不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「夏休みが終わる」 2012年8月31日(金) No.429

2012-08-31 14:51:39 | 日記
2ヶ月間の長い休暇が終わる。
色々なことがあった。
帰国者一世、西井澄さんの解放文学賞佳作受賞、
財大二年生、黃ゆうひん君の来日ホームステイ、
娘ナオの結婚披露、
第八回「中国人の日本語作文コンクール」に3人の教え子が入賞。
これら一つ一つは全部前向きの明るい出来事ばかりだ。
たった一つ、
スエミ姐さんがいなくなったことだけ、それだけが残念だ。
残念でならない。

この南昌の宿舎にも、スエミ姉さんのスウーデン土産のトイレットペーパーフォルダー、垢こすりタオル、陀羅尼助丸、お連れ合いがつけた梅干…。
何気なく冷蔵庫や引き出しを開けた時に目に飛び込んでくるそれらの品々は、
スエミ姐さんがそれをくれた時の言葉や仕草まではっきりと思い出させる。
梅干なんて、つい先月の8日のことだ。
自分の体調もさて置いて、
「お腹こわしたときや、なんも食べられへんとき、これとご飯だけでも食べや。」
と言って、渡してくれた。
その3週間後にこの世では会えなくなるなどと、ひとっつも考えなかった。
これからも中国から戻ったら、大阪にはスエミ姐さんが連れ合いとともに仲良く、
いつも私を待っていてくれると信じて疑わなかった。

亡くなって35日のお参りに伺ったとき、
スエミ姐さんの手帳をチラッと見せてもらった。
毎日、克明に会った人たちの名前が記録してあり、
末尾に必ず「どうもありがとう」と書いてあった。
覚悟していたんだ…。

爽やかに窓を開けて飛び立っていったスエミ姐さん。
うっかり取り残されて、私は呆然とした。

それでも、毎日何とかやっている。
取り残された者たちの一人、文ちゃんが
「こういうときは、声を出して『それはそれ、これはこれ』と言うねん。
おまじない。」
と教えてくれた。
呆然とばかりしてはいられないので、
私も毎日声を出して
それはそれ!」と気合を入れている。
もう新学期がスタートするのだ。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「それでも季節は巡る」  2012年8月30日(木) No.428

2012-08-30 21:42:45 | 中国事情

昼間は暑い、暑いと汗を拭いていても、もうそこはかとなく秋の気配がする。
夜ともなれば宿舎の外では各種虫たちのライブステージで、
コオロギ、鈴虫、その他分からないけど涼しげな音があちらからもこちらからも聞こえてくる。
リーン、リーンとなく鈴虫のその澄んだ音の美しさを、私はここ南昌に来て初めて知った。
いやいや、あはれなるかな。
とシミジミしていたら、
道路の方から破鐘のようなカラオケの音、車の警笛、店屋の放送音などが、
お構いなしに夜空にコダマするし~。

雑多な音と自然が混ざり合った、
いかにも中国の地方都市の風情が漂う夜である。


下のは、実はちょうど一年前の写真なんだけど、
農家の収穫が始まる今の季節に合っているかと思い、
いつものように「一分間中国語」から拝借した。
湖北省は、江西省の西北に隣接する。
唐辛子の栽培はここ江西省でも負けていませんよ。


湖北恩施辣椒丰收
8月26日,在恩施市沙地乡黄广田村,村民在搬运辣椒。近日,湖北省恩施市沙地乡的辣椒开始采摘。
《新华网 2011.08.28より一部抜粋》

 日本語訳
湖北省の恩施市でトウガラシが豊作
8月26日、湖北省の恩施市の沙地乡黄广田村で村民がトウガラシを運んでいる。このごろ、この村ではトウガラシの収穫が始まった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「がんばれ!大阪市職員4人衆」 2012年8月29日(水) No.427

2012-08-29 19:20:16 | 日記
一日一ブログ文を基本にしてるんだけど、
これはどうしても書いておきたい。

大阪市の職員刺青問題だ。
はたして刺青をしているかどうかの調査に答えることを職務命令にできるのだろうか?
刺青tattooをしようがしまいが、基本的に仕事とは関係がない。
プライベートな嗜好だ。
確かに竜だの桜吹雪だのが身体一面に彫られているのは
(ひょっとしてヤクザ?)だろう。
だが、今時そんな模様ではない刺青はいくらでも見かける。
アメリカでの体験だが、
シアトルの公立大学の教師たちは、何人も腕や首の後ろなどにtattooをしていた。
大学横の本屋の店員にtattooについて取材したこともある。
その店員も、腕にデビルマンみたいな模様のtattooをしていたが、
「これはアートであり、自分の思想哲学を描いているのである。」
という返事が返ってきた。


私自身は、マジックペンで描くならいざ知らず、皮膚を傷つけてまで模様を刻むその方法には(痛いだろうな)と恐怖を覚える。
親にもらったカラダなのに…とも思う。
それでも、あえて言う。
刺青をする、しないは個人のプライバシーに関わることであり、
職場の上司に命令を受けるいわれは一切ない。
ただし、見えるところに刺青をしていて、それが接客等で職務上問題があるのなら、
上司か誰かが見て判断したらいいことだ。
いくら大阪市長だからって、職員のパンツの中まで詮索する権利があるとは思えないが。

橋下市長のやり方は、
「市の職員は私が聞いたことには、全て絶対答える義務がある。たとえパンツの中のことでも、だ。」
というものだ。
橋下さんだけ、なぜこんなにも威張っていいのだろう?
公的に迷惑をかけない範囲において、職員には私生活上の表現の自由や職場で私生活上の嗜好をとやかく言われない権利ってものがあるでしょ。
いくら公務員だからって、基本的人権は憲法で保障されているんだから。
市長が女性をお金で買って客室乗務員の服着せて性的行為をしたことの方が
よっぽど、よっぽど、懲罰に値すると思うけど。
それと同じことを、もし学校の先生がしたら、どれだけ全国版で変態差別男と罵られることか。
最近でも静岡や山形、北海道の教師が生徒と性的関係を持ったということで(それぐらいなんだって言うんだ)、
「教師の信用を失墜させた」という罪?に問われ、懲戒免職になっている。
どうして橋下徹に対してだけ世間が「特別何でもO.K.措置」とするのかさっぱり分からない。
法的に売春防止法に違反しているかどうかは別として(何しろ彼は専門家、言抜けはいくらでもするだろう)、
やったことはどうみても売春なのに。
百歩譲っても、「市長としての信用を失墜させた」ことは確かじゃないのか。
中学生や高校生に堂々と、臆することなく
「橋本市長は以前(茶髪の弁護士時代、ついこの間までそうだったですね)、女性に自分の好きなコスプレさせて、エッチなことをし、それについてお金を渡したんだって」
と言えるか?
「日本の売買春」がどれだけ世界から非難されているか、
橋本徹にはカンケーないのだ。
容認している日本社会も、とことん恥知らずである。
情けない。

とにかく、大阪市を提訴する気骨ある市職員の4人はすばらしい。
もし私が市の職員だったら、同じことをしているだろう。
加油!大阪市の職員4人衆!
司法は腑抜けな判断をしないでね。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日中の狭間で奮闘する人たち」 2012年8月29日(水) No.426

2012-08-29 11:52:33 | 中国事情
なんだってまた、親中派で両国の架け橋たらんと奮闘している丹羽宇一郎日本大使の車を狙うかね…。
どこの国にも何も考えずただ踊る人がいるものだ。
与えられた情報の、そのまた一部しか聞かずにすっ飛んでいく。
自分の頭で考えないヒトは、もはやどうしようもない。

日本に長年滞在し、
日本僑報社を切り盛りしている湖南省出身の段躍中さん。
(湖南省と言えば、毛沢東は言うに及ばず、太平天国の乱の曽国藩を出し、
劉少奇・胡耀邦を輩出している省だ。江西省の西隣ということは当然内陸で、経済発達から取り残されている。)
さて、段躍中さんの日本僑報社に戻るが、
そこは日中民間交流のための様々な活動を精力的に行っているところだ。
その一つ、「中国人の日本語作文コンクール」も、今年で8年目を迎える。
あちこちから資金を集め、
後援として日本外務省など、そうそうたる組織をバックにつけて、
まさに獅子奮迅の活躍を続けている。
その段躍中さんから今日届いた通信「日本僑報電子週間」にこう書いてあった。
「皆さん、あきらめずに一緒にがんばりましょう。」
そうだね…。私も一人分だけだけど、誠意を持ってクサらずやろう。


日本僑報電子週刊 第1046号 2012年8月29日(水)発行
    http://duan.jp 編集発行:段躍中(info@duan.jp)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

読者の皆様、おはようございます。

日中関係はますます難しくなり、心が痛いです。われわれ民間人はいくら
頑張っても、このような背景と現状において、無力感が一杯です。

日曜日午後定期的に開催されている星期日漢語角は、高温にもかかわらず、
40人以上の人が西池袋公園に集まり、中国語と日本語で楽しく交流してい
ます。26日の回は、253回目となります。日本語では継続は力となりと言
われていますが、尖閣列島・釣魚島問題、中国の反日デモ問題、特に丹羽
大使妨害事件などが、連続生じており、民間レベルと文化交流にも影響が
出ています。

逆風の中、9月7日~9日に、東京芝公園で初めての中国文化祭が決行され
ることとなりました、その中の一つコーナーは漢語角が担当することで、
そのため、9月9日の第255回漢語角は、西池袋公園ではなく、芝公園・中
国文化祭の会場で開催します。多くの方のご来場、心から歓迎します。

詳細http://cccj.jp/chineseculture/

日中国交正常化40周年記念のイベントである日中関係を知る良書ブック
フェアは、多くの書店で展開中です。ジュンク堂池袋本店では、一階の
入口で開催しています。塚越氏はブログに詳しく書いていただきました、
転載いたします。ありがとうございます。

日本僑報社から『中国における医療保障制度の改革と再構築』を刊行し
た著者で、現在上海政法学院の教師を務めている羅博士は、一時来日中
の時間を利用して、ジュンク堂書店のブックフェアを見学された。岩楯
嘉之・NPO日中交流支援機構事務局長は、その様子を記事にした、あり
がとうございます。

9月は40周年の記念イベントが最も多い月です、一日でも日中関係がよく
なることを期待しています。皆さん、あきらめずに一緒に頑張りましょう。

  段躍中  2012/08/29
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「3人の学生来訪」  2012年8月28日(火) No.425

2012-08-28 11:53:31 | 中国事情
北京に滞在していた思婷さんが、故郷樟樹の親戚の家に行く途中、南昌の我が宿舎に立ち寄った。
北京駅から南昌駅まで18時間。
長旅に疲れていないはずはないのだが、
小柄な彼女は、まるで麦盧園からちょっとバスに乗ってきたかのように、
気軽な様子でやって来た。
子どものころから水汲みで鍛えた健康な身体と強じんな精神を持つすごい子だ。

彼女は6月、財大を卒業後、
南昌でアルバイトを探したが不運なことがあって頓挫し、
北京に行った学友、斯麗さんのところに身を寄せたり、
出稼ぎ先の両親のところに行ったり、
また再び北京の斯麗さんのところ(正確には斯麗さんのボーイフレンドのアパート)に泊まったりして、
このひと夏を過ごした。
両親、弟と生まれて初めての家族旅行をした以外は、
概ね可哀想な夏休みだったと言える。

なぜ彼女は夏休みに南昌からバスで2時間ぐらいしか離れていない故郷、樟樹に戻らなかったのか。
戻りたくても戻れなかったのだ。
彼女の家には現在、誰も住んでいない。
両親は河北省に出稼ぎに行っているし、
弟は北京の航空大学に在学中だ。
彼女は自分の生まれ育ったその家や村を愛してやまないが、
たった一人、故郷の自分の家で夏休みを過ごすことが、非常に危険であることを知っている。
留守中、鍵が壊され泥棒に入られたこともある。
お父さんが自力で建てた家の壁には、ペンキでバイク屋の広告が吹付けられている。
その村以外の者たちが、出稼ぎで留守にしている家を狙って空き巣に入ることは珍しくないという。

実は、彼女は駅から直接我が宿舎に来たのではなく、
一旦大学の寮に戻り、そこから後輩二人とUターンして来たのだ。
既に卒業したので彼女の部屋はないが、後輩たちがやり繰りしてベッドを提供してくれる。いい先輩にはいい後輩がつくものだ。

後輩二人は今度4年になる洪さんと葉さん。
二人とも大学院受験を目指して、この夏休みは家にも戻らず、
麦盧園の資料室でひたすら自習を続けてきた。
勉強は順調か、と尋ねると
「なんで大学院にいかなければならないのか、分からなくなりました」だの
「通訳の専門は難しくて、受かりそうもありません」だの
ボロボロと弱音を吐くではないか。

彼女たちは、思婷さんのように、ひたすらがんばる根性が自分たちにはない、と言う。
確かに思婷さんは強靭な粘りがある。
あれだけ努力をコンスタントに続けられる人は、多くないとは思う。
しかし、他にも斯麗さん、夢婕さんの例もある。
この二人は、ブレたり、落ち込んだり、を周期的に繰り返しつつも、
互いに叱咤激励して危機を乗り越え、最後には成功の果実を掴んだのである。

斯麗さんは大学院入試が終わった日、試験会場から戻るバスの中で泣けて泣けて堪らなかったと言う。
私の宿舎にたどり着いた時もまだ泣いていた。
普通の女の子たちが、
弱気と闘いながら、懸命に努力を続けているのだ。
ほんの少しでも支えになってあげたい。
そんな思いで、洪さん、葉さんを激励して帰したのだった。

思婷さんとはこれからしばらく会えない。
いよいよ9月から広東省の広州外語外貿大学で大学院生として日本の歴史文化を研究するのだ。
北京の斯麗さん、夢婕さんも同様に、
さらなる飛躍と深化の時代に入る。
頼もしい限りである。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ギョギョ、反日デモ?」  2012年8月26日(日) No.424

2012-08-26 10:26:30 | 中国事情
朝起きて、塩水を一杯飲み、その後インスタントコーヒーを淹れた。
塩水は一週間前、玲奈さんに教わった整腸法だ。
これから効果がジワジワ出てくる予感がする。

さて、インスタントコーヒーを飲みながらパソコンでメールチェックをしていたら、
突然、外からシュプレヒコールが聞こえてくるではないか。
咄嗟に(今日は日曜日、反日デモの可能性あるな)と思う。
南昌市といっても我が職場と宿舎は中心部から離れた経済開発及び文教地区にある。
わからんけど普通、デモと言えば八一広場などでやるんじゃないか。
あれこれ考えているうちに、シュプレヒコールは遠のいて行った。
多分違ったんだろう。

しかし、もう安全圏にいるのではないことを痛感する。
江西省で反日デモがあったかどうかインターネットで調べたら、
8月17日にこの間日本に招いた黃君の故郷、カン(贛)州で100人以上、
8月17日(18日という説も)南昌市でもデモがあったとのこと。
(なぜこんな地方都市で?)と疑う向きもあろうが、
2年前の2010年でも大規模だったのは、四川省成都など地方都市だった。
その時、南昌でもインターネットを通じて呼びかけがあったが、
実際にデモがあったかどうか、学生も教師も、誰も確認していない。
ただ、何人もの学生たちから電話で、
「先生、今週末は市内に行かない方がいいです」
と親身なアドバイスをもらったことを記憶している。
今回も上海、北京は小規模だ。
このようなデモの発生の仕方には、当局の作為を感じたりもする。

しかし、8月19日の深圳、浙江省杭州、温州などで起きた大規模なデモは、
日本側が尖閣諸島に上陸したという報道を受けて、自然発生的に膨らんだとみられる。
深圳の日系旅行会社が、状況を説明しているサイトを見つけた。
余裕がある。
こうでなくては中国で商売などできないのだろう。
以下はその旅行会社「(株)スターエキスプレス」の顧客にあてた文である。



中国 深セン / 8月19日に発生した「反日デモ」の状況と現在の様子について
掲載日時:2012年08月21日

情報提供:株式会社スターエキスプレス

既にテレビや新聞などでも報道されている通り、2012年8月19日に中国各地で「反日デモ」が発生いたしました。
以下に深センで発生したデモの影響と、現地8月20日現在の様子についてご連絡いたします。

■ デモの影響
8月19日のデモは中国各地で行われたデモの中でも規模の大きいものでしたが、デモが行われたエリア以外は、通常と変わらない様子です。
香港・マカオは、デモが行われた日も平常通りで、深センもデモが行われたエリア(羅湖の雅園立体交差橋:雅�屈立交付近)以外は日系のお店にも被害はなく、ジャスコ、味千ラーメンなども通常通り営業しておりました。
深センでもデモの翌日 8月20日は、どのエリアも平常に戻っております。

現地では、一般の中国人皆が反日感情を持っているわけではなく、一部のデモ隊に近づかなければ問題は無い状況です。
当地でも8月19日に発生したデモのニュースは大きく取り上げられております。深センではデモがあった一部エリアの状況がニュースにクローズアップされておりますが、街全体が反日運動をしているということはありません。

深センの主要観光地である民族村周辺、福田区付近は、デモのあった場所から車で30分ほど離れているため、当地を訪れる観光客に影響・被害は出ておりません。
また、日本人観光客にも人気の高いゴルフリゾート「ミッションヒルズ・ゴルフ・クラブ&リゾート」は、深センの郊外に位置し、デモが行われたエリアから車で約1時間離れた場所にあるため、8月19日も何の影響もありませんでした。
よって香港空港~ミッションヒルズ間の移動、及びミッションヒルズ滞在中にこのようなデモに巻き込まれる可能性はきわめて低く、最終的にはお客様の判断になりますが、今のところ問題はないと思われます。

参考までに、以下にデモが行われた翌日 8月20日の深セン市内中心部の様子を写真でお知らせいたしますので、ご覧ください。
なお、昨日デモが行われた雅園立体交差橋付近も、本日は平常を取り戻しております。またジャスコ内の味千ラーメンも普段通り、中国人のお客が利用しております。

今のところツアーの催行に影響するほどの状況ではありませんが、万が一このようなデモ隊に出くわした場合には、けっして近づかず、日本人同士が集団で騒ぐなど周りを刺激するような行為は極力控えるなど、十分にご注意ください。
http://www.otoa.com/news_detail.php?id=22705


デモの行われた雅�屈立交付近 (8/20)


深セン市内のジャスコのようす (8/20)


ジャスコ内の「味千ラーメン」 (8/20)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「大阪より涼しい!」  2012年8月25日(土) No.423

2012-08-25 10:20:24 | 中国事情
ワハハ!嬉しいなっ
重い荷物を曳いて夜中にヨロヨロ到着したんだから、
何かいいことがなくちゃね~。

ご存知の方はご存知だが、南昌は、
夏は非常に、とんでもなく蒸し暑く、冬は冷たい強風が頬を突き刺し、底冷えのする
悲しい気候の土地である。

学生たちは南昌を表現する言葉として、第一に
「南昌の天気は変です。
夏は暑くて死にそうなのに、冬は寒くて死にそうです。」
「南昌は天気のいい日でも、必ず傘を持って出なければなりません。
天気が予測不可能な変わり方をしますから。」
と、天気の悪口を言う。

23日、24日の南昌は、
この定説を覆す爽やかなお天気だった。
今日はちょっと元に戻りつつあるが(最高気温33℃)、
それでも涼しい風が部屋を通り抜け、気持ちがよくてありがたいぐらいだ。
大阪の、微風だに吹かぬアスファルトの道路に立った感触を想うと、
南昌の天気は、自然が思うがままに支配しているという気がする。
大阪の暑さは明らかに人工的だ。

そうは言っても、
自然の作用によって翻弄されっぱなしなのも身体に応える。
外は自然に譲り、家の中は人間の知恵を結集する、というのがいいんじゃないかな。
この宿舎の立て方は、
隙間だらけだったり(一日掃除しないと土埃がうっすらと床を覆う)、
寒さ対策を考えない天井の高さだったり、
一階の部屋は湿気対策もなんもなかったり…、
特に寒さ、湿気についての建築上の工夫がもっともっと欲しい。
見た目は広々した感じでいいんだけど、
生活する者の視点が欠如しているんだよなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「東方航空は時間通り飛んだ」 2012年8月24日(金) No.422

2012-08-24 22:59:41 | 中国事情
昨日は2回飛行機に乗った。
関空−上海、上海−南昌ともに中国東方航空の便だったが、
特筆すべきことに、
今回は2便とも定刻通りに出発し、定刻通りに到着したのである。

中国の飛行機で中国と日本を行き来し始めて9回目だが、
これは初めてのことだ。
実は今まで、中国国内では吉祥航空とか深圳航空とかを使うことが多く、
こうした中小航空会社の便は
いとも簡単に飛行時刻を変更したり、飛ぶのをやめたりする。
その時の説明の省略形たるや、日本の航空会社の応対を基準にしている私などには
逆上ものだが、中国の人々はひたすら我慢する。
慣れ切っているのだ。
ただ一度だけキレた若者が案内カウンターを蹴ったのを見たけどね。

今回学んだこと。
[予約は極力中国東方航空(MU)の飛行機にしよう。]
ANAやJALは時間はきっちりしているし、職員の応対もすばらしいけど、値段が法外で~。

定刻通り夜10時50分に南昌の昌北エアポートに着き、
11時過ぎに迎えに来てくれたドライバーの陳さんに出会えた。
これも初めてのことだが、アメリカ人英語教師も2人同じ飛行機で到着し、
一緒に迎えのバンに乗り込んだ。

2年前、初めての出迎えのとき、
日本語学科では新平先生が夜中まで待っていてくれたが、
今回は何と女子学生2人に任せて誰も教師は来ていない。
新平先生は確かあの時、
「3年生の女の子たちが一緒に出迎えると言っていましたが、9時以降は女の子は心配なので帰しました。」
と言っていた。英語学科(あるいは国際関係学部)はちょっとズサンだなあ…。

時間帯によっては、
中国では外国人教師の送迎は学生も参加して盛大に行う。
教師の地位は中国では高いのである。
これも日本とは雲泥の差だ…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ひえ~!入賞だ~!!」  2012年8月23日(木) No.421

2012-08-23 15:23:11 | 中国事情
今、関空にいてメールチェックしているんだけど、
な、なんと、とんでもない朗報が飛び込んできていたんだ~い!

4月、5月に学生とプンスカ喧嘩しながら書かせた作文、
「中国人はなんでいつも大声でしゃべるのか」
「日中両国民が仲良くなるための私ならではの提言」
昨年に引き続き、日本僑報社主宰(日本国外務省後援)の日本語作文コンクールに応募したんだけど、
2000人以上の応募者の中で
わが教え子が3人も入賞したんであ~る!
本当に、本当に、予想外だった。
心からの「ひえ~~~!」である。

実は、今回の渡中はなんだか気が重かった。
スエミ姉さんがいつも私のそばにいて、(行くな)みたいなオーラを発している気がして…。

しかし、これで完全に覚悟が決まった。
気合入れて行くゾー!!!
えいえいお~!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「反日への冷静な視点も」 2012年8月23日(木) No.420

2012-08-23 11:06:05 | 中国事情
あと1時間で淀川区の家を出発する。
冬休みが来るまでの約5か月はまた中国生活だ。

確かに、ここ数年で最悪の日中関係だ。
尖閣諸島問題、反日デモなど、
日本における中国関連の報道が限られている中、
8月20日の新華社インターネットニュースは、
なでしこジャパンの映像を配信した。



「日本奥运选手东京凯旋游行」
(日本のオリンピック選手が東京で凱旋パレード)

8月20日,日本女足队员泽穗希向观众挥手,日本女足在伦敦奥运会上获得银牌。
(8月20日、日本女子サッカーチームの沢穂希選手が観衆に向けて手を振っている。日本の女子サッカーはロンドンオリンピックで銀メダルを獲得した。)
《新华网2012.08.20より一部抜粋》


中国の一面ばかりをクローズアップする日本のメディアに乗せられない様にしたい。
1位、2位を争うオリンピックの試合じゃないんだから、
そっちが上陸するなら、こっちも、という子供っぽい発想をするべきではない。

gooニュースによると
『ミニブログのWeibo(微博)には20日、
「日本は嫌いだが、こうした反日抗議をする自国民は病気だ」
とのユーザーの書き込みがあった。
別のユーザーは
「日本が尖閣諸島(中国名:釣魚島)を占拠していたとしても、
中国の土地で中国人の車をたたいたり、日本人を捕まえて殴ったりすれば、すべて違法行為だ」と書いている。(記者:Brian Spegele)』

という声もあるそうだ。

一人の日本人として、「いちゃりばちょーでー(出会えばきょうだい)」
の心を持ち、前を向いて出発しよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「生き残りをかけたブライダル・ビジネス」  2012年8月22日(水)No.419

2012-08-22 15:02:50 | 日記
「グリーンベルなんば」は商売上手だ。

当世、日本ではお金をかけずに結婚するカップルが増えている。
もちろん経済的な事情が派手な結婚式を許さないこともあるが、
結婚式そのものにお金をかけるのなら、そのお金を新婚旅行代に充てる人たちも多い。
「グリーンベルなんば」はもともと結婚式場なのだが、
そうした若者の動向をもビジネスに取り込み、
お金のかかる式を省いて写真撮影だけ、
あるいは写真撮影プラス家族(友人)だけの会食などのサービスビジネスを行っている。

昨日、我が娘ナオの結婚記念撮影と会食に招かれて行った。
一月ほど前に娘に付き合って、ウエディング衣装選びに行ったとき、
その貸衣装の膨大さに感心したものだが、
昨今の流行りだろうか、
肩をむき出しにした衣装が多かった。
ナオはそれを避けて、襟付きのデザインを選んだので、
私は大いに安堵した。
肩をむき出しにすると、
肩甲骨が浮き出てやせ衰えて見えたり、
逆の場合は腕がムチムチで腕力ありそうに見えたり、
万が一、衣装がずり落ちたらどうしようとか、
何となく、見ていてソワソワするのである。

撮影後に案内された会食の部屋やテーブルは、
総勢8人のためにはやや広すぎた感じがしたが、
部屋の隅にマイクやBGMの装置があり、
進行役もグリーンベルなんばの職員がしきってくれた。
花嫁花婿を含め、ただ食べるだけと思っていた8名は、
挨拶をさせられたり、乾杯の音頭を取らされたり、
また、二人からみんなに贈り物まであったりと、
ホンワカとした結婚式ムードを味わって、にこやかな職員に送られ、
何となく嬉しく帰途についたのだった。
多分、全部込みでも10万円前後だと思う。
生き残りをかけたブライダル産業の姿を見た思いがした。

親の事を思い、
自分たちでできる気軽なブライダル・セレモニーをしてくれた二人に、
いつも幸運の女神が味方してくれますように…。


プロによる写真撮影の後に、家族友人の撮影タイムもあり、気が利いていた。
二人は「アイドルになったみたい」とホクホク顔。
しかし、よく見ると彼女の衣装の後ろは洗濯バサミでサイズ調整されているではないか…。


あまりポーズを取らず、ただ立っているので、
「花婿が花嫁を抱いてポーズするもんやで」
と言われてトライした二人だが、
人前でそんなことをしたこともないので悪デレ気味。
さらに、ナオは(落とされては堪らん)と緊張して棒のようだった。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「沢木耕太郎を初めて読む」 2012年8月21日(火) No.418

2012-08-21 09:11:17 | 日記
勧められて沢木耕太郎著「1960」を読んでいる。
その本には
「危機の宰相」-池田隼人とその周辺(1977著)、
「テロルの決算」-浅沼稲次郎と山口二矢(1978著)
という二つのノンフィクションが収められている。

読みつつ、自分でこういう文を探せなかった未熟さを
少し残念にも感じている。

1960年当時、8歳の自分も
岸信介、池田隼人、浅沼稲次郎の名前は知っていた。
その後の佐藤栄作、福田赳夫、田中角栄、三木武雄などは
よ~く知っている、ていうか、耳にこびりついている。
しかし、我が身を振り返ったとき、
どうも自分は
神学論的体質を色濃く持っていたと認めざるを得ない。
現実社会をどう切り盛りしていくかを不問にしたまま、
批判的に見るという傾向である。
なので、自民党の政権担当者のいちいちに興味関心など抱きようもなく、
今日まで至ってしまった。

戦後の日本を振り返るとき、
為政者たちの見たもの、目指したものを抜きに戦後史を理解することは
限定的、局地的にならともかく、不可能といえる。
この沢木耕太郎の本は、
自分が空白にしてきた分野を分かりやすく、興味深く解説してくれる
私にとってありがたい本である。

「危機の宰相」の中に、
池田の「所得倍増」論の理論的根拠を提示した下村治という人が出てくる。
彼は、「安定成長」を唱える官僚出身の佐藤栄作に対抗して、
日本経済のダイナミックな高度経済成長の可能性を示し、
それを行政的に導くよう池田隼人にアドバイスし続けた人である。

その下村治は、1973年オイルショック以降、
急に高度成長論からゼロ成長論者に変わる。
誰よりも力強く高度成長を唱えていた彼が、誰よりも日本経済の成長に否定的になった。
下村は
「私は何も変わっていません。日本の置かれている客観状況が変わっただけです。」
と言う。
「日本経済は高度成長からゼロ成長に押し出されてしまったのです。
それに適応しなければならなくなった。しかしゼロ成長だからといって
悲観ばかりしている必要はありません。
経済がゼロ成長に適応してしまえば、不況もなにもない静かな状態が生まれてくる。
ところが今は、高度成長に身構えていたものをゼロ成長に対応できるように
変えなければならない。
そこに混乱が生じる原因があるのです。
ゼロ成長を生きるためには、これまで高度成長に備えていたものを切り捨てなければなりません。たとえば膨大にある設備投資関連の産業は整理されていくでしょう。
しかしその代りに、これまで設備投資に向けられていた資源と能力が解放されることになります。
今度はそれを生かして、生活水準の充実や環境条件の整備に使うことができるようになります。
もちろん、それに至るまでには過渡的なプロセスがあるはずですから、それが苦しみとなって続くということになるのでしょうが…。」
(『危機の宰相』P.206)

この言葉は1977年、沢木耕太郎が下村治にインタビューしたときのものである。
見える人には見えていたのだ。
今の日本の有様が。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「上海領事館からの通達」 2012年8月19日(日)No.417

2012-08-19 10:53:40 | 中国事情
4日後にはまた江西省南昌市に行く。
江西省日本人連絡会の世話人から在上海日本総領事館の通達が転送されてきた。
さあ、自分の顔を叩いて出発準備態勢に入ろう。


「最近の日中関係の動きに係る注意喚起」
(2012年8月16日)

1.最近の尖閣諸島を巡る一連の動き、特に8月15日、香港の活動家が尖閣諸島に上陸し、我が国当局が活動家を逮捕するという事案が発生したこと等を受け、中国国内では当館を含む我が国在外公館に対して抗議行動が行われています。

2.現在のところ、邦人社会全般に対する抗議行動やデモ行進等反日的活動が行われるとの具体的情報には接していませんが、今後しばらくは、在留邦人のみなさまや旅行、出張等で当地を訪れるみなさまには、以下の諸点にご留意の上、ご自身の安全確保には十分ご注意ください。

○外出する際には周囲の状況に格別の注意を払い、広場など大勢の人が集まるような場所では特に注意する。

○抗議行動やデモ行進等には近づかない。

○中国人と接する際には言動や態度に注意する。

○日本人どうしで集団で騒ぐ等の目立った刺激的な行為は避ける。

○一般的な行為(野外での撮影、スケッチ等)でも場所によっては中国で非合法となる場所もあるので注意する。

○当館のホームページ、外務省の危険情報等をこまめにチェックする。
 当館ホームページ:http://www.shanghai.cn.emb-japan.go.jp/
 外務省海外安全ホームページ:http://www.anzen.mofa.go.jp/

3.今後、抗議活動が活発化するおそれもありますので当館に御用のある方は、念のため、事前に下記連絡先までお問い合わせ下さい。

  在上海総領事館 021-5257-4766
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「スエミ姐さんにご挨拶」  2012年8月18日(土) No.416

2012-08-18 22:46:29 | 日記
スエミ姐さんの四十九日ならぬ三十五日の供養があった。
お坊さん、お連れ合い、友人・弟子を合わせて7人の小ぢんまりした会だった。
カレーライスと豆腐サラダを自分らで作り、
お参りは30分程度であっさり済ませて
カレーとサラダをみんなで食べた。

お坊さんが帰った後は、
ついいつもの話題=ハシモト・マツイ・維新の会をこき下ろし、
学校現場の惨憺たる有様を憂い、
どうしたものかあーやこーや言っているうちに
大雨が降ってきた。

いつもならスエミ姐さんも話に加わっているところだが、
遺影はお連れ合いを見てニッコリ微笑んでいるだけだった。

母が死んだとき、心に大穴が空いた。
その穴が塞がらないまま、
次はだれ、また次はだれ、とその穴に吸い込まれていく。
これからは、ずっとこんな風に過ごしていくのだ、と急に分かった気がした。
自分の存在がその穴に吸い込まれていくまで…。

スエミ姐さん、
まだまだずっと一緒に生きていきたかった。
でも、しかたないんだね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「北山修&嘉門達夫:森ノ宮ピロティホール」 2012年8月17日(金) No.415

2012-08-17 09:59:18 | 日記
一か月前から予約していた北山修のアカデミック・シアターIN大阪に行ってきた。
「北山修」と聞くとソワソワしてつい高いチケットでも買ってしまうのだ。

高校のときだから、遥か40年以上前になる(おお!ほぼ半世紀前だ、我ながら凄い)。
朝、北海道でもテレビで「ヤング720」というのを放映しており、
それには週に一度、高田渡、岡林信康、高石友也、ザ・フォーク・クルセイダーズ、遠藤賢二、ジャックス等々が、出演していた。
いわゆる「関西フォークの日」である。
月曜日、それを見ていると7時25分のバスには到底乗れない。
(高校は斜里の町にあり、我が家は斜里岳の麓だった)
そういうわけで、すぐ上の姉に車で何度も送ってもらった。
今でも感謝している。

そうは言っても、最後まで見てから家を出るので、
月曜の1時間目の家庭科には間に合わない。
週に一回しかない家庭科の授業に、私は毎回遅刻した。
先生は優しく、
「あなたは、なぜか毎週私の時間だけ遅れてくるんじゃない?」
とたしなめたが、私は
「そ、そですか。あれ、どしてかな~?」
とか、とぼけていた。

前置きが長い。
そのフォーク・クルセイダースの北山修である。
深夜、受験勉強をすると銘打って、実は深夜放送を聞いていただけの日々、
北山修がパックイン・ミュージックかなんかのDJしていたときに、
私は感想文を送り、
直筆サイン入りの本をもらった。
『青空に歌おう!サム』と書いてあった。
私が入学した京都の大学は北山修が通っていた京都府医大の隣だったので、
かなり期待していた。
一度だけ、整風堂という本屋で見かけた。
紫のスーツを着ていた。
声をかけるなど、その時は思いもよらなかった。

昨日、北山修は紺のスーツを着ていた。
「嘉門達夫の意味」というテーマで解説する役回りだった。
はっきり言って主役は嘉門達夫だ。
実は嘉門達夫も好きだ。
‘ティラリーン、鼻からぎゅうにゅう~’
‘あああ~あ、小市民~’
‘血液型別~、ハンバーガーショ~ップ ’
中国の大学でも紹介した。
あまり分かってもらえなかった…。

昨日の収穫の一つは、
加藤和彦が生前、絶対に許可しなかった
「帰ってきたヨッパライ」の替え歌を
北山修によって認められた嘉門達夫が、
張り切ってあれこれ作り、
その中の「帰ってきたヨッパライ~時事問題編~」
を本邦初公開したことである。
オザワ、ノダ、ハシモトなどの名前がズラズラ出てくるこの替え歌、
多分数か月後にはYOU TUBEでもどこでも観られるだろう。

「嘉門達夫は無意味である」
それが昨日の北山修の結論である。
(あ、もちろん無意味の意義というのも当然のたまってはったよ)
・カモンタツオは意味がない(人間、意味を求めてばかりだと病気になる)。
・カモンタツオはいくつものふたの開け方を知っている(子ども、大人、エッチ系etc)。
・カモンタツオは心を浄化させてくれる(カタルシス効果)。等々…

アカデミックシアターが終って帰ろうとする観客に、北山修は
「皆さん、開けたふたは閉じなければなりません。何事もなかったかのように…。」
の言葉で締めくくった。
以前テレビで観た九大退官の最終講義で、
「教師はやめなければなりません。親は死ななければなりません。」
と彼が言ったあの言葉を想起した。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする