毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「今日、福島3町村で避難指示解除…」No.1907

2017-03-31 23:04:00 | 脱原発

山東省菏澤市の菏澤学院の今日、正午ごろ。

気温は13~14℃ぐらいで暖かく、コートを脱いでいる人が多くなってきました。

今日、日本では、

福島県内の3町村の一部地区を除いて避難指示が解除されましたね。

明日4月1日に解除される富岡町を入れると、

避難地域は最大時の3分の1になったとのこと。

しかし、対象となる住民22000人のうち、

帰還に向けた生活再建のための準備宿泊を登録している人は1300人余り、

たった6%弱に過ぎません。

避難指示解除ばかり先行して、住民が帰らないのは、当然、帰れないからです。

懐かしい故郷にどんなに帰りたくても、

安心して生活できる条件が整っていなかったら帰れません。

除染したので安全だから帰ってこいと言われても、

あの過酷な体験している福島の方々が、

そんな詭弁を信じられるわけがないです。

下の写真は富岡町で汚染土の袋が累々と積み上げられ、

広がっているところです。

環境省はこの土を緑地(公園も含む)の造成に使う計画を立てていると言います。

子どもが遊ぶ公園ですよ。

私たちはこんなにまで頭のおかしい政府を持っているのです。

日本の未来は子どもたちが担うのに、

子どもの命を何とも思っていない政府です。

こんな政府をこれ以上存続させたんじゃ、日本は早晩滅びるでしょう。


情報速報ドットコム(記事・写真・コメント)

 環境省が非公開の会合で、福島原発事故の除染土を公園などに再利用する案を検討していたことが分かりました。


報道記事によると、環境省は3月27日に行われた会合で「公園」の表現を避け、汚染土を「緑地」の造成に使う案を発表したとのことです。

この緑地には公園も含まれていますが、何故か環境省は公園という表現を記載しませんでした。

環境省はメディアに対して「緑地に公園も含まれる」と発言しており、都合の悪い部分を意図的に隠した可能性があると言えるでしょう。

福島原発事故で発生した汚染土に関しては今も量が増えていることから、政府が基準値を引き下げて再利用を促すとしています。


「公園」表現避ける 再利用で環境省公開会合
http://mainichi.jp/articles/20170328/k00/00m/040/094000c

東京電力福島第1原発事故に伴う除染で出た汚染土を公園の造成に再利用することを検討していた環境省は27日、「公園」の表現を避け「緑地」の造成に使う案を公開の会合で示した。

環境省は取材に対し「緑地に公園も含まれる」と説明したが、公園という表現を避けた理由については明らかにしなかった。

Japan ponders recycling Fukushima soil for public parks & green areas
https://www.rt.com/news/382515-japan-recycling-fukushima-soil/

s_ice_screenshot_20170329-061053.jpeg

[コメント]
現政権自体が日本の癌細胞であるとしか言い様がない。 
癌細胞は摘出(剔出)してしまわなければならない。
[ 2017/03/29 07:02 ] 名無し [ 編集 ]
 
除染なんかする意味ないじゃん。そこに置いておけ! 
人が移動するしかないんだよ。
[ 2017/03/29 07:05 ] 名無し [ 編集 ]
 
おいおいマジで一億総被爆に突っ走るつもりか? だったら、まずは山口4区と神奈川2区と福岡8区で区域いっぱいに汚染土を埋め立てろ。住民が反対しようとも、少なくともこの3区の連中は文句を言う資格は一切ない。 
環境省が率先して環境を壊すなんて国、日本だけだろ。省庁名変えたら?
[ 2017/03/29 07:07 ] 名無し [ 編集 ]
狂気の政策
子供が集う公園に使うなんて素人が考えても狂っています 
国による強制被曝です。断固反対します! 
風評被害に始まり、汚染食品を給食にも使い、原発も再稼働させる、こんな国で安心な子育てができる訳はありません。こんな国に税金を払いたくもない。 
国を捨てる事を真剣に考えた方がよいかもしれない。
[ 2017/03/29 07:08 ] 名無し [ 編集 ]
これだけではない
汚染土を新たな建築資材への使用を推奨しており使用した企業にはご褒美まで与えるということをしています! 
環境省ではなく、殺人省に改名しなさい!
[ 2017/03/29 07:13 ] 名無し [ 編集 ]
 
まあ放射能に害がないと国民全員を洗脳する為ならどんな非道な事でもやるという意思表示なんだろうな。まともな人間は早く海外に逃げたほうがいいぞ。戦時中と変わらない。そのうち強制徴兵とか体動く人間は国民全員強制労働になってもおかしくないぞ。
[ 2017/03/29 07:38 ] 名無し [ 編集 ]
 
環境庁をそこに移転させれば万事OKさ!
[ 2017/03/29 08:02 ] 名無し [ 編集 ]
 
早く総理のクビをデンデンからすげ替えないと、いつまでもこういうことが続くよ。
[ 2017/03/29 08:10 ] 名無し [ 編集 ]
 
自分が知る限り、環境省で環境問題に意識が高い職員なんて殆どいない。 
単なる一つの職業としてしか考えていないサラリーマンばかり。
[ 2017/03/29 08:13 ] 名無し [ 編集 ]
 
文句なしのキチガイ認定ですわ^^;
[ 2017/03/29 08:24 ] 名無し [ 編集 ]
 
これはもう、「国民を被曝させたい」という悪意だろうな。
[ 2017/03/29 08:52 ] 名無し [ 編集 ]
 
何故わざわざバラ撒くのか…地面から染み込んで地下水へ、風で飛散して新しい土地にバラ撒かれる。 
私たちが納得出来る理由なんてないだろうが、まともに説明出来るものなら、してみてほしい。 
[ 2017/03/29 09:03 ] 名無し [ 編集 ]
 
放射能が身体に悪影響がある毒だから 
福島から態々巨額の資金と人材を使ってかき集めたのに 
その毒を意図的に人が生活する場所で使おうとする 
これってもう計画的な日本国民毒殺運動
[ 2017/03/29 09:25 ] 名無し [ 編集 ]
 
公園であれ、コンクリートへの混ぜ物であれ 
上級国民様にはあまり関係が無い 
圧倒的多数の一般国民が日常被曝して、汚染がバックグラウンドになれば 
ガンの多発生論議も収束する 
平均寿命が短くなっても上級国民様には影響が少ない。。
[ 2017/03/29 09:41 ] 名無し [ 編集 ]
 
もしかして、国会議事堂前に? 
デモヨケ? 
官邸にも。 
議員の庭にも? 
メデイア避け?
[ 2017/03/29 10:05 ] 名無し [ 編集 ]
 
狂ってる。 
不都合な事は平気で隠すし、万が一表沙汰になっても尻尾切りはいつでもできる仕組みになってるんだろうなぁ。 
安倍の支持率本当にまだ高止まりしてるの? 
全部偽装に思えてくらい現政権は嘘や偽装や隠蔽は平気でやる。
[ 2017/03/29 10:10 ] 名無し [ 編集 ]
 
ガイガーカウンター買うか…。
[ 2017/03/29 10:13 ] 名無し [ 編集 ]
 
> [ 2017/03/29 10:05 ] 名無しさん 
あ、それ良いね。ついでに永田町全体にも撒いてやれ。残留放射能が人体に影響を及ぼさないかどうか身を持って見せてもらおう。 
ちなみに原爆手帳は基本『直接被爆者』のみに渡されている。しかも半径2キロだったか4キロだったかかな? 内部被爆、規定半径より外での黒い雨による被ばくは認められていない。入市被爆はどうだったかな?
[ 2017/03/29 10:14 ] 名無し [ 編集 ]
 
正気とは思えん 
こんなもん福島第一原発の敷地か周辺に置いとくしかないだろ
[ 2017/03/29 10:24 ] 名無し [ 編集 ]
 
放射性物質で汚染された土などを全国に拡散するのは、安倍政権の癌関連企業への利権だって聞いたことありますね。 
そうだと断定できそうな、全く以てこんな酷い仕種を、重ねていれば、安倍晋三は環境省を使って国民を病気にして丸儲けしたいのではないのかと、本当に思われてしまいますよね。
[ 2017/03/29 10:28 ] 名無し [ 編集 ]
 
恥ずかしいので外人には知られたくない事実
[ 2017/03/29 10:33 ] 名無し [ 編集 ]
 
異常政権。支持率も異常
[ 2017/03/29 10:33 ] 名無し [ 編集 ]
 
あれだね、全国に汚染が広まった所で、どうしようもない宣言発表。 
世界の核のゴミ処理場が日本に決定という流れを作りたいがための布石だな。 
狂ってる
[ 2017/03/29 10:36 ] 名無し [ 編集 ]
 
>世界の核のゴミ処理場が日本に決定という流れを作りたいがための布石だな。 
実際に主要な国が日本を核のゴミ捨て場にしょうと目論んでいる可能性はある。 
地理的に他国から孤立しているし、どうせ汚染されているんだからいいんじゃないか、と。
[ 2017/03/29 10:46 ] 名無し [ 編集 ]
 
可能なら早くその船から降りた方が良い。沈むよ。
[ 2017/03/29 11:08 ] 名無し [ 編集 ]
 
これは優秀な日本人のみを残す試練。 
中世ヨーロッパもペストに強い人間だけが生き残ったからヨーロッパは発展できた。 
高度経済成長も、戦争のおかげで弱小種が駆逐され、戦場で生き残った優秀な人間のおかげで成し遂げられたものだ。 
この放射能でダメになる下等遺伝子は滅びればいい。 
将来は核兵器にも強い優秀な遺伝子をもった日本人のみにする素晴らしい政策。
[ 2017/03/29 11:14 ] 名無し [ 編集 ]
 
このニュースは原発推進派の読売新聞には載ってなかった気がする。 
東京電力を中心とした原子力村のアンダーコントロールは完璧に機能しているようだ。 
保守と言われている人で、放射能の汚染を正しく認識しているのが小林よしのり氏だけというのが悲しい。
[ 2017/03/29 11:41 ] 名無し [ 編集 ]
 
東北とほかの地域のがん発生率の差がなくなるまでやるのかな
[ 2017/03/29 11:49 ] 名無し [ 編集 ]
 
これほどまでに国民(大多数一般の)の思いを平気で踏みにじる政権もなかなか珍しいんじゃない?本当にすごい時代がやってきているような気がする 悪い意味で
[ 2017/03/29 11:54 ] 名無し [ 編集 ]
 
嘘でしょ? 
こんな事する訳ないじゃん。 
[ 2017/03/29 12:00 ] 名無し [ 編集 ]
 
> [ 2017/03/29 11:54 ] 名無しさん 

現役世代が選挙に行かないから、これに尽きる。 
ジジババが未来(=自分たちの子供や孫のこと)を一切考えない近所付き合いと前例踏襲主義という超お馬鹿な理由で入れる自民票を上回るにはそれしかないのに、それをしないのだから。 
誰がなっても変わらないなんてマスゴミプロパガンダに流されていることを自覚しないんだから一億総白痴国民の大罪に対する罰なのだろう。
[ 2017/03/29 12:09 ] 名無し [ 編集 ]
 
過去に何回もニュースにもなっているけど、放射能汚染されたもので建設材料に使われていたりと、すでにこのような事は行われてしまっているけどね。 
でもこのことすら日本人大衆は自分が周りと協力し合ってでも行動を起こして阻止しようとするする人はほとんどおらず、結局みんな人任せし合って阻止すら出来ずに汚染土公園は実現してしまうのだろう。 
一般日本国民はもう犯罪者の言いなり。
[ 2017/03/29 12:10 ] 名無し [ 編集 ]
 
いまや日本は政府が放射能テロをする国になってしまったか・・・ 想像もつかない色々な物を爆発させてる中国ですら可愛く見えてしまうレベルだよ、ほんとに。。。 
そうだ、豊洲の地下空洞を埋めるのに使ったら?
[ 2017/03/29 12:17 ] 名無し [ 編集 ]
 
政府方針 
・食べて応援 
・みんなでベクレりゃ怖くない 
・死なばもろとも
[ 2017/03/29 12:27 ] 名無し [ 編集 ]
 仮に低濃度で有ろうと放射性廃棄物なのに、国の都合で保管出来ないからバラ撒いて使うとか凄い話だな。 にしても何でわざわざ何の被害もないところにバラ撒くんだよ、医療利権とか色々絡んでいるのか、ゴミくそアホ馬鹿政府! 
なら豊洲の地下や五輪施設の土壌造りとかに使ってみろよ、安全なんだろ?
[ 2017/03/29 12:27 ] 名無し [ 編集 ]
 薄めて応援かよ…  
何で一般国民が望んでもいない事や何の被害も無い地域にまで放射能被害を拡散させようとするんだよ。 
福島の復興に使う 
東電の敷地内の建物に使う 
国会付近の建物に使う 
東京都内の公園に使う 
五輪関連に使用する土は全てこの汚染土を使う 
これぐらいにしとけよ、全国にばら撒くなよ。
[ 2017/03/29 12:34 ] 名無し [ 編集 ]
 >政府方針 
・食べて応援 
・みんなでベクレりゃ怖くない 
・死なばもろとも

↑ただし上級国民はインドなどの上級日本人村に移住可能 
[ 2017/03/29 12:34 ] 名無し [ 編集 ]
 もうさ、ヘリとかで空から火口とかに投げ入れたらどうだ? 
つっても現在も事故した原発から放射能がダダ漏れ絶賛中だからいくらでも汚染土が出てきてキリがないけどな。
[ 2017/03/29 12:38 ] 名無し [ 編集 ]
 地震が多く国土も狭い日本に、原発を乱立すれば、いずれどうなるか? 
子供でもわかることなのに、大人たちは札束をちらつかされて現実を見失ってしまった。 
その結果が福島第一であり、東北関東を中心に広がる放射性物質汚染であり、山積みになっている廃棄物問題なんだよねぇ…。
[ 2017/03/29 12:41 ] 名無し [ 編集 ]
 
これ、間違いなく批判受けるのを判った上で言っているよね? 
ということは、普通に考えれば何か知られたくないことから国民の目を逸らす為に言ってるよね。 
それが何か大体想像つく人は多くなってきているけど、行動を伴える人がほとんどいないのが悲しい現状。 
もしくは放射能やケムトレイル、汚染食品などにより、本当に環境省連中の頭がおかしくなっていたりして。
[ 2017/03/29 12:59 ] 名無し [ 編集 ]
 
今こそ、その土で古墳規模のオリンピックの丘を造営しよう! 
その廃棄物モニュメントで日本の「表無しの心」を世界に知らしめよう!(錯乱) 
そして放射性廃棄物で造ったオリンピックの丘の上で競技するんだ! 
そしたらホントに被曝して応援できる! 日本の本気を世界に示せ!それを世界各国に評価を下してもらおう!(錯乱) 
こんな事を書いてみたのも、これだけ政府のテロで酷い事をされても目覚めないんだよ、日本の一般国民は。 
哀れや悲しさを超越するくらい頭の中がお花畑。
[ 2017/03/29 13:20 ] 名無し [ 編集 ]
 
普通に考えてその場に埋めれば良くね? 
何でわざわざ何ともない場所にまでバラまこうとするのか? 
まあ結局土建利権の延長でしかない、ガレキ運搬だって全国津々浦々運ばれたし。 
下地議員の運搬会社が当時口利き疑惑で叩かれたが消えた。 
霞ヶ関の官僚実績作りと関連企業の接待、キックバック等々。 
しかし有識者会議が非公開とか本当に腐ってんよなあ。
[ 2017/03/29 13:25 ] 名無し [ 編集 ]
 
震災前から言っていた人がいたよね、原発関連の低レベル廃棄物は処理しきれず、そのうち低レベル汚染金属類は生活用品にも紛れ込ませるって。 
ベットやフォークのはてまで。 
当時はまさかと思ったが、すでに実現の一歩は踏み出されている恐ろしい現実。
[ 2017/03/29 13:28 ] 名無し [ 編集 ]
 
奇形・変異植物園でも作るの?
[ 2017/03/29 13:28 ] 名無し [ 編集 ]
 
見える形で置いておく事は出来ない、見れば現実認識が出来てしまう、誰にでも。でも見えなければ、その内忘れ去られて元通り、か。官僚どもの考える事は、先の事では無いな、今この不始末をどう失くしてしまうか、どう自分の在職中を無事乗り切るか、だけ。政治家はそれを止めさせる情熱は無い。何もしないでいる事が次の選挙にも通り、明日の我が身も安泰だ、しか考えない。日本の衰退は加速度を早め、どこかの国と競争だ。国民が忘れ去られた国は、力も失う。
[ 2017/03/29 13:31 ] 名無し [ 編集 ]
 
去年は全国の道路工事に使うって言ってたもんなぁ。 
公表はしていないだろうけど、すでに多くの道路で使用されているだろうな。 
今こそ全国民が日本を奴らから取り返す時なんだけど、自分の事で手一杯とか言って面倒臭がったり無関心で「お前がやってくれよ」と言い合って行動を起こそうとせず、考える事すら辞めている一般国民が大半だから、滅ぶまで政府のこんな悪行は続くだろう。
[ 2017/03/29 13:35 ] 名無し [ 編集 ]
 
もしかして日本人を恨んでいる連中が国家公務員の上層部を占めているんじゃ・・・ 
全国に汚染が広まった所で、どうしようもない宣言を発表。 
世界の核のゴミ処理場が日本に決定という流れを作りたいがための布石。 
完全に終わったわ♪ ノシ
[ 2017/03/29 13:42 ] 名無し [ 編集 ]
子殺し
自分の子供がないから子供はどうでもいいと思ってるのかしら!? 
安倍総理ふざけてるのですか!?
[ 2017/03/29 13:43 ] 名無し [ 編集 ]
 
子供だけでなく 
日本人が被ばくでじわじわ全滅するのをを狙ってるとしか思えない。
[ 2017/03/29 13:45 ] 名無し [ 編集 ]
 
―――まだまだ続いていますが取りあえずここまで。 

 

 

 

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「 ラ・カンパネラ:今日はYundi Liの演奏で」No.1906

2017-03-30 21:51:07 | 自分事情

一昨日28日、高浜原発3号機、4号機運転差し止めの大津地裁判決を覆す大阪高裁の判決、

今日30日、伊方原発3号機運転差し止めの申し立てを広島地裁が却下する判決、

「住民の命よりただ今の金儲け」にまい進する企業と、

それにべったり張り付いている政権への

裁判所による「忖度」が甚だしいことになっています。

三権分立が憲法に明記されているにも関わらず、

この間の司法の行政へのすり寄りには目も当てられません。

 

広島の友達から、「もう絶望だ」というメールが届きました。

いつもへこたれない私も、

余りの連続パンチを食らわせられて、一瞬膝折れる感じがしました。

そういう時には、あちこちのブログを見ることにしています。

何人もの人が原発再稼働を良しとする裁判所の判決に

反対の意を表し、落胆されている様子がありました。

しかし、誰も絶望だなんて書いていません。

今さら絶望など言っても無意味な言葉なんですよね。


そして、必ず、東から太陽が昇ってくるのだから、

太陽を迎えに行かんとね。

 

というわけで今日は、

ちょっと疲れたあなたと私のためにひと時の清涼剤を。

なんかね~、ここ何年か、自分の力が弱まったと感じたとき

「ラ・カンパネラ」が聞きたくなるんですよ~。

優しいフジコ・ヘミングさんのも好きなんですが、

今日は重慶出身のユンディ・リさんの、

これまた繊細で透明感溢れる演奏を一緒に聞きませんか。

La Campanella by Yundi Li

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「沖縄戦をたどる~渡嘉敷島の集団自決2」No.1905

2017-03-29 22:11:54 | 我が心の沖縄

72年前というと自分とは関係ない遥か遠い昔のことだと思う人と、

たとえその時まだ生まれていなくても、

72年前が現在につながっている人がいます。

その分岐点の一つは、

その時代に生きた人たちを身近に感じられるかどうかだと思います

 

私はよく、文を読んでその時代の人たちの姿を心に描いたり、

写真でその時代の人たちの様子を見て、

急に近所の人のように感じたりすることがあります。

そんなことで時代を見る目と言うか、

時間に幅を持つ視点がちょっと得られる気がするんです

 

昨日、ブログに沖縄戦は本島上陸前、南の島々から始まったと書きましたが、

地図を見ると、南と言うより西南ですね。

この2月、那覇市内からタクシーで那覇空港に向かっているとき、

タクシーの運転手さんが

「こんど、慶良間諸島に行ったらいいですよ。私の故郷があります。」

と言って指さした方向を(ああ、南だな)と思い込んでしまいました

 

米軍が慶良間諸島の一つ、渡嘉敷島に上陸したのが3月27日。

これはネットで見つけた写真ですが米軍が撮ったものでしょうね。

日本側は、この時写真を撮ることなどできない状況だったはずですから。

 

 

昨日のレポートの続きです。

ここには、公式記録や書物の中には登場していないけれど、

今を生きる慶良間諸島出身の方々が本当に体験した言葉があります。

日本国家が始めた戦争で、こういう体験をさせられた人の声に

無関心でいることや、まして「嘘だ」などと言うことは、

犯罪だと私は思います。


沖縄・慶良間諸島68年目の「慰霊の日」強いられた死 遺族訪ねて

 ――うずみ火:栗原佳子

 (No.1904の続き)

同じ体験者として

 この日の慰霊祭に、座間味島出身の宮里洋子さん(72)=那覇市=が

初めて参列した。辺野古や高江へ通い、オスプレイの強行配備に抗議して

普天間基地のゲート封鎖行動にも加わった。

いまも週数回、早朝のゲート前に立ち、米兵や市民に思いを訴える。

 

「殺すのも殺されるのも真っ平ごめんです」。

原点には軍命令によって住民同士が手をかけあった島の記憶が原点にある。

座間味島では米軍が上陸した45年3月26日、住民の「集団自決」が起き、

177人が亡くなった。宮里さんは当時4歳だった


慶良間海峡を隔てて向き合う渡嘉敷島と座間味島。

それぞれ別の自治体で、定期航路もない。

島の体験は、なかなか共有されにくい。

しかも肉親や親戚同士が手をかけあう究極の悲劇。

宮里さん自身、体験者であることを公にしたのは、まだ最近のことだ。

 姉、弟、そして亡き母には首に傷跡があった。家では戦争の話はタブーだった。

 

米軍上陸の情報がもたらされ、パニックになった壕の中。

一発の手りゅう弾が炸裂した。

ほとんどの人は無傷で、さらに追い詰められた。

国民学校の校長が妻の首をカミソリで切り、「自決」。

民学校の教諭だった宮里さんの母もカミソリを手にした。

「死ぬのは嫌だ」。

宮里さんはそう叫んで壕を一人飛び出した。

 

トラウマに苦しみ

 父も国民学校の教諭だった。

「師範学校で洗脳され、島の人々を洗脳した」。

宮里さん自身、加害の意識が強く、それがなおさら口を重くさせた。

 

宮里さんは慰霊祭のあと、吉川さんの家を訪ねた。

「だんだんものを申せなくっていくのが怖い」。

思いは吉川さんと同じだ。特に教育の怖さは身に染みている。

 

宮里さんはずっと苛まされてきたトラウマについても打ち明けた。

夜中に叫んで飛び起きる。睡眠剤はずっと手放せない。

吉川さんも応じた。

「僕は子どもの頃、雷が怖かった。

雷が鳴ると、すぐ布団にもぐってしまうんで、

大人たちは『男の子がなんで』ってたんだが」――。

 

配られた手りゅう弾

 宮里さんはこの日、もう一人の体験者を訪ねた。

小嶺正雄さん(83)。持っていた手りゅう弾が不発、生き延びた。

手りゅう弾は「北山へ」という軍命令が出たとき、

防衛隊員が配っていたものだ。

『軍は手りゅう弾を島民に渡してない』などと言う人がいます。

でも当時、民間人が軍の弾薬庫から勝手に持ち出せるわけがないですよね

と宮里さん。自分がいた座間味の壕にも手りゅう弾があった。

民間人だけだというのに。

 

渡嘉敷島では日本軍による住民虐殺も相次いだ。

小嶺さんの妻の父もその一人だった。

「戦争は人間が人間ではなくなってしまう。

子や孫に事実を語り継いでいかないと」。

 

百二歳の祈り

 小嶺さんのお隣は北村登美さんの家だ。

102歳の登美さんは数年前まで一人暮らしをしていたが、

いまは那覇市の長男、盛武さん(71)宅に同居している。

 

後日、那覇の家を訪ねると登美さんは

「慰霊祭、私も参加したかったですよ」と残念そうだった。

毎年「慰霊の日」は必ず、白玉之塔に参拝していた。

8歳と5歳で亡くなった長女と次女に、会えるような気がすると。

「あの日も、母が、『行って来なさい』と送り出してくれたんですよ」

と盛武さんが言い添えた。

 

夫は出征中。義母と盛武さんら4人の幼な子を連れ、北山へ向かった。

登美さんは以前、伝令を聞いたとき、

「北山は避難場所として上等だと思って行きました」と話していた。

ところが待っていたのは「集団自決」だった。

 

盛武さんが仏壇に案内してくれた。

「上の姉は即死でした。下の姉は1週間くらい生きていて……。

上の姉は元気な姉で、空襲警報が鳴ると一番下の妹をおぶって

真っ先に防空壕に入りよったそうです」

 

親戚が輪になり、そこに手りゅう弾が爆発。

偶然にも登美さんは無傷だった。

瀕死の重体の叔父が「逃げなさい」と声を振り絞った。

叔父は、軍と同じ場所に行ったら逃げられないと察し、

行くのを躊躇していたという。

 

祖母に抱かれていた当時3歳の盛武さんも、

手りゅう弾の破片が尻に突き刺さった。

「『艦砲の食ぇーぬくさ(食い残し)』ですよ」。

体内に残る破片のため、いまもMRIの検査は受けることができないという。

 

我が子2人を失う辛い体験を、

登美さんが表立って語ることはなかったが、

2007年の教科書問題を機に口を開いた。

長老として慕われている登美さんが語ったことは、

多くの体験者の背中を押した。

 

「いまも『命令はなかった』という人がいます。

でも僕はいうんですよ。

『なかった』ではなく、『聞かなかった』ということだろう、と」。

 

盛武さんは柔和な顔を引き締めた。

 「二度とあってはいかんから。

未来永劫語りついでいかなくてはならんからね。

歴史を歪曲せず、事実は事実として語り継いでいきましょう。

そのことが平和につながるわけですから」

 

新崎直恒さん追悼の辞

 戦世の哀(あわ)り、忘て忘らりみ。

本村は大義なき先の戦争により、かけがえのない多くの命を亡くしました。

人生の道半ばに無念の犠牲を強いられた御霊の心情を察するとき、

遺族の一人として、いまだに怒り悲しみがこみ上げてまいります。

白玉之塔に祀られる御霊の安らかなご冥福を心から祈念し、

哀悼のまことをささげます。

 

当時6歳で幼稚園でした34人の仲間は、

3月の卒園と4月の国民学校入学を楽しみにしていました。

幼い人生の門出をかき消すように、村に戦火が迫り、

海上挺進第三戦隊の駐屯により、村の生活が激変しました。

民家への軍の駐留、運搬船や鰹船の徴用、軍への強制協力、

高鳴る空襲警報のサイレン、けたたましく迫るグラマンの爆音、

荒れ狂う大人の動揺、防空壕掘り、

食料や避難場所の確保等村民は恐怖の日々を強いられました。

 

父の2度目の出兵で、残された母と妹2人の4人家族の我が家は、

避難生活を親戚の家族と共に細々と送っていましたが、

イチャチチで偶然出会い、避難生活をお世話になった伊良波家の方々と

安全な恩納川に落ち着く間もなく、

軍本部近くの北山に集合するよう伝令があり、大雨の中、暗い山を登り、

激流の谷を下り、悪戦苦闘の末、安全な場所を求め、自分の足で、

自分の身は自分で守る、泣き言も言わず必死に大人の後を追いかけました。

 

少し遅れて北山の集合場所に着いた我が集団は、

大きな椎木(シイノキ)に覆われた広場の斜面の下側に陣取り、

久しぶりに友人とも出会い手を上げて合図し、

生きていることを喜びあいましたが、

先に来た人たちが我を忘れ大声で泣き叫び、地面をも泣き叩き、

異様な疾風怒濤の恐怖が眼前にありました。


突然、陣取った上のほうで手榴弾が爆発し、

空をかき消す悲壮の声と共に騒然となり大混乱となりました。

飛び散る血痕、頭部に破片が当たり半狂乱で倒れた女性。

言葉で言い尽くせぬ、

想像を絶する無惨な集団自決が地獄絵図として行われました。

 

運よく我が家族は、集団自決場では手榴弾が爆発せず無事でしたが、

29日の明け方、疲れきって眠る我が集団の中に、砲弾の直撃を受け、

不幸にも砲弾が炸裂しました。

この非情な砲弾の直撃で、愛する母と末の妹を亡くし、

片腕に傷を負った妹も後に亡くなり、

戦争孤児となった実感さえ知りませんでした。

戦世の大混乱の中、伊良波家の方々が守って下さったからです。

特に武夫兄さんのご恩は終生忘れることができません。

生きる力としての人間力が、この戦争体験で身につきました。

「東リ小嶺家」の登美叔母さんとともに、

無傷でナガンジュ皮の土手で捕虜になり、

まぶしい青い空を見ることができた感動は、

昨日のように思い出されます。

 

鉄の暴風と呼ばれた集団自決がなぜ起こったか。

軍命により北山に集められた。

海上挺進第三戦隊、船舶特幹隊の駐屯がなければ、米軍の上陸はなかった。

軍がいなければ、手榴弾は配られなかった。

手榴弾がなければ、悲惨な集団自決は起こらなかった。

そのことは歴史的事実であり、戦争責任は、すべて国家にある」

 

平和を希求する国際社会の一人として〈戦争を放棄し戦力を保持しない〉、

世界に誇れる国の最高法規である〈日本国憲法を擁護する〉ことが、

これからの平和国家の礎であることを御霊前にお誓いし、

追悼の言葉とします。

安らかにお眠り下さい。

―――うずみ火投稿日: 2013年5月5日 

下の写真は全てインターネット「渡嘉敷島集団自決」検索で出てきたものです。

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「今日、渡嘉敷島で集団自決」No.1904

2017-03-28 22:29:29 | 我が心の沖縄

↑Makoto YasuさんのFB写真をお借りしました。

1945年の今日3月28日、

慶良間諸島の渡嘉敷島で集団自決があった日です。

米軍は4月1日に沖縄本島中部読谷村に上陸する前に、

まず南方の島々から攻撃を開始し、

3月27日に渡嘉敷島に上陸したとのこと。

集団自決があったのはその翌日です。

 

戦後、ずっと経ってから沖縄戦で「住民虐殺」はなかったとしたり、

 文部省が「集団自決に日本軍が関わっていた」

 という教科書記載を削ろうとしたりするなど、

 沖縄の戦争の歴史を改ざんする動きが出てきて、

沖縄県民たちはそれに真っ向から対立しています。

 当時、本当はどんなことがあったのでしょう

 2013年5月の新聞「うずみ火」に渡嘉敷島レポートがあり、

 渡嘉敷島で集団自決の現場にいた体験者の話が載っているので、

貴重な歴史資料として、皆さんとシェアしたいと思います。

(記事がやや長く、2回に分けて掲載させていただきます)。


↑Makoto YasuさんのFB写真をお借りしました。

ーー沖縄・慶良間諸島68年目の「慰霊の日」ーーうずみ火・栗原佳子

強いられた死 遺族訪ねて

 太平洋戦争中、国内で唯一、住民を巻き込んだ地上戦が展開された沖縄戦。米軍は沖縄本島に先駆け、慶良間諸島に上陸、島の住民たちは日本軍の命令によって「集団自決(強制集団死)」に追い込まれた。犠牲者は約700人。このうち渡嘉敷島では「集団自決」のあった3月28日、村主催の慰霊祭が開かれた。遺族らは犠牲者の名を刻んだ白玉之塔に献花、黙とうし、反戦平和と史実の継承を誓った。(栗原佳子)

 

サンゴ礁の海が広がる慶良間諸島。

那覇市の西方30㌔から40㌔に位置し、太平洋戦争末期には

「海の特攻隊」陸軍海上挺進戦隊が配備された。

座間味島に第一戦隊、阿嘉・慶留間島に第二戦隊、

そして渡嘉敷島に第三戦隊。

沖縄本島に上陸する米軍を背後から特攻艇で奇襲するという作戦だ。

 

しかし、米軍は慶良間諸島を最初に攻略、

1945(昭和20)年3月26日、座間味島、阿嘉島、慶留間島、

翌27日には渡嘉敷島に上陸した。

沖縄本島での戦闘に備え、投錨地を確保する狙いだったとされる。

日本軍は自ら特攻艇を破壊、想定外の陸戦に転じていった。

 

渡嘉敷島では米軍が上陸した夜、壕に避難していた住民たちに、

「北山(ニシヤマ)に集合せよ」という軍命令が出た。

北山は、南北に長い渡嘉敷島の北端にあり、日本軍は米軍上陸に伴い、

この山中に陣地を移動していた。

 

住民たちは土砂降りの中、何時間もかけて北山へたどりついた。

のちに「玉砕場」と呼ばれる軍陣地の背後の谷間で、

防衛隊員が村長に伝令した直後、「集団自決」がはじまった。

手りゅう弾の多くは不発で、残された人々は、

ナタやカミソリなどの生活用具、さらには石や小枝などを手にとり、死に急いだ。

軍の方針は「軍官民共生共死」

米軍に投降するのを恐れ、住民に「鬼畜米英」の恐怖を叩き込んだ。

 

幼い目に映った戦世

 村は「集団自決」が起きたこの3月28日を「慰霊の日」と定めている。

77年の三十三回忌のあとは自由参拝形式をとっていたが、

新村長の方針で、昨年、村主催の慰霊祭が復活した。

 

戦世(いくさゆ)のあわり、忘(わし)てぃ忘らりみ

(沖縄戦の苦しみ、忘れようにも忘れられない)」――。

渡嘉敷港を見下ろす白玉之塔。

遺族代表として新崎直恒さん(74)=那覇市=があいさつに立った。

犠牲者を祀る塔には、母と2人の妹の名も刻まれている。

その春、一緒に国民学校に入学するはずだった4人の同級生や

可愛がってくれた親戚や近所の人たちも。

 

半農半漁の静かな島に日本軍が駐留するようになったのは、

前年の44(昭和19)年9月。村の生活は激変した。

将兵は民家に分宿、船は徴用され、

小学生まで特攻艇を隠す壕を掘るため駆り出された。

 

45年3月23日、突如、米軍の空襲がはじまった。

米艦船が慶良間海峡を埋め尽くし、艦砲射撃も加わる。

そして27日、上陸。

大人たちに遅れないよう、6歳の新崎さんは必死に自分の足で後を追った。

 途中、濁流に飲まれそうになりながらもようやく北山の集合場所へ。

同級生らと無事を喜び合ったのも束の間、

陣取った上のほうで手りゅう弾が爆発した。

「空をかき消す悲壮の声と共に騒然となり大混乱となりました」

「飛び散る血痕、頭部に破片が当たり半狂乱で倒れた女性。

言葉で言い尽くせぬ、想像を絶する無惨な集団自決が

地獄絵図として行われました」――。


 新崎さん家族4人は親戚の輪に加わった。

手りゅう弾は不発。

集団で修羅場を脱出したが、

翌朝、疲労困憊して眠っているところに砲弾が直撃した。

母と下の妹(3カ月)が即死。

上の妹(3つ)は片腕に重傷を負い、1週間後に亡くなった。


戦争責任 全て国に

 戦後、教師の道を歩んだ新崎さん。

体験を語ることはほとんどなかったが、

2007年の「教科書問題」が沈黙を破らせた。

文部科学省が高校歴史教科書の「集団自決」の記述から、

軍の強制性を示す文言を削除させるという史実歪曲の動き。

新崎さんはこの日の追悼の言葉でも、はっきりとこう述べた。

  

「『集団自決』がなぜ起こったか。軍命により北山に集められた。

海上挺身第三戦隊の駐屯がなければ米軍の上陸はなかった。

軍がいなければ、手榴弾は配られなかった。

手榴弾がなければ悲惨な集団自決は起こらなかった。

そのことは歴史的事実であり、戦争責任はすべて国家にある」

 

 戦前に回帰していくようないまの社会情勢に強い懸念を持つ新崎さん。

「『戦争を放棄し戦力を保持しない』、

世界に誇れる国の最高法規である『日本国憲法を擁護する』ことが、

これからの平和国家の礎である」と締めくくった。

 

叫んだ「命どぅ宝」

 慰霊祭終了後、何人もの友人知人が駆け寄り、ねぎらった。

同級生の吉川嘉勝さん(74)も

「直恒、いいあいさつだった」と肩を抱いた。

同じ教育の道に進んだ親戚同士。

「玉砕場」では、同じ円陣の中にいた。

 手りゅう弾がなかなか爆発せず、追い詰められていく大人たち。

何百人もが死に向かっていく異様な空気を破ったのは、母の叫びだった。

「手りゅう弾を捨てなさい。人間は生きられる間は生きるべきだ。

『命どぅ宝』だよ」と。

 2007年の教科書問題。

その年9月29日に開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」で

吉川さんは渡嘉敷島の体験者を代表して証言した。

母の言葉を再現し、そして

「日本軍の命令、誘導、強制、指示などの関与がなければ

『集団自決』は絶対起こっていません。事実は厳然としてある」

と力を込めた。

 慰霊祭の2日前、文科省が高校教科書の検定結果を公表した。

執筆者らの努力で表現は前進したが、

2007年の県民大会で決議した「検定意見の撤回」はいまも実現していない。

吉川さんもまた、戦争の時代を思い起こさせるいまの危うい空気を憂えている。

 (続く)

ーーー引用ここまで 

↑Makoto YasuさんのFB写真をお借りしました。

 

 

 

 

 

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「『銃口』が今訴えること ~三浦綾子の遺言~」No.1903

2017-03-27 20:29:59 | 反戦平和

1925年-1945年の20年間、悪名高い「治安維持法」の時代でした。

文学者三浦綾子さんは1922年に北海道旭川で生まれ、

1938年から1945年まで、つまり、16歳から23歳まで

小学校で教員を務めており、その間子どもたちに迷いなく、

「あなた方は戦争に行きます。

そして、天皇陛下のために死ぬのが立派な務めなのです。」

と教えていたそうです。

その後、戦争に負けると、

教科書で教えてきたことは全て墨で黒く塗りつぶされました。

自分の犯した罪に対する

彼女の底知れぬ苦しみが始まった時だと思われます。


戦後しか知らない私などは、

(三浦さん、本当に、子どもが天皇のために死ぬのが正しいだなんて

心底思っていたの?命以上に大切なものはないのに……)と、

いとも簡単に批判できます。

しかし、思えば、

当時京都の女学生だった岡部伊都子さんは、

戦地に赴く恋人が、

「国のためなんか死にたくない。君のためなら死ねるけど」と言うと

「お国のために死ぬのは立派だと、私は思うけど」と諫め、

恋人はその後、戦地で死にました。

当時沖縄の伊江島に居た阿波根昌鴻さんは、

東京で学んでいた一人息子を戦時下伊江島に呼び戻し、

結果、息子はまだ兵士になる年齢でもないのに召集されて死にました。

当時の国民はみんな、国のために死ぬことばかり教育されて、

それが当然だと心底思い込んでいたと言います。

あの、聡明な岡部伊都子さんが、

あの、全身反戦平和の塊だった阿波根昌鴻さんが、

そして、一人の命のまたとないことを説いていた三浦綾子さんが、

想像を絶する頭マヒ状態だったのです。

戦前の教育がどれほど徹底的な天皇崇拝の軍国主義に冒されていたか、

歴史を紐解いて、具体的に、

何がどうなってそんなに洗脳されてしまっていたか、

洗脳されていなかった人たちは、どんなひどい目に遭ったか、

自分で検証しなければ、リアル感が湧きませんよね。

しかし、一人ひとりには生活の忙しさがあります。

学者のように、一日の大方を調べ物で費やす余裕はありません。

だから、テレビや新聞、ラジオなどメディアは

もっときちんと、歴史で一体何が起きていたのかを、

毎日、たくさん、徹底的に流してほしいのです。

 

「『銃口』が今訴えること ~三浦綾子の遺言~」は、

敗戦の日8月15日に北海道のHTBテレビが放映したものだそうですが、

一年に一度の反戦番組では、余りにも……。

ちなみに、中国ではいまだに

抗日戦争のドラマを毎日どこかのテレビ局で放映しています。

 

三浦綾子さんの言葉を、何回も呟き咀嚼しています。

「戦場で火を噴く銃口もあるけど、それだけではない。

銃口はいつまでも、国民にむけられている。」

「銃口」が今訴えること ~三浦綾子の遺言~

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「早く!アベ夫人・松井大阪府知事・財務省役人・アベ夫人秘書は証人喚問席へ」No.1902

2017-03-26 23:36:39 | 日本事情

「アベ昭恵夫人は『私人』だから参考人招致できない」

と言っていたその口も乾かぬうちに

私人中の私人、籠池理事長を証人喚問席に座らせた政府自民党。

彼一人の喚問で何とか幕引きしたくてたまらない政府自民党と維新ですが、

いえいえ、このまま誤魔化されるほど、庶民は甘くないです。

何しろ8億円もの国民の財産が理不尽に使われたのですから。

私たちは毎日100円の野菜すら、

買おうかどうしょうか慎重に考えて、考えて、お金を使っているってのに。

衆院予算委での証人喚問で、民進党の枝野幸男氏の求めに応じ、安倍昭恵氏付職員(谷査恵子氏)から来たとされるファクスの文面を読み上げる森友学園の籠池泰典氏=23日午後3時56分、国会内、遠藤啓生撮影

写真・図版

さんざん疑惑がもたれている「私人」アベ昭恵夫人、公務員の財務省役人

「私人」アベ昭恵夫人にしもべのように付き従っていたと言われている

五人の秘書官の一人、谷査恵子さん(経産省の役人)、

そして、森友学園を唐突に認可した松井大阪府知事

これら公人たちは、私人ですら証人喚問を受けて立ったのですから、

偽証罪にも問われないフェイスブック(アベ昭恵)や、記者会見(菅)やらで

籠池理事長を批判するのは、

カーテンの陰から隠れて路上の人を狙撃するような卑怯な行いです。

直ちに、籠池理事長と同じ席に座り、

正直に、本当の事を国民に説明する義務があります。

こんな腐れカボチャみたいな状態の国には、いい加減我慢できません。

早く出てこい!!

  

サンデーモーニング 森友学園問題

「希望には沿えない」と言いつつ「問い合わせ」によって、

『格安売却』に変わったのがよくわかります。

画像に含まれている可能性があるもの:12人

 

あれ?下の写真はどう見ても松井知事、塚本幼稚園に行ってますよね。

や~っぱり森本学園応援団だったのね。

(フェイスブックからお借りしました)

 画像に含まれている可能性があるもの:9人
 

松井知事「本質説明できないのは安倍総理」

とても仲のいい友だち同士だったのに、今となっては責任のなすり合い。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn… #Yahooニュース

〈付録〉公文書はどれくらい保存しなければならないか。

「公文書管理委員会」委員長代理 三宅弘弁護士
8億円も下げたら会計検査院の対象になると分かりきっている。
最低5年間は保存しないといけない。
「1年未満の文書だから廃棄した」って国会でしゃあしゃあと言うのは奢りと欺瞞。
政治的な思惑があったのかは知らないが、
税金の使い道はきっちり国民に知らせなきゃいけないという発想が
今の役人の中にはっきりとした意識がない。
交渉記録廃棄を故意にやっていたら刑法の公用文書等毀棄罪に相当する。
仮に故意でないとしても公文書管理法違反。
国会で笑いながら審議してもらうような話ではない。
意志形成過程の文書を残そうという認識が政府全体に欠けている。
理財局長なんかは首飛ぶ問題だと思う。
自分たちが作った法律をちゃんと守らなければ、
戦前に情報隠ししたのと同じことが起きてしまうというのが私の危惧だ。

3・25報道特集より。番組全体は
https://www.facebook.com/gomizeromirai/videos/1585096718197126/

     
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「公文書を簡単になくす役所は責任を取れ」No.1901

2017-03-25 23:08:10 | 日本事情

非常に大切な公文書をすぐに破棄したり、なくしたりする

この国の役人や政治家は、国民を舐めているのでしょうか。

はい、その通りです。

「死んだ鼠」と海外から揶揄される日本国の民ですが、

日本政府も自国の民をそう思って蔑んでいるんでしょう。

「祝日明けにはもう全部忘れている鶏頭」と

自民党議員が私たち庶民をそう呼んだこと、覚えていますか。

安保法制を閣議決定→強行採決した一連の流れの中で、

私たちは鼻先で笑われたのです。

 

それでも、この酷い状態を立て直せるのは、

私たち「死んだ鼠」と「鶏頭」たちです。

今、世間を揺るがしている森友学園問題も、

きっと「週明けには忘れている」と政府、自民党は思っていることでしょうが、

これは、そこまで私たちがアホじゃないことを知らしめるチャンスです。

今回の籠池理事長の証人喚問で明らかになったこと、

今後、さらに明らかにしなければならないことを一つひとつ整理して、

『アッキード疑獄』の本質的意味を自分の頭で判断していきたいものです。

また明らかになったら、即、行動を起こしましょう。

 

下は、公文書の取り扱いにメスを入れなければならないという、

木村草太さんの至極もっともな指摘です。

こういう当然のことを実現させていくことで不正をただすのは、

決して不可能ではありませんよね。

考え、判断し、そして行動を。

報ステ 木村草太氏

この事案の解明が進まないのは

政府側が記録は全て無いと言ってるからですよね。

だから篭池氏側の証言を崩す為に『嘘ばっかり言う人だ』と

人格攻撃をせざるを得なくて歯止めが掛からなくなってる状況があります。

仮に篭池氏が清廉潔白な人でないとしても、

やはり国家権力が総出で一市民の人格攻撃を行うのは常軌を逸している

問い正すべきは売却価格を決めたり、

小学校の認可を出した官僚、政治の側だと思います」

「こういう観点から考えますと公文書の管理が非常に大事になります。

これまでも、公開すべきかと議論されてきましたが、

根本的には公文書を如何に残すか

日頃からやってる事が非常に重要になる訳です。

やはりここまでの答弁を見ていても、

書類が無い、記憶が無いで済むのでは事実解明はされないので、

今回については適正に文書が残されていない事、

そのものの責任を問わなくてはいけないと思いますね」

「分からないのであれば、

分からなくした人の責任ですよと言うべきだと思います。

この点については理財局長の方は、契約締結の段階で、

交渉記録を破棄しました、とか

或は面談記録は残っていませんとか言っていて、

これではやはり証拠を隠滅したと言われてもやむを得ない訳です。

財務省の行政文書管理規則では、

事業の性質内容に応じた保存期間基準を定めましょうと、

文書毎にそういうふうにしましょうと言っているんですけれども」

 

「今回の土地取引では特約付きの定期借地契約を事前にやっていたとか、

或は買受権行使時に分割払いを認めた、

或は廃棄物処理費用を国の側で算定した事など、

非常に異例な点が多く、こういう問題が起きなくても

事後的な検証が為されうる事は容易に想定出来た筈で、

その記録が全く無いというのは非常に不自然ですし、

もしこれで良いという規則なのであれば、

規則を作った人の責任を問わなくてはいけないと思います。

これ規則制定権者は当然財務大臣でありますから、

この疑惑が解明されなかったとしたら財務大臣がキチンと責任を取る、

辞任する覚悟でこの事案を解明して欲しいと思いますね」

首都大木村草太氏は語る森友問題20170324houdoustation
http://www.dailymotion.com/video/x5g3eow

 木村草太の憲法の新手 森友学園と文書管理 疑問残る交渉記録の破棄            沖縄タイムス 2017年3月5日http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/87087

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「日本留学を終えて…施芳芳さんのメール」No.1900

2017-03-25 00:00:46 | 中日(日中)交流

広州外語外貿大学大学院から東京の杏林大学大学院に

約一年間交換留学していたかつての教え子、施芳芳さんが、

留学生活を終え、広州の大学に戻ったとメールが届きました。

(2月、一緒に沖縄に行ったとき宿の他の客に

「ホントは中学生やろ」と言われ、

伊江島の「ヌチドウ宝の家」ではあの謝花悦子さんに、

「あんたは沖縄の子みたい。顔も全部沖縄に似ている」と言われて、

ニッコニコ笑っていた施芳芳さんです)。

一年間を振り返って、彼女が今感じていることが書かれてあります。

〈相互理解と相互信頼が欲しければ、
お互いに相手の本当の姿を自分の目で確かめなければならない。
中国人にとって日本のこと、日本にとって沖縄のことも
そうなんだろうと私は思いました。〉

留学した最大の学びは、自分の目で日本を確かめたということでしょう。

(日本人もどんどん中国に来たらいいのに……)。

心からそう思います。

――――――――――――

帰国してから、もう半月経ちました。あちこち回った後、 

やっと学校に戻りました。  

先生が言ってくれた通り、一年ぶりに中国に帰った感想はちょっと複雑です。

美味しい果物や料理を存分に食べられるなんて、今の私にとっては、至高の幸せです。

また、両親や友達に会えるのも嬉しくてたまりません。

そして、中国の急激な変化もはっきりと感じさせられました。

都市では、アリペイ(支付宝)とウェイチャットがあれば、どこにも行けるようになった感じがあります。

現在の中国の若者たちは、よく財布の中に現金一枚すら残ってないけど、

携帯を持つだけで、食事や買い物もできます。

生活はますます便利になりました。

でも、あまり慣れない状況もあります。

埃だらけの通りや青くない空、そして割り込み現象を見た後、

私は日本に戻りたくなります。

静かな夜に、よく日本で経験したことを思い出しました。

懐かしかったです。

美しい景色をもう一度見たい。

優しくしてくれた人たちにもう一度会いたい。

もっと深く話し合いたい。

この思いはとても強いです。

 
彼氏の余さんとは、日本に行く前に、

よく日本での生活と感想をシェアしたんだけど、

彼は行ったことなかったので、私の気持ちがあまりわからなかったです。

「チャンスがあれば、日本で就職したい」、

私は何回もこういうふうに彼に言いました。

しかし、彼の返事はいつも、

「僕は日本語全然わからないんで、あなたが日本に行ったら、僕はどうするの?」

というような言い方でした。

も、この前、日本に一週間ぐらい滞在した後、

彼も日本という国が大好きになりました。

そして今の考えは以前と全然違います。

「あなたは日本に行ってもいいんだ。僕も頑張って日本語を覚えて、

あなたについていく!」

「なんで態度が変わったの?」と聞くと、

「日本はきれいで、静かで、秩序整然とした国だ。

そのような国で暮らしてみたい。」

私はちょっとびっくりしましたが、予測していたことでもあります。


また一つの事実も検証しました。

それは、相互理解と相互信頼が欲しければ、

お互いに相手の本当の姿を自分の目で確かめなければならないということです。

中国人にとって日本のこと、

日本にとって沖縄のこともそうなんだろうと私は思いました。

残念なことに、以前の知識、或いは更新されてない情報を持って、

堂々と相手を批判する人は少なくありません。


私は「ナルト」の一つの名言が好きです。

「人は誰もが己の知識や認識に頼り、縛られて生きている。

それを現実という名で呼ぶ。しかし、知識や認識とは曖昧なものだ。

その現実は幻かもしれない。人はみんな思い込みの中で生きている。」

私もそう考えます。勝手な思いで判断すると、迷うかもしれません。

「ナルト」は昨日完結篇を迎えました。

久々に(一年ぐらい)見なかったんだけど、

感動の気持ちは見た瞬間に蘇りました。

長かった第四次世界大戦はようやく終わりました。

戦争を経験したことがある人たちには、平和は一番大切なものです。

しかし、平和の中で生まれた若者たちはその大切さをよく理解できないです。

利益を求めている悪人は、また戦争や里と里の間の争いを煽り始めます。

今の国と国との関係、沖縄県民の闘争も似ているのではないかと考えます。


それにしても、日本全国から沖縄に来た辛抱強い人々に敬意を表したいと思います。

彼ら・彼女らがいるからこそ、沖縄には希望があります。

いくら闘争があっても、人はみんな「真善美」を追求しています。

昔も、今も、これからも、希望の種はずっとみんなの心の中に残っています。

だから、沖縄も、日本も、中国も、必ず明るい未来を迎えると私は信じています。

先生も信じているでしょう。
 

最後に、先生は7月半ばに西北に行きますよね。私も同行しますよ。

また先生と会えるよね。

では、ここまでにします。また。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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「突然の騒動に冷や汗💦なんだ、足球か~」No.1899

2017-03-23 22:52:40 | 中国事情

【速報】現地時間9時過ぎ、菏澤学院旧グラウンドで大騒ぎ!

30分ほど前、急に我が宿舎から一番近い男子寮前辺りから、

学生たちのワーワー騒ぐ声、ピーピー鳴らす指笛、

「ワッショイ」みたいな掛け声が夜のしじまにとどろき渡りました。

何だ、なんだ。またケンカかと

(昨年の夜中、男子寮前で派手な取っ組み合いがあって)、

最初は気にもならなかったのですが、

余りにその騒ぎが長引き、拡大し、

だんだんこっちに近づいてくる気配までして、

あの2012年の抗日デモが頭を過ぎりました。

直近の男子寮には日本語学科の韋彤さんが住んでいます。

携帯メッセージで、さり気なく「何かあったの?騒がしいけど。」と送ると、

「足球(サッカー)で中国が勝ったらしくて、

みんな興奮してお祝いしているそうです」

と返事がありました。

ワールドカップ予選の中国―韓国戦のことらしいです。

(はあ~、トラウマだわ💦)

中国では自国のサッカーの実力がまだまだだという認識があり、

「恐韓症」という言葉があるほど、韓国には勝てませんでした。

今回は中国のホ-ム=グラウンドでバックに万人もの声援があったからか、

1-0で勝ったのですって。

学生たち、よっぽど嬉しかったんでしょうけど、

私にしてみればたかがゲームに、

なぜ国の存亡がかかっているような気持ちの入れ方をしてしまうのか、

なんかヤな感じです。

救いは日本語学科の韋彤さんが、

「サッカーに勝ったらしい

「嬉しくてお祝いしているそうです

と、伝聞の「らしい・そうだ」を使っていることです。

つまり、韋彤さんは気にしていなかったのです。

何せ、彼は初音ミクちゃん一辺倒ですからね~。

 

 

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「籠池以外にも証人喚問せんと」No.1898

2017-03-22 23:53:05 | 日本事情

最近、ニュースで「忖度」という文字を見ない日はありません。

明日の籠池理事長の証人喚問席には、

だれかに「忖度」した役人たちも座って、

だれに「忖度」したか白状すべきなのに、

籠池理事長だけを取り囲んで、

100万円の話ばかりで終わらせようと自民党はするんでしょう。

しかし!

世間のみんながヘンだ、ヘンだと騒いでいる問題の核心は、

①あの国有地の森友学園に対する超・超格安の売却や分割払いやらの異常な優遇

②大阪府知事松井の森友学園に対する超甘い学校認可

の方ですよね。

この①②に関わるのは財務省、大阪府ですので、

それらの関係者こそ、証人喚問しなければなりません。

なんか、今の自民党のやることなすこと、嘘つきで、不道徳で、裏切りばかり、

あげくに疑惑を向けられるとすぐキレて、我がまま放題の幼稚園児並みです。

野党は冷静に、籠池理事長に対して、

森友学園がいつから、どのように財務省や大阪府と関係してきたのか

きっちり聞き取って欲しいです。

           他に必要な証人喚問はこの人とか。👇

    この人とか。👇               

 自動代替テキストはありません。 写真・図版

 

「松井大阪府知事」の画像検索結果これも。

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「花開く樹々」No.1897

2017-03-22 02:30:29 | 中国事情

ガチガチに肩が凝り、寒気もし、そして喉も痛い、ということで、

夕方からベッドに直行し、起きたらもう日付が変わっていました。

すぐ寝たおかげで大事に至らず、こうしてブログ更新できます。

やはりこちらも三寒四温状態で、一気に暖かくはなりません。

しかし!キャンパスの木々は(もうがまんできん!)とばかりに、

毎日毎日、どんどん新しいつぼみが開花しています。

これは、感動ですよ~~。

この喜びをちょいとおすそ分けいたしましょう。

まず、桜(ですよね?)(;'∀')

 

これは何の木か分からないのですが、梅か桃か桜でしょう。

 

レンギョウ(だと思う)。可愛い噴水のようです。

 

花束のような木瓜。あちこちで満開です。

木瓜の足元には、ハコベも!何たる愛らしさ。

 

道路わきの木は、(ほら、見て!咲くよ、咲くよ)と言って腕を差し出してきます。

 

花咲く一年生たち(笑)。ユニフォームを着ているのは全部一年生だそうです。

二年生になったらアホラしくて着ていられないとか。

そりゃ、そうですね。

 

キャンパスのあちこちで撮影会。

この大学は、他校に比し、カップル発生率が高いとのこと。

花盛りの春に愛が芽生えるのでしょうか。

右を見ても……。

 

上を見ても……。

 

ちょっと歩くとこれだ。

 

この幸せ感に浸ることなく淡々と歩いて行く学生もいます。

 

2週間前、あれほどの芳香を放っていたミツマタは、

もう静まり返っています。

きっと、次の準備をしているのでしょう。

 

最後は、このまえ、カタツムリを避難させた菜の花畑。

畑というには貧弱ですが、家の前のアスファルトを掘り起こして、

無理やり作っているので大っぴろげにはできないのでしょう。

私の棟の前は完全にアスファルトで覆いつくされています。

おまけ。菜の花畑の隣の家のニラ畑。

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「毎年、数回『新種』発見…研究者も驚く独特の世界 沖縄・大浦湾」No.1896

2017-03-20 21:50:27 | 我が心の沖縄

海底から10メートル以上にそそり立つアオサンゴの大群落。沖縄本島内では最大級という(すなっくスナフキン提供)

海底から10メートル以上にそそり立つアオサンゴの大群落。沖縄本島内では最大級という(すなっくスナフキン提供) 沖縄タイムス+プラス ニュース 2017年(平成29年) 3月20日

大浦湾、ほんとうにスゴイですね。

この2月、施芳芳さんと乗せていただいた大浦湾巡りの船の上からも

水中の珊瑚がすぐ下に見えて、

ちょっと興奮しましたよ(特製の水中眼鏡を使ってですけど)。


この場所に今、米軍と日本政府が、沖縄県民の民意を無視し切って、

水陸揚陸艦とかいう巨大軍艦用の新基地を作ろうと工事をしているのです。

(それが、辺野古新基地建設です)

こんな美しい海を潰して、軍艦用の船着き場をこさえて、

何のためかと言えば、当然戦争するためです。

それに反対しているのが、沖縄県民なのです。

中国の脅威を宣伝して宣伝して宣伝しまくって民を騙しながら、

実は奴隷扱いしている日米同盟に対し、

冷静に「戦争の準備より、一国として自立的平和外交を」

と言い続けているのが、

沖縄県民とそれに賛成して全国各地、というか全世界各地から駆けつけている

仲間たちです。

政府は今、「工事は、浮沈式垂下型汚濁防止膜を

228個ものコンクリートブロックの重石を珊瑚の頭上に落として、

埋め立ての土が散らばらないよう環境に配慮しつつやっている」

とか言うんです。

世界的に希少な珊瑚大群落のサンゴを殺して環境に配慮って???

ま、下の説明文と図を見てください。

余りの詭弁に頭に来ませんか??

しかも、これ、ものすご~く私たちの税金使っているんですよ。

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「ジーンときた今日の新聞記事:沖縄タイムス」No.1895

2017-03-20 00:36:58 | 我が心の沖縄

日本の新聞の一般的記事の書き方として、

記事を書く記者がシャキッと立っているはずの位置が見えてこないものが多いのです。

客観的・実証的な記事の書き方が基本であるというのには賛成ですが、

そのことが自分の立ち位置を隠すというのではないと私は思います。

一つの事件をどういう視点から見るかは大変重要で、

むしろ、それなくして記事は書けないのではないでしょうか。

沖縄の二紙は、多くの沖縄県民の立場、即ち基地撤去の立場で

記事を書いています。

沖縄の歴史も、言論の自由の必要性も呑み込めていない

教育勅語派の百田尚樹などは

「沖縄二紙は潰さないといけない」と何様のつもりか、

自分が言論人であることを顧みない愚かなことを言っていましたが、

 言論には言論をもって反論し、相手の意見を聞いて

 自分の考えを練り直し、練り上げ、相手の説得をはかるのが

 民主主義のやり方です。

 反対意見は封殺して当たり前という

縄文時代のこん棒振り回し作戦みたいなのは

21世紀にもなって、あまりに野蛮で恥かしいのでやめてもらいたいものです。

 そんな私がジーンときたのは、今日の沖縄タイムスの2つの記事です。

 

一人の記者は阿部岳さんと、名前も分かっています。

(何か聞いたことあるな)と思ったら、2月に留学生の施芳芳さんと

辺野古を海上から視察する船に乗せていただいたときに

ガッツリ耐寒装備して乗ってはった若者でした。

いただいた名刺を山東省まで持ってきていたので照合してわかったのです。

記者がどんなに山城議長を信頼しているか、どんなに釈放を待っていたか、

それをどう表現したら沖縄県民と気持ちを共有できるかに

心を研ぎ澄まし、集中して書いたものだと思えます。

こういうのをいい記事だと言うんだなと私は思います。

おそらく、ずっと辺野古、高江に張り付き、

県民の声に耳を傾け、自分も考え、考え、やってきた人なのでしょう。

沖縄タイムスはいい記者を育てていますね。

 


長期勾留にも折れぬ心 涙の山城議長、

   やせても拳に力   

沖縄タイムス 3/19(日) 11:30配信

 

5カ月ぶりに保釈され、支援者と抱き合い喜ぶ山城博治議長=18日午後8時すぎ、那覇市樋川・那覇拘置支所前

 「やったぞー!」。18日、那覇拘置支所から保釈された沖縄平和運動センターの山城博治議長は、夜空に両手の拳を突き上げて叫んだ。昨年10月の逮捕から5カ月超。痩せた姿が長期勾留の厳しさを物語る。それでも家族や支援者と抱き合い、花束に涙ぐみ、カチャーシーを舞い、仲間と肩を組んで闘争歌を歌った。約150人の支援者が詰め掛け、基地建設反対運動のリーダーを「ヒロジ」コールで出迎えた。

 山城議長は午後7時58分、弁護団の4人に付き添われ、那覇拘置支所の建物から段ボール箱を抱えて出てきた。箱の中には、勾留中に国内外から届いた約400通の激励の手紙などが詰まっていた。支援者の輪に入ると、真っ先に妻の多喜子さんと抱き合った。

 支援者に一礼し、両手でガッツポーズすると感極まったように目が潤んだ。「一日千秋の思いで待っていた。皆さんと再会でき、こんなにうれしいことはない」と釈放を喜んだ。

 上下ジャージーで長靴姿。「せっかくの晴れの日に見てください、高江で捕まったまんまだよー」。乾いた赤土がこびり付いたままだった。

 「夜7時になって突然、釈放だから早く準備しろ、と言われた。知らなかったのは自分だけだったんだね」と話す。ガッツポーズ、カチャーシーといつも通りの夫の様子に妻多喜子さんは「5カ月前と全く一緒で本領発揮。明日からまた、はって辺野古に行くと言いかねない」と笑った。

 兄の正和さん(67)は弟が姿を見せる前から目を潤ませた。「これだけの人が待ってくれて、博治がどれだけ慕われているかを実感した。いつの間にか大きくなった」と感無量の様子だった。

 

阿部岳記者の視点[山城議長保釈]抵抗 

県民の願い代弁

沖縄タイムス 3/19(日) 13:05配信

 

山城博治議長

 瀬長亀次郎氏が出て来た時もこうだったのだろうか。18日、那覇拘置支所前の群衆の中で、1956年の光景を想像した。

 瀬長氏は復帰前、絶対権力だった米軍と闘い、微罪で1年半投獄された。当時の沖縄刑務所は今の拘置支所のすぐ近く。出所した時、門の外にはやはり多くの市民がいた。笑顔で右手を高く挙げ、応える写真が残っている。

 山城博治議長の場合はどうか。市民が歌い出した。山城議長はカチャーシーを舞い始め、輪が広がった。

 それは辺野古や高江で山城議長が育ててきた運動の形だった。機動隊と激しく衝突する一方、歌や踊りを取り入れ、なるべく幅広い層が来られるように心掛けてきた。

 形は、山城議長が不在の5カ月間も引き継がれた。政府はリーダーを現場から引きはがして打撃を与えることには成功したが、市民はしぶとく抵抗を続けた。

 18日歌われた「今こそ立ち上がろう」は山城議長の作詞。「沖縄の未来(みち)は沖縄が拓(ひら)く」と始まる。歌も闘いも、県民の最低限の願いを代弁している。

 瀬長氏は「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」という言葉を残した。その通り、瀬長氏の投獄は逆に市民の怒りに火を付け、米軍はついに沖縄占領を続けることを断念した。

(北部報道部・阿部岳)

勾留ありきの検察立証 森川恭剛教授琉球大(刑法)

 保釈は当然だ。人質に取られたままでは弁護人も裁判を争うこと自体が難しく、無罪を主張するほど勾留が長期化しないか不安だった。検察官の有罪立証に対する防御権がやっと保証された形だ。遅きに失したが、勾留の必要がないことを、裁判官が初公判でやっと理解できたということだ。勾留理由の「罪証隠滅の恐れ」は、単なる言い掛かりで職権乱用と言える。

 しかし、被告人であることから解放されたわけではない。行動の自由が制約され、キャンプ・シュワブのゲート前に立つことも禁じられているだろう。関連する集会参加などにも影響が及ぶかは不明だが、共犯とされる男性など、会える人物にも制限があるだろう。

 初公判を傍聴したが、検察の立証は勾留ありきで、時間稼ぎの人権侵害裁判だ。証拠のビデオ映像は公訴事実前のシーンに終始した。本気で有罪にしたいのか、とあきれる展開だった。検察官は直ちに起訴を取り消し、裁判所は訴訟手続きを打ち切るべきだ。(談)

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「速報!山城ヒロジさん、保釈!!!!!」No.1894

2017-03-18 19:15:36 | 我が心の沖縄

http://twitcasting.tv/jupiterjenny

上のツイキャスで那覇署前のみんなの声が聞こえてきます。

今こそ 立ち上がろう~~♪

今こそ 奮い立とう~~

ヒロジ!

辺野古の海を 守りぬくために

力を合わせて スクラムかためよう~~

ヒロジ!

早く来~い!

19:18

http://ryukyushimpo.jp/news/entry-463257.html

RYUKYUSHIMPO.JP
 
 
画像に含まれている可能性があるもの:2人、立ってる(複数の人)
写真はフェイスブックからお借りしました。午後8時過ぎ

ヒロジさん。沖縄の良心。保釈されました。


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「山東省菏澤学院から知床ウトロ学校へ」No.1893

2017-03-18 10:16:41 | 中日(日中)交流

さて、今から日本に郵便物を送りに行ってきます。

☝北海道の知床ウトロ学校の2年生におくる菏澤学院日本語学科2年生のはがきです。

 

昨年9月、日本語学科2年生はビデオレターを作り、

一つは高知県立大学に、もう一つを北海道知床ウトロ学校に送りました。

この2つの学校は菏澤からの私の呼びかけに応えてくれたありがたい学校です。

これは読売新聞高知支局の石塚記者、

そして知床ウトロ学校の我が姪、香ちゃんの

仲介のお蔭です。

中国と日本の草の根友好には、個人個人の行動しか頼るものはありません。

でも、一人の持つ行動力のなんと無限なことよ、と改めて思い、

二人には心から感謝しています。

 

さて、ビデオレターは当初CDにコピーして郵便で送ろうとしましたが、

テロ防止のため外国にはCDは送れないと断られ、

結局パソコンで送ったことは、以前ブログに書いた通りです。

受け取ってくれた知床ウトロ学校では、

年間スケジュールがびっしり詰まっている中、

2年生担任の先生が

「中国の大学生に年賀状を書こう」という取り組みをしてくださいました。

12月に日本から送られたその年賀状が菏澤学院の私の手元に届いたのは、

なんと今月3月に入ってからのことです。

これには、大学内の郵便物配達係の性癖が

大いに関わっていると私は睨んでいます。

以前、中国国内から速達で出したものが本当なら3日で届くはずが、

1か月かかって届いたこともあるのです。

そんなこんなで、今や中国の若者は、

手紙やハガキはウイ・チャットに代え、荷物は宅配便で送るので、

もう郵便局を利用することはほとんどありません。

 

さて、そんなことは別にして、

日本語学科の2年生が、

遠い日本の北海道のはずれからようやく届いたはがきを手に取って、

どれほど喜んだかうまく書けません。

知床ウトロ学校の2年生は、菏澤学院の2年生にひとり対ひとりで、

他にない一枚を書いてくれたので、

学生たちは同封された写真とハガキの名前を照合して、

どの子が自分に書いてくれた子か、ワクワクして、何度も確認していました。

今日出すハガキが知床ウトロ学校に届くころ、

すでに2年生は3年生になっていると思いますが、

また、ウトロからのんびりとお返しのハガキが届くことを

学生たちとともに待っています。

 

 

 

 

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