毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「雪の中、野党議員がそろって統一候補を推す写真に涙す」No.1603

2016-02-28 17:08:01 | 政治

民主党と共産党の旗が隣同士で翻っている写真(6日前のですけど)を

ここ山東省でも何度も見て、そのたびにジーンときています。

全国の「野党は共闘!」の声がついにこれを実現させたのですから。

 

2月23日北海道札幌郊外北広島で、

野党統一候補が決まって初めての街頭宣伝(「市民連合北広島」の呼びかけ)に、

民主党・共産党・市民ネット・無所属の市議たちが勢ぞろいし、

雪の中50名を超す市民が参加したそうです。

統一候補のために、

自分の党の候補者を取り下げた政党の人たちが票をを固めることは、

野党林立の歴史の中で、初めての出来事でしょう。

少なくとも私は聞いたことがありません。

一人区での候補を取り下げ、統一候補擁立に総力を注ぐ共産党へは、

信頼感と言うより、恩義と呼びたい気持ちを感じています。

比例区では、何としても候補取り下げ政党に一票を入れようと私は思っています。

(全体を見て、バランスを取りながら)。

有権者一人ひとりが国政の状況を判断しなければならない事自体は、

民主主義の観点から当然のことですが、

情報も、自分で正確で多面的なものを収集し、

最も日本(そして世界)全体が良くなる方向に向けて、

自分自身が判断しなければなりません。

一人ひとりが自立しなければ……。

 

〈発信元:市民の風・北海道さんのツイッター〉



 
 
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「28日未明に着きましたよ」No.1602

2016-02-28 02:47:19 | ま、とにかく

朝9時半に大阪の家を出て、

日が変わり28日の午前2時過ぎったら草木も眠る丑三つ時じゃないですか。

ようやくさっき着きましたよ。

取りあえず、朦朧としながらネットが繋がるかチェックし、

ブロードバンドも、sekaiVPNも無事接続できました。

私が移動が嫌いな理由の主な理由はこれですよ。

ちゃんと定刻通りに飛行機が飛んでくれず、到着は遅れ、

結果、こうなるんです。

しかも山東省菏澤市には空港がないのです。

最寄りの河南省鄭州空港まで車で3時間半ですが、

この大学は公式に迎えに来てくれませんので

オフィスのMr.張に個人的に来てもらいました。

Mr.張は何度も私に電話したそうですが、

私の中国用ガラケーは電池切れでした(日本では充電できない)。

 

上海では嬉しいやら悲しいやら、

江財大の卒業生で上海在住の余立君さんと滕碧霞さんが、

乗り換えの空き時間に少しでも会いましょうと来てくれたのに、

大阪から出発が30分遅れ、上海に着いたら着いたで、

中国人旅行客の荷物が多すぎて

私のスーツケースがなかなか出てこず30分間(いや、もっとか)待ち。

合わせて1時間の遅れのため、

1年半ぶりの2人とは30分しか話せませんでした。

滕碧霞さんは2年間日本に留学していた学生ですが、

今はお父さんの魚屋さんを手伝っていて、

何と鮭を冷凍刺身状態(ワサビ・しょうゆ付)で持ってきてくれました。

鮭は溶けてしまい、国内便検査で水がしたたり落ちましたが醤油以外は合格し、

無事に菏澤の部屋まで運びました。

今は冷凍庫にしまわれています(明日食べる、どんなことがあっても)。

 

時間がない中、二人にむっちゃ急いで喋って、これだけはと伝えたのが、

沖縄キャンプシュワブ前の女性の

「沖縄は日本からは侵略されたけど、中国からは一度も侵略されていない。

文化的にも中国の影響を色濃く受けている琉球民族は、

中国に親しみこそ感じても、敵対心などを持つ理由は一切ない。」

という言葉でした。

ずっと上海浦東空港で待っていてくれた二人と会ってすぐ別れるという、

涙の展開になりましたが、

今度の3月にある菏澤市の国際牡丹博覧会に来てくれるということで、

それを楽しみにします。

ブログをお読みの皆さんも、菏澤で唯一の華やかなフェスティバルである

「国際牡丹博覧会」、もし機会があれば是非お越しください。

キャンパス内に80元で泊まれる招待所という名前の宿泊施設があります。

学生とともにご案内しますよ~~。

汽車が一番安くて便利だと、オフィスのMr.張は言っています。

 

部屋はMr.張の心配りで、一日空気の入れ替えをしてくれていて

かび臭くなかったです(しかし白っぽい埃が全ての家具にうっすらと)。

また、PM2.5の日々がスタートだ~~。

取りあえず寝ます。御休み。

 

 

 

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「荷造り、ほぼ完了」No.1601

2016-02-27 01:16:06 | ま、とにかく

もう、日が変わって今日の朝9時半には家を出なければなりません。

昨日は最後の荷物を一つSAL便で送りましたが、

それでも巨大スーツケースと機内持ち込み用キャリーバッグには

入り切らないほどの物があります。

そのほとんどは本です。

教材が優先されますので、今回は「ちはやふる」関係本や百人一首は絶対保持、

もう読んだけど、愛着が湧き、何度でも読んで噛みしめたい

「丸山真男と田中角栄」(佐高信・早野透/集英社新書)、

「暴力はどこからきたか」(山極寿一/NHKブックス)、

「文章読本」(丸谷才一/中公文庫)、

「茶の本」(岡倉天心/バベルプレス)・・・・・・、

みんな置いていかなければなりません。

一番軽い「にほん語観察ノート」(井上ひさし/中公文庫)だけは持って行きます。

私は、決して多読ではなく、一冊の本を何度も繰り返し読む癖があります。

まだまだ読んだらいい本がいっぱいあるのにと焦っていますが、

人生は短い。時間配分ですね。

 

選挙も気になります。

中国ではFBがスイスイ見られるときとそうでないときがあります(有料VPNでも)。

これから参院選までの一日いちにちが非常に大切ですが、

それでも行かなければなりません。

これから私のできることは、このブログと友人・知人とメールで討論するくらいです。

どうか日本の皆さんも、小さいことでも自分のできることを確実に実行してください。

座間宮ガレイさんの今日の一言(下)を

噛みしめて、お互い頑張りましょう。


 
この国のルールでは
今の議会配分では
安保法関連法は通ってしまう
 
日本の国会の議席配分で
物事が決まってるんですよ。
 
「どの地方で誰が当選かするか」だけで
物事が決まるわけではない。
 
「日本全体」のことで考えていきましょう
 

 
もし、衆議院で
 
与党が3分の2以上をもっていれば
 
基本的に
 
どんな法案も
 
どんな修正案も
 
ルール上、通せてしまう。
 

 

しかし、なんと
3分の2よりも、
1議席でも、少なければ
参議院「時間切れでこっちの勝ち」となる
 


 
「決める政治」ということで
安倍政権がやってることはすごいと
メディアもあおりたてていましたが
 
なんでも決められちゃうということは
日本の政治が、
不安定になるということです
 
どんどん新しいことが決まるから
社会が対応しなくちゃならない
これ不安定になります
 
逆に、
「決められない政治」は安定しています
 
保守がものごとをどんどん決めていくと
リベラル側の社会福祉政策は不安なままです
 

 

私はリベラル勢力がぐっと大きくなって
この国が安定していることを望んでいます
 
この国のことを考えて、
できるだけ不安定じゃないようにしていただきたい
 
これに関しては保守の人も一部
そうだよな、野党弱すぎるから頑張ってもらいたい
という声が保守支持層にも結構いるんです
 

  
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「まだ咲いているか日本つゆ草」No.1600

2016-02-26 02:06:14 | 脱原発

冬休みはもう終り、山東省への出発は明日に迫っています。

先日、福島県の友が中国の学生たちへとたくさん本を送ってくださいました。

何冊もの本の中に『原発難民の詩』(佐藤紫華子著:朝日新聞出版)があり、

思わず、手に取りました。

発行された2012年当時、著者の佐藤紫華子さんは84歳でした。

表紙をめくると冒頭に、


『放射能に

いちばん弱い花という

日本つゆ草

今は咲かぬか』


という詩があります。

福島県双葉郡富岡町に住んでいた佐藤さんは、

2011年3月の原発事故で故郷を追われました。

原子力発電所が建ったとき、知人が

「日本つゆ草はいちばん放射能に弱いから、

この花が咲いているうちは大丈夫よ。」

と教えてくれたそうです。

ツユクサ科の花は放射線で色が変わるという説もあるそうですが、

原発事故後、佐藤さんは富岡町の家に帰って確かめることもできず、

避難先で冒頭の詩を詠んだのでした。

本が出版された当時、佐藤さんは一時避難していた新潟県柏崎から

福島県いわき市の仮設住宅に移り、一人で暮らしていました。


 

今は震災と原発事故から5年経つのに、

復興と生活保障は課題が山積みで、

原発事故の後始末もいつ終息するとも言えない状況です。

一人ひとりの人間の生活を親身に思う想像力の欠片もない人たちが

政権を握っていることで、被災者は未だに被災者のまんまです。

「放射能は完全にアンダーコントロールされている」という大嘘で

東京にオリンピックを招致したアベ首相ですが、

私は早く世界各国が東京オリンピックを棄権してほしいと願っています。

棄権が相次げばオリンピックは実現できません。

実現できないことが早く分かれば、

工事に使うムダ金が少なくて済み、そのお金を被災者の生活保障に回せます。

『復興オリンピック』などといううたい文句に踊らされた多くの日本の民も、

またしても『全部ウソだったんだぜ、騙されてたんだぜ』という現実を直視し、

これ以上は嘘に踊らされるべきではありません。


自分の身に降りかからなかったら他人事として済ましてしまう

想像力のない、即ち、無責任で浅薄な日本社会の傾向が

目立って仕方がないのは私だけでしょうか。

原発事故を他人事と思う人が、自公政権を支えているのです。

 

佐藤さんは今、どうしていらっしゃるのでしょう。

「あんた方はいいもんだ。金をもらってタダ食いしているんだから。」

「双葉郡の人たちは原発推進だったんだからしょうがないんだ。」

という陰口が聞こえてくる仮設住宅で、

88歳の今も、あの庭に咲くつゆ草の花を見たいと焦れつつ

日々を過ごしていないだろうか、と思います。

 

         『ふるさと』(佐藤紫華子)

         呼んでも  呼んでも

         届かない

 

         泣いても  もがいても

         戻れない

 

         ふるさとは

         遠く  遠のいて

         余りにも遠い

         近いけど  遠いふるさと

 

         あのふるさとは

         美しい浜辺

 

         心の底の

         涙の湖に  ある



  『右へならえ』

戦時中もそうだった

右へならえ!

右へならえしないと

兵隊さんに叱られた

 

原子力発電所を造る時も 

遅れていはならないと

右へならえして

この小さな日本に五十四基

 

ノーモア ひろしま

ノーモア ながさき

 

あんなにノーと叫んだのに

原爆と原発は

親戚みたいなものなのに

 

今まで悪寒を感じなかったのであろうか

しかも海辺にばかり

 

建築資材を運ぶためには

たしかに 便利

 

でも もしも事故が起きれば

海へ流れる

(事故のことは想定外だった)

 

そして そして

もっと心配なことは

燃料を燃やせば

使用済み核燃料が出るということ

 

私たち 女は

家庭のゴミだけで 沢山なのに

 

祈ることは

右ならえして

事故を起こさないで・・・・・・

    

          ---『原発難民の詩』より

 

 

 

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「私はもう92歳、だけど死ぬわけにはいかない」No.1599

2016-02-24 11:25:06 | 反戦平和

1995年、戦後50年の節目の年にアジアの国々に謝罪した

「村山談話」は今でも日本政府に(結局はアベ政権にも)踏襲されています。

当時の総理大臣だった村山富市元首相が、20日夜、

「社民党20周年 交流の夕べ」であいさつしました。

中国脅威論を政府が煽り、

うかうかとそれに乗せられて浅薄な考えを撒き散らかす輩が横行する

今の日本の現状を、元首相はどう考えているのでしょう。

以下、ライブドアニュースから抜粋します。 


 あのSEALDsに集まった学生の諸君が私の所へ来て言いましたよ。

「日本はこれでいいんだろうか」と。

「もう心配でたまらん」と。

「だから黙っておれない」と。

こう言ってSEALDsの学生が立ち上がったんじゃないですか。

 

その学生の声で奥さん方もねえ、子供を背負ってですよ、

「黙っているわけにはいかん」と。そういう運動が起こってきているんですよ。

憲法を、安倍ごときが勝手に解釈を変えてねえ…。

私どもはどんなことがあっても平和憲法だけはしっかり守っていこうと、

これまで歯を食いしばって頑張ってきたんですよ。

それで今日の日本は築かれているんですよ。

どこに変えなきゃならん理由があるんですか? なんにもないですよ。

日本の周辺に不穏な空気があると言うなら、

不穏な空気をなくす努力をすればいい。

それが日本が平和憲法を持って初めてできることです。

相手が(軍備を)強化すると対抗して強化するのでは、昔と同じじゃないですか。

私は総理の時にアジアの国を回りました。

みんな言うんです。

「日本の国はありがたい」と。

「紛争があり、戦争があっても、一方に加担をしない」と。

「中立を守って、しかもね、国民の暮らしに関するような援助をしてくれる。

日本の国はありがたい」と。

そういう日本を勝手に変えていこうなんてね、

しかも国民の意思を無視して、なんですかあの国会の状況は。

問答無用じゃないですか。

総理自らが「まだ国民には周知していない」と言いながら、

質疑を打ち切って強行採決をやった。 

私は、先は短いかもしれんけど死ぬわけにはいかん。

どんなことがあっても平和憲法だけは守るぞ!!

私はそのことだけを声を大にして叫びたい。

それがうまくいったらいつ死んでもいい。

もう私は92歳ですよ? だけど死ぬわけにはいかない。

皆さん、どんなことがあったって憲法だけは譲っちゃいけない。

その決意をしっかり固めていただく。

そして、参院選で敵(かたき)をとる。

それくらいの決意でお互い頑張ろうじゃないですか。

参考http://news.livedoor.com/article/detail/11204981/

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「中国にはなくて日本にかろうじてあるものを死守しましょう」No.1598

2016-02-23 23:06:30 | 政治

日本でも中国でも、どこの国でも、そこに棲む庶民が

戦争より、平和で安定した生活を望んでいるのは全くおんなじです。

戦争になれば、まず、庶民が、いの一番にかり出されて犠牲になるのですから。

先日、中国の学生たちの作文を掲載したのは、

中国の若者たちの平和友好への思いの深さが分かっていただけると思ったからです。

 

しかし、私は、雷国華さんの作文「まだ見ぬベビーへの手紙」で、

(ここは日本と違うな)と感じた部分があります。

それは、

『戦争や政治は庶民がどうすることもできないもの』という認識です。

これは、中国の現実です。

庶民が政治について公に意見を言うのに

自己保身のためにどれほど慎重にしなければならないと思っているかは、

中国に行って暮らせばわかります。

日本でも、日本国憲法無視のアベ政権下で

言論統制の風潮が急激に高まってきていますが、

まだ、中国のレベルまでは達していません。

国の民が不断の努力をすることによって、

「戦争は民の力で止めることができ、政治は変えることができる」のです。

2月19日の野党5党会談は、昨年来の市民運動の大きな力によって

実現されました。

「野党は共闘!」と、言って、言って、言いまくったことが政党を動かしたのは事実です。

これは、まだ、日本ではかろうじて言論・表現の自由を民が握っている証です。

 

しかし、これからこそが正念場です。

目的は与党の力を削ぐことです。

そのための野党共闘であり、選挙での統一候補です。

私は今まで、民主党や維新の党に一度も投票したことがありません。

しかし、今回、自分の選挙区で民主党員が候補者として立ったら、

迷うことなくその人に一票を投じます。

どうすれば、自民・公明とその補完物である大阪維新の力を減らすことができるか、

そのことだけに100%の神経を集中しなければならないと思っています。

 与党の力を削ぐためには、民は戦略的投票(賢い投票)をしなければなりません。

 ここ2年間、どうしたら選挙で勝てるかを実際の現場を見て

データを集めて分析し、課題を見つけて発信し続けている

下の座間宮ガレイさんの言葉は、大変参考になると思います。

 

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 

『戦略的投票のためには、

国民の間に、与党の力を小さくするという共通の目標がなくてはいけない。

さらに、自分の選挙区の過去の選挙結果をふまえた簡単な票読みをし

野党1位の候補者が誰なのかを周知しておかなくてはいけない。

目的意識を持ち、目的を叶える戦略を持つことが大切だ。

《もう一度!》

目的意識を持ち、目的を叶える戦略を持つことが大切だ。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆ 


『つまり、国民が選挙の仕組みを利用するくらいに賢くない場合、

無知であることの過失によって、かえって権力に力を与える結果にすらなる

選挙の仕組みを理解できなければ、

シュートを決めたが味方のゴールだったということになりかねないのだ。

これが2014衆院選で起きたことだ。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『選挙は恐ろしい。一生懸命であっても、力の使い方を知らないと、

敵に対して、より強大な力を与えることになるのだ。

与党から見れば、本当に楽だ。

だってリベラル支持者をうまく情報コントロールし、

票割れを起こさせれば与党が勝てるからだ。

これが現在の与党圧勝にむけて起きたことだ。』

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

『内閣支持率と自民支持率の合計が100に近くなっている。

これは野党が割れていれば2014年の結果に近くなる可能性があるということ

2014年の衆院選は野党協力が行われていれば

多く見積もってだが80議席野党が増えていた可能性がある。

ーーー座間宮ガレイ「選挙JOCKEY!!」

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https://s.blayn.jp/bm/p/f/tf.php?id=hikkurikaesu


↓付録2016年2月20日しんぶん赤旗

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「社民党大会に維新・生活・民主・共産が連帯の挨拶」No.1597

2016-02-21 23:56:06 | 政治

2月20日の社会民主党大会で、野党四党代表が挨拶しました。

私はいわゆる無党派層なので、

(どこかの党大会に他の党が挨拶する習慣もあるのかあ。

それにしても野党がここまでそろったことはあったのだろうか)と思ったのですが、

共産党の志位委員長が、

「旧日本社会党時代も含めて、共産党が社民党の大会で挨拶をするのは初めて」

とおっしゃっていたので、やはり、これは歴史的な出来事なんですね。

昨年からSEALD’sが言い始め、何十万もの市民もそれに唱和した

「野党は共闘」が、19日の野党五党会談としてついに実現し、

続いて20日の社民党大会での四党連帯の挨拶は、

私のような平和を愛する市民にとって何よりも嬉しい事件でした。

以下、各党代表の方がたの印象に残る言葉をピックアップしました。

党の掲載順は私の勝手です。

 

[生活の党と山本太郎となかまたち]小沢一郎代表

生活の党と山本太郎となかまたち・小沢一郎代表のマイクをセットする吉田忠智党首=20日午後、東京都千代田区・星陵会館 

小沢一郎代表のマイクをセットする吉田忠智党首=20日午後、東京都千代田区・星陵会館 

特に今日は社民党の20年目の節目にあたる年という大事な党大会だし、私としても、また党としても、社民党の皆さんには大変常日頃からお世話になっているので、今日はお招きをいただいた上は格調高いあいさつをしなければいけないと思い、口べたの私なのでメモをちゃんとつくって臨んだのだが、先程来、吉田(忠智)党首と3党の代表からのごあいさつがあった。私からまた、重複してあいさつする必要はないと思う。

要は、お招きいただいた4党と社民党、この5党が本当に口先だけではなくて、お互いに信じ合い、協力して、選挙に臨んで、安倍政権を打倒し政権交代をはかる。

それがわれわれの使命であり、責任であると思う。

私は、大変微力ではあるが、皆さんの驥尾(きび)に付して、そのために本当に格差のない平和な社会をつくる政権、われわれから言わせれば「国民の生活が第一」を目指す政権を樹立するために皆さんと一緒に全力で頑張る。

どうぞ皆さんも今後ともさらに一層のご奮闘を心からお願いする次第だ。

 

 

[日本共産党]志位和夫委員長

【社会民主党第15回定期全国大会】 社会民主党の定期全国大会で挨拶する日本共産党・志位和夫委員長 右は吉田忠智党首=20日午後、東京都千代田区・星陵会館(納冨康撮影)

【社会民主党第15回定期全国大会】 社会民主党の定期全国大会で挨拶する日本共産党・志位和夫委員長 右は吉田忠智党首=20日午後、東京都千代田区・星陵会館(納冨康撮影)

日本共産党が社民党の大会に招待いただき、ごあいさつをするのは、日本社会党時代も含めて今日が歴史上初めてだ。大変うれしく、光栄に思う。これからますます久しくお付き合いをさせていただきたい。共産党を代表し、社民党第15回全国大会に心からのお祝いと連帯の気持ちを申し上げる。

 思い起こすと、これまでも社民党の皆さんとはさまざまな場面で肩を並べてともに戦ってきた歴史がある。私自身で言うと、2001(平成13)年5月3日の憲法記念日の集会で当時の土井たか子党首と一緒に訴えた。その後、15年間、5月3日の憲法集会をご一緒にさせていただいた。ほぼ毎年、福島瑞穂前党首、吉田忠智党首とともに憲法集会に出て、憲法9条を守り、憲法9条を生かした日本を作ろうと一緒に訴え、一緒にパレードに参加してきた。

 昨年の5月3日には3万人の憲法集会に発展した。共産党や社民党だけでなく、民主党、生活の党の4党になり、そして戦争法案に反対する戦いが5党の共闘に発展してきた。

 共産党は社民党の皆さん、さらに全ての野党の皆さんとの平和を求める共闘の戦いがさらに発展することを心から願い、一緒にスクラムを組んで平和の流れを大いに発展させようではないかと訴えたい。

 昨日、5野党の党首会談が行われ、安保法制廃止、集団的自衛権行使容認の閣議決定の撤回を共通の目標とすることを確認し、国政選挙での選挙協力を進めることを確認した。

 

 これは野党共闘を求める国民の声に応えた画期的な合意だと考えている。誠実かつ真剣に協議に臨み、速やかな合意を得るために全力を挙げたい。特に参院の32の1人区の戦いは非常に重要だ。この1人区の候補者の調整にあたっては、戦争法を廃止するという大義の実現のために、わが党としては思い切った対応を行いたいと考えている。どうか皆さん、共に力を合わせて選挙に勝ち、安倍政権を倒し、憲法違反の戦争法をきれいさっぱり廃止しようではないか。

 私はこちらに来て、社民党の大会の議案を丁寧に拝見させていただいた。読了した。で、政策的な一致がたくさんあるなと思って拝読した。皆さんの大会決議案に提案されている運動方針案を拝見すると、憲法改悪阻止と戦争法制の廃止、辺野古新基地建設の反対、消費税増税反対と不公平税制の是正、格差と貧困の是正、労働法制の改悪の問題、TPP参加反対、原発再稼働反対と脱原発、どの課題でも共同の戦いは可能だし、それを発展していきたいと願っている。

 今日を新たな契機として、共産党と社民党の両党の連帯と共同がさらに前進することを心から願って、そして野党が力を合わせて、日本の政治に立憲主義、平和主義、民主主義を取り戻すために頑張り抜こうではないか。

 

 [民主党]枝野幸男幹事長

 今日は社民党の全国大会のご盛会を心よりお祝い申し上げる。社民党の又市(征治)幹事長から報告があって、5党が手をつないでアピールさせていただいた。(安全保障関連法の廃止法案を衆院へ共同提出した)昨日の大変歴史的な日を迎えて、そして今日ということで、大変時宜を得たときにこうして4党をお招きいただいての定期大会になったと思っている。

 5党はそれぞれ政策には違いがある。違いはあるが、いまこの国が直面している3つの大きな危機を食い止めなければならない。この点については一致している。

 一つは何と言っても立憲主義の危機。権力が憲法に拘束されなければ何に拘束されるんだ。勝手に憲法の解釈を変えて社会が成り立つはずがない。この危機はどんな理念、政策が違っていても政治を行う上での共通の土俵でなければならないはずだ。

 二つ目に国民生活の危機だ。経済財政政策では違いがあるかもしれない。しかし、今の日本の現状は、中間層はどんどんどんどん崩れていって、貧困層がますます苦しくなって、国民生活の危機を迎えている。これを何とか食い止めなければならない。この点ではそれぞれ色々な違いがあっても共通しているのではないかと思う。

 そして民主主義の危機だ。民主主義は単純な多数決ではない。お互いに違いを認め合って、お互いの違いを評価し合って、話し合って合意を形成していく。多数決というのは合意が形成できない時の最後の最後の手段だ。

 にもかかわらず、敵と味方に分けて、自分の言うことを聞かないやつの意見は聞かない、残念ながらこの3年間はそんな政治がはびこってしまっている。

 立憲主義、国民生活、民主主義。この3つの危機を食い止めるためには、違いを乗り越えて戦っていかなければならないと思っている。

政策の違いにとどまらず、わが党の仲間がそれぞれの地域で社民党の皆さんともいろいろとこれまでぶつかってきたり、色々な経緯があったり、そんなことがあったんじゃないかと思う。それぞれいろいろな歴史がある。感情もある。

 しかしながら、この危機を乗り越えていくためにはあらゆるモノを置いて、結束して戦って、この危機を乗り越えていきたい。乗り越えていくことが政治に関わっている者の責任ではないかと思っている。

 昨日の合意に向けても又市幹事長の退院をお祝いする場で、5党の幹事長・書記局長が集まってソバを食べたことが一つのきっかけになっている。まさに接着剤の役割、社民党の皆様方には大きな役割を果たしてきていただいている。

 何としても今年の政治決戦をそれぞれの違いを認めつつ、違いを残しつつ、でもこの危機を乗り越えるという1点でともに戦っていこうではありませんか。

 昨日はスタートだ。それぞれの地域ではこれから選挙に向けて、皆さんにもいろいろと、「民主党、勝手なことをやるなよ」とお叱りを受けるようなことがまだまだたくさんあるのではないかと思う。

 でもこれだけは約束をしたい。この夏の参院選。もちろん民主党の幹事長として私は民主党の議席を一つでも多くしたいと思っているが、それ以上に大事なことは自公とその補完勢力をいかに最小化させるか、そちらの方こそが最優先だ。そんな立場で戦っていく。ぜひ、社民党の皆さんの力も各地で発揮していただき、共に戦い、安倍政治の暴走を止めていこう

 

[維新の党]今井雅人幹事長

 隣に志位(和夫)委員長と小沢(一郎)大先生がおられるので、先にあいさつするのがちょっと怖いのだが、指名なので先にあいさつをさせていただく。

 民主党の枝野幸男幹事長も色々おっしゃっていたが、われわれも社民党の皆様とは政策的には随分違うところがある。

 憲法も変えていく必要があるときは変えていくべきだという考えもあるし、他のところでも必ずしも同じではないが、先ほども枝野さんがおっしゃったように、私は今一番怖いのは安倍政治の本当に強引な政権運営のやり方だ。

皆さん思い出していただきたい。自民党のいわゆる右派の人たちは、NHKの放送が本当に左に寄っているんじゃないかということで、これはトップを変えようと、安倍さんのお友達をトップにした。いろんな問題が起きている。

 それから報道が安倍政治をたたくと、すぐに社長に電話を入れたり、文書で抗議をしたりして、辞めさせろということをやっている。こんなことが許されるわけがない。

しかも、彼の政治のやり方は、とにかく今までずっと守ってきたものを変えたい時は、人を、頭をころっと変えて、自分の考えに合った人に変えて、そのまま押し通してしまう。

 昨年の集団的自衛権の容認もよくよく考えてみれば、何十年間、内閣法制局がずっと守ってきたのを、内閣法制局の長官はそれをずっと堅持してきた。でもそれを変えるために頭をころっと変えて、自分の考えに合う人を入れて、「これが政府の考えなんだ」ということを堂々と言っている。今までの積み上げは一体何だったのかということだ。何でも許されるというのは政治ではない。積み上げというのがある。それをないがしろにしている。

 他のことでもそうだ。安倍さんはいつも「これは有識者、第三者委員会にかけて外部の人に見ていただいているので、われわれが政治的にやっているわけではありません」とおっしゃる。

 しかし、その有識者会議のメンバーを見ると、安倍さんのお友達ばっかりだ。そういう人を選んで、その人たちに意見を言ってくださいと言ったら、安倍さんの言っているような意見になるのは当たり前だ。

それをさも民主主義の通りにやっているようなことを言う。こういう人格を持っている人をこの国のリーダーにしておくことは本当に危険だ。

 昨日の(衆院)予算委員会をごらんになった方はいるか。私は聞いていて驚いた。もう自分の自慢話ばっかり。「私は、私は、こんなことやりました、こんなことやりました。あなたたちに一体何ができるんですか」。こんな話ばっかりだ。

 あの人のああいう自慢している場面、本当にその席を立ちたくなるが、みなさんもテレビを切りたくなると思うが、こんなことはやはり許していてはいけない。

 私は小さい頃から父親に「物事は絶対に強引にやっちゃダメだぞ」と、「みんなとよく話をして、みんなとちゃんと合意をしてまとめないと、後でひずみがくる」と言われて育ってきた。少数意見が大事なんだ、少数意見が。

 そういうところまでしっかりとみなさんと話し合って最後に合意をしていく。それが民主主義だ。今度の参院選、あるいは同時に行われるかもしれない衆院選、これは私たちの国に民主主義を取り戻す選挙だと思う。われわれは社民党の皆様と、そして今日いらっしゃる他の党の皆様と、とにかく民主主義を取り戻すこの1点で一緒に戦って参りたい。

【社会民主党第15回定期全国大会】(左から)生活の党と山本太郎となかまたち・小沢一郎代表 日本共産党・志位和夫委員長 吉田忠智党首 民主党・枝野幸男幹事長 維新の党・今井雅人幹事長 福島みずほ副党首 =20日午後、東京都千代田区・星陵会館(納冨康撮影)【社会民主党第15回定期全国大会】(左から)生活の党と山本太郎となかまたち・小沢一郎代表 日本共産党・志位和夫委員長 吉田忠智党首 民主党・枝野幸男幹事長 維新の党・今井雅人幹事長 福島みずほ副党首 =20日午後、東京都千代田区・星陵会館(納冨康撮影)

 各党代表の挨拶と写真はhttp://www.sankei.com/politics/news/より。

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「まだ見ぬベビーへの手紙、再び」No.1596

2016-02-20 23:12:56 | 中日(日中)関係

木曜に武庫之荘の『ロクパ』で江財大の学生たちが書いた作文を

いくつか紹介いたしました。

前日、どれを紹介しようか保存していた作文を読み返しているうちに

当時の学生たちの顔が思い浮かび、またまた泣けてくるのでした。

その中で、2014年2月の読売新聞にも載った雷国華さんの

「まだ見ぬベビーへの手紙」を再掲載させていただきます。

国家の思惑に嵌められないことは、

どの国の、いつの時代の人々にとっても大切なこと。

いたずらに憎み合う愚を避け、

お互い品格を持つ人間として生きていきたいものです。

雷国華さんは2014年6月に江西財経大学を卒業し、

今は深圳の環境に優しい電池を売る会社で働いています。

 

雷国華 「まだ見ぬベビーへの手紙」

 親愛なるベビー、元気かい。

私は君の母だ。実は今22歳で、君はまだ生まれていない。母はボールフレンドさえも見つからないのだ。しかし、先日林克之先生のことを知った後、ベビーに林先生のことや中日関係について少し話しておきたくなった。

私は大学の専門が日本語だ。そして、日本語が好きで、尊敬している日本人が数多くいる。君がこの手紙を読む頃はもう大きくなっているだろう。中日関係についても自分の考えを持つべきだ。

君の成育環境をちょっと想像すると、多分こうだろう。テレビでは抗日ドラマが絶えず放送され、教科書や新聞には中日戦争についての描写がいっぱいあり、インターネットで日本人を獣とみる文章や映像が少なくない。しかし、私は君に教えたい。戦時中、日本が中国で細菌人体実験をしたのは全て事実だが、これは以前の日本人が以前の軍政下でした残忍なことだ。現在の日本人と何の関係があるか。現在の日本人は、ただ日本に生まれたから、日本人になった。ベビーは中国の歴史を忘れてはいけないが、日本人に盲目の恨みを持ってはいけない。日本人の中には、心が優しい人がいっぱいいるよ。

今日、ベビーに紹介する林先生がその一人だ。林克之先生は1946年日本の静岡県で生まれたが、1997年から、中国桂林市陽朔県シンピン町やシンピンのラオジャイ山をずっと守ってくださっている日本人だ。このラオジャ山はカルスト石筍山で、高く険しいので、当時、登れる人は柴刈り人だけだった。頂上からの絶景を皆に見せたいので、先生は自腹でラオジャイ山に通じる石段を作ろうと決めた。一般の寄付者と違い、先生は毎日自分が雇用した農民工と一緒に働き、セメントや砂を自分の肩で山中に運んだ。ついに、先生は一人の工人さえ雇用するお金もなくなったので、自分一人で工事材料を運び、一人でその石段を作るしかなかった。当時、先生はもう五十歳を超えていた。その後、先生は日本に帰り、金策に駆け回って、さらに、二つの休憩亭や立派なトイレを作ってくださった。先生のおかげで、シンピンへの観光客は毎年数千人だったのが、五万人に激増した。

しかし、話はここで終わらない。それから、林先生はシンピンに定住し、ボランティアとしてごみ拾いを続けている。この手紙を書いている今で、もう16年になる。しかし、こんな優しい日本人でも、シンピン町でさえ全ての人が尊敬や好意を持っているとは言えない。シンピン町政府が林先生を讃えた石碑の先生の名前は、ある人に壊され、先生に悪口を言う人もいる。その原因はもちろん中日戦争だ。

しかし、ベビー、じっくり考えたら、これは正しいのか。林先生はただ普通の一人の日本人だ。何も悪いことをしていないどころか、中日友好や世界平和に貢献している人ではないか。ベビー、人を判断する基準は先祖が何をしたかではなく、今生きている人の行動で判断すべきだよ。そして、間違わない人間はいないよ。もし、誤った人が正しく改める意欲があったら、私たちは協力するべきじゃないのか。これは処世訓だが、国家間にも当てはまる。中日の間には、怖い記憶がいっぱいあるが、温かい思い出も少なくない。今、両国には反日派や反中派が確かにいるが、中日友好のため奔走している人も数え切れないほどいるよ。

ベビー、未来の世界は君たちの考えで決めるものだ。歴史は忘れられないが、歴史だけに拘るのも良くないよ。そして、普通の国民と政府を区別すべきだ。政治とか、戦争とか、庶民に決められるものではないのだ。もし、相手が胸襟を開いてきたら、君も相手を大切にするべきだ。

ベビー、未来の世界はいろいろ意外なことがあるに違いないが、誰に対しても、優しい心を持つことをいつまでも忘れてはいけないよ。そして、国籍を問わず、全力でいい人を保護するんだよ。母もそうして生きるよ。

 

母:雷 国華

2013.5.8

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「中国を知る、その第一歩~中国の大学生の生活~」No.1595

2016-02-19 18:52:49 | ま、とにかく

「中国を知る、その第一歩~中国の大学生の生活~」

というイベントを企画していただき、

昨夜、会場である尼崎市武庫之荘の喫茶店「ロクパ」で話をし、

参加された

明日中国に旅行に行く人、

来週中国に留学する人、

今中国で働いている人、

過去中国で働いていた人、

中国残留孤児(帰国者)2世、

帰国者支援の人、

平和を願う人、などなど

15名程の皆さんと和やかに交流しました。

その中に、フェイスブックでこのイベントを知って来たという大学生がいました。

来週、上海の大学に留学するというその若者が、

「一か月の体験留学で、すっかり楽しくなって今度は一年間行ってきます。

日本では何でも細かいことまで決められているけど、

中国は大らかというか、なんか伸び伸びできる感じがして~。」

という中国観は、まさに私も同感です。


 

 

 

下は、フェイスブックに寄せられた参加者Mさんの言ですが、

ちょっとお借りして転載させていただきま~す。

―――――――――――――――――――――――

「『中国を知る、その第一歩―中国の大学生の生活―』&

『中国の卒業生から先生へ贈るビデオ』上映会~」というイベントに参加してきました。

会場はわが自宅から歩いて15分程度のお店。ありがたや、ありがたや。

企画してくれた友人に感謝です。

中国で日本語を学ぶ学生さん達・・・。

肩身の狭い思いをする場面が多々あるであろう事は想像に難くない。

それでも日本語を学び、そしてそれまで学校では教えてもらったこともない

日本の平和憲法や村山談話を知っていく中で日本への理解を深めて、

両国の架け橋になろうとまで思ってくれる人たち。

そんな学生さんたちの映像や文章に触れることができ、

昨夜は本当に貴重な体験でした。

冬休みで帰省中という講師役のブルーはーと先生は、

これからも今回のような少人数でのお話会をドンドンやりたい意向だそうです。

と言いながら今月末にはまた中国へ行かれるので「私も聞きたい」という方は

すぐ企画して夏休みの際の予約をしてはいかがでしょうか。

紹介しますよん。

――――――――

な、なんと積極的なんでしょう。昨日、初めてお会いしたというのに。

でも、人生、時間もそうないんだし、こういう事はてきぱきした方がいいかも、と

私も思いますです。

あんまり遠くまでは行きたくないけど、

大阪近辺でしたら、いくらでも出かけて行きますので

声を掛けてくださいね~~

 

 

 

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「汶川大地震での“美しい日本人”」No.1594

2016-02-17 13:10:57 | 中日(日中)関係

まもなく東日本大震災―福島原発事故から5年をむかえます。

実は、中国も四川省、雲南省などの地方はしょっちゅう地震災害に遭い、

多くの人々が犠牲になっています。

今日、江西財経大学の学生たちが書いた作文を読み返していて、

ふと、一つの作品の『地震から5年』というフレーズに目が留まりました。

3年前に書かれた後、日の目も見ず、

私のドキュメントに保存されたままになっていたものです。

作文には書いた人の思考が反映されます。

中国の若者がどんなことを想い、感じているかが作文を読めば分かります。

今までお蔵入りさせていたことを申し訳なく思い、

せめてこのブログを読んでくださる皆さんにご紹介することにします。

作者の董光輝さんは、江財大卒業後、

湖北省の武漢大学大学院法科に進学し、今は2年生になっています。

 

 ―――「汶川大地震での“美しい日本人”」  董光輝

汶川大地震が発生したのはもう五年前のことだ。

時が経つに連れて、倒された家屋が建てなおされ、沿道にも賑やかな雰囲気が蘇ってきた。

傷付いた人々も正常な生活に戻り、被災地はいよいよ回復してきたようだ。

それに比べて、中日関係は大変寒い状況に墜ちてしまった。

しかし、両国政府の間の矛盾は政府が自分たちの責任で解決するべきだろう。

政府とは違って民間の中には、冷たい心を溶かす出来事がいつでも湧いていて、

その度に両国民の距離が縮まっていくのだ。

今、私が書き表したいのは、汶川大地震のとき中国人を感動させた日本救援隊のことだ。

 

あの時、四川省汶川では数え切れない世帯が一瞬に家や家族を失なった。

被災者の多くは倒壊した廃墟の中に埋められ、死に瀕していた。

その時、中国人にとって、最も必要なのは医療、救援に他ならなかった。

外国からも多くの救援の手が差し伸べられた。

そうした援助の中で、私が今でも鮮明に覚えているのは、日本が地震発生後、諸外国の中で一番早く被災地に来てくれたことだ。

中国人が最も助けて欲しい時に、日本人は手を差し出してくれた。 

2008年5月16日、31名の日本救援隊が被災地に着き、直ちに、救援作業を開始した。

「希望が少しでもあれば、必ず最後まで諦めずに努力する」を合言葉にして、

救援隊は数日間、全力で捜索した。

しかし、生存者は一人も救えなかった。

そのような結果は残念だが、地震発生からの日数を考えると生存の可能性は低い。

誰も叱れない。

しかし救援隊員たち自身は心から恥ずかしく、遣り切れない気持ちだった。

ある救援隊員は

「現場で活動してきた一人です。現在はただただ自身の無力感と 悲しさしかありません。

救助隊として活動していながら、中国人の生きている方に触れないまま帰ってきました。

仲間には今回のことで精神的に参り、離職を决めた者もいます。

私は、いつか日本で災害が起きたその時に、今回の無力な自分ではなく、

少しでも命を救い、命に触れることができる人間になるために、生きていきます。」

と語った。

生命を救えなかったことは救援隊の誤りではないのに、

救援隊員は自分を心から責めた。

私たちはそのことに本当に感動した。

彼らは言ってみれば、ただ外国支援隊として、誠実に救助活動を履行すればそれで充分だ。

結果がどうであろうと彼らには関係ないと言ってもいい。

なぜ、そんなに遣り切れなかったのか。

その理由は今なら分かる。

彼らが中国人の生命を日本人の生命と同じと思って行動したからだ。

中国人の痛さ、悲しさを、自分のものとした。

これが私たち中国人を感動させずにはいられないのだ。

 

過去の侵略戦争のせいで、日本人は中国人の心に大変悪いイメージを刻んできた。

子供のとき、いつも祖父は日本人を「日本の鬼」と呼んだ。

戦後68年後の今でも、日本人をこう呼ぶ人は中国にはたくさんいる。

もちろん、中国人たるもの、その歴史災難をずっと民族の記憶に残さなければならない。

しかしながら、歴史を深く心に刻むのは親玉の過ちを後世の人に担わせることではない。

しかも、当時の支配階級が全ての日本人を代表するわけでなく、

戦中でも、日本国内には戦争に抗する活動家が多く存在した。

反戦活動を行った日本人も日本の鬼だろうか、答えは否だ。

 

1972年国交正常化以後、特に改革開放から、

戦争の謝罪、両国の相互理解と友好関係を推進するために、

日本からの先端技術、経済発展の資金、教育業界の人材、

いわゆる全面的な支援と協力は洪水のように中国に流れ込んだ。

その人達は日本の鬼ではなく、中国人にとっての友達だ。

前述の日本援助隊は生命の危険を賭して、中国人被災者を救おうとした。

その行為は鬼にできることか?

私は今後決して「日本の鬼」とという言葉を吐かない。

その代わり「日本の友人」と呼ぶ。

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「ろくでなしの放蕩息子に家の金を持ち出され」No.1593

2016-02-16 21:01:29 | 政治

(母)「ああっ、それだけは手をつけたらあかん!

老後、それがないと生きていかれへんねんから~~

(息子)「ええい、うるせえんじゃ。わしゃ金が要るんじゃあ。

そのうち倍にして返してやるわい」

・・・その後・・・

(母)「で、あの私の年金積立金どうなったの?」

(息子)「儲かると思ったんだけどよお、ひょっとしたら足が出るかも知んない。ま、その時はその時の話だわな。」

(母)「あんた、それ無責任過ぎるで。はよお金返して!」

(息子)「もうつぎ込んじゃったから、今さらムリ~」

~~~~~~~~~~~

我が息子の名誉のために言っときますが、

これは私と息子の会話ではありません。

(コツコツお金を積み立てきた母)は日本国の民、

(ギャンブルに母の金をつぎ込む放蕩息子)はアベ政権です。

 

2014年10月、GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)が

年金積立金を運用して株式の利益を上げようと、

国内株式と外国株式の運用比率を12%から約2倍の25%にあげました。

(下の表) 

 

 

でね、昨日15日の衆院予算委員会で、アベ首相は、

「想定の利益が出ないなら当然支払いに影響する。給付に耐える状況にない場合は、給付で調整するしかない」と述べ、運用状況次第で将来的に年金支給額の減額もあり得るとの認識を明らかにした。(時事通信2月15日)

なんて言うんですよ。

いったい誰の金やと思っているんですかね、このヒトは。

「年金支給額の減額」・・・この意味、庶民にとってどういうことか

金持ちのアベ首相が分かっているとは私は思いません。

5000円減るのも眩暈がするほどの痛手なんですよ、こっちは。

だから、金持ちは首相になったらアカンねん。

 

*表データは「Everyone says I love you」さんのブログからお借りしました。

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/17b988e60d6edaf51130d569ddf7ef95

 

 

 

 

 

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「中国の若者、北海道でプロポーズ」No.1592

2016-02-15 23:16:45 | 中日(日中)関係

江財大の卒業生、余立君さんのお兄さんが、

なんと今年の1月、

ガールフレンドと北海道旅行をして小樽でプロポーズしたんですと。

中国の若者にとって日本、そして北海道はどんなイメージか、

なんか想像できますね~。

私は自分の故郷がプロポーズの場所に選ばれたのが嬉しいですよ。

以下はメール文と添付されていた写真です。

―――――――――

昨日・バレンタインデーにお兄さんが結婚しました。

今年1月末、お兄さんとガールフレンドと一緒に北海道に旅行しました。
そして、お兄さんは北海道の小樽でポロポーズしました!
雪だるまのまえでポロポーズするのはほんとうにロマンチックでしょう。
北海道はいいところですね〜
 
春節のとき、家に帰りました。家で楽しい一週間を過ごしました。
でも、今日から仕事を初めて、新しい一年を迎えます。
先生はいつ上海にいらっしゃいますか。
飛行機のチケットが週末だったら、ぜひ上海に2日ぐらい遊びに来てくささい。
私は案内してさしあげます〜

 余立君

 

 

会ったことはありませんが、二人の末永い幸せを願います!―ブルーはーと

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「元自衛隊員からの異論」No.1591

2016-02-14 00:54:37 | 反戦平和

「現職海上自衛隊員の代弁をします、私がしなければ誰がする。」

と言っているのはもちろん私ではありません。

西川末則さんという方がそう言っているのです。

西川さんは、

1970年、18歳で海上自衛隊に入隊。

護衛艦「はるな」「くらま」に乗艦勤務。対馬防備隊に配属。

36年間、国防の第一線に携わった。

2006年、定年退官。「西川ラジコン」創業。

といった履歴の方です。

自衛隊経験者の方がたの発言は、ものすごい緊迫感と危機感があり、

それゆえに力があります。

憲法9条の枠内で具体的に日本の自衛を担ってきたのですから、

未経験者が勝手な想像で言っているのではありません。

ですから、私たちは謙虚に、心を澄ませて聞かなければなりません。

自衛官はアメリカとともに海外に出かけ、戦闘現場で「後方支援」をするために

自衛官になったのではないのです。

自衛官の任務とは次の通りです。

これを見れば、昨年7月、政府が勝手に閣議決定し、

9月参議院でかまくら強行採決した安保法制が、

どれほどとんでもない変化を自衛官に強要するものか、分かりますよね。

①国の防衛:日本の領土・領海・領空などを侵略から守る。

②災害派遣:自然災害など多様な事態に対応。

③国際協力:国際平和協力活動を主体的に行う(1992~)



―――FB憲法九条の会の投稿:西川末則―――

現職、海上自衛隊員の代弁をします。私がしなければ誰がする。

https://www.youtube.com/watch?v=BgPnwuamr6A

政治家は国民、県民、市民の代表であり、

その声を政治の場で代弁、反映しなければならない。

しかし、私の住んでいる佐世保では全く聞こえてこない。

自衛隊の町、佐世保では危機に立たされている。

現職自衛隊員が心痛の思いをしている。

「憲法9条の廃案、集団的自衛権の行使」について、

佐世保では、民主党も、公明党も、社民党も、全く声が聞こえない。

何故なのか、何でなのか、理解に苦しむ。

ただ一党だけ声をあげている。

それは共産党だけである。

お話をしてみればやはり「自衛隊員の危機感の理解、家族の心配の解決」を

親密に考えている政党と思っています。

佐世保市民の皆さん、自衛隊員を

間違った憲法改正で海外派兵をしないようご協力応援をよろしくお願いします。

 西川 末則さんの写真
<form id="u_jsonp_3_3o" class="commentable_item" action="https://www.facebook.com/ajax/ufi/modify.php" method="post" data-ft="{">
――――――――――――――――――――
 
 伊勢崎賢治さん(元国連PKO上級幹部:東京外大教授)
「自衛隊を交戦権を持たせないまま、交戦権のある現場に送り込むことがおかしい。」
 
泥憲和さん(元陸上自衛官:地対空ミサイル部隊配属)
「私たちは教官に教えられました。『有事の際、〈自衛隊を無くせ〉という国民をも含めて、君たちは守るんだ。だから、自衛隊は崇高な使命を持っているんだ。』と。
そういうふうに教えられました。
ところが、アベ首相はその自衛隊をとんでもないものに変えようとしています。
アフリカの国々で、縁もゆかりもない罪もない人々を、もしかしたら、
自衛隊は殺すかもしれない。ふざけんじゃないよ。」
 
西川末則さん(元海上自衛隊対馬防備隊配属)
「事がおきた時に一番初めに行くのは幹部じゃないんです。
海自では一番危ないところに行くのは、海曹士なんですよ。
行けば必ず犠牲者が出ます。」
「戦後70年間、平和が保たれたのは〈戦争の放棄〉、憲法9条のおかげですよ。
だから、今阻止しなければだめだ。間違った道に行っているんですから。」
 
井筒高雄さん(元陸自レンジャー部隊)
「今何が起こっているかと申し上げれば、私は元自衛隊ですので、毎年防衛白書を購入しています。
 平成25年度の防衛白書には、9条があるから集団的自衛権はしないというのが防衛省の見解でした。
 これが平成26年度の防衛白書では、憲法9条があっても集団的自衛権を行うことは可能なんだと変わっているのです。それが今の日本の置かれた実態なのです。
レンジャー隊員は自衛隊だけの教育に留まらず、たとえば機動隊や、原発事故にも活躍したハイパーレスキューという消防レンジャーの人たちにレンジャー教育を行うのも自衛隊レンジャー隊員の役割でもありました。
橋桁爆発からどうやって人を殺すか、或は死の恐怖を持って口を割らせていくかという教育を行った私から申しまして
「集団的自衛権はやめた方がいいと思います。」

今なんの関心もなかったり戦争というものを実感できないかもしれませんけれどもこうした経験をする、させられるというのは、今いる大人ではなく、ここで遊んでる小さなお子さんが5年後、10年後、ひょっとしたら今のイラクやシリア、イスラム国というところで自衛隊が出ていくということが、今の安倍政権が突き進もうとしている集団的自衛権なんです。
集団的自衛権という言葉を私はこうした発言を頂く場で毎回申し上げているんですが、そんな言い方はしない方がいいよ。戦争をするんです。人を殺すんです、殺されるんです。
これが真実なんですよ。
個別とか集団とか解釈はいかようにも取り様があるんです。
けれども本質は何かというと人を殺すこと。

なぜ殺すのか、それは集団的自衛権は日本に直接侵略、或は間接侵略があって行うのではなくて、アメリカをはじめとする国連軍になるのか、連合国のような国連軍もどきになるのかわかりませんが、時の政権が仲間だと思ったところが攻撃される、或はされそうだというところで先制攻撃を含めて、戦争に参戦する。
日本が決定権を持つのではなくて、アメリカをはじめとする同盟関係といわれるところ、或はその国が攻撃されることによって私たちの生活が脅かされるということで日本も戦争に参戦するんです。
というのが本質の肝となるところなんです。」

↓井筒高雄さんに対し、「本当にレンジャー隊員だったのか、嘘だろう」
とネトウヨが愚かな言いがかりをつけるので証拠のレンジャー部隊の寄せ書きを見せる井筒さん。(http://www.labornetjp.org/news/2015/0513shasinより)
参考動画
https://www.youtube.com/watch?v=_0BdtlkKBpE 元陸上自衛隊レンジャー隊員井筒 高雄さんが安保法制に反対する理由2015年12月21日
https://www.youtube.com/watch?v=031h6L-32i4&feature=youtu.be レイバーネットTV第86号「元陸自レンジャー隊員 VS 戦争法案」
https://www.youtube.com/watch?v=2Dfl3hgxLHw 井筒高雄氏×泥憲和氏「われ国と自衛隊を愛す、故に戦争法に反対する」
―――――――――――――――――――

</form>
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「あすわか『憲法カフェ』はためになるなあ」No.1590

2016-02-12 07:19:06 | 日本事情

2月7日、沖縄から戻ったばかりでグッタリお疲れの私に容赦なく(笑)

「今日、扇町のワン・ワールド・フェスで憲法カフェあるよ。行かない?」

と友達から誘いがありました。

『憲法カフェ』とは、お金もコネもないけれど熱い正義と良心に満ちた

若い弁護士さんたちが全国各地を股にかけ、

たとえ少人数でも希望があれば、

バッと飛んでいって憲法について学習させてくれるというものです。

 

扇町公園の会場では、

昨夏に十三の「帰国者の友」でもお話いただいた弘川弁護士が、

もう憲法について、クイズや紙芝居を交え、とても分かりやすい講義をされていました。

幼い愛娘をつれてのボランティア活動に頭が下がります。

日本国憲法については、小学校、中学校、高校と何度も勉強しているはずなのに、

なぜかみんな肝心な部分が分かっていなかったんだ、と衝撃を受けた昨夏。

今回も同様の思いを持ちました。

それは、弘川弁護士が参加者に出した○×クイズの一つ、

「憲法は国民が守らなければならないものです」

に対して、20数名の参加者のほとんどが○だったことです。

憲法第99条[憲法尊重擁護の義務]には、誰が憲法を守らなければならないか

明記されています。

「天皇または摂政および国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、

この憲法を尊重し擁護する義務を負う」

宛名は国家権力なのです。これが主権在民の意味なんですね。

それなのに、今、アベ首相は

「はつらつと憲法改正を議論するべき」と仕掛けてきています。

そのわりに内容は「一つひとつの事例についてはお答えを差し控えます」のです。

こんな詭弁ばかりの政治家が日本の政治の中枢に居座っていることを

私は一人の日本人として心から恥じるものです。

 

憲法改正は、

2012年の国民投票法により、

「有権者の2分の1」ではなく「投票総数の2分の1」以上で決まることになりました。

有効投票率の定めがないので「投票総数の2分の1」以上とは、

例えば有権者が100人として、投票する人が5人しかいなくても

それで決まるということです。

改憲派は強い意志で投票場に足を運ぶでしょう。

昨今の選挙のように、どちらかというと変えなくてもいいという人たちの多くが、

天気が悪いからとか、用事で忙しいから、面倒だからと言って投票しなかったら、

それは自動的に「憲法改正に賛成」を結果してしまいます。

日本国憲法は主権者である国民が、国家権力に対して守らせるべきものです。

国民が権力に全てをお任せするような今の状態は、

国民が自分で自分の首を絞めているのと同じ。

国民も不断の努力をして(日本国憲法12条)、

自らの自由と権利を保持しなければならないのです。

 

とまあ、こんなエラそうなことを言えるのも、

あすわかの「憲法カフェ」に2回も参加したから言えることです。

皆さんの地元で、「憲法カフェ」があったらぜひ一度は参加してください。

勉強は小学生や中学生だけがするものではありません。

勉強は死ぬまで大切なものです。

忘れたらまた繰り返し、復習しましょうね~。

(あ、でもアベサンの日本会議が真似して憲法カフェを始めたそうなので

間違わないでね~)


「明日の自由を守る若手弁護士の会」http://www.asuno-jiyuu.com/

 

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「米騒動から百年ぶりのママデモ」No.1589

2016-02-10 21:05:46 | 日本事情

2015年7月~9月、全国津々浦々で巻き起こった

安保関連法案反対の大きなうねりは久しく日本社会では見られなかったことでした。

55年前、1960年の安保闘争は組織された労働組合や学生団体が主だったのに比し、

今回画期的だったことは個人が一人で立ち上がり、行動したということです。

シールズSEALD'sは各地にできましたが、これは個人個人が主体的に作ったもので、

共産党が作ったというあまりのウソ・捏造はいくらなんでも

世間一般には通用しませんでした。

次々できたMIDDLE's(中年層)、OLD'S(年配層)、T-ns SOUL(十代)も同様です。

さすがに、ネトウヨも、これら全てを共産党の所為にはできなかったようです。

中には創価学会内部の平和を希求する人々の声もあったのです。

 

その中でも特筆すべきが、若きママたちの

「安保関連法案に反対するママの会」(略称『ママの会』)の登場です。

ママがデモの先頭に立つことは日本の歴史上、多くありません。

これは、1918年の恐ろしい勢いで高騰する米価に対し

子らの命を守るために立ち上がって有力者に詰め寄り、

米屋を襲った女性パワーを彷彿とさせるものです。

『誰の子どもも殺させない』

命を育む性の力が、

今の超攻撃的かつ排他的な社会の流れにブレーキをかけるためには

何としても必要です。

沖縄でも「ママの会」のママたちに会いました。

昨年までデモに行くなど考えられなかった私の娘も

今は「ママの会」メンバーです。

彼女たちは半端じゃなく、安保法案廃止と主権在民の復権を目指しています。

今日もまた、家の中が散らかっているのを気にしながらも、

あるいは連れ合いとともに、あるいはシングルで、

野党共闘を実現させるために、全力を傾けてがんばっていることでしょう。

実に頼もしい女性たちです。

 

 

 

 

 

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