毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「丁勇先生岡山商科大学へ発つ」 2013年3月30日(土) No.607

2013-03-30 21:20:17 | 中国事情
南昌日本語コーナーを支えて来た中心のひとりである丁勇先生が、
4月6日、一年間交流教授として岡山商科大学に行く。
今日、出発準備等で忙しい中、八一公園日語角に姿を見せてくださった。

今日は江西農業大学から何と30人もの学生達が二人の先生とともに参加し、
財大からも10人(今までで最大の人数。友達のお見舞いのついでですけど)、
江西科技師範大、江西師範大、東華理工大、江西科技大e.t.c.とまあ、
総勢50人程に膨れ上がった。
博堅先生、八木先生、劉さん(すみません、下の名前が分かりません)の
いつものメンバーは、心中、さぞ嬉しかったことだろう。
何しろ、先日も劉さんが(もちろん冗談でだけど)、
「博堅先生、この頃日本語コーナーの参加者が減っています。
先生は日本語コーナーを作った責任取って何かやってください。」
と責任追及(^O^)したりしてたのだ。

雨風以外の土曜日には、これくらいの人数が集まったら
日語角も安泰なのだが・・・。

お昼、丁勇先生を囲んで最後の昼食会があり、
誘われてついて行った。
実は、今日は学生たちと一緒に帰るつもりだったのだが、
急遽、先に帰ってもらうことに。
近くのレストランでご馳走を食べ、白酒(中国の高級焼酎)などをいただき、
その勢いで散々盛り上がっておしゃべりしていたら、携帯が鳴った。
2年生の朱そうさんからだった。
「先生、僕たちは先生たちが食べ終わるのを下でずっと待っています。」
と言うではないか。
(ドヒャ!白酒飲んで浮かれている場合じゃないわ。
どこまでも私は彼らの被保護者なのね~)
と、慌てて座を辞した次第である。
「お母さん、帰るよ!」と叱られている不良母さんみたいだったな。

取りあえず「丁勇先生、いってらっしゃ~い!」





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「博堅先生、江財大に来たる」 2013年3月29日(金)No.606

2013-03-29 21:22:32 | 中国事情
今日、博堅先生が財大日本語学科に来てくださった。

「人のためになることをするのが私の幸せ」
とおっしゃる博堅先生のお顔に、
先週末の送別会の寂しそうな表情は全く見られない。
今日、財大に現れたその人は人を幸せにするプロだった。


学生たちにとっては
南昌の中日友好の第一人者というだけでなく、
厳しい人生を博愛の心で豊かな人生に転じせしめてきた、
一人の偉大な先輩に会えるという幸運な機会になった。

今日はまだ整理できていないので
交流会の内容は明日か明後日にするが、
私は博堅先生の語られた
「日本の歌の近現代史」について、
是非いつか詳しくお聞きしたいものだと思う。
最後に、声楽家である先生はお好きな曲の中から
「知床旅情」と
「昴(すばる)」
を歌唱指導してくださった。
個人的に指導を受けた3年生の陳小雲さんが
みるみる上手になっていくのが驚異だった!



博堅先生、是非またご指導に来てくださいね~!
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『在中邦人の悲痛な叫び「日中開戦報道は大迷惑」SPA!』2013年3月28日(木)No.605

2013-03-28 19:32:14 | 中日(日中)関係
今日はブログ「村野瀬玲奈の秘書課広報室」で見つけた
SPA!ニュースの全面転載

―――――――――――――――――――――――――
在中邦人激白
「日本のメディアよ、開戦を煽るのはやめてくれ」

2013.03.12 ニュース

無責任に開戦を煽るメディア。
先の大戦前を思い起こさせる中国海軍艦艇によるレーダー照射事件が明るみになって以来、
週刊誌には物騒な見出しが毎号のように踊る――「中国人9割は『日本と戦争』『東京空爆』」(週刊新潮)「日中開戦『狙いは首都・東京』習近平の中国は本気だ」(週刊現代)。



 これを見て、記事を手に取って愛国心や危機感を募らせる人、 無関心を決め込む人、その反応はそれぞれだろう。しかし、中国在住の日本人には、センセーショナリズムに走るこうした日本の中国報道に、命の危険すら感じている者も少なくない。

 上海市で自営業を営むNさんは言う。

「軽々しく開戦なんて言わないでほしい。戦争が起きたら、間違いなく私たちが最初の犠牲者になるでしょうからね」

 日本のマスコミの「日中開戦」報道は、中国でも反響を呼んでいる。 東莞市在住のある日本人駐在員Mさんはこう話す。

「中国版ツイッターの『微博』では、日本の週刊誌が翻訳されてすぐ出回る。中国メディアも開戦を煽る記事を引用し、すぐに配信する。中国人もこうした報道を見ていることをわかってほしい」

 メディアのミスリードによって戦争が勃発した例は、歴史的に枚挙に暇がない。中国事情に詳しいジャーナリストの富坂聰氏は言う。

「太平洋戦争で日本のマスコミは欧米からの侵略の危機を煽り、政府の弱腰を批判しました。結果、軍部の暴走を後押しすることとなった。中国では今、それと同じことが起き得る状況にある。レーダー照射が現場の暴走だったことを見てもわかるとおり、人民解放軍は統制が取れていない。中央政府は戦争を望んでいないが、日中メディアの商業ジャーナリズムによって、最悪の事態に陥ることは否定できません」

 もちろん、中国の軍事力の脅威や、尖閣問題に関する中国側の歪んだ主張について、警鐘を鳴らすことはメディアの役割だ。しかし度を越したセンセーショナリズムに偏った報道は、その代償を考える責任があるだろう。

 中国には現在14万931人の在留邦人がいる(外務省・平成24年速報版)。しかし、この数字は在留届の受理数に過ぎない。複数の在中邦人の証言によると、届出していない人や長期滞在者などを合わせると、40万規模の邦人がいるというのだ。

「中国は戦争を望んでいる」というような報道もあるが、それは絶対にない。ただ、挑発に弱いのは中国や中国人の弱点。冷静さを欠いた愚かな選択をさせないために、面白半分の報道は慎むべき(35歳・不動産会社経営)

 実利実害のない立場の人は、威勢のいいことを言ってもかまわないだろうが、家族とともに中国に住んでいる人の身にもなってほしい。子供が学校で虐められるようなことがないか心配しています(36歳・調査会社経営)

 ネトウヨだけが喜ぶ開戦報道で、国を出て働く我々の肩身が狭くなるのは理不尽(35歳・編集)
 などなど。開戦を煽るメディアはこれらの人々の声を、在中の40万人にものぼる日本人の命をどう考えているのだろうか。

 3/12発売の週刊SPA!『在中邦人の悲痛な叫び「日中開戦報道は大迷惑」』には『中国嫁日記』がベストセラーになった井上純一氏もコメントを寄せているほか、仮に開戦となった場合、日本側に在中邦人を救う手立てはあるのかなどを検証している。
 〈文/週刊SPA!編集部〉

http://nikkan-spa.jp/402430
http://muranoserena.blog91.fc2.com/
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「RCサクセションの『上を向いて歩こう』」 2013327No.604

2013-03-27 19:44:34 | その他情報
情報的に古いんですけど、忌野清志郎(いまわの きよしろう)
顔と名前を中国の学生のみんなに覚えてもらいたくてね。(^O^)

曲の命が3ヶ月といった、聞き捨てポイされる大量の曲がある中で、
何十年も値打ちを失わず歌われているという曲もまたたくさんある。
今、財大日本語学科の学生達にちょこちょこ紹介しているのが、
そうした日本のスタンダード・ナンバーである。
そのトップに挙げられる「上を向いて歩こう」。
中村八大作曲・永六輔作詞という日本のポップス史上に輝く
「ハチロクコンビ」の作品だ。
たいへん多くのミュージシャンがカバーしている。
私はRCサクセションのは残念ながら聞いたことがない。
ああ、聞きたいな。

ところで、この歌の歌詞を作った永六輔さんを
「反日」と決め付けているブログを発見して心が凍りそうだった。
永さんのような全身これ日本伝統芸能の才知のような人を「反日」とは!
てことは、つまり「反日」を定義すると、
深い歴史認識を持ち、
江戸文化について造詣が深く、
日本の狭い「常識」は外から見たら「非常識」だったりすることがあるという国際感覚を持ち、
平和が大切だと考え、行動する、
そういう人のことを反日と言うのか。
「愛国者」はその反対だね。
おっと、話が脱線!

RCサクセションの「上を向いて歩こう」カバー配信開始

2011年7月27日 17:22 78

忌野清志郎

RCサクセションによる「上を向いて歩こう」のカバー音源が
本日7月27日に配信リリースされた。
「上を向いて歩こう」は1961年に書き下ろされてから今年で50周年を迎えた、
永六輔作詞、中村八大作曲による坂本九の代表曲。
「SUKIYAKI」というタイトルで欧米でも大ヒットし、
全米チャートで1位を獲得した現時点で唯一の日本の楽曲となっている。

忌野清志郎はこの曲が持つビート感や、
坂本九の歌をロックンロールとして高く評価していた。
RCサクセションは1970年代終わりごろからこの曲をライブでカバーしはじめ、
1979年に発売されたシングル「ステップ!」にカップリング曲として収録。
亡くなる直前まで30年以上にわたって、
清志郎は「日本の有名なロックンロール!」と叫んでこの曲をライブで歌ってきた。

今回配信されるのは、1980年発売のRCサクセションのアルバム
「RHAPSODY」に収録されたライブ音源と、
1981年リリースの編集盤「EPLP」に収められた音源。
PC配信と着うた、着うたフルで販売される。
コメント (2)
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「東京電力やめて年間6千万円の節約」 2013年3月26日(火) No.603

2013-03-26 20:45:10 | その他情報
「原発稼働しなければ電気代はとんでもなく高くなり、
日本経済は立ち行かなくなる。
従って原発を動かさないと日本は滅びる。」

電力各社はそう言って、「原発は必要悪だ。」と叫ぶ。
マスコミはその宣伝隊で、
現政府は強制執行係。
昨年の国民調査の結果を全く耳を傾ける値打ちのないもののように無視している。
国民蔑視も甚だしい。

しかし、東京都世田谷区長(保坂展人さん)の報告は
事実は全く異なるということを示している。
こうした実際のデータが明らかになることで、
誰が嘘つきか、
誰がずるいことをして儲けようとしているのか、
誰が国民の命をひねり潰そうとしているかが、浮き上がってくる。

以下朝日新聞デジタルの転載
―――――――――――――――――
東京電力をやめて年間6千万円の節約
文 保坂展人
2013年3月5日

 ちょうど1年前、世田谷区は111カ所の区施設で使う電気の購入先を東京電力から変更しました。
競争入札をして、PPS(新電力=特定規模電気事業者)から購入することにしたのです。
それによって、2012年度は東京電力と契約を続けた場合に比べて、
2940万円の経費削減が実現することになります。


 この2月、2回目となる競争入札を実施しました。
来年度は対象施設を150カ所に広げ、
清掃工場に付属する発電事業者も加えると、全体で163施設にまで膨らみます。
その結果、2013年度の削減効果額は倍増の6650万円になります。
東京電力の電気料金の値上げの影響が効果額をさらに押し上げています。

 世田谷区の施設は全部で約600カ所あり、
このうちPPSと契約できると電気事業法で定められた施設
(電圧6千ボルト以上で契約電力が50キロワット)は217カ所。
今回、その75%をPPSに移行させることになります。
心配していたPPSの供給力に見通しが立ったことで、
今後のはずみにしたいと思います。

 こうした公共施設の大口契約だけでなく、
一般家庭への電力自由化を視野に入れた議論が始まっています。
3月2日に開かれた「世田谷発、電力を選べる社会へ」
というシンポジウムには、約350人が集まりました。

 実行委員会には、
「3・11」以後、エネルギー問題に取り組み始めた生活協同組合や、
市民団体、研究者、事業者等が名を連ねました。
パネル討論には、経済産業省資源エネルギー庁の担当者も参加しました。
消費者の側から電力供給システムに声をあげていこう、
という本格的な動きの始まりです。

「電力自由化」のあり方を議論してきた電力システム改革専門委員会が
2月にまとめた報告書には、次のように記されています。

<震災を機に「電力を選択したい」という国民意識が高まり、エリアの一般電気事業者から決められた価格で購入することを当然だと考えない需要家が増加した。
加えて、節電の実施や計画停電の準備を通じ、多くの需要家がピーク時の電力使用量の抑制が大きな経済価値を持つことに気づくことになった>

 専門委員会の委員として報告書づくりにも関わった
富士通総研主任研究員の高橋洋さんはこう語りました。

「電力システム改革のめざすところは、
料金規制と地域独占によって行わてれきた電力供給を、
国民に開かれた電力システムの下で、
事業者や需要家の『選択』や『競争』を通じた創意工夫によって実現することにある、
と明記されていることが重要です」

 シンポジウムのなかで発表された
「電力自由化に関する意識調査」(対象者665人)によると、
「電力自由化の推進」について「大いに期待する」が28.1%、
「期待する」が45.3%。
合わせて7割以上が期待を寄せている
ことがわかりました。
また、都内2千人の組合員を対象とした東京都生活協同組合連合会の調査では、
8割近くが「電力会社を選んでもいい」と考えており、
約44%が「再生可能エネルギーを利用した電力であれば、
東京電力より価格が多少高くてもかまわない」と考えている、

との報告もありました。

 買いたい人がいて、売りたい人もいる。
原発によらないグリーン電力のマーケットの裾野は着実に広がっています。
しかし、電力会社の地域独占と規制行政の壁によって阻まれているのも事実です。

 3・11の経験をふまえてエネルギーの転換を進めていくには、
太陽光発電の普及や省エネの実現などすぐにできることに加えて、
「電力供給システム」の改革が不可欠となります。
すでに、生協単位で太陽光発電を利用しているほか、
風車を建設したり、小水力を電源にして
PPSをたちあげたりといった試みも始まっているようです。

 これまで自分が使う電気の購入先を選ぶことのできなかった消費者が力をあわせて、みずから選んだ「電力」をオーダーする。
そんな「電力の共同購入」が近い未来にはあたりまえになっているかもしれません。
エネルギー転換が始まる日はそう遠くない――。
そう感じさせられたシンポジウムでした。


保坂展人(ほさか・のぶと)
1955年、宮城県仙台市生まれ。世田谷区長。
高校進学時の内申書をめぐり、16年間の「内申書裁判」をたたかう。
教育ジャーナリストを経て、
1996年より2009年まで衆議院議員を3期11年(03~05年除く)務める。
2011年4月より現職。『闘う区長』(集英社新書)ほか著書多数。

http://www.asahi.com/and_w/life/TKY201303050071.html
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「学生に世話をかけた先週の日々」 2013年3月25日(月)No.602

2013-03-25 21:20:38 | 中国事情
日本で友人知人たちによく言われるのが
「中国語もロクに話せないのによく何年も中国で暮らせるね。」
という言葉だ。
「イヤなになに。」
と鷹揚に応える私だが、それもこれもあれもどれも、
み~んな学生のおかげである。
ここでの三年弱の滞在が快適に推移している陰で
どれほど学生諸君が支えてくれてきたことか。

例えば先週金曜日の夜のこと。
財大2年、3年の26人は東華理工大学に出かけて
合同日本語コーナーを開催したが、そのとき大雨に見舞われた。
みんな、傘を持って来ていなかったし、
スコール的通り雨だろうと判断して、しばらく雨足が遠のくのを待つことになった。
私だけは、日本語学科の主任朱老師が手配してくれた車が
門前で待っているというので、大雨の中を(幸い傘を持っていたので)一人出発した。
ひざ下洪水状態をかき分けて、門まで必死でたどり着いたというのに、
車は来ない。
その間、4年生の洪さん、3年の陳さんから何度も電話が来て、
「先生、車に無事乗れましたか。」
「車はもう来ましたか。」
と気をもんでくれる。
自分たちだって教室に取り残されているというのに、
この日本人老師の心配ばかりしているのだ。
更に、大学院生の楼さんまで蛟橋園から
「先生、どこにいますか。友達に頼んで車で迎えに行きましょうか。」
と電話してくれて、イヤハヤ。
ひざ下ずぶ濡れなど、全く気にもならなくなる。
そのうち雨が弱まり、学生達も引き上げてきた。
2年生はそのまま帰ったが、「大丈夫だから。」と言うのに3年生は皆帰らない。
結局、手配の車は大雨でエンジンが動かなくなり、立ち往生していると
洪さんが電話で確認し、
みんなでミニバスにすし詰めで財大麦路園に行き、女の子たちだけそこで降りて
陳さん、黄さんの男性二人が私のために蛟橋園まで一緒に乗って来てくれた。
そして、私の安全を確認し、また麦盧園に向かうミニバスを探して帰って行った。
後で知ったが、途中降りた時中国語でワイワイ言っていた女の子たちは
私の分まで運転手さんにお金を払っていたのだ。
こうなると、もう私は小っちゃい子同然で、
学生たちが私の親のようなものだ。

ここまで捨て身で親切にされると、
本当に感激する、て言うか感動する。
(中国人は徳があるなあ。こんな若者までトコトン親切なんだから)
と心から思う。
日本も徳で返さなくちゃ、とどうしても思う今日この頃だ。
実はその翌日も、また洪さんに世話になったのだが、
長くなるのでまた今度ね。
コメント (2)
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「周作人の見た日本」 2013年3月24日(日)No.601

2013-03-24 19:35:46 | 
周作人は、日本人の誰もが知っている魯迅(周樹人)の弟である。
1885年清朝期の中国浙江省紹興出身で、日本に留学し24歳の時日本女性と結婚した。
中日戦争が終わった1945年末、国民党政府に「対日協力者」として逮捕されたが、
1949年、中国共産党により解放出獄し、
1967年文革初期、故魯迅夫人の攻撃の中で亡くなった。
大変な一生だった。

昨日の写真の博堅先生もそのひとりだが、
中国と日本の架け橋的存在の中国人で、20世紀を生きた人は、
何度も地獄をかいくぐった。
周作人が、人生で一番のんびり楽しかったのはいつなのだろう。
案外、留学生活を送った東京時代かも知れない。

ところで、
今でも中国人の中には日本文化を中国文化の亜流と見ている人が少なくない。
日本語学科の学生でもそう信じている子が確かにいた。
しかし、明治末期の五年間、東京で留学生活を過ごした周作人の目に映ったのは、
中国の影響からとっくに抜け出し、独自の文化を満喫している日本庶民の姿だった。

『日本に固有の文明があるといっても何ら差し支えなく、
それは芸術と生活の面において特に顕著である。』
『日本を見届けたければ(中略)・・・、
茶を飲んだり草花をいじったりしているところをみるに限る。
・・・日本の国民性の長所は私見によれば・・・人情細やかなところにあるのだ・・・
このような心情が日本の最大の長所であって、私どもにその文化を親しみ深く
感じさせるところのものだ』
『習俗も・・・好きだ・・・、清潔なこと、礼儀正しいこと、洒脱なこと』
(周作人「日本談義」平凡社東洋文庫)


とまあ、ずいぶん褒めていただいて恐縮ですけど(*´∀`*)
1900年代初頭、周作人が見た東京庶民の姿は、
21世紀の今もほぼ変わっていないのではないか。
そうであってほしいと祈る。
コメント (1)
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「南昌の中日友好の立役者たち」 2013年3月23日(土)No.600

2013-03-23 22:47:57 | 中国事情
写真を見ているとだんだん深い気持ちが胸に満ちてきた。

右は博堅先生(なんて寂しそうなお顔・・・)
左は永田哲夫さん(20年間は永田さんの髪を白く変えたんだなあ)
南昌の中日(日中)友好の歴史は
この二人を抜かして語ることはできないだろう。

今日(23日)は永田哲夫さんと丁勇先生二人の送別会だった。
先週は日本人だけ。今週は中国人・日本人の合同送別会。
どちらにしても、もうお別れだ。
博堅先生と永田さんは20年来の友達。
二人は「兄弟」だそうだ。
博堅先生は、
「おぼろ月夜」「星影のワルツ」を歌い、
永田さんも、それに応えて中国語の別れの歌を歌った。
丁勇先生の「北酒場」、名前が分からない方の「北国の春」など、聞きながら
(ああ、これらが文化革命が終わった後、
中国の人々に真っ先に受け入れられた歌なんだ)
と、味わった。
私の人生は、これらの歌への反発でスタートしたようなものだったが、
今日は全く違うふうに聞いた。

来週は、財経大学日本語学科に博堅先生をお招きして
人生を語ったり、歌を学生に教えてもらったりする予定だ。
博堅先生、寂しがっている場合じゃないですよ。
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「3・23『レイシズム、あかん』大阪集会」 2013年3月22日(金)No.599

2013-03-23 00:03:36 | その他情報
コメント (3)
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「連日の雨攻撃にサクラ散る」 2013年3月22日(金) No.598

2013-03-22 22:19:34 | 中国事情
これは五日前の3月17日(日)に撮ったソメイヨシノ。
我が宿舎の中庭に一本だけある。
毎年精一杯花を咲かせてくれるが、
今年は開花に合わせて雨が続き、雷も鳴り、風も吹きまくり・・・。
もはや見る影もない。


毎週金曜は校内日本語コーナーが夕方ある。
今週は久しぶりに東華理工大学との交流に26名の学生とともに出かけた。
夕方5時半に財大を出発したときは、そんな気配もなかったのに、
7時過ぎ、雷が光りだすや、土砂降りの雨がそれに続き、
たいへんだった。
一時の集中豪雨で、まもなく雨は弱まったが、
下水道が完備されていないため、あちらでもこちらでも
ひざ下までの水をじゃぼじゃぼかき分けて進まなければならない。
ほんのいっときの雨でここまでになるという体験はこれまでで
2回目だ。
送ってくれる予定の車はモーターが水浸しでこれず、
一緒に行った4年の洪文ほうさんや、
いつもの3年のみんなに散々お世話になって帰途についた。
ほんとに、何かあるたびに自分じゃ何もできない。
ここは中国、お世話になるしかない。
学生たちが日本に来たときにお返しをしよう。
来てくれるかな~。
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「大学生活と図書館~ある学生の意識」 2013年3月21日(木)No.597

2013-03-21 18:14:21 | 中国事情
江西財経大学の学生の意識の一端が垣間見られて
興味深いのが作文である。
私は作文を「それ書け、やれ書け」と書かせるので、
学生たちは大迷惑なことだろうが、
その作品はこのブログに掲載されたりして、生の中国大学生の声を
日本に届け、中国に対する理解を深める一助になるのだから、
我慢して書き続けてもらうしかない。(^O^)

下の作文に対して、
日本のみなさんはどんな感想を持つだろう。
もちろん、これは一人の学生の意見であって、
みんながみんなこうではない。
しかし、我が大学では多くの学生が似たような意識を持っていると思う。
日本の学生諸君、
読んで、驚愕のあまりひっくり返らないようにね。
ドーンと真正面からの生真面目意見文ですから。


「大学生活と図書館」 三年 董こうき

 大学というとまず、広いキャンパスや我が家のような寮などが思い浮かぶだろう。
小学校から高校時代に比べて毎日がずいぶん気軽に送れる。
時間に余裕があり、友達と一緒に商店街に買い物に行ったり、
名所旧跡に遊んだりもできるだろう。
しかし、大学生活の霊魂は何であるかと質問されると、
あなたの答えは何であろうか。
筆者にとって、大学というのは学問を身につけるところなのである。
ゆえに、大学生活は図書館を中心にして送るべきだと思うのだ。

 それでも図書館については人によって理解が違う。
図書館と言えば、数多くの書籍がある場所である。
どんな分野の書籍でも探したら見つけられるだろう。
大学図書館の最も大きな役割は、
大学生に、静かで、便利な学習環境を提供することだ。

 しかし、人によって、図書館で学習する意味に差があるのだ。
 まず、学者のように毎日図書館で弛まず真理を追求している人がいる。
そのような人は授業時間だけでなく、時間があったら必ず図書館に行って、
新しい知識を探したり、難しい問題を解決したり、視野を広げたりするのだ。
こんな人は大学生の中で、エリート、あるいは模範と言っても過言でない。
 次のタイプは、時々図書館に行く学生たちだ。
なぜならば、先生は宿題を出すし、寮は賑やかなので、
図書館に行くしかないからだ。
前例と同じように学習と呼ばれるのだが、本質は全然違うように思う。
前例は学問を追求する行為なのだ。
二例目の人が図書館に行くのは、タスクを終える目的なのである。

 最後の例を挙げる前に質問がある。
ご存知のように、いつでも期末試験が近づくと、図書館は急に混んでくるのだ。
早く行かなければ、座席を確保できない。
表面だけ見れば、その時の皆は本当に努力しているように見える。
しかし、ここに疑問がある。
普通の日はどうしてそんなに空くのだろうか。
普通時と期末時の対照が非常に明らかなのだ。
 原因は、普通の日は努力しなかったので、期末の時だけでも努力しなければ
試験に合格することが不可能だからである。

 人間は創造力がある高級動物なので、できないことがないのだ。
ある学生にとっては、図書館はそれそのものというだけでなく、
彼の高級アパートと化している。
なぜならば、図書館にはエアコンや無線インターネットがあり、
無料で使用できるからだ。
またある人は、パソコンや携帯を持って図書館に来る。
この人は座席に座らないし、本棚の書籍を探さない。
何をするのか。
パソコンをソファに置いて、自分自身は横になり、
ネットサーフィンをしたりゲームをしたりするのだ。

 図書館は大学の霊魂として、大学生活の中で重要な役割を担うものだ。
人によって図書館の意義が違うと言っても、大学生たる者、
学問を追求し、知識を身に付け、技能を高めなければならない。
図書館は未来を拓く金の鍵なのである。
ここには人間の文明成果や知恵が溢れている。
私たちは大学生活を大切にしなければならない。
即ち、図書館を抱えて、心理を探求し、学問を追求するべきなのだ。


この作文を口先だけと勘違いするなかれ。
この大学の多くの学生たちは、実に早朝から夜遅くまで、
ひたすら勉強に励むのである。
日本でこんな風景はまず見られないだろう。
中国が元気だという証拠をまざまざと見せ付けられる日々である。
真面目に頑張ることをためらったり、ワルでれしたりする必要無し。
(そう言って、自分は非常に不真面目だったブルーはーと・・・(//∇//))
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「他国を誹る前に日本の歴史を学べ」 2013年3月20日(火)No.596

2013-03-20 21:19:09 | 日記
ブログ「村野瀬玲奈の秘書課広報室」(3月9日)の記事に対して
下のようなコメントがあった。
〈本来批判すべきは韓国の反日行動だ
そんなものがなければ、アジア一丸となって平和が築ける。 〉


なんかねえ、こういう意見を見るたびにため息が出るんだよね。
なぜ、スタート地点を昨日や一昨日にするのか。
「韓国」を「中国」に置き換えて同じことを言う人も多い。
このような意見の日本人は、
相手国の人々が日本によって深く傷付けられた史実を
いとも簡単に忘却の淵に葬り去っているが、
された方は、侵略され、陵辱された屈辱の歴史を、
昨日のことのように覚えているのだ。

それでも、何度も友好に向けての国家間の努力があったし、
そのときには国民同士も心を開いて互いに相手のよさを認めあえた。

私が情けなく思うのは、国家間の政治的利害によって
国民同士がいとも簡単に憎み合うこの有様だ。
今は政治家が下手くそなことをやっているのだ。
なぜそんなことに合わせて国民が踊りまくるのか。
自分の頭で冷静にものごとを考えたらどうなんだ。
ということである。

ここで、またまた原点に戻る。
自分の頭で考える助けになるのが、
「相手を知る」ということだ。
知らなきゃ判断もできない。
そのためには国の垣根をとっぱらった
民間の草の根交流が絶対必要なのだ。
「無理に交流する必要などない」
とムダな意地を張らずに、
実際の韓国人、実際の中国人、実際の日本人たちが
ともに暮らしてみたらいいのにな、と心から思う。
今、私は一年のうち約十ヶ月を中国で暮らしている。
何度でも言おう。
「中国人はいいよ~~!
来るもの拒まず。いちゃりばちょーでーだよ。」

韓国人だって同じだ。
私が11年前シアトルの大学に中年留学したとき、
一番仲良しだったのは韓国人と台湾出身の若者たちだった。
もちろん、タイの子もグアテマラの子もブラジルの子とも友達だった。
あんまり日本人が自己中の内向きになったら、
外国に居る日本人が「日本はいいよ~」と言いたくても
言えなくなるではないか。
寛大で心優しい日本人の声が国際社会に届くように、
在特会の人たち、
ちょっとは自分のココロと向き合ってくれない?
世界中から「日本人はいいね!」
と言われるようなことを少しはして欲しいもんだね。
日本人の品格はあなた方が自分でとことん踏みにじっているのが分からん?

最後に「村野瀬玲奈」さんが
〈本来批判すべきは韓国の反日行動だ
そんなものがなければ、アジア一丸となって平和が築ける。 〉

に対して書いた文のうち、歴史教育に触れた部分を転載させていただく。

大切なことだと思いますのでお答えいたします。
反論、ではなくて、説明です。
落ち着いて読んでいただけるとうれしいです。

私が悲しいことであると考えるのは、
日本側が在日コリアンの歴史に無知であること、知ろうとしないこと、
事実を示されてもそれを直視することを拒む人が多いこと、
そして、在日コリアンの歴史を知らないことにのっかった
差別行為、暴力発言を繰り返す人々が多いことです。
本来、在日コリアンの歴史、つまり、
日本の韓国併合の歴史から説き起こした歴史教育が必要であり、
それが日本の公教育の中で適切になされていれば
私が必死になってそういうブログ記事を書く必要もないと思っています。
ですから、私がこのカテゴリーの記事を書く熱意は
日本の公教育での歴史教育の貧弱さが原因としてあります。

http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-4184.html
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「友達の悪口言うな!ー嫌ヘイトスピーチ」 2013年3月19日(火)No.595

2013-03-19 19:49:34 | 日記
いったい日本はどうなっちゃったんだ!?

最近ゾーっとする記事があった。
東京新大久保と大阪鶴橋という在日韓国・朝鮮人の商店街で、
「在特会」という排外主義団体の人々が大声で
「殺せ」「殺す」「皆殺し」「首を吊れ」「ゴキブリ」等々の
吐き気を催す暴力的言葉を叫びつつデモを行ったという。

もし、私がその場にいたら
あまりのことに貧血起こして倒れたかも知れない。
これらの言葉の前には
「韓国人」「朝鮮人」という言葉がある。
私は大阪や尼崎に韓国籍の友人達がいる。
彼女ら、彼らはいずれも私の友達と言ってはもったいないくらい、
立派な人たちだ。
喫茶店を営みながら世界の人権問題に関心を寄せ、
自分のできる行動を何十年も続けているソンイルさんと
彼を支えるキョンジャさんカップル。
関西人なら皆(いや、だいたい)知ってる「浪花の歌う巨人」パギやんと
美しい韓国舞踊とチャンゴの名手キムクニソンセンニンのカップル。
もっとご近所の我が親友・・・。
彼らは誰かに後ろ指さされるような人物ではない。
生まれた時からの関西人として、
(パギやんは「僕は在日関西人」と言っている)
日本社会のレベル・アップに寄与してきた人たちだ。
もちろん、在日の普通のおばちゃん、おじちゃんたちだって、
関西が排他的じゃなくオープンマインド地域であるために、
どれほど貢献してくれていることか。
もし、在日外国人がいなくなったら、
大阪は全く元気のない、ショボイ、内向きの街になることだろう。

そして、もし、自分が暮らしている街で、
自分の国籍を槍玉にされ、あげくに「殺す」「ゴキブリ」を連呼されたら
どうか。
日本では今、大人より小学生のほうが想像力があるのかも知れない。
小学生なら
「もし自分が『殺すぞ!』とか言われたらどう思う?」
と聞かれたら、絶対に
いや~!!!」
と叫ぶだろう。
自分が嫌なことは人にしたらアカンのじゃないのか。
デモで「殺す」と言っていた大人達は、
本気で殺すつもりなのか。
そうであるなら、もはや、それは犯罪である。
本気でなくても、自分の家のトイレの中では何を言っても咎められないが、
公共の場で、あたり構わず攻撃的・暴力的言葉を喚くとは、
どう考えても、周りに大迷惑と恐怖を与えている。
「中国人はマナーが悪い」
とかと質が違う。非常に悪質だ。いずれにしても犯罪だ。

しかし、そうしたヘイトスピーチを撒き散らかず者共に対して
「友達の悪口言うな!」
「仲良くしようぜ!」
「真人間になってやり直せ!」

といった言葉で応酬する日本の人々もいる。

まだ、日本は終わっていない。

私は誰も殺したくないし、殺されたくもない。
人々の心のよさを感じて暮らしたい。
意地悪したくないし、されたくない。
今回のヘイトスピーチは領土問題に名を借りた
日本在住の韓国人に対する品格の欠片もない汚い人間たちのイジメ行為である。
「言論の自由」ですり替えてはならない。

P.S.それでも、攻撃を受けた新大久保商店街には
「がんばれ! 日本」の横断幕がかかっていた。
「在特会」は新大久保の人たちに土下座して謝れ、と言いたい。


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「中国の大学生から安倍首相への手紙」2013年3月18日(月)No.594

2013-03-18 18:59:54 | 中日(日中)関係
中国の大学生から、安倍首相への手紙(三通)

その一
湖北大学日本語学部四年生
第8回中国人の日本語作文コンクール最優秀賞受賞者
李欣晨

安倍首相:

私は中国一人の大学生です。大学に入ってから、日本語を専門に学び続
けて、昨年が既に四年生になりました。

四年生になると、同級生の皆は、進学と就職の問題について、さんざん
迷っています。

日本へ留学したい学生も多くいますが、そういう時期に、日中両国は、
尖閣諸島の領土帰属問題を巡り、お互いに一歩を譲りませんでした。矛
盾の深化に伴う両国関係が、ずっと冷え込んだままです。

そのせいで、政治領域だけではなく、民間文化交流、企業経済活動など
の分野にも影響を受けて、後退の傾向を呈している。特に日本留学を夢
に頑張っている学生は、日中関係悪化の影響で、自分の家族や親友の反
対により、夢を叶える機会を諦めてしまいました。

私の同級生の一人は、「一生君を養っても、日本に留学させない」とお
母さんに言われ、残念でなりませんでしたが、日本留学の夢を諦めてし
まいました。私自分でも、最初は留学に行きたいでしたが、両親に反対
されて、一応中国大学院の試験を受けました。

しかし、日本僑報社により主催された「第八回中国人の日本語作文コン
クール」最優秀賞である日本大使賞受賞の副賞として、今年の1月日本
へ参観に行きました。

そして、中日両国民は、直接の接触もないのに、観念中すでに醜悪化さ
れている相手と戦い、過激な行動でお互いに傷つけているのが何の意味
もないことを、この旅を通じてしみじみ感じてきました。

それで、日本から帰ってきた後、周囲の人々に自分の見聞を話しました。
日本への先入観を取り除くために、微力ながら、自分なりの力を尽くし
たいです。

これまで暖かい感情で繋ぎとめられていた日中友好関係は、いきなり冷
え込んでいることは、すべて日中の永久友好を祈る人にとって、大きな
ショックです。

日中両国は、隣国で同じく東アジア地域に属し、交流往来が長く続いて
いる。その友好関係は、アジア・太平洋地域に限られず、全世界の平和
発展に及ぶ影響力を持っているので、どうか両国の平和と共同発展を祈
る人の夢に、願が叶える翼をつけておくために、日中両国の未来を明る
い道にお導きください。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

その二
国際関係学院日本語学部四年生
第7回中国人の日本語作文コンクール最優秀賞受賞者
胡万程

大学一年の時、高橋さんという留学生と週に一度、相互学習を始めた。
しかし、1ヶ月たっても学習言語は上達せず、親しくもなれなかった。

僕たちは初級だったが、相互学習の間、僕は習いたての日本語を、高橋
さんはたどたどしい中国語を話し続けた。二人とも本当は相手から生の
母語が聞きたかった。しかし、生の母語を聞けず、楽しいはずの相互学
習は、自分の能力を高めるためだけの『戦いの時間』のようだった。

僕は清華大学の笈川先生に相談し、アドバイスをもらった。「二人とも
自分の利益ばかり考えすぎ、勉強じゃなくて、山登りなどに行ってみた
ら」

僕は半信半疑だったが、アドバイスに従い、高橋さんを香山へ誘った。
すると、二人は母語で話しをし、互いに相手を思いやりながら登山でき
た。それがきっかけで、私と高橋さんは、相手を大事にするようになり、
その後の相互学習もうまくいった。自分の利益より相手の利益を優先し、
双方が利益を得る、つまりウィンウィンの関係になれたわけだ。

これは僕の個人的な体験であるが、中日の絆にも適応できると考える。
無論、国家同士の絆ともなると、個人の関係ほど簡単ではない。しかし、
原則は同じではないだろうか。

中日国交正常化から41年、この間、中日は関係を深めてきた。現在、
日本の最大貿易国は中国であり、日本人の最多渡航先も中国だ。また、
2007年、在日外国人中、中国人は一位、全体の32%を占める。しかし、
日本人の中国に対する認識は、1978年から続く「外交に関する世論調
査」では最悪の状況にある。2006年外務省の「日中関係に関する世論
調査」では、日中関係は良好ではないという人が66.7%、良好と言う
人はわずか6.9%だ。

歴史問題と領土問題が日中間の外交・友好関係の最大の壁と言える。
外交の基本原則は自国の国益を守ること。しかし、自国の国益だけ
を追って、双方の国益を損なう結果になっていまいか。領土問題な
ど、即刻解決が困難な問題は、双方、暫時、静観するという方法は
とれないか。周恩来も「求同存異」を提唱している。

領土がどちらのものかを争う前に、お互いがその領土の資源を最大
限に利用する協力体制を模索する。歴史問題は忘れないが、まず民
間交流を図る。そのようなウインウインの関係を考えること、それ
こそ、中日の絆の出発点ではないだろうか。

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

その三
国際関係学院日本語学部四年生
第7回中国人の日本語作文コンクール三等賞受賞者
欧陽文俊

安倍 晋三 さま

はじめまして、中国北京で日本語を専攻としている欧陽文俊です。突然
で不躾だとは思っておりますが、どうしても伝えたいことがあるので、
拙文を読んでいただければ幸いです。

去年の五月に中国大学生訪日団の一員として日本へ行ったことがありま
す。印象に残ったことの一つは早稲田大学の学生たちと将来の夢を話し
合ったことです。中日両国の大学生の夢を聞いて気付いたのは、国が違
っても、立場が違っても、生い立ちがそれぞれであっても、両国大学生
の夢はあまり違いはないということです。つまり、立身出世、穏やかで
幸せな生活を送っていきたいというのは夢の共通点といってもいいでし
ょう。もう一つ気付いたのは言語が通じないとしても(訪日団にはまっ
たく日本語ができない中国学生もいるので、英語で話し合ったグループ
もあった)、ちゃんと自分の本音を伝えようとすれば、必ずや話し合い、
理解し合うことができるということです。

人間は自分の立場からしか物事を考えることができないので、自己中心
主義を貫く癖があると言ってもいいでしょう。しかし、自分の考えを主
張しすぎると、他人との「和」を忘れ、人間関係を壊してしまうのは空
しいことです。考えれみれば、国と国との関係は人間関係と同じもので
しょう。魚釣り島であれ、尖閣諸島であれ、民族主義に任せないで、落
ち着いて話し合おうとしてこそ、利益の共通点が見えてくるでしょう。
また、利益点や文化が同じでなくても、国家レベルの会談、草の根の交
流を始め、あらゆる手段を尽くして話し合おうとするこそ、お互いに理
解し合うことができます。偉そうなことを書いてしまったようだが、た
だ自分の経験から考えたことです。

私はただ一人の大学生としては、中日関係の改善に力が小さいことがわ
かっています。それでも、今でも日本への留学を準備しております。日
本でもっと知識を見に付きたいだけではなく、自分の目で見た日本、体
験した日本を丸ごとに友達や家族に教えたい、より多くの日本人と友達
になりたいと思っているからです。自分の力が微小だとは知っているが、
自分なりに頑張っていこうと思っております。中日関係を改善すること
には安倍首相が一番有力ではないでしょうか。中日両国が各レベルでち
ゃんと話し合う未来へ導いてほしいです。

中日両国代々の平和と友好をお祈りいたします。


※この三通の手紙は、コンクール主催者、日本僑報社より転送したもの
です。
連絡先
171-0021東京都豊島区西池袋3-17-15 日本僑報社・日中交流研究所
担当者
段躍中(日中交流研究所長)
TEL 03-5956-2808 FAX 03-5956-2809
info@duan.jp

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「日本語教師はインストラクターか」 2013年3月17日(日)No.593

2013-03-17 19:36:42 | 中国事情
昨夜の永田さん送別会で、
大学日本語学科などで日本語教師をしている仲間たちと
日系企業のビジネスピープルが話しているうちに、
「日本語教師は日系企業に入って役に立つことを学生に教えてくれているのか」
という企業人からの質問があった。

形式的に言えば、
どんな機関、どんな人に日本語を教えるかによる。
どこかの会社の社員に日本語を教えるのであれば
その会社で使う日本語と企業文化がまず問われることだ。
しかし、それが多種多様なニーズを持った人が通う語学学校だったり、
大学の日本語学科のように
会話以外に日本概況、日本文学、日本語作文などがカリキュラムにある場合では
当然、会社員に教えるものとは内容が異なる。

現実的には、中国では大学とは言っても
就職してからすぐに役立つビジネス日本語とか実用日本語の
クラスがあるところが多い。
私が働く財大日本語学科にも、一般教養的な日本文学、日本概況などと並んで
ビジネス日本語、ビジネス作文の科目がある。

実は、はじめ、日本語教師になる時にある逡巡があった。
かつて英語が帝国主義運動の付随物として世界を席巻したように
日本の経済進出に日本語が付いているという現実をどうするかということだ。
事実、中国の「愛国者」の中には
「日本語なんか学ぶとは、お前は売国奴だ!」と言うヒトが多いという。
日本語学科の学生の多くがその言葉を浴びている。
しかし、他の声掛けに
「日本語をしっかり勉強して日本のお金をがっぽり稼いでね」
という励ましもあるという。

どちらも聞いて嬉しくないことばだ。
帝国主義や経済侵略の道具としての日本語を教えたくはない。
また、中国の若者たちに
「がっぽり金を稼ぐ手段としての日本語」
を教えるというのも守銭奴を育てるようで嫌だ。
従来、日本人も日本語も
そんなに好きと思って生きてこなかったにもかかわらず、
意外なことに、私は自分でも気がつかないうちに
日本語が好きになっている自分に最近気づいた。
日本語の中には日本語を使って生きてきた人々の価値観が
びっしりと詰まっている。
ある言葉から、ずっと昔のご先祖様方の姿が浮かんできたり、
日本島の上を吹く風の音や空気の色を感じたりする。
日本語を教えているとき、そんなことを感じるととても楽しい。

もう一つ、
ある言語を使いこなせるということは、
その言語を使って思考するということにほかならない。
アメリカでの1年間、短い留学生活がスタートした当初感じたのは
英語で考えるとなんだか頭が悪くなったような気がするということだった。
どういうことか。
自分の語彙量の不足が自分の思考を深める妨げになるのだ。
人間は言語を使って考えるということがつくづく分かった。
しかも、日常的に英語を使っていると日本語をどんどん忘れていく。
英語は中途半端なのに日本語は忘却する一方で、
私の脳みそは膜が張った状態だった。

そんな情けない状況が少しずつ改善されたのは、
ひとえにLeightonをはじめとする厳しい先生方の
“I'm asking YOU!!”だったり、
“What do you think about it? And Why?”だったり、
“Cut his talking!”だったりして、
とにかく自分の意見を言いまくる練習をした。
さらに、自分で自分の考えを多面的に検証する練習をしたりと、
実に実に面白い日々になっていったところで1年が終わった。

学生たちがそうした「考えることの楽しさ」「言語表現の面白さ」に目覚め、
考えを論理的に深めていく態度を身につけてもらいたい。
それを通じて、思考が成熟し、大人に成長するのだ。
これは「インストラクター」の仕事からかなり逸脱している。
私は日本語の「ティーチャー」をしていると自負している。
ちょっと言い過ぎ?






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