日本ではとても多くの人がこの状態になっただろう。誰かのブログで、その症状を読むと、どんどん鬱っぽくなり、意気消沈する。普段ならあり得ないほど何でもないことにも、涙が勝手に出てくる。
これを読んで、(なんだ、自分もそうだったんだ)と初めて気がついた。
12日から14日まで、私は宿舎で一人、インターネットとCCTVにかじり付き、得られる限りの情報を得ようとしていた。
CCTV(中国国営放送)を見ていたのは、(日本の友人知人の皆さんに、この災害に対する中国の報道の様子を知らせなければ)という使命感のようなものがあったからだ。ジャーナリストでもないのに、何考えてこう思ったのか、この辺がちょっと自分でも分からないんですケド。
CCTVの24時間ニュースは繰り返し東北の津波シーンを映し出し、さらに12日の福島原発が爆発しているまさにその時の映像を見て、(ああ、これはとんでもないことになったんだ)とスーッと血の気が引く思いがした。
CCTVのアンカーがチェルノブイリやスリーマイル島の名前を出し、福島原発の古さはそれに匹敵するとか言う。そんなこと言われなくても、今から25年前の、世界を震撼させたあの事故が甦ってきた。この原発事故あたりから、涙が止まらなくなった。
日本から、苦しみのオーラがビンビン飛んでくるというのに、なすすべもない、でくの坊だ。
この週は学生の何気ない言葉も神経に刺さった。もちろん、多くの学生の励ましは嬉しかったし、その声を日本に届けなくては…、とも思った。しかし、学生が書いてくれた励ましの手紙を読むのも次第に辛くなってしまった。
この辺で、(あれ、このまま行くとアカンな)と思い、何とかしようと思いついたのが、「鳥に餌をやる」ということだ。猫でも何でもいい、傍に生き物がいることはとても大切なことだと思う。避難所で愛猫や愛犬に目を細める人たちの気持ちが、分かる気がする。
そしてさらに、我慢せずバーバーと文句や愚痴を言える人がいるのは、なんてありがたいことだっただろう。今回その損な役回りになってもらったのが、理工大のムラオカ先生と杜さんだった。
「どうぞお花見に~。」とかうまいこと言って、宿舎に来ていただいた。のんびり現れた二人に、かなり溜まっていたものをグチグチ言ったのが、気分転換の1つの契機になった気がする。
鳥たちも、「ぴちくりぴちくり」とか外で喋りまくってくれる。こんな一つ一つのことがガチガチの肩や胸や心を少しずつ温めてくれた。
そして、一面識もないが、白取千夏雄さん、糸井重里さん、蒲田實さんのブログ、何年も会っていないが山口平明さんの「天音堂堂守日記」など、声高ではなく、静かに日々のトーンを持続している人たちの言葉が気持ちよく胸に沁みた。
元気になり出すと、勢いがついてくる。もう大丈夫だ。心底そう言える。
これを読んでいるみなさんも、自分が(ああ、気持ちいいなあ)と思えることを選んで、それにシッポリ浸って下さい。きっと元気になりますよ。