毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「江西省の十五夜お月さま」  2012年9月30日(日) No.459

2012-09-30 21:17:23 | 中国事情
日本の関西~関東は台風で十五夜の月が見えないとのこと、
せめてここ江西省南昌のお月さまを写真で楽しんでください。
(中国時間20時ごろ撮影)



ついでに宿舎の真向かいの教室のライトがついているのが気になって・・・。
平日は夜9時すぎまで学生たちが自習しているのだが、今日は日曜日、しかも祝日なのに何故???
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「誕生日ー中秋節ー非常時体制解除」 2012年9月30日(日) No.458

2012-09-30 17:55:23 | 中国事情
9月30日は、自分としてはすっかりお馴染みの誕生日で、
(ええ?また誕生日~?こないだ来たばっかなのに)と、
その回転の速さに驚くばかりだ。
この調子でいくと80歳も目前だ。
学生達が何人も祝福のメールをくれた。
それはとても嬉しいのだが、何故かいつも、本名が抜けている子が何人もいる。
「調皮」とか「F・A・Y」とか暗号書かれてもねえ・・・

さらに今日は中秋節(日本では十五夜だよね)。
中国ではこの節は、「家族団欒をするとき」と決まっていて、
この間入学したばかりの新入生も、
夏休み中ずっと家にいた2年~4年生の多くも、またまた家に帰っていく。
その姿は私には(何甘ったれてんねん?)と映るのである。
この感覚の違いが、ときに中国人学生をして
「日本人は冷たい」と思わせるのだろう。

しかし、この時期に一斉に人々が移動するため、汽車のチケットは入手が困難になる。
車内で数時間立つのは当たり前だという。
(どうしてそんなにまでして、帰りたいのだろう)とまたしても思う。

中秋節には月餅。
外事処オフィスから頂いたのは楼さんと分けた。
その後、小紅老師が連れ合いから、と言ってまたくださった(滕王閣ブランド)。
オフィスには悪いけど、美味しさがまったく違う。
下の写真の滕王閣のは、甘すぎず、クルミやら入っていてと~っても美味しい。
日本から持ってきたインスタントコーヒーの封を切って、ゆったり味わった。

そうそう、今日から日本人教師を保護する非常時体制が解除された。
これが一番嬉しい。
早速楼さんに付き合ってもらい、野菜市場で
ブロッコリー、キャベツ、ジャガイモ、生姜、桃、蜜柑、鶏肉、魚肉、卵など、てんこ盛り買った。
二人で日本語を普通の声で話していても、誰も気にする風はない。
もともと、大学キャンパス内は終始落ち着いていたように思う。
南昌市内に行くと雰囲気は変わるのかも知れない。
小紅老師からこれからも当分市内へは行かないように、と言われているし、
わざわざ行く用事もない。
この中秋節・国慶節のゴールデン・ウィークは
ひたすら読書だ。
外では私の誕生日を祝って(ちょっとウソ)、バリバリと爆竹の音が聞こえる。










コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「良識派中国人学生の意見」 2012年9月29日(土) No.457

2012-09-29 18:37:19 | 中国事情
今日で私の安全確保のための非常時緊急体制が終わった~。\(^ω^)/
至れりつくせりのありがたい措置とは言え、
自由に買い物も行けず、学生たちとのんびりお喋りもできず、実に苦しかった。
老師たちが自分の授業の合間を縫って、送迎の付き添いをしてくださるのも恐縮の極みだった。

今日は土曜日だが、明日からの中秋節・国慶節休日の振替授業があった。
午前も午後も授業なので昼ご飯は、これも2週間ぶりに麦盧園キャンパスの第一食堂で白米にお菜をのせた丼飯みたいなのを食べた。5.8元(約70円)。

4年生の羅さんと、尖閣(釣魚島)や中国国内の事情についてお喋りをしながら、
1時間近く時間をかけてゆっくり食べた。
実は羅さんも、私が授業で紹介した文ちゃんのコメントに感ずるところあって
昨日メールをくれたのだが、その中には
(中国の人たちはこういうふうに教えられているのか~)と、
非常に興味深いところがあった。
特に「オイルフィールドがあると分かって、急に日本は領有権を主張し始めた」というくだりなど、
『日本』を『中国』に置き換えたら、ほとんど日本の主張と同じだ。
彼らは当然、日本が実効支配していたことなど、これっぽっちも知らされていない。
食事中、その話をしたら、彼は「はあ?!そんなこと、あるんですか」と
信じられない様子だった。一事が万事、こうなのだ。
下に紹介する(長いよ!)。
読んで感じると思うが、
彼は理性的で平和を愛する「良識派」学生の代表のような子である。
こういう子たちに日本からの情報を伝えるのが、民間交流の力だろう。


先生:
 こんばんは。先生の授業でいろいろな日本側のことを承知いたしました。ありがとうございます。だから、釣魚島について、私は中国側のことと私の個人的な見方を先生にお伝えしたいと存じ、下記の文を書かせていただきます。失礼なところがあれば、お許しください。

 この間、中国人が注目しているのはやはり釣魚島問題ですね。今月の11日に日本政府が釣魚島を国有化したことをきっかけに、この問題は日増しに厳しくなったのです。その日から、中国人が反日デモを行い始めました。特に「満州事件」の9月18日前後、反日デモの規模は最も大きくなり、中国大陸の各地とアメリカで、日本でまでも反日デモが行われました。しかし、その中になにか乱暴な行為が見られました。中国にある日本企業を襲撃したり、日本人を殴ったり、日系車を壊したりしました。緊張した状況となっています。私と周囲の友達はそれが残念だと思います。みんなの愛国の情熱はよく理解していますが、過激な行為は愛国的ではなく、法律と秩序を守って、抗議活動を行うべきだと思います。

昨今の反日デモの中の過激的行為に反対して、理性的に抗議の意を表すようという見方を持っていた中国人がほとんどです。特に、学生層と知識層です。中国の有名な記者の白岩松さんはCCTVの番組に出演して「理性的に抗議を」と呼びかけ、乱暴な行為を批判する見方を表しました。

 実は、私は心より中日友好を願っておりますが、この意見を私のミニブログで発表したあと、ある友達に批判されてしまった。「この話を早く消せ、人の笑いを買うぞ」って言われました。その瞬間、私は少し憤りました。しかし、これは中国国内の二つの対立的な意識です。

それにしても、中国と日本は古から親しい関係が長く続き、文化も近いし、地理の上でも隣国ですが、どうして今のようになったか。混乱の近代に、日本は欧米から学んで資本主義の道を選択したが、中国は100年以上の戦乱の後ソビエト連邦のように社会主義を選びました。今の中日関係は100年前に比べると天変地異と言えますね。なんだか残念と感じます。

 釣魚島の問題について、私は政府を支持しております。民間のように過激ではなく、そして日本側の右派のように不理性ではなく、冷静可能に釣魚島問題を処理していると思います。政府は過激ではなく、軟弱でもなく、日本側の行動を踏まえてするべきことをしました。

そもそも、釣魚島問題は中日国交回復の時、周恩来首相は「この問題は棚上げにしましょう。中日関係正常化はそれより大事なことです」とおっしゃったじゃないですか。それに、トウ小平主席も「後継者に残そう」っておっしゃったですね。釣魚島問題が厳しくなるずっと以前に、中国側の主張は「両国は共同に開発すること」だったのは日本側も知っていると思いますが、アメリカの科学者が釣魚島の周辺海域で大きいオイル•フイールドがある可能性があると発表した時、どうして、日本は釣魚島が日本の国有領土とあきらかに声明しましたか。全く理解できないです。中国人たちは日本政府が釣魚島を国有化する行為に本当に驚きました、深く傷をつけられた。

 これらは私が中国のメディアから得た資料を踏まえて自分の個人的な思いだけですので、極端な民族主義ではありません、ただ釣魚島問題だけに対しての、自分の見方です。何も恨みを含んではおりません。先生と意見交換したいだけです。先生は誤解がないようにお願いいたします。失礼なところがあれば、ぜひとも、お許しください。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「迷走の極致~原発0はどうなった」  2012年9月28日(金) No.456

2012-09-28 16:01:20 | 原発事故
尖閣「国有化」で迷走ぶりを遺憾なく発揮している野田政権だが、
反日デモに気を取られていたら、ちょっと何なの?

①9月14日、「2030年までに原発0を実現する革新的エネルギー戦略」を発表した政府が、
②9月19日にその戦略を閣議決定見送りにした?!
挙句に、
③9月28日、大間原発建設再開発表?!
①と②③の間のどこに一貫した展開があるのか、どんなに柔軟な頭でもついて行けないだろう。
どうしてこのヒトは、国民に頭痛や高血圧の原因を次から次へと創り出すんだ?
ものすごい創作力だ!

せっかく、小紅老師に
「日本では52年ぶりの国民大行動で、国が原発なしの方向に向かうことになりました。」
と自慢したのに・・・。
だが、国連での一般演説では「2030年代に原発に依存しない社会を目指し・・・」と喋っているから、
まだ①は完全にゴミ箱に捨てた訳じゃない、という姿勢が見える。
そうなるとなおさら、③なんか絶対してはいけないわけで・・・。

野田総理の、目をそらしながら上目遣いにコソコソと言い訳の機会を窺う映像が、
頭にこびり付いて離れない。
こんな低レベルの人格しか持っていない人が日本の代表か~。
かと言って次は、なんと、よりもよって安倍だ。
無理難題が続く。
もう、この世に住むところはないのだろうか・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国人老師の決意」 2012年9月27日(木) No.455

2012-09-27 20:07:43 | 中国事情
文ちゃんのコメントは、日本語学科の中国人老師たちから大きな反響があった。
そして昨日も別の老師からメールが届いた。

今学期も始まってからもう一か月になりますが、
揉めている中日関係が気になり、なんとなく気持ちが落ち着きません。
先生にも同じ気持ちがあるでしょうか。

さて、先生のお友達のN先生(=文ちゃん)の「感想文」を拝読して、深い感銘を受けました。
私は日本政府も中国政府も批判するつもりはないんです。
でも、中国政府も日本政府も東アジアの平和を守るべき、中日友好関係を守るべきだと思います。

私は毎日自分のメールはチェックしませんが、
朝日新聞や日経新聞は必ず毎日チェックしています。
いつも目を張ってその中から中日に関する記事を拾って読み、
なにか事態を緩和させるニュースがないかと探しています。
でもなかなか見つからないのががっかりです。

地球の西では、EUという統合体を作って、
お互いに溶け合い、平和で豊かな地域を作ろうとしているのに、
地球の東では、火薬の匂いがします。

中日が戦争したら、欧米は長者がもっと生まれるかもしれませんが、
中国も日本も死傷者を出すだけになるでしょう。
中国にも日本にも地域の平和を守る義務があると思います。
中国にも日本にも冷静に対応してほしいものです。

今の状況だからこそ、私たち日本語の先生、日本語の学生が
中日友好関係を守る戦士になるべきではありませんか。
日本語を勉強しているから、肩身が狭いのではなくて、
日本語を勉強してよかった、力になれると思うのではないでしょうか。
私はそう思います。

明日の午後、新入生へのオリエンテーションの講義をする予定がありますが、
私は「中日関係」を話すことにします。
新入生に中日関係の大切さと日本語の必要性を理解してもらいたいんです。

N先生のお言葉をお借りして言えば、
「日中関係がよりよい方向へいくように願わずにはおられません」。

    (G.S.老師)

日本語学科の先生たちは、大声でスローガンを叫ぶようなタイプではない。
日々、研修・研鑽に励みつつ、家庭と家族を大切にしている静かで落ち着いた先生方だ。
政治について語り合ったことは、この2年間で数える程しかない。
そんな先生方も、自分の将来にまで影響しかねない今回の事態を憂慮されている。
しかし、ただ嘆いているばかりではなく、
こんな時こそ、日本語学科で教えてきたことの意味を示そうとするG.S先生の決意に、
私も微力ながら応えたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国人老師からメール」  2012年9月26日(水) No.454

2012-09-26 17:38:42 | 中国事情
日本語学科の中国人老師からメールをいただいた。
このような緊張した事態になっても、大学の職員、老師、学生たちのみなさんによって、私が手厚く守られているというブログ文に、日本から文ちゃんがコメントを寄せてくれた。
「私が大切にされていることに対して、大学の中国人の方々に感謝する」といった内容だったので、
それを日本語学科の老師や学生たちに紹介したところ、
老師の一人が以下のような感想を寄せてくれた、という経緯である。

こんにちは
さっそくご友人からのメールを拝見いたしました。
本当は日本にも平和が好きな人がいっぱいいらっしゃるんですね。
日中関係の氷河期の今頃、
正直に言って日本語専攻の私自身も肩身がせまいと感じさせられています。
もし状況がもっと悪くなったら、
十年やり続けてきた日本語教師の私はどうすればよいのか、
学校以外のこと何も知らない私の進路はどうなるのか、
家族の生活はどうなるのか、
いろいろと考えさせられました。
ご友人方のコメントを読むと、中日友好の基盤はまだ崩れていない、
戦争まで行かないという信念を曲げなくても良いと感じます。
一安心しました。
みんなは先生のことが大好きですよ。
先生のため、わたしができることなら、なんでもやらせていただきます。
  Y.Kより


[本当は、日本にも平和が好きな人がいっぱいいらっしゃるんですね]
という驚きが、中国の人々の率直な気持ちなのだ。
日本語学科の老師なので、かなりの知日派であるにも拘らず、である。
今回の騒ぎの発端―石原慎太郎の尖閣買い上げから野田内閣の「国有化」は、
中国側からしたら、まさに宣戦布告のようなものだった。
APECでの胡錦涛主席のあのこわばった顔を思い出してほしい。
あれだけ厳しい表情で、「国有化」だけは止めるよう要求した、
その次の日だ。
野田内閣が「国有化」宣言をしたのは。
すごい神経・・・。
というか、全然感じてなかったんだね。
第一あの時、野田さんは胡錦涛さんの顔を全然見ないで目を逸らしっぱなしだった。
あの態度も超情けなかったなあ。

それはともかく、
インターネットで中国人と日本人は、生の意見を交流できるのだから、
「戦争させない・平和が大事」を合言葉に、
草の根交流をどんどんやっていこうじゃ、ありませんか。
みなさん、コメントくださいね。


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本にいる中国人を守ってほしい」 2012年9月25日(火) No.453

2012-09-25 19:51:21 | 中国事情
ここ中国で暮らす日本人が攻撃を受けたことに、
正直、怒りを禁じえない。
日本の奥深くこもって好戦的に中国の悪口を言っている人たちと、
ここ中国で、何とか仲良くやっていこうと努力している人たちを、
なんで一緒くたにすんねん!
考えたら分からんか!!!
という怒りだ。

といっても考えていないから、そーゆーことするのだ。
冷静に判断できる中国人はしていない。

それにつけても、日本企業の中国での努力は涙ぐましいものだ。
江西省だけでも、
江鈴杯スピーチコンテストのスポンサーは、江西いすゞ自動車やキャノンや、
あと有名じゃないけどどこかの日系会社だ。
それらの会社の人たちは売名行為だけでやっているのではない。
本当に骨身を惜しまず、中日友好のために努力してきたのだ。
そんな人たちが殴られたり、会社に火をつけられたり・・・。
鎮めようとしても、鎮めようとしても、怒りがときおり、メチャクチャ噴出する。

しかし、というか、だからこそというか、
くれぐれも、日本の皆さんは
日本に在住する中国人に対して、的はずれな「仕返し」をしないで欲しい。
もし、ひどい目に遭っているか、遭いそうな場面を見たら、
なんとか助けて欲しい。

例えば10日前にも、この大学から岡山に留学生が出発した。
こんな時期に、どれほど不安だろうと思う。
でも、日本人を信じて出発していった。
立場は、中国に住む日本人と同じだ。
人間同士の信頼関係だけが頼りなのだ。

野蛮で愚かな行動の連鎖反応は起こさないで欲しい。
九州のどこかで、夜中に中華料理店が連続して襲われたというニュースが入った。
日本人が、中国の反日暴徒のようにならないで冷静でいることが私の誇りだったのに、
それを聞いて非常にガックリきた。

今こそ民の力を見せる時なんだろう。
ヘタばかりやる政府に踊らされないで、
あの作文を書くような子たちが、日本を信頼して留学していくのを、
懐深く温かい気持ちで迎えて欲しい。
日本が好きで、ずっと日本で暮らしている中国人たちも同様に、
不安な気持ちを抱いているはずだ。
そんな人たちの友達になってもらいたいのだ。
私がここ中国で、そうしてもらっているように。

日本の皆さん、
出会えば友達!イチャリバチョーデー!
どうか、よろしくお願いします。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国の大学生の夏休み②」  2012年9月24日(月) No.452

2012-09-24 17:59:54 | 中国事情
さっき、大学院生の楼さんが電話してきてくれたので、
これ幸いと管理人さん(今週はミズ呉)の許可をもらい、
数時間前に到着通知が来たばかりの郵便局に荷物を取りに行った。
8月15日に暑い大阪から出した船便が、40日かかってボロボロ状態でようやくたどり着いた。
それでも、今回は届かないかも知れないと覚悟していたのが、ちゃんとついて得した気分だ。
(ああ、外はいいなあ!)
楼さんと小声でお喋りしながら、外の雰囲気を楽しんで来た30分だった。
荷物から出てきたのは、桶蝶さんからもらった超ミニ扇風機。
ここは今、全然暑くない・・・。

さて、学生の作文紹介その2。
どの子の作文も、素直で堪らんのが、可愛くてね~。

(そう 春華)
 今度の夏休みは一年前のと全然違っています。それは姉ちゃんが妊娠しているということです。
毎日姉ちゃんのお腹を見ながらいろいろ考えました。(この赤ちゃんは女の子だろうか、男の子だろうか。どんな姿で姉ちゃんのお腹の中にいて、毎日、何をしているのだろう。この家族の新メンバーの顔はどんなだろう・・・)
様々な問いが私の頭に浮かんできます。そしてまもなく(何も考えず、姉ちゃんの面倒を見なければならない。妊娠期間の楽しくリラックスした生活は大変重要だ)と思われるのでした。
 姉ちゃんは毎朝、早く起きます。
「何してるの?まだ早いじゃん。」と聞くと、
「だって、もうお腹が空いちゃったの。何か食べ物ないかな~。」
と、しょうがない様子です。でも考えてみると(あっ、そうだ。妊娠してるんだから、赤ちゃんは姉ちゃんの栄養を吸収して成長しているわけで・・・)と、同情を覚えました。
 自分も起きて、ヨーグルトとか、苹果、パン、あるいはラーメンなどを作って、
「はい、これ食べられるから。どうぞ。」
と、姉ちゃんの前に置きました。
 午前中はだいたい姉ちゃんとテレビを見たり、編み物をしたり、妊娠についての本を読んだりします。それはまるで、
子ども時代で、姉ちゃんと一緒に遊んだ頃に戻ったようでした。
 夕方になると、夕焼けの美しさを楽しみながら、一緒に散歩をしました。
「ああ、美しい夕焼け。ずっとこのまま生きていきたいなあ。」
と、姉ちゃんが感嘆しました。
「できないよ。これから赤ちゃんができたら、きっと忙しくて、賑やかな生活になるよ。毎日ベイビーの面倒を見るばかり。でも疲れるけど、本当の幸せだよ。」
と私は言いました。
 これが私の夏休みの一日です。単純だけど幸せいっぱいでしたよ。


どうです?皆さん。
読んで、古き良き時代が戻ってきた感覚ないですか。
今の日本の若者がこれを読んで、共感するところあるのかしら?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「中国の大学生の夏休み①」  2012年9月23日(日) No.451

2012-09-23 17:35:46 | 中国事情
日本では、中国の学生は反日デモばかりしていると考える人もいるようだ。
江西省の大学生が、この夏休みにどんなことをして過ごしたか、
日々、どんなことを感じていたのかを知ってもらいたく思い、作文をいくつか紹介する。
きょうはその①

(陳しょううん)
今年の夏休みは、ほとんど毎日、教室・宿舎・食堂という三つの建物に繰り返し通っていた。
夏休みとはいえ、毎日授業が一杯で朝から晩までずっと授業を受けていた(註1)。太陽の光はめちゃめちゃ眩しく、強かった。道を歩くと、まるで焼き板の上で焼かれているようだ。今年も南昌の夏は暑くてたまらない。
 第二専門の学科は8月2日に終わったが、私は直に故郷に戻らなかった。原因の一つは、父さんとの喧嘩(註2)、もう一つは自分の力でお金を稼ぎたかったのだ。
 だからインターネットで募集を探し、アルバイトを始めた。残る夏休みの期間は少ないので、ビラを撒くアルバイトしかできない。朝8時から夕方6時まで、毎日およそ4000枚のビラを撒かなければならない。
 アルバイトの時、口風琴(註3)を演奏してお金を乞うているボロボロの服を着たひとりの乞食さんが、私の前に現れた。(可愛そうなお爺さんだな)と思って、何元ぐらいか、そのおじいさんに上げた。
 その時、お爺さんは
「我が孫さんよ、わしがいかに貧しくても君のお金を貰うことはできない。君はまだ社会人じゃない。学生じゃないか!」
だが、私はそう思わなかった。
「だって、私もアルバイトして働いているじゃないですか。お爺さんが恥ずかしいと思うなら、一曲演奏していただけませんか。」
と私は言った。お爺さんは微笑んで、口風琴を演奏してくれた。
 その後、お爺さんは自分のことを紹介してくれた。なんとお爺さんは朝鮮戦争に出兵した軍人だった。お爺さんには3人の子供がいる。(どうして、本来豊かな生活を楽しむべきこの年齢で、乞食をするのか?)
私は心でつぶやいた。お爺さんによると、彼の息子と娘たちは全部外で働いていて、ほとんど家に帰ることがない。一人暮らしのお爺さんは寂しくてたまらないので、乞食を通じて人々を観察し、寂しさを紛らわせているのだ。
 今の若者たちにとっては、仕事や学業が一番大事なわけで、家の年配の方に目をかけない。だが、あらゆる大望の最終目的は、幸せな家庭を築くことにある。つまり、幸福な家庭があらゆる事業と努力の目標ではないか。
 そのお爺さんとの出会いをきっかけに、家に帰る気持ちが心に満ちて、私は早速次の日に家に帰った。

 


なんか「杜子春」を想起した人もいるのでは?
「我が孫さんよ」などという呼びかけ方は、いかにも中国的だ。
陳さんは、チャンスがあればいつもアルバイトをしている。普段の服装もたいへん質素だ。それなのに、彼は募金の時など、惜しげもなく自分の働いたお金を寄付する。天使のような子なのだ。アニメ「ワンピース」が好きで、進学の時は日本語学科を選び、家族からこっぴどく反対されたが、頑固に意思を貫いた。苦労人で、志の高い子だ。まだ2年生だった7月、日本語能力試験で見事1級(N1)合格を果たした。私は彼のことならいくらでも自慢したい。ザラザラした心が清い水で洗われるような子だ。

 [註1]この大学の日本語学科では、副専攻を選ぶことができる(もちろん有料)。普段は週末(土・日両日)、夏休みは8月初めまで集中講義を受ける。つまり、日本語学科の学生たちは一日も休むことなくメチャクチャ勉強しているのだ。
 [註2]彼とお父さんとの確執は高校時代からのようだ。温かい家庭が一番大切だ、と作文に書いていたこともある。
 [註3]鍵盤ハーモニカ(ヤマハのピアニカ)のことか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「元愛国学生から電話あり②」 2012年9月22日(土)No.450

2012-09-22 11:37:32 | 中国事情
昨日のホンケンさんの口調は、穏やかだった。
あの質問状を書いてから2年の間に、彼はずいぶん変化していた。

あれを書いた当時は、背景に尖閣問題(中国漁船船長の逮捕拘留)があった。
彼はそれまで日本人教師以外の日本人に会ったこともなかった。
多くの中国人は、テレビ以外に日本人について知る術はほとんどない。
テレビといえば反日愛国ドラマで「貴様!」「馬鹿野郎!」の世界だ。

日本人教師もいろいろなようで、私は赴任早々、
「先生は以前の先生と違って、本当にお喋りですね~!」
と自分としては甚だ不満足なレッテルを貼られた。
日本語教師は「しゃべって何ぼ」の商売なのだ。
私は本来の性格に反して、努力して喋っているというのに(いやホント)。

多くの中国人学生は、それまで休み時間に先生に話しかけられる経験がなかった。
気楽なお喋りでも中日友好にほんの少しでも奏功すれば・・・との思いも、私としては当然あったのだが。

その後、2011年3月11日があった。
日本語学科の学生たちは「頑張れ!日本」の作文を書いた。
ホンケンさんの文章は、
「日本民族の心の底には、昔からずっと『どんな困難に遭遇しても、与えられた条件の中でベストを尽くす』という高い素質がある。
自分は身体をこわしていた時期に『1リットルの涙』というドラマを見た。そして励まされた。
歴史的に酷いことをされて日本人が嫌いであっても、それはそれとして、この日本人の素質は、誰しも認めるべきだ。さらに自然災害を前に、国境はない。頑張れ!日本人。」
といった内容だった。

被災者に対する同情と優しい気持ちは他の学生達も同じだった。
中国の庶民は、困っている人に対して本当に優しい。
そんなこんなで、彼の日本人に対する憎悪は薄らいでいったと思う。

ホンケンさんは今年卒業して、ある日系企業に通訳として就職した。
今は河南省鄭州に長期出張している。
近況の中で、自分の会社の工場部門の労働者達がストライキに入ったという話が出た。
「両国民の関係がこれ以上悪くなるのを、本当に心配している。」
「反日デモの参加者の心には、反日そのものより、中国社会への不満があると思う。一番の不満は、貧富も差もさることながら、言いたいことが言えないという言論の自由の無さだろう。」
「国慶節でまた、反日行動が盛り上がる可能性がある。外出は気をつけて。」
という。
非常に落ち着いた話しぶりに(ホンケンさん、大人になったなあ)と、嬉しさが湧いた。
こんな状況でも、やっぱ、教師グセが出てしまうのだった。












コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「元愛国学生から電話あり①」 2012年9月21日(金) No.449

2012-09-21 16:58:11 | 中国事情
今日もVIPだ(嬉しくない)。
車での送り迎えだけでなく買い物まで主任の小紅老師が付き添ってくださった。
一週間ぶりのスーパー全家百貨の店内が懐かしかった。
店員さんたちもいつもと同じ雰囲気。
ヨーグルトが品切れだったので、道路を隔てた財大購物広場(これもスーパー)に足を伸ばした。
そこも、いつも通りの落ち着いた雰囲気で、暴漢など居そうにもない。
小紅老師は、卵でもヨーグルトでもやたら高い物ばかり私に勧める。
彼女の夫は、
「服はどうでもいいから食べ物は高いものを食べたい。」
という食道楽だそうだ。
しかし、小紅先生の服装はいつも洒落ていて、毎回違うものを着て現れる。
食道楽と着道楽が夫婦でちゃんと成り立っているから、やはり経済的ゆとりが十分にあるのだ。

午後、宿舎でパソコンに向かっていると、携帯が鳴った。
6月に卒業した王ホンケンさんだ。
何を隠そう、彼は私が赴任した2年前の日本語作文で、次のような作文を書いた学生だった。

「自分はもうこれ以上日本語を勉強したくない。私は中国を愛しているので、日本語を話すことも書く事も苦痛だ。私は日本を憎む。責任をもって製品作りに取り組む姿勢は認めるが、もっと大切なことには責任を取っていない。侵略戦争の謝罪をしていないじゃないか。中国人民に対してこの上なく残虐非道な行いをしていながら、小泉総理は戦争責任者を祀った靖国神社に総理大臣として参拝した。この作文に日本人の先生はどう答えてくれるのか。」
とまあ、真正面からの質問状だった。
その時は、1995年の村山談話の内容をノートに挟んでそっと渡した。

その後授業の合間に、
日本の政治は、中国のように一枚岩ではなく、
保守革新が、時に拮抗し、時に右に左にブレながら戦後の歴史を刻んできたこと、
国民もその流れとともにあったこと、
1995年に当時の総理大臣村山富市が、戦争で被害を与えたアジア諸国に正式謝罪したこと、
バブルの崩壊以降日本社会は右傾化が顕著であること。
しかし、日本には日本国憲法という平和憲法があるから
絶対戦争はしないこと、などボツボツと話していった。

これらは日本語学科の彼ら彼女らにとっては、初めて聞いたことだった。
日本の皆さんにぜひ知ってもらいたい。
中国の多くの若者たちは、
日本が戦争を永久に放棄していることを知らないのだ。
政権が変わるたびに言うことも変わることが、理解しづらいのだ。
日本人の多くが自分を「愛国者である」と思っていないことも信じられないのだ。
日本人が平和を望んでいるのも、半信半疑なのだ。

政治的発言を禁じられている日本人教師の苦悩(沙*・ω・)、分かってもらえるだろうか。

そんな元愛国者ホンケンさんから電話が来て、
私はちょっとドキドキ・・・だった。
(その②に続く)










コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「日本語学科の学生達の様子」  2012年9月20日(木) No.448

2012-09-20 15:09:24 | 中国事情
昨日、今日とVIP待遇で、手配された特別車(しかも日本語学科老師のガード付)
で送迎されつつ、授業をしている。

野田内閣が「尖閣国有化宣言」をしてしまった先週、教室は実にショボかった。
みんな、ガックリして声も出なかったんだろう。
直接私には言わないが、日本政府の決定に唖然としていた感があった。
そして、これからどうなっていくのか、不安そうな萎縮した様子が見て取れた。
入学時、学生たちは、自分で選んで日本語を専攻した子もいるし、
員数合わせのために有無を言わさず配置された子もいる。
それでも、辛抱我慢して勉強を続けるうちに、
次第に日本や日本人に興味や親しみを覚え、
学部を変われる2年次にも、ほとんどの子達が日本語学科に継続して在籍する。
毎年そうだ。

今週の私の課題は、
その打ちひしがれた学生達を何が何でも励ますことだ。
そして同時に、ひとりの日本人として、この反日デモをどう思っているか、
少しは言わねばならない。
いくら政治的発言はするなと言われても、こうした事態に対して沈黙するのは
あまりにも無責任だ。

彼女ら・彼らは、事実の詳細をかなり把握していた。
おそらくテレビでは映し出されない、日系企業、日本車、店舗、日本人への攻撃と破壊、略奪について、私が例を挙げ、
「絶対に許せない蛮行です。」
と言うと、みんな顔を歪めて、
「恥ずべき行動です。」と頷く。

クラスメートの中についこの間、日本に留学した子もいる。
こんな時期に留学して、どんなに不安だろう。
しかし、
「中国に居る日本人より、日本に居る中国人の方が、今のところより安全でしょう。
卵やラーメンやペットボトルをぶつけられたりした、という話は聞いていないからね~。」
と、やや皮肉っぽく慰めると、皆苦笑していた。

更に、今や日本語を専攻している事が、ヒジョーに言いづらい状況であるので、
仕方がないから、あと一ヶ月は
「フランス語専攻で~す」「韓国語やってま~す」
とか言ってごまかそう、てなこと言ったんだけど励ましになってないか。

取りあえず、私たちに出来ることは勉強を続けることだ。
今はどん底だから、これからはきっとこれよりは良くなる。
政治家も、これ以上馬鹿なことなんか、いくらなんでもできないだろう。
淡々と勉強を続け、友好のチャンスを待とう。
きっと、チャンスはまたやってくるから、と言って取りあえず締めくくった。

これまで勉強を全人生としてきた学生達は、
言われるまでもなく、これからも精一杯、日本語学習に取り組むだろう。
彼女ら・彼らにできることはそれだけだ。

貧乏で、純粋で、素直な日本語学科の学生達が、翻弄され、打ちのめされることのない賢明な政治を願う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「9・18・・・人の情が沁みる」 2012年9月19日(水) No.447

2012-09-19 10:12:56 | 中国事情
(中日関係はこれからどうなるのだろう)と暗澹たる気持ちで過ごした昨日。
しかし、嬉しいこともあった。

午後、宿舎管理人のミズ劉が電気屋さんとともに現れた。
薄型テレビ設置後のメンテナンスのためだ。
ヒッソリ部屋に閉じこもっていた私は、ミズ劉の顔を見て思わずため息をついた。
彼女は中国語と身振り手振りで、
「何でもない、問題ないよ。
もし変な奴がここに押しかけてきたら、私とミズ呉(もうひとりの管理人)が、絶対に阻止するから。
ボコボコにやってやる!」
とビシバシ叩く仕草。
ミズ劉の気の強さは定評があり、新平老師も
「劉さんは強いです。」
と太鼓判を押している人だ。
しかし、いくら気が強くても歳は私と同じくらい、腕力がそうあるとも思えない。
でも、励ますためにそう言ってくれるのが、本当に心に沁みた。
彼女は、東北大災害のときも、仏様に拝んでくれた人だ。

夜、日本語学科の卒業生、財大の大学院に進学した楼さんが、
「先生、何か買うものはありますか。野菜はまだありますか。果物は何と何が欲しいですか。」
と電話してきてくれた。
こんな困ったときの助けは、どれほどありがたいか。
感謝を述べると彼女は、
「先生は私の先生ですから。範さんたちは遠くにいるので、何も手伝えないから私が代表で働きます。心配しないで。私は授業がないとき暇ですから。」
と、大学院に入ったばかりであれこれしなければならないことがてんこ盛りのはずなのに、彼女はこう言ってくれるのだ。
思わず、グッときた。

さらにその後、小紅老師からも同様の電話をいただいた。

さあ、今日から授業再開だ。
人を信頼して、元気に気持ちよく過ごそう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「江西財大は日本人老師を守ります」 2012年9月18日(火)No.446

2012-09-18 09:59:14 | 中国事情
午前10時から、外でサイレンが鳴り続いている(現在10:09)。
ときに高く、時に低く、とても物悲しい音だ。
胸に痛く響く。
今日は9月18日。
柳条湖事件(関東軍による満州侵略のきっかけを作った事件)の日だ。
毎年この日に、南昌市ではサイレンを鳴らす。

今、私は財大蛟橋(ジャオチャオ)キャンパスの宿舎でそれを聞いている。
本来なら火曜日は授業がある日だが、今日だけ特別になくなった。
この間の反日ムードが、ピークに達する可能性がある今日、
大学側が安全面に配慮して休講措置にしたのだ。

昨日の午後、日本語学科の新平老師が宿舎に来訪。
その後、小紅主任老師からも電話があり、
二人から大学側の対応について詳しい説明があった。
以下のようなことだった。
①大学は学長自らが「財大にたった一人しかいない日本人老師を全力をあげて守りなさい。」と指示した。
②外国語学院(外国語学部)は共産党書記、学院院長、日本語学科老師四人たちが「日本人老師を守る対策会議」を開き、当面、次のことを決めた。
 ・授業のある日は蛟橋キャンパスから麦盧キャンパスまで、特別に車で送迎する。
 ・車にはドライバーだけでなく、日本語学科の中国人老師達が交代で付き添う。
 ・買い物は小紅老師や新平老師が代行する。
 ・宿舎に学生は遊びに来させない。オフィス一階で、管理人が学生など通行人の名前等をチェックする。
 ・正当な用事で来た学生でも、管理人が私の部屋まで付き添う(用事が終わるまでずっと)。
③外国語学院の党書記と新平老師が蛟橋のオフィスに来て国際交流與合作処(=外国人教師関係事務所)所長と話し合い、職員に指示した。

といった内容だった。
新平老師は「希望を失わないで頑張りましょう。」と、
小紅老師は「こんなことになって申し訳ありません。」と言ってくれた。

大学が悪いんじゃない。まして、先生たちのせいでは決してない。
政治が私たち庶民の命運を握っている、と感じた。
普段日本では、こうした緊迫感はあまりない。
しかし、本当はそうなんだ。
政治によって私たちの命なんか簡単に押しつぶされてしまう。
石原も野田も、そんなことに関心はまるでない。
自分のしたいこと、自分の人気、自分の保身…。
そればっかりだ。

私たちは政治家に引きずり回される奴隷じゃないんだ!
・・・・・・
サイレンは約15分間続いた。
今日は終日、部屋に閉じこもる。

 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「政治が両国民の対立を煽っている」  2012年9月17日(月) No.445

2012-09-17 09:51:01 | 中国事情
国家間の経済・教育・文化交流は、平和な環境の下でこそ発展する。
交流の促進によって、その国の人々のフトコロも心も豊かになる。
そのために、戦後多くの政治家たちは粉骨砕身の努力をしてきた。

1972年9月の田中角栄・周恩来による「日中共同声明」に至るまでの道のりは、
決して平坦ではなかった。

日本国内では、
1958年岸信介が総理大臣になると中国敵視政策を展開したのに対し、
周恩来が「①中国人民を敵視しない ②2つの中国を作らない ③関係正常化を妨害しない」
と、大人の提案をして何とかおさめた。
この年には「長崎国旗事件」が起きた年でもある。
暴徒が(言っとくけど日本人の暴徒だよ)、長崎で中国国旗を引きずり下ろした事件だ。

よく「日本人は、中国人みたいに乱暴なことはしませんよ。」という声を日本国内で聞く。
今だけの状況を見れば、そうかも知れない。
しかし、この事件だけではない。
それ以前に「満州事変」(1931.9.18 満州柳条湖付近で日本軍が自作自演の満鉄爆破をし、それを理由に中国侵略を開始)から1945年の敗戦に至るまで、
日本人は中国人の国土も権利も誇りをも、文字通り蹂躙した。
そのまた前には1894-95年の日清戦争がある。
日中関係において、先に悪いことをしたのは日本なのだ。
これは未来に、実に大きな、大きな禍根を残した…。


岸信介の弟、佐藤栄作(1965年首相就任)は親台湾派だ。
自民党政権の中で、1972年の日中国交正常化にこぎつけるまでには、
松村謙三(まつむらけんぞう)、古井喜実(ふるいよしみ)などが、「党内から『屈辱外交』『土下座外交』と罵声を浴びせられ、また中国側からも『佐藤の弁護人』『佐藤と結託』という言葉を投げつけられながら(wikipedia:古井喜実)」粘り強い交渉を続けた。

「日中国交正常化」は、両国の政治家の、未来を見据えた英知が実現させたものだと言える。

それから40年経った今、日本の政治家の中でも際立った言動を弄している石原慎太郎は、
岸信介、佐藤栄作などにつながる親台湾派だという。

日本はまた未来に禍根を残す選択をするのだろうか。
日本国民は下の老政治家の、もはや私怨の域から発する口汚い言葉を、
理性的に制止することができないのだろうか。
この文言は中国を始め、世界中に巻き散らかされているというのに。


石原都知事、尖閣侵入「気が狂ってる」

2012年9月15日 http://www.daily.co.jp/gossip/2012/09/15/0005380143.shtml

 東京都の石原慎太郎知事は14日の記者会見で、沖縄県・尖閣諸島周辺の領海に中国の海洋監視船が相次いで侵入したことについて「気が狂ってるんじゃないかと思う」と批判した。

 知事は「俺のものは俺のもの、おまえのものは俺のものとやられたら、世界中たまったものじゃない」と反発。「人の家に土足でずかずか踏み込んできたら、追っ払えばいい」と話した。

 都による尖閣諸島購入を表明して以降の知事の言動が日中関係を悪化させているとの見方について感想を求められると「経済、利益は失ったっていいじゃないか。ほかで権益を広げたら。民族の伝統や文化を抹殺されて、あの国の属国になることがよっぽど嫌だね。日本を救うためにこっちはやっている」と反論した
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする