今月初め、「日本国憲法第九条にノーベル平和賞を!」の推薦が
ノルウェーのノーベル委員会で受理された。
この運動を始めた神奈川県の37歳の女性は
小学校2年生と1歳半の子どもを持つ主婦だという。
主婦とは、家庭外で正規の仕事に就いていない既婚女性の
社会的位置を表現する言葉であると認識している。
37歳と言えば、わが娘とほぼ同じ歳だ。
いや、わが娘だって捨てたもんじゃないけど、この女性は1人から始めて、
いろんな日本人に協力を呼びかけて実行委員会を立ち上げ、オスロに推薦状を送り、
とうとう、ノーベル委員会から「受理しました」という返事をもらった。
もちろん、ノーベル賞をもらったわけではなく、
ノーベル賞にノミネートされたということだが、この行動する力はいいね!
動機は、
「子どもはかわいい。戦争になったら世界中の子どもが泣く」
「ノーベル平和賞は、理想に向かって頑張っている人たちを応援する意味もある。
日本も9条の理想を実現できているとは言えないが、9条は受賞する価値がある」
と考えたから、という。
(なるほどな、change.orgで署名集めているのか。O.K.私も日本に帰ったら・・・)
と考えていた(中国からはアクセスできない)。
署名サイト(http://chn.ge/1bNX7Hb)
ところで、何という下品な者どもであろう。
この神奈川県の主婦を「偽物の市民」=「プロ市民」と呼んで、
その活動の足を引っ張り、陰口を言う、
根性の曲がったウルトラ愚か者たちがいるのだ。
主婦がしっかり考えて行動に移したら、「ニセ主婦」だの「ニセ市民」だの言うって、
それ「主婦」差別、並びに「市民」差別じゃないの?
この根性曲りどもの主張は、つまるところ
「主婦や市民というものは、ものを考えたり、行動したりできないアホだ」
と言っているに等しい。
その人たちは、自分が自分の意志で行動した経験がないからなのか、
意識を持って自発的に活動し、組織を作るにまで至った一市民(主婦)を、
組織の利害に踊らされている妄想信者のように述べるのだ。
(逆だよ、個人が組織を作ったんだよ。舞亜蚊)
また、その根性曲りたちは、自分の頭で考える人たちを排除し、
「考えないもんチーム」を作ろうと躍起になる特徴がある。
ここにきて、日本のある傾向を感じるのだ。
例えば中国では、もし、自分が深く考えない人間であっても、
考える人を排除しようとはしない。
どこまでも「人は人、自分は自分」である。
ある種の日本人の身内で固まるせこい意識には本当にくさくさする。
ものごとは、筋道を立てて考えたい。
一生懸命平和を求めて頑張る主婦の足を引っ張る者どもは、
あまりに、感情的で、排他的で、自己チュウで、情けないことこの上ない。