毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「『9条にノーベル賞を』の主婦を揶揄する品格なき人々」2014年4月30日(水)No.898

2014-04-30 10:40:48 | 日記

今月初め、「日本国憲法第九条にノーベル平和賞を!」の推薦が

ノルウェーのノーベル委員会で受理された。

この運動を始めた神奈川県の37歳の女性は

小学校2年生と1歳半の子どもを持つ主婦だという。

主婦とは、家庭外で正規の仕事に就いていない既婚女性の

社会的位置を表現する言葉であると認識している。

37歳と言えば、わが娘とほぼ同じ歳だ。

いや、わが娘だって捨てたもんじゃないけど、この女性は1人から始めて、

いろんな日本人に協力を呼びかけて実行委員会を立ち上げ、オスロに推薦状を送り、

とうとう、ノーベル委員会から「受理しました」という返事をもらった。

もちろん、ノーベル賞をもらったわけではなく、

ノーベル賞にノミネートされたということだが、この行動する力はいいね!

動機は、

「子どもはかわいい。戦争になったら世界中の子どもが泣く」

「ノーベル平和賞は、理想に向かって頑張っている人たちを応援する意味もある。

日本も9条の理想を実現できているとは言えないが、9条は受賞する価値がある」

と考えたから、という。

(なるほどな、change.orgで署名集めているのか。O.K.私も日本に帰ったら・・・)

と考えていた(中国からはアクセスできない)。

署名サイト(http://chn.ge/1bNX7Hb)


ところで、何という下品な者どもであろう。

この神奈川県の主婦を「偽物の市民」=「プロ市民」と呼んで、

その活動の足を引っ張り、陰口を言う、

根性の曲がったウルトラ愚か者たちがいるのだ。

主婦がしっかり考えて行動に移したら、「ニセ主婦」だの「ニセ市民」だの言うって、

それ「主婦」差別、並びに「市民」差別じゃないの?

この根性曲りどもの主張は、つまるところ

「主婦や市民というものは、ものを考えたり、行動したりできないアホだ」

と言っているに等しい。

その人たちは、自分が自分の意志で行動した経験がないからなのか、

意識を持って自発的に活動し、組織を作るにまで至った一市民(主婦)を、

組織の利害に踊らされている妄想信者のように述べるのだ。

(逆だよ、個人が組織を作ったんだよ。舞亜蚊)

また、その根性曲りたちは、自分の頭で考える人たちを排除し、

「考えないもんチーム」を作ろうと躍起になる特徴がある。

ここにきて、日本のある傾向を感じるのだ。

例えば中国では、もし、自分が深く考えない人間であっても、

考える人を排除しようとはしない。

どこまでも「人は人、自分は自分」である。

ある種の日本人の身内で固まるせこい意識には本当にくさくさする。

ものごとは、筋道を立てて考えたい。

一生懸命平和を求めて頑張る主婦の足を引っ張る者どもは、

あまりに、感情的で、排他的で、自己チュウで、情けないことこの上ない。




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「ガンジー『七つの社会的大罪』が日々更新される国…」 2014年4月28日(月)No.897

2014-04-28 19:49:02 | 日記

日本のニュースをじっくり見始めると時間が矢のように過ぎ去るので、

時間に余裕のない今は、

できるだけサッと、項目だけしか見ないようにしている。

しかし、胸に黒い滓のようなものがどんどん溜まってくる感じで、

息苦しい。

原則はないのか、今の日本のリーダーたちには…。

いや、ないのは重々分かっているが、

原則無き日本のリーダーたちを押しとどめる力がないのか、日本社会には。

・・・・・・・・・・・・

そんなことを遠くでやきもきしても仕方ないので、

また、サッと見出しだけ見て終わるようにする。

マハトマ・ガンジーの墓碑銘である「七つの社会的大罪」。

以前、小出裕章さんが引用されたのを読み、

これは、他のどこかの誰かの社会ではなく、

自分の属する社会の罪であると痛感した。

そこに所属している自分にも罪がある。

 

理念なき政治 (Politics without Principle)

労働なき富 (Wealth without Work)

良心なき快楽 (Pleasure without Conscience)

人格なき学識 (Knowledge without Character)

道徳なき商業 (Commerce without Morality)

人間性なき科学 (Science without Humanity)

犠牲なき信仰 (Worship without Sacrifice)

「七つの社会的罪」(Seven Social Sins) マハトマ・ガンジーMohandas Karamchand Gandhi

 

 

 

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「添削三昧の日々」 2014年4月 27日 (日 )No.896

2014-04-27 21:17:51 | 日記

今、私は一年中で最も忙しい。

日本僑報社主催の「中国人の日本語作文コンクール」応募の時期だからだ。

毎年、(今年はもうやめようかな)と弱気が頭をもたげるが、

急に止める理由もないので結局は(やるしかない)と決意する。

今年の募集テーマの一つに「ACGとわたし」というのがあるが、

ACGとは何か。募集要項を読んで分かった。

A=animation(アニメ)

C=cartoon,comic(漫画)

G=game(ゲーム)

中国の若者たちの心深くに、

ドラえもんやテニスの王子やらが住んでいるのが作文を読んでわかった。

内容は、当然差し控えるが(応募作だからネ)、

今日も朝からずっと添削をしていて、

唐突に全身の力が抜け切る言葉に出会った。

書いた本人は、読む者がそんな衝撃を受けるとはつゆ知らず、

いたって真剣に執筆しているのだ。

〈その1〉

『ナルトは幼い頃から排斥とひき肉を受け…云々』

ホントは何と書きたかったんだろう。タイピングの文字をキーボードで

眺め、隣の文字に置き換えても、分からない。

意味的には「迫害」「差別」「引きまわし」「いじめ」「皮肉」・・・。

あれ、「皮肉」かな?

〈その2〉

『私が授業を受けている時に、病気の祖父がの世に行ってしまいました』

たった一文字が微妙に違うために、

読む者は、悲しい体験に同情したいのに、したいのにい、

その気持ちは音を立てて崩れていくのであった。

 

 

 

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「雨上がりの校内日本語コーナー・スナップ」2014年4月25日(金)No.895

2014-04-26 14:08:48 | 中国事情

数日雨続きで、殊に、この昼間はドバーッと降り、

(今日の日本語コーナーは中止した方がいいかなあ)と思案した。

夕方、雨はほぼ止んだが、こんな悪天候の中をわざわざ来る学生は少ないことが予想された。

それでなくても、3月初め30人程度の参加者だったのが、

一度だけ40名を越えたものの、ここ数回は20人ちょっとの参加と、じり貧状態だ。

蓋を開けてみると、

 

 あらら、この盛況ぶりはどういうわけ?

顔ぶれを見ると、いつものメンバー以外に、久しぶりの3年生や、

2年、1年も最大の参加人数となり、2人の重鎮4年生も加わって、

35名にも膨れ上がった。

これは現在キャンパスにいる日本語学科全学生の50%以上である。

来たくても学生会の仕事などでなかなか参加できない学生の顔も見え、

とても和やかで活気のあるひと時になった。

その雰囲気を写真で紹介しようとカメラを向けた。

↑このグループは2年生4人に1人の1年生が混ざって、楽しそうに話している(日本語で)。

会話力は少しずつしか身につかないが、継続すれば、必ず進歩する。

 

↑こちらは1年から4年までそろったバランスよいグループ。

写真を避けようと2年の徐蕾さんが

ネズミ男(「ゲゲゲの鬼太郎」を参照されたい)のように

フードをかぶって顔を隠している。

 

ちょっと、どーゆーわけ?

徐蕾さんのみならず、写真が大好きなはずの日本語学科の諸君が

私のカメラを微妙にさけているではないか。

↓わざと頬杖をつく優慧斌さん(左前)とか、

急にうつむいてノートを取る饒立明さん(右奥)とか。

 

↓なんか、こちらのグループもねえ。さりげなく避けていますねえ。

左端は1年の陳楊さん、手前は李慧かんさん。今回は1年生が4人、自主参加していた。

3年生もまだまだ会話力を鍛えてレベルUPできる。

みんな、とにかく継続してがんばってほしい。

 

↓こちらは自然体。3年生が三人で和気藹々と懇談中。

今日のトピックは「各種通信手段の是非をめぐって」

もちろんパソコンの各種SNSをスイスイ使いこなす学生たちだが、

この班が「手紙はとても大切な通信手段です」と発表していたのが、

印象に残った。

 

↓2年生ばかりのグループ。

微博やQQ、WeChat、人人網、YY語音など様々なSNSの話が出ていたが、

右端の陳佳卿さんは、通信手段はもっぱら電話で喋ることだそうだ。

世の中、そういう人がいないとね♡

 

というわけで、今日の発表タイム。

話し合った内容をまとめて発表するのは、非常にたいせつな練習だ。

3年の袁甜さんの発表を見守る級友たち。

一言すれば、袁甜さんは1年生から今までずっとキャンパス内のスーパーでアルバイトを続けている。

初めは時給2元から始まり、今は5元までになったそうだ。

1日4時間働くとして20元(約330円)。これは南昌の平均バイト代から見てもとても安い。

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「雨の日はヤダなと久しぶりに思った日」2014年4月24日(木)No.894

2014-04-24 23:05:06 | 中国事情

走るスクールバスの中から撮った下露付近。

バスに乗ってしまえばこのように呑気に写真など撮っていられるのだが、

このバス、今日は定刻の12時を過ぎること12分後に、ようやく来た。

雨の中を待つのは嫌だ。

今日の乗客は全部で4人。

たまに学生がドバっと乗って来る以外、12時発のバスはこのくらいのお客さんだ。

バックミラーにドライバーさんの頭がチラリ。

スクールバスが昨年秋に民営化されて以来、

ほぼいつも、このドライバーさんが運転してくれている。

初めはコースも適当、好き勝手なところを走り、キャンパスのバス停も無視して、

(何といい加減な)と呆れていたが、最近はコースを覚えてかなり正確に走ってくれる。

 

傘をさしてカバンの中のプリントが濡れないように抱えて待っている時は、

(こんな雨の日に限って遅れるとは!)と心中プリプリ怒っていた私だが、

麦盧園キャンパスに着くと、乗客が私ともう一人になり、

何と、特別サービスで私の仕事場の外国語学院ビルの傍で停めてくれたので、

すっかり気分がよくなり、

(なんて親切な運転手さん♡♡)とほくほくして降りたのだ。

結構大粒の雨だった。

 

 

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「生(なま)パワーでいこう! -スピーチコンテスト(その8)」 2014年4月1日(水)No.893

2014-04-23 21:00:45 | 中国事情

学生たちのスピーチ原稿を読んで(スゴイ!)と思うのは、

日本に対して悪いイメージを持っていた子が、

直に生(なま)日本人に出会う中で、

(なんだ、実際に会ってみれば、中国人と同じ普通の人だ)

とス―ッと思ってくれることだ。

これこそ生(なま)人間の生(なま)パワーと言わず何と言おう。

 

南昌にはせいぜい20~30人ほどしか日本人がいない(と思う)。

江財大にいたっては日本人教師はただ一人、

日本人留学生もいるんだか、いないんだか(いても一人)。

それでも、日本からせっせと通ってくれる団体がある。

香川県高松市の「高松日中友好協会」ボランティアの皆さんだ。

昨年5月にそのボランティアである小西先生ご夫妻を

お茶会の講師として大学にお招きした。

その時まだ1年生だった学生が、スピーチでそのことに触れていた。

素直でまっすぐな心は、生人間の真心を受け止めてくれる。

四年弱のここでの滞在は、私にそう信じさせるに十分だった。

 

日本人もきっと同じだろう。

中国からの生留学生が日本に行って暮らすなかで、日本人と交流する。

どうか日本人のみんなが、留学生の生(なま)パワーを受け止めてくれますように。

岡山商科大学の石尾さんのように。

(会ったこともないけど、石尾さん、すっかりトモダチだ)

 

2年 李静  「江西財経大学学生からの平和への提言」

 

「ねね、何読んでいるの。」

「ノルウエーの森、本当に素晴らしい作品だよ」

二年前、私は親友に勧められて、村上春樹という作家を知りました。

それをきっかけに,江西財経大学日本語学科に入り、

日本人の先生に出会ったことは心から感謝しています。 

先生はいつもにこにこしていて、

どんなささいなことでも先生の口から出されたら面白くなります。

皆は思わずげらげら笑ってしまい、

まるで子供の頃の自分に戻ったような気持ちになります.

私の日本人に対する見方も知らず知らずのうちに変わってきました。 

 

去年、私は幸運にも一年生の代表として茶道の体験をさせていただきました。

それを通じて、私はもっと日本人と近づいた感じがしました。

 

夏休みには友達に会いました。

その友達は、はっきり言って日本嫌いの人たちです。

私がわざと茶道の写真を見せたら、

「ええっ、日本語の専攻?」

「日本人なんか大嫌い」

予想どおり、いろいろ言われました。

「日本人は勝手に中国人を殺したよ。もう忘れちゃったの?怖くないの?」

でも、私は多くの中国人が日本人のことを誤解していると分かっています。

だから、その色眼鏡を外してあげたいです。

自分の目で見たこと、実際に体験したことを友達や親戚に伝えたいと思います。

そんな考えで、私は意図的に、茶道の写真を友達に見せたのです。

「違うよ、私たちは皆日本人の先生のことが大好きだよ」

「え、うそー、この間南昌で反日デモが起こった時、

その先生はどなられたり、殴られたりしたんじゃないの?」 

「そんなことあるわけないじゃない!」。

ここまで言われると私はもう黙ってはいられません。

 

「あんたたち、どうして先生が中国に来たのか分かってんの?

先生のご両親は日中戦争が終わった直後、

中国人にいろいろ世話になったおかげで、無事に日本に帰れたんだよ。

将来はチャンスがあれば、中国人に恩返ししないとって、

お母さんがなくなる寸前まで言っていたので、

先生は感謝の気持ちで中国に来て授業をしているんだよ。

なのにどうして頭ごなしに日本人が悪いと言い切れるわけ?」

皆それを聞いて、黙り込んでしまいました。

「ごめん、私たちはただドラマや他人の話によって、日本人のことを思っていたの。

実際に日本人に会ったこともないのに、そんなことを言って本当にごめんね

 

人と人との友情は理解と信頼をもとに生まれてくるものです。

国と国の関係もそうじゃないでしょうか。

相互理解にとって、交流は何よりも大切です。

中日友好のために、両国の国民は偏見を捨てて、

相手に向かって、その一歩を踏み出してほしいんです。

 私たち日本語学科の学生は、先生に見習い、

将来、中日平和の架け橋になるために、小さいことでもいい、

日本人の真実の一面を中国人に伝えようと思います。

それに、日本語で中国人の良さを日本人に紹介したいです。

平和は世界の人々に求められています、

(中日間の平和の花が早く咲けばいいな)

…心からそう願ってやみません。                                        

 

 

 

 

 

 

 

 

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「日本人はなぜ電車で座席を譲らないのか」2014年4月22日(火)No892

2014-04-22 21:08:16 | 日記

近、睡眠時間が減ってきた。

スピーチコンテストが終わったばかりだというのに、

もう「中国人の日本語作文コンクール」(日本僑報社主催)の時期が近づいてきたためだ。

 

今年の作文テーマの一つに、「公共マナーと中国人」というのがある。

学生の作文の中に、

「日本人が座席を年配の人に譲らないのは、

年配者に『あなたは年寄りだ』と烙印を押すようなことをしては失礼だから、

お年寄りに気配りして、わざと譲らないのだ」

と論じたものがあった。

これは私がかつて説明したことがかなり遠いところに行って

別の花になって開花したものだ。

その説は大変面白かったが、何ぼ何でも事実ではない。

ただ、かつて私が自分を「席を譲るべき年代」かと意識していた頃、

譲ろうとして立ち上がったのに

「いや、結構」と、頑として座ることを拒否する人がいた。

一度だけではない。拒絶するお年寄りは結構多かった。

こちらとしては一度立ち上がったものを、

辞退されたからといってまた同じ座席に座るのも示しがつかない。

吊り革を持って、私がお年寄りかと思った人の横で、並んで立ち続けた経験もある。

なぜ、当時の多くの年配者は座らなかったのだろう。

これは、明治の気骨あるお年寄りたちが、

「歳はとっても若い者には負けぬわい」とか、

「若い者の世話になるくらいなら姥捨て山に行く」とか

思っていたのかな、と想像するのだが、違うだろうか?

 

今、私は自他ともに認めるお年寄りである。

足腰はそんなに弱っていないが、

もし、席を譲られたら一切お断りすることなく直ちに座る。

だって楽ちんだもんね~。

高田渡の「夕焼け」、

学生の作文を読んで唐突に思い出した歌である。

 

夕焼け」  原詩=吉野弘 曲=高田渡

  いつものこと
  電車は満員
  そして いつものこと
  若者が坐り
  年寄りが 立っていた

  うつむいていた娘
  年寄りに席をゆずる
  礼もいわずに 年寄りは
  次の駅で降りた

  娘は坐った が
  また 別の年寄りが
  娘の前に 娘の前に
  娘はうつむいた が また
  年寄りに席をゆずる
  年寄りは礼をいって
  次の駅で降りた
  
  娘は坐った
  二度あることは三度という通り別の年寄りが
  娘の前に
  娘の前に

  かわいそうに娘
  うつむいて うつむいたまま
  席をゆずらず
  次の駅も
  次の駅も
  口唇をかみしめ
  つらい気持ちで
  娘はどこまで
  どこまで行くのだろう
  口唇をかみしめ
  つらい気持ちで

  やさしい心に責められながら
  美しい夕焼けもみないで

  口唇をかみしめ
  つらい気持ちで
  美しい夕焼けもみないで

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「日本人の友達ができた―留学生のメール②」2014年4月20日(日)No.891

2014-04-20 19:33:05 | 中日(日中)関係

滕碧霞(とう へきか)さんからメール第2便到着。

岡山商科大学は留学生の人数が日本人学生数を数倍も凌駕しているので、

今回のメールで、早速日本人の友達ができたという知らせは驚きの速さだ。

どんなきっかけで友達ってできるんだろう、と興味深く読んだ。

凄い日本語で聞いている。

でもちゃんと通じている。石尾さん、ありがとうね~

ああ、ワカイってスバラシイ~~♪

 

滕碧霞より 「日本人の友達ができたこと」

2014年4月19日 土曜日 午後12:14


今週の木曜日、私は同じゼミの石尾さんと友達になりました。

ゼミの最後の時、ゼミの島田先生はみんなに

「今年の目標」と言うレポートを書かせました。私は、

「今年の終極の目標はすべての成績が優になることです。

優になったら、学校から奨学金がもらえる成功率が高くなると思います。

いい成績をとれば、大学院に入るにも有利です。

しかし、今、一番実現したいのは日本人と友達になることです。

日本人の友だちができたら、日本のことももっと詳しく理解できるし、

日本語の会話力も高まるし。

ですから、当面の急務は日本人と知り合いになることです。」と書きました。

ゼミが早く終わって、次の授業の教 室に行ったとき、

この教室はまだ空いていませんでした。

たくさんの学生はもう教室の前のドアで待っていました。

全部男なので、私は後ろのドアに行きました。

そのとき、同じゼミの石尾さんが見えましたが、彼女も一人で後ろに行きました。

彼女は階段に座って、おにぎりを食べていました。

私は窓に向かって立ちました。

彼女と話すことが前、一度もありませんから、

もし、急に彼女のそばに座ったら、恥ずかしいでしょう。

しかし、その時、私の心は話しかけたい気持ちが強く、

にもかかわらず、勇気が出せませんでした。

5分ぐらい躊躇していました。

(さっき、書いた目標を絶対に実現しよう)と思いました。

やっと、勇気が出て、一歩、足を出しました。

「中国人の友だち、ほしいですか」と聞きました。

「うん、いいですよ 」と返事しました。

ワー、うれしすぎてしまいました。

そのあと、彼女と一緒に授業を受けました。

授業中、彼女がまじめに勉強する様子を見て、いい子だと思いました。

日本にいる生活はこれから本当に始められるかもしれませんね。

滕碧霞より

 

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「岡山に留学した江財大生からメールが来た」 2014年4月19日(土)No.890

2014-04-19 21:25:08 | 日本中国比較

3年生30人のうち、今は27人しかいない。

3月末に3人が岡山商科大学に交換留学生として出発したからだ。

その大学は何と、4千人が中国人留学生、1千人が日本人という構成だそうで、

留学した3人は、かなり残念がっている。

しかし、キャンパスはどうであれ、一歩大学の外に出れば、

岡山弁のシャワーが存分に浴びられるはずだ。

健闘を祈る

 下は3日前に岡山の滕碧霞(とう へきか)さんから来たメール。

 

先生、お久しぶりです。お元気ですか。

日本に来てからもう半月になりました。

前はずっと学校の外で泊まって、インターネットに接続できませんでした。

今日、学校の寮に引越ししました。寮の環境はとても良いです。

独立の台所と浴室が付いています。

 

日本に来てただ半月ですが、この十数日はわたしにとって、

数年間も中国を離れている感じがあります。

まだアルバイトしていない私には、日本て生活するのがとても難しい。

 

日本語学科の学生として日本の高い物価が知っていましたけれど、

今、日本に来て自分の身で体験したあと、本当に驚きました。

1/2玉のキャベツは68円、

インターネットでその値段を母に伝えたとき、母もびっくりしました。

その値段は中国にいると2玉キャベツが買えるかもしれません。

ある友達がsoft bankで iphone5cを買いました。

しかし、彼女は携帯カバーがほしかったので、

店員さんにその中国で普通に見えるカバ―を聞きました。店員さんは

「1800円です、それに24か月ローンで払えますよ」

と答えました。この答えを聞いた彼女はすぐにあきらめました。

「中国で10元ぐらい買えるものはここで、1800円にする、高すぎるじゃないか」

と思いました。

 

 3月31日に、私はこうてんはんさんと王聡瑜さんと一緒に

住むところの周りにぶらぶら歩きました。

すぐに感じたのは静かすぎるです。

自転車と自動車がほとんどクラクションを鳴らしません。

もし、前の人が邪魔でも、後ろの車はゆっくり待っています。

それから、狭い道で向き合う車があれば、

クラクションも鳴らさなくて、ただ手をあげ、相手に意図を示します。

日本人の礼儀を感じました。

この場合は中国に発生すれば、すぐにもクラクションを鳴らします。

もし、悪い態度の運転手に会えば、喧嘩するかもしれません。

中国にはどこでもクラクションの音が聞けます。

日本の町に比べて、騒がしすぎます。

静かなところはいいですが、20年ずっとにぎやかな中国に生活した私、

さびしい気持ちが感じます。

 

 ところで、4月3日から今まで、2週間のパンと麺類を食べています。

外食はとてもお金かかるので、それから、麺料理はとてもかんたんで

、昼食と夕食が全部麺です。

日本の最も安い食べ物はおそらくパンと牛乳だと思います。

テレビで料理の広告を見ると、ただつばを飲み込ます。

このような私たち、かわいそうでしょう。

日本に留学している先輩たちは

「あなたたちの留学生活をまだ始まったばかりなので、

アルバイトが見つかったら、ここの生活にどんどん慣れられるよ」

と、私たちを励ましました。

そうですね、まだ時間がいっぱいあるので、

ここの生活にきっと慣れられると信じて、

毎日、やる気がいっぱい生きたほうがいいですね。

 

先生、急にこのようにめちゃくちゃのイーメールを書いて、本当にすみません。

メールの中で、きっと間違いところがいっぱいあります。

しかし、先生に私の気持ちと考えを伝えたいです。) 

 滕碧霞より

 

 

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「アニメの導きで日本留学決意ースピーチコンテスト(その7)」2014年4月18日(金)No.889

2014-04-18 21:54:55 | 中国事情

3年の王雅青さんは、今年9月から京都の大学に留学する希望を固め、

着々と準備している。

王さんに日本留学を決意させたものは何だろうか。

一人娘の王さんに日本への留学を許し、サポートしているご両親を思い、

思わず、私の母が生前言っていた、

「中国人は心が広いからね。来る者を拒まず、『朋友』と言って迎えるのさ」

という言葉が頭に浮かんだ。

留学が成功裡に実現するよう、

そして、日本での生活が彼女の世界観を広げるいい経験になるよう、

心から願う。

 

3年王雅青    「日本を理解し、好きになろうよ」

 

大学に入った当初、私は日本に特に好き嫌いがありませんでした。

しかし、友達のおかげで、私は日本に特別な感情を持つようになりました。

二年生の国慶節のとき、私は湖南省に行って、湖南大学に通っている友人に訪ねました。

彼女のルームメートの劉さんは、私は日本語を専攻していると聞いたら、

すぐ興奮して、叫びました。

「え?日本語?!私は日本のアニメが超好きなんだよ!」

「そうなの?実は私自身は日本語を勉強して以来、かえって日本のアニメを見ることが少なくなったの。」

「へえ?なんで?日本語は可愛いって思わない。日本語には五十音図があるそうだよね。

私は日本語を独学しているところだよ。」

「わー。劉さん、よく知ってるね。五十音図も分かってるって、すごいなー。」

私は本当にびっくりしました。

その時、私は日本語について改めて見直しました。

 

実は、大学に進学するとき、日本語は第一志望ではありませんでした。

一年生の時、日本語の勉強にずっと興味が欠如していたのは、

おそらく、他人に自分の専門を左右されたことに対する抵抗感だったかもしれません。

そのアニメ好きの友人と出会ってから、

私は日本語を真剣に勉強して、どんどん好きになってきました。

今に至っては日本に留学する決意まで固めているのです。

 

日本のことをよく理解するために、私は、よくインターネットを利用して、

その文化や国民精神を調べています。

そんな中から、日本人は自然をとても大切に守ろうとしているんだなあと気づき、感銘を受けました。

アニメ監督の宮崎駿は、「風の谷のナウシカ」「もののけ姫」など、

彼の映画の中でそのテーマを何度も取り上げていました。

 

中日の忌まわしい過去とは別に、私は日本の自然に胸を打たれたし、

日本人の純粋な自然観から考えさせられることはとても多いです。

日本人が自然に対して持っている畏敬の念と愛は、

私を含め、多くの中国人を感動させるものです。

だから、わたしはぜひ自分の目で生の日本を見たいのです。

両親も私は日本に留学したいということを寛容に受け入れ、サポートしてくれています。

 

愛をこめて、すべての恩讐を取り除こうとしている人たちが、中国にもたくさんいます。

同じ空の下、同じ地球の上で生きている者同士は、

互いに愛し合っていかねばならないでしょう。

いつまでも過去を引きずっていては、前へ一歩も歩けません。

自然の永遠の時間に対して、ヒトの命はただ瞬間的なものだと言えます。

だからこそ、「ただ今この時」を生きる私たち中日両国民の

安定した幸せを保つのが最も重要でしょう。

 

 

 

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「日本のアニメの絶大なちから―スピーチコンテスト(その6)」2014年4月17日(木)No.888

2014-04-17 21:20:51 | 中国事情

日本語教師の皆さんならご存じだろう。

日本語学科に入りたての不安そうな1年生に

♪アン、アン、アン、とっても大好き~ ドラえ~もん~♪

と歌った時、どれほど学生たちの表情がほぐれるかを。

「ちびまるこ」や「一休さん」「君を乗せて」とか、

アニメソングを歌えないと日本語教師は務まらないかもね(冗談です)。

ここ4年弱の南昌での日本語教師生活で、

日本のアニメの友好的パワーをつくづく感じてきた。

「ワン・ピース」「NARUTO」はもう古典になりそうなほど、

どんどん日本の新しいアニメを見ている中国の若者たちに、

日本語学科の3年生龚 良盈さんは次のように呼びかける。

 

 

 龚 良盈           [アニメを一緒に見よう]

 

日本のアニメ、誰でも一つは知っていますね。

例えば、『ドラえもん』や『千と千尋の神隠し』『となりのトトロ』など、

中国ではとても有名な日本のアニメですね。

私は小さい頃、弟がアニメが大好きなので、たくさんのアニメをよく一緒に見ていました。

でも、その時は日本のアニメだと全然知りませんでした。

実は、大学入学試験に合格して、現在の日本語学科に入って、

初めて、自分が見ていたアニメは日本人によるものだと知りました。

「ああ、私は何年も前にもう日本のアニメを見ていたんだ!」

と非常に驚きました。

大学の入学お祝いに来てくれた友だちは、

私の専門が日本語だと知ったとたん、みんな驚きあきれました。

「売国奴になるよ!」とからかう友人もいました。

「売国奴じゃないよ!あんたは何を知っているの?」

と言い返すと、

「日本人はばかだ!鬼畜だ!お前、南京大虐殺事件を忘れたのか?」

と言われ、

 「忘れるわけないじゃない!でも、どの国でも悪人もいれば、善人もいるでしょ?

それに、あんただって日本のアニメが好きでしょ?」

「そりゃそうだけど......」

「ね!私が日本語を勉強していることと、

あんたが日本のアニメが好きだということは、五十歩百歩だよ!」

と頑張って言い続けたこともあります。


大学に入るずっと以前、祖母から戦争時の残酷な事をいろいろ聞きました。

日本軍が農村にまで侵略してきた時、

農民はみんな山奥に逃げて、何日も隠れていました。

安心して眠るどころか食べ物さえありませんでした。

常に強い恐怖心と不安感が心の中にあって

毎日全く気力を持てずに過ごしていたそうです。

いつ、どこで自分の命を失うかも分からないのですから。                                                                     

それを聞いた時、私は(えっ、日本人はそんな怖い人間なの!)と思いました。

多くの中国の人々は、みんなそんな話を聞いています。

日本軍が中国に来ておこなった数々の行為を聞くと、

日本人を好きになれるはずもありません。

 

大学一年生の時、初めて日本人教師の授業を受けることになりました。

「日本人はどんな様子なの?女の教師か男の教師か?

鼻の下に髭があるの?厳しくて怖い教師なの?」

と、たくさんの疑問が頭に浮かんできました。

初めての授業の日、日本人の先生が教室に入ってきて、

にこにこと、私たちに挨拶して、…

それは、春風に顔を吹かれたような感じでした。

先生は、ときどき優しく、ときどきユーモアを交え、

とても面白い授業でした。

また、日本語コーナーでほかの日本人と交流する事もありました。

交流中、質問に辛抱強く答えてくれたり、

いろいろなアドバイスをしていただきました。

時間が経つにつれて、

私は心の中の氷がだんだん溶けていることに気づきました。

 

確かに歴史を忘れてはいけません。

しかし、先入観に捕われて、前進すべき道を間違えてもいけません。

前世代の恨みは前時代に眠らせたほうがいいと思います。

現在、中日両国は経済、文化などいろいろな面でお互いに依存し合っています。

私は中日間の友好関係がずっと保たれて欲しいと心から願っています。

また、中国には「匹夫も志を奪うべからず」という古い諺があります。

「特別に地位のない人間であっても、志を持っているのなら、

それに邁進(まいしん)すべきだ」という意味です。

私は、この諺に従い、学生として、周りの友達に

日本の良さを広く知ってもらうことが私の責任だ、と志を立てました。

日本のアニメは中国ではとても人気があるので、

私は友達にどんどん、こう声をかけます。

「ねえねえ、私と一緒に日本の面白いアニメをみようよ!」

中日友好平和の第一歩はまず、この一声からです!

 

 

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「ありのままの日本を伝える―スピーチコンテスト(その5)」2014年4月16日(水)No.887

2014-04-16 20:49:56 | 中国事情

 

なんかね。健気でたまらないんですよね。

子どもの頃から一面的な日本観を頭に叩き込まれて育った子たちが、

何の因果か日本語学科に入り、

(大学の調整によって希望してもいないのに配属されるケースが多い)、

それでも「学生は勉強が仕事だ」と、自分に言い聞かせて頑張り続けるうちに、

(おや、日本人や日本は今まで聞いていたのとずいぶん違うな)と気づき、

それが分かったからには、日本人に対する中国人のイメージを変えるために、

自分のできることから始めようと思います」

と、本当に真正面から真面目に考えるんですよね。

もし、そういう学生たちと毎日暮らしていると、

皆さんも、ココロが洗われるというか、

学生たちが可愛くてたまらなくなりますよ、きっと。



3年 楊文雅  「中日の平和―私のできること」


日本と聞いたら、みなさんが思い浮かべることはなんでしょうか。

アニメ、それとも日本の電気製品ですか。

恐らく、多くの中国人が思い出すのは、まず、「中日戦争」ではありませんか。

「日本人は悪い。」とよく言われます。

日本語を学ぶ前に、正確に言えば、日本語学科で日本人の先生を知るまでは、

私も、日本人に対してそういう悪いイメージを持っていました。

それにここだけの話ですが、初めて先生の授業を聞いた時も、私はビクビクしてたまりませんでした。

(やばい、きっと厳しい先生だ。どうしようかなあ、どうして日本語を選んでしまったのか、誰か助けてくれー。)

と心のなかで、何回も叫んでいました。

しかし、どんどん授業が進んでいくにつれて、先生の親しい微笑みに征服されている自分に気が付きました。

 

自分が実際に会った日本人は、みんなが言っている日本人と実に大きい違いがあります。

それが分かったからには、日本人に対する中国人のイメージを変えるために、

自分のできることから始めようと思います。

言語は心の架け橋だとよく言われますね。

この懸け橋があってこそ、交流が可能になります。

もし交流がなければ、一緒に明るい未来を築くこともできないでしょう。

交流こそが中日双方のしこりを溶かす一番重要なカギなのです。

実は、中国人は、特に農村に住んでいる人達は、日本に関する理解は非常に乏しいのです。

なぜなら、情報がテレビやインターネットに限られているからです。

これは客観性もなく、一面的な見方です。

 

若者は中国の未来の担い手であります。

大学生、特に日本語学科の私たちは心の扉を開き、歴史の問題を正視し、

積極的に交流活動を通し、視野を広げたいものです。

自分が見ているありのままの日本を国民に伝えて互いの理解を増進させなければなりません。

 

みなさんご存知のように、現在、日本のアニメ、例えば「ワンピース」は中国国内の子供たちに深く浸透し、

知らず知らずのうちに、プラスエネルギーという精神的な糧(かて)をもたらしています。

両国は戦争のために不愉快な過去もありますが、対立は一時のことで、平和と発展は主流です。

歴史は過去のものですから、歴史を忘れないように、しかし、大げさにしないように、

両国はその友好的な伝統を受け継ぎ、目を未来に向けていきたいものです。


「言葉の巨人、行動の侏儒」、すなわち、「口先だけで実行が伴わない」という悪癖を捨て去って、

先入観にとらわれず、中日平和のために頑張りましょう。

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「スミレ~落ち葉~柳~ツツジの道行」 2014年4月15日(火)No.886

2014-04-15 21:17:23 | 中国事情

スピーチコンテスト報告はちょっと一休み。

昨日、宿舎から外国語学院の資料室(執務室)まで草木の変化を感じつつ歩いた。

 

スミレが宿舎下で開花していた。

年々増えていくスミレ群。

下の写真をよく見たら、ミントのような葉のつき方をした草もある。

明日確認してみようっと(ミントだったらいいな)。

 

 

 

 

麦盧園は相変わらずクスノキの冬葉が毎日まいにちバラバラと落ち、

風でも吹こうものなら職員さんたちは本当にたいへんだ。

昨日は風のない穏やかな天気だったが、歩道の隅には掃き集められたはっぱの小山がそこここに。

授業中の時間帯なので、ほとんど学生の姿はない。

 

 

しだれ柳の緑が美しくなってきた東湖脇の歩道。

ヤマブキはもうとっくに散った。

8時前、ここは教科書を音読する学生たちの勉強の場だ。

山田記者も「おお~!」と感嘆の声を上げた、学生たちの勉学に励む光景が

毎朝ここで展開される。

 

外国語学院に咲いたツツジ。やはり一衣帯水の関係にある隣国同士だ。

植生の傾向は日本の関西地方ととても似通っている。

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「日本語を学ぶことそのものが中日友好だ―スピーチコンテスト(その4)」が2014年4月14日(月)No. 885

2014-04-14 20:55:48 | 中国事情

八一公園の日本語コーナーで他の大学の学生がこんなことを言っていた。

「大学の病院に行って、受付表に『日本語学科 ○○』と記名したら病院の職員が、

『何?日本語学科だって?あんた、将来スパイにでもなるの』と言った。

自分の後ろに並んでいた学生がそれを聞いて笑い、自分は顔から火が出るほど恥ずかしかった」

「私は何のミスも犯していないのに、こんな辱めを受けるのはおかしい」

いつもニコニコして何の屈託もなさそうな日本語を学ぶ学生たちの多くが、

こうした刺すような言葉を投げつけられている。

スピーチ大会のQAで

「嫌なことを言われたことはありますか。そんなとき、どうしますか」

と聞かれた2年生の盧さんは、

「売国奴になるぞ、とか言われたら、ずっと日本語でベラベラ喋ってやります。

すると、相手は黙ってしまいます」

と明るい笑顔で答えた。

日本語を学ぶ行為ものが攻撃の対象になる場面が、中国国内にはまだまだある。

しかし、学生たちは日本語学習を止めない。

学生たちは明るい。強い。元気だ。

それがウレシイ。 

 

2年 李雪  「江西財経大学学生からの平和への提言」

以前、会話の授業で先生から

「雪さんは中国語、韓国語、日本語、英語、四ヶ国語ができるでしょう。どの言語が一番好きですか?」

と聞かれました。

私がすぐに「日本語です」と答えると、先生もクラスメートたちも(へえ、意外だな)という顔をしていました。

たぶん、みんなは「私の母語である韓国語が一番好きです。」という答えを予想していたのでしょう。

どうして日本語がこんなに好きになったか自分でも不思議でしたが、今はその答えが分かったような気がします。

 

私は朝鮮族の出身で、東北地方生まれ、東北地方育ちで、周りは日本語が話せる人が大勢います。

子供時代から日本の食べ物や日本文化に触れ合ってきました。

祖母の得意料理は、何を隠そう天ぷらや焼きそばなどの日本料理ですし、

わたしは私で、日本のアニメとともに成長してきたと言えるぐらい、

ずっと、日本のアニメが大好きでした。

また、いつも富士山の写真や映像を見ては、日本の様子や日本人のことを想像していたものです。

私の子ども時代は、このように、日本や日本語に対して、とても親近感を抱く環境にありました。

 

大学に入って、偶然、専攻は日本語となりました。

これはきっと何かのご縁かな…と喜んで日本語の勉強を始めました。

勉強すればするほど楽しくて、日本語に対する情熱はますます燃え盛ってきました。

校内日本語コーナーで自信をつけた私は、

二年生の一学期、いよいよ、南昌市内の八一公園の日本語コーナーデビューを決意しました。

不安な気持ちより、どきどきわくわく、期待感で一杯でした。

そこでは、各大学の日本人の先生、会社員、留学生など、多くの日本の方と交流することができ、

日本語はもちろん、ほかの話題も盛りだくさんで、大変勉強になっています。

 

去年の夏休み、私は友達と一緒にソウルの景福宮に行きました。

その途中で、二人の日本人の女性に写真を撮ってくれるように頼まれたんです。

「お二人は、韓国人ですか。」

と聞かれて、

「いいえ、中国人です。韓国には旅行に来ました。」

と私が日本語で答え、短い時間でしたけどとても楽しかったんです。日本人と話す私を見た友達は、

「すごい!私も日本語を勉強したいな。ね、日本語、教えてくれない?」

と言って、とても、うらやましがっていました。

 

私はその日の楽しい出会いを、何度も反芻して、こう結論付けました。

(まったく知らない中国人と日本人が日本語を使って交流することで、お互いに理解し、心を伝え合う。

こんな楽しくてすごいことができるのも日本語学科の学生ならではのことだ。

これこそ、私たちが中日友好のためにできる最も大切な役目ではないだろうか)と。

 

私たちは政府の役人ではありません。

世界に影響を与えられる大人物でもありません。

中日歴史問題などの解決には大したことができませんが、

中日友好のことなら、私たちなりにできることがあります。

それは、中日両国をつなぐ橋になって、国民に両国の実情や相違を伝え、理解を深めることです。

この役目を果たすためのキーポイントは、とりあえず、日本語の実力です。

これから、もっと真剣に日本語を学び、もっと多くの日本の方とコミュニケーションをしあうこと。

私は、そう覚悟を決めて日々、勉強に励んでいます。  

ご清聴、ありがとうございました。


 

 

 

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「中国人が知っておくべきもう一つの歴史ースピーチコンテスト(その3)」2014年4月13日(日)No.884

2014-04-13 20:50:37 | 中国事情

スピーチコンテストなので、容赦なく順位が決まる。

が、今回、最優秀の譚松さんから10位までの得点差は、何と5.33ポイントしかない。

内容、表現ともに実力が伯仲しており、「聴かせるスピーチ」が多かった。

今日紹介する3年の朱芳瑋さんの「孫文と梅谷庄吉の話」は、歴史好きの私には嬉しかった。

梅谷庄吉の存在は日本でもそんなに広く知られていないのではないだろうか。

日本の皆さんでまだご存じない方がいらっしゃったら、

これをきっかけに、ぜひ、孫文と梅谷庄吉の関係を調べていただきたい。


[3年朱芳瑋さんのスピーチ] 

江西財経大学の学生から中日平和への提言


皆さん、こんにちは。朱芳いと申します。

「朱さんは日本語を勉強しているの、どうして?」

 大学に入学して以来、そんな質問をされることは何回もありましたが、

「そのどうしてって、いったいどう答えればいいのか」と、

いつも心の中でちょっと悩んでいました。というのも、特別な理由がないのです

実は日本語専攻を選ぶ時ですら、私は日本のことが全くわからないまま選んだのです。

ただ、女性としてひとつの外国語が身につけばいいだろうと思っていました。

たぶん、多くの中国人にとって日本語を学ぶのは特別なことで、かなり目立つでしょう。

でも、私は、日本語を選んだことを後悔していません


 

たいした理由もなく選んだ日本語学科でしたが、日本語を勉強してからというもの、

私は人生に新しい扉が開いたかのような感じがしています。

物事を見る視野が広くなり、心も広くなってきたような気がするのです。


三年前の私は、日本の社会はどんな社会か、日本人はどんな人か、

これらのようなことは頭の中に何の印象もありませんでした。

先生方や、日本のドラマや映画から、少しずつ少しずつ学ぶにつれて、

私は実感がじわじわと湧いてきました。

日本人ならではの労わりや思いやりの心にも敬服しております。

中国人の私たちは小さい頃から「歴史を忘れるな」と教育されるのですが、

私たちが知っている歴史はただ事実の中の一部分にすぎません。

その一部分の歴史だけに頼って、

「日本人は大嫌い」、「日本人は憎らしい」と言うのには無理があるでしょう。

どの時代でも、どの国の人たちでも戦争が好きなはずはありません。

 


最近、私は図書館で、『孫文と梅屋庄吉、辛亥革命を推進した日本人』という本を見かけ、

興味を引かれて一気に読んでしまいました。

読んでいるうちに、何度も何度も涙が出てきました。

百年前の梅屋庄吉は孫文に出会って、

「君が革命を起こせば、私は必ず資金で応援するよ」

という約束をしました。

その後、梅屋庄吉はその約束を生涯守って、自分の貴重な財産の大部分を寄付し、

辛亥革命に重要な役割を果たしました。

実は、梅屋庄吉だけでなく、中国の革命を援助してくださった日本人はたくさんいたそうです。

彼らは中国の革命者たちと「アジア民族の平等、独立、平和」という共通な目標を持ち、

国境を超えて中国の革命に力を尽くしました。

彼らと中国の革命者たちとの付き合いはまさに共通の志のある心の交流と言えるでしょう。

私は、その歴史の事実に感嘆してやみません。

そのような歴史も私たち中国人が知っておくべき歴史でしょう。


 

人と人との付き合いでは、やはり心の交流がもっとも大切だと、

孫文と梅屋庄吉は私たちに教えてくれます。

百年前の不穏な時代に置かれた先人たちにできことが、

平和な今の時代に生きている私たちにはどうしてできないでしょうか。

現代の中日平和のために、

国境を超えて、私たちは、必ず心の交流をし、友達になりましょう!

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