毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「光棍節に想う」-学生の日記    2010/11/30  No.19  

2010-11-30 17:09:59 | 中国事情
 日本語作文の授業では、何人かの学生の作文を例に取り上げ、その添削をすることで文法、語彙、表現のブラッシュアップを図っている。「日記」とはいえ例外ではない。しかし、嫌がる子は誰もいない。やり玉に上がる(例示される)ことをみんな誇りに思っている様子だ。また、他の学生もクラスメートの文を読むことを楽しんでいる。クラスの仲間意識が感じられるこの授業のひとときを、教師としても大いに満喫している。

 以下の日記もそのやり玉の一つである。この文を読んだとき、試験勉強に疲れた表情の学生達は、一気に息を吹き返し、教室が笑いに包まれた。その後、どうしたら恋人を作ることができるか、具体的な方法に話が脱線しそうになったところで、授業が終わってしまった。


  「光棍節に想う」(肖 明○) 11月11日 晴れ
 ああ、つまらないな!また一日を過ごしてしまった。おれの人生はどのくらい日が残っているのかな。神様!もうちょっと時間をくださいませんか。私は本当に人生の趣を身につけていないんです。
 どうして、一体どうして、私はこんなに落ち込んでいるのか。
あ、分かりました。今日は特別の日だから!11月11日という4つの1がある意味深い日です。シングルの私にとっては異常に嫌な気持ちです。なぜ他の人はそんなに簡単に彼女ができるのか。勇気の差か、外見なのか。でも私は別にそんなに劣った人間じゃないはずだ。
 高校生の時、確かにある女性が私にラブレターをくれました。その時、自分は一生懸命勉強し、愛情なんかの暇はない。それで、いきなり断りました。彼女は一日中泣きました。「二度とあなたと 会いたくない。」と言われました。ただの知らぬ人として、友だちでいられないほどなのは、悲しいです。
 おれ、なんでまだそんなことを覚えているのか。忘れよう!自分がやったくせに悔しく思う資格はない。今、私ができることは、ただこっちで遠方の彼女の無事を祈ることだけだ。
 今は特別な時刻だ。11月11日11時11分。私は携帯電話を見るとき、この数字を見ただけだ。たいしたことじゃない。本当に!

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光棍節:独身者の祭り    2010/11/29  No.18

2010-11-29 19:15:16 | 中国事情
 中国では、11月11日は光棍節と呼ばれている。独身の人たちの祭りなのだそうだ。私の勤務する大学は基本的に全寮制なので(たぶんどこの大学もそうだと思う)、カップルはたくさんいても結婚したり、同棲したりしている人たちはまずいない。
なので、全ての学生諸君はこの日を祝う資格がある。しかし、学生達はこの祭りを「つきあう相手がいない者たちの悲哀に満ちた記念日」と位置づけているようである。
 この日は、キャンパス近くのレストランやカラオケから「単身情歌」の歌声が切々と流れたという。

 いったい、どれくらいの学生がボーイフレンド・ガールフレンドと付き合っているのだろう。キャンパスの昼休み、のんびり手をつないで散歩するカップルをあちこちで見かける。そのオープンさはあっけらかんとして日本以上に堂々としている気がする。

 あるとき、キャンパス内の路上で堂々とキスをしているカップルがいた。入学したての純情な1年生達がその姿を見ないように、テキストで顔を隠しながら恥ずかしそうに通り過ぎていた。昼間からこういうのは珍しいが、夕方以降、特に寮に引き上げなければならない9時頃は別れを惜しむ恋人達のラッシュ時間だそうだ。

 真面目一徹な3年生の黄さんはこの風潮を「学校における環境問題」と言う。彼女によると、夜9時に図書館から帰って来たら、女子寮の前は恋人同士でごった返し、人目もはばからずキスしていて、ひんしゅくものだそうだ。大学でも注意しているらしいが効き目は全然ないばかりか、ますますエスカレートしているとのこと。彼女は風紀委員でもないのに、プリプリ怒りながら、「公の空間意識がなく、わがままに自分の事をして他人の邪魔をしている。親が見たら何と言うでしょう。」とまで言う。
 こういう子は、あまり日本では見かけなくなっていると思うがどうだろう。ちなみに彼女は色白で愛らしい大きな目をした、天然パーマの巻き毛がとても似合う、「エースをねらえ」のお嬢さまみたいな子だ。親が聞いたら泣いて喜ぶようなこうした意見は、実は、ここの大学生の多数派を占める。受験勉強で一応勝ち組の大学だからだろうか。

 日本語学科の学生達も、誰とも付き合っていない子がほとんどだそうだ。3年で一組だけ、常に最前列に座るカップルがいるが、彼らはいつも二人で勉強している。成績もいい。付き合い出したきっかけは、彼女が「名探偵コナン」好きだと知ったコンピューター名人の彼が、毎回「コナン」をダウンロードしてあげて彼女の心を掴んだそうだ。彼女は「私たちが付き合いだしたのは、コナンが532回目の日でした。」などと言い、今でもコナンを生活の中心に据えている…。
 しかし、そんな彼らにも、青春の光が徐々に射しつつある気配が、日記に綴られている。私が読むと分かっているのに、率直に書く彼らは本当に純情で正直な人たちだなあ。
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やがて哀しきプリンター 2010/11/28  No.17

2010-11-28 20:49:17 | 中国事情
 南昌に来る前、大学のシンペイ老師に授業用機器について質問したところ、個人的に使えるのは宿舎の書斎にに備え付けのデスクトップ型パソコンと、テープレコーダー、CDラジカセは日本語学科にあるとのことだった(この間テープレコーダー、CDラジカセは試したが、2台とも壊れていた…。)。
 長年、大阪の公立学校の教員をしていた経験が私に(印刷機とパソコン用プリンターは、職員室に備え付け)という勝手な決めつけをさせていた。しかし、何回かのメールで、①職員室はどこにもない。②印刷はお金を払って自分でする。ということが確認された。その後プリンターは個人用に買ってもらえることになり、約束通り、新学期早々にシンペイ老師が、どこかで買って運んできてくれた。

 日本語学科の教師は中国人4人+日本人1人=総勢5人だ。5人で1部屋使えたら、どんなに便利だろう。その部屋に、資料や各自のデスクを置き、パソコンを置く。プリンターは2台あれば良し。印刷機も1台でいい。こんなことがなぜできないのだろう。中国人老師は「教師はみんな自分の授業が終わったら、さっさと家に帰ってしまうから、そんな部屋は不必要です。」と言う。そしてプリントなど学生にあまり配らず、ひたすらパソコンに打ち込んだ内容をスクリーンに映し出し、学生にノートを取らせるようだ。

 教室はスクリーンの文字を映すため常にカーテンを閉めて、暗い。
初め、真似して私もUSBメモリーに授業内容を入れていき、暗い教室のスクリーン授業をやっていた。自分は常にパソコンのモニターをにらんでいる。これはすぐさま止めた。あほらしい。こんな事をするために中国に来たんじゃない。
私の授業ではカーテンを開けると宣言した。今は明るい教室で、学生の顔を見ながら授業をしている。

プリントについては最初、印刷代がもったいないなどと、けちくさいことを考えたが、そんなことをけちってどうする。日本の学校でも、自腹でいろいろ持ち込んでしていたじゃないか。同じようにやろうと思った。老師は「学生から印刷代を取ってください。」と言うが、学生の実家は農家が半数を占めている。農民は全然金持ちじゃないどころか、中国格差社会で非常に苦しい生活を強いられている。1ヶ月どんなにたくさん印刷したって、200~300元ぐらいだ。ここでは生活費だって安いんだし、今の私には給料から余裕で払える。

 私はほぼ毎日8時半のバスで宿舎前を出発し、約15分で日本語学科のあるキャンパスに到着する。9時前には控え室として使用を許可された1階資料室に荷物(ノートやらで非常に重たい)を置き、取りあえず2階廊下に設置された給湯機から熱湯を汲んできて飲む。一息ついたら、宿舎でプリントアウトしたものを資料室の並びにあるコピー屋さんでクラスの人数分コピーしてもらうことにしている。全く日本語も英語も話さない彼女とは、主に筆談だ。それでも十分仲良くなる。キャンパスのどこかで会うと、必ず「老師~!」と声を掛けてくれる。

 そんな暮らしが板についてきた今日この頃、プリンターのインクが少なくなってきた。そこで、インクカートリッジを交換…、と思うのは日本の常識。ここ中国のプリンターはCANONだが、インク交換方法が日本のキャノンじゃない。初めの備え付けカートリッジの一部にほじくって穴を開け、そこに小さいインクポンプの先を突っ込み、プチュプチュと押してインクを注入するのである。1回目は手が真っ黒になり、あげくに取り出すときにポンプの先が折れて、備え付けカートリッジに入ったまま取れなくなった。
2回目にインクを補充するときは、さらに穴をほじくって拡大し、次のインクポンプの先が入るようにした。大阪から持ってきた軍手をはめて臨んだ。しかし、やりづらかったので、すぐ取った…。 インク補充は上手くいったかに見えたが、印刷にムラができた。めちゃくちゃ苦労してこの態だ。
今は、印刷ムラの部分を手書きで書き足して授業準備をしている。非常にカナシイ。
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中国の学生の勉強法  2010/11/27  No.16

2010-11-27 21:52:29 | 中国事情
 ここ南昌に来る前、以前南昌市の大学で日本語教師をしていた先輩が、「中国の学生はとにかく暗記、暗記、丸暗記ですから。」と教えてくれた。

 来てみると、やっぱりそうだった。学生の日記に「朝食後、7時15分から単語の暗記をした。」とか「朝、外で朗読をして暗記した。」などと書いてある。天気の良い日には、芝生に座って声を出して本を読む学生の姿も頻繁に見かける。私が大学生だった頃にも見たことがないような牧歌的な風景が、新鮮な清々しい印象で目に留まる。服装も、おしゃれだけれど日本の若者と比較すると、数段地味だ。本当に真面目な大学のキャンパスに見える。
  
 実は私も、語学に関しては基本的に丸暗記型だ。日本語教師養成講座の講義では、様々な語学学習法の中で丸暗記法は前近代的であり、あまり褒められたものではないように書かれていた気がする。しかしながら、たった1年間だけのおばさん留学体験で私が少しでも外国語(英語)が上達したとすれば、それはプレゼンテーション前の必死の暗記であり、日常的にも何度も忘れ、書いて暗記、唱えて暗記、また忘れてまた暗記を繰り返したことによるものだ、と確信している。

 ここの学生と嗜好が一致した私は、日本語で「あいうえお」を習ったばかりの1年生にも容赦なく宿題で20個の単語暗記を出す。週にたった一回の授業だ。20個じゃ追いつかないくらいだ。
翌週ミニテストをする。初めの週は35点だの50点だのが何人もいた。「信じられない低さだ!」と叱った。私は中国語が使えない。彼らはまだ日本語が分からない。仕方なく英語で授業をしている。英語ではどれくらいきつく言ったら良いか微妙なニュアンスが分からない。学生はズケズケ言う酷い先生と思っているだろうな。上手に修辞を使えるほど英語が堪能ではないのだ。
しかし、その翌週のミニテストでは、最低が80点。パーフェクトもたくさんいた。
ほら見てみい。やればできるじゃないか。
でも、一枚ずつ間違いをチェックすると、漢字は「お兄さん」と正解なのに読みがなが「おとうとさん」「おにんさん」になっていたり、「奥さん」と書かなければならないのに「奥」だけしか書いてなかったり、「あね」を「あぬ」「あれ」、「お父さん」が「おとえさん」e.t.c.
文字も覚え立てな学生が必死で覚えている姿が浮かんでくる。かわいい。
「出掛ける」という動詞を「そこまで」と書いた子がいた。申し訳ないが涙が出るほど笑った。

 ここでついでに教科書の文句を言っておきたい。だいたい、「みんなのにほんご」という教科書の定番があるのに、この大学では「簡単すぎる」という理由で今年度から中国の教科書を使っている。しかし、「出掛ける」などと急に難しい動詞が先に出てきて、肝心の「出る」はまだだ。
あげくに「赤とんぼ」「ゲロゲロ」など、1年生にあわてて教える必要がない単語が随所にある。なぜ「ゲロゲロ」が?!毎回「I hate this textbook!」と言いながらやっている。


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床から土が…。  2010/11/24  No.15

2010-11-24 22:36:38 | 中国事情
 9月にさんざん部屋の文句を書きまくったので(註:exciteブログ「毎日がちょっと冒険」を見られたら見てね)、もう書くまいと思っていた。地元の中国人職員の宿舎に比べて数段立派なのに、これ以上文句を言ったら罰が当たると感じたので。

 しかし、ここ最近床を見るとため息が出る。ああ~、今日もまた…。何のことかと言うと、床に白っぽい土が、拭いても拭いても湧いてくるのだ。どういう訳か目覚まし音の時と同様に、私はまず2階の優しいメルダッドさんを疑ってしまった。(上でドタバタ歩くから土が知らないうちにハラハラと落ちてきているに違いない)と。実際にはそんなに足音は聞こえない。それに天井にひびも入っていない。髪の毛に土埃が付着することもない。変だなあ、と思いつつモップをかけていたら、見た~!!な、なんと、風が強く吹くとそのたびに床の隙間から土がフウッっと吹き上がって来るではないか!

 雑巾がボロボロになるまで一生懸命拭いても、すぐに薄汚れる原因がとうとう判明した。と同時に、(ここには長居できない)と思った。日本に帰るとは言っていない。2階以上のどこでもいいから引っ越すのだ。オフィスの話では来年になれば4階が空くそうだ。英語教師が一人辞めるらしい。約3ヶ月きれいな部屋にするために、日本の友人の皆様にタオルやら除菌スプレーやら送ってもらったが、もうエエワ、こんな部屋。本棚や寝室の洋服ダンスの異様な臭さもようやく解消されたけれど、床から土埃とさらに恐怖の冷気が吹き上がってくるのではかなわない。

 昨日、学生が「先生、“諦めが肝心”てどうしてですか。粘り強く努力するのが肝心じゃないですか。」と聞いてきたが、まさにこの状況は“諦めが肝心”シチュエーションだ。
 そうと決めたら、今度の部屋はどんな部屋かちょっとワクワクするなあ。
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学生の日記から② 2010年11月23日    No.14  

2010-11-23 16:04:11 | 中国事情
 昨日の学生の文章は、私がクラスで学生達に呼びかけた「日中(中国では“中日”)メールで友達大作戦」に感じるものがあって書いてくれたものだ。「メディアの報道を鵜呑みにせず、自分たち自身が知り合いになり、情報を交換し、友だちになろう。」と言った時の学生達の率直な反応は心底嬉しかった。このブログを読んで「そりゃええな、私もその話に乗るわ。」という人が、もしいたらご一報を!日本語学科の学生たちなので、日本語O.K.ですから~。
合い言葉は“いちゃりばちょーでーメールで友達!”
連絡は nijinokanata_2*yahoo.co.jp(*部分に@を入れてね)まで。

 さて、今日も日記を一つ紹介しよう。自分としてはきらめく珠玉作をたくさん載せたいのだが、誰のブログか分からなくならないように、チビチビ小出しにするのであ~る。



 「新聞を読んでから」(黄 ○麗)

 日本語能力一級試験が目の前に迫って、クラスメート達は試験勉強のために頑張っています。私も例外ではありません。毎日単語を覚えたり、文法をお復習いしたりしています。本当につまらない生活ですね。つまらないと言っても、私は勉強することが好きです。今の勉強の辛さこそは、将来の幸せの源だと思います。
 授業のない日、二人の女子友だちと一緒に図書館で自習しています。普段は2階で勉強しますが、たまに4階に行って新聞を読みます。
 私は「参考消息」と「環球時報」という新聞が好きです。この両方とも世界中の大きなイベントを掲載しています。
 新聞によって、私はいろいろなことを知りました。最近の経済問題とか、国際政治情勢とかよく載っています。政治、外交というものは本当に不思議なものだと思います。私には理解できません。政府は政府ですけど、外国新聞に掲載された文書を読んだときは、悲しく感じました。
ある国の国民のレベルが上がると同時に、またある国の国民はまだ貧乏な状態にいます。このようなニュースを読むたびに涙が出てきます。私は田舎の出身で、両親の辛さはよく知っています。だから、他の人の辛さも身につまされます。
 最近まで私はほとんど新聞を読みませんでした。毎日自分の幸せに浸っていました。しかし、今心の奥であるものが、目覚めてきています。いったいどんなものなのか、私は言葉では表せません。
 私はただの一人の女性の大学生ですが、自分の力を尽くして不幸な人間を手伝いたいんです。私は中学生時代からマルクスが『資本論』で描いた共産主義社会に憧れていました。その理由は、我が国が社会主義イデオロギーの国だからではなく、その社会で全世界の人間が幸せに生活できるからこそです。これからは努めて、少しでも不幸な人を手伝おう。
 さて、話は遠くへ行きましたね。取りあえず、まずは自分の夢を叶えるために頑張ります。


 ・・・マルクスが描いたユートピアの話を、私も忘れた訳ではない。ただ、あと何百年かかるか分からないのと、その前に地球が破滅する心配の方が先に立つだけである。しかし、中国の地方大学の図書館で外国の情報を一生懸命読んでいる学生の姿を想像するだけで、何か胸が熱くなるのは私だけだろうか。
(ブルーハート)
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学生の日記から① 2010年11月22日    No.13

2010-11-22 18:38:23 | 中国事情
 昨日まで目をつり上げてテスト作成をしていた。終わったとたん熱が出て、奥歯も疼き、取りあえず作文の添削もせずに布団をかぶって寝た。
今日改めて学生の作文を読むと、なんだか嬉しくなった。2人ほど紹介したい。長いので今日一人、明日も一人ということで~。

 「意識の流れに沿った考え事」 範 夢○

 能力試験が近づいているとともに、みんなは日ごとに勉強に励んでいる状態だ。どんなときに日記を書きたいかというと、「心が乱れて静めたいとき」が正解だと思う。今学期が始まって以来、進学のことにずっと迷っている。はっきりしたことは分からないが、何しろ1級試験の成績がごく重要だと言われている。能力試験の準備をきっかけに、自分の日本語を一層上達させるつもりだ。
 7月の1級の成績から見ると、聴解は穴だ。日本語勉強のウブサイトで、聴解のネタとしてNHKニュースを聞いている。もう大学生だと言っても、殆どみんな時事に関心を持っていない。自分もそうだ。普段テレビを見ないので、どこで何があったか一切知らない。
 でも、最近のNHKニュースを聞いてからというもの、気分が重くなった。もちろんニュースを聞くだけで内容は3分の1しか理解できないので、そのニュースの原稿も読む。(原稿というのは、日本語の達人の方がニュースをよくよく聞いてから、その内容を記したものだ。)
 今、中日関係はぎくしゃくしているようだ。この状態は両方にとって良くないと思う。こうしたあげく、将来留学ができなくなるかも知れないと考えたこともある。
 英語では“No news is good news.”という諺がある。日本語の同じ意味の言葉は何だろう?「便りのないのは良い便り」かな。今テレビやインターネットで流れてくるニュースは、悪いニュースばかりなので、中日両国の普通の人たちはこんなニュースを見ると、腹立つことも免れないだろう。従って、両眼は怒りで覆われて、仲はさらに悪くなるだろう。(う~う~)(←註:ほぼ同じような絵が描かれていた)
“No news is good news.”は、角度を変えてみると、逆にいいことはニュースに載せないということだと思う。
 大学入学以来、いろんな日本人の先生に会いました。大阪からの親切なお爺さんや優しい女の先生は、いつも学生達と一緒に買い物したり、遊んだりしている。週末は元々先生方の休憩時間なのに。先生方は自分の時間を犠牲にして、学生の話す能力を高めるために、日本語コーナーを作った。うちの学院(註:日本語では学科)に小さい資料室がある。そこにいろいろな種類の日本からの原版本がある。以前ここで働いていた日本人の先生は、自分の懐を痛めて、こちらの日本語学科の先生と一緒にその資料室を作った。これらの本を読むたび、心から、心から感謝の気持ちで一杯になる。
 同じように、私たちはいろんな日本の方が中国にいる間、熱情を傾けてもてなす。(こんな事を自分の口で言うのははずかしい!)日本の方々はどう思うのか、分かるとは言えないけど、でもちょっと嬉しい気持ちがあるだろう。
 ところが、以上の良いことはホンマに小さくて、全然ニュースには載らない。ただ、このような小さなことからこそ、私たちと日本人の先生は、両方の考え方や気持ちが分かるようになった。どうしてニュースの中では、両国の友好のことを載せないかね。
 今回の紛争に対して、極端に走る人もいるそうだ。「前車の覆るは後車の戒め」。過去から教訓をくむべきだと思う。過去はいろいろ悲しいことがあって、両方の心に深い傷が残っている。両方は決して過去を忘れられないと言っても、ひたすら過去に拘ると、将来の発展を語ることができない。
 私はただ人並みな学生の一人として、日本の方に中国の他の面を知ってもらいたいと思う。

 P.S.今日授課の時、先生の話にちなんで、涙が出るほど感動して、以上の内容を書いた。(「泣き虫の娘だね」と思っているでしょう。)もし、日本の方がみんな先生のような人であれば、双方はきっと相互理解が実現できると思います。「平和・友好」という四つの文字を胸に刻んでいます。このような世界が来るまで、ずっと心から願ってやみません。
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この時間感覚の差!   2010/11/14  No.12

2010-11-14 08:17:37 | 中国事情
 現在非常にあせっている。木曜日の夜、助教(仕事上で私をサポートしてくれる先生)のシンペイ先生から電話があった。
「先ほど、大学から連絡があり、一学期末テストを22日までに、各教科3部ずつ作成して提出するように、とのことです。」と言う。
ちょ、ちょっと待ってよ。私は1年会話、2年会話、3年文学、3年作文、4年ビジネス日本語、と5科目も担当している。それそれ3部作るということは、5×3=15 ヒエ~~!信じられな~い!!22日までえ~?!
なぜもっと早く言わないのか。
 これは今回だけのことではない。とにかく何でもギリギリの間際になってからだ。
1「明日新着の先生歓迎パーティーをしますから。」(前夜のメール:外国人教師用オフィス)
2「先生、明日先生の家に行っていいですか。」(前夜の電話:純真な学生)
3「部屋の引っ越しの件ですが、今日10時に見に行きませんか。」(当日朝8時の電話:老師)
 (1年生の時間割のお知らせが一週間前なのにまだ来ない)とやきもきするのは、日本時間の発想なのだ。
 また逆に、遅延することもよくある。
3時半からのはずのスピーチコンテストが4時半になったり、日本から来たエライ先生(立命館大学の教授2人)の講演(9時50分集合)が、学生や私が延々待つ中、なんと11時からの開始になったり、5分、10分の可愛い遅れではない。
「2人の先生は、今学長と懇談中です。」と言われ、思わずでかい声で「信じらんな~~い!」と叫ぶと、学生から笑いが起こった。学生達はみな日本語学科なので、日本語がわかる。一言も文句を言わずじっと待つ学生達の心中はその笑いに表現されていた。日本語能力試験ももう間近、朝から図書館に籠もって勉強したいだろうに。

 中国悠久の時間意識が、忙しい現代の生活の中でゴチャゴチャになっているのか。あるいは、そんなに綿密に時間設定しなくても、適当にやればいいということなのか。どちらかというと綿密に準備したいタイプの私は、この唐突な時間の連絡や大幅遅延に戸惑うばかりだ。これにはまだ慣れていない…。
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目覚ましの音    2010/11/13    No.11

2010-11-13 09:32:24 | 中国事情
 初めは、二階に住むメルダッド(オーストラリア人)が、朝っぱらからテレビをガンガンつけているのかと思った。(毎朝、毎朝、中国語で何の番組を見てるんだ。かなり一階まで響いているんですけど!)と、プリプリしながら起き出していた。
 ある朝突然わかった。音は外から聞こえてくる。さらに注意して聞くと、月曜から金曜までの朝6:45から7:00までの15分間だけ流れてくるのだった。
 ここは江西省立○○大学の4つあるキャンパスのひとつだ。そのうち3つには、それぞれ教室・食堂・図書館・体育館などのほかに学生寮・教員寮・職員寮・銀行・店舗・店舗の人用寮などがあり、キャンパス内で生活できる空間になっている。私は外国人教師専用寮の一階に部屋をあてがわれて住んでいる。
(うるさいな~)と思っていたのは、学生や教師が寝坊をしないように配慮しての目覚まし音だったのだ。
 すごい配慮…。どうせなら清々しい音楽とかをかけてもらえないものか。何をいってるのかサッパリ分からない、男性の(多分人民に)何かを訴えるような朗々とした声に続き、女性が哀愁を帯びた切々とした感じの大声を出す(拡声器だから当然大声になる)。最後は中国国家を讃えるときにかかるような大音響の音楽で締めくくられる。
 何でも慣れるものだ。私はこの目覚まし音で起こされるのを避け、毎日6:30に目が覚めるようになった。目覚めた状態で聞くと、そんなにまで腹立たしくないからだ。
 私が従来大切にしてきた静かな個的空間は、ここでは目覚まし音の他にも、早朝から夜遅くまでの誰はばかることのない話し声など、かなり制限を受けている。しかし、ひっくり返るほどの怒りは、もはや湧かない。慣れてきたのだ…。
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南昌市民は大阪人? 〈その2〉   2010/11/10  No.10

2010-11-10 19:18:08 | 中国事情
 日本国内での大阪人の評判はどうだったろう。世間の声や自分の記憶をたどってみると…。
①大きい声で日本中どこでも大阪弁で通す。
②ルール、マナーを守らない。 
喫煙制限に頑固な抵抗をしたり、電車が来たら我も我もと、列を乱す。
近年、平松市長自らが積極的にアピールして「犯罪多発シティ」を返上すべく頑張っているので、「ひったくり日本一」はもうどこかの自治体に移譲したかも知れないが、それでも「大阪」という名前を聞いたとき、品行方正というイメージを浮かべる人はいないと思う。
③とんでもない身びいき屋。
以前、大阪弁バリバリの人に「あんた、訛りあるね。」と大阪アクセントで言われ、開いた口がふさがらなかったことがある。「大阪が世界の中心」と信じている大阪人に、まだ時々会う。思っていないと思っている人でも、その発想だな、と感じるときがある。(かく言う私は18歳までは北海道人、その後京都、兵庫、そして大阪と転々としてきた流浪の民である。どこか一箇所だけから物事を見ることができない。従って、大阪中心主義とは相容れない。)
身びいきと言えば、阪神タイガースファンだ。わざと身びいきぶりを演じているフシもある。あるファンの人に甲子園球場に連れて行ってもらったことがあった。阪神ファンだというだけで、許し合い、認め合う雰囲気が満ち満ちていた。自分もファンだ、と思えたらきっと楽しいんだろうなと感じた。

 あれ?思い出せば出すほど、大阪ってひどいとこみたい。でも、私は大阪が全然嫌いじゃない。私だけでなく、日本人全体から見ても、この行儀が悪く、無法者で、しかも自己陶酔して喜んでいる大阪の人のことを、どこか憎めない面白い人たちととらえているのではないだろうか。それは何故なんだろう…。 

 つらつら考えるに、一つはやっぱり、良いも悪いも自分はこういう人間だ、ということを遠慮せずにさらけ出すその態度かな。決められた規則はどうしても守らなければ…とは思わず、「なんでやねん!」と権威に対しても物怖じせずツッコミをいれるその姿は、お上には逆らえないと我慢を重ねてきた他の日本人の多くから見れば、異色である。ちょっぴり、憧れの存在なのかも知れない。
あと、よく言われるのは、他人との距離感覚が近いことかな。電車に乗っていて、隣に座った見知らぬおばちゃんから「今日は寒いねえ。」と声をかけられたり、マンションのエレベーター内で「暑いですね。」「ホンマ、もう夏いらんわ。」など、見知らぬ者同士が気さくに話を交わすのは全然珍しくない。
つまり、オープンマインドということだろうか。
こういう話はステレオタイプの危険な内容なので、ここで、決して全大阪人がこういう人たちな訳ではないと、当たり前の念押しを書いておかなくちゃ。

 南昌に話を戻そう。ここ数ヶ月見た限りだが、
①バスに乗れば、全く周囲に構わず大声で会話、「ウイ?」と携帯電話に出た人が、「あ、今バスに乗っているからまた後で…。」と気兼ねして切る姿は一度も見たことがない。「ええ?なんだって~?バスがうるさくて聞こえへんわ(なぜか大阪弁)。また降りてからね!」と大声で言って切った人は見かけた。みんな、喋るわ喋るわ。ワーワーワーワー言ってへっちゃらだ。
②バス停で待つ人々に順番意識はない。バスが来たら、子どもも大人も男も女も我先に乗る。私はいい大人の男が、私の前に割り込むように乗り込むのを見ると腹が立つ。子どもも同様だ。あげくに、バスの座席に座っていたら、後部座席から「ガーッ、ガーッ!」と痰を切る音…。自分の頭に吐きかけられたらどうしようと気が気じゃない。 
ここまでは、まるで大阪暮らしと同じだ。あ、背中での痰切りは大阪にはないですけど。

 一つ、大きく異なるのは、南昌市民は自分とこが一番とは決して考えていないということだ。上海、北京、そして海外にいくらでもより豊かな暮らしをしている人々がいることをよく知っている。そして、豊かで快適な暮らしに憧れ、近づこうとしている。
 私が日本人だと知ると、「ええ?一人で来たの!私も外国暮らししてみたいわ~。羨ましい。」(学校の食堂の同じ年ぐらいのおばちゃん)、「老師、日本の資生堂って知ってる?使ったことある?一つ幾らぐらいするの?300元か~、高いなあ。」(学校のコピー屋さんの女の子)、「日本の服はやっぱりどこか違うわね~。素敵~。」(日本語学科の事務職員さん)と、おしなべて日本または日本製品に一目置いた発言が目立つ。なぜ中国語が分からないのに、発言内容が理解できたかって?食堂のおばちゃんは学生の通訳、コピー屋さんとは筆談、事務職員さんも通訳を介して、ということで適当に想像した訳ではない。

 もう一人、ある日本語学科の学生に、来たる12月の日本語能力試験対策本を貸してあげた。実は、彼女は7月の試験ですでに1級試験(N1)に合格している。しかし、成績が満足できるものではなかったと言って、もう一度受験するのだ。私がクラス用に準備した4冊の参考書や問題集を全て終えたので、予備に持っていたのを貸したのだ。
 次の日、彼女からメールがあった。「やあ~、この本は本当に良いですね!まず手触りがいい。紙がいい。そして赤いプラスチックで文字を隠すあの工夫!!本当にいい本だなあ~!!」と書いてあった。中国の本は教科書でも何でも紙の質は決して良くない。カラーなどない。黒一色。誤字がそこここにある。彼女のように真面目な中国の学生が、日本の設備の整った環境で勉強したら、どれほど良いだろう、と間違った考えが一瞬頭をよぎる。

 大阪とはここが決定的に違うと思う。いくら不況で生活が苦しいといっても、大阪には物が溢れている。南昌の暮らしはもっとずっと質素だ。屋台の果物屋の女性達は誰も化粧せず、顔が日に焼けている。日焼け止めクリームはとても高い。学生達は日傘をさして歩けるが、荷物を抱えて炎天下働く人たちの顔は黒光りしている。もう冬も間近なのにまだ真っ黒だ。積年の日焼けで少女の頃の白さには、もう戻らないだろう。
 そして、元気度について言えば、絶対南昌のほうが上だ。大阪の元気は物の洪水の中でふやけつつあるのではなかろうか。
日本のことを考えると、いつもちょっと寂しくなる。がんばれ~!大阪!がんばれ~!日本。
そして、南昌は日本の轍を踏まないで欲しい…。それも無理なのかなあ。
 





 
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南昌市民は大阪人? 〈その1〉   2010/11/09  No.9

2010-11-09 16:50:41 | 中国事情
 南昌に来て早2ヶ月半。スーパーでもあまりキョロキョロばかりしなくなった。信号無しの交差点も今は悠々と渡れる。こういうのを「慣れてきた」と言うんだなと感じる今日この頃。人々の表情をも少しだけ余裕を持って見ることができるようになった。すると、(なんか、この人どっかで見たことがあるような…)といった場面が結構あることに気がついた。
 そうなんですね~。ここ南昌の人たちは、私の日本での居住地である大阪の人たちと、する事なす事かなり重なるんです。

 代表選手は「ミズ・劉」だ。彼女は私の宿舎の管理人。年の頃50~60歳。大体私と同じくらいだと思う。
先日、彼女はベランダの防風カバー取り付け工事が上手くいっているか、外国人教師たちの部屋をあちこち見て回った際、私の部屋にも立ち寄った。
 私は中国語がほぼ分からない。しかし、せっかく来てくれたのだから何か話さなければ、とあせって「私、好きです。これ。」と防風カバーを指さし、後は何故か英語で「何故ならば今まで毎日、土埃が入って嫌だったから~。」と続けた。
 彼女は英語が分からない。しかし、鷹揚に(分かる、分かる)とうなずき、興味深そうに台所をのぞき込んで「ご飯食べた?」と聞いた。彼女が来る少し前にレーズン食パンを焼きもせず、そのままムシャムシャと食べていたので「食べた。」と短く答えた。(技術上長くは話せないからだ。)
 これだけでも私にしてみれば、一生懸命の中国語会話だ。それで帰ってくれるかと思いきや、さらに「何を食べたの?」と聞くではないか。そんなに親しい間柄ではない。それでも、ミズ・劉が台所をキョロキョロのぞいたり、私に何を食べたか尋ねたりすることは、全く嫌ではなかった。
 実は、それは私を含め「大阪のおばちゃん」と呼ばれる人たちの行動様式とほぼ同じで、私にとっては、まさに慣れ親しんだご近所さんのように感じられたのだ。

 数日前、私が近所のスーパーで防寒長靴を買い、帰ってきたら、彼女は管理人室前で仕事をしていたが、手を休めて、「どれどれ、どこで買ったの?南昌市内?あら、そこのスーパー?靴の中はどうなっているの?ふむ、温かいわ。良い買い物したわね~。」みたいなことを言って長靴の中に手を突っ込んで確認までした。おもしろかった。
 中国語が分からない私に対して、彼女は諦めずに中国語オンリーで話しかけてくる。私が部屋のいろいろなトラブルを訴えて行ったときも、「『ミズ・劉、我有問題。』はい、言ってごらん。」と中国語の指導をしてくれた。ここに住んでいるのは私以外、全部英語圏の人々だが、彼女の態度は全く変わらない。
 言葉もめちゃくちゃな外国人教師達のワーワー言う訴えに、「没問題、没問題。」と流しつつもチャッチャと動き、この宿舎3棟を背負って立つ彼女の姿は、喋くりながら陽気に頑張る大阪のおばちゃんそのものだ。と言うか、世界中のおばちゃんはきっと皆同じなんだ。 
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“南昌はこれからいい季節・・・”じゃないから~!! 2010/11/07  No.8

2010-11-07 14:13:52 | 中国事情
 昨日、日本の大阪からメールをもらった。南昌はどこにあるか、地図を見て確かめてくれた様子で、次のように書かれてあった。
「南昌は冬はないのですか。沖縄と緯度が同じくらいだから、これからいい季節になりそうですね。
この文を読み、私は椅子からへなへなと崩れ落ちそうになった。
(うう、こ、この人は私が今も痺れるような足の冷えとタタカイながらパソコンに向かっているのを、あまりにも、あまりにも知らない…。)
 もちろんこのメールの主が、純真に目をキラキラさせ、地図を見ながら想像してくれたのは容易に理解できる。当の私とて、初めて「江西省で仕事」と決まったときは同様だった。「揚子江より南。あったかいな、ラッキー!」と。
 その後、大学の老師や南昌の日本語教師諸先輩からの情報で、次のようなことが分かった。

“南昌は夏は京都より暑苦しく、冬も京都より底冷えする盆地だ。唯一北の方は山がないが、代わりによく洪水が起きる。夏の湿度は酷く、気温は40度を超すこともまれではない。しかし、公式記録は39.9℃を超えることはない。なぜならば「40℃を超えると仕事をしてはならない。」という国だか省だかの決まりがあるからだ。地熱43℃、大気39.9℃などの発表方法もある。昼時は、12時から2時まで昼寝タイムがある。秋・春と呼べる時期はほとんどない。夏からすぐ冬に、冬からすぐ夏に直行する。冬は雨ばかり降り、しかも内陸からの冷たい北風も常に吹いている。・・・”

 ということで、今は夏から冬へと直行している真っ最中だ。2週間ほど前に、一度強風が吹いた。すでに十分冷たかった。なのに学生たちは「先生、今日の風はまだまだ暖かいです。これから顔に突き刺さるような、骨まで凍る風が吹いてきますから~。」と言って私を威嚇する。でも、いつでも心が温かい彼らは、気温が低い朝には必ずメールをくれる。「先生、今日は寒いですから、たくさん服を着て学校に来てください。」と書いてある。だから、私はどれだけ凍えても、ここで冬を乗り切れそうな気になっている。
あ、でも箱いっぱいに送られてきたユニクロのヒートテックとカイロが最大かつ具体的な支えであることは言うまでもない。  フミちゃん、ユミコさん、この場を借りてm(_ _)mです。
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車いすでは通れない道  2010/11/4  No.7

2010-11-04 20:55:03 | 中国事情
 兵庫の尼崎や西宮で主に活動しているホンワカのんびりバンドがある。「シャーシーバンド」という名前だ。メンバーの何人かは車いす生活者だ。半分本気で、ここ南昌でライブをしてもらえないかなあと考えていた。しかし、毎日歩いていてこの道、この建物では無理だという結論に達した。

 歩道が問題だ。すごい段差だ。20~30cmぐらいか。「よいしょっと!」と掛け声をかけなきゃならないところもざらにある。
 歩道の上に当たり前の如く異物があったりもする。例えば宿舎から一番近いスーパーまでちょっと買い物に行くのでも、学校の門を出て左折するやいなや、歩道の上に1m四方、厚さ10cmほどのコンクリートが張り付いている。
慣れないうちはそれを見る度にギョッとなり、何度も自分に(けつまづくなよ、骨折しても言葉分からんから病院に行かれへんねんで)と言い聞かせつつ慎重に横を通り過ぎたものだった。なぜあんなものが歩道にべったり張り付いているのか、いまだに分からない。工事中の壁がとんできたのかなあ。
 歩道が終わるところの段差がキツイと感じる人は決して私だけではないことは次のことからも分かる。歩道の終わりが何かで叩き壊されて崩れ、したがって段差も崩れて通りやすくなっているのだ。歩道を作る時、なぜこれくらいのことが分からないのだろう。それが不思議だ。

 随所にそうした(何考えてんねん!)という設計がある。
今日も学生の一人と校舎の廊下から昼の食堂へ急いでいたときだ。遠くからは廊下の終わり方が何か唐突に見えたが(きっと端まで行けば階段が2、3段あるのだろう)と善意に解釈してというか、日本での暮らしで身に付けた思いこみをもってというか、とにかくTHE END OF THE 廊下までペチャクチャしゃべりながら進んで行った。何もなかった。飛び降りるようにその廊下から外に出ながら、ついつい「信じらんな~い!」と叫ぶと、その学生は「中国はバリアフリーは一つもありません。発展途上ですから。」と微笑みながらも、ちょっぴり情けなさそうに言った。「でも、きっと将来中国は良くなります。」と彼女は力強く続けた。私も本当に早くそうなることを願う。

 車道についても、おや?と思ったことがある。
人通りが多い所には車道を横切って、端から端まで幅30cm、高さ10cmくらいの一本の太い棒みたいなのが張り付けてある。20mほどの間隔で何本もあるので、スピードを落とさずに走ると当然派手にバンピングする。それを避けて車はソロソロと低速で進む。
「そんなものを道路に張り付けなくても制限速度を守ればいいんじゃないの!」とプリプリ文句を言う私に学生たちは、「中国は発展途上ですから。交通ルールはまだまだ浸透していないんです。」と穏やかに中国を代表して釈明するのだ。
 習い覚えた丁寧体の日本語で一生懸命説明したり、恥じ入ったりされる度に私は、学生たちに申し訳ないような複雑な気持ちになってしまう。中国に生まれ育ったのは彼らの選択ではない。しかし、彼らはいつも健気に中国を背負って立ち、愛する中国の現状と課題を(もちろん、言えることと言えないことの判断もきっちりしつつ)、いざとなればいつでも日本に帰ってしまう私に対して、目をキラキラさせながら語るのだ。

 ところで、8月末にこちらに着いたころは、朝っぱら早くからとてつもないバンピング音を出しながら走っていく胴体の長いトラックの騒音に、やはり「信じらんな~い!」と叫んでいたが、ふと気がつけばこの頃あんまり気にならなくなっている。慣れるか病気になるか、どちらかを選ぶとき、私の体はいつも、あっという間に慣れる方を選択している。これも長い人生の中で鍛錬し、体得してきたのか。
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中秋節   2010/11/03  No.6

2010-11-03 20:43:30 | 中国事情
 少し前のことになるが、9月22日~25日まで中国全土は中秋節で学校、職場ともに休みだった。
(十五夜の月見を祝日にするのかあ。風情があるなあ。それにしても4日間も休みとは長い…。)とぼんやり思っていた私に、学生たちはその日が中国人にとっていかに意義深い日であるのかを作文で教えてくれた。今日は、3年生の書いた「中秋節」の作文を紹介しよう。EXCITEブログに載せた2年生の文と、また一味違うので、見ることができる人は比較して楽しんでね。当の私は接続をカットされた状態で近づけないけど…。

 (黄 ○)
 今年の9月22日は中国の伝統祝日―中秋節だった。中国では、中秋節は昔から春節とともに、一家団欒の時として、とても重要な祝日である。
 もともと中国では、旧暦8月15日に月を鑑賞する習慣が古くからあった。そのころ、北半球では太陽と月の角度が観月に最もよい時節で、月がこの上なく明るく美しく輝くのである。
 中秋節に家族全員が星空の下に集い、月餅を食べながら月を観る。こんな風景を思うだけで心が温められる。
 大学生になってこの3年間、毎年の中秋節は親と離れた状態だった。この日になると非常に孤独を感じて、淋しくて涙が出そうだった。親に電話しながら、一人で月餅を食べたのは本当に悲しい思い出だ。家族と一緒に中秋節を過ごしたいなあ!
 

(王 本●)
 中秋節は中華民族の祝日の中の重要な一つです。この日になると、中国の人々はどこにいるかにかかわらず、家に帰って一家団欒の喜びを味わいます。実は私は今度、二年ぶりに家族と一緒に中秋節を過ごしました。病気を抱えて帰ったんですが、本当に楽しく嬉しい数日でした。父について買い物に行ったことも、兄と一緒に掃除をしたことも、母とともにテレビ番組を見ていたことも、全部昨日のことのような気がしています。
 今から振り返ると、心に深く残っているのは、私が家に着いたその時に、門のそばに立って私を待っていた母の眼の色です。その眼は、心配と偲ぶ気持ちがあふれていました。全中国の親たちは、私の母のように、中秋になると門のそばに立って遠くに散った家族が帰るのを待っているのでしょう。
 

(竜 秀○)
 中秋節といえば、小さい頃の思い出がはっきり思い浮かびます。おいしいお菓子を食べるとか、月見をするとか…。私にとっては、これらは貴重な思い出です。
 しかし歳月がたつにつれ、私は家族から離れ、一人で中秋節を過ごすようになりました。印象深いことがあります。一昨年大学に入ったばかりの時、私は一年生対象の軍事訓練をしていました。中秋節なのに連休もありませんでした。私はホームシックでたまらなくなって、大きな声で泣き出しました。今年もまた一人ですが、友達からあいさつのメールやお菓子をもらい、あまり淋しくなく過ごせるようになりました。いろいろ楽しいこともあります。
 とにかく、中秋節が大好きです。
 

(◎ 剣虹)
 秋雨連続の四日間でした。秋雨がしとしと降る中、この空気のじめじめした大学生寮で、私もルームメートたちもゴロゴロしていました。ゲームをしたり、ニュースを聞いたり、アニメを見たり…(はいはい、パソコンをいじってばかりでした)。
 祝日になると、雨も構わず外でブラブラしている人も増えたようにみえました。学食に行く途中も、幸せいっぱい、夢いっぱいのカップルだらけ。賑やかな雰囲気が満ちていました。それを損なわないように、私はまた、祝日気分ゼロの男子寮に戻りました。私って何と人間関係の乏しい奴なのかなと思いながらも、ルームメートの王さんとまたゲームをやり始めました。
 さて、中秋節と言ったらやはり、月餅ですよね。でも、こういう時期の月餅はいつもの何倍も高い上に、甘すぎておいしくないと、少なくとも私は思います。月餅はあまり好きではない、などと言っても、実は陳さんにおごられました。ありがとう、陳さん。


 う~ん、日本社会も昔こんな時代があったなあ。大学生のころ、故郷に帰らず年末は餅売りのバイトに明け暮れていたから良かったものの、一月一日の朝、全員が帰郷してすっからかんになった下宿で一人感じた、あのすがすがしいまでの孤独感をふと思い出した。家族団欒関係の行事は今でも苦手だ。そして運動会も大嫌いだ、関係ないけど。
コメント (2)
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