毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

いくら何でも遅すぎる能登復興・一年経ったのにこれか!

2024-12-31 22:36:48 | 中日(日中)交流

私は今年も曲がりなりにも自分の家、自分の空間で

年越しを迎えることができる。

掃除もいつもよりちょっと丁寧にし、

正月は息子の来訪が予測されるので、ゆず大根と鶏腿肉のうま煮などを作り、

川べりで採った草花を正月のリースや生花にした。

暖房をつけなくても室内温度は12℃~13℃にキープされている。

 

 

今年の1月1日に大地震に襲われた能登は今どうだろう。

⤴2024年12月30日ArcTimes尾形聡彦氏撮影の珠洲市大谷地区。尾形氏は7回現地入りしているが、この地区は3月と9か月後の現在がほとんど変わっていないと語る。

能登半島の北部、風光明媚な古里観光地だった珠洲市大谷地区の

地区長は「いろいろ事情はあるのでしょうが遅すぎると思います」

と能登の土地柄なのか、遠慮がちに語る。

これはもう、棄民政策のお手本だとしか私には思えない。

「国民を守るため」と言って

防衛予算は8兆円まで爆上げしている石破首相は、

「雪が降る前に何とかしてほしい。このまま年を越せって言うんですか。

年内に自宅に戻れるよう、自衛隊の出動をお願いしたい」

という山本太郎(れいわ新選組代表)の参議院予算委員会での

超強力な要請にもかかわらず、

「自衛隊出動の正式要請はない。3要件を満たさなければ自衛隊出動はしないというルールだ。」

としゃくし定規に突っぱねた(下の動画)。

国の防衛と防災は不可分だ。

一地方の能登に生きる人々は国民ではないというのか。

災害があったとき、日本の民草はボランティアに頼るか、

自分で何とかする以外方法はないのだろうか。

国の仕事って何なんだ。

石破首相がつんけんした冷たい態度と見えるのは、

山本太郎がズケズケ言うせいもあるのかも知れない。

しかし、そうだとしたら石破首相はあまりに子どもっぽ過ぎる。

そもそも山本太郎は能登の人々に代わって訴えているだけなのだ。

実は、この質疑をしたとき自民党席から「そうだ!」と

山本太郎の意見に賛同の声が上がった。

後でその自民党議員が太郎さんの傍に来て、自分は能登出身だと名乗り、

顔はニコニコしていたが、どうみても泣きそうだったという。

(自分も言いたくてたまらないのに、

自民党員だから制約があって言えないんだろうな)と思うと

胸にグッとくるものがあったと、太郎さんは後日記者会見で語った。

 

石破首相が「よく知っている友人」「無責任な人じゃない」と太鼓判を押しているのが

馳浩石川県知事だ。

この人は維新と自民に押されて知事になったらしい。

発災当日、彼は東京にいた。
 
一刻も早く国やボランティアに支援を要請しなければならないときに
 
「地震で道路が寸断されているから来たら混乱する。来ないでくれ」と言い、
 
ヘリコプターを使うなど他の方法だってあるのに、全くそれをしなかった。
馳知事が現地を初めて視察したのは何と1月14日(岸田首相も一緒に)。
 
彼の所為で復旧が大幅に遅れたと言っても過言ではない。

また、被災地域ではいくらお金があっても足りないはずなのに、

大阪万博に一千万円寄付したという(バカじゃなかろか)。

この無能な人は知事になってはいけなかった。

下は10月5日尾形聡彦氏に責任を追及されて

「最終的な責任は自分にあるが、地形が復旧に困難だった」

と言い訳した馳知事(いつまで地形のせいにしとんねん)。

一年かかってまだ「復旧」状態だ。

彼は「来年を復興元年にしよう」とのうのうと語っているという。

 

大谷地区の住民は先週26日にようやく全員仮設住宅に入れた。

本当に気の毒だ。

どうか来年こそ一刻も早く落ち着いた生活ができますように……。

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「斎藤さんはパワハラしてました。スイマセン」(立花孝志)って、はあ?

2024-12-09 13:56:01 | 中日(日中)交流

兵庫県をめちゃくちゃにして、今さらどうすんねん!!!

周りも笑ってんなよ!クソ野郎ども!!!

もう、言葉が出ない・・・・・・

 

下は私の住む尼崎市内の選挙ポスター掲示板です。

忌々しすぎるので、写真撮影した後は見てもいませんでしたが、

先週、ようやく心を鎮めてパソコンに保存したのです。

赤丸部分の立花孝志のポスター?も吐き気をもよおしながら読みました。

書いてある内容の中で「元県民局長は10年で10人と不倫していた」

というのは、立花自身も嘘だとはっきり言っています。

この嘘つきは嘘しか言わん。

それを信じて斎藤に投票した人にも心底腹が立ちます。

 

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久しぶりの日本語レッスンを終えて

2024-12-07 13:58:31 | 中日(日中)交流

9月後半から週に二日、日本語を教えていました。

一昨年の末、中国の大学のオンライン授業を終えたあとは、

もうこの仕事とは縁が切れたかと思い、

息子の店の手伝いをちょろっとするくらいで

あとは本を読んだり、

裏庭の草木を眺めたり、

暑さ・寒さのしのぎ方研究をしたりと、

好き勝手暮らしていたのです。

それが、ひょんなことから大阪のインターナショナル・スクールに通う高校生に

日本語能力試験3級(N3)対策の個人授業をすることになりました。

試験は去る12月1日に終わり、私も元の暮らしに戻ったところです。

この2カ月半の体験で(そうだ、仕事をするとはこういうことだったんだ)と

思い出したことがあります。

1. 自由時間がなくなる。

毎日、次のレッスンや全体計画を意識して時間を使わなければならない。

「ひねもすのたり」が不可能。

2.のんびり本を選んで読めない。

読む本は日本語関連に集中する。

以前はのびのびと、書かれた行間の空想を楽しめたのに、

自分の興味関心が、教える内容に沿った限定的なものになってしまう。

3.夜中も安眠できない。

昔、学校の教員をしていた時、

夜、眠りながらも夢で教案を練ったり、授業をしていたり、

たいへん生真面目な(笑)人間だった。

多分、日頃から自分の授業に自信がなかったためだろう。

しばらく忘れていたこの感覚が9月から11月末まで蘇ってきた

・・・・・・・・・

今、自由とは何かがちょっと分かります。

仕事をしないことです!

ああ、何もしなくていいことはなんて気分がいいんだろう~~

2カ月半の間の生徒が日本語能力試験に合格するよう願ってはいますけどね。

 

〈付録〉裏庭で多分今年最後のトカゲとの遭遇(11月27日)

このくねくねがなんとも可愛いじゃないですか。

  

こんな裏庭でもちゃんと育ってくれて嬉しいです。

来年の春、また会えるかな。

 

 

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クリス・クリストファーソンが亡くなったそうだ

2024-10-01 21:50:12 | 中日(日中)交流

昨日、シアトル在住のチエコさんからフェイスブックにメッセージが届いていた。

「Kris Kristofferson died 。Sunday Mornin’ Coming Down を聞きながら感じたのはアメリカにはもうこういうふいんきは無いとう寂しさです。」

私の知っているクリス・クリストファーソンの歌は

「Me and Bobby Mcgee」だけだ。

それも、彼自身ではなく、ジャニス=ジョプリンの歌ったものが

心の奥底まで沁み込んでいる。

1936年テキサス州生まれのクリス・K(名字が長いので省略)は

アメリカの大学を出た後、

セシル・ローズ奨学金を得てイギリスのオクスフォード大学に留学し、

その後、アメリカに帰ってなんと米軍に入隊したのは、

お父さんが空軍の将軍だったからか。

ベトナム戦争に志願したが、学歴がすごいので陸軍士官学校の教官になったという。

私の記憶するクリス・Kは、戦争に志願した人と同じとは思えない。

私にとって彼の印象は、

1992年、ボブ・ディラン30周年トリビュートコンサートで、

アイルランド出身のシネイド・オコナーがブーイングと拍手の鳴りやまない中、

アカペラで「WAR」を叫ぶように歌ったあと、

クリス・Kが舞台に出てきて

彼女をしっかり抱きかかえて舞台を去ったあの姿だ。

         ↓      ↓      ↓          

シネイド・オコナーがブーイングの嵐に遭ったのは

アメリカではコンサート前の習慣となっているアメリカ国歌を拒否したり、

カソリック教の最高聖職者ヨハネ・パウロ2世の写真を破るなどした行為が

原因のようだが、

観客に彼女を力強く紹介したのもクリス・Kだった。

1936年にテキサスで生まれ、米国軍人としてベトナム戦争に志願した彼が、

その後、経験と思索の蛇行を重ね、1992年には

もはや「星条旗よ永遠なれ」的な発想の人でなくなっていたのが

とても興味深い。

クリス・クリストファーソンはハワイのマウイ島で、3日前の9月28日

88年の生涯を閉じた。

シネイド・オコナーはすでに昨年2023年7月に56歳で没している。

Rest in Peace... Sinead and Kris...

 

↓「Me and Bobby Mcgee」(クリス・クリストファーソン作詞・作曲)↓

歌っているジャニス・ジョプリンも1970年、27歳で他界。

 

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幼稚園に愛息子が入園したと元教え子から

2024-09-07 18:14:52 | 中日(日中)交流

9月の初め、ウイチャットに複数のメッセージが届いていました。

ウイチャットというのは中国版ラインのようなもので、

以前私は、中国の学生たちとのコミュニケーションには

microsoft社の無料e-メールを使っていたのですが

今中国では誰も日常的にe-メールなど使いません。

私も数年前にウイチャットとラインを始めました。

普段の交信はだいたいこれで十分まかなえます。

さて、連絡をくれたCさんは写真を送ってくれました。

息子さんの幼稚園入学の様子だそうです。

Cさんは江西財経大学日本語学科を卒業して、現在深圳に住む30代の男性です。

我が子が可愛くて堪らないのが言葉の端端から感じられるCさんは

子どもができて10㎏ほど太ったそうです。

女性は妊娠すると太りますが、なぜお父さんのCさんまで?と思い、尋ねると

「子どもの食べ残しを自分が全部引き受けるから」とのこと。

なんだかほっこり・・・。

⤴Cさんの息子さんのきりっとした顔をお見せしたいのはやまやまですが、

今どきはどんな不都合が起きるか分からないので隠しました。

日本的にこの服装は、幼稚園に行くにしてはたいへんラフに思えますが、

深圳は中国でも南部の超暑い地方なのでこうなっているのでしょう。

おでこに紅い印があります。

漫画では、昔の中国女性のお化粧として描かれているのを見たことがありますが、

幼児がつけるのはどうしてなのか訊くと、Cさんの返答はこうでした。

「古代、子供が初めて学校に行く時、

先生は子供のおでこに赤い点を付けました。

知恵の門を開く、知恵の天眼を開くという祝福の意味です。」

息子さんの赤い印も幼稚園の先生が付けてくれたそうです。

幼稚園入園式では他にも、

ドラゴンフルーツ(火龍果)、りんご、蜜柑などを触らせたり、

親が手伝って「人」の字を書いたりする儀式があるそうです。

「火龍果は中国語で「紅紅火火」のイメージなので、紅い火のように元気に成長してほしいという願い、りんごは中国語で「苹果」なので「平平安安」無事に成長してほしいという願いが込められています。」

漢字の意味にあやかる習慣が多い中国ならではの行事ですね。

 

ああ、泣いた、笑った、立ったよ、歩いたぞ、と

子どもの一挙手一投足を喜びながら成長を傍で見ているうちに

子どもは大人になり、親は老いていきます。

どこの国のどの親も、なかなかすごいもんだなと自分も含めて思います。

 

「ピシピキと薪の火はぜて煙立つ いつかは終わる子とすごす夏」

「ふたりごはわれの帰りを待ちていき チラシの裏に絵を描きながら」

この万感胸に迫る歌は私が「ブログ友」と勝手に決めているKeichanさんの作品です。

Keichanさんのこの歌関連ブログはこちらからどうぞ。

 ↓    ↓    ↓    ↓    ↓

第一歌集『ふたりご』② - 今日のうた

第一歌集『ふたりご』② - 今日のうた

以前にも書きましたが、私の第一歌集『ふたりご』がダンボールの中で19冊ほど眠っています。跋文は花山多佳子氏です。未読品なので、いたみはないです。捨てるに忍びない...

goo blog

 

https://blog.goo.ne.jp/keichan1192/e/38c10ac59174d7e60b8820ed625ce470

 

 

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「退屈だから撃った」ガザのイスラエル軍の驚きの行動

2024-08-21 17:56:27 | 中日(日中)交流

⤵ 武器を持たず歩く複数のパレスチナ人が

イスラエル軍により突然ミサイルで爆殺された。

さらに別の人も足を撃たれ這って逃げている所を爆殺された。

完全に頭がおかしくなっていなければできないことだ。

イスラエル国民は同国軍のパレスチナ民間人への容赦ない攻撃を圧倒的に支持しているという。

国を挙げて脳みそが麻痺している。

かつてナチスドイツや日本がそうだったように。

欧米に庇われ、支援されているイスラエルが、パレスチナで今も毎日続けているのは

人類史上最も堕落した非人間的な犯罪だ。

人間がここまで残忍になるのを目の当たりにして苦しくない人はいないのではないか。

 

Xにはイスラエル兵による次の映像が投稿されていた(笑い顔マークとともに)。

全裸で両手両足を縛られ、拷問を受け、スプレーで身体に番号を書かれているパレスチナ人。

こんな惨い写真は見たくない。しかし、イスラエル兵が日々していることに

目をそらし続けていたら、早晩ナチス以上のことまでするだろう。

このブログの監修に引っかかってカットされるかも知れないが、とにかく載せる。

 

何よりも憤りを覚えるのはアメリカ、ヨーロッパの❝民主主義❞国家が

このイスラエルに支援金や武器をドバドバ送り続けていることである。

19世紀の帝国主義列強がそのまんま今の世界に蔓延っている。

最新のアメリカの停戦案はイスラエルがガザに駐留することを認める内容だという。

なんじゃ、そりゃ!ふざけるな!!

 

下はクーリエ・ジャポン(Courrie.jp)の今日8/21の写真・冒頭記事の引用である。

↑ガザ地区との国境近くで軍用車両に乗るイスラエル兵たち Photo: Amir Levy / Getty Images

発砲規則は事実上存在せず 

「退屈だから撃った」元兵士が証言するガザのイスラエル軍の驚きの行動

ガザ地区のイスラエル兵は好きなだけ撃ち、家に火をつけ、死体を道に放置していく──実際に戦場に派遣されたイスラエル軍の兵士たちがイスラエル・パレスチナ合同独立系メディア「+972マガジン」とイスラエルの独立系メディア「ローカル・コール」に証言したのは、規則や自制もなく、ただ好き放題に振る舞うイスラエル軍の姿だ。

複数の証言者によると、兵士たちは明らかに何も制限を受けずに、日常の兵務の憂さ晴らしや退屈しのぎのために民間人を撃っていた。
〈続きは下のサイトで読んでください〉

英文記事:‘I’m bored, so I shoot’: The Israeli army’s approval of free-for-all violence in Gaza (972mag.com)

日本語記事:https://courrier.jp/news/archives/373614/?utm_source=daily+item+announce&utm_medium=email&utm_content=post-373614&utm_campaign=2024-08-21-13739&courrier_mail_session_id=13739

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日本に来た中国の教え子たち

2024-04-17 23:48:30 | 中日(日中)交流

慌ただしく過ぎ去る日々に手をこまねくばかりの毎日だが、

この二月、三月にあった中国時代の教え子のことを備忘録として書いておく。

 

2月のある日、WeChatで電話があった。

渡日して東京で働いている山東省時代の教え子Wさんからだった。

私は2015年から翌年の卒業まで大学4年生だった彼のクラスでビジネス日本語を担当したが、

その後、彼が中国の大学院、就職、転職と人生の荒波に漕ぎ出してからも連絡は途絶えなかった。

中日関係もイマイチだし、

教師と教え子の関係も卒業後は次第にフェイドアウトするのだろうと思っていたが、

彼は全くそれに当てはまらない。

そればかりか一昨年3月末、なんと中国での仕事を清算して渡日し、就職までしたではないか。

私は何でわざわざこんな不況に喘ぐ日本に来て就職するのかと思ったが、

聞けば、彼の目標は日本で働くことではなく、日本の大学院での博士課程履修にあった。

会社で働きながらがむしゃらに受験勉強を続けたWさんは去年、残念ながら一度目の受験に失敗した。

その時、もう諦めるのかなと思ったが、どっこい、そんなやわな人物ではなかった。

月に一度の故郷のお母さんからの電話は決まって

「まだ合格しないのか、早く、早く」という催促だった。

「試験は年に一度しかないのに…」と、Wさんは悲しみながらも睡眠時間を削って勉強し、

とうとう、遂に、ファイナリー、今年博士後期課程入試に合格したのだった。

もう4月なので、すでに研究生活がスタートしていることだろう。

このドラマはきっとさらに続く気がするが、幸運を祈るばかりだ。

 

この3月には江西省時代の教え子劉さんが出張で来阪した。

劉さんは私が生まれて初めて中国に渡って働き始めた江西省南昌市の大学で当時3年生だった。

外国人は就労に当たり、市当局の健康診査を受けなければならない。

劉さんはその時に付き添ってくれた日本語が堪能な学生3人のうちの一人だった。

この間再会してその時のことをぺちゃくちゃお喋りした。

尿を採取するとき、可憐な劉さんが

「先生、小便を採ってください」とくそ真面目に言ったこと、

検査が終わって食事の話題になり、

劉さんはニワトリのネックが美味しいと私に勧めようとして

「先生、鶏のうなじはとても美味しいですよ」と言ったこと、

こういう話で劉さんと私は大笑いしてしまうのだが、

たまに「未熟な学習者を笑いものにしやがって」と捉える人もいる。

私はそういう人とは親しくなるすべがない。面倒くさい。

さて、その可憐だった劉さんはもう35歳、見目はほとんど学生の頃と変わらないが、

今は大阪に本社がある会社の広州市の子会社の副総経理だという。

打診されたとき「嫌だとも言えないので引き受けた」と、

淡々と語る彼女は以前と変わらぬ劉さんだった。

また今年の10月、社員旅行で社員十数人を引き連れて来日するという。

ちなみに、私はこの劉さんに故郷の村に連れて行ってもらって、人生またとない体験をさせてもらった。

彼女が進学した広州外語外貿大大学院の寮にむりやり泊めてもらったこともある。

お返しに日本に招いて我が娘の協力のもと、

お祭り金魚すくい体験、流しそうめん体験などをさせてあげたこともある。

我がブログに何度も登場した人だ。

 

教師と学生は、卒業したら思い出にしか登場しないというのが現代日本ではしごく普通だ。

「さよならだけが人生だ」…私もそれに違和感はない。

しかし最近、中国的にはそうではないことがままあると感じている。

少なくとも、私が出会った何人もの学生たちはそうではない。

関係を内に閉じず、直接的、交歓的に継続し、途切れたかに見えてまた続く。

その関係の開放性を楽しむ今日この頃だ。

 

⤴11年前の来日時、アニメでしか知らなかった金魚すくいを満喫する劉さん。

⤴遊んでいるはずが、なぜかいつの間にか的当て屋の番頭みたいなことをしている劉さん。

 

付録:2013年に初めて日本に来た時の劉さんの感想文(今から11年前)

「日本滞在記」
            広州外語外貿大学大学院日本語学科  劉思婷

7月26日、山に囲まれた広州白雲空港から海に囲まれた大阪関西国際空港まで、
三時間半の旅程中、機上で私はいろいろ考えた。
日本語を勉強して五年になるが、日本へ行くのは初めてである。
本やドラマ、テレビ番組などから日本に関するさまざまな知識を得てきた私にとって、
日本国は研究の対象であると同時に、どうしても一度は訪れたい国だった。
今回、ブルーはーと先生のご尽力で、やっと憧れの日本に行くことができた。
先生にもう一度お礼を申し上げたい。
(日本はどんな国であろうか、日本の人々はどんな人たちだろうか。
『菊と刀』に描かれているような日本人なのだろうか)と
、関空に向かう飛行機の上で私の想像は膨らむばかりだった。
大阪関西国際空港に着くと、先生はもう待っていた。
先生とは五ヶ月ぶりの再会で、とても懐かしかった。

[日本の初印象―静かな道路、小さい家]
その後、先生に連れられて、JR大阪駅、阪急梅田駅を経て、先生のお宅についた。
歩きながら、キョロキョロと初めて見る日本の家、店、道路や人たちなどを観察していた。
パチンコ屋以外のところは、みんな静かで、人の声もあまり聞こえない。
道路の幅や家も小さくて、かわいい。中国だったら、何でも大きい。
でないと、人口の多い中国では渋滞になるかも知れない。
初めての日本は、何でも興味津々だった。
最初のうち、よく
「初めて日本に来て、どう思いますか?中国とどう違いますか?」
と聞かれた。
私も一生懸命このことを考えた。
例えば、天気とか人の服装とか、女性の化粧のし方とかだいぶ違っていると答える。
都市の違いは大きい。
中国の都市、例えば、広州では、建物と建物との間に一定の距離があり、大きい木が多い。
大阪では、建物が密集していて、木が少ない。
でも、よく見ると、屋上や家の前に、植木や花鉢がある。
こじんまりとして精緻な感じが溢れている。

[女性専用車両と痴漢]
また、日本のJRや阪急電車に乗ったとき、女性専用車両があったことに驚いた。
これは女性を保護するいい方法だと思う。
実は、私は一人で電車に乗ったとき、わざわざ女性専用車両を避けたことがあった。
最初は「女性専用車両」の意味がわからなくて、
(体の弱い女性とか、特別な人達だけ乗れる車両だろうか)と思ったので、
丈夫な私には普通の車両に乗る方がいいと思ったのだ。
あとで、女性だったら誰でも乗れると知ってから、毎回電車に乗るとき、
女性専用車両に乗りたかったが、残念なことに、専用車両のない電車も多いみたいだ。

JRなどに乗るとき、ドアに「痴漢は犯罪だ」とよく書かれてある。
はじめ、「痴漢」とはどういう人を指すのか、ちょっと概念が曖昧で、わからなかった。
ウィキペディアで調べると、
「痴漢とは、公共の場所で相手に羞恥心を抱かせ、不安にさせる行為を行う者、もしくは行為そのものをいう。日本独特の不法行為であり刑法に抵触する場合は少なく主に迷惑防止条例などで罰する」と書いてある。日本では痴漢は多いのか?では、すりとかは?
中国では、バスや地下鉄によく見られるのは、「请保护好自己的财物,小心小偷」である。
つまり、「すりに注意して、自分の荷物をよく確保してください。」ということだ。
すりが多くて、お金とか盗まれたら大変である。
でも、それは痴漢がいないということではない。
混んでいる電車やバスに乗っているとき、痴漢に触られることも多い。
中国の女性は痴漢に触られたら、そうっと他のところに行くだけで、
大声で叱ったり、警察に言ったりする人がまだ多くない。

 

 

 

 

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夏の終わりに中国の教え子が来訪

2023-09-09 16:35:05 | 中日(日中)交流

 

⤴この西瓜は二週間前、留学生のCさんがお土産に持ってきてくれたものです。

スーツケース30㎏を引きずり、駅から歩いて20分の我が家までの途中、

Cさんはスーパーで超特大の西瓜を買い求め、

全身大汗を搔きながらやってきたのでした。

暑さ、重さ、自分の苦労を顧みず、どうせ買うなら一番でかいのを、と

躊躇なく選んだこの姿勢は実に中国的だなあと思いました。

「どうせやるなら派手にやる」

「もてなしは全身、全霊、全力で」

こうしたキャッチコピーがピッタリなのが中国式です。

中国に滞在した約10年間に、

私は「捨て身のもてなし」とでも呼ぶしかないような

手厚く、情のこもった待遇を何十回も受けてきました。

 

実は、私の亡き母は戦時中の1943年、二十代前半でしたが

現地除隊して日本軍下請けの石炭会社に就職した父に連れられて

山東省濰坊市に行き、そこで数年間過ごした体験を持つ人でした。

敗戦を迎えるや、軍隊は素早く日本に戻ったけれど民間人は取り残されて、

半年後の1946年2月にようやく帰国できたそうです。

その母から彼女の知る中国の人々について何度も聞かされた話があります。

「中国人は心が広い。

来る者は拒まず、『来、らい、らい』と言って

誰でも気軽に家に招くのさ」

「中国から引き揚げるとき、村の人たちは油菓子と餞別まで持たせてくれた。

お返しをしないとだめなんだ。」

「最後に馬車に乗って別れる時、

『平和になったらまた来いよ~』と言ってくれたのさ」

と、まるで昨日のことのようにはっきりと、懐かしそうに語ったものです。

親が受けた恩を子どもの私が代わりに返すことの一つに

こうした親の経験した事実を周囲の人々に話していくこともあると思い、

以前にも書いた内容ですが再びここで紹介いたします。

政府やメディアが意図的に、

まるで中国が敵国であるかのように語るので

煽られて日本の民が中国の人々を敵視したりしないために。

ものごとを一面的に見ては真実が分かりませんからね。

 

さて、Cさんと私は中国の大学の話や中国と日本の事情などで

盛り上がったのですが、

ちょうど今、日本でマイナンバーカードを巡って揉めているので

中国のIDカードがどう使われているか、中国の管理システムとの関連を

尋ねてみました。

郵便局や銀行、学校等の公的機関以外に、ホテルの宿泊・両替、

市外に出る交通機関、ちょっと高価な買い物をしたときなど、

いつでも提示が求められます。

そう言えば、私は外国人なので

しょっちゅうパスポートを見せろと言われたものでした。

Cさんが、

「何が嫌だと言って、IDカードとセットで持ち物検査をされるのが一番嫌です」

と言ったとき、

私は列車の駅で持ち物検査される度に(この無礼者!)と心で叫び、

顔を引きつらせていた自分を鮮やかに思い出したのでした。

その上、中国の主要駅には何人もの兵士が銃を持ち、

客に向かって直立しています。

IDカードが国民管理の一環としてあること、

その管理は国家によって好き放題強化され得ることを、

Cさんとの話で改めて感じました。

 

⤵中国の大学キャンパスはたくさんの樹木が。これは何という名だったかな。

 

 

 

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「段躍中さんの『中国人の日本語作文コンクール』」No.3877

2020-05-31 02:51:57 | 中日(日中)交流

 

日本僑報社(段躍中主任)の「中国人の日本語作文コンクール」

第7回から毎年応募してきた(日本に帰っていた第11回を除く)

作文コンクールに最後の応募をいたしました。

今日、5月31日が締め切り日です。

一作ずつ、最後のチェックをして

全部で22編の作文をコンクール事務局に送付し、

2月末からの終わらない仕事から解放されて深く息をついています。

学生の作文内容については

締切日を過ぎる明日以降、おいおい書くことにして

今日は主催者の段躍中さんのご紹介をいたしましょう。

Wikipediaで何年前か検索したら、ネトウヨによる

段躍中=「反日」「中国共産党の手先」などと

全く当てはまらない「説明」があり、

(Wikipediaはこういうことも載せるんだな)と

その信用度が地に落ちました。

しかし、さっきもう一度念のためWikipediaを見たところ、

その文言はすっかり消えて

下のような経歴事実のみが記載されてありました。

(自浄作用もあるようです)

ネトウヨは、経歴にある

「中国青年報の記者」「日本に留学」の2つから

上記の言葉を思いついたのでしょう。

 

確かに中国青年報は中国共産主義青年団(共青団)の機関紙で、

当時の段躍中さんは中国共産党の若き有望株だったそうです。

そんな彼が、なぜ1991年に日本に留学し、

以後ずっと独力で日本に足場を築いてきたのかは、

1989年6月4日の天安門事件を抜きに語れません。

当時、段躍中さんはすでに中国青年報の記者でした。

天安門広場で見た事実を新聞社に帰って記事にしようとした

段さんを含む記者たちは、

上層部から禁止命令が下され、机を叩いて泣いたそうです。

その後、彼は「妻が恋しいので」という理由で

先に留学していた妻のいる日本に渡り、

現在まで自力で日中友好の地歩を築いてきました。

「日本の新聞の『声』欄に市民の政府批判が載っているのを見て、

(言論の自由とはこういうことか…)と感銘を受けた」

と段さんが書いていたのを読み、

日本でも「声」欄に政府批判が載せられなかった時代が

かつてあったことを想いました。

独裁政治は軍事独裁だろうが共産党独裁だろうがダメですね。

段躍中さんは、日本政府(在中国日本大使館)の後援を取り付け、

コンクールの最優秀者を日本に招いて

日本政府の文科大臣を訪れさせて一緒に写真を撮るなど、

政権の懐に飛び込む大胆なやり方で

この作文コンクールの権威付けに成功し、

今では中国全土の日本語を学ぶ学校から認定される

確固たる地位を確立しています。

中国人らしい方法だと思います。

 

ー段躍中さんの経歴 Wikipediaより
1958年中国湖南省に生まれ、中国青年報の記者・編集者として活躍。 
1991年日本に留学。 
1996年総合出版の日本僑報社を設立。 
1998年には在日中国人社会の情報源と成すべく編纂した在日中国人大全を出版。 
2000年3月に新潟大学大学院で博士号取得。 
2002年「永遠の隣人--人民日報に見る日本人」を出版。 
2005年から日中作文コンクール(日本人の中国語作文コンクール、中国人の日本語作文コンクール)を主催。 
2007年8月、星期日漢語角(日曜中国語サークル)を創立。 
2008年度日中学院倉石賞・小島康誉国際貢献賞受賞。 
2009年度外務大臣表彰受賞。 
2014年12月、「中国人の日本語作文コンクール」は第10回を迎え、北京の日本大使館にて表彰式と日本語スピーチ大会を催す。 
2015年5月14日、NHKラジオ深夜便に出演、テーマは「日中相互理解は日本語作文から」。 
2016年5月20日、テレビ朝日「羽鳥慎一モーニングショー」に出演 
2016年9月7日、NHKクローズアップ現代に出演 
2016年9月26日号、サンデー毎日「倉重篤郎・サンデー時評」に大きく登場 
2016年11月26日、朝日新聞・beに登場 

 

 

 

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「中国人の恩返し『武漢から逃げた人を許して』」No.3797

2020-02-26 22:26:23 | 中日(日中)交流

(武漢で変なものを食べる人が居たばっかりに…)

(封鎖された武漢から解熱剤でごまかして脱出した人のせいで…)

(武漢から帰った故郷でカラオケやら麻雀やら出歩きやがって…)

と、思い始めるとこれら少数の思慮分別のない人に

腹が立って堪らなくなります。

しかし、他の中国の人々はこの少数者のために

医療従事者を含む多くの犠牲者を出し、

今もなおさんざん苦しめられていて、

私の教え子たちも在宅隔離状態です。

ウイルスは国を選ばず拡散し、

私たちは同じようにウイルスに対峙している人間仲間です。

 

その仲間である中国人の一人の女性が

「武漢からの恩返し」として渋谷で

自分が通販で買い溜めたマスクを配ったというニュースがあり、

その発言を読んで

ささくれ立ったわが胸にも染み入るものがありました。

<こんな伝染病を日本にもたらして申し訳ない気持ちでいっぱいです。それなのに日本人は武漢に支援物資を送ってくれた。武漢市民を代表して恩返しをしたかった>

<武漢では感染を広げないように多くの市民が自宅に閉じこもっています。どうか逃げた人たちのことは許してあげてください>と。

↑毎日新聞 中国人女性がマスクを配布した際に着用したかぶり物=本人提供 

「支援物資の恩返し」武漢を代表し渋谷でマスク配る かぶり物の中国人女性話題に 毎日新聞 2020/02/26 17:00 

 <武漢からの恩返し>と書かれた段ボール箱から1枚、また1枚と道行く人にマスクを配るかぶり物姿の中国人女性が話題になっている。

この光景を撮影した映像が26日までに中国版ツイッター「微博(ウェイボー)」などで1900万回以上も再生された。 

撮影場所は東京・渋谷。時間は23日正午前から午後4時ごろまで。配布を手伝う男性数人の姿もあった。

映像のコメント欄には中国語で「武漢市民から日本人への感謝の気持ちを伝えてくれてありがとう」などと共感の声が並ぶ。

新型コロナウイルスによる肺炎が広がった武漢には日本政府が各国に先駆けて支援物資を届けたほか、日本から届いた段ボール箱に「山川異域 風月同天(離れていても、私たちは同じ空を見ている)」という漢詩が書かれていたことも中国で話題になっている。

しかし、封鎖された武漢から日本まで恩返しに来るのは難しそうだ。

ネット上の投稿を手がかりにかぶり物の中の人を探したところ、来日10年になる中国人女性だった。大学院在学中に広告会社を創業し、モデルや漫画家としても活動する。米誌フォーブスの名物企画「次代を担う30歳以下の30人」にも選ばれていた。

マスクを配った理由をメールで問い合わせると即座に返事が返ってきた。

<こんな伝染病を日本にもたらして申し訳ない気持ちでいっぱいです。それなのに日本人は武漢に支援物資を送ってくれた。武漢市民を代表して恩返しをしたかった>

配布したマスクは1000枚で、500枚は中国人女性経営者が中国から買い付けたものを寄付してくれた。残りの500枚は2週間かけて通販で買い集めたという。何度目かのやりとりで苦しい胸の内がのぞいた。

<武漢では感染を広げないように多くの市民が自宅に閉じこもっています。どうか逃げた人たちのことは許してあげてください>

マスクを受け取った日本人から「シェイシェイ(謝謝:ありがとう)」「ジャーヨー(加油:頑張って)」と頭をなでてもらった。同じような活動をしたいという中国人グループからも声がかかるようになったという。【北京・浦松丈二】

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「『自分の家以外はみんな疫病区だとみなして!』中国の若者から」No.3794

2020-02-23 23:55:38 | 中日(日中)交流

教え子で春節のため職場のある北京から故郷江西省に戻り、

そのまま今も家に留まらざるを得ないでいる若者から

今度は日本にいる私を心配してメールが来ました。

しかし、そのメール文が文字化けして読めなくなっています。

突然全中国の携帯の文字コードが変化したのでしょうか。

こういう時はすぐ中国国家のファイアウォール

(ネット情報管理制限装置)を想起してしまいます。

中国では今まで何とか使えたVPNが

完全に使えなくなったとも聞いています。

それが本当なら

コロナウイルス関連での措置の可能性があります。

今は中国からのメール文を読むのに

中国側で、メール文をそのまま送らず写真として保存し、

その写真を送ってもらうようにしています。

下のメール写真は、

新型肺炎(コロナウイルス)と闘う先輩の

中国人から日本人に対する

心からのアドバイスだと受け止めました。

これを読んでくださっている皆さん、

お互いくれぐれも気をつけましょう。

私は友達に誘われた中山寺の梅鑑賞を取りやめました。

ーーーーーーーーーーーーーーー

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「中国から悲痛なメールが届いた」No.3776

2020-02-05 19:56:18 | 中日(日中)交流

↑春節に北京から連れ合いを連れて故郷の宜春に戻り、家族と記念撮影の周文毓さん。南ア出身の連れ合いに美しい故郷を案内したかったでしょうに、それもままなりませんでした。

 

江西財経大学時代の教え子、周文毓さんは春節で職場のある北京から

故郷の江西省宜春市に戻っています。

北京でも新型肺炎の猛威は衰えを知らず、いつ北京に戻れるか分からないので

春節休み明けはおそらく在宅で仕事をすることになるだろうとのこと。

下は、この忌まわしい疫病について

彼女が見聞きし、考えたことです。

ーーーーーーーーーーーー

先生

今日で武漢が封じられてからもう2週間経ちました。

とうとう昨日、私がいる小さな町にも、感染者が一例確認され、

この小さな町で大きなパニックを起こしました。

その人は、武漢から帰ってきたことを隠していました。

確認されるまで全然引き込もらず、町中をうろうろして、

親戚の家を訪ねて、知り合いと食べて、酒を飲んで、

2週間もマージャンをしていました。

その馬鹿野郎のせいで、その人がいる村の人が全部隔離されて、

親戚も隔離され、町の委員会はまだその人と接触がある人を探しています。

うちの住宅団地も封鎖されています。

食物が切れ、買い物しなければならない時は、

一家で1人だけ体温を測定されてから出られます。

帰ってきた時も体温を測定するのです。

ムカつくのは、この疫病は天災ではなく、人災なんです。

食べてはいけない野生動物を食べた愚か者、

自分は感染されてないと思って疫病区から帰ってきたことを隠した愚か者、

感染しているのに検査を誤魔化すため解熱剤を飲んで武漢から逃げた愚か者、

そういう愚か者たちが疫病を全国に広めたんです。

しかも、12月中旬には武漢の疫病は既にとても深刻だったのに、

武漢政府はそれを隠していました。

私たちは1月20日初めて疫病のことを知りました。

その時、春節の帰郷運輸はとっくに始まっていました。

だからこんなに深刻になったんです。

 海外のたくさんの国は中国に関心をもって、中国人に同情して、

もちろん、中国人を差別する人もたくさんいます。

正直に言って、差別されても自業自得なんだと思います。

でも、少数の愚か者が悪いことをして、

なんで多数の普通の優しい民衆がその罰を受けなければなりませんか。

そう思うと心が痛みます。

ピークはこの2、3日だと思います。

全国一緒に戦っているから、きっと病気に勝ちます。

ただ、今回、中国人は本当に教訓をくみ取るように!

そうだ、今回私は連れ合いを故郷に連れて戻りました。

20日は初めて疫病のことを知って、翌21日は帰郷、

それからいきなり事態が深刻になって、ほとんど家に引きこもり(泣)。

そして27日、連れ合いが南アフリカに帰りました。

私とおじさんが運転して彼を空港まで送る時、

道路はもう封じられていました。

往来の車にいる人は必ず体温を測定してから通されます。

彼は今南アフリカにいて、私はまだ故郷にいます。

彼を空港まで送って以来、1度も家を出ていません。

昨日、北京の会社から連絡がありましたが北京の疫病はまだ深刻なので、

多分正月が終わったら在宅ワークになります。

先生は日本にいても必ず気をつけてくださいね。

できるだけ中国に帰るのを遅らせてください!

この疫病は潜伏期が長いから、健康そうな人も感染者である可能性があります。

では、また。

本当に早く収まりますように!!

連れ合いと祖父母、また他の一部の家族メンバーの写真を添付します(*゚▽゚)ノ

(両親は写真にいません。)

ーー中央で腕抜きをしているのが周文毓さん。右隣がお連れ合い。

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「今学期もカレー&トンカツで締め括り」No.2739

2019-12-28 20:07:13 | 中日(日中)交流

学期末恒例のカレーランチ会。

今回は日本語学部2年生を招待しました(写真)。

昨日、不運にもコンタクトレンズを一個水に流してしまい、

片目レンズで頑張って作ったのは

椎茸たっぷりのチキンカレーライス

(チキンは骨付きしか売っていないのでスープも取れます)

アップルミルクティー

(林檎の皮で香と味を演出したのに誰も気付かなかった…)

トンカツ

(現在中国全土で豚の病気が流行っているとかで、

豚肉の価格が高騰しています。春節のご馳走はどうなるんでしょう)

卵焼き

(シマヤだしの素を入れたところ、非常に好評でした)

レタス、胡瓜、トマト、ブロッコリーと半熟卵のサラダ

(山東省では生野菜のサラダは抵抗なく食べてもらえますが、

以前居た江西省では「ええ?生で、野菜を、食べるんですかあ~!?」

という反応でした。同じ中国でも場所が変われば食べるものもかなり違います)

 

さて、2年生のメンバーはこれで全員、たったの6人です・・・・・・。

大学が山東省出身者しか、

しかも日本語専攻第一志望の子しか合格させなかった結果です。

(馬鹿ですか、この大学は)と何十回心で罵ったことでしょう。

来年は元通り、中国全土に向けて募集するそうです。

(明らかに馬鹿ですね。この大学は)

しかし、たった6人の学生達は第一志望が叶ったためか、

はたまた少人数学習のためか、

先輩方と比べても、そんなに努力しているとは思えないにもかかわらず、

日本語を使うことに物怖じせず、ちゃんと会話が成り立っています。

先日、授業の最終日に、

「私と日本語」という定番のテーマでスピーチをしてもらったところ、

日本語との出会いでは、全員がやはり、日本のアニメ・ドラマを挙げました。

小さいころのアニメ体験は先輩達とほぼ共通していて

「一休さん」、「カードキャプターさくら」、「ウルトラマン」などを

中国語吹き替えか字幕で見ていたそうです。

小学生時代、画面から日本語で「ミシ、ミシ」と聞こえていたものが

大学で日本語を学んで初めて「飯、飯」だったと分かったと言う子もいました。

 

中学・高校時代のお気に入りアニメ・ドラマでは、

宮崎駿監督作品に代わって(もはや監督の名前も知られていない)、

「兄に愛されすぎて困ってます」(複数の女性たち)

「夏目友人帳」

「千本桜」(歌:初音ミク)

「機動戦士ガンダム」

などが挙げられ、大量の動画が入り乱れて中国に入っていることを感じさせました。

ちなみに、

ガンダムを挙げた王征さんは現在「宇宙船艦ヤマト」に辿り着いています。

写真で見ての通り、中国の学生としてはかなりの長髪に属し、

クラスの女の子たちが面白がって、

可愛いヘアゴムをプレゼントして、結ってあげたりしています。

昨日で担当科目の試験は全て終わり、

あとは成績をつけて、1月7日の鄭州ー関空のLCC便で帰途に着きます。

最近、鄭州ー関空の直行LCC便(春秋航空)が運行されるようになったので、

時間と言い、チケットの価格と言い、どんなにありがたいか分かりません。

もう、一晩どこかに泊まったりしなくても、

朝8時に宿舎を出発したら

夜には大阪に着けるんですから~。

 

昨日の午後、二羽の小鳥が外国語学院ビルの外の石榴の木に停まって

ピチュピチュ囀っていました。

「寒くなってきたわね~」

「ほんと、ほんと。虫も見つけにくくてやな季節よね~」

……とか言ってるんでしょうか。

いつもの菏澤の冬です。

 

 

 

 

 

 

 

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「なんだよ、中国と結びついてるの自民党じゃん」」No.2732

2019-12-21 19:35:01 | 中日(日中)交流
<section class="css-1dbjc4n" role="region" aria-labelledby="accessible-list-109">
<article class="css-1dbjc4n r-1loqt21 r-1udh08x" tabindex="0" role="article" aria-haspopup="false" data-focusable="true">
 
ネトウヨさん、あなたの出番ですよ~~
 
あきもと司.png秋元司自民党衆議院議員
 
「翁長雄志知事が中国と結びついている」と、
さんざんデマを流していたネトウヨさんたち。
故翁長雄志知事さんと中国との関係は
根も葉も茎もないウソ八百・出鱈目でしたが、
今回の秋元司〔自民党)衆議院議員がカジノ誘致等を巡って
中国企業と繋がっていたのは
どうも本当のようですね。
自民党政権に忖度ばかりの東京地検特捜部
いつになく腰を上げたからには
よほど証拠があるんでしょうからね。
さあ、さあ、
「自民党に任せていたら日本は中国に乗っ取られる~
翁長さんの時のように我を忘れて騒ぎ立てましょうよ。
 
翁長さんが
曇りない目で
あなたを見ていますよ。
 
 
IRシンポ中国企業側との接点か 秋元司衆院議員
共同通信 12/21(土) 18:13配信
 日本に現金が不正に持ち込まれた外為法違反事件に関与した疑いがある中国企業日本法人の自称役員の男性が、秋元司衆院議員(48)=自民、東京15区=も参加し、2017年8月に那覇市で開かれたカジノを含む統合型リゾート施設(IR)に関するシンポジウムで、企画など中心的役割を担っていたことが21日、関係者への取材で分かった。
 シンポジウムは日本でのIR事業参入に意欲を示していた中国企業が主催。東京地検特捜部は、これを機に中国企業側とIR推進派の秋元氏が関係を深めた可能性があるとみて調べている。
 関係者は「秋元氏と中国企業側がつながったのはこの時だと思う」と話した。
 
秋元 司(あきもと つかさ、1971年10月23日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(3期)、参議院議員(1期)。内閣府副大臣兼環境副大臣(第4次安倍改造内閣)、国土交通副大臣兼内閣府副大臣兼復興副大臣(第3次安倍第3次改造内閣・第4次安倍内閣)、防衛大臣政務官(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、衆議院内閣委員長、参議院議員(1期)、自民党内閣部会長等を歴任。-Wikipediaより

 

 

</article>
</section>
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「(日本の国民はどれほど幸せか)と中国人老師は思ったんだけど」No.2445

2019-10-08 23:18:30 | 中日(日中)交流
写真東京新聞より

先日、食事会で中国人の先生が
「消費税はちょっと上がったけど、
 幼稚園や保育所が無料になるなんて、すばらしいじゃないですか」
と日本の政策を手放しで褒めちぎるので、
「いやいや、ちょっと待ってね。調べてみます」
とその場は返事をし、あれこれ関連記事を読んで下のブログ文↓を書き、
そのコピーを送ったところ、お返事をいただきました。

2019/10/08 (火) 15:03
件名:「幼保無償化のことですが」
 -----------------
 私は先日安倍首相がアピールした
「所得にかかわらず、無料にします」という動画を見て、
(日本は素晴らしいなあ)とか、
(日本の国民はどれほど幸せか)と感じて
日本にすごく感服していました。
条件付きの無料だなんて、安倍首相の話では全然思えませんでした。
教えていただいて、ありがとうございます。
--------------
アベさんの話だけを聞いていたら、
日本語が堪能な中国人老師も
「日本国民はどんなに幸せなことか」
と勘違いしてしまうということが分かりました。
たぐい稀な嘘つき力ですが、
何度も何度も聞いている日本人はもうそろそろ気がついてきましたかね。
 
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