毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「一票の格差、ほかの国との比較」 2013年6月30日(日) No.695

2013-06-30 21:59:15 | その他情報
参議院選挙が7月21日に行われるそうだ。
昨年末の衆議院選挙について無効を申し立てた16の裁判のうち、
2件の「違憲・無効」判決を筆頭に、
いずれも現在の選挙制度における「一票の格差」は
「違憲」または「違憲状態」であるということが確認された。

昨年年12月の衆議院選での実際の格差は最大で2.43倍だった。
その具体例が
高知3区:有権者20万人に対して1議員の割り当て
千葉4区:有権者50万人に対して1議員の割り当て
とあげられている。
これでは千葉4区の有権者は腹を立てずにはいられないだろう。
と、私は思うのだが、

「OKWave 政治のQ&A」とかで次のような質問に出くわした。


 衆院選1票の格差訴訟の不思議と疑問?
前回の衆議院選挙、1票の格差が2.3倍やら2.4倍やらで、
選挙そのものを無効とする訴訟が多数提起され、
まずは東京と札幌で違憲判決になったニュースが報道されていますが、
何か単純な疑問を感じるのですが、
人口の多い少ない、たったこれ、このことだけでケシカラン?

人の数だけではなくて、
それぞれの県や市町村や地域…等々には、
それぞれの歴史と伝統と文化と…等々があり、
人々の価値観とか思考等も異なると思います。
従って、そんな簡単・単純に人の数だけで割り切れることではない
ように思うのですが


この訴訟を提起した弁護士グループの中心人物、
升永英俊という弁護士ですか、眼鏡をおでこの上の頭にかけて、
にやにやしながら、ガム噛みながら?
「アメリカでは、1票の格差は、倍率ほぼ0で、一人か二人の差しかない」
と大声で怒鳴り散らしていましたが、

こんなこと本当なんですか?そんな訳ないと思うのですが。
世界各国、特に先進国では、この1票の格差はどうなっているのですか?


この感覚はすごい。
勝手に私が下線を引き、番号を打った1~4までのうち、
1、2、3はものすご~い違和感。
かろうじて4だけは(そうだなあ、私も知りたいな)という気になった。
「選挙の平等性」「公正な選挙の実施」についてはこの人も異論はないと思う。
ひょっとしてこの人は「一票の格差」の意味がわかっていないのかも知れない。
まず、1の問題の立て方が違う。
「人口の多い、少ないがケシカラン」のではなく、
地域によって一人ひとりの投票の権利に軽重があることがケシカランのである。
Aさんに10円で売ったのと同様のものを、すぐ横のBさんには50円で売ったら、
Bさん激怒するんじゃない?(なんで差別するんだよ!)と思うでしょ。
(お金を例に出すのはちょっとズレちゃうかな(^_^;))

2について。
だからこそ、どんな価値観、思想を持っていても、金持ちでもビンボー人でも、
海の人でも山の人でも平等に扱われるべきだ。基本的人権の問題なのだ。
高知3区と千葉4区の違いはどう見てもイビツとしか言い様がない。
それを当たり前みたいに思ってしまうのは、
筋を通すことに鈍感であり、よくないと思う。
日本の政治全般について、
国民はもっと「筋を通せ!」と言わなければならない。
自分たちが選んだ政治家がちゃんとしないことで、
自分に責任が返ってくるのである。

3について。
この人は升永英俊という弁護士の態度が嫌なんだな。
確かに公式の場でガムとか噛みながら大切な話をされたら、非常にイライラする。
しかし、態度が悪いからといって、話の内容が間違っているかどうかは
全く別問題だ。そこは一つ大人として寛大な態度で聞いてあげるべきだろう。
大声で怒鳴り散らしていたのは、よっぽど怒っていたのだろう。
司法の世界に生きる人はそこに命をかけている(人もいる)。
政治に司法が舐められているこの現状に腹を立てるのは、
法律家としてしごく当然である。
やはり、違和感を覚える人の発言にも、すぐにレッテルを貼らずに耳を傾け、
多角的にものごとを考えることが大切なのだと思う。

4 そう言う意味でこの人は、みんなに質問を投げかけることで
新しい事実を知ることができたとしたら、よかったのかな。
しかし、ネットのQ&Aで聞いたからと言って、
正しい答えが得られるとは限らないのは当たり前で、
結局、「答え教えて!すぐに、池上さんみたく分かりやすくしてね!」
と、簡単に人に頼るのも、深く知るためのいい方法とは言えない。
まず、一番嫌かも知れない升永英俊弁護士の意見をじっくり読んだりすることから
始めたほうがいいと思うなあ。

そうそう、肝心の「ほかの国一票の格差」はどうなっているか。
(ちょっと杜撰だけどwikipediaから(^^;))
「一票の格差」については非常に厳しく取り組んでいる国が
「先進」国には多いのがわかる。アジア、アフリカとかは未だ調べてないけど。

*イギリス
イギリスでは、10年程度に1度、有権者数に応じて選挙区の区割りを見直し、選挙区の分割や合併などの再編成が行われる。現在は各選挙区の有権者がおおむね5万人-7万5000人になるように調整されている。

*アメリカ
上院は州代表なので格差あり。下院議席は各州に人口に比例して割り当てられることが憲法に規定されている。10年ごとの国勢調査に基づき、州ごとに議席を配分したうえ、州ごとの定めに従って州内で均等に区割りをする。同じ州内の各選挙区同士の人口については厳しく平等性が求められ、行政区画とは独立に選挙区が設定される。不平等があれば違憲立法審査の対象となり、裁判所から具体的な是正命令が下る。

*オランダ・イスラエル
全国一区の比例代表制のため、議席は投票者数に比例して配分される。区割りそのものが存在しないため、一票の格差の問題自体が起こらない。

*イタリア
1.22倍以内で調整。

*ドイツ
総選挙があるたびに、1年以内に一票の格差を是正する。(以下省略)



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「梅雨が行きつ戻りつの南昌」 2013年6月29日(土)No.694

2013-06-29 20:33:47 | 中国事情
今週は30℃を下回る日もあったほどで、
そんなに暑くないのだが、
25日(火)一年生が遊びに来たとき、
そうめん風のものを作ってもてなすと、
「おいしい!」と言われて気分が良くなり、
翌日、自分でもう一度作ってみた(写真:麺は地元の一番細い麺を使用)。

日本から持参した可愛い形の氷ができる製氷器は、
3年前来た時には不評だった。
「先生、冷たいものは身体に悪いです」
と言われ、(さすが漢方の国だけあって、
学生までうるさいことを言うなあ)と感心したものだ。
しかし、これも3年間でかなり様変わりしたのを感じる。
冷たい飲み物も食べ物も、今年の一年生には全く抵抗感がないようだった。
暑い時に、冷たいものを飲むと身体を冷ます効果があって良いと
多くの若者は言うようになった。
ただ過剰摂取が良くないだけだ、と。
確かに今の季節、
何が幸せと言って、家に帰って冷蔵庫のドアを開け、
冷たい何かで喉を潤すほど、いいことがほかにあるだろうか、イヤない。
南昌はスイカが安くて、おいしいんだよね~ん。

そうは言っても、夏期休暇で私も7月8日には
日本に一時帰国する。
人民元を日本円に両替しなければならない。
今夜、日本時間で9時の為替レートは16.15円/元。
ちなみに、昨年の6月29日は我がメモによると、12.53円/元。
1万元を日本円に交換すると
161,500円と125,300円になり、差額は36,200円にもなる。
日本から来て、
お金を貯めて帰る出稼ぎ労働者のムードになってきましたね~(^O^)

この円安で貿易関連企業は潤うかもしれないが、国内企業は関係ないと聞く。
私はお金儲けはもともと縁がないので、
なければないように暮らす。
どうしても困ったら飢え死にする。
昔から、庶民がそうしてきたように。
(実は、昨日「楢山節考」を読んだので余韻が残っているのだ)

ただ、戦争に行けと言われたら断る。
戦争だけは反対だ。
昔の間違いをそのまんま踏襲するのはあまりにも愚かすぎる。

コメント (2)
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「ヒトの気も知らないで~」 2013年6月28日(金) No.693

2013-06-28 20:20:39 | 日記

南昌では珍しい夕焼け空(6/28午後7時半頃 宿舎にて撮影)

このブログを書いて3年近く経った。
南昌に来てから書き始めたので、ここでの滞在も丸三年になる。
この三年で、何が一番ムカッときたかと言えば、
日本在住者からの
「日中友好関係のお花畑ピープル」とか
「中国信者」
というような無責任なレッテル貼りだ。
こういう言葉を聞くたびに、
「おまえが、 来て、 やってみろーー!!!」
と怒鳴りつけたくなる。

日本国内の奥深い場所でアンノンと暮らしていながら、
こっちが生活習慣の違い、文化の違い、価値観の違い、政治摩擦、などに
ときに腹を立て、ときに逡巡し、ときに思い切り気を遣いながら、
それでも少しずつ、少しずつ、仲良くしてきたその努力を、
簡単に無意味化するその言葉。
その割に、日本国内で中国の影響を全く受けていないかと言えば、
もはや中国製品なくして日常生活は成り立たないほど依存している。
そのくせ、やたら威張ってえらそうなのだ。
「井の中の蛙 大海を知らず」とは
こういう人たちのことである。




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「『農家楽』レストランに行った」 2013年6月27日(木) No.692

2013-06-27 22:03:58 | 中国事情
南昌の昌北のそのまた奥深くに、
南昌大学と江西科技師範大学の新キャンパスが隣接してあり、
広大な文教地区を形成している。
そこは我が宿舎からバスで行くと乗り換えて1時間以上かかるので、
一生行くことはあるまいと、端から諦めていた。

そこに突然、24日(月)の夜、行く機会があった。
正確に言うと、その両大学近くの
風情のある素敵なレストランに行ったのだ。
もちろん、連れられてだけど。

科技師範大をこの6月に卒業したばかりの皮文鹿さんが
招待してくれたんですね~。
「割り勘で!」と叫んだのですが、
彼女はガンとして譲らず、
弱い私はすぐに引き下がってしまったのです。
(´Д`;)ヾ ドウモスミマセン、ほんと。

その風情のあるレストランは、
清朝時代の農家の建物を使って建てられたそうだ。
一緒に招待された南昌大学の紙谷先生が写真を送ってくださったので
ここに一挙公開!

表玄関はこんな感じ。


入口すぐには、清朝時代の生活道具が並んでいた。


裏にはトマトやきゅうりなどの野菜畑もあり、
さらに大きい井戸があって、覗いて興奮!
巨大な魚、スッポンなどに混じって、巨大ガマガエルの家族が!!


カエルは屋内の水槽にもたくさんいた。
そいで、それを食べた。おいしかった~!


厨房側のかまど。これで炊くとなんでも美味しく炊けるという。
その日の料理がちゃんとお釜の中で出来上がっていた。


高級レストランというのじゃないけど、
ひととき、逝きし時代に包まれるほっこり感がある。


二階のベランダからのスナップ。
この屋根を見ると(本当に農家だったのかな?)と疑念が湧く。


大盤振る舞いしてくれた江西科技師範大学卒業生の皮文鹿さん。
今度行くときは、ちゃんと払いますから~。
君の人生に幸多かれ( ^^)/▽▽\(^^ )


[そのレストラン情報]
名前:乡村一号(「田舎の雰囲気が一番あるレストラン」という意味)
住所:新建县320国道 玉龙防水正对面
(南昌大学の新キャンパスの四号門の後ろに近く、高速道路にくっついている国道です)
予約電話:83688816     13517088676
予約方法:毎日午前中10時~午後8時までの間に電話をかければ、予約できる。

(写真を提供してくださった紙谷先生は、翌々日26日、夏季休暇で
日本に戻られた。今頃は涼しい自宅でくつろいでいらっしゃることだろう)
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「トロイカ-中日歌詞比較」 2013年6月26日(水) No.691

2013-06-26 19:40:52 | 日本中国比較
暑苦しい最中だからこそ、
言葉だけでも涼しそうなロシア民謡を楽しみましょー。
(今日は断続的に☂が降り最高気温32℃と、
蒸し蒸ししてはいるが、ちょっとマシな一日だった)

先週土曜日(22日)の小西先生ご夫妻送別会で、
博堅先生のご指導の下、中国語で「トロイカ」を歌った。
練習では「ダメだめ、音痴」とか言われ、内心ムッとしたが、
事実だから我慢するしかない。
で、日本語訳していただいた歌詞が下のものである。
ロシア革命前の帝政ロシア時代のイメージだ。

♪氷雪がヴォルガ河を厚く覆い
3頭立ての馬そりが河の上を駆けている
若い馭者が悲しい歌を歌っている

若者よ なぜそんなに悲しくうな垂れている
誰がお前を そんなに悲しくさせるのだ
客が尋ねる

ほら遥か遠く天地の果てまで 共に旅をしてきた いじらしい老馬が
地主に買われて 行ってしまうんだ
あとの生活は 苦難が待っているだけだ

[ 三套车]  
♪ 冰雪蔗盖着伏尔伽河 冰河上跑着三套车
有人在唱着忧郁的歌 唱歌的是那车的人

  小伙子你为什么忧愁 为什么低着你的头
是谁叫你这样伤心 问他的是那乘车的人

  你看我这匹可憐的老马 它跟我走遍天涯
 可恨那财主要把它买了去 今后苦难在等着它


比べて日本語の歌詞(下)は、『♪今宵は~楽~しい宴~』とか言って、
たいへんなお気楽ソングになっている。

♪雪の白樺並木 夕日が映える  走れトロイカ朗らかに 鈴の音高く

響け若人の歌 高鳴れバイヤン  走れトロイカ軽やかに 粉雪けって

黒い瞳が待つよ あの森越せば  走れトロイカ今宵は 楽しい宴


メロディは同じなのに、どうしてこんなに歌詞が違うのだろうか。
それは、日本語歌詞が間違って違う歌を翻訳したからだという。
日本語訳をしたのは、
ハバロフスク地区の日本人捕虜による楽団「カチューシャ」だそうだ。
その楽団員は別の歌「トロイカが駆ける、トロイカが跳ぶ」を訳してしまった。
(しかし、子どもの頃から歌い慣れているせいか、私は全く違和感を感じない)

原詞に忠実な日本語歌詞も、実は以前から歌われていたそうだ。
1950~60年代の都市部で盛んだった歌声喫茶というところで・・・。
その詞は中国語歌詞と重なる。
しかし、「老馬」が若い馭者の「恋人」になっているが、
本当は(ロシア語の原版)はどうなのだろう。

[原詩に忠実な日本語歌詞]
♪走るトロイカ一つ 雪のヴォルガに沿い  はやる馬の手綱取る馭者の歌悲し

何を嘆く若者 尋ねる年寄り  なぜにお前は悲しむ悩みはいずこ

去年のことだよオヤジ 好きになったのは そこへ地主のやつめが横槍を入れた

クリスマスも近いに あの娘は嫁に行く  金に釣られて行くならロクな目に会えぬ

鞭打つ手で涙を 馭者は押し隠し  これでは世も末だと悲しく呟く





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「『自己責任論』の正否を問う辛坊治郎の遭難事故」 2013年6月25日(火) No.690

2013-06-25 20:06:24 | その他情報
「たった2人の命を何百人で救ってくれた。
 本当に海上自衛隊、海上保安庁の皆さまには感謝しています」
「この国の国民であって本当に良かった」
ヨットで太平洋を横断中に救助されたニュースキャスター、
辛坊治郎氏(57)はこう言って目を潤ませた。

日刊ゲンダイ 6月25日(火)11時26分配信

この発言が、素直に心に受け止められないのには訳がある。
「アンタ、2004年にイラク戦争で人質になって助けられた高遠さんたちになんて言った?
確か『自己責任だ!かかった費用は自分で払え!』って言ったよね」
という一言を言いたくなる人なのだ。
国民の命が危機に晒されたとき、無条件に保護するのが国民国家の仕事だ。
日本は憲法を基本に据えた国民国家なのだ。
日本共産党の文言のマネみたいでなんですけど、、
「国民の命と暮らしを守る」のが国の果たすべきことだ。
だから、本当は辛坊さんは、救助費用を自己負担しなくてもいい。
命が助かったことは、本当にいいことだ。
しか~し!
この事故をきっかけに、9年前自分がさんざん騒ぎ立てた
「自己責任」論を、深い反省を込めて見直してもらいたい。
そして必ずそれを公表してほしい。
ニュースキャスターとしてこれからまだ仕事を続けるつもりなら、
それは当然だろう。

このニュース(辛坊さんが「自己責任」論者だということも含めた)は、
日本国内のテレビやラジオなどメディアで
あまり取り上げられていないのだろうか。
下の天木直人さんのブログタイトルが気になる。
(天木直人さんは、あのイラク戦争に反対して当時の小泉首相に意見文を送り、
外交官の職を追われた人である)


大手メディアが一切語らない辛坊ヨット遭難事故の「自己責任」
天木直人のブログ 2013年6月23日
(途中から引用)

・・・思い出すのがイラクで人質になった若者三人に浴びせかけられた
「自己責任論」だ。
当時辛坊氏は徹底的に小泉政権の肩を持つ発言を繰り返していた。
その自己責任論者が自己責任を取らなくていいならこれほどの冗談はない。
権力に歯向かう国民に厳しく、
権力に迎合する国民に甘いというような差別が行なわれているとしたら大問題である。 
ところがこのような誰もが抱く疑問について、大手メディアは一切語らない・・・
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「中国的ランク付け」  2013年6月23日(日)No.689

2013-06-23 20:49:12 | 中国事情
つねづね感じているのだが、
多くの日本の人々にとって、
中国的ランク付けが腑に落ちないことはないのだろうか。
例えば、『江西財経大学は江西省でトップの大学』
ということば。

私も初め聞いたとき、かなり抵抗を覚えたものだ。
(トップってどういう意味?
教授陣が優れているの?学生が優秀なの?それは何によって判断されるわけ?)
という疑問が湧いて、ネットで調べてみたこともある。
同じ江西省には南昌大学という伝統的に有名な大学があり、
そこは2008年調査で中国全土で第○位(数字は忘れた)と書いてあったが、
江財大が何位かは、見つけることもできなかった。
学生に聞くと、断固として「財大の方が上です」と言う。
先生も言う。
トップとは、毎年の受験得点らしい。
(なんかな~。受験の点でその大学の格が決まるなんてね~)と、
私はマイナスの気分になるが、
中国の学生も一般人も、そうしたランク付けに対して
抵抗や違和感はまるでない(ように見える)。

もちろん、財大生も
「江西省でトップでも、北京に行けば問題にもされません」
と、ランキングの厳しさは十分認識している。
だから、大学受験で北京を目指す子が非常に多いと聞く。
北京っ子の若い女性には、
「いくら北京大生でも付き合うんなら北京出身じゃないとイヤ。
地方出身の人と結婚なんかもってのほかだわ」
と、信じられないことを言う人も多いそうだ。

日本にももちろん上昇志向人間はいるが、
そういうのをむき出しにすると、恥ずかしいというか、
周囲から顰蹙を買うことが多い。
(昔、「僕、京大生なんだけど誰にも言わないでね」と
言っていた超おバカもいたなあ。京大がナンボのもんやねん)

ここでは、一般の人でも、人を紹介する際、
「Aさんは○○大学で博士になりました。偉い人です」
などという言葉がよく聞かれる。
(博士がなんでエライねん。意味不明~)
と要らんことを思うのはヒネクレ者の私だけだろうか。

学校や人間だけじゃなくて、
「中国で最も美しい農村」(これは江沢民の故郷)
「中国で最も意義深い母パンダ」(このパンダの子パンダは北京オリンピックのマスコットか何かになったらしい)
など、いったい誰が決めたのか知らないが、
あちこちにトップランキングがあるのが、
実に中国的な特徴と言えるのではなかろうか。












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「日中友好協会高松支部・小西ご夫妻送別会」 2013年6月22日(土) No.688

2013-06-22 22:31:10 | 中国事情
夕方6時から市内中心部の福州路にある「福善坊」で、
南昌日本語協会主催小西先生ご夫妻の送別会があり、
それに参加してさっき帰ってきた。
(戻ったら部屋は非常に暑い。
冷蔵庫に冷やしておいたスイカを食べながらこのブログを書いている

5月に財経大学で茶道の講習をしてくださったときは、
主に男性の小西先生の方が、
優しく、そして、易しく日本の伝統茶道を紹介してくださり、
奥様の昭子さんは、実際上の手ほどきをしてくださった。

今日も3ヶ月を振り返ってのご挨拶は男性の小西先生がされ、
昭子奥様は、ニコニコと横に立っていらっしゃった。

その後、みんな、入れ替わり立ち代り歌を歌った。
状況は一変した。
男性の小西先生は昭子さんの影にひっそりと隠れ、
「どうぞ、どうぞ」とか、「よろしくお願いします」
みたいなことを言って、ジリジリと中心から遠ざかろうとされる。
確かに、昭子さんの声は、音程のしっかりしたハリのある美しい声である。
周囲から「今度は博堅先生と小西先生(男性)とデュエットしてください」
と言われたとき、昭子さんの方をすがるような目で追う小西先生が
ちょっと可愛かったな。
昭子さんも、
「ああ、『知床旅情』は複雑な歌だから主人は最後まで歌えないのでは・・・」
と心配そうに見守るのだった。
(「知床旅情」が複雑、というのが面白いですね)

私は(こういう夫婦が円満な仲と言うのだな)と思った。
絵に書いたような幸せ夫婦なんて実はなかなかないものだ。
きっとお二人でたくさんの苦労を乗り越えてこられたのだろう。
自分のことはさておいて、そういう想像をするだけで
ホッコリした気持ちになる夕べだった。
小西先生ご夫妻は26日、高松にお帰りになるが、
「日本人の良さ」をここ南昌の中国人に余すところなく伝えてくださり、
3ヶ月という短い間とはいえ本当に心強かった。
心から感謝を・・・(_ _)。

付け足しだが、中国語がサッパリダメなこの私が、
今日、中国語で初歌を歌った。
午後4時から5時半まで博堅先生の家で特訓を受けた「トロイカ」
である。その歌詞は明日でも紹介しましょう。
一般的に出回っている「トロイカ」の日本語歌詞とは
意味が全く違うのがおもしろい。



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「ネットと愛国ー在特会の『闇』を追いかけて」 2013年6月21日(金) No.687

2013-06-21 20:48:04 | 

この夏休みに読みたい一冊だ。
2012年講談社ノンフィクション賞をゲット。
タイトル:「ネットと愛国 在特会の『闇』を追いかけて」
出版社: 講談社
著者: 安田浩一

伝統的右翼の宣伝カー活動とは一線を画し、
人権侵害も甚だしい暴力・殺人を示唆する言葉を街頭で巻き散らかす
とんでもない集団=「在特会」についての渾身のルポルタージュだ(と、書いてある)。
「在特会」とは正式名称「在日特権を許さない市民の会」だ。
(何が市民だ!市民なら市民の表現形態を守れ!)と私は言いたい。
「良い朝鮮人も悪い朝鮮人も皆殺せ」
「ゴキブリ」「首をつって死ね」等々、
信じられない攻撃性・排他性を巻き散らかすこの団体の言辞に比べれば、
高校生の時に聞いた天井桟敷の「言葉のボクシング」など、
赤ちゃんを寝かせる子守唄だ。

私の最も関心があるのは、
この在特会の人たちが、
なぜこんな極悪人のような言葉を撒き散らすようになったのか、
なぜ、他人への(特に在日韓国・朝鮮人への)憎しみを街頭まで出て、
拡散させるのか、という点である。
この在特会の行動は、
私からすれば100%(てか300%)認められないものである。
ああ、彼らに彼らと同じレベルの悪口を言ってやりたい!

しかし、と、その気持ちを諌め、冷静さを促してくれそうな取材・分析を
この安田浩一さんは試みている(と、書いてある)。

確かに、生まれた時から在特会だった人なんかいない。
ここは社会現象としての在特会活動を、
この本を手がかりにして考えるチャンスだと思う。
今夏も忙しくなりそうだ。

と、ここまで書いて、雷・稲妻が心配なので
(さっきもブレーカーが落ちて、パソコンがブチッと切れた)
今日はソソクサと終わることにする。
(5時ごろ同じ江西省の临川で落雷のため花火工場が爆発したとか・・・。大変だ)
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「♪野に咲く花の名前は知らない♪」 2013年6月20日(木) No.686

2013-06-20 18:43:47 | 日記
中国の学生たちに紹介したい日本のスタンダードナンバーの一つ。
寺山修司については
3年生の日本文学の授業でチラッと短歌作品を紹介したことがある。

昔むかし、私が修学旅行で東京に行ったとき、
当時やっていた寺山修二主催の劇団「天井桟敷」に出かけたところ、
『言葉のボクシング』というのを上演していて、
言葉がどれほど暴力になるのかを言葉のボクサーたちが
リングの中でやって見せてくれた。
純朴な田舎の高校生の頭には、
それらの言葉はイジメとしか響かなかったなあ。
寺山さんの頭の中はどうなっていたんだろう。
複雑な人なんだなあ。
下のように、美しい情景がありありと浮かぶ詩も自由自在に作っちゃうんだから。

「戦争は知らない」 作詞:寺山修司 作曲:加藤ヒロシ

  野に咲く花の 名前は 知らない  
  だけど野に咲く花が好き     
  帽子にいっぱい摘みゆけば     
  なぜか涙が 涙が出るの

  戦争の日を 何も知らない    
  だけど私に父はいない
  父を想えば ああ荒野に     
  赤い夕日が 夕日が沈む

  いくさで死んだ 悲しい父さん   
  私はあなたの娘です
  二十年後のこの故郷で  
  明日お嫁に お嫁に行くの

  見ていてください はるかな父さん   
  いわし雲飛ぶ空の下
  いくさ知らずに二十歳(はたち)になって  
  嫁いで母に 母になるの




ついでにと言っては失礼ですが、
作曲の加藤ヒロシさんについて調べると、
なんと関西GSの草分けで、知る人ぞ知るなかなかの人らしい。
ザ=リンド&リンダースのリードギタリストだという。
1968年ヒットした?「銀の鎖」は哀愁ロックの極めつけだそうだが、
残念ながら私の長い人生の中でも聞くチャンスがなかった。
今度日本に帰った時に探してみたい。
上の写真のうちの誰が加藤ヒロシさんか、分からない。
前列ヘルメット姿の3人の下顎に白いマスクのようなものがあるが、
それも一体何なのか。
謎の多いグループである。
そのザ=リンド&リンダースは
大阪万博の頃、自然消滅したという(ーー;)
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「37℃なれどエアコンは使わず」 2013年6月19日(水) No.685

2013-06-19 19:45:08 | 日記
うう、あぢぢぢぢぢぢぢ~(;^_^A

今日は麦盧キャンパスに行く日だ。
午前中にテストの解答などを届けてテキパキ・・・、とか昨夜は思っていた。
が、今朝起きると、部屋という部屋の床が土埃で白っぽかった。
窓を開けて寝ているので、そうなるのね~。
この現象は大阪のマンションでは有り得ない。
大阪市内の路面はアスファルトで覆われているからだ。

で、朝シャワーのあと、床の雑巾がけをした。
毎日やっているが、これは健康体操の代わりでもあり、
足腰にいいです。
しかし、ここ数日、タオルで拭いても拭いても、汗が目に入るほど流れる。
で、掃除のあと、またシャワーを浴びる。

窓から外を見ると、みんな灼熱の太陽の下、
日傘をさしたりしてフラフラ歩いている。
それを見ると(朝、早めにバスに乗って麦盧園に行って~)
という計画が音を立てて崩れていくのを感じた。
一歩を踏み出す勇気が出ないのだ(^_^;)

11時、3年の劉さんとの約束が迫ってきたので、
ようやく決心して外に出た。
クラア~フラア~
520番のバスは10分ぐらいしてやってきた。
ヨロヨロ乗ると、どうでしょう!
中はメッチャ涼しいじゃないですか!
(そうだ、世の中にはエアコンちゅうもんがあったんじゃ)
と思い出した。
私の宿舎にも、エアコンはある。3台もある。
しかし、使っていない。
冬につけても、
涼しい風がソヨソヨ出てくるエアコンが2台と、
上から温かい風が出てきて(ヤレ嬉し!)と思ったら、
同時に下から冷たい風も出てくるのが1台。
ということで、性能を信用していないのである。

今は寝室に扇風機をおいて、寝る前につけ、
朝まで回している。
昼間は図書館かどこかのエアコンで涼み、
夜は扇風機で過ごす。
これが節約型夏の過ごし方として、
私がオススメするここでの暮らし方である。
シャワーをふんだんにできる条件があれば、割と快適じゃないかな。
あと、冷蔵庫にスイカとかあれば最高ね






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「突然ですが連日真夏」 2013年6月18日(火) No.684

2013-06-18 18:50:11 | 中国事情


あぢぢぢぢ~。(;´Д`A 
ここ4、5日間、南昌は急に真夏だ。
例年通りとは言え、36℃ー29℃とか急に言われても~。
明日も同じ気温だそうだ。
今まで熱いドリンクを楽しんできたが、
昨日からついにレイコー(アイスコーヒー)を冷蔵庫で作り始めた。
言っとくけどインスタントじゃないんだよ。
帰国者2世の青木さんが、この間ドバっと送ってくれた
MAXIMの「ちょっと贅沢な珈琲店」を朝のうちにペーパーで濃い目に淹れ、
空き瓶に入れて冷蔵庫で冷やしたものだ。
さらにシロップも当然自家製。
土黄連蜜という自分で買ってほったらかしておいた蜂蜜を使った。
今夕の食事はこれ(上の写真)だ。
何だか朝食っぽいが、私は基本的に朝は食べないので
夕方はあらゆるものがO.K.である。
キャベツが柔らかくて美味しいんだよ~ん( ̄ー ̄)
フランスパンを売る店も最近できた。
1ヶ月前からキャンパスのスーパーに
キューピーマヨネーズも置かれるようになった。
南昌郊外の暮らしも日々変わってきている。
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「丸山健二『バス停』を読む中国の若者(その2)」 2013年6月17日(月)No.683

2013-06-17 12:55:41 | 中国事情
「バス停」は1977年に発表された短い小説だ。
時代と場所ははっきりしていないが日本の高度経済成長期の農村である。
そう言えば私もその頃、大学進学のために北海道から京都に出たのだった。
学生の文を読むと、
おおかた忘れてしまっていた当時の感覚が蘇る。


――― 「妹へ」潘梅萍

「バス停」と言うと、記憶の中では「別れ」の代名詞だ。
子どものときから、毎年、バスは私のそばから両親を奪い、
他所の地方へ連れて行ってしまった。
せっかく年に一度の新年の家族団らんなのに、
一週間いただけで、両親は再び出稼ぎに行く。
そのとき私はバスが大嫌いだった。
その後、私が市内の高校に通うようになると、
ようやく、両親は故郷に帰って来たが、こんどバスに乗るのは私だった。
故郷を離れたくはないが、豊かな広がりを持つ高校生活にも憧れている。
バスは矛盾体を運ぶ。
前方に憧れを持ちながら、後ろの方をも惜しんでいる。

バスは分岐点でもある。
バスに乗る前は純朴な人間が、バスから降りた後、
もう、金銭、利益などの世俗に感染した人になる。
「バス停」の主人公の「私」は、早く都会に戻りたいと思いながらも、
幼いころから十数年も暮らしてきた故郷の精神面での支えも求めている。
都会は、人々に物質面でのカラフルな生活を提供し、
お金さえあれば何でも買えるといえるほど、多くの青年たちを誘惑する。
その一方、外から来た人々は、都会の速いリズムに疲れや焦燥感を激しく感じる。
主人公の「私」は、その矛盾の中で、結局都会を選んだ。

一か月前、バスはもう一人の農村の子を都会に連れて行った。永遠に。
それはあなた、私の妹だ。
都会の「金持ち」と言える人と結婚したあなたが、幸せになるのはいいことだが、
あなたには微妙な変化が見られる。
いい身なりとか、流行の髪型とか、高価なハンドバックとか・・・。
確かにおしゃれをするのは女性の天性だ。
しかし、あなたは突然私にこう聞いた。
「私は拾い子かな。家にいるこの5日間、
誰も私の仕事や主人のことについて詳しく聞こうとしなかった。」
主人公と全く同じ不満だ。
おそらくあなたは、それを尋ねられたときの答えを予め用意していたのだろう。
実は、私はその不満を理解できないというより、
ちょっと受け入れられなかったのだ。

子どもの頃、
毎週土曜日の決まった時刻に、私達三人きょうだいは、
とんだり跳ねたりしながら、村の店の一台しかない電話のそばで、
遠い地方へ出稼ぎに行った両親からの電話を楽しく待っていた。
一度も欠かさず、両親は電話をかけてくれた。
だから、今度は青年になった私達の番だ。
「仕事は楽しいのかな。会社の食事はおいしくないかも。」
と、今までずっと両親は娘からの電話を待って、
いろいろ話したかったにちがいない。
親に不満を抱くと同時に、自分のことを反省しよう。
両親は「バス停」のお母さんのように、
言葉にならない娘への愛情を行動で表現しているのだ。

あなたは毎回家に帰ったとき、
必ず家族のみんなにブランド服や高級家具を買ってあげ、お金もたくさんあげる。
しかし、家族と一緒に座り、しゃべることがほとんどないようだ。
小説の最後に「私」は、お札を財布から一枚抜き取り、
バスの窓からお母さんに放った。
そのシーンを想像するだに恐ろしい。
家族同士なのに、こんなふうに自分の感情を伝えるのはとても冷たいと思う。
ある日、あなたもそうなるのかと……。

いえ、あなたには農村で育った子特有の雰囲気があると、私は信じている。
あなたが帰って来たその日、父は、お祭りのときだけ作る料理を作った。
あなたは、大きい茶碗で三杯も食べた。
ご主人も信じられないように、
「そんなに食べるのは、初めて見た」
と、驚いていた。
なぜなのか。それは、私たちを育てた味だからだ。
都会の料理がどんなにおいしくても、家の味は忘れられないだろう。
あなたはこの味への未練を隠さなかった。
「バス停」の主人公は、顔だちを整え、方言を捨て、
故郷への未練を完全に隠した。
しかし、隠しても、隠しても、それはまた現れるだろう。

「バス停」の主人公とは違って、あなたには都会に家がある。
愛する人もいる。
でも、どこに行っても、心の平和の源を見失わないでほしい。
お金は、愛に変わって、それを代表することはできないのだ。





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「丸山健二『バス停』を読む中国の若者(その1)」 2013年6月16日(日)No.682

2013-06-16 20:23:44 | 中国事情
日本文学の冬休みの宿題文を、
今頃ようやく読んでいる。
以下の作品からいずれか一つを読み、感想文を書くというものだ。

「白い人」遠藤周作
「楢山節考」深沢七郎
「人間の羊」大江健三郎
「時間」黒井千次
「草木」中上健次
「楽土」中上健次
「バス停」丸山健二
「蛍」村上春樹
「暑い道」宮本輝
「キッチン」吉本バナナ

この選択条件は、北京大学出版社「日本現代文学選読(下)」
に載っている作品だということである。
私は遠藤周作の真面目な文がたいへん苦手で、
「白い人」も読んで暗い気分になり、収拾がつかなくなった思い出がある。
しかし、他にもどん底に落ち込む可能性の高い‘珠玉の’短編たちの中で、
中国の若者たちがどんな苦渋の選択をするか(^O^)、興味深かった。

丸山健二の「バス停」についての感想文に、
(そうなのか~!)と刺激を受けたものがいくつかあった。
例えば次の文だ。

ーーー「バス停」の感想 (林蘭)

「バス停」を読んで、私は大いに触発された。
まずは、主人公に深い同情を覚え、次に、社会問題を考えた。
農村の青年たちが都市へ出稼ぎに行くということは、
戦後の日本に存在する問題だけでなく、
中国にとっても改革開放以来、大きな問題である。

文章では、2年間都市で働いた主人公は、故郷の家に帰ったとき、
いい身なりや流行の髪型、整った顔立ちになって、高価なハンドバッグを持って、
村のみんなに仰ぎ見られていた。
彼らから見れば、彼女は非常に成功した人間だと言っても過言ではなかった。
主人公は今や、ちょっとした金持ちであった。
しかし、実は、彼女の仕事は光栄なことではなかった。
毎日、酒を飲んで、タバコを吸って、見ず知らずの男をむしゃぶった。
ほかにいい友達もいなかった。
都市では、何時でも自分の力で生きていかなければならない。
主人公を楽しくさせるのは、お金だけだろう。
私から見れば、本当に大変な生活だ。
しかし、彼女にとって、田舎で両親と一緒にいるのは、
わずか三日間だけでも退屈だった。
彼女は最終的に、また都市へ行くと決めた。

にもかかわらず、彼女の心は寂しさが溢れていた。
バス停で母を帰らせた後、思いたくないのに母の姿を思った。
追いかけて行きたくなった。
ところが、彼女はバス停を離れなかった。
彼女は葛藤に苦しんでいたのではないか。
愛が非常に欲しかったのではないか。
私は彼女の気持ちが、完全に理解できる。

今度の冬休みは特に長かった。
農村ではインターネットに接続できないし、娯楽の設備も少ないし、
遊ぶ友達もいなかった。
毎日、ほとんど同じことをして、本当に退屈だと思った。いつも、
「ああ、早く学校に行きたいなあ。やっぱり学校の生活は私にとってふさわしい」
と、独り言をいった。
しかし、いざ学校へ帰るとなると、気持ちは変化した。
家での生活が名残惜しくなり(毎日家族と一緒に生活できればいいのに)と思った。

「都市で暮らしてあたしはいくらか変わったのだ。
けれども、村は少しも変わっていなかった。」
もし、村が何か変わっていたら主人公は、もう少し長期間家にいたのだろうか。
または、もう、都市へは行かないだろうか。
国内外の有名な経済学者によると、国が農業国から工業国に変わるとき、
農民が都市へ出稼ぎに行くという現象は避けがたいことだ。

今の中国では、そういう現象はとても深刻だ。
私の安徽省の故郷では、ほとんど全ての青年たちは都市へ出稼ぎに行く。
彼らにとって、それは仕方がないことだ。
物価は上がるが、農村での収入は上がらない。
つまり、中国の経済は向上しているが、農村は変わっていない。
だから、農民は自分の方法で生活をよくしなければならない。
大部分の人にとっては、都市へ出稼ぎに行くのが唯一の方法だ。
しかし、知識や技術がない彼らは、労働力として、
毎日苦労して同じことをするしかない。
農村の家にいたくてもいられない上に、
都市でも生活状態は非常に苦しい。
小さい部屋に住んで、長時間働いて、社会保障は全然ない。
彼らにとって都市は、「バス停」の主人公のように
お金を与えてくれるところでしかない。
都市は彼らの終着点でもない。

日本では、こうした現象は70年代末から消えてきて、
今は、農民でも、毎日、家族と一緒に幸せな生活を楽しむことができるそうだ。
人口が多い開発途上国の中国はどうだろう。
農村の素晴らしい未来を期待している。



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「Shut up! 日本は最も進んだ人権国だ!」 2013年6月15日(土) No.681

2013-06-15 23:42:49 | その他情報
恥ずかしいとしか言い様がない日本の政府要人の発言・・・。
5月22日、ジュネーブで開かれた国連の拷問禁止委員会で、
アフリカ・モーリシャスの委員から、
「日本は中世か」と問われた。
・死刑制度があること
・被疑者の長期拘留(最長23日)
・交流期間中、弁護士へのアクセスが不十分
・取り調べの録音・録画が不十分
・女性に対する暴力
・人身売買の取締不十分
などの刑事司法制度に対する批判だった。
それに対して、外務省から派遣されている上田秀明人権人道大使
「日本は人権について the most advanced countryだ」と答え、
それに対して笑いが起こった。
その笑いに対して、上田大使は、
「笑うな! Shut up!(黙れ!)」
と発言していたことが明らかになった。
ニュース・コメンタリー (2013年06月15日)
「左翼のクソ」に「シャラップ」 日本で要人の失言が相次ぐわけ

http://www.videonews.com/で、はっきりと聞ける。
ヽ〔゜Д゜〕丿スゴイ!て言うか、情けない。
もし、同じ質問をヨーロッパかアメリカ合衆国の委員から問われたら、
上田大使は「Shut up!」と言えただろうか。
彼の差別意識が丸出しになった発言だと思う。
日本の政治家の知性劣化の現れ」と、社会学者の宮台真司は語る。
ほかにも、
日本の首相のアベシが自分のフェイスブックとツイッターにTPP反対の市民グループのことを
「聴衆の中に左翼の人達が入って来ていて云々」と発言したこと、
復興庁の水野靖久参事官が、
福島県の被曝対策に取り組む市民団体の集会に出席後、
左翼のクソどもから、ひたすら罵声を浴びせられる集会に出席。
感じるのは、相手の知性の欠如に対する哀れみのみ」
と匿名のアカウントでツイッターに投稿していることが明らかになり、
13日、復興庁が水野氏を被災者支援担当から外す処分を行ったことなど、
「日本の政治家の知性劣化」はとどまるところを知らない。
政府に異議申し立てをしたら全員「左翼」と決め付けるこの頭の構造はナニ?
しかし、これらは、単に氷山のごく微小な一角に過ぎない。



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