日本では、中国の学生は反日デモばかりしていると考える人もいるようだ。
江西省の大学生が、この夏休みにどんなことをして過ごしたか、
日々、どんなことを感じていたのかを知ってもらいたく思い、作文をいくつか紹介する。
きょうはその①
(陳しょううん)
今年の夏休みは、ほとんど毎日、教室・宿舎・食堂という三つの建物に繰り返し通っていた。
夏休みとはいえ、毎日授業が一杯で朝から晩までずっと授業を受けていた(註1)。太陽の光はめちゃめちゃ眩しく、強かった。道を歩くと、まるで焼き板の上で焼かれているようだ。今年も南昌の夏は暑くてたまらない。
第二専門の学科は8月2日に終わったが、私は直に故郷に戻らなかった。原因の一つは、父さんとの喧嘩(註2)、もう一つは自分の力でお金を稼ぎたかったのだ。
だからインターネットで募集を探し、アルバイトを始めた。残る夏休みの期間は少ないので、ビラを撒くアルバイトしかできない。朝8時から夕方6時まで、毎日およそ4000枚のビラを撒かなければならない。
アルバイトの時、口風琴(註3)を演奏してお金を乞うているボロボロの服を着たひとりの乞食さんが、私の前に現れた。(可愛そうなお爺さんだな)と思って、何元ぐらいか、そのおじいさんに上げた。
その時、お爺さんは
「我が孫さんよ、わしがいかに貧しくても君のお金を貰うことはできない。君はまだ社会人じゃない。学生じゃないか!」
だが、私はそう思わなかった。
「だって、私もアルバイトして働いているじゃないですか。お爺さんが恥ずかしいと思うなら、一曲演奏していただけませんか。」
と私は言った。お爺さんは微笑んで、口風琴を演奏してくれた。
その後、お爺さんは自分のことを紹介してくれた。なんとお爺さんは朝鮮戦争に出兵した軍人だった。お爺さんには3人の子供がいる。(どうして、本来豊かな生活を楽しむべきこの年齢で、乞食をするのか?)
私は心でつぶやいた。お爺さんによると、彼の息子と娘たちは全部外で働いていて、ほとんど家に帰ることがない。一人暮らしのお爺さんは寂しくてたまらないので、乞食を通じて人々を観察し、寂しさを紛らわせているのだ。
今の若者たちにとっては、仕事や学業が一番大事なわけで、家の年配の方に目をかけない。だが、あらゆる大望の最終目的は、幸せな家庭を築くことにある。つまり、幸福な家庭があらゆる事業と努力の目標ではないか。
そのお爺さんとの出会いをきっかけに、家に帰る気持ちが心に満ちて、私は早速次の日に家に帰った。
なんか「杜子春」を想起した人もいるのでは?
「我が孫さんよ」などという呼びかけ方は、いかにも中国的だ。
陳さんは、チャンスがあればいつもアルバイトをしている。普段の服装もたいへん質素だ。それなのに、彼は募金の時など、惜しげもなく自分の働いたお金を寄付する。天使のような子なのだ。アニメ「ワンピース」が好きで、進学の時は日本語学科を選び、家族からこっぴどく反対されたが、頑固に意思を貫いた。苦労人で、志の高い子だ。まだ2年生だった7月、日本語能力試験で見事1級(N1)合格を果たした。私は彼のことならいくらでも自慢したい。ザラザラした心が清い水で洗われるような子だ。
[註1]この大学の日本語学科では、副専攻を選ぶことができる(もちろん有料)。普段は週末(土・日両日)、夏休みは8月初めまで集中講義を受ける。つまり、日本語学科の学生たちは一日も休むことなくメチャクチャ勉強しているのだ。
[註2]彼とお父さんとの確執は高校時代からのようだ。温かい家庭が一番大切だ、と作文に書いていたこともある。
[註3]鍵盤ハーモニカ(ヤマハのピアニカ)のことか。