。

名主の五男坊(末っ子)として生まれた時、母親は高齢での出産を恥じたという。

生まれてきたことを恥じられた子だった。

生後4カ月で古道具屋か小間物屋かに養子に出されたが、

一歳で養家が変わり、結局は養家の塩原夫婦の不和のため九歳で生家に戻された。

典型的たらいまわし。

戻った生家で厄介者だったことが自伝的小説『道草』の一節に書かれている。

「実家の父にとっての健三(註・主人公)は小さな一個の邪魔物だった。何しにこんな出来損ないが舞い込んできたか、と言う顔付きをした父は、ほとんど子としての待遇を彼に与えなかった。今までと打って変わった父のこの態度が、生みの父に対する健三の愛情を根こそぎにして枯らし尽くした。(中略)

実父から見ても養父から見ても彼は人間ではなかった。むしろ物品であった。ただ実父が彼を我楽多として取り扱ったのに対して、養父には今に何かの役に立ててやろうという目算があるだけであった。」

養父が金之助の籍を「塩原」のままにしておきたがったのは、

将来、給仕にでもしてお金を養家に入れさせるためだと直接本人に語ったという。

漱石は後に「当時の自分はよく壊れずに耐えたものだ」と書いているが、

これが漱石のトラウマ=消えない傷になったのは明らかだ。

「トラウマを抱えながら、壊れずに耐え続ける」ことが、漱石の一生だった。

その中から、「自分本位」「人間の目的は生まれた本人がつくる」という、

揺るぎない漱石の個人主義が形成された。

只者ではない人に出くわす度に心が震えるが、

この間から私の心の心拍数は、またしても爆上がりだ。

↑夏目家のあった牛込馬場下町ではないが、近くの江戸川の桜満開の風景。

東京名所写真帳1910(明治43)年刊行より

 

 

 

 

 

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「コロナでマザーテレサの家に帰れない日本女性の話」No.3964

2020-09-07 22:35:42 | 人間

ピアニストを志し、ウイーンの音楽大学を卒業した後、

1992年、日本へ帰国途中に観光のため

インドのカルカッタ(コルカタ)に立ち寄り、

何げなくマザーテレサの家の重症心身障害児施設

「ダヤダン・メディカル・センター」を訪れて以来、

ずっとそこに定住し障害児の養育と訓練(リハビリ)の無償活動を

続けてきた女性がいます。

渋谷りつ子さんです。

その施設は、貧しさから親が育てられず、見捨てられた

自分の身の回りの事もできない重度の障害を持つ子が多く、

過酷な状況に身を置くうちに

(自分の役割は音楽ではなく、

この子どもたちを助けることではないか)との思いから、

生活費を全額自費で負担しながら活動を続けているそうです。

他人のために全力で生きるりつ子さんの人生は

アフガンの人々の生活に尽くしたペシャワール会の中村哲さんに

重なって見えます。

そのりつ子さんが、現在コロナのためインドに帰ることができず

残してきた子どもたちのことをずっと心配しています。

よだれかけやおむつなど、いつも日本に戻っては買っていた

子どもたちの生活用品やコロナの制限が解除された場合の渡航費に

当ててもらおうと、

りつ子さんを支援する人たちがクラウドファンディングを始めました。

インドでボランティア28年の渋谷りつ子さんの活動を支えたい」

https://readyfor.jp/projects/38269(締め切り9月16日)

私も寸志をりつ子さんに託します。

渋谷りつ子さんに関するお話は、私のブログ友である

こきおばさん様から教えていただいています。

こきおばさんとりつ子さんは同じ町内会ではないものの

同じ山梨県人同士で、りつ子さんが帰国するたびに

何かとお世話されている仲です。

クラウドファンディングもこきおばさん様からの情報です。

 ↓        ↓        ↓

http://blog.livedoor.jp/leltugo123-yuki1234/archives/51955158.html

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「伊藤詩織さんが見せてくれたもの」No.3954

2020-08-24 23:40:09 | 人間

伊藤詩織さんが私たちに教示したもの、

目を開けてちゃんと見ろと突き付けたもの、

……そういうもののことを感じる今日この頃です。

私は自分で感受性がないわけではないとは思うのですが、

感受したものを自覚し、分析するのが遅いのです。

ま、ニブイということです。

 

今日、娘が珍しく本を貸してくれたので数時間で読み終えました。

これは韓国の名門校梨花女子大出身の作家チョ・ナムジュさんが

2016年に発表し、韓国国内のみならず、

ベトナム、アメリカ、カナダなど17か国で翻訳が決まった

フェミニズムのベストセラー小説で、

主人公のキム・ジヨンという名前は

1982年生まれで最も多い韓国の女性の名前です。

この小説がベストセラーになった背景には

発表された年に起きた「江南駅通り魔事件」、

23歳の女性がソウルの繁華街江南駅近くのビルのトイレで

見知らぬ男(女性を嫌悪する男)に殺された事件があると言われます。

この事件をきっかけに韓国内で女性に対するヘイトクライムとの闘いが、

若い女性たちを中心に本格的に始まったとのこと。

この「女性嫌悪」とは厳密にいえば異なるのですが

根強い儒教思想は伝統的に「男尊女卑」を当然としてきました。

それは日本社会にも今もかなりしぶとく草の根のように蔓延っています。

「蔓延っている」と書くと、すでにその言葉に違和感を覚える人も

多くいるでしょう。

男性のみならず、杉田水脈、はすみとしこなど、

女性が女性差別を支える者として、

別の言葉で言えば、女性が男性を支える性として存在する体制は

実にしぶといものがあります。

私の人生で言うと、子どもの頃、

北海道知床の山奥から平野部に転校した一年目、

ある決まった男の子(クラスメートじゃなかった)に

廊下ですれ違う度にお腹をパンチされたこと、

小学校に登校する途中、近所の中年男にお尻を撫でられ(2回)、

ゾッとしたこと、

中学生の時、ジャガイモの収穫時に近所の畑に来た季節労働者に

抱きすくめられてこれまた凍り付いたことなど、

忘れがたいあれこれがありました。

また、高校のクラスでは

女子だけの時はガサツなのに、男の子の前ではくねくねして

「あら~ん、やあねえ」とかいう女の子が

男子にとても人気があったので、

その女の子の態度も嫌悪しましたが、

男子に対してはジワジワと

(男は酷くて、且つ、馬鹿である)という思考が膨らみました。

しかし、それとは別に、青春のアコガレで

高校の世界史の先生(既婚男性)にポーッとなり、

特に世界史を熱心に勉強したものです(笑)。

 

そういうわけで、

1970年代初め頃に登場したウーマンリブは非常に興味深く、

進学先の京都で、

ピンク旗を掲げたリブの集会が三条河原であったときは

一瞬参加しようかと思ったほどです。

参加しなかったのは、

ピンクを女性のイメージカラーにするのは

自分の美的感覚と相当ずれていたこと、

女性の性と男性の性を社会的、体系的にとらえるには

ちゃんと勉強しなければならないと思ったこと、

さらに、軽薄に書きたてるマスコミの餌食になりたくない、

といった思いが交錯したためです。

ウーマンリブを否定も賛同もしませんでした。

その後、上野千鶴子さんたちがフェミニズムの立場から

あちこちで発表し始めたとき、

私は仕事と子育てで日々忙しく、勉強から遠ざかっていました。

女性差別、女性軽視、女性蔑視、女性嫌悪など

女性を生き難くさせる様々な社会的風潮にうんざりしながらも

自分自身が発信することはなかったのです。

 

そして、今、伊藤詩織さんが登場しました。

もはや男性に対して憎しみも愛も恋もなくなり、

「清々しいおばあさん」として生きることを信条にしつつある私に

若い彼女が投げかけたものは、

決して面倒くさがらず、諦めず、

女性の命と人生を貶めるものと対峙し続けなければならない

という基礎基本です。

「女性が襲われるということは女性に落ち度がある」

と言って憚らない杉田水脈自民党議員や、

「枕営業大失敗」とレイプの事実を捻じ曲げたはすみとしこ

伊藤詩織さんが提訴したことに私は心を揺さぶられました。

ちっぽけな存在の私ですが、

財務省が自殺に追いやった赤木俊夫さんの御連れ合い、雅子さん同様、

伊藤詩織さんの裁判闘争を精いっぱい応援したいと思います。

 

 

 

 

 

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「『命の選別』大西つねき発言をめぐって」No.3920

2020-07-11 00:23:18 | 人間

都知事選の結果が出た直後に

この大西つねきさん(れいわ新選組公認・経済専門家)の

「命の選別」容認発言が問題になり、

それは都知事選の山本太郎さんの敗退以上に

私の心身に応えるもので、

正直、衝撃に耐えられず寝込むしかありませんでした。

 

これまで大西つねきさんの動画を数回見ていましたが、

基本的には、

一刻も早く、子どもたちの未来を回復させなければならない、

そのためには経済が社会を救う要であるとして

経済政策理論を熱意を込めて語っていた人です。

つまり、基本的に「とてもいい人」でした。

 

今回問題の「命の選別」容認発言というのは、

「年配者の命を削るのは

子どもや若者たちが生きていくために致し方ない。

それをするのが政治の仕事だ」

という内容だったと認識しています。

この発言は麻生太郎副総理・財務相の

「年寄りはいったい、いつまで生きるつもりかね」

という発言とニュアンスこそ違いますが、

通底しているのは、

「政治はある一定の年配者が生きることを支援すべきでない」

ということです。

私も十分に年配者ですので、

自分の生き死にを政治(家)に決められるのは心外で、

(あんた何様?!)と怒鳴りつけたい思いです。

 

しかし、冷静に振り返れば、

かつて、子どもの「間引き」が珍しくないほど貧しかった

日本の農村部では、

「姥捨て」というシステムが保持され、

村全体の体制を維持していた歴史的事実があります。

全体を保持するためにマイナス面を削いでいくというこの考えは、

功利主義の考え方「最大多数の最大幸福」と重なるもので、

大西つねきさん、麻生太郎さんもこの考えに近いと

私は思います。

功利主義は歴史上、

富が社会全体に行き渡るには絶対量が不足していた時代の

人類の知恵だったというのが、私見です。

 

功利主義における「最大多数・最大幸福」概念の特質は

それが数値化・データ化されるものであり、

幸福度、及び、幸福であるべき人間もデータ化の対象なので、

そこに「人間=数値・データ=相対価値」という発想が生まれます。

また、「最大多数」という言葉には、

そこからこぼれ落ちる少数者の存在が前提としてある、

と私は考えます。

これは

「個人は人間として無条件に他に代えがたい価値ある」

という日本国憲法の天賦人権思想、ならびに

れいわ新選組の根本理念「誰でも生きていていいんだ」

とは相容れない考えです。

大西さんはこの人権思想とれいわ新選組の基本理念を

否定する意見だと言わざるを得ません。

 

何十年か前、酒鬼薔薇聖斗事件(神戸連続児童殺害事件)が

ありましたね。

少年Aはもう成人して社会人として生活しているそうですが、

当時、少年Aは殺した子を「NG」の存在と捉え、

自分は「この世に間違って送り込まれたものを

地獄に送り返す天使だ」と夢のお告げがあり、

それを信じたとのことです。

4年前には植松聖事件(障碍者施設殺傷事件)がありました。

障害者は社会にとってマイナスになる存在なのだから

自分が除去してやるべきだという使命感を持っていました(す)。

 

大西つねきさんの「政治の仕事は命を選別することだ」

という発言は、生きていては全体のためにならない命を

社会から除去すべきだという考えであり、

私怨でなく、淡々と公務として、或いは、使命感を持って

為すべきことだと主張している点で戦慄を覚えます。

私たち年配者は「NG」「マイナス」の当事者なのですから……。

思えば、ナチス時代のドイツやポーランドでは

その考えが本当に「最大多数の幸福」だったのです。

普通の善良な人々が、毎日、毎日、

ユダヤ人を実際に殺し続けました。

殺した後、家に帰って家族と楽しい夕食時間を過ごし、

子どもたちに優しく微笑んだりもしていたでしょう。

ことほど左様に、

善意の道は地獄への門へと通じることが多いのです。

その分岐点は「人を人と思わなくなる」ことではないでしょうか。

大西さん・麻生さんの考えによれば、

私たち年配者は「人」ではなく、

全体にとってマイナスとなる「年配者」というデータなのです。

 

山本太郎さんが、最初、大西さんを党から除籍すると言わず、

考えを変えてもらう手立てを尽くすと言ったのは、

「(大西さんを含む)一人ひとりがかけがえのない存在だ」

という人権思想・れいわ新選組の理念に基づいていると思います。

しかし、つい先ほどニュースで知ったのですが、

「彼の発言は除籍に値する」と述べたと。

それは正しいと思います。

れいわ新選組は政治政党であり、社会に対する責任があります。

れいわ新選組の基本的考え「全ての人は生きていていいんだ」

と合わなければ、

大西さん自身が離党するか、

さもなくば党が大西さんを除籍して、

社会に対して責任を取らなければなりません。

除籍して、その後、学習機会を設けることもできるのです。

「除籍」は「除去」・「抹殺」ではありません。

大西さんは一朝一夕に今の思想を

作り上げてきたのではないので、

自分の人間観を見つめなおし、

何が問題なのかを根本的に変えていくのには時間が必要です。

一週間以内に「反省・謝罪・動画削除」したのは

表面的に世間の批判を受け入れたに過ぎない、

判断せざるを得ません。

彼のような幾何学的思考・データ思考の持ち主は、

データに基づき機械的に「反省・謝罪」することも

瞬時に判断できるのですから。

 

それにしても、

山本太郎さんもここ数日、

布団をかぶって寝込んだのではないかと

思えてなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「いよいよ明日 !あの人からも山本太郎候補に応援メッセージ」No.3913

2020-07-04 20:55:49 | 人間

いよいよ明日が都知事選挙の日ですので、

今日は最後の私なりの選挙活動です。

保守だのリベラルだのという言葉が

日本の政治志向を的確に表す概念たり得ない今、

新しい時代を切り開くには

既存の野党連合はもはや形もサイズも現実に合わないと思う私は、

反緊縮経済政策をメインに掲げて庶民の生活の底上げを主張する

れいわ新選組の山本太郎さんを支持しています。

でね、今日はどんな方々が山本太郎候補を応援しているのか

YOU TUBE動画などからピックアップしてみました。

(へえ、あの人も!)という人が一人混じっていましたよ(笑)。

 

嘉田由紀子さん(参議院議員・元滋賀県知事。太郎さんが6年間参議院議員だった時に厚い信頼関係を築き合った同僚)

馬淵澄夫さん(衆議院議員・国民民主党・元国交大臣。消費税減税を主張、反緊縮財政政策を一貫して主張。昨年10月、太郎さんと「消費税減税研究会」を立ち上げた)

山田正彦さん(元農林水産大臣・種苗法改正反対の先頭に立ち、全国を駆け回っている大先輩)

須藤元気さん(参議院議員・太郎さんの応援のため立憲民主党を離党。たろうさんと同じロスジェネ世代。消費税廃止・反緊縮経済を主張)

亀井静香さん(元自民党金融担当大臣)

(おお!これはこれは)「山本太郎は現代の桃太郎だ」というキャッチコピー、ちょっと滑ったかな(笑) 下の動画でご覧になれます。

湯川れい子さん(シャネルズの「ランナウェイ」、「街角トワイライト」、中島美嘉「火の鳥」など多数の楽曲を作詞。プレスリーやビートルズ、マイケル=ジャクソンにも何度も会ったという日本のポピュラーミュージックの開祖様)

森ゆうこさん(参議院議員・国民民主党。私的には「極道の女たち」の映画に出演してもいいのにと思える、熱き血をたぎらせるカッコイイお姉さん。

 

【いよいよ明日 !! あの人からも!応援メッセージ】東京都知事候補 山本太郎

【阿佐ヶ谷駅南口街宣】東京都知事候補 山本太郎 街頭演説 2020.7.4 16時30分~【れいわ新選組公認】心に深く沁みる湯川れい子さんのスピーチはこちらから(19:40頃~) 

  ↓      ↓       ↓  

https://www.youtube.com/watch?v=If0yRYw6Aas

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「都庁職員の評価が非常に低い小池知事なぜ楽勝ムード?」No.3906

2020-06-26 23:30:17 | 人間

都庁職員の小池知事に対する評価は非常に低く、

平均46.4点(100点満点)に過ぎないという記事を見ました。

〈東京都の自治体専門紙「都政新報」(2020年1月7日)発表〉

この数字は、石原知事(当時)が新銀行で失敗したときの

評価48点を下回るものです。

なぜそんなに評価が低いのか、その理由は

「都知事による粛清人事の横行」、

「深い考えがなく思いつきで行動する」

ということです。

小池百合子ならさもあらんと頷けますが、

肝心の東京都民はそんなことを知って、

それでも彼女に一票投じるつもりなんでしょうか。

テレビ討論会から逃げているのも、

都政の具体的なビジョンがないし、

何より、今まで公約のほぼ全てを実行してこなかったことが

追及されるから嫌なんだろうなと思います。

都知事選は他の地方の知事選とは違います。

日本の人口の10分の1を抱え、

自治体の中で最も国政にモノ申す力を持っているのが

日本の首都、東京です。

東京都民は、大切な一票を誰に投じるかよくよく考えて、

庶民の暮らしをよくするために奮闘する

候補者を選んでくださいね。

 

 

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「はすみとしこと植松聖」 No.3892

2020-06-14 10:24:15 | 人間

末次由紀さんがツイッターで#伊藤詩織さんを支持しますと、

表明されたことを大変嬉しく思います。

末次さんの漫画『ちはやふる』は、

中国の学生たちが百人一首を鑑賞するきっかけとして、

何度も授業で取り上げ、アニメも紹介してきたお馴染みの作品なので、

なおさらです。

それにしても同じ漫画家でも、

はすみとしこはどうしてこうも違うのか、

考え込んでしまいます。

 

はすみとしこ

難民は他人のお金で苦労せず暮らせる者たちだと決めつけ、

生きる価値のない者であるかのように描いた(そうだ、難民しよう!)。

②元TBS社員山口敬之伊藤詩織さんへの準強姦事件を

アベ首相と親密なグループの一員として、

「日本の男性(山口)はおモテになるからたいへんですよね」

と持ち上げ、「枕営業大失敗」と特筆大書して

伊藤詩織さんが山口に色仕掛けをした内容のイラストを発表し、

いまだに「これはフィクションだから」撤回していない。

 

はすみとしこは、元は看護師として

臨床現場で弱さをさらけ出す患者を数多く見てきたそうです。

その中から弱者叩きの考えを膨らませてきたのでしょうか。

もし、そうであるならば、彼女はある人間と重なります。

相模原障害者施設「やまゆり園」で45人の入居者を殺傷した

元施設職員の植松聖(さとし)です。

彼らの共通項は、日本国憲法の

人間は生まれながらにいのちと身体をはぐくみ、

生活する権利を持つ

という、全ての人に分け隔てなく天が与えた権利を否定する立場です。

従って、憲法25条の

「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

国は、すべての生活部面について、

社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に

努めなければならない。」

なども、(なんで国が無駄な命の面倒見ないといけないんだ!)と

憤怒の情を隠そうとしません。

そのとき、彼らの心の中は(自分の命は無駄ではない)という

選民思想と言うか、ナルシシズムと言うか、

自己中心主義に満たされています。

しかし、誰が〈無駄な命・役立つ命〉を

選別する権利を持つのでしょう。

私にはありません。総理大臣にもありません。

当然、はすみとしこにも植松聖にもない、としなければ

この社会は常に、外に出るとき、否、家の中でさえ

誰かに殺されないように身構えていないといけなくなります。

原始時代から人類は長い時を生き続けて、

自他がともに生きるための知恵を蓄積してきたはずです。

この「人間が人間を殺してもいい」とする考えは

棍棒を振り回す原始時代の思考、あるいは戦時の思考です。

だから、何でもない、穏やかな平和こそがだいじなんじゃないですか。

わたしははすみとしことその仲間の考えを憎悪します。

 

 

 

 

 

 

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「はすみとしこは『安倍総理を支える会』の管理人!」No.3887

2020-06-09 23:28:24 | 人間

はすみとしこが「安倍総理を支える会の管理人」だとは驚きです。

こういう人に支えられている首相っていったい……。


伊藤詩織さんの訴えをせせら笑い、

「ジャーナリストになりたいから山口氏に近づき、枕営業した」

と誹謗中傷した作品を流布させたはすみとしこは、

あの悪名高い難民差別と憎悪の作品を作った人と同一人物です。

吐き気がする絵です。

誰が好き好んで難民になるというのでしょう。

「他人のお金でおしゃれをしたり、贅沢をするのが難民だ」という

激しい差別と憎悪は、女の子の顔をこのように作り上げていますが、

これには元にした写真があります。

6歳のシリアの女の子は不敵な笑いも浮かべていないし、

挑戦的な目もしていません。

難民救済のためにこの写真を撮ったJonathan Hyamsさんは

「こんな道に外れた酷い偏見を表現するために

汚れなき子どもの写真を使う人がいるとは、

本当にショックだし、悲しくてたまらない」と、強い憤りを表明しました。

はすみとしこは、海外サイトstepFEEDの

「シリア難民問題へ最悪のリアクションを起こした7人」

にも選出されています。

 

さて、そういう過激で攻撃的な差別主義者が、

今回の伊藤詩織さんの提訴に対しては、急に被害者ヅラをして

自分のしたことを顧みることもなく

責任転嫁しています。

散々、無責任な攻撃をしてきたはすみとしこですが、

攻撃されるのには慣れていないのでしょうか。

それにしても「550万円欲しかったら」とは、どこまでも

伊藤詩織さんを自分の下品なレベルに下げようとする

愚劣な発想です。

(しかも「最新の注意」とか、アベ首相グループは皆こうなのか)

 

 

 

 

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「任意聴取されるも黙して語らぬ河井案里自民党議員に私は言いたい」No.3809

2020-03-10 23:57:23 | 人間

選挙で買収した疑いにより任意聴取された河井案理議員夫妻。

月々、120万円以上の歳費(給料)+100万円の交通費(全部税金)を

もらっている国会議員なら

国民に対して説明する責任があるのは自明の理です。

にも拘らず、国会登庁後、記者団への質問に一切答えず

足早に立ち去ったと。↓

逮捕されてもこの人も、辞職しそうもありませんね。

以前、広島県議だったときに、「政治とカネ」問題で

知事に「真実を話すしか生きる道はないのです」

「男らしくなさいよ」と上から目線で差別言語を投げつけた

その言葉、

今こそ、こんこんと自分に言い聞かせるしかないのです。

そして、「正直になさいよ」と私は言いたいのであります。

自民党って、こういう差別ばかりする人間の多いこと、多いこと。

画像を切り取らせていただいた動画は下に。

  ↓     ↓     ↓

「政治とカネ」疑惑の雲隠れ河井あんり(河井案里)

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「82歳の競馬実況アナウンサーが昨日、園田競馬で最後の放送後引退」No.3754

2020-01-10 22:08:48 | 人間

吉田勝彦アナウンサー(写真:ラジオ関西)

↑ギネスに載った9万回実況放送の競馬アナウンサー、吉田勝彦さん。

 

競馬は一度もしたことがなく、また、したくもない私ですが、

60年以上、兵庫県園田・姫路競馬場で実況放送し続けた82歳のアナウンサーが

昨日1月9日に田能の園田競馬場でアナウンスしたのを最後に引退したという

今夕のNHKラジオの放送を聞いて思わず耳を澄ましました。

その競馬場は以前10年以上住んだ尼崎市田能にある馴染み深い競馬場です。

そして、あと2週間足らずで私が再び暮らすことになるのも

尼崎市園田です。

今度の棲家は競馬場まで歩いて15分といったところでしょうか。

 

吉田さんが18歳でバイトの競馬アナウンサーを始めた1950年代当時、

競馬をする人は「博打(ばくち)」をする悪い人間と看做され、

競馬予想新聞を電車やバスの中で広げるのも肩身が狭い風潮だったそうです。

(今は完全に市民権を得た娯楽ですよね)。

だから競馬の実況を伝える先輩アナウンサーもいなくて、

将来のことをグズグズ思っていたとき

仲のいい騎手の友だちに

「頑張る騎手を男前にしてくれ」と言われた言葉で、

吉田さんは人生を定めました。

それから64年以上もの間、

朝早くから厩舎の掃除や馬の世話、騎手への密着取材をもとに

独自の「吉田節」を作り上げて、

圧倒的に競馬ファンに支持されてきた一人の職人アナウンサーが

昨日、退職しました。

「我流を極めたらそれは一流だ」

「振り向くな、後ろに夢はない」

と自分に言い聞かせて・・・・・・。

NHKラジオ第一の夕方5時過ぎからの関西エリア限定放送でしたが、

吉田さん自身が出演され、

64年間競馬アナとして脇目も振らず生きてきた道のりを語るそのお話に

つい、もらい泣きしてしまいました。

何と、番組アナウンサーも同様でした。

https://jocr.jp/raditopi/wp-content/uploads/2020/01/yoshida2.png

↑実況最後のレースを終え、感極まる吉田勝彦アナウンサー(写真:ラジオ関西)

64年以上にわたり、主に兵庫県の地方競馬を実況し続け、ギネス記録に認定されたアナウンサー、吉田勝彦さん(フリー)が、9日、園田競馬場(尼崎市田能)で最後の名調子を披露し、レース実況を引退しました。

加古川市の出身で82歳の吉田さんは、競馬中継がまだ一般的ではなかった18歳の時に実況アナウンスを始め、ラジオ関西(=神戸市中央区)で長らく、園田競馬・姫路競馬のレースを伝えました。

 朝4時に起きて厩舎の掃除や馬の世話をしながら調教師や騎手に取材し、自己流で学んで得た独特の語り口とゴール前のハイトーンは「吉田節」と呼ばれ、競馬ファンに愛されています。

 42歳で緑内障を患い、右目の視力を失いながらも仕事を続け、通算でおよそ9万レースを担当。「最も長い期間、同じ競馬場で実況したアナウンサー」として、ギネス記録に認定されています。

 最後のレースも、やはり「吉田節」で締めくくった吉田アナウンサー。馬場を見つめた後、静かに涙を流しました。ファンからは、「ありがとう」「お疲れ様」と、大きな歓声が上がりました。

 吉田さんは、レース実況を引退したあとも、競馬解説など、メディアでの活動は続けるということです。

ーーラジオ関西トピックス『ラジトピ』https://jocr.jp/raditopi/2020/01/09/9174/

 

 

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「幼い頃憧れた吉永小百合さんを再びリスペクトするこの頃」No.2741

2019-12-30 17:12:53 | 人間

小学生の頃、吉永小百合さんが好きで好きで、

当時、知床半島の根元の2万人ほどの人口の小さい町にあった

「斜里日活」という映画館に何度も通いました。

片道のバス代25円を節約するため1時間以上歩いて行ったものです。

「いつでも夢を」、「寒い朝」、「愛と死を見つめて」などは

今でもそらで歌えます。

吉永さんの鼻声も好きでした。

しかし、唯一我慢できなかったのは

よく一緒にデュエットしていた橋幸夫さんです。

私の耳には橋さんの声はべちゃ~~~っと粘っこくて

しかも、あの角刈り何とかならんのかと、

北海道の片隅の小学生の女の子はたいへん不満でした。

女性なら吉永小百合さん、

男性では山崎努さんが好きな小学生でした(笑)。

実は、吉永小百合さんが好きだったことは

思春期から大人になるにつれてずっと秘密でした。

吉永小百合が好きだったなんて、かっこ悪くて言えなかったんです。

その頃の自分の気持ちは

『平凡』や『明星』が推進する

「清純派スター」路線のアイドルが好きになるような

幼稚な馬鹿とは袂を分かった別人間だと思いたかったんでしょう。

吉永さんが「正統派美人女優」とか「早稲田大学に進学した才媛」とか

チヤホヤされていたのでなおさらダメでした。

代わって、太地喜和子さんや樹木希林さんが私にとって

カッコイイ女性俳優として登場しました。

歌手なら浅川マキさん、加藤登紀子さんですかね。

・・・・・・

何十年ものブランクを経て、近年また、吉永さんに再会しました。

フェイスブックでしょっちゅう、写真をお見かけするのです。

しかも必ず、反戦平和や辺野古基地建設反対のメッセージとともに。

 

ようく見ると、

小さい頃あんなに憧れていたスクリーンの中の吉永小百合さんと

今の吉永さんはやっぱり首尾一貫した同じ人のようでした。

(幼稚なりに私は、

ちゃんと吉永さんのこういうところを見抜いていたのかも)

と、我田引水、自画自賛する今日この頃の私です。

琉球新報2019年12月29日https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1050201.html?fbclid=IwAR18OerhhOcOya8TJcJNGh_A8Dls2mS8844jXsCDt1BEIuB-yMkdkp9PNDY

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