毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

PTSDからの脱却   2011年3月31日(木) No.101

2011-03-31 18:34:04 | 中国事情
 心的外傷ストレス(Post-Traumatic Stress Disorder)。
日本ではとても多くの人がこの状態になっただろう。誰かのブログで、その症状を読むと、どんどん鬱っぽくなり、意気消沈する。普段ならあり得ないほど何でもないことにも、涙が勝手に出てくる。
 
 これを読んで、(なんだ、自分もそうだったんだ)と初めて気がついた。
12日から14日まで、私は宿舎で一人、インターネットとCCTVにかじり付き、得られる限りの情報を得ようとしていた。
CCTV(中国国営放送)を見ていたのは、(日本の友人知人の皆さんに、この災害に対する中国の報道の様子を知らせなければ)という使命感のようなものがあったからだ。ジャーナリストでもないのに、何考えてこう思ったのか、この辺がちょっと自分でも分からないんですケド。

 CCTVの24時間ニュースは繰り返し東北の津波シーンを映し出し、さらに12日の福島原発が爆発しているまさにその時の映像を見て、(ああ、これはとんでもないことになったんだ)とスーッと血の気が引く思いがした。
 CCTVのアンカーがチェルノブイリやスリーマイル島の名前を出し、福島原発の古さはそれに匹敵するとか言う。そんなこと言われなくても、今から25年前の、世界を震撼させたあの事故が甦ってきた。この原発事故あたりから、涙が止まらなくなった。
日本から、苦しみのオーラがビンビン飛んでくるというのに、なすすべもない、でくの坊だ。

 この週は学生の何気ない言葉も神経に刺さった。もちろん、多くの学生の励ましは嬉しかったし、その声を日本に届けなくては…、とも思った。しかし、学生が書いてくれた励ましの手紙を読むのも次第に辛くなってしまった。
 この辺で、(あれ、このまま行くとアカンな)と思い、何とかしようと思いついたのが、「鳥に餌をやる」ということだ。猫でも何でもいい、傍に生き物がいることはとても大切なことだと思う。避難所で愛猫や愛犬に目を細める人たちの気持ちが、分かる気がする。

 そしてさらに、我慢せずバーバーと文句や愚痴を言える人がいるのは、なんてありがたいことだっただろう。今回その損な役回りになってもらったのが、理工大のムラオカ先生と杜さんだった。
「どうぞお花見に~。」とかうまいこと言って、宿舎に来ていただいた。のんびり現れた二人に、かなり溜まっていたものをグチグチ言ったのが、気分転換の1つの契機になった気がする。

 鳥たちも、「ぴちくりぴちくり」とか外で喋りまくってくれる。こんな一つ一つのことがガチガチの肩や胸や心を少しずつ温めてくれた。

 そして、一面識もないが、白取千夏雄さん、糸井重里さん、蒲田實さんのブログ、何年も会っていないが山口平明さんの「天音堂堂守日記」など、声高ではなく、静かに日々のトーンを持続している人たちの言葉が気持ちよく胸に沁みた。

 元気になり出すと、勢いがついてくる。もう大丈夫だ。心底そう言える。
これを読んでいるみなさんも、自分が(ああ、気持ちいいなあ)と思えることを選んで、それにシッポリ浸って下さい。きっと元気になりますよ。

 
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深呼吸する   2011年3月30日(水) No.100

2011-03-30 20:38:07 | 中国事情
 朝目を覚ます。
鳥の声、トラックのバンピング、時には爆竹。
最近は、自分で上手に音を取捨選択している。鳥の声しか聞いていないのだ。
補聴器は何でもかんでも音を拾ってしまうので、煩いったらない、と以前聞いたことがある。人間の場合、耳が蓋をするんじゃなくて、脳が音を選んでいるんだよね。トラックの派手な音が、ふと気付いたら遠くから聞こえる…。とうとう、ここまで適応したんだ。すごいぞ、身体!

 もう一つ。胸が潰れるように重くガチガチになったとき、意識して深呼吸してみる。いい感じ。胸がスッと軽くなる。肩も背中も軽くなる。つまり酸欠だったのか。ムッツリして、鼻からチョビチョビ息をしているから、全身に空気が行き渡らなくなった可能性がある。
ここ最近、意識して、しょっちゅう深呼吸をしている。こんな事でも気持ちは回復に向かう。

 今日は、宿舎の外で、スミレを見つけた。ほとんど真っ白と言っていい色だが、花や葉の形は紛れもなくスミレだ。
その上、私の大好きなヨモギも生えている。ヨモギの先をちぎって匂いを嗅ぐと、本当に胸と言うより心がス-ッとする。
アイヌの人々は、昔から「ヨモギはこの世で一番初めに生えた草なので、これで刀や槍を作ると魔力を発揮する。」と言い伝えてきたそうだ。
すくすく育つその勢いやすらりとした立ち姿も好きだが、葉の形もきれいだなあと思う。
亡き母は、4,5歳の頃の私がよくヨモギを手にして家に帰り、得意げに「きれいな花を持ってきたよ。」と言っていたと教えてくれたことがあった。今でも、草の中で一番好きなのはヨモギだ。


スーパー「全家百貨」で自分と鳥のために食パン1斤(6.5元)を買い、帰ってくる途中、歩道で若い女性の焼き餅やさんが、鉄板で平たい餅みたいなのを焼いていた。色がヨモギっぽいので、どんな味がするのか確かめたくなり、2つ買った。1個5毛だから2個で1元。安いので浮き浮きして歩きながら、串に刺してくれた草餅を一口かじった。ヨモギは全く入っていない。着色料の色だけだ。さらに油も良くない。餅といっても固い団子みたい。(今日のはハズレだ~)とは思ったが、家に帰って電子レンジであっためると、(ま~、オ~ケ~)ぐらいにはなった。

 そう言えば、帰国者の李さんに「くれぐれも道路で売っているものを買って食べてはいけません。」と言われていたんだ。でも、李さん、もう私の胃腸は、路上食品にもビックリしませんよ~。何でもござれで~す。
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日はまた昇る   2011年3月29日(火) No.99

2011-03-29 22:56:53 | 中国事情
 かまたみのるさんがブログ「八ヶ岳山麓日記」に、今日書いていた。

夕焼けが美しい。

たくさんの方が亡くなった。
たくさんのかたが傷ついた。
大切な人や、大切なものを失った。

ぼくたちはどこで間違ってしまったんだろう。

悲しくて、悲しくて、立ちすくみそうだ。
それでも、立ち上がるしかない。

・・・・・・・

悲しくて、美しい夕暮れ。
太陽は沈んでも、明日、必ず昇ってくる。


 いつも、「頑張らなくてもいい。でも諦めないで。」とみんなを励まし、ひとりぼっちの人の心をあたためてきたかまたみのるさん。優しく人を包む強さを持とうと、どんなに自分を奮い立たせて頑張ってきたことだろう。
 今回の原発事故についても今日の101号までずっとみんなを励まし続け、希望の光を照らし続けているかまたさんにも、おこがましいけれど言いたい。「少しだけ、頑張らないで休んで下さい。」と。


 今日も南昌はポカポカと暖かいのどかな陽気だ。
朝6時過ぎに起きて、鳥たちに餌をあげようとしたが、もうパンの買い置きがなかった。冷凍室から古い自家製パン粉を出して少し水を含ませ、練り餌を作った。そこまでしなくても…と思う気持ちもあったが、もうかなり自分のルーティーンと化している。ベランダから外にパラパラと落とし、急いで一年会話授業の準備に取りかかった。

 毎回、授業計画を必ず立てる。「導入-展開-発展」みたいなのを考えて授業に臨まなければ自分の気持ちが落ち着かない。しかし、「発展」まで、きれいに決まることはそんなに多くない。て言うか、非常に少ない。
 一年生であっても、何らかの実践的な発展につなげられたら…と高望みするのだが、とにかく時間が足りない。40人の会話練習は、一人当たりの濃度が少なくなって可愛そうだ。来年度から何とかしてもらえないだろうか。なにかにつけて「財大日本語学科はお金がないから~。」と言われるが、(会話を2クラスに分割することぐらい簡単じゃないか)と、日本から来てこちらの事情が分からない私は思う。

 今日教室に入ったとたんに「先生、ビューティフル!」と叫ばれ、日本では終ぞ聞いたことのないその言葉にキョトンとしたら、私がスカートを穿いていることを指した言葉だった。
さよう、今南昌郊外でスカートなんぞ穿いているのは、学生の何人か(彼女らのスカート丈は実に短い)と、外国人ぐらいなものなのだ。現在も大人の女性達は、モコモコに着込んで歩いている。またいつ冬に戻るか分からないからだろう。南昌の天気は本当に変なんだから。
 でも夏になったら50代の女性達も、きっとサラサラのスカートを楽しむんじゃないかな。去年はどうだったかなあ?

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桜を見に行く   2011年3月28日(月)  No.98

2011-03-28 19:13:14 | 中国事情
 福島原子力発電所の状態がとても気になる。
昨日、奇跡的にスムーズにhttp://www.videonews.comの「あえて最悪のシナリオを想定して対策を立てる」(3月25日のもの)を見ることができた。(普段はこうした動画はブチブチに切れて、とてもじゃないが見続けようという気になれない)
今日のNHKのネットニュースを見ると、事態はその「最悪のシナリオ」と言われているものに酷似している。
そのビデオに電話出演した京大熊取原子炉実験所助教の小出裕章さんの説明は、とても説得力がある。まだ見られていない方は、ぜひ!
 放射性物質の流出が、だらだらと何ヶ月か続く可能性があるとき、次にしなければならないのは、もれ具合の数値のできるだけ正確な発表と、その数値レベルでは、どのような行動をするのが安全のために必要なのかを、みんなに伝えることだろう。政府・原子力保安院・東電が、くれぐれも嘘偽りなく迅速に正しい情報と方針を発表することを、ひたすら願っている。
被爆した3人の作業員が退院したとのニュースはホッとするが、後遺症の心配も全くないような医師の説明(これもネットニュースで読んだだけだけど)に、(ほんとか?)とつい疑念が湧く。疑心暗鬼は本当に過重なストレスをうむので、神経をそっちばかりに向けないように気をつけている。
 

 日常のなすべきことと言えば、学校の仕事だ。私は日本語教師なんだった。
しかし、2学期はたったの8時間しか授業がない。それでも給料は1学期と同じだ。申し訳ないような気持ちになるこの貧乏性。なので、授業以外にも学生のニーズに応え、マンツーマン会話やグループ会話の時間を作っている。積極的に申し込んだ者勝ちだ。

 今日の午後は、2年生の元気者たちとキャンパスの「林業科学技術院」というところにお花見に出かけた。(どうせたいしたことないわ。あの宿舎タイプの桜だろうし~)と、2,3本の細々とした桜の木を想像して行った。途中、2年生たちが、必死で「う~、あ~」と日本語を話すのが可愛くてたまらない。理知的で静かな3年生に比べ、2年生は元気はつらつ、声がでかい。
今日は南昌にしては珍しく、麗らかな気持ちのいい陽気だ。女の子たちは平井堅の「古時計」や他の歌を歌いながらブラブラ歩いていった。

 10分ほど歩いたところに、やっぱりたくさんとは言えない本数の、桜、桃の若木が、それでも精一杯花を咲かせていた。(こんなに小さい木なのに、花盛りにして、エライ!)と言いたくなるような可愛い木もあった。木の下を見ると、日本の関西でもお馴染みのオオイヌノフグリ、オランダミミナグサ、カタバミ、オオバコなどが地面を覆って元気に育っている。セイタカアワダチソウまである。雑草を見ると、なぜかほっとする。北海道の山奥の草生す土地暮らしが骨の髄まで染みついているからだろうか。

 さらに奥に進むと、椿・さざんか園があり、そのまた奥に大きい池があり、その周りに咲いていたのが、ソメイヨシノだった。一本、二本ではない。全部で二十本はあるだろう。やはり桜の木はある程度背が高くないとね~。
2年生たちは、「おお~!」「きれい!」と大喜びだった。桜を見に来た地元の人たち何組かとすれ違い、私と「ニーハオ」「ニーハオ」と挨拶し合うのまで、いちいち「わ~、すごい!」と大騒ぎしている。
ちょっと言っとくけど私の実力は「ニーハオ」だけちゃうで。

 池の周りには、軍人用の軍事訓練用遊具じゃない用具が置いてある所もあった。しかし、パッと見、どう見ても遊園地の遊具かアスレチックみたいだ。
ひとしきり、それで遊ぶ学生達を眺めて、またまた(なんて可愛い!)と思う。日本の中学生ぐらいの雰囲気だ。
 たっぷり2時間半、遊んだり、散歩したりして、麦廬園キャンパスに戻ってきた。自然と元気はつらつな子達に包まれ、ものすごくいい気分転換になった。
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「日本に帰ってきた~!」    2011年3月27日(日) No.97

2011-03-27 09:41:32 | 日記
 ・・・という夢を見た。かなりカフカ的な夢だった。今日はちょっとそのシュールなアホアホ=ワールドを振り返ってみませう。

 南昌の宿舎の部屋で、夕方ふと日本に帰ることを思いついた。スケジュール的に可能だ。
そこでさっさと日本の大阪に舞い戻った。
翌朝のことだ。疲れは全くない。自分の家にいるのだが、何故かそこにJICAのマイさんぽい人が座っていて、「今日から学校の講師としてスタートする。」と言う。私は何かアドバイスしなければ…と思って、
「紙は表(おもて)を使った後、さらに裏を使うといいよ。」などと、ものすごくケチくさいことを言った。

 せっかく戻ったのだから誰かに会おうと思い、近所のAさんに電話して会う約束した。電話を切ってまもなく、今日は木曜日で、小学校の仕事に行かなければならないことに気がついた。
しかし、自分がどこの学校で働いているのか、全く思い出せない。脂汗を流して考えるのだが、「波除」とか「井高野」とか、出てくる名前は一度も勤務したことのない学校ばかりだ。
 そうこうしているうちに、以前働いていた学校の若者系2人が現れたので、どこに行くのか尋ねると、
「任務で、今から厳しい条件のところへ行く。」と言う。
(そうか、頑張ってね)と思い、ちょうどいいので私の勤務校を聞くと、「高殿です。」と教えてくれた。そうだ、そうだ、そうだった!とすっかり納得した私は、同時に、Aさんと約束したので今日は休暇を取らねばならないと思い出した。
電話番号も、その若者たちが「休暇を取るなら専用の番号がありますから。」と言う。教えられた通りに、携帯で数字を押すのだが、途中で何番か忘れてしまう。その後、何回もメモを見ながら押すのだが、押し間違えたりしてどうしてもうまくいかない。私の携帯の構造が問題なのかも知れないとすら思う。

 なので私は勤務先に電話もせずに、Aさんに会いに出かけてしまった。約束した場所は「野中区民センター」という超ローカルなところだ。

 Aさんに会うやいなや「携帯貸して。職場に電話せなあかんから。」と彼女の携帯をもぎ取ると、な、なんと、彼女の携帯の文字画面部分は小さい池になっていて、そこにモヤシ状の植物が生息している。そのモヤシの頭のところに一つずつ数字が書いてあり、彼女の説明によると、該当する数のモヤシの頭を押して、池に押し込むことで電話がつながるのだ。半信半疑で押してみた。うまくいくはずがない。モヤシの根本の部分が腐食していたり、細すぎてすぐに折れ曲がってしまったりで、ことごとく失敗した。
「こんなん、できひんわ。」と曖昧な関西弁で抗議をした。
Aさんはすごい。何の苦もなく私が唱える番号をモヤシで押していき、「はい、つながったよ。」と渡してくれた。

 電話で話し始めたときに、突然脳裏に(午前中2時間、午後は6校時目に1時間授業をしなければならない)というスケジュールが浮かんだ。今から行けば、6校時の授業に間に合う。私の口は「今から行きます。教頭先生にお伝え下さい。」とエエカッコして言うではないか。今ごろになって休暇を申し出るのが心苦しいからに違いない。
さらに電話口に出た人(知っている人だが、高殿の人ではない)は、「あ~、私は今から女性部の会合に出かけますから。」と言う。どうしてなんだろう。こちらが丁寧語で頼んでいるのに伝言してくれそうもない。
(ああ、道は絶たれた。どうしようもない)と私はぼんやり思った。

 建物の外に出て、二人で歩いていると、突然、一台のバスが横向きのまま何かに押されてこちらにすごい勢いで来る。慌てて、建物の屋根に登って難を逃れた。バスは建物の壁にぶつかって止まった。
中に乗っていたのは、幼稚園の子ども達と先生だ。バスの入り口から水とともにはき出されて来た子ども達と先生を見た。
バスは3台やって来て同じ状態になった・・・(この部分は書けない)

 (何しに日本に帰ってきたのだろう)と思うと同時に、今日が木曜ということは、南昌でも授業があることに、今さらながら気がついた。
今度は、国際電話だ。次々と襲いかかる困難。携帯の電池が切れかけだ。必死で、「今日は本当に申し訳ありませんでした。」と平謝りに謝った。シンペイ先生の態度は電話からは計り知れない。
一体何やってんだ!私は~!!!

というところで、ハッと目が覚めた。南昌の宿舎の部屋のベッドに居た。外からはもう、朝の鳥のさえずりが聞こえてくる。
自分の身体が存在するところで頑張るしかない、としみじみ思った。くたくただった。

 

 
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震災後15日  2011年3月26日(土) No.96

2011-03-26 19:29:11 | 中国事情
 3/11から15日も経ったんだ。みんないろんな事を考えるわけだ。疲れるのでネットの書き込みタイトルだけちらっと見て、あまり全文を読まないようにしているが…。

地震直後の、全世界が絶賛した「日本人の沈着冷静さ」なるものについて、
①なぜそれができたのか 
②なぜ長続きしないのか
③人々の行動を決定する判断基準は何か 
④これからの日本社会はどう変わるのかなど、
まもなくたくさんの論文や本が出ることだろう。自分でも少しは考えなくちゃとは思うが、鳥たちの餌やりに傾く今日この頃だ。

 東日本大震災後の日本の人々は、遠くにいる私がネットなどで感じるに、
①自分のことだけを考えて行動する人
②自分とみんなの利益を分け合おうとする人
に分かれ、さらに②の利益を分け合おうとする人々の中でも、
a)静かに自律的にそれを実践する人
b)他人に同調を求める人
がおり、またその上を行く
③全体の利益の前に個人の楽しみは最小限にすべきであると主張する人
などが出現している気配がする。

何と言っても、②のa)が多数を占める状態が、やっぱ居心地いいよね。震災直後の状態はそれだったのではないだろうか。

日本に居て、ときどき息苦しかったのは、「みんな同じであるべき」ムードが漂ったときだ。
日本に居て、ときどきクサクサしたのは、「白なの?黒なの?どっち?あ、白か!それえ~~~!」と思慮深さの真逆の怒濤の進撃に遭遇したときだ。
震災後15日の現在、日本国内で①と③の勢力が増してきていないか、ちょっとビクビク危惧している。

 といって、自分に何ができようはずもないので、ひたすら日常のことをこなすだけだ。
昨夜は、財大と隣の理工大の合同日本語コーナーを、共同開催した。私としては初めての体験だ。理工大の学生15人がムラオカ先生に連れられ、夕方、歩いてニコニコやって来た。迎える財大の子たちもワクワクソワソワして、女の子は髪に桃の花を飾ったり、いつも髪の毛を後ろに無造作にくくっているのに、昨日はちょっとでもおしゃれしてフワッと垂らしたりしていた。
知り合いになるために、簡単なインタビューをしたり、大学対抗紙相撲大会をして遊んだ。たったそれだけのことだが、みんなとても楽しそうだった。

理工大の子達が帰った後、夜道のキャンパスを男子学生数人と歩きながら、乗り合いタクシー乗り場へ向かった。
彼らは口々に、
「理工大の女性達は、み~んな本当にきれいです!」と言う。
どこに行っても、男という者は…。
一人、リュウカクサンという学生だけは、紙相撲の面白さに心を奪われたようで、私があげた土俵の箱(AMAZONの空き箱)を嬉しそうに脇に抱えて寮に帰っていった。(きっと寮で一人、紙相撲大会の続きをするんだろうな。)ちょっとホッコリ。




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「日本のみなさんへ」財大日本語学科3年生より  2011年3月24日(木) No.95

2011-03-24 19:38:39 | 中国事情

 3年生「ビジネス作文」のテキストには、結婚祝い、新築祝い、栄転祝い、時候の挨拶など、各種見本が並んでおり、それを見本にして書きながら形式や言葉遣いを覚えていく練習をしている。
その見本の一つに、地震見舞いというのがあった。先週金曜日、その見本を見ながら日本の皆さん宛てに見舞い状を書いた。形式的文書の練習だから、味も素っ気もないものばかりかと思いきや、中にはやはり自分の言葉で一生懸命書いている子もいた。

 驚いたことに、昨年末に日本の戦争犯罪に言及した王さん、陳さんが最も自分の気持ちを表現した見舞い状を書いていた。他の子達も、形式を守りながらも、一言自身の気持ちを述べているものがあったので、ここに紹介する。なお今回は本人の了承を得たので本名を掲載することにした。


    「地震お見舞い」
日本の皆様
前略 3月11日当日の夜、私は寮に帰って日頃通りにパソコンでNHKのニュースを聞き始めました。そのニュースを通じて日本では大地震が起こったことを知り、本当に大変驚きました。
また、一昨日ウェブサイトで衛星が撮った、地震が起きた各地方の写真を見、その惨状が私自身の身に起きたように感じ、呆然としました。
 ここで今度の東日本大震災で不幸にもお亡くなりになった方々に心から哀悼の意を申し上げ、且つご冥福をお祈り申し上げます。
 また、ニュースによりますと、日本では余震などが続いて行く心配がありますが、皆様は災害に負けないよう、新たな生活をお迎え下さると信じております。
 以上取りあえず書中をもってお見舞い申し上げます。
                                           草々
                                          王本賢


日本の皆様
前略 先週金曜日の午後のニュースによりますと、東日本は大地震に見舞われ、その後大津波が発生して、東日本の多数の町が流され、非常に大きな災害になったことに驚き、心から案じ申し上げます。
 日本語学科三年生の私たちは東日本大震災に強い関心を持って、毎日インターネットで震災後の様々な報道を読んでいます。そして、日本人の皆様の心の強さ、楽観的な姿勢、政府に対する信頼感が見られて、非常に感銘を受けております。
 2008年、中国の四川省汶川にも大きな地震が発生しました。日本人の皆様の隣人としての私たちは、皆様のご心痛のほど、深くお察し申し上げます。日本人の皆様、どうぞお気落としなく、一日も早い再建を心からお祈りしております。
 最近、被災地は寒くなってきました。皆様の避難所での安全をお祈り申し上げます。
                                       草々
                                江西財経大学外国語学院
                                   日本語学科三年生
                                        陳礼名



               *ひとこと*
・決して希望を捨てることなく、身体を大切に明日からの日々を生き抜いていこう。(王建紅)

・心の強い日本人の皆様はきっとこの困難な状態を越えることができると信じております。(王書林)

・地震に、その最中の津波に、その後の原子力発電所の事故に屈することなく、この災難を乗り越えますよう頑張って下さい。(汪剣虹)

・私たち中国人にできることがありましたら、遠慮無くお申し付け下さい。できる限りのご協力をいたします。(肖進梅)

・皆様は必ず強い心を持って生きます。全世界の人々は日本の皆様を応援します。(陳旭)       ・・・・・・・・・・・・・・・・

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日本人教師に慰労昼食会   2011年3月23日(水) No.94

2011-03-23 21:03:52 | 中国事情
 勤め先の国際交流與合作処というのは、外国人教師達が円滑に仕事ができるようにするオフィスだが、そこが今回の災害を心配し、日本人の私とJICAの新しい職員を招いて、昼食会を開いてくれた。
正直言うと、本当に行きたくなかった。しかし、小規模であること、学長とかは来ないようなので、気楽かなと思い、財大キャンパス内のゲストハウスに出かけて行った。

 実際、メンバーはオフィスのAlex(中国の人だが、覚えやすいようにこういう名前を名乗っている)、Sophia、朱さん、運転手さん、シンピン先生と我々日本人2人で、とても気楽な雰囲気だった。
 朱さんの息子さんは、今北京に住む大学生だが、日本に滞在したことがあり、とても日本の事を心配しているとのこと。朱さん自身も、地震が起きて数日後、オフィスで会ったときに「家族は大丈夫か。日本と中国は友だちだ。日本の苦しみはよく分かる。我々は四川省で助けてもらったことを忘れていない。」と日本語、英語、中国語を混ぜて話してくれた人だ。
 今日もまた、ゲストハウス内のレストランでランチを食べながら、日本の歌を知っていると言って、「昴」「四季の歌」「北国の春」「時の流れに身を任せ」やらを、全部中途半端に歌ってくれた。
1960年代生まれは、日本の歌に詳しいそうだ。文化大革命後、中国の人々に日本の歌がどう受けとめられたのか、とても関心があった。しかし、「文化革命」を話題にするには人数が多すぎ、気心が知れているとは言いづらいものもあって、ひたすらジュースみたいなライトワインを飲み、美味しい白身魚をいただき、ピーマンと間違って唐辛子を食べ、口から火を吹いたみたいになっていた。

 昼食会では、少しだけ日本の震災について聞かれたが、後は普通の気楽なお喋りで、ホッとした。震災について心の中を見せて丁寧に説明するには、まだエネルギーが足りない。かなり回復しているのだが、何かが胸の中でもつれている。

 でも、朱さんの連れ合いである管理人のミズ呉や、もう一人の管理人ミズ劉が、私の日本土産へのお返しだと言って、中国のお茶やお菓子をわざわざ買ってプレゼントしてくれたり、ミズ劉が管理人室においてある仏様に日本のことを拝んでくれたりして、心遣いを見せてくれる。中国のおばちゃん達の心に触れて、ホロッと涙が出そうになる。

 
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中国人から見ると激しく行儀良い日本…   2011年3月22日(火) No.93

2011-03-22 20:30:41 | 中国事情
 この大災害が起きて以来、私もクラスなど自分の言えるところでは、日本の伝統的美徳意識と重ね、日本の人々の「我慢強さ」、「冷静さ」をアピールしてきた。

 おととい(日曜日)の夜、日本語塾で話した後で、「日本人の方はすごいですね。本当に感動しました。」と参加者の一人が感想を述べてくれた。通訳の楼さんからは「日本人は『集団主義』ですね。」などと言われて、そうかな?と保留にしたりもした。

 宿舎に帰って来て、パソコンを開けると、「買い占めで店の棚空っぽ」「ガソリン買うのに割り込みして大げんか」「50人のヒーロー」「変なチェーンメールにご注意」「心ない人の中傷のため、このトピは閉じます」「『節電しない者は人でなし』と責めないで」などなど、(日本の今の状態がシミジミ分かる情報がドバ~ッと溢れきてガックリ。
(こんな状態、中国の人たちに今さら言われへんがな…)

 固唾を飲んで事の推移を見守っていた人たちの緊張が解けたのか、或いは緊張が限界に達して切れたのか。いずれにせよ、元の日本に戻ってしまったみたいだ。少なくともネット上はそんな感じがする。
まだまだ、福島原発では緊迫した作業が続き、他の被災地では避難生活に疲弊し、病気になる人たちが増えているというのに。
なんかなあ、辛抱強いどころか辛抱足りない人が目立ってきたなあ。そういう文を読むと、本当に(比喩的じゃなくて)吐き気をもよおし、頭痛がしてくる。
でも、それを優しくいさめる書き込みもまた、非常に多い。そして、みんなの心を少しでも安らげよう、落ち着かせようという心遣いが伝わるものも。
 この全部が今の日本の情況なんだなあ。

 中国の人たちは、日本の人たちが災害直後に整然と長い長い列を作って電車を待つ様子や、差し入れの食べ物を受け取る時、割り込みなどせず頭を下げて受け取る様子をテレビで見ているはずだ。
しかし、それはそれ、こちらでは毎日、バスが来たら我先にちょっとの隙間から割り込んできて(と私には思える)、ワラワラと乗り込む。そういう人たちから見たら、確かに、日本の人たちは、奇跡のように行儀が良い人々なんだろうな。

 
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10日経った・・・     2011年3月21日(月) No.92

2011-03-21 20:39:47 | 中国事情
 今日も南昌は雨。ダウンコートを着てちょうどいい気温。冷える足下をお馴染みの扇風機型電気ストーブで暖めながらパソコンに向かっている。

 すこ~し希望の光が見えてきたためだろうか、昨日ニュースへの書き込みに誹謗中傷のたぐいが、再び雨後の竹の子のように増えてきたのを感じた。
こうしたものはたいへん神経に障る。今、菅が無能の、小沢がどうの、選挙に有利のって、よく今そんな事を書き込んでいられるなあ。地震津波にもビクともせず、身を日常に置きっぱなしの人がやっぱり居るんだ。天変地異でも何でも、365日誰かへの攻撃材料に使う人が。

 そういうのとは別に、「被災していない人が慌ててどうする。」と、冷静に粛々といつもの生活を送ろうとしている文に出会うと、肩の力がすうっと抜けて心が落ち着く。
 白取千夏雄さんという人のブログに一週間ほど前偶然行き着いた。パソコン画面で何かを探しているとき、たまたま「村野守美」という名前に心がぴくっと反応し、手が勝手にそこをクリックしていた。

 村野守美さんは昔、「ガロ」という漫画月刊誌で何度も見た漫画家だ。ちょっと真崎守の絵と混同しかかったが、何となく覚えている。
「村野守美さん亡くなる」というタイトルの文だった。それを書いたのは白取千夏雄さん、元ガロの副編集長だそうだ。
ブログの右上に本人とお連れ合いが文字通り連れ添っている写真が貼ってある。(へえ、めちゃ仲が良いんだな)と思いつつ文を読んだ。少し読んでガビ~ン! 横のお連れ合いは、なんと!あのやまだ紫さんじゃあないですかい。ああ、なんといふなつかしいお名前でありませうか。村野さんはともかく、私はやまだ紫さん、好きでしたね~。

 この続きを知りたかったら、gooブログ「白取特急検車場」というのを見て見てね。
ちょっとだけ紹介すると、やまだ紫さんは2009年に突然60歳で亡くなられ、白取さん自身は現在、血液の白血病であるが無治療のまま日々の生活を京都で過ごしているそう。白取さんはまだ50歳になるかならないかぐらい。今、私は時間のある時に少しずつ、以前のブログを読ませていただいている。何か、小説を読んでいるような気になる。いい文だと思う。そうか、ブログって…、こういう出会いもできるんだ。

 自分の気持ちを静めたい方!出会い系サイトじゃないけど、落ち着ける系サイトのお勧めナンバーワンはこれかも。
あとは、「かまたみのる八ヶ岳日記」と「ほぼ日刊イトイ新聞」の糸井重里さんの文を必ず見ている。ときどき「天音堂日記」。山口平明さんは、本当に役に立つ文を見つけて紹介してくれる。

昨日から「言いまつがい」を見る元気も復活した。あとは、何とか復旧が順調にいくことを願うばかりだ。
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今日は地震の話をいっぱいした  2011年3月20日(日) No.91

2011-03-20 22:00:55 | 中国事情
 東華理工大学のムラオカ先生に、「我が宿舎ベランダ前に咲き誇る桜を見に来て下さい」とメールを送ったところ、午前中、学生を連れて訪れてくださった。理工大は一番ご近所様なので両校合同の「日本語コーナー」(日本語サークルっぽいもの)をする相談もできた。
 それは、いよいよ今週金曜日からスタートする。初回は「しりとり遊び」と「紙相撲大会」だ。ちょっと幼稚くさいが仕方がない。しかし、「紙相撲」は夜、自分一人で力士2人を闘わせて遊んだりしてかなり心が和んだ経験がある。決して学生が楽しめないことはないはずだ。

 ムラオカ先生と杜君(学生)に、さんざん地震災害のことをしゃべくりまくり、先週からこっち緊張していた気分がかなりほぐれた。(聞いている方は逆だったかも…。)
お土産のおかきをいただきながら喋っていると、桜の木やベランダの手すりに、鳥たちが餌をついばみに来た。少しずつ慣れてきているんだなあ。久しぶりにほっこりとした一時だった。

 夜は財経大キャンパスの教室を借りて運営している日本語塾みたいなところから、地震・津波・原子力発電所事故の三重災害についての話を依頼されて、しゃべりに行った。
日本語塾の学生は、日本語学科以外の財大の学生たちだ。彼らの専門は会計であったり、金融であったりするが、同時に日本語を学ぶために自分でお金を払って、この夜の塾みたいなところに通っている。
40分しか与えられていなかったので、次の内容に絞った。日本語学科3年生の楼さんが通訳をしてくれた。日本語学科の学生が実力を発揮するのは見ていて嬉しいものだった。

*この災害で、人生が全く変えられてしまった家族や人が何十万人もいること。
一例として、死んだ夫の荷物の中からホワイト=デイのプレゼントの指輪を見つけた妻の話をウブ=ニュースから紹介した。学生にとって、ホワイト=デはとても身近なものだ。14日に男性からプレゼントをもらった女性も少なくない。この話は、中国の学生に、(日本人も中国人と同じなんだ)という感じてもらう良い例だと思った。
ものすごい共感オーラが返ってきた。目頭を押さえる子も何人もいた。
泣かせようとして、この話を選んだ訳ではない。中国人と日本人を隔てている壁の一つに、『お互いに相手がどんな人たちなのか分からない』ということがあると思い、その垣根を取り払うために日本の普通の若い夫婦の例を選んだのだった。
*今回の災害避難時に多くの日本人が示した行動について。
何故、今回世界中で(もちろん中国国内でも)評価されたような『他に類を見ない秩序ある冷静な行動』ができたのか。
常日頃の災害学習、情報公開、広報ネットワーク。そして日本人が何百年も続けてきた行動表現様式がその根拠になっていること。「ぐっとこらえる」「どうぞお先にと譲る」「自分を目立たせない」…。これは代々、親が子に躾けてきたことで、今回の被災者が大声で泣き叫んだりする姿が非常に少ないのは、この日本的行動様式が端的に表現されたものである。表面は冷静でショックを受けていないように見えるので、(こんな大変な事態に、よくこんなに冷静でいられるものだ)と中国人は思うかも知れないが、心の中は、もうメチャクチャ傷ついており、冷静なんかでは決してない。ただ、表面に出せないのだ。だから、「そんなに傷ついていない」「地震に慣れているので平気なんだ」とは思わないで欲しい。
*ワーワー大騒ぎできない日本人だが、世界中からの援助や励ましに、どれほど勇気づけられ、心強い思いをしているか。
日本からのメールに「今日午後、中国からの救助隊が日本に到着しました。感謝の気持ちを中国の人たちに伝えて下さい。」と書いてあったことを述べた。
すると、先日1年生の教室で見たのと全く同じ反応が返ってきた。私の話を聞いている学生たちの顔が、なんて言うか、ビカ~ッ!と輝くのだ。(中国が困っている日本の人の役に立って、純粋に嬉しい!)という感じが伝わってくる。

 通訳の楼さんは、私が言ってもいないことまで解説して話すので、長くなるのなんの。
最後の原発事故の処理情況と放射能もれの影響は、ささっと5分で終えた。
昨日、放水に成功したことで冷却効果が現れだしたことと電源が外部とつながったことを報告できたのは、本当に良かった。まだまだ予断を許さないものの、明るい兆しがあることを言えるのは、本当に嬉しかった~。


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福島1・2号機が外部と電源つながった~!! 2011年3月19日(土) No.90

2011-03-19 22:59:40 | 中国事情
 今日は土曜日、授業無し。朝から雨。南昌は例年この時期には雨ばかりと学生が言う。今年は冬も暖かく、雨も少ないと言う。私はそんな年に来られてラッキーだったんだ。それでも私には十分寒い冬だったが…。
 東日本、東北は天気が下り坂に向かうとのこと。どうぞ、速く道路が復旧し、燃料、食料が円滑に届きますように。必死で作業をしてはる方々にも心身にものすごいストレスがかかっていると思う。頭が下がるというか、地べたにこすりつけたいぐらいだ。

 かたや防衛省、警視庁、東京消防庁、東電、そして民間関連会社の皆さんの踏ん張りが、福島第一原発1号機から3号機までの炉心冷却状態を現在安定的にさせているとのニュース。枝野さんもどんなにかホッとしただろうなあ。て言うか、日本中が、世界中が、取りあえずとは言え(はあ~っ)とため息をついたんじゃないだろうか。
 予断は許さないけれど、日本の島で、日本人も外国人も総力をあげてむちゃくちゃ頑張っていることがヒシヒシと、刻一刻、こちらにも伝わってくる。ここでは祈ることしかできないが。

 「1,2号機、外部からケーブル引いて電源につなげた」(19:34)
今日は、奇跡の第一歩の始まりかしら。ポンプやバルブなどの装置の機能チェックができて、何も問題が無ければ、電気による炉心、使用済み核燃料プールの冷却を開始するという。どれくらいかかるのだろう。何とか順調にいきますように。天国の両親にこの間何回も頼みまくっているが、あの人達も人は良いんだけど、パワーがねえ…。避難所の年配の方を見ると、我が両親と重なる。

 我が息子は東京に住んでいる。地震直後にはおどけた写真付きでバリバリの元気者風メールが来た。一週間後の昨日は、「元気な者は元気でいなな。」(関西弁で読んでね)と、自分に言い聞かせるムードになっていた。(それほど、東京のみんなはこの一週間、緊張にさらされて暮らしていたんだなあ)と思った。
彼は「いつでも逃げる用意はしてある。」と、借金踏み倒して高飛びする人みたいなことも書いていた。
我が息子のように、気楽で猫2匹以外、財産も持たない者は、移動もしやすいだろう。しかし、愛着のある家もあり、長年親しんだ街に住み、毎朝犬の散歩をしながらご近所の人と挨拶するような暮らしを続けてきた人にとって、新たなる場所への移動はものすごく辛いことだと思う。
 できれば、このまま、このまま、何とか持ちこたえてくれますように。
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日本の皆さん、南昌に桜が咲きましたよ  2011年3月18日(金) No.89

2011-03-18 18:44:40 | 中国事情
 ここ一週間は、一昨年母逝去時に落ち込んだ状態に近くなってしまった。心身に強い衝撃を受けても、それを内側から跳ね返すバネのようなものが無くなってきているのを感じる。
そこで人為的に?深刻にならないよう、鬱にならないよう、いろいろな手立てを考えた。

  ベランダの外にパンくずをばらまき、鳥の餌付けを企てたのがそのひとつだ。きっかけは、食パンの端の余ったのがパサパサになって放置されていたこと。ケチくさい私は、とにかく食べ物を捨てたくない。外でチュンチュンさえずっている雀にプレゼントしようと思いついた。

 南昌郊外の鳥たちは大阪市内で生き延びる鳥たちと違って、野性味溢れるというのか、かなり用心深い。人影を認めると急いで遠くに飛んでいってしまう。鳥さん達に見えるようにベランダから外に向かってパンくずをパアッと投げてガラス戸を閉め、カーテンの陰から外をうかがうこと5分。疲れてちょっと書斎のパソコンをいじり、戻って見ると、あら、もう無くなっている!
 こんな状態が今も続いている。まだ4日目くらいだから仕方がないか。しかし、ベランダの手すり上にもわざと残して置いたパンくずが、気づかぬうちにきれいに無くなっているのには感心した。風で飛ばされたのではない。置き土産に糞が2つ残されていた…。

  でもね、そうこうしているうちに、ベランダ前の桜がどんどん咲き始め出したじゃありませんか。恥ずかしながら、私は、咲き始めるまで桜とは気がつかなかった。ソメイヨシノとかじゃないので。細身の若木だが、精一杯たくさんの花を咲かせている。こんなことだけでまた涙が…うう~。

 ふと隣の部屋の前に目を転じると、そちらの桜も開花している。しかし、花の数量は圧倒的に我が方の桜が勝っている。ニヤリ。
泣いたり、にやついたり、不安定な日々だ。
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「がんばって!日本」(江西財経大学日本語学科1年生より) 2011年3月15日(火) No.88

2011-03-15 14:53:19 | 中国事情

 今日は1年生の会話授業だった。教室に入ると、みんな、私が何を言うか固唾をのんで座っていた。
取りあえず、私の身内に死者がいないことを伝えると、教室中から「はあ~~~。」と深い安堵のため息が…。

 自分の身内の安全は取りあえず確保できても、被災者が現在もなお、必死で不安と闘い、冷静に避難行動を続けていることを思うと、とても「よかった!」とは言えない。
そう話したら、みんな深く肯いた。

 「日本の人たちは我慢強い人たちだ。おじいさん・おばあさんから3歳の子どもまで、怒鳴らず、騒がす、叫ばず、そっと涙をぬぐっている。」「被災者に食べ物を配ったら、一列に並び、きちんと順番を守り、食品を受け取ったら頭を下げている。」英語と日本語を交ぜた私の言葉の一つひとつにうなずく学生たち。
特にレスキューボートに乗って避難する途中の子どもたちと先生について、「子どもたちは一人も泣いていなかった。話もしないで、緊張していたが本当に行儀がよかったし、先生は、笑顔まで見せて(大丈夫!)とまわりを安心させようとしていた。」と説明すると、ウルウルする学生もいた。

 日本から来たメールの中に、「『中国から救助隊が来てくれたことは、とてもうれしく、勇気づけられている。本当にありがとう。』と中国の人たちに伝えてくれ。」と書いてあったと言うと、パアッっと顔が明るくなり、口々に「いいえ、どいたしまして!」「マイ プレジャー!」と叫んだ。そして、期せずして「がんばって!」という声があちこちから…。数少ない覚えた日本語をフル回転させて、日本を励ましてくれている。その気持ちが嬉しかった。

 昨日私は、日本政府が原発に関する情報を国民にてきぱき伝えていないと書いて、「サイテーや!」などと言ってしまった。言い直したい。
「がんばって!政府」
「がんばって!福島原発職員のみなさん」
「がんばって!日本の全てのみなさん!!」

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放射能ってシャンプーで大丈夫??  2011年3月14日(月)  No.87

2011-03-14 21:09:27 | 中国事情
 日本の震災・津波・原発事故の報道は今日になると、一気に減った。温家宝首相の会見が今日のメインニュースだった。首相は日本の被災者に哀悼の意を表し、要請があればさらなる支援を行う用意があると述べたとのこと。私は会見の場面は途中ちょっと見ただけだが、温首相の話し方は、たいへんゆっくりしていて、会見をしているのか、終わってくつろいでいるのかパッと見ただけでは分からない。

 そう言えばかなり前、日本の総理大臣で「う~~、あ~~。それにつきましては~・・・・・」みたいな人がいた。大平さんだったか。あの人もものすごく遅かった。(政治は眠たくなるものだなあ)と国会中継を見て感じたものだ。最近の政治家に、そんな人はいない。みんなペラペラしゃべって、弁論大会みたいだ。流ちょうに展開する人が頭良いみたいに思っているんだろうか。確かに頭は良いかもしれないが、ただ頭が良いだけじゃん、みたいな人が多い。あと、あの東京都知事みたく高飛車なのが。

 昨日のCCTVでは、
①日本の福島原発は1970年に建てられて、チェルノブイリと同じレベルの古さなので、事故がおきればチェルノブイリ級になる可能性がある。そうなると日本はもちろん周辺国にも深刻な影響を及ぼすだろう。
②ヒロシマ・ナガサキを経験した日本なのだから、これを機会に、これからの核政策について再考すべき時がきているのではないか。その場合、日本で単独に政策変更するのは困難だろう。USAも含めた国際的なニュークリア・ポリシーの見直しが必要だ。
③中国国内でも、今後の原発建設については、今回の日本の原発事故で参考になることは多いだろう。(国内の事になると、急に論調が低くサッサと終わったような気がしたけど…。)
といった内容の話だったと思う。
 福島第一発電所の爆発したときの、火炎がボワッと建物の上部分を覆い、明らかに爆発したことが分かる映像が何度も映った。これは日本で映されていないという情報もある。本当なら、普段中国の報道規制をやたら指摘する日本メディアだが、自分はどうよ!と言いたい。
政府も、避難地域を10kmから20kmに拡大するのが迅速じゃなかったと指摘されている。国民の安全を最大限追求するより、騒ぎを拡大させないように、危険性を小さく小出しに伝えていたのだろう。世界中が日本国民の冷静な避難行動を讃えているときに、当該国政府だけは国民を信頼していなかったのだ。もう、サイテーや!

 そして、なんなの。放射能汚染って、シャンプーしたら水に流れていくモノなの?今日のテレビ映像では、まるで花粉症対策みたいなことやっていたけど、これではチェルノブイリのときと同じじゃないですか。あのチェルノブイリ事故の後、マスクと作業着で収拾作業に当たった職員の多くが白血病で亡くなったのを知っている私は、大昔の語り部のお婆さんなんですかね???
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