くさくさする場合⇒
①日本から持ってきたアニメを見る。
②日本から持ってきた本を読む。
私にはこの二つの気晴らしはとても効果的です。
昨夜は②のパターンで、
『福沢諭吉の哲学』(丸山真男セレクション・平凡社)を読み始めました。
疲れた頭でベッドに寝転がりながら文字を見るのは、まるで子守歌のようなもんです。
しかし、寝る直前の朦朧たる脳みそが反応し、
(そうだ、そうだ)と納得しまくる言葉に出会いました。
その言葉とは「惑溺」であります。
福沢諭吉は「文明論之概略」で、
ものごとの価値は常に流動的であり、
常に相対的に分析し判断するという強靭な主体的精神をもたなければならないと
述べています(全部丸山真男さんの受け売りです)。
その精神が弱いと、人は惑溺状態になるのですね。
惑溺とは、
『あらかじめ与えられた基準を万能薬として、それに寄りすがることによって、
価値判断のたびごとに具体的状況を分析する煩雑さから逃れようとする態度』
(文中抜き書き)
ですって。これ、日本人の得意技じゃないですか(みんながみんな、そうじゃないけど)。
『これは人間精神の懶惰(らんだ)を意味』し、その日常的実践は、
『周囲の環境への単に受動的な順応として現れる。』
なるほど。
『従って、公式主義や機会主義は、一見相反するごとくにして、
実は同じ〈惑溺〉の異なった表現様式にほかならない。』
公式主義と言えば、よく〈決まりは決まりです!〉と言っていた
学校の元同僚をすぐに思い出します。
機会主義とは、今の舛添たたきに乗せられる人々の多くが思い浮かびます。
ムードに乗じるタイプのことではないかと思います。
舛添叩きは完全に仕組まれたものだということが、
全ての人の耳にはどうして聞こえないのでしょうか。
もちろん、全て承知したうえでバッシングしている人たちもいます。
一つは、このバッシングを仕掛けているグループ、
もう一つは、これを政治の流れを変える力にしようとするグループでしょう。
周囲の環境に対して単に従属的に順応しないためには、
どうしても、自分であれこれ調べて比較し、分析し、判断しなければなりません。
資料集めが煩雑だから嫌だと避けていては、精神が懶惰した怠け者になるのです。
「舛添を叩け!GO!GO!」オンリーだった方は、
福沢諭吉さんの叱咤に、我と我が身を冷静に振り返りましょう。
資料として2つお借りしました。
①突然噴出した異様な舛添バッシングと「電通」 「逝きし日の面影」ブログより
http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/ec0dc79cdc7c9680aec847a8986a31e8
升添要一の大名言『主権者である日本国民を犬猫扱いしている第二次自民党改憲草案』
当選直後の最初の記者会見で舛添要一東京都知事は、選挙で支援を受けた自民党の憲法改正草案について『立憲主義の観点から問題がある。今のままの草案だったら、私は国民投票で反対する』と明確に自民党の新しい改憲草案を否定している。
2005年自民党第1次憲法改正草案の取りまとめに関わった舛添は、2012年第2次草案について『学問的に見た場合、はるかに1次草案の方が優れている』と指摘。問題点として天皇元首化、家族条文の規定、国防軍創設を挙げた。
特に、1次草案の『個人として尊重される』を2次草案で『人として尊重』と変えたことに、『憲法は国家の対抗概念である個人を守るためにある。人の対抗概念は犬や猫だ』と厳しく批判した。(2014年2月14日毎日新聞)
民主主義社会の『憲法』とは、自民党改憲派の思っているような『外国の脅威から国家を守る』(国民を縛る)ためにあるのでは決してない。そもそもの憲法に対する『根本的な誤解』なのである、憲法の役目とは、『国家の脅威から国民を守る』(国家を縛る)ために制定する性質のものだったのである。
『第一次自民党改憲案の策定責任者だった舛添要一に対する自民党改憲派の逆恨み』
自民党は結党50年を迎える2005年の第一次憲法改正草案では『土人女を集めて慰安所を作って将兵に喜ばれた』と著書で自慢する破廉恥な中曽根康弘などの時代錯誤の靖国派の右翼議員らの原案を、自民党改憲案の取り纏め責任者だった舛添自身は憲法改正に前向きな姿勢を示しているが、民主党や国民に受け入れられることを重視して、自民党総裁小泉純一郎の了承を得て大部分カットしてしまった。このため升添は安倍晋三らの恨みを買うことに。以後犬猿の仲となったらしい。
舛添は2009年に自民党が大敗して下野したら即座に2010年離党(自民党は除名処分に、)するが、石原後継の猪瀬知事の金銭疑惑での超短期間辞任で2014年には自民党支持の無所属候補として都知事選で当選している。
ところが、この時ネトウヨは『何で舛添なのか。田母神を支持すべきだ』と主張したが、この方が余程筋が通っている。そもそも除名した人物(升添)を東京都や五輪への影響力を保持したいがために何の根拠も示さず(今まで自民党を散々批判していた人物を)支持して当選させることに安倍首相&周辺をはじめ、自民党の中から批判が出ていた。
安倍晋三などの低能の極右勢力と東大助教授だったことが唯一の自慢の舛添は水と油の関係であり、内心では双方が相手を心底嫌悪していたが呉越同舟、都知事選で舛添を支援したのである。
何かの切っ掛けさえあれば過去の騒動(極右と升添のバトル)が再燃するのは決定的だった。
②舛添バッシングの裏に自民党・都庁職員との“政争” ダイヤモンド・オンラインよりhttp://diamond.jp/articles/-/91159?utm_source=weekend&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor
バッシングが高まる背景には、都議会自民党との「最悪の関係」がある
「今回『文春』が書いた後にここまで話がこじれ、一向に収束しないのは、スキャンダルの内容もさることながら、本来知事を支えるはずの都議会や都職員などがまったくカバーしない、むしろ舛添さんと自民党の関係がうまくいってないという背景もあるのです」
そう話すのは、舛添氏と関係も深いという公明党幹部。ではなぜ、舛添氏と都議会自民党の間はそこまで悪くなってしまったのだろうか?
「舛添さんと都議会自民党の関係が悪化の一途をたどったのは、まずは東京オリンピック会場計画を都知事主導で見直したことからです。特に新設予定だった都内3会場の建設を中止したのは決定的でした。新設予定の会場には、それぞれ自民党都議の利権が紐付いていたので、それを白紙にするということは、つまり自民党の利権を奪いとることに他なりません。このほかにも、知事就任以来どんどん勝手に改革と称していろんな政策を進めることで、当然、都議会自民党とは最悪の関係になっていました」(前出の公明党幹部)