毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「明朝:菏澤→済南、一泊して明後日:済南→香港→関西空港へ」

2019-07-05 20:28:09 | 日記

何と慌しいこと、

もう明日の朝は菏澤を出発し、電車で済南(山東省の省都)まで移動、

そこで空港近くのホテルに一泊し、

明後日朝8時に香港経由関空行きに乗ります。

なぜ済南かと言うと、今回、

2年生全員が日本語能力試験(1級と2級)を済南の試験会場で受けるので

済南までの移動を一緒にすることにしたのです。

電車の中で試験前特訓かも(笑)。

済南空港は小さくて不便だと言われ、

今までずっと河南省鄭州の空港を利用してきましたが、

さあ、どうなんでしょう。

初めての空港、そして、初めてのキャセイ航空なので、ちょっとワクワク。

なぜ香港経由かと言うと、

最も安くて時間もまあまあだったからです。

香港のデモを見たいから選んだわけではありませんよ。

香港では約5時間の待ち時間がありますので、

空港からちょっとでも外に出て、香港の空気を吸うだけでも楽しみです。


さて、下の写真は、

ブログに書く余裕が無くてスルーしてしまった

去る1日(月曜日)の2年生のパーティーの料理やらです。

2年生は、9月から当然3年生になりますが、

クラスの大切なメンバーが一人、一年間交流生として青島大学に行くので

級友たちが歓送会をしたという訳です。


↓一年間菏澤学院を留守にするのは、右端の秀才趙祖琛さんです。

きっと来年は一回り大きく成長して戻ってくることでしょう。

その時は、恐らく私はもう菏澤にいませんけどね。

そんなことはたいしたことではありません。

他のクラスのメンバーも、この2年間でずいぶんしっかりしてきました。

↓菏澤学院前にある唯一のレストラン「酔徳」の料理です。

↓山芋のケーキ、おいしかった~!!

↓その日のパーティーで一番おいしかったのは下のザリガニ料理です。

中国ザリガニはまるで上等の海老のようでした。

みんな我先に食べて、写真を撮るのを忘れてしまい、

残り物を撮りました。

この写真では明らかにおいしさが伝わってきませんね。

が、後の祭り(笑)。

 

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「『象にささやく男』読んだ!」No.1860

2017-01-20 11:49:53 | 日記

『象にささやく男』(ローレンス⁼アンソニー&グレアム⁼スペンス著:中嶋寛訳)を

読みました。

はっと気がついたら明け方になっていました。

昨夏帰阪した時にアマゾンリサイクルショップで買ったのですが、

選挙、北海道への帰省、広島行、沖縄行などのスケジュールが怒涛のように押し寄せ、

「ただ買っただけ」状態だったものです。


昔、『野生のエルザ』が話題になりましたね。

あの当時、私はひねくれていたので(笑)、

小学校の道徳の時間の副読本に書いてあった(50年も前のこと)、

シュバイツアーのアフリカ人に対する上から目線(副読本では、

「白人と黒人は兄弟だ。しかし、白人は黒人の兄だ。」とあったのです)に、

子どもながら胡散臭さを感じたのと同じで、

エルザとイギリス人夫婦の話に対しても、

(まず、白人がアフリカに居るって何なん?アパルトヘイト、どう思ってんねん)と、

その子どもライオンと白人夫婦の交流話に積極的に乗ることはありませんでした。

 

今回、象を敬愛する私がほぼタイトルだけで買った『象にささやく男』を読んで、

アフリカの自然環境保全に関しては、

(金持ち白人の趣味の猟など歴史的にいろいろ酷いことがあったにしても)

この時代において白人たちの果たした役割はあったんだなと

初めて心から認めることができました。

この本を書いたローレンス=アンソニーという人は、

アパルトヘイト下の南アフリカ、ヨハネスブルクで生まれ、

地元言語のズールー語も理解するイギリス系白人で、

彼にとってアフリカは故郷でした。

アフリカの歴史はアパルトヘイト以前の昔に戻せないけれど、

アパルトヘイト以降の黒人と白人の新たな歴史を作ることは不可能ではないと思える本、

世界は黒人、白人、カラードとかいう人間だけでなく、

動物も昆虫も植物も全部含めてこそ、

その全体が成り立つことを示す本、

そうした自然全体への謙虚さを持つ人が書いた本でした。

生きる基礎基本を確認するのに役立つ本だと思います。


前書きの最後に次の文があります(太字・ブルーはーと)。

「・・・これは、そんな象たちの物語である。彼らはともに幸福と生存を追い求める中、

全ての生き物がお互いにとって大切な存在であることを、私に教えてくれた。

生きていくということは、

自分や自分の家族、自分の種だけの問題ではないということを。

 

 

 

 

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「前のめりで家を目指す孫」2015年7月13日(月)No.1401

2015-07-13 23:15:05 | 日記

一昨日は娘が小出裕章さんのお話を聞きに行っている間、

私は「まかしとけい!」と胸を叩いて引き受けました。

何を?当然娘の娘、我が孫の世話です。

 

沖縄から戻ると、孫はたった一か月ちょっと会わない間に、

ぺちゃくちゃと日本語を話すようになっていました。

もちろんまだ1歳9か月のことでスピーチできる程流暢ではありませんが、

単語がかなりはっきり言えるので、私たちは会話が可能になりました。

例えば、お昼にスクランブルエッグを作って出すと、

すごい勢いで食べて、はっきりと「おかわり!」と言います。

「ええ?小さい子がそんなに卵を食べていいのかい」

とか言いつつ、

もう一個分作ってあげると、テキパキ平らげて、また「おかわり!」と。

ナンボ何でも一時に2個も卵を食べて、これ以上は無理だわと思った私は

冷蔵庫に代わりの何かないか探していて、ふと孫の方を見ると

彼女はもうバッタリ倒れて昼寝していました。

一年前、お母さんがいないと大泣きして涙ながらに寝入っていた時代は、

完全に過去になりました。

 

2時間はたっぷり寝て、起きたら洗濯物を畳む手伝いです。

手伝いと言っても、「この服誰の?」と私が聞くと、

「ママのふく」「パパのふく」「ちーちゃん(自分のこと)の」

と言う識別係の仕事です。

1歳9か月なのに、ほぼ100%の正解率で、

私は内心(赤ちゃんは侮れない)と舌を巻きました。

お母さんが帰ってきても冷静で、

(おや、帰ってきたのかい)といった風情です。

そんな感情に流されない(笑)彼女ですが、

夕方、近くの公園に出かけ、さんざん砂遊びした後、

ようやく私の「帰ろう」コールに応えて帰るときに

思わず目頭が熱くなった出来事がありました。

 

孫娘は公園の水道で手を洗い、

地面にコケモモに似た赤い実がたくさん落ちているのをジロジロ調べ、

ようやく公園の出口から出ました。

そして、数歩歩くうちに

「ママ、パパ、おうち」

と家の方を指さし、猛然と歩き始めたのです。

何度も書きますが、1歳9か月しかこの世に存在していない歴史の浅い子が、

自分の父母のいるところをめざして、

スキーのジャンプ種目の選手のような形態で前のめりになり、

ガーッと歩いて行くのです。

当然、しまいに転びました。

しかし、泣きもせずスックと立ち上がり、またどんどん歩いて行きます。

これは、凄いなと思わざるを得ませんでした。

1年9か月、ママ&パパとともに過ごした年月の濃さの全てを、

物言わず脳内に蓄積してきたのでしょう。

いやー、赤ちゃんは侮れません。(くるくる)☜舌を巻く音

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「シアトルの友人が来た」2015年5月22日(金)No.1366

2015-05-22 21:31:59 | 日記

昨日、今日と、

シアトルのチエコさんが娘Maddieとそのボーイフレンドを連れて大阪にやって来ました。

私が彼女の家にお世話になってカレッジに通ったのが、

2002年(あのWTCに飛行機が突っ込んだ9・11の翌年)から2003年のこと。

40代末期のおばちゃん留学でした。

一生に一回ぐらいしてみたかった留学ができ、私は楽しくて楽しくてたまりませんでした。

その後、シアトルも、英語も、ほぼ関係ない生活が続いていましたが、

こうして再会すると、当時のあれこれの出来事、

パイク・プレイス・マーケットや、フリーモントなどの場所も、

はっきり浮かんできます。

確かにシアトルの一年間は私の人生で最も楽しかった時の一つです。

当時中学生だったMaddieも、はや美しい女性に成長し、

IT関係で働くバリバリのキャリア女性になっていました。

小柄な体で一家を背負って立っていたチエコさんは、

今でも口はばっちり元気でしたが、年には勝てないもので、

庭の草むしりを立て続けにしたことでぎっくり腰になり、

何かにつけて「イテテ」とか言っていました。

ソファーのない我が部屋では大変だったろうと思います。

 

晩御飯はその3人と阪急園田駅近くの茶房「どるめん」で、娘夫婦、孫、元夫なども交え、

タイカリーやチキンカリー、チヂミ、焼きうどんといったバラバラのメニューに

ウィスキーグラスの赤ワイン、ビールと、全くカッコ付けない食事会と相成りました。

「どるめん」の御夫婦は古い友人です。

チエコさんは、大学時代、京都の古下宿で青春のビンボーをともに味わった同志です。

ずっと会ってはいなくても、30年、40年の時をともに生きてきた友人たちとのひと時は、

何を言っても言わなくても、気心が通じるふるさとのような感じです。

 

昨日印象に残った一言は、

「どるめん」のキョンジャさんが、Maddieに

「お父さんはアメリカ人、お母さんは日本人で、あなたは自分は何人だと思う?」

と聞いたとき、

「日本人、アメリカ人、どちらも私です。」

とMaddieが答えたことです。

その前日、中国帰国者2世の青木さんの話を聞いたばかりですが、

多くの帰国者2世も「どちらも私の国です」と言います。

やはりMaddieもそうなんだ、と納得しました。

 

Maddieのお父さんは、シアトルの家の地下室で留守番をしながら、

今日もブラジリアン・ミュージックの制作に勤しんでいることでしょう。

(チエコさんの評価は、「あのstupid music」というものです(^_^;))。

 

 

 

 

 

 

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「豆ごはん&コーヒー豆」2015年5月19日(火)No.1364

2015-05-19 23:50:26 | 日記

先々週、誰かの写真で豆ごはんを見て、そういう食べ物があったことを

すっかり忘れていた自分に気付いた。

先週、豆が安売りだったので買って帰って久しぶりに(多分5年ぶり)炊いて食べた。

それから今日で3回目の豆ごはんだ。

今日の豆はやや小ぶりだが新鮮。

 

私は土鍋でご飯を炊くので、たいていおこげができる。

今日もちょっと焦げた。それもおいしく食べた。

食べていると、心中もやもやしていることが浮かんでくる。

今日は「なぜ、人々は分かり合えないか」ということについて

あれこれ、及び、くよくよ考えていた。

その大きな原因は、あれだ。

情報が偏っているのだ。

みんな、仲間内の情報で満足してそれを判断の根拠にする。

それでは、蛸壺の世界だ。

昨日、ネットニュースで、

「大阪都構想」否決の結果の感想を町往く人たちに聞いていたが、

ある30代ぐらいの若者は、控えめに

「ええっと、僕の周りはみんな都構想賛成なので、とても意外です。

大阪市が発展するためには、必要かとちょっと思ったんですけど……。」

と述べていた。

ほらね。周りは固まっているのだ。

FBの「いいね」も、むやみやたらは気をつけなきゃね。

街の人々は分断されている、というか、蛸壺にはまっている。

町中、蛸壺だらけだ。

 

豆ご飯を食べた後、

去年、南昌で八木先生にもらった雲南省のコーヒー豆を煎った。

もう、残り少ない。

酸味を減らすため深煎りする。

生を冷蔵庫に入れているので、一年でも全く問題ない。

明後日、友人が来るので、その時に挽いて味わおう。ごっくん。

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「日本にいると疲れるのは何故?」2015年4月15日(水)No.1136

2015-04-16 00:59:11 | 日記

以前UKさんがコメントに

「日本にいると疲れます。南昌に行きたい」と書いていた。

なぜだろう?UKさんは決して左派的な考えの人ではない。

従って、昨今の日本の右傾化傾向のことを言っているのでは決してないだろう。

私にしても単に政治的傾向だけでなく、

それをも覆い尽くす広範なPM2.5的悪い空気を感じることがよくある。

例えば昨日のニュースに、

「自転車で帰宅中の40代男性が、足に矢を射られ貫通」とあった。

以前は猫や鳥が犠牲になっていたが、ついに人間が的になってきたのだ。

また、函館で見知らぬ親子を車ではねて殺そうとした事件では、犯人は、

「仲良くしている家族がうらやましかった」

と話したという。

先日、靖国裁判傍聴に行ったときに

「あいつら、汚い。消えろっちゅうねん。」

という言葉を吐いた人も全く理性的でなく、

憎悪の感情が顔ににじみ出ていたのを思い出す。

敵意、憎悪、ヘイトの感情、

こんなのが日本の空に蔓延しているとしたら(て言うか、蔓延しているので)、

そりゃ息苦しくなるはずだ。

50年前日本社会に、切り捨て、排他、排撃の言動はあったにしても

身の回りだけの小規模なもので、

社会全体を覆う風潮にはなっていなかったと思う。

1970年頃にも「日本の心が失われつつある」という言辞はあったが、

当時は表面だけは取り繕えていたのかも知れない。

今は、表面の取り繕いすらできず、

内面の膿がダダ漏れになっている状態ではないか。

いったいこの歯止めのきかない状態は何がどうしたというのだろう。

学校で愛国心を教えなかったからか?

今は、自称「愛国者」のほうが排外的で憎悪と敵意に満ち満ちているのだが。

 

 先日「もったいない」についてアンケートを依頼してきた中国の学生の施芳芳さんは、

「『もったいない』価値観を通じて日本から学ぶことは多いです」

と言う。

今の日本社会が、様々なものごと、人やいのちについて、

「もったいない」と心から大切にし、慈しみ、育て、最後まで全うする価値観を、

中国の学生に提示できるほど持ち合わせているのか、私は自信がない。

 

 

 

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「春節大晦日に贈り物とどく」2015年2月18日(水)No.1095

2015-02-18 19:14:10 | 日記

う~、風邪が治らないんです~~

月曜から寝たり起きたりで、朝なのか夜なのか分からなくなる程……。

しかし、今日に至って全身の倦怠感と腹痛が和らぎ、ピークが過ぎたと実感しているときに、

相次いでピンポーンとお届け物がありました。

↓その1

あら、懐かしや中国の味覚。

どなたのプレゼントかしら、と送り状を見ましたが、

依頼主欄には大阪市内の「上海新天地 食品部」と書いてあるだけ。

もし、送ってくださった方がこのブログを読んでいらっしゃったらご一報くださいね~。

それまで勝手に食べちゃ申し訳ないので冷凍保存しておきます。

でも、病に倒れた(ってタダの風邪ですけどさ)我が身にとって、

八宝粥はとてもありがたい御見舞いです。

春節十五日(今年は新暦3月5日)、元宵節に

この花生湯圓をいただくのを楽しみにしておきます。

でも、ほんと、誰がこんないい贈り物をくださったんでしょう?_?

 

で、その2は日曜日、寒さに打ち震えて「愛と平和の合コンパレード」から帰宅した私が、

発作的にネットで注文してしまったものでした。

「究極の節電・省エネ効果」と銘打たれた、この着て歩ける寝袋。

当然、今私は、これを着てブログに向かっています。

ああ、これを南昌にいるときに買っていれば、

あの、家の中も外も同じ温度の過酷な南昌の冬が少しは違っていたことでしょう。

背中と足首にカイロを貼って、この歩ける寝袋を着ればストーブもエアコンも要りません。

当然、原発も不必要です。

 

 

 

 

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「後藤さんのは蛮勇だと高村氏は言うが」2015年2月7日(土)No.1091

2015-02-07 22:09:03 | 日記

人質事件についてネット上では、いちいち書いていたらきりがないほど、

無責任で残酷な言動がまかり通っているが、黙過できないと感じるのが、

2月4日の高村正彦自民党副総裁の次の発言だ。

日本国民を守る立場にある政府与党のナンバー2の公の発言は重い。

「日本政府の警告にもかかわらずテロリストの支配地域に入ったことは、

どんなに使命感があったとしても、勇気ではなく、蛮勇と言わざるを得ない」

高村副総裁はどうしてこんなことを言ったのかは、すぐに想像できる。

〈政府が悪いんじゃない、再三勧告したのに出かけて行った後藤さんの自己責任だ〉

〈政府は要らんことされて迷惑だ〉

ということだろう。つまり政府の責任回避だ。

もともと、湯川さんを救出するべきなのは政府なのに、何ら有効な対策も取らなかった。

「一人の命は地球よりも重い」なんて言葉をちょっと前の日本では

政府が率先して述べていたのだが、今回の2人の日本人人質に関して言えば、

日本政府は本気で助ける気があったのか、

疑わざるを得ない数々の出来事があきらかになっている。

政府が本気で湯川さん救出に動いていたら、

後藤さんは自分の命をかけて出かけて行く必要はなかった。

 

後藤さんの遺したブログ文を見つけ、読んでいて、2004年10月のところで止まった。

香田証生さんが誘拐されたときの後藤さんの文だ。

当時、彼(香田さん)を助けられなかったことが、

今回、後藤さんが湯川さん救出行動に出た大きな要因になっていることが容易に想像できる。

 

―――転載ここから

 
――――――――転載ここまで
http://ipgoto.com/archives/date/2004/10
 
 
一昨年秋の台風で増水した大阪の淀川で小学生が流されたとき、
 
中国人留学生厳俊さんが自らの死を賭して濁流に飛び込み、子どもを助けた。
 
(私はそのとき、中国江西省の大学で日本人のネット書き込みを
 
学生たちに紹介したのでよく覚えている)。
 
ネットでは「むちゃしよる。死んだらどうするんだ」という声もあったが、
 
結果、厳俊さん、小学生の男児の二人とも助かり、厳さんは『英雄』と称えられた。
 
厳さんは秋の褒章で紅綬褒章を受賞し、
 
内閣総理大臣安倍晋三は感謝状を授与したとニュースに載った。
 
 
後藤さん、厳さんの行動の結果は明暗を分けるものになってしまったが、
 
一方が蛮勇で、もう一方が正統派の勇気だなどとどうやって線引きできるだろう。
 
ほんのちょっとの偶然、ほんのちょっとのタイミングで結果が変わった可能性は大いにある。
 
私が高村自民党副総裁の発言に憤りを感じるのは、
 
①後藤さんを現地に行かせた要因は、香田さんのときと同様、
 
政府が湯川さん救出に有効な策を講じなかったこと。
 
②結果が悲劇的だったことをもって「蛮勇」などと言い自国民の尊厳を落し込めたこと。
 
③高村氏自身、自分が日本国の中枢にいる政治家であるということの自覚と責任感がないこと。
 
である。
 
こんな政府にあっては、何かあったときに粗忽な私など、どう言われるか、
 
人間扱いされないんじゃないかという不信感がぬぐえない。
 
 
 
 
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2015年2月3日(火)No.1087

2015-02-03 23:38:19 | 日記

 

世界はもう、めちゃくちゃだ。

 

 

 

  

 

  

 

 

私にはお天道様しか拝むものがない。

どうしても困ったときには、

神様の代わりに、この苦しい世に生きた(生きている)先輩の叡智の声を聞く。

ノーム=チョムスキーの言葉

 引用:岩上安身氏❞

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「淀川散歩~曇りのち雨」2015年1月27日(火)No.1082

2015-01-27 21:39:36 | 日記

昨日は雨のため、終日家で過ごしたが、

今日はネットで買った靴を試したくて、

曇りにちょっと日が差してきた午後4時頃、家を出た。

近所の市営住宅の敷地には12月からずっと水仙の花が咲いている。

(水仙って以前はもう少し遅く咲いたのでは?)

と思いながらも花の側を通るのを喜んでいる。

水仙の奥に写っているのはローズマリーだ。

私はこのハーブの香りが好きでたまらない。

 

真正面は大阪市立野中小学校。下校の小学生の格好は昔から変わらず、

冬でも半ズボンかスカート。

冬、ほぼ同じくらいの気温の南昌では

がっちり着込んだ子ども達(先生も)が業間休憩時にモコモコ姿で体操していた。

えらい違いだ。

 

徒歩25分で淀川河川敷に着く。

淀川の向こう(大阪キタ)はまるで別世界だ。

こちらの河岸には誰かが自分で建てたバラックの小屋

(といっても寒さは尋常ではないだろう)が2軒見える。

今日は地面が濡れているので川の側の土の道ではなく、

手前の舗装道路を歩いた。

晴れたある日、土の道を通ると、バラック建ての家からコーヒーの香りが漂ってきた。

思わずホッとした。

猫も飼っている様子。

どうぞ、悪者に襲われませんように。

 

ところどころに大きな水たまりがあり、空の雲が映っている。

子どもの頃は、地面にも空があるので、吸い込まれると思い、気をつけて通っていた。

 

十三大橋の向こうが明るい。(晴れて来るかな)と思った。

 

ああ、世界がみんなこんなに穏やかだったらどんなにいいだろう。

 

「メイト」はいわゆるラブホテルなんですけど、このホテルの看板は遠くから見えるので、

いつも(あのメイトまで歩いたら土手に登ろう)と決めて目印にしている。

 

少し夕暮れてきた十三東の歩道橋から淀川区役所を見下ろす。

右側の歩道橋を降りて一筋入ったところに

「帰国者の友」が部屋を借りているロマネハウスがある。

 

帰り道、ついに雨が降ってきた。

「傘を差しながら自転車をこぐのはたいへん難しい」

と留学生の王さんが言っていたなあ。

バイトに行くのにどうしてもその技をマスターしなければ通勤できないので

最初はずぶ濡れだったとのこと。

今はすっかり慣れているだろうか、夜中までワタミで働いている彼女は。

 

近所のスーパー「オアシス」。もう一つのスーパー「マンダイ」に押され気味で客も少ない。

 

私が吸い寄せられていくのはこのコーナー。

「半額」「訳あり」のを選んで買うと、「マンダイ」より安い買い物ができる。

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「TOEIC終わって日が暮れて」2015年1月11日(日)No.1071

2015-01-11 21:49:27 | 日記

やれやれ、ようやく終わったわい。

この10日間というもの、テスト対策に多くの時間を割り当てるため、

非常にストイックな、社会との関わりの少ない生活を送った。

一日おきの淀川河川敷への散歩と、

数日に一度の徒歩数分のスーパーへの買い物、

そしてゴミ出しに外に出るだけで、

あとは部屋で英語のCDを聞き、リーディング問題を時間を計って解く毎日。

「砂を噛むような味気ない~♪」とかつて高石友也さんが「受験生ブルース」

で歌っていたが、私はこのモラトリアム生活はなかなかいいもんだと思った。

勉強だけしていたらいいのは、なんて気楽なんでしょう。

かといって英語力が増したと言えないのがちょっと恥ずかしいですけどね。

しかし!上達したことがある。

買ってきた旺文社の新TOEIC対策問題のCDは、

イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアの4か国英語が同じ割合で配合されていた。

カナダ・アメリカはほぼ同じに聞こえるが、

イギリス、オーストラリア英語は聞いてすぐに分かる。

イギリス英語(かのCDではなぜか女性ばかりだった)は気取っているって言うか、

つい真似したくなるって言うか(笑)。

途方に暮れたのが、オーストラリア英語だ。

特にそのCDの人が極端なのかも知れないが、

私にはそっけなく紋切り型で愛想がないように聞こえるのだ。

そう言えば、NHKラジオの「実践ビジネス英語」(杉田敏さん)の

アシスタント女性も似た発音、イントネーションだ。

彼女もオーストラリア人なのではなかろうか、とかいうことに神経を使い、

もしTOEICテストに

「この音声はどこの国の人でしょう」

という問題があれば、かなり正解率が高いだろうに…と夢想したりして日は過ぎた。

しかし、そっけなく聞こえると言ってもそれは自分の耳が相対的に

アメリカ英語に慣れているからに過ぎない。

アメリカ英語が標準語だという訳でもなければエライ訳でもないのだ。

そう観れば、なにも上記4か国に限定せずとも、

アフリカ、アジア、オセアニア、カリブ諸国に英語を公用語にしている国は何十か国もある。

まさにイギリス、アメリカの帝国主義運動の成果である。

しかし、いったんその国・地域に着地した英語は、その地で独自に変化し発展してきた。

それを比べてみたら面白いんじゃないかな。

もし10年後にまだTOEICテストがあったとして、

ガーナやインド、ジャマイカ、サモアなどの英語が流れてきたらどうだろう。

皆、それを理解するために必死で取り組むだろう。

私がオーストラリア英語と格闘したように。

終わって見れば、オーストラリア英語にも

腹を立てなくなった自分を発見したブルーはーとである。

 

何はともあれ、

明日は宝塚の手塚治虫記念館でやっている忌野清志郎展を見に行く。

ずっと我慢していたんだ~い!

  

 

 

 

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「またしても付け焼刃の英語訓練」2015年1月2日(金)No. 1068

2015-01-02 21:36:30 | 日記

正月は勉強にふさわしい。

誰に気兼ねすることなく籠ることができる。

で、また英語トレーニングを始めた。

10月末のTOEIC結果が届き、ガックリしたのだ。

自分で決めた目標にはあと+70点ないといけない。

思えばこの前は中国の学生たちを見習って、と口では言ったものの

実践は足元にも及びませんでした。

たった1週間やそこらで何が上達するっちゅうねん。

という訳で、年末から今日で3日目に入った。

しかし、次回のTOEICテストは1月11日(日)、既に9日後に迫っている。

いっつもこれだ。

電話もOFFにしてどこの誰とも話さず、がんばろう!

と思ったすぐ後にこのようにブログなんか書いたりしている。

今年もまたちゃらんぽらんだ……。

 

⇓どこかのサイトで見つけた写真。無断転載で失礼します。

 で、けっきょく英語はどれやねん?

 

 

 

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「魚をさばく」2014年12月26日(金)No.1064

2014-12-26 23:16:00 | 日記

北海道ウトロの姉が特大の鮭を送ってくれた。

何年振りかで魚をさばいた。

そう言うとまるで、何の苦も無く上手にできるように聞こえるかも知れないが、

見よう見まねのド下手なやり方だ。

父母が生きていた頃、2尾くらい一度に送ってくれて、たまたま姉からのと重なり、

夜中の12時過ぎまで台所でフラフラになりながら解体作業をしたことがある。

そのとき、一切れ、ひときれを異常に分厚く切っていたのを思い出し、

我ながらいい加減だったとニヤニヤした。

翌朝早くから仕事に出ていくわけじゃなし、

ズタズタにしないように気をつけて、ゆっくりさばき三枚におろした。

骨にくっついた肉もていねいに削ぎ剥がしてマリネにする。

最後に頭を三平汁にしようとまな板に置いた。

鮭の顔を見て、急に(何年を、どこでどのように生きたんだろう)と思った。

ごめんね、全部きれいに、一生懸命食べるからね。

 

 

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「明日はきっと元気になる」2014年12月18日(木)No.1056

2014-12-18 18:55:13 | 日記

福島の空さんは選挙が終わるたびに鬱になるという。

私は選挙が終わるたびに頭痛・発熱・落涙の症状に襲われる。

大根の葉っぱが数ミリ伸びているのを見ては涙し、

「ホーハイ節」を唄ってもハラハラと涙が滴る。

この涙癖は、2011年3月以来ずっと引きずっており、

さらに加齢が追い打ちをかけているのだ。

(もう、ブログ書くのも辞めよっかな)と昨日は弱気になり、

パソコンから遠ざかった。

で、今日見てみたら、どなたのブログにお邪魔したのかと思うほどの

コメント欄の賑やかさ。

「通りすがり」とかの変なコメントでないばかりではなく、

一生懸命読まなければわけわからんほどの込み入った長文なので、

心身ともに弱っている私は、呟いた。

「明日、あしたね。」

明日はきっと元気だ。

 

 

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「希望の歌を唄う」2014年12月15日(月)No.1054

2014-12-15 15:28:02 | 日記

生き難い。

息がし難い。

そんなときには歌を唄う!

 

今日の私は矢野顕子だ~!

若いときの矢野顕子さんの枠からのはみ出し方、自由自在さが私は大好きだ。

何十年も前に買ったCDsのうち、「JAPANESE GIRL」をかけまくり、歌いまくった。

CDの最後の方にあるのが、「希望」という言葉が決め手の「丘を越えて」

皆さんも好かったらどーぞ

 

丘を~越え~て~ 行っこ~よ~

ま~す~み~の そ~らは ほんがらかに晴~れ~て

楽し~いこころ~ 

   鳴~る~は~  胸の血潮~よ~

   た~た~え~よ 我~がは~るを~

い~ざ~ 行~け  はるか きぼ~う~の~

おかを こ~え~て~~

るるるっる~  

るるるっる~

るる~るるるる~ 

(2番は省略しますが、なんとあがた森魚とのデュエット)

 

↓下のはライブ・ショーでの歌で、「サイコ・サイコ」も最高です♡

https://www.youtube.com/watch?v=uM79pPnp7Tg

 

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