毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「喧嘩っ早い小学生みたいなアベ首相の答弁」No.1681

2016-05-31 22:29:03 | 日本事情

宿舎そばの道で、ふと見上げればいちぢくがたくさん実をつけていました。

 

横浜の先輩が新聞記事を送ってくださいました。

最近の国会中継をテレビ等でご覧になっている方は、冷静に政治家たちの発言を

聞き続けることができるでしょうか。

政治家の中でも特に、政権を担っている人たちの発言が酷いです。

さらにその中でも特に、アベ首相の答弁たるや、気色ばむ小学生みたいです。

本当に、大人とは到底思えません。

そう、思っている人は多いのでしょう。

だからこそ、下の柳田邦男さんの記事(毎日新聞5月28日)は

フェイスブックやツイッターに何人もが取り上げ、

先輩もメールにわざわざ添付してくださったのだと思います。

まさに、今、日本は未来の危機に直面しています。

選挙で、このまま自民党が多数派を取り続ければ、

小学生に国の舵取りを任せているのと同様です。

そのバックには、私腹を肥やし、富を集中して握っている大企業があります。

パナマ文書、日本の庶民の皆が読めば、

誰も選挙でアベ自民党に投票しようなどと思わないのでしょうが

そう言うの、読まない人が多いのが残念です。

―――毎日新聞5月28日

 

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「資料:中国が沖縄に攻めてこないわけ」No.1680

2016-05-30 22:58:33 | 中日(日中)関係

日本語教師の私の場合、

1年のうち9か月は中国で、残りの3か月を日本で過ごすという時間配分になっています。

中国の地元の露店やスーパーで買い物をした時、

「どこから来たの?」と聞かれ、拙い中国語で

「日本から。大阪からです。」

と答えても、嫌な顔をされたことなど、ただの一度もない私は、

日本に帰ったときに、「中国が攻めてくる!」的煽りに乗る人々がどんどん増えていることに

胸を痛めています。

根拠もないのに……。

逆に中国では「日本がまた攻めてくる!」という声をネットで見たことがあります。

「また、日本が攻めてきたら今度は勝つ!」とも。

そうです、中国は日本に侵略してきたことは一度もありません。

日本が中国を侵略したことは、歴史の事実であり、絶対に忘れてはならないことです。

どうして、日本国内で「中国が攻めてくるから、日本も軍備拡張しなければならない」

という主張が、蔓延っているのか不思議でたまりませんが、

今日、軍事専門誌のライターが書いた、『中国が沖縄に攻めてこないわけ』という文章を読み、

「中国の進出方向ではない」はまあそうかなと思い、

日米同盟の抑止力については、未来志向ではないと感じました。

ただ、今の現状を軍事ライターがどう分析しているのかを知ることも必要かと思い、

メモとして下に記録しておきます。 

下は2月初め、キャンプシュワブのゲート前の楽しい座り込みの様子。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

中国が沖縄に攻めてこないわけ

Japan In-depth 5月27日(金)18時1分配信

 
かねてから不思議な理屈がある。「駐留米軍がいなくなると中国が沖縄を侵略する」がそれだ。

沖縄の反基地感情が強くなると、決まって出てくる言説である。今回の女性遺体遺棄事件でも、安全保障サイドは、「中国は沖縄を狙っている」と言い出し、特に海兵隊を擁護する「米陸上戦力がいなくなると沖縄は軍事力の真空となる、そこに中国が侵攻してくる」といったものだ。

 だが、その根拠となる見積もりや判断が示されたことはない。「なぜ中国が沖縄を侵攻するのか」「中国は対日戦を決意できるか」点の説明はない。結局は、宿命的に「絶対、攻めてくる」といったものでしかない。だが、駐留米軍がいなくなったところで、中国は沖縄に攻めてくるわけではない。その理由は次のとおりである。

■ 中国の進出方向ではない

 まずは中国にとって進出方向ではない点である。このため具体的に侵攻対象となるものではない。

 沖縄は中国が権益を伸ばす方向にはない。現在、中国が政治・経済・軍事力を注いでいるのは南シナ海である。そして将来的な発展方向も一路一帯、つまりは南アジアや中央アジアを指向している。日本や太平洋方面での動きは、漁業と艦隊行動に留まる。

 中国の興味が向かない点で、現実的に沖縄侵略の可能性はない。尖閣諸島やその周辺の海洋資源の取り合いはともかく、沖縄の支配には全く興味をもっていない。しかも手を出せば地域大国の日本や、背後にいる米国との決定的衝突が避けられない状況に陥る。

 「中国はスキを見せれば侵略してくる」も誤りである。そもそも、中国周辺にはスキだらけ、かつ同盟国を持たない国がある。例えばラオスやミャンマーがそれである。だが、両国は侵略された話はない。なぜなら中国であっても大義名分が立たなければ他国と戦争し侵略することはできない。この点、自国領域とするチベットやウイグル、台湾の問題とは異なっている。

■ 中国は沖縄を侵略できない

 そもそも、中国は日本に攻め込んだところで勝機はない。この点でも沖縄侵攻はない。

 まず、戦争のリスクが高すぎる。中国人からすれば、日本は近世以来の恐怖の対象である。明は日本との戦いで疲弊して倒れ、清は日清戦争での敗北により権威を失った、民国は日中戦争により都市と沿岸部のすべてを失った。大正時代一五万の日本陸軍が昭和一五年には200万まで膨らみ、中国主要部のほぼすべてを占領したのである。今ではその背後には日米同盟を結ぶ米国がいる。

 そして戦闘で勝てるかも厳しい。

 日本は単独でも強力であり、有力な海空戦力を保有している。もちろん量的優位は失っているため、中国に対して真正面で戦って勝てるかはわからない。だが、A2AD(Anti─Access/Area Denial、A2AD : 接近阻止・領域拒否)により、中国が東シナ海を利用できなくすれば沖縄への上陸戦はできない。

 さらに、それに米国が加わると絶望的となる。米国が航空戦力の2割でも増援に送り込めば戦闘機戦力は逆転し日米有利となる。そして米海軍により世界中で中国向け海上輸送は止められる。さらに今まで営々として築いてきた南シナ海や南アジアの権益も、米国やその他の国に失われる。全くいいことはない。

■ 列島線突破での障害撤去は、ない

 果たしてこの不利を犯し対日戦を決意し、沖縄に侵攻するだろうか?

 日本では中国脅威論において奇妙な説明がされることがある。「逆さ地図理論」とでも言うべき理屈である。「中国が太平洋にアクセスするには琉球列島線を通過する必要がある。だから障害となる沖縄を狙うのだ」と括られるものだ。

 この理屈には本質的な欠陥がある。本質的な対日米戦となり沖縄侵攻をすれば、それで中国は艦隊戦力を溶かしてしまうというものだ。沖縄が占領できるかどうかは厳しいが、もしそれができたとしても、その時には通すべき中国艦隊はなくなってしまうのである。

 ちなみに、列島線突破云々で米国が参戦しない状況は考える必要はない。それならば中国艦隊に列島線を好きに通してやればよいだけの話であるためだ。そもそも中国には通過の権利がある。それを行使することについては目くじらを立てる必要はない。緊張時でも「中国艦隊が日本の海上輸送を攻撃しないならば、日本は列島線通過を妨害しない」と約束すればよい。

■ 日米同盟と在沖米軍と海兵隊駐留は別

 以上が、中国は沖縄を攻めない理由である。実際に今の日中関係、日米関係ではそれはありえないためだ。

 これは沖縄への米軍駐留で変わるものではない。日本の自衛隊だけでも強力であるし、そもそも日米同盟があれば在沖米軍がいようがいまいが中国は沖縄に手は出せない。

 そして、基地問題を解決する上でのヒントともなる。日米同盟と在沖米軍、海兵隊駐留は三位一体ではないことを示しているためだ。

 つまり、日米同盟の下でも海兵隊だけを撤退させる選択肢もあるということだ。

■ 海兵隊撤退で問題は解決する

 まず現状で海兵隊駐留は日米とも利益はない。まず使いみちもない。東アジア・東南アジア各国の軍事力は一流になりつつある。少数の米海兵隊が上陸侵攻できる国は、まずはフィリピンを除けばない。この点、使いみちはHA/DR (Humanitarian Assistance / Disaster Relief : 人道援助・災害救援)程度である。

 「海兵隊の抑止力」は議論するだけ無駄な話だ。既に述べたように、中国の侵攻は自衛隊の戦力と何より日米同盟により充分抑止されており、不足はない。そこに「海兵隊の抑止力」を足す必要もない。日米同盟という雨漏りしない丈夫な屋根がある。その屋根の下で海兵隊という小さな傘を差す差さないの議論に過ぎない。

 このあたり、残しておく必要がある嘉手納米軍とは違う。日本は対中軍事力のバランスが険しくなっている。その本質が海空戦力での対峙であることからすれば、中国の目鼻の先にある嘉手納に海空戦力を置くことは悪くはない。また米国としても嘉手納は活用したい由である。南シナ海航空作戦行動の拠点や、中国沿岸部での軍事活動を察知する上も役に立つ拠点となるためだ。

 なによりも海兵隊撤退の効果は大きい。それにより基地問題は七割方解消するためだ。最大の問題となる普天間・辺野古問題はその段階で終わる。さらに一番の嫌われものの海兵隊を抜く効果も高い。それにより沖縄県民世論を一気に沈静化し、騒音問題等は残るものの、嘉手納運用も安定化する。これも日米同盟にとっての利益となるものである。

文谷数重(軍事専門誌ライター)

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160527-00010001-jindepth-pol

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「中国人の日本語作文コンクール、応募しました」No.1679

2016-05-29 21:53:59 | 日本語

昨日、菏澤学院日本語学科の1年生から4年生まで、延べ51人の作文を、

日本僑報社の作文コンクール係に送りました。

と思ったら、また1つ、学生からヨロヨロと送られてきて、添削して送り返しました。

31日締め切りなので、きっと大丈夫でしょう。

全部で52作品……。3月から2か月半で実現した一大プロジェクトでした。

 

この大学は、以前の江西財経大学とは、雰囲気がずいぶん違います。

江財大は、江西省でトップの入学成績の1本(いわゆる一流)の大学です。

とにかく、ガッツだぜ!って感じで、

貪欲に学ぼうとする学生がとても多かったのです。

一年生でも、果敢に習いたての日本語で

「せんせ、ご飯、いっしょに!」と声を掛けてくれる子たちでした。

ここの学生たちは、何mも引いていました。

ある学年(つまり2年(笑))は日本語で話す気力も乏しいように見受けられました。

しかし、今回、半ば無理やり1500字以上の作文を書かせて

学生がどんなふうに育ってきたのか、分かったことがあります。

 

・自分が中学生の時、担任の先生が自分の顔を覚えていてくれなかったこと、

・自分が何か月も、夜も寝ないで必死に勉強してようやく受かった有名高校に、

 親のお金で楽々と入学してきた金持ちの子がいたこと、

・勉強しても、勉強しても、効果がなく、親にいろいろ言われて暗い日々を送ったこと、

・将来の夢もなく、ただ楽しみが欲しくて大学に入ったこと、

・小さい時から先生が怖くて、進級するたびに新しい先生と出会うのが恐怖だったこと、

・一年生で日本語を話す時、怖気づいていつもぐずぐずしていたこと・・・・・・。

 

学生たちは自分の姿をたくさん書いて見せてくれました。

いわゆる一流大学ではない、

どこにでもある無名の大学の日本語学科の学生たちが、

こんなふうにして、今まで生きてきたことが初めて分かって、

私は、ものすごく反省しました。

江財大と同じ方法ではだめだ、傷が深い子たちなのだ、と。

作文を書いてもらって、(よっしゃ、分かった!)と、一人胸で呟きました。

それまで中国語でも1500字のような長文の作文を書いたことがない学生たちに、

やればできることを実感し、自信をつけてもらいたかったのですが、

それ以前に、この作文は学生たちから私への何よりものプレゼントになりました。

そして、実は書けるかどうか半信半疑だった2年生クラスのうち、

ほぼ3分の2の学生が、2作品(それぞれ1500字以上)を書き上げたことは、

私をも、学生たち自身をも感動させました。

2年生、ちょっと今までと違いますよ~。

 

 

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「死に目に会えないこと」No.1678

2016-05-28 21:57:13 | 自分事情

父が亡くなって20年経ちます。

母も8年近く前に死んでしまいました。

私は両方とも、最期の別れを言えませんでした。

死んでしまってから、慌てて飛行機に乗り、実家の北海道に戻りましたが、

硬く冷たくなった死に顔にさようならを言うだけでした。

 

今は大阪どころか、もっと遠い山東省の、飛行場もなく、新幹線も通らないところにいます。

もう、誰がなくなっても、ここでお別れを言うしかないと覚悟を決めています。

母が逝ってから、

人が死ぬことについて諦めなければならないということを、

胸に大きくあいた空洞とともに何度も確認してきました。

 

今また、とても身近な人があの世から引っ張られて、ピンチでいるそうです。

どう言う訳かメールもエラーで帰ってきます。

あとは、(そばにいるよ、そばにいるよ)とオーラを送るしかありません。

ずっと、そばにいるよ、と。

死んだって、どおってことないさ。

いつだって、そばに感じているよ、と。

 

 

 

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「わたしゃ、文句言いじゃないけどさ」No.1677

2016-05-26 22:39:33 | 人間

できるだけ、細かいことは水に流して~と思っているこちらでの生活ですが、

たまにムカムカしてしまうこともあります。

私は自分のことならたいがい我慢して自分で遣り繰りする人間ですが(いやホント)、

授業については引き下がれません。

発端は視聴覚授業用に割り当てられたパソコン教室のことですよ。

3年の授業に「視聴説」というのがあって、

パソコンが学生全員分ある教室が優先的に割り当てられていました。

しかし、その教室は、カルタゲームをするにはスペースがまるでなく、

アニメのふきかえ発表用スクリーンもないのです。

要するに、あれこれ使えるように気が利いてはいないんですよ。

しょうがないので、そのパソコン室は数回使った後、

3年の自分たちの教室で、悪い音ながら吹き替え発表やらあれこれやって、

さて、この間、もう一度パソコンルームに戻って行くと、

なんと、パソコン係のK先生が

「お前たちはもう使わないのかと思って、別のクラスに使用権を譲渡した」

と言うではありませんか。

何の断りもなしになんちゅーことすんねん!

で、日本語学科の先生に間に入ってもらって交渉してもらいましたが、

らちがあきません。

諦めて、最も音のいい1年の教室がたまたま「視聴説」の時間に空いていたので、

そこを借りて授業をしています。

もちろん、学生用モニターはありません。

スクリーン映像と音声とプリントで何とか授業を成り立たせています。

 

そうこうしているうちに、今度は2年の教室のプロジェクターが壊れました。

K先生は早急に直すと確約したのに、10日後の今も、

修理はなされていません。

私はまた、1年生に頼み込んで、2年生も教室を借りてDVDを観ました。

「河童のクウと夏休み」を観て、あらすじと感想を書くのです。

日本語学科は今、「流浪の民」化していますよ。

思わず、日本語で

「Kだかヘチマだか知らねえけどヨオ!」

と一人で文句を言っているところを、1年の韋彤さんが聞いて、

ニコニコしていました。

1年生も、K先生に「靴カバーを忘れた者は罰金で5元払え!」

と言われて以来、私同様の感情を持っているんですと。

 

 

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「今年の卒業生との交流」No.1676

2016-05-26 00:06:44 | 中国事情

卒業生が春節後、各地に散っていき、先週久しぶりに戻ってきたとき、

体験談を聞きました。

一人の4年生は、臨時講師として

山東省のある私立高校の日本語教師をしていました(今もしています)。

その高校は、お金を払えば誰でも入学できる高校だそうで、

生徒たちは、全然勉強しないそうです。

「日本語教師になるのが夢だから」とそこへ勇んで出向いた若い女の子の滕さんは、

最もやんちゃで勉強嫌いの2クラスを受け持っているそうです。

「どうやって授業をしているの?」

と聞くと、1.5mほどの棒を持って机間巡視し、

時折、その棒で生徒の足とかをピシッとやるんだそうです。

「でも、全然こたえていません。携帯でゲームしたり、時々ウロウロ立ち歩いたり…」

聞けば、ほとんど、日本の学級崩壊クラスと同様の有様です。

生徒が言うことを聞くのは、

背も高く太さもかなりある屈強の男性教師にだけだそうです。

それなのに、

校長たちは、教師が学生に携帯を許していたら減点、

学生の成績が下がったら減点と、

教師に点数をつけ、直ちに給料に反映させるんですって。

ときどき、教室にも見回りに来て文句を言うというので、

「お前がやってみろ!」

と怒鳴りたくなるそうです。

そりゃ、そうだわね。

 

今、彼女の希望は各クラスに1人か2人、

かろうじて勉強したがる生徒がいることだそうです。

生徒にとって教師は重要な存在です。

しかし、同時に教師にとっても、生徒(学生)はどれほど重要か計り知れません。

学級崩壊のクラスは教師を痩せさせ、胃病や心臓病にさせ、

鬱病で働けなくさせます。

 

私は滕さんに、そんな学校すぐに辞めなさいと言いました。

それでも彼女は、7月まで契約があるので続けて働くと言って、

菏澤を去って行きました。

「あの学校で辛抱できたら、きっと今度どんな学校に行ってもパラダイスですよ。」

と言いながら・・・・・・。

 

 

 

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「基地反対派を『きちがい』と言う自民党神奈川県議員」No.1675

2016-05-24 22:43:22 | 人間

自民党小島健一神奈川県議会議員は、

沖縄の米軍基地反対派は「きちがい」だと発言しました。

「基地外」という意味で言っているから問題ないと詭弁を弄していますが、

掛詞として「きちがい」を意図的に使っているのは自明です。

「きちがい」とか「頭おかしい」とかは当然、差別言辞であり、

politically incorrect wordsと英語では言われています。

社会的差別を受けてきた精神疾患者、精神障碍者を救済するのが

政治家の仕事の一つです。

政治家が率先して差別言語を使ってはばからないとは、心底呆れます。

これだけでも小島健一は政治家として不適格、失格です。

 

彼は、「たった一回の事件で、基地問題を云々するのは間違いだ」とも言っています。

この人、本当に何も知らないくせに高い給料もらって政治家やっているんですね。

日本のことを勉強しなくても、神奈川県議会議員には当選できるんですね

それとも、沖縄が日本だと知らなかったんですか?

沖縄県で米軍基地ができてから、

米兵がどれほど沖縄の女性たちを酷い目に遭わせてきたか、

以前もこのブログにお借りして載せた表を、再度載せます。

この内容を平静に読めるとしたら、その人は人でなしです。

沖縄の女性グループ「基地軍隊を許さない行動する女たち」がまとめた【米兵による戦後沖縄の女性に対する犯罪】
年代
月 日
事  項
処罰の方法
出典
1945 3.26 沖縄戦で米軍が初めて座間味村に上陸。数カ月後、米兵による強姦事件が発生。拉致してボートで連れ出し、裏海岸で強姦した後、放置。 不明 8
  4月 米軍上陸後、強姦が多発し、各地域で住民による自警団が結成される。   8
  8.20 祖母と食料探しのため海岸に出た32歳の女性、米兵につかまり強姦される。翌年4月、混血の男児を出産。(玉城村) 不明 10
  8.21 友人2人と、子どもをおぶって薪取りに出かけた31歳の女性、米兵3人に拉致され消息を絶つ。(座間味村) 不明 2
  9.8 子どもをおぶってヨモギを摘んでいた39歳の女性、4人乗りの米兵のジープに拉致され、カーブで道ばたに放り出される。背中の子どもは死亡。(羽地市) 不明 2
  9.24 男性2人と石川の収容所に親戚を訪ねていく途中の19歳の女性、子どもをおぶったまま3人の米兵に拉致される。男性2人は米兵に銃を向けたれ、抵抗不可能。母子は2年後に白骨死体で見つかった。(石川市) 不明 2
  10.24 46歳の女性、道路で米兵2人に襲われそうになり、がけ下に飛び降りて大腿骨折。その後、追ってきた2人に強姦される。(本部町) 不明 10
  10.25 家具を失って岩の下で居住していた35歳の女性、夜トイレからの帰りに米兵2人に強姦される。翌年8月、男児を出産。(知念村) 不明  
この年   宜野座米軍野戦病院に収容された重傷の女性を、MPが強姦するのを沖縄人労働者が目撃。 不明 4
1946 1.21 草刈り作業中の23歳の女性、米兵に森の中に連れ込まれ、ナイフでほおを切られたあと強姦される。その後、妊娠、出産する。(兼城村) 不明 10
  1. 草刈り作業をしていた19歳の女性、米兵にすすき林の中に連れ込まれ、強姦される。混血の女児を出産。(糸満町) 不明 10
    この月から、沖縄の女性たちに混血児が生まれる。(沖縄本島上陸から10カ月)   5
  3.10 農作業中の30歳の女性、米兵3人に拉致、強姦される。12月に男児を出産。彼女の姉も、前年、出産直後、寝ていたところを米兵に拉致されそうになったが、住民の騒ぎで未遂に終わった。(具志川村) 不明

2

10

  7.26 川に洗濯に出かけた34歳の女性、行方不明になる。8月1日に死体で発見されるが、口にぼろ切れが詰め込まれていたことと、住民の立入禁止地区で発見されたことから、米兵による強姦、殺害と推定された。(北谷村) 不明 10
  8.30 芋の積み込み作業をしていた24歳の女性、米兵に捕まって強姦されそうになったところを抵抗。ナイフで切りつけられ重傷を負う。数人の男性の騒ぎで米兵は逃げてしまう。(具志川村) 不明 10
  10. 農作業中の39歳の女性、米兵3人に山中に連れ込まれて強姦される。(具志川村) 不明  
46~47   本土や海外からの引揚者が収容されていたキャンプのテント村では、米兵が進入して女性を強姦した。乱暴された後、自殺する娘も多かった。母、娘とも強姦されたケースもある。   9
47 3. 大勢の人たちと農作業をしていた女性、逃げ遅れて3人の米兵に拉致、強姦される。後に赤毛の男児を出産。(具志川村) 不明 2
  5.8 34歳の女性給仕、所用で出かけて戻る途中、米兵に拉致され、浜辺で強姦される。農作業中の人たちに助けを求めたが助けられなかった。
(大宜味村)
不明 10
  8.20 外出から帰ってきた24歳の女性、屋敷に潜んでいたフィリピン兵に強姦されそうになり、抵抗したところをナイフで刺殺される。(コザ市) 不明 10
  9.9 28歳の女性、自宅にピストルを持った米兵が侵入したため、一旦逃げるが、生後6カ月の子どものことが気になり、戻ってきたところを畑に引きずり込まれて強姦され、ピストルで殴打されて死亡。(コザ市) 逮捕されるがその後、不明  
  10. 畑を開墾中の42歳の女性、フィリピン兵らに強姦される。(具志川村) 不明 10
1948 7. 中部農林高校の寄宿舎が台風で破壊されたため、民家に下宿していた女子高生、家主の知り合いの米兵に強姦される。助けようとした家主はナイフで切りつけられる。(具志川村) 不明 10
  8. フィリピン兵の集団に女性が拉致される。救出に行った地元の男性2人のうち、一人は殺され、一人は負傷。 不明 9
    このころ、米兵が基地のまわりの民家に昼夜なく現れ、片言の日本語で女性の名を呼びながら、うろつく。(沖縄本島中部) 不明 6
  9.14 生後9カ月の赤ちゃんが米兵によって強姦される。 不明 3
1949 9月

混血児人口450人
(那覇94人、前原50人、コザ73人など)

米国の「タイム」誌(1949.11.28)は、沖縄に駐留する米兵が「米軍の才能のないものや、のけ者のていのよいはきだめになっていた。9月までの6カ月間に米兵は18件の犯罪を犯罪を犯した」と論述する。(抜粋)

 

7

1

  12 米軍部隊のメイドとして、働いていた17歳の女性、兵隊宿舎の中で米兵に強姦される。翌年、混血の女児を出産。(具志川村) 不明 2
    1945年の上陸から、この年までの米軍人による沖縄住民に対する強姦、及び致死傷76件(うち強姦致死4人、拉致をおそれて車または崖からの転落死7人)-表沙汰になったもの   5
1950 2.17 夜11時頃、那覇市内で芝居見物帰りの2人の女性が米兵にカービン銃で脅迫されて連れ去られ、一人の女性は6人の米兵に、またもう一人は8人の米兵に強姦される。 不明 1
  7.5 民家にフィリピン兵が侵入してピストルを乱射。主婦が捕まって強姦される。(具志川村) 不明 10
    この年の朝鮮戦争勃発で沖縄における米軍基地建設はピークに達し、沖縄は朝鮮への発進基地となって米兵があふれる。   6
1951 5. 戦後6年間の強姦事件は278件   1
1952 3.25 那覇市内の民家に米兵がCIDと偽って入り込み、21歳の女性を強姦。さらに1時間後に引き返してきて逃げ回る女性を殴りつけ、再び強姦する。米兵はエンジニア部隊所属。 不明 1
1955 9.3 永山由美子ちゃん(6歳)が、嘉手納高射砲隊所属の米兵に拉致され、強姦された上、惨殺される。(石川市) 死刑判決後、45年の重労働に減刑

1

3

  9.9 9歳の少女が就寝中に海兵隊所属の一等兵に強姦拉致され、重傷を負う。(具志川村) 終身刑

1

3

1956 9.23 特飲街でホステスが海兵隊伍長に惨殺される。変態性欲者の犯罪といわれる。(宜野湾村) 懲役8年 1
1959 3.17 20歳のハウスメイドが那覇航空隊近くで一等兵に強姦される。 陪審員合議で懲役10年、
平籍はく奪
1
  10.28 22歳のホステスが米兵に強姦、絞殺される。死体は全裸で発見される。(コザ市) 懲役3年 1
3
1961 7.11 47歳のホステスが部隊を脱走した19歳の海兵隊員によって殺される。 逮捕され、一人は無期懲役 1
3
1963 7.3 22歳のホステスが那覇航空隊所属の上等兵に惨殺される。ふられた腹いせによるもの。    
  10.1 20歳のホステス、キャンプ・シュワーブ所属の米兵2人に野原に引き出されて強姦される。犯人はMPに現行犯逮捕される。(久志村) 不明 10
1965 1.24 28歳の女性のホステス、自宅で殺害される。米兵が容疑者として、取り調べを受ける。(金武村) 不明 3
1966 7.21 勤め先から帰宅途中の31歳のホステス、米兵に強姦、殺害され、全裸死体となって下水溝で発見される。(金武村) 迷宮入り 1
1967 1.24 32歳のホステスが18歳の海兵隊員によって絞殺、全裸で発見される。(金武村) 重労働35年の判決 1
3
  4.2 34歳のホステスが米兵に強姦、絞殺される。(コザ市) 不明 1
  11.20 20歳のホステス、自宅で就寝中に米兵にハンマーで頭を殴られ死亡。(金武町) 迷宮入り 1
   

この年、ベトナム戦争からの帰還兵による強盗、ホステス殺しが続発する。

このころ、米兵相手のバーでは、女性が一人でトイレに行くのは自殺行為だと言われた。

 

1

9

1968 3.29 浦添村の米軍施設内に努めていた35歳のメイドが同施設内に勤務する米人女教師に殺される。 米軍当局の許可で本国帰還 1
  5.19 52歳の主婦、自宅前の路上でミサイル基地所属の上等兵に強姦、殺害される。(読谷村) 韓国へ出動させるが沖縄県警の捜査で逮捕。終身刑。

1

10

  6.20 23歳のホステス、海兵隊MPに強姦される。その後短銃で殴りつけられたため、重体。宜野座村) 逮捕後不明 1
1969 2.22 21歳のホステス、砲兵連隊所属の二等兵に絞殺、全裸死体で見つかる。(コザ市) 逮捕後不明 1
  3.3 20歳のホステスが死体で発見される。司法解剖の結果から米兵の犯行と断定。(那覇市) 迷宮入り 1
  11.21 アルバイト帰りの25歳の女性を路上で上等兵が強姦。抵抗するたびにナイフで切りつける。(那覇市) 俸給二カ月分の罰金、降等 10
1970 5.28 出勤途中の21歳の軍雇用女性、米兵に襲われる。(浦添村) 証拠不十分で無罪 3
  5.30 下校途中の女子高生が軍曹に襲われ、腹部、頭などめった刺しにされる。強姦が目的だったようだが、騒がれて未遂。教職員会、女性団体、高校生らの抗議で逮捕。(具志川市) 懲役3年の重労働、降等  
この年   朝7時半頃、高校3年の女性とが登校中に、突然体が宙に浮き、上半身裸の3人の米兵に腕を捕まれたままジープで数秒間引きずられた。(宮古)    
この頃   バーを経営していた女性が、カウンター内に入り込んで来た米兵に強姦される。その際、足と首に大けがをし、働けなくなる。 犯人は裁判中に配置転換 9
1971 4.23 22歳の女性ホステスの全裸死体が墓地で見つかる。目撃者の証言で海兵隊所属の伍長が逮捕される。(宜野湾市) 血液型が被害者と同じため証拠不十分で無罪 1
  5.1 41歳の女性が海兵隊二等兵にドライバーで刺殺される。指紋体液の血液型などの証拠で逮捕。(金武村) 不明。本人は否認 1
  5.21 女子中学生が米兵に強姦される。(コザ市) 犯人あがらず 1
  5.23 出勤途中のホステスが米兵に空き家に連れ込まれ、強姦される。(コザ市) 迷宮入り 1
  7.10 自宅前で遊んでいた12歳の精薄児を3人の米兵が輪姦。(宜野湾市) 逮捕後不明 1
1972 4.10 25歳のホステスを陸軍軍曹が殺害。排水溝に投げ捨てる。(泡瀬ゴルフ場横) 懲役18年 1
  8.4 37歳のホステスが二等兵によって強姦、絞殺される。(宜野湾市) 無期懲役 1
3
  12.1 22歳のサウナ嬢を海兵隊二等兵が強姦、シミーズのひもで絞殺。(コザ市) 無期懲役 1
1973 3.18 42歳のホステスが全裸絞殺死体で発見。第二兵たん所属の兵隊の血液型、指紋が現場のものと一致したが、物的証拠がなく、逮捕不可能。地元警察の米軍側への申し入れにも関わらず容疑者は二ヶ月後に除隊し、本国に帰る。(コザ市) 迷宮入り 1
1974 5.8 叔父と共に農道を歩いていた17歳の少女が、米少年兵3人に全裸にされたうえ輪姦される。叔父が殴られて気絶していたときの犯行で、叔父の訴えにより、犯人が判明。(金武村) 不明 1
1975 4.19 海水浴に来ていた二人の女子中学生をキャンプ・ハンセン所属の二等兵が石で殴って気絶させ強姦。米軍は容疑者の身柄引き渡しを拒否したが、地元住民、県議会の抗議行動で地元警察に引き渡す。(金武村) 懲役6年

3

10

1982 8.1 33歳の女性ホステス、新築工事中の部屋で、上等兵に絞殺される。強姦しようとしたところを抵抗され、殺す。(名護市) 懲役13年 1
1984 9.30 19歳の米軍一等兵女性、一等兵と二等兵に強姦され、車ごと焼かれて死亡。(宜野湾市) 懲役13年 1
1985 10.29 40代の女性が帰宅途中、キャンプ・ハンセン所属の二等兵と上等兵に拉致・強姦される。(金武町) 現行犯逮捕刑は不明 1
1993 5. 19歳の女性が陸軍軍曹に拉致、強姦される。被害者は告訴取り下げ。 除隊 3
1995 5.10 24歳の保険外交員の女性、米兵にハンマーで顔面を殴られ死亡。(宜野湾市) 係争中 3
  9.4 米兵3人による小学生拉致、強姦事件発生 2人懲役7年・1人6.5年 3

 作成:高里鈴代・宮城晴美

〔出典〕

1.比賀朝進「戦後50年犯罪史」(風土記社)
2.福地廣昭「沖縄における米軍の犯罪」(同時代社)
3.沖縄タイムス
4.那覇市「那覇市史 飼料第3巻8」
5宮里悦編「沖縄・女達の戦後」(沖縄婦人運動史研究会)
6.「島マスのがんばり人生」(回想録編集委員会)
7.「うるま新報」
8.証言
9.NHK/ETV特集「沖縄は何を怒ったのか-軍隊と性暴力を問う女性たち」
10.福地廣昭「米軍基地犯罪」(労働教育センター)

 

 

 

 

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「わたしは翁長知事を固く支持します」No.1674

2016-05-23 23:29:22 | 人間

今日、5月23日沖縄県の翁長知事は、アベ首相、菅官房長官と会談し、

自分が直接アメリカのオバマ大統領と話をする機会を作るよう、アベ首相に要請しました。

伊勢志摩サミットが今週に開かれ、オバマ大統領が来ますからね。

しかし、アベ首相は、今後予定されているオバマ氏との会談でも

「国民の気持ちを踏まえて厳正な対処を求めていきたい」

と翁長氏に伝えたに留まり、翁長氏とオバマ氏の面会の機会を設けるかどうかは

答えなかったそうです。

国民の気持ちを踏まえることのできるアベなら、国民は苦労しません。

翁長知事を支持し、沖縄県民の犠牲をこれ以上長引かせないためにできることは

①日米地位協定の見直し 

②米軍基地撤去 

③アジア近隣諸国との平和外交

を実行できる日本政府を作ることでしょう。

アベ政権の下では、日本の民はズタズタに引き裂かれ、

沖縄県民をアメリカの生贄として差し出し続けるのを

横目で見ているしかありません。

グジャグジャ屁理屈はいらない。アベは人でなしです。

人でなしが政治家になったら、国民も人でなしになってしまいます。

自分が人でなしであるかどうかも、すぐに麻痺して分からなくなります。

今の日本がそういう状態です。

翁長知事:「安倍内閣はできることはすべてやるというが、

できないことはすべてやらないという意味合いでしか聞こえない」

 

 翁長知事の憤り:

「激しい憤りとやるせなさを感じる」

「日米地位協定の見直しを含め、実効性のある抜本的な対策を講ずるよう強く求める」

「いまの地位協定のもとでは日本の独立は神話だと言われる」

「沖縄は戦後70年以上、過重な基地負担を強いられてきた」

 写真と翁長知事の言葉はEveryone says I love youさんブログよりお借りしました。

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「元米兵による沖縄女性殺害に総理・副総理・閣僚は何を言ったか」No.1673

2016-05-22 21:59:55 | 日本事情

このヒトら、本当に人間?

 

元米兵による日本女性の強姦殺害が 報道されても

総 理:「……」

副総裁:「いやよく知らないのではい」

閣 僚:「タイミングがまずい」

ネトウヨ:「元米兵の元を小さくするな」 

 https://twitter.com/sohbunshu/status/733908363692507136

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「舛添知事たたきの裏を冷静に見ておきましょう」No.1672

2016-05-21 22:41:23 | 日本事情

くさくさする場合⇒

①日本から持ってきたアニメを見る。 

②日本から持ってきた本を読む。 

私にはこの二つの気晴らしはとても効果的です。

昨夜は②のパターンで、

『福沢諭吉の哲学』(丸山真男セレクション・平凡社)を読み始めました。

疲れた頭でベッドに寝転がりながら文字を見るのは、まるで子守歌のようなもんです。

しかし、寝る直前の朦朧たる脳みそが反応し、

(そうだ、そうだ)と納得しまくる言葉に出会いました。

その言葉とは「惑溺」であります。

福沢諭吉は「文明論之概略」で、

ものごとの価値は常に流動的であり、

常に相対的に分析し判断するという強靭な主体的精神をもたなければならない

述べています(全部丸山真男さんの受け売りです)。

その精神が弱いと、人は惑溺状態になるのですね。

惑溺とは

『あらかじめ与えられた基準を万能薬として、それに寄りすがることによって、

価値判断のたびごとに具体的状況を分析する煩雑さから逃れようとする態度』

(文中抜き書き)

ですって。これ、日本人の得意技じゃないですか(みんながみんな、そうじゃないけど)。

これは人間精神の懶惰(らんだ)を意味』し、その日常的実践は、

『周囲の環境への単に受動的な順応として現れる。』

なるほど。

『従って、公式主義や機会主義は、一見相反するごとくにして、

実は同じ〈惑溺〉の異なった表現様式にほかならない。』

公式主義と言えば、よく〈決まりは決まりです!〉と言っていた

学校の元同僚をすぐに思い出します。

機会主義とは、今の舛添たたきに乗せられる人々の多くが思い浮かびます。

ムードに乗じるタイプのことではないかと思います。

 

舛添叩きは完全に仕組まれたものだということが、

全ての人の耳にはどうして聞こえないのでしょうか。

もちろん、全て承知したうえでバッシングしている人たちもいます。

一つは、このバッシングを仕掛けているグループ、

もう一つは、これを政治の流れを変える力にしようとするグループでしょう。

周囲の環境に対して単に従属的に順応しないためには、

どうしても、自分であれこれ調べて比較し、分析し、判断しなければなりません。

資料集めが煩雑だから嫌だと避けていては、精神が懶惰した怠け者になるのです。

「舛添を叩け!GO!GO!」オンリーだった方は、

福沢諭吉さんの叱咤に、我と我が身を冷静に振り返りましょう。

 

資料として2つお借りしました。

突然噴出した異様な舛添バッシングと「電通」 「逝きし日の面影」ブログより

http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/ec0dc79cdc7c9680aec847a8986a31e8

升添要一の大名言『主権者である日本国民を犬猫扱いしている第二次自民党改憲草案』

当選直後の最初の記者会見で舛添要一東京都知事は、選挙で支援を受けた自民党の憲法改正草案について『立憲主義の観点から問題がある。今のままの草案だったら、私は国民投票で反対する』と明確に自民党の新しい改憲草案を否定している。
2005年自民党第1次憲法改正草案の取りまとめに関わった舛添は、2012年第2次草案について『学問的に見た場合、はるかに1次草案の方が優れている』と指摘。問題点として天皇元首化、家族条文の規定、国防軍創設を挙げた。
特に、1次草案の『個人として尊重される』を2次草案で『人として尊重』と変えたことに、『憲法は国家の対抗概念である個人を守るためにある。人の対抗概念は犬や猫だ』と厳しく批判した。(2014年2月14日毎日新聞)
民主主義社会の『憲法』とは、自民党改憲派の思っているような『外国の脅威から国家を守る』(国民を縛る)ためにあるのでは決してない。そもそもの憲法に対する『根本的な誤解』なのである、憲法の役目とは、『国家の脅威から国民を守る』(国家を縛る)ために制定する性質のものだったのである。

『第一次自民党改憲案の策定責任者だった舛添要一に対する自民党改憲派の逆恨み』

自民党は結党50年を迎える2005年の第一次憲法改正草案では『土人女を集めて慰安所を作って将兵に喜ばれた』と著書で自慢する破廉恥な中曽根康弘などの時代錯誤の靖国派の右翼議員らの原案を、自民党改憲案の取り纏め責任者だった舛添自身は憲法改正に前向きな姿勢を示しているが、民主党や国民に受け入れられることを重視して、自民党総裁小泉純一郎の了承を得て大部分カットしてしまった。このため升添は安倍晋三らの恨みを買うことに。以後犬猿の仲となったらしい。
舛添は2009年に自民党が大敗して下野したら即座に2010年離党(自民党は除名処分に、)するが、石原後継の猪瀬知事の金銭疑惑での超短期間辞任で2014年には自民党支持の無所属候補として都知事選で当選している。
ところが、この時ネトウヨは『何で舛添なのか。田母神を支持すべきだ』と主張したが、この方が余程筋が通っている。そもそも除名した人物(升添)を東京都や五輪への影響力を保持したいがために何の根拠も示さず(今まで自民党を散々批判していた人物を)支持して当選させることに安倍首相&周辺をはじめ、自民党の中から批判が出ていた。
安倍晋三などの低能の極右勢力と東大助教授だったことが唯一の自慢の舛添は水と油の関係であり、内心では双方が相手を心底嫌悪していたが呉越同舟、都知事選で舛添を支援したのである。
何かの切っ掛けさえあれば過去の騒動(極右と升添のバトル)が再燃するのは決定的だった。 

②舛添バッシングの裏に自民党・都庁職員との“政争” ダイヤモンド・オンラインよりhttp://diamond.jp/articles/-/91159?utm_source=weekend&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor

バッシングが高まる背景には、都議会自民党との「最悪の関係」がある

 「今回『文春』が書いた後にここまで話がこじれ、一向に収束しないのは、スキャンダルの内容もさることながら、本来知事を支えるはずの都議会や都職員などがまったくカバーしない、むしろ舛添さんと自民党の関係がうまくいってないという背景もあるのです」

次から次へと金銭スキャンダルが出てきて、もはや収拾がつかない状態の舛添要一・東京都知事。本人の金銭感覚に問題があるのはもちろんだが、自民党や都庁職員との関係の悪さも、騒動に拍車をかけている
Photo:日刊スポーツ/アフロ

そう話すのは、舛添氏と関係も深いという公明党幹部。ではなぜ、舛添氏と都議会自民党の間はそこまで悪くなってしまったのだろうか?

「舛添さんと都議会自民党の関係が悪化の一途をたどったのは、まずは東京オリンピック会場計画を都知事主導で見直したことからです。特に新設予定だった都内3会場の建設を中止したのは決定的でした。新設予定の会場には、それぞれ自民党都議の利権が紐付いていたので、それを白紙にするということは、つまり自民党の利権を奪いとることに他なりません。このほかにも、知事就任以来どんどん勝手に改革と称していろんな政策を進めることで、当然、都議会自民党とは最悪の関係になっていました」(前出の公明党幹部)

 

 

 

 

 

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「八女茶とお握り・最終日」No.1671

2016-05-20 22:57:59 | 日本語

3週間連続のお茶会、今日は最終日の3年生とのお茶会でした。

お握りは、先週に引き続き大好評でした。

やはり電子レンジで温めた効果でしょう。

下は具の梅菜の漬物(左)とハム(右)。この取り合わせ、美味しいですよ。

米5.5カップ炊きの炊飯器で満タン炊くと15個のおにぎりができます。

3年生10人と研究室で食べながらペチャクチャしゃべっていたら、

卒論を終えた4年生が乱入し、

お握りは全部なくなって、嬉しかったです。

今日もお茶会後の夕方、念入りに化粧やら髪の毛を整えた4年生が

浴衣に身を包み、キャンパスを彷徨していました。

英語学科の学生も2人、浴衣を着せてくれ~とやってきましたよ。

試着の感想を聞くと、自分が上品で優しい女性になった気がするとのこと。

確かに、歩く時はシャナリ、シャナリじゃないと歩けませんからねえ。

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「さようなら4年生」No.1670

2016-05-18 22:24:51 | 中国事情

今、中国ではどこの大学でも、鮭の稚魚たちが大きくなって戻って来るように

春節後、全国に散って行った4年生たちが大学に帰ってきているでしょう。

ここ、山東省の西の端にある菏澤学院にも、

卒論審査のために帰校した懐かしい顔ぶれが揃っています。

今日は、急に写真撮影でした。

だいたい、江財大にしてもこういうイベントはいつも、本当に急に決まるのです。

 

今朝は何を思ったか4年の滕さんが早朝7時に電話してきて、

弟を連れて卒論を見てもらいに宿舎に10時に来るとのこと。

弟は高校生ですが、病気療養中なので

お姉ちゃんが連れて回っているんですと。

昔、学校に小さい弟か妹をおんぶして授業に参加していた話がありましたが、

まさにそんな感じです。

連れられてきた弟は、背も高くがっしりしていて、

一見すると滕さんのお兄さんかと思える子でしたが、おとなしくお姉さんに従っていました。

 

今日は授業こそなかったのですが、

このように訪問客?があったり、

パスポートを持って事務室に行かなければならなかったり、

歌コンクール(今日は予備選)に出る1年の閻さんに浴衣を着せたり、

最後は、4年生たちにありったけの浴衣を着せてあげて、

撮影会の準備をしたり、と大忙しの一日でした。

 

下は英語学科の学生たちから、

「え~、浴衣!日本語学科はいいなあ~」

と言われて、ちょっと自慢の4年生たち。

下は、卒業生たちが必ず撮影する「蹴り」です。

王康さんは、男性一人なので(あと2人いましたが、2人とも大阪に留学中)

何か月も前から、蹴られる覚悟を固めて今日に臨みました。

この人たち、この後も数時間を撮影に当てていましたよ。

もう、数日でお別れなので、名残は尽きないのでしょうが、

それにしても、どうしてここまで情熱を傾けるのかと思える長い長い撮影会でした。

 

 

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「内閣総理大臣が立法府の長だって?」No.1669

2016-05-18 00:15:57 | 人間

日本人、しっかりしましょう。

こんなのを総理大臣におさまらせているのは、国民として無責任じゃないですか。

 

5月16日、の国会答弁で、超エラそうに民主党の山尾議員に対して、

「山尾さん、議会の運営というものについて、もっと勉強していただいた方がいい」

 という言葉の後に続いて、
 
「議会では私は立法府の長ですよ」
 
と何度か繰り返し、その後、自分で何を言っているんだか分からなくなったアベ総理。
 
「私は立法府の長ですよ」
 
とアベさんが言った時、隣りの石破さんだけがギョッとした顔でアベさんを見ていましたね。
 
しかし、そのうちに、
 
「私は行政府・立法府・司法府の三権全ての長ですよ」と言い出しますね、アベサンは。
 
心の中ではすでにそうなんでしょう。
 
三権分立もお構いなし、こういうのを独裁というのですよね。
 
 
「山尾さん議会の運営を勉強してくださいよ。議会では私は立法府の長ですよ」
 
 
 
    ↓ 小学校の教科書に載っている三権分立の図
 
     
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「河童のクウ、久しぶりだね」No.1668

2016-05-16 20:42:53 | ま、とにかく

菏澤学院日本語学科の学生で日本に行ったことがあるのは、

大学入学直前に、おじさん夫婦が日本に爆買い旅行に行くので

連れて行ってもらった3年生、一人だけです。

他の子たちはアニメで日本の風景を知り、

「綺麗な国・日本」への憧れを抱く学生が多いようです。

 

確かに、アニメに描かれている日本の街並みや郊外、畑、森の様子は見事で、

観るたびに日本に戻った気分になれます。

汚くて腹黒い地獄の使者のような政治家たちがやりたい放題して、

もはや目も当てられないほど滅茶苦茶な有様の日本とは別に、

まだ、別の日本があるんじゃないかと思わせてくれるアニメたちを

くたびれたときボオッと観ています。

『河童のクウと夏休み』、

今学期は初めて観ました。

全部見るのはもったいないから途中まで、

康一がクウと一緒に、生きている河童を探して遠野に行き、川で泳ぐところまでです。

この後の展開が分かっているだけに、

この川泳ぎのシーンにはグッときます。

川が美しい。草はらも、木々も、木漏れ日も。

クウは、

「おらたち河童は人間とは住めねえだよ」

とはじめから上原家のみんなに宣言しているのに、

それでも悲劇は起きてしまいます。

『河童のクウと夏休み』(原恵一監督)、

もし、まだでしたら、是非一度ご覧になってください。   

    河童のクゥと夏休み 【通常版】 [DVD]

 

 

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「5時間に1人が餓死の国」No.1667

2016-05-15 23:02:09 | 日本事情

「5時間に1人が餓死する国、日本」

10年前に聞いたら、(ええっ、それ本当!?)と思ったでしょうが、

近年は、なんか肯けます。

生活保護を受けさせないためのバッシングの嵐のなかで、

生活保護を利用する資格のある人のうち現に利用している人の割合(捕捉率)は

「先進国」最低の2割しかないそうですね。

2013年5月に生活保護法が改定されてからの統計が見たいのですがたどり着けず、

2013年5月のグラフを下に貼り付けます。

生活保護法改定によって、生保申請者を窓口で追い返す「水際作戦」は

どう変化したのでしょう。

大企業のぼろ儲け優先政策の下で、

弱者対策の福祉がどうなっているのか詳しく知りたく思います。

明日は我が身です。

―――――――――――――――――――――

A:Everyone says I love you!さんのブログよりhttp://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/dd8281a18bef5d49b14bfa411467915d

京都府舞鶴市で生活保護を申請しようとした女性(33)に対し、市の担当職員が申請書の交付を拒否し、京都府が「申請の意思が示されたのなら、申請書を渡さないのは問題だ」と口頭注意していたことが2012年6月19日、分かったそうです。

 この女性は5~11歳の子どもと4人暮らしで、さらに妊娠中でした(赤ちゃんの父親は行方不明)。そして、無職で、収入は児童扶養手当などの月8万円。相談時には所持金が600円しかなく、当然、光熱費や家賃も滞納し、冷蔵庫も洗濯機もないのだそうです。

 そして、6月11日に舞鶴市役所西支所に「生活保護を申請したい」と訴えたのだそうですが、市側は

「胎児の父親の連絡先が必要」

と言って、申請書を渡すのを拒否しました。 

 京都府福祉・援護課長が

「父親の連絡先は生活保護の要件ではない。生活保護法の趣旨に反する」

とコメントしているとおりで、生活保護申請を拒否する理由には全くなりません。

 さらに、翌12日にも同支部のスタッフを伴い支所を訪れたそうですが、舞鶴市の職員から

「やみくもに申請されても却下しかできません」

と申請書の交付を拒まれたのですが、京都府の指導があり最終的に市は申請を受理したのだということです。

 ここで、申請を受理したといっても生活保護の決定が出たのでのではありません。まだ審査中です。つまり、申請拒否とは窓口撃退で審査さえしないと言うことなのです。

 女性から相談を受けた貧困問題に取り組むNPO法人「POSEE」京都支部が記者会見して明らかにしたところによると、同法人によると、この市の職員は

「不正受給になれば詐欺で捕まります」

とも言い放ったと言うことです。

 ところが、舞鶴市は「相談の段階だったと認識しており、適切な対応だ」としています。

 

B:すくらむさんのブログよりhttp://ameblo.jp/kokkoippan/entry-11541237843.html

2011年の統計(厚生労働省人口動態調査)で、この日本社会において、

1,746人が餓死しています。

これは、1日に4.78人、5時間ごとに1人が餓死していることになり

下のグラフにあるように、この14年間で餓死者数は1.7倍も増加しています。 

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