毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

南昌の大晦日       2010/12/31(金)  No.39

2010-12-31 22:21:52 | 中国事情
 朝からメチャクチャ忙しかった。私一人で寂しく過ごさせてはならじと、昼から学生達が大挙して押し寄せる事態になったからだ。何度も言うようだが、私は一人で過ごすことが全く苦にならない、と言うか一人が気楽で好きな人間だ。しかし、学生の気遣いは嬉しい。いつものカレーライス、サンドイッチ、トンカツ、友人が送ってくれたきな粉餅、冷凍餃子、冷凍アンマンというメニューで迎えた。

 大阪にいるとき、友人達の家に招かれて行くといつも手の込んだ手料理や手作りテーブル小物でもてなされた。手の込んだ料理は無理であるにしても、自分ができる手料理でもてなすことを常とするのは、友人達から教えられたことである。
中国では、全然そういうことはなく、むしろどこか美味しいレストランに連れて行ってご馳走する方が、もてなしとして上級の感がある、と学生の一人は言っていた。
きっと、この国でもそのうちに、下手でも時間をかけて一生懸命作った自作の料理の地位が上がる日が来ると思う。

 結局学生14人+老師1人=15人が来てくれた。当然椅子はなく、立食パーティーになった。
先日、「ドイツのように日本も謝罪してくれたら、両国の関係はもっとよくなる。」という文を書いた陳君も来たが、彼とはその話をするチャンスがなかった。しかし、終始にこやかな話ぶりで、日本国家と日本人は違うと考えているのかな、と思った。陳君は何かにつけて沈着冷静、大人っぽい。
 台所の立ち話で、他の学生(範さん、劉さん)に1995年の村山総理の謝罪を知っているか聞いたところ、知らなかった。1972年の田中角栄がちょっとそれに触れたことは知っている、とのこと。あと、日本人が「いろいろご迷惑をお掛けしました。」と言うが、中国語で「迷惑」は謝る言葉としては軽すぎるものだそうだ。(そうなのか~)と思った。辞書で調べると「迷惑(日本語)=麻煩(中国語)」だ。「煩わしい思いをさせて済まないね。」みたいな感じなのかな。

 年越しの晩なのに(だから?)、外ではガンガン、カラオケ大会の大音量と時折の花火で賑やかこの上ない。ひっそりと新年を迎えるのは不可能なようだ。聞けば、真夜中から朝まで爆竹を鳴らすかも知れないとのこと。それは春節だけでいいのに…。
中国で生まれ育つと、爆竹の臭いや音が大好きになるようだ。学生は誰一人、爆竹を嫌がる者はいなかった。ああ、静かに寝たい。
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日本在住の中国人たちの想い    2010/12/29(水)No.38

2010-12-29 08:42:08 | 中国事情
 「学生の手紙」の発端は、中国出身で中国残留日本人2世と結婚し、渡日して20年になる女性(原口さん;仮称)の文である。その文は、私が彼女に依頼して、日本語学科の大学生に宛てて書いてもらったものだ。日本と中国の両方を知っている人からのアドバイス(とりわけ同じ中国人からの提言)は、日本語を学ぶ学生にとって、きっと積極的な刺激になるだろうと考えたからである。

 私の考えが甘かったと思うところがある。
それは、原口さんが現在生活しているのは日本であり、日本の経済、社会その他諸々について、また個人的な経験にしても批判的なことは書けないかもしれないと思い至らなかったことだ。彼女は、帰国者2世の連れ合いとともに一生懸命働いて一戸建ての家も新築し、日本での生活を着々と築き上げてきた。
私からみれば、一人の大阪市民であり、近所の若い友人の一人だった。つまり、日本についての忌憚ない意見を書ける条件を持っていると、いつものように自分勝手に思い込んでしまった。

 彼女は、20年前に日本に来てからの苦労は一切書かなかった。書いたのは、日本に来て飛行機を降り立ったときの九州の町並みの美しさ、車が整然と走っている様子、日本の会社は「お客様は神様」を貫いていること、日本製品の品質の優れていること、そして最後に、中国製品はまだまだ甘い、製品への責任意識が足りない、次代のリーダー達よ、どうか頑張ってくれ、というものだった。

 今なら分かる。彼女が日本にまだまだ遠慮しているということが。
無理言って書いてもらったときも嫌な顔一つせずに、忙しい会社勤めと家事の合間を縫って、最大の難関「日本語で文章を書く」ということに立ち向かってくれた。彼女は、日本に来て以来、日本語を勉強するチャンスに恵まれなかった。数ヶ月間、長崎の帰国者センターで講習を受けたに過ぎない。九州から大阪に引っ越してきて、子育てが一段落した4年前、大阪YWCAにある「近畿中国帰国者支援交流センター」(略称:支援交流センター)の戸口に立ったのだ。

 当時週末だけそこで働いていた私は、彼女と出会ったとき、日本語文法以外のたくさんの質問を受けた。子どもの躾方、学習の補助はどのようにしたらいいか、塾はどんなところがいいか、PTAの会での話し方、職場の同僚との関係e.t.c. その時は怒濤のような質問に面食らったが、彼女は日本に来て以来、初めてそんなことを相談できる機会を得たのだった。(今まで、どれほど我慢して暮らしてはったんやろなあ)と思った。

 彼女は特別なケースではない。日本で暮らす外国人、とりわけアジア人、その中でもとりわけ中国人は苦労している。日本人の中国嫌いに心底傷ついている。しかし、「嫌なら中国に帰れば?」と言われても彼女ら、彼らは日本で暮らそうと思ってやってきたのだ。おめおめと引き下がれるものではない。
「故郷に錦を飾る」という言葉が日本にある。同じ言葉は中国にもあるのだ。歯を食いしばって頑張るしかない、と日々、孤独感の中で奮闘している彼女ら、彼らは、日本の近所の友だちを切望している。気心知れた友人がいる生活とそうでない生活を想像すれば、どれほどその願いが当たり前のことかが分かる。

 原口さん一家は、偶然にも私の住まいのごく近くに一戸建ての家を購入された。何回か遊びに行ったり来たりした。日本で暮らす外国人たちは、そんな普通の付き合いを望んでいるのではないだろうか。
原口さんが、「日本はね~、良いところもあるけど、ここがちょっとね~。」とか遠慮なく言えるようになるには、八っつん、クマさんのような人がご近所の長屋にいなくちゃだめなのだ。ここ、中国に来て、ミズ劉を始めとする中国の八っつあん、クマさんに助けられている私は心から思う。
 

 
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ある学生の手紙③      2010/12/28(火)   No.37

2010-12-28 20:20:40 | 中国事情
 このタイトルの「ある学生の手紙」を読んだのが一週間前だった。その文を読んだとき、(そうだった、私はこの学生に応えるために来たんだ。あまりに素直で教師を立てる学生達と共に過ごしていたから、うっかり忘れるところだった)と安穏と過ごしてきた自分の甘さに冷や汗をかいた。
下が私の目を覚まさせた手紙である。


「原口さんへ」(王○○)
 原口さん、こんにちは。私は王○○と申します。今までもう2年半日本語を習っています。が、まだまだ下手に加え、もともとすばらしい表現力を持っている人ではないので、不適切なことがあればどうかご勘弁ください。
 現に最初大学に入ったばかりのことを思い出したら、本当に懐かしいです。その時は、何も思わずいつも日本語の勉強に取り組んでいて、正直に言えば、充実した一年間を過ごしました。でもそのような生活は一旦去って、二度と戻っていないです。
 いつからかは分かりませんが、中日間の歴史問題が非常に気になっています。(言わなくても貴方は知っているでしょう。)このことが頭の中に何度も何度も浮かびます。これについて日本語を嫌がる気がします。大変なことに、この問題を考えれば考えるほど、ますます日本語を習いたくなくなります。すごく悩んでいます。
 貴方の手紙の中に書いてある日本人の仕事に対する責任感のことには、私は反対する意見はありません。でも、それは狭い責任感だと思います。他国にこの上ない酷い罪を犯したのに、事実を承認する勇気もない民族は本当に責任感があるとは、絶対言えないじゃないですか。
 実は1972年に中日国交を樹立した際に、条件として日本は再び靖国神社を参拝しないと日本の中曽根首相は承諾しました。【註:田中角栄の間違いでは?ブルーはーと】 でも、橋本龍太郎はこの約束を破りました。これは信用と言えますか?!
 でも、これは完全に日本人を否定するのではありません。ただ、日本人は中国人に対するその辛い歴史について、中国人に謝るべきだと思います。同じ事を何でドイツ人ができるのに、日本人ができないのか?
 けど、中国人が日本人から仕事の真面目な態度を教わるべきだということには賛成です。
 貴方の手紙の中で、中国の映画の中で(日本に対しての)マイナスの宣伝のことを言い及ぼすことがありますね。それは二つの原因があると思います。一つは交流不足のせいです。これは時間がかかると思います。でも、これは最も重要な原因ではありません。何よりも、60数年前日本人が中国人に犯した罪がこの上なく深いせいです。もし日本人が本気で罪を謝れば、状況は少なくとも少しずつ変わるでしょう。ここまで言うまでもなく、私は中国人として日本人をまだ許していないです。
 この手紙はタナカ先生にも見えると知っていますが、隠したいことはない。(実はこれについて、心の中では長くためらっていた。)もし、原口さん、或いはタナカ先生が私を説得して私の観念を変えられれば私も楽になります。それでしたらこのことについて悩むことはなくなるからです。



 初め、これを読んだとき、(中国では、1995年8月の村山総理大臣の談話は伝わっていないのだろうか?)と疑問に思った。当時、村山総理の「謝罪声明」を聞いて、私はかなりホッとした記憶がある。(やっぱり社会党が政権取ると良いことがあるわ)とも思った。それまでは、政府が謝罪していないので、アジアの人々に対して申し訳なくて、心中いつもペコペコしていなければならなかった。ようやく顔を上げて挨拶ができるような気持ちだった。なので、この謝罪事実が伝わっているのか、いないのかは私にとっては重要だ。最後の授業があった今日、さりげなく王○○君のノートに、「日本歴代閣僚の謝罪発言」(ウイキペディア)を挟んで返した。そして、ノートには私個人の「日本人の一人としての謝罪文」も添えた。
中国人は日本人が思っているほど“何回も何回も謝られた”とは思っていない。というか、一回も謝ってもらっていないと思っている。このズレはどうして生じるのだろう。
 “心から謝罪されていない”と思うのも当然に見えることが一つある。この間、ネットで中国関係の事件などへの書き込みを見ると、その多くがあまりにも感情的で、非論理的で、そして下品な非難に終始している。これはどう考えても、組織的に右翼がネットで市民を装って宣伝活動をしているとしか思えない。しかし、そう分かるのは日本人だからだ。中国の学生達はネットを見て、日本の一般市民がみんな中国人を「礼儀知らずで嘘つきで社会的に洗練されていない粗野な国民」だと信じているんだなあ、と思ってしまう。そしてたちまち「あんな酷いことをしておきながら、どの面下げてそれだけ偉そうにできるのか!」とはらわたが煮えくりかえるのだ。あの右翼の唾棄すべき宣伝を無力化するようにするにはどうしたらいいのか。
あのネット右翼の発言に、(へえ、みんなそう考えてるのか~。そう言われたらそうだなあ。)なんて思う人もいるんじゃないだろうか。帰属意識が強く、多数の意見に従い、角を立てずつつがなく暮らす態度が日本人の傾向として現存している限り、右翼の「多数の市民装い」活動は続くのだろう。
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宿舎でクリスマスパーティー      2010/12/26(日) No.36

2010-12-26 19:28:31 | 中国事情
 また明日、と言いながら昨日はブログを休んでしまった。

 実は、昨日25日は、2年生が7人買い物袋を抱えてやって来て、本場?中国料理を作ってくれ、楽しいクリスマス会をして大いに盛り上がり、その後掃除して寝てしまったという次第なのです。

 彼らの作った料理は全部で6種!ちゃっちゃと4種の炒め物を作り、次にメインディッシュの鯉か何かの揚げ煮、そして最後に数分でスープを仕上げル手際の良さ。どれもこれも、一定の水準をクリアした味で、本当に舌を巻く実力だった。特に、魚の揚げ煮は見事としか言いようがない美味しさ!しかもそれを作った19歳の男の子、劉鶴さんは「いや~、初めて作ったけど、味どうかなあ。」なんて言うので驚いた。皆、家でご飯のしたくをしたり親が料理しているのを見て覚えたとのこと。一人っ子でも、両親共働きでけっこう家の手伝いをしている子たちが多い。「省によっても、ずいぶん違います。浙江省はお金持ちが多いので、食事の支度をしたことがない子も多いと思う。江西省はあまり豊かではありません。」とある学生が言っていた。
 私も手をこまねいてばかりいたわけではない。授業で「サンドイッチ」という単語が出てきたが、誰も食べたことがないというので、数日前からマヨネーズまで手作りし、サンドイッチ用食パンが売られているはずもないので、自分でトースト用食パンを薄く切り、卵サンドイッチを振る舞った。飾りにブロッコリーの塩ゆでを添えたら、「これ、食べられるんですか~?」とおそるおそる口に…。サンドイッチはすぐになくなったけど、ブロッコリーは減りませんでした…。ここ南昌では、野菜はとにかく炒める、ひたすら炒める、といった料理が99%を占める。
 
 さて、クリスマスと言っても、近年若者が広めつつあるお楽しみ節(ジエ)で、平安夜とも言い、リンゴ(中国語でピングオ)を食べたりするそうだ。平安の平とピングオのピンは同じ発音だからだそうだ。なるほどね~。でも、江西省のリンゴは堅くてえ~、いくら「fuji」とか書いてあっても全く異質な味なので私は要らない。リンゴをもらったら必ずシナモンと砂糖で煮林檎にしてしまう。
 24日夕方、スーパーに買い物に行くと、大学生たちがパーティー用の食品やGOODSを買う姿が多く見られた。レジでは、私の前に並んでいた小さな子ども連れのお父さんが、プラスチックの小さなクリスマスツリーを買っていた。子どもはこの国では、本当に愛され、可愛がられて育っている。ここ南昌ののお父さん、お母さん達が子どもを見る表情は、いつ見てもどこで見ても同じ。最大限の愛で溢れている。

 2年生達は私は外国人なので、クリスマスを一人で過ごすのはきっと寂しいだろうと気を遣って訪問してくれたのだが、「日本にいても一人なので、そんなに変わらないから~。」とつい、要らんことを言ってしまう。ま、でも彼らの明るい表情を見ていると、中日関係の冷え込みも遠い世界のことのように思えて、束の間心穏やかに過ごすことができた。

P.S. その魚の煮たのを今朝まで残して置いたら、なんと煮こごりができていて、泣くほど感動しつついただいた。江西省には川魚しか売られていないので、(私には調理は無理だな)と思っていたが、昨日の19歳の少年に負けてはいられない!日本に帰るまでにマスターするぞ~~!
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ある学生の手紙②     2010/12/24(金) No.35

2010-12-24 21:28:39 | 中国事情
 日本が随や唐の時代から中国の技術や文化を取り入れ、発展してきたという史実は、日中友好の会で枕詞のように語られる。日中近現代史についても「両国の不幸な歴史」とか「両国民の間に今なお残る傷」といった言葉で、さらりと触れる場合もある。
しかし、現在の日中関係はそのような言葉でお茶を濁すには、ギスギスし過ぎている。日本人で中国好きな人は10%未満だとか聞こえてくる。日本語学科の学生達が、日々、日本語を学びながら心中穏やかではないのも当然だ。
 日本では、逆に中国人全員が(日本人なんか死ねばいいのに。)と思っているかのように伝わっているのではないだろうか。
 その意味では、この大学生達の生の言葉は、貴重だ。今回は気合いを入れてたくさんの学生の声を日本の皆さんに届けたいと思う。内容は昨日の続きで、日本暮らし20年になる中国東北地方出身の女性(原口さん:仮称)の手紙に対する返事だ。

 (陳 ○○)
 原口さん、こんにちは。
私たちは原口さんの手紙をいただいた後、南昌の初雪を迎えました。日本も寒くなるでしょう。わざわざ私たちのためにお手紙を下さってどうもありがとうございました。
 原口さんの手紙を通じて、私はいろいろ勉強になりました。原口さんがおっしゃったとおり、中国、あるいは中国人はいくつかの欠点があります。最近、私は日本語に訳された「醜い中国人」という本を読んでいます。著者柏楊さんは、中国人のある醜さを深刻に、厳しく指摘していた。私は読みながら驚きつつ共鳴があります。原口さんはもともと中国人です。今は日本で生活しているので、中日間の比較はよくできます。私は今、大学生としても、中国に存在する欠陥を痛感しています。
 ところが、私はちょっと話したいことがあります。確かに以前、中国は日本に対してマイナスの宣伝がありました。これは政治にも関係があるでしょう。日本は、中国を侵略し無残なことをしていた。原口さんは、以前東北人としてよく知っているはずです。もし、日本がドイツのように、自国の犯した罪を深刻に認めれば、中日の交流は一層発展できると思います。
 今の中国では、日本へのマイナスの宣伝が少なくなった一方、日本では中国に関わる宣伝はどうですか。
 確かに日本は、今の中国より優れたところが多いです。日本製品の品質、日本企業の管理技術、そして日本人の几帳面さ……。中国はいろいろ日本に学ばなければならないことが山ほど持っています。
 しかし、今中国は発展途上国です。中国は真っ暗な歴史があります。様々な原因で今の中国はまだ幼いです。でも必ず数年後、でなければ数十年後、中国は私たちの本当の誇りになります。原口さん同様、私たちも確信しています。
 私は日本に関心を持っています。原口さんがおっしゃった仕事に対する責任感、意欲、几帳面さは本当に貴重で、不可欠なものだとおもっています。原田さんのお手紙を拝見した後、私は自身の責任感が以前より強くなりました。これから私は必ず自覚を持って、自分の国の発展に心を込めて努力します。
 原口さんはもしご都合がよろしければ、是非中国にいらっしゃって観光してください。その時、私たちがご案内いたします。


 (○ 穎子)
 原口さんこんにちは。
私は○穎子と申します。日本語学科の三年生ですが、日本語はまだまだです。自分が自分の言いたいことを正確に日本語で表すことができるか自信がないので、今ちょっと緊張しています。
 あなたの手紙を読んだあと、私はいろいろ考えています。まさかあなたと中国がそんなに深い関係にあるとは思わなかった。あなたの経験は私より多く、私はもっと聞きたいです。
 この頃中日関係は、ちょっと微妙な時期です。我々日本語学科の学生についても、もっと厳しくなるかも知れません。私は日本国民は優秀で、特にものごとに対する真面目さは、必ず学ぶべきだと思っています。中日関係の明るい明日を待っています。


 (黄 ○○)
 原口さん、今晩は。
私は黄○○と申します。作文の授業で先生が原口さんからの手紙を読んでくれたから、何か悲しい気持ちが胸に溢れてきました。この気持ちを日本語でどう表したらいいかよく分かりません。
 二十歳の私は、今、日本語学科の三年生で、今までたいしたことはやって来なくて、ただ学校で自分の専攻を勉強しています。お金がないせいで、外国へ行ったことはもちろん、国内での旅行もほとんどありません。外国人は一体我々中国人にどんな考えを持っているのかがよく分かりません。インターネットでいつも中国人のマイナス面についての記事は探せますが、やはり自分の耳でそのことを聞かないと信じられません。
 小さい頃から中国人としてのプライドと誇りが高いですから。もともとは中国人である原口さんが、我々の民族に客観的に評する事ができるのに感心します。
私の高中時代の友だちがフランスに留学しています。今年の夏休みに彼女は一時帰国しました。彼女は留学してから初めて中国人の素質が悪いと分かったと話しました。
 飛行機の中で、ずっと騒いでいる乗客は中国人だと言いました。フランス人はあまり中国人のことが好きではありません。彼女自身も不愉快なことを経験しました。しつけがよい彼女がフランス人と話したとき、相手は「あなたは日本人ですか。」と聞きました。「いいえ、私は中国人です。」と彼女が答えました。相手は、しばらく彼女を見て何も言わずに離れました。フランスの人たちは日本人を除いて他のアジア人が好きではないと、彼女はそう言いました。その情報を聞いたとき、私もビックリしました。心が何か傷つけられたようでした。
 確かに近年中国経済はめざましく発展しています。しかし、経済の発展と共に中国の精神文明も同じスピードで発展しているとは言えません。今の中国は二十年、三十年前の日本と同じようです。多分五十年前の日本だったかも知れません。
 タナカ先生はこの間、私たちに学校の問題についてレポートを書かせて、うちのクラスメートが一番関心が多かったのは環境問題でした。それに対して先生がいくつかの対策を出しました。彼女は私たちに過去の日本のことを紹介しました。その時私はとても恥ずかしく思いました。なぜかというと、十五年ほども教育を受けた私たち大学生は、環境意識がわりにありませんでした。いつも社会文明が発達している先進国のことが羨ましいと感嘆するばかりで、自分自身の不足を改善するつもりは全然ありません。これは大学生の問題だけでなく、全ての中国人の問題です。これから我々中国人が自分の認識を高めなければなりません。そうしないと…。
 先日私は友だちから航空便をもらいました。中身は日本のインスタント食品です。私はお菓子を食べたとき、ちゃんとその包装をみてみました。包装にはとても詳しい情報が書かれています。初めて「お客様が神様だ」と感じました。近年、中国のビジネスもこのスローガンを唱えています。しかし、サービスはやはりちょっと…。
 といっても、中国のビジネスを批判しすぎることはできないと思います。中国経済がものすごい勢いで発展していることは事実です。ところが、今日の中国の市場経済は欧米のように十分に発達してはいません。問題が出るのは避けられません。
 原口さんがおっしゃったように、私たちは中国の将来に責任を持つ世代です。
 これからはよくがんばらなければなりません。『為中国(山屈)起而読書。」何十年か前、周恩来はそう言いました。今の私は中国の誇りのために勉強しています。
 それでは、今日はここまで。お体をお大事に。
                       南昌 黄○○ 拝


 ここ数日、彼らの手紙文を読み、心が波立っている。もう少し、みなさんもおつきあいください。明日に続く…。
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ある学生の手紙①          2010/12/23(木) No.34

2010-12-23 22:17:21 | 中国事情
 中国に来て、初めて歴史問題(第2次世界大戦下での日本軍が中国国民に犯した犯罪行為)に触れる書簡をもらった。といっても直接私にあてたものではない。

 こちらに来る前、(中国からの)帰国者2世と結婚し、20年前日本に渡ってきた中国人女性に自分の経験などを書いてくれるようお願いした。中国のの大学生に読んでもらおうと思ったのだ。
彼女は父の反対を押し切って夫の国日本に渡ってきた時の不安な気持ち、秩序正しい日本の印象、日本の会社で働く者としての体験、知人の話などを通じて、日本の会社の製品の良さとそれを実現している日本人の品質保証への責任感を書いてくれた。さらに、中国製品がまだまだ品質では世界のレベルに到達していない現実に触れ、品質において誇りが持てる中国製品を供給できるよう、次代のリーダー達は頑張って欲しいと結んであった。
 日本人が不用意に言うことはできない内容だ。中国出身とは言っても、日本で20年も暮らしている人に対する反発があるかも知れないとも思った。なので、この手紙を読んでもらうにはある程度学生達と親しく?なる時間を必要とした。

 先週の3年日本語作文の時間に、いよいよ彼女の手紙を読んだ。もう残された授業時数は限られている。打って出ようと思ったのだ。読んだ後、彼女の手紙への返事を書く課題を出した。
返事の多くは次のような賛同を表すものだった。

(○ △林)
 こんにちは。私は日本語学科の○△林です。あなたの手紙を読みました。あなたの考えに大変賛成です。我々中国人は、大体真面目ではない。その原因は古くからの観念だと思います。中国では「細かいことはほっとけ。」(不拘小節)という諺があります。商品そのものに対して、細かい部分の品質はどうでもいいという気がします。
そして、商品の生産コストが低くて値段が安いということに加えて、中国製品は品質が悪いという印象があります。私はあなたと同じ、この観念(不拘小節)を貫いて商品を生産するのは大間違いです。今は、経済全地球化という時代です。同じ商品を生産する企業は多い。競争は激しい。お客様に選ばれる一番大事なことは品質です。つまり、競争の中で商品の品質は勝ちを制するのです。
 これから私たちは、中国経済の推進力となり、様々な商品を生産します。私たちはきちんと責任を取る。必ず力を尽くして品質を高めるために頑張ろうと思います。


 (○旭)
私は○旭と申します。今、日本語を勉強してもう3年間たった。でも私の日本語はへたです。もし、ミスがあれば本当に申し訳ございません。お手紙を拝見したとき、私はあなたの考えに賛成です。
 あなたが日本へ行ったときの気持ちは、私も感じた。私は内モンゴル人です。南昌に来たとき、私は南昌人の話は全然分からなかった。それから、南昌の天気はいつも悪い。夏になると、天気が暑すぎて、冬はとても寒い。私はその時我慢できなかった。大変困った。でも、今、私は南昌で暮らすのは3年間になります。大分慣れました。
 民族によって人格と民族精神が違います。中国と日本は二つの違う民族。だから中国人と日本人の生活態度は本当に違います。日本人は真面目な人ですが、中国人は真面目ではありません。商品生産に対して、日本では悪い商品があれば、メーカーは消費者に電話をかけたり、謝ったりします。でも、中国では、そんなことは少ししかない。大部分の中国のメーカーは、生産するしかない。他のことは関係ないと思います。今、私たちはこの誤りを知っています。このミスについて色々な答えを行う。当代の大学生として、私たちの責任は大きい。それから、私たちは必ずよく勉強します。



 長くなったので、続きはまた明日ね~~
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日中の板挟み-日本語学科の学生たち    2010/12/22(水) No.33

2010-12-22 18:38:10 | 中国事情
 ここ南昌でも、11月中旬に反日パレードがあったようだ。「ようだ」というのは本当にあったかどうか確かめていないので分からないからだ。
 後で学生に聞いた話だが、私の勤務する大学では全学生に対して参加しないように通達があったとのこと。
そのパレードの前に、ある日本語学科の学生に高校時代の同級生からメールが来た。話題は反日パレード(こちらではデモとは言わない)のことだったが、「ああ、でも君は日本語学科の学生だったね~。」と締めくくってあったそうだ。それを受け取った子は、泣いた。
 日中関係がぎくしゃくすると、たちまち困るのは彼らだ。日本と友好関係を築くために政府は大学に日本語学科を設置し学生を募集した。だから、学生たちは学びに大学に来たのだ。いわば両国の架け橋となる存在だ。親達にとってたいへんな学費の負担も、学生達が将来日中友好の担い手として活躍するようになれば報われるというものだ。
 しかし、今のように、両国のメディアがそれぞれ自国のみが正しく、相手国がどれほどせこいかといったキャンペーンを行うと、両国の架け橋的存在は「非国民」になってしまう。日本のアニメで育ち、日本が好きな日本語学科の子達だって、人一倍自分の国を愛しているし、中国人としての誇りを持っている。
一年生のときは何も考えずに、楽しく日本語学習に打ち込んでいた学生の中には現在、日本語を学ぶことが苦痛になっている子もいる。日本人が六十数年前に行ったことを許すことができない、と書くその子の胸の内も想像できないわけではない。

 ふっと「もののけ姫」の映画のイノシシ(「おっことぬし」だったかな)を思い出した。あのイノシシには、映画の中でもっとも共感を覚えたものだ。破壊され、暴掠された山の主、イノシシたちは全身を怒りで燃え立たせ、勝てない闘い=正面突破戦に決起する。その過程でイノシシのリーダー、「おっことぬし」は、あまりにも深い絶望的怒りと憎しみのために、精神も身体も変化してしまうというものだったと記憶している。
 日本語を勉強することが苦痛だ、と書く学生と「おっことぬし」が重なってしまう。加えて、いくらインターネットが広まったとは言え、この情報コントロールの中で、多角的視点からものごとを冷静に考えることは簡単ではない。日本社会も同様だ。テレビだけ見て(そうか~)なんて考えていたらとんでもないところに連れて行かれる。

 だから、だから~!メル友大作戦にみんな参加してよね!一人ひとりが知り合い、話し合い、仲良くなる。こんなことしか提案できないけど、大きくてヘンな力に翻弄されないために、自分のできることから始めようじゃないですか。
賛同者をまだまだ募っています。 nijinokanata_2*yahoo.co.jpまで! (*に@を入れてね
 
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コーヒー飲みながら作文添削           2010/12/21(火)  No.32

2010-12-21 19:24:20 | 中国事情
 直径3cmほどの江西省特産ミカン。とても小さいが甘くて美味しい。
このミカンとコーヒーをいただきながら3年生の作文添削に取りかかる。今日の作文タイトルは「私の趣味」。多くの学生が「読書」「アニメ」「音楽」「映画」などを挙げていた。「ゲーム」も数人。その中から数人の作文を紹介しよう。
(学生本人達もこのブログを見たがっているが、GOOブログにすら行き着くことができないそうだ)


  「私の趣味」 黄 ○
 「あなたの趣味はなんですか。」とよく聞かれる。私にとって、この質問に答えるのは意外にむずかしい。それは趣味がたくさんあって、全部言い出したら30分かかるかも知れないからだ。でも、その中で、最も好きなのはアニメを見ることだ。
 大学に入る前に私が知っていた簡単な日本語、例えば「おはよう」とか「愛してる」とか「ちょっと待って」とか、その全部は見ていたアニメから学んだものだ。ストーリーの発展にしたがって、自分も主人公とともに、いろいろなことを経験していたような気がする。我々はみんな普通の人間だが、アニメが放映されているこの30分だけ、現実の不快を忘れ、超能力を持って、地球を守るために悪い人たちと闘うことができる。
 これはある意味で、現実生活に対する積極的な態度を養っていると言えるだろう。


  「私の趣味」 郭 ○輝
 人生というのは笑顔と涙が組み合わされたものだ。誰でも幸せを欲しがるが、もし辛いことがあったらどうすればいいのか? その時、私は口笛を吹くことにしている。音楽は心を癒す効果があるとよく言われている。辛いときも、寂しいときも、口笛を吹くたび、心が暖かくなり、また自信を持つようになる。
 子どもの頃、お祖父さんから口笛を教えられた。最初は音を出すことしかできなかったが、しばらくすると曲も吹けるようになった。その後、私は毎日好きな曲を吹き続けていた。しかし、お祖父さんは再び口笛を吹くことはなかった。なぜかというと、きっと(私の孫は私を超えた)と思い込んでいたのだろう。
 彼が亡くなった今、辛いことはいっぱいあるが、「幸せは音楽に!」と私はそう思う。だから私の趣味は、口笛を吹くこと、幸せを探すことである。


  「私の趣味」 程 海○
 私は食べることや寝ることに趣味を持っている。
私は食べることが大好きだ。気持ちが悪いとき、私はものを食べる。気持ちが良いときにも、私はものを食べる。もし口が動かなかったら、全身の調子が悪いと感じている。
私は野菜や果物など、それぞれの味が好きだ。もしお金持ちになったら、全国に及ぶおいしい料理を全部食べてやる。これは私の夢です。
 私は美味しいものを食べるだけでなく、おいしい料理を作ることができる。自分で作った料理を食べているとき、いつも幸せに感じる。
 ほかの趣味は寝ることだ。私はときどき寝坊することがある。いつも寝てばかりいるゆえに、私は太っている。それにもかかわらず、寝る趣味は堅持している。

 他にも、「きれいな女の子と友だちになること」とか、「BL小説を読むこと」など、異色の趣味もあったが、読書好きが多いのが目立った。日頃から(この3年生はなぜこんなに思慮深いのか)と不思議なほどだったが、根拠が分かった気がした。やっぱ、本を読む子は考える力がある! 
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部屋が暖かい=カンドー的シアワセ  2010/12/19(日) No.31

2010-12-19 18:40:26 | 中国事情
 エアコンが甦った!
電気屋さんが来て、なんかチョイチョイとしているうちに、あらまあ、あったかい風がボ~と出てきたじゃないですか。
ああ、暖かい部屋は本当にほんとうにいいなあ…。
 プリペイド方式の電気代もバ~ンと500元払ったし、もう怖い物なし!贅沢して今日は書斎のエアコンフル稼働の一日だ。
昼ご飯も夕ご飯も、この書斎に持ってきて食べた。2回ともクリームシチューの残り物だが、暖かい部屋で食べられるのだ。取りあえず何でもいい。そして日本から送ってもらった薫り高いコーヒーをいただく。この宿舎で暮らし始めて以来、部屋に関してこんなに充足感を覚えたことはなかった。
 暖かい部屋にいると、なんか人間扱いされている気がするんだよね~。ここ数日やたら腹が立ったのは、寒さに追い詰められた私の内部の人間的なるものの叫びだったのかも。
 エアコンに加え、足下にはこの間買った扇風機型電気ストーブもつけてある。ロシアの長靴よ、さようなら~
 
 そうそう、ここ江西省は蜜柑が美味しいことでも有名だ。最近スーパーに出回っているミカンの中に、とても小さい種類のがある。日本の金柑程度の大きさだが、形は蜜柑だ。それを皿ごと書斎に運び、一口サイズの蜜柑も食べる。南昌のシアワセな冬の一日である。 
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中国~日本格安チケット購入      2010/12/18(土) No.30

2010-12-18 17:04:12 | 中国事情
 二日前、例によって突然二学期の開始日がメールで送られてきた。今まで誰に何回聞いても曖昧な返事しかなかったのは、年間計画が決まっていなかったからだ。ここでも(なぜ?WHY?ウイシェマ?そんな大雑把なことすら決めておけないのか)と疑問が沸々とわき起こるが、答えはいつもの通り、「ここは中国だから。」である。

 2学期は2月19日(土曜日)から始まるそうだ。(土曜日から始めるなんて…)と愚痴を言うのは止めだ。切りがない。
 以前は「多分2月一杯が冬休みでしょう。」と助教の老師から言われていたが、1週間以上も早まる。ということは、早く飛行機のチケットを確保しなければならないということだ。

 空港までの送迎は大学の国際交流與合作処(外国人教師のためのオフィス)が、してくれるそうだ。この送迎も各学校によってあったりなかったりで、近所の農大の先生は自力で行き来している。初めは自分もそうしなければならないと思い込んで焦っていた。何しろここに来て3ヶ月半、宿舎と学校の往復か、市内の日本語コーナーにまっしぐらかの直線コース暮らしで、右も左もサッパリ分からないのだ。しかし別の大学の先生から、いつも送迎してもらっていると聞き、オフィスに確認すると、ああ、なんてラッキーなんでしょう!無料の送迎バンが出るのです~。

 一つは解決した。次は問題のチケット購入だ。助教の先生にお任せしているという日本語教師の先輩の言葉を聞いて、早速我が助教のシンペイ先生に「あの~、どこで買えばいいか分からないので~、お助けを~。」と言いかけると、「ぼくもあんまり分からないんです。それもオフィスで聞けばどうですか。」とのこと。
 そっか~。彼はあまり飛行機で旅行したことがないようだ。そう言えば、今年の上海万博について「日本からいらしたら、ぜひ上海で万博を見てから南昌に来てください。」などと人に勧めていたくせに、「シンペイ先生は夏休みに見に行ったんですか。」と聞くと、「いいえ、行きませんよ。あんな人ばかりたくさんいるところ。」などときっぱり否定した。夏はどこへも出掛けず、もっぱら近所の公園に子どもと散歩に行く日々だったそうだ。「中国人はみんな旅行好き」というステレオタイプの考えもここでまたストップだ。ところで「日本人はみなカメラを持って集団で歩く」というハンコを押したような考えはまだ通用しているのかしら。最近は単独行動の日本人が多いと思うが。

 チケット購入の話だった。自分でネット購入できないか調べた。偶然「旅悟空」という、格安航空券を中国に居ながらにして買える旅行会社のサイトを見つけた。日本人と中国人スタッフがいて、日本語でメールのやりとりができる。とてもありがたい。(しかし、マニュアル以外のメール文はかなり考えなければ理解できなかった!担当の徐さん、「が」と「は」の使い方が逆ですよ~!)
 代金は一ヶ月以内の往復を条件に全部で3710元だ。日本語教師の先輩は4300元で購入したとのこと。比べると安い!早速申し込んだ。「旅悟空」は上海に拠点があり、上海在住の人には様々な支払いの選択肢があるが、ここ内陸の地方都市には代理店も何もない。支払い方法はオンラインペイメントか銀行振り込みが現実的だ。
 私はオンラインで払おうとした。寒い外に出掛けなくても払えるのは魅力だ。しかし何度トライしても会社指定のサーバーにたどり着けない。パソコンのセキュリティ関係を緩やかにし、設定もいじくったのにどうしてもだめだった。昨夜申し込んだばかりなのに支払期日は、今朝の10時までだという。しかも今日は土曜日!銀行なんか閉まってるやろ!この時間設定は日本では通用しないと思う。客が腹を立てるに決まっている。日本では客の地位は高いのだ。

 今朝私はガバッと起きて、宿舎の近くの中国銀行に行き、ATMで振り込もうと決めた。中国のATMはあまりに不親切なので苦手だ。毎月給料を引き出すときだけ使っているが、一度に最大800元しか引き出せない。それ以上の金額も手動で出てくるが、残高レシートが必要かどうかの表示も自分でどこかボタンを押して初めて「必要ですか~?」と出てくる。全く馴染めない。とどめに音声がまたやたらでかい!
 しかし、行ってみると奇跡のように銀行が開いているではないか!中国の銀行は土曜日もやっているんだ。知らなかったわあ。そこであ~やこ~や、英語と中国語のメチャクチャ会話で「振り込めた~!」と思ったら、土曜日は旅悟空の会社口座がしまっているから、だめだそうだ。「公司」「没有」「MONDAY!」とひたすら銀行員が連呼する。(月曜日に振り込むようにしてくれるんだな)と思い宿舎に戻った。
 結論から言えば、帰宅直後、「旅悟空」の日本人スタッフから電話がかかって来て、クレジットカード決済ができた。銀行の手数料は1%、こちらは3%でちょっともったいなかったが、早くしなければ月曜日は搭乗日の28日以内になるので、飛行機代がまた変わってしまうと言う。(安くなる可能性もあるのでは?)とけちくさく推理したものの、自分も早く確定したかったので3%を飲むことにした。3710元+3%の手数料=3821元。中国銀行だと3710元+1%の手数料=3747元。う~む、74元も多く取られた。ちなみに、中国3821元を日本円に換算すると約48,145円。74元は約932円だ。
安いんだか高いんだかサッパリ分からない。日本で暮らしていたときも金銭感覚は常識以下だった。中国に来て、急に冴えるわけがない…。と言うより、さらに訳分からんようになってしまった。
 というわけで、1月16日に一回日本に帰りま~す。
 
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どれもこれも壊れているエアコン     2010/12/17  No.29

2010-12-17 18:19:38 | 中国事情
 なんてキュートな電気ストーブ!
それでも無いよりずっとずっとマシなのである。私の仕事部屋である資料室にはエアコンが設置されている。されてはいるが動いたことは一度もない。「修理していただけないでしょうか。」と低姿勢で尋ねても、「絶対無理です。大学はこんなことにお金を出してくれません。」とシンペイ先生。驚いたことに、シンペイ先生達自身の日本語学科主任・副主任執務室にも暖房設備は何もないそうだ。そういえば9月にその部屋に入ったときも、古い扇風機がまわっていた。各事務室はわりと冷暖房設備が行き届いているので、老師たちは暖を取りに事務室に行っている様子だ。資料室の壁の壊れたエアコンは、事務室から廃棄寸前に払い下げしてもらったものだが、何年も前から全然機能していないとのこと。
 今回、資料室に貸し出してくれたこの小さな電気ストーブも、事務室の倉庫に眠っていたものらしい。設備の軽重のバランスは、明らかに教師室=軽、他の職員室=重となっている。文化大革命の名残だろうか。悪名高い図書館では、エアコン操作は職員の手にゆだねられており、学生の自習室は常に寒くて溜まらないので、こんなに寒くなると図書館では勉強ができず、寮の部屋で布団にくるまり、ゴロゴロするしかないのだそうだ。
 学生が寒くて勉強もできない図書館…。この寒さのせいか、見ること聞くこと一つひとつにムラムラと怒りがこみ上げる。

 寒いのでさっさと宿舎に帰った。宿舎にはエアコンが3台ある。他大学の先生達は「ええ~!いいですね~。」と羨ましがる。そりゃ3台もあるのはありがたいことだ。それがちゃんと使えたらね。3台中暖かい風が出てくるのはたった1台だけ。あとの2台は潰れかけで、決して暖かくない風が弱々しくホヨホヨと出てくるだけだ。今日、ミズ劉に見てもらった。「暖まるのには時間がかかる。3分は待たなければね。」と言うが、3分どころか1時間経っても同じホヨホヨ状態だ。ついにミズ劉も「これは壊れているわ。電話して来てもらうから。」と判断した。
 こちらに来てから、パソコン、テレビ、電灯、窓の鍵e.t.c.何回も修理してもらった。備え付けのデスクトップパソコンは、結局使わずほったらかし。パソコンの神様は「壁内部の配線に問題がある。」という。そんなことを聞いただけで嫌になる。テレビも何回かの修理のあと、「新しい」ものに換えてくれた。「新しい」の意味は「別の空き部屋の」という意味だ。電灯は交換した直後にまた切れた。この国の電気事情はどうなってんだ?

 昨日は怒りが治まらず、夜7時半に布団にもぐって本を読んで寝た。

P.S. プロフィールのペンギンさん達の肩に雪。ちょっとペンギンぽくなったような。
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南昌(ナンチャン)に雪が降る        2010/12/15(水)  No.28

2010-12-15 22:23:43 | 中国事情
予報通り、今日は雪だった。
 朝6時半に起きると外は冷たい雨プラス強い風で、その場に居合わせたら誰しも(ああ、引き籠もりた~い)と願ったにちがいない。大阪でも冬に朝から雨降りだと、それだけで(仕事行きたくないな~)と思ったものだが、今朝は予想以上に風が強く吹き、窓からすきま風がビュービュー入るので、朝からカーテンを閉めて寒さを防いだほどだった。午後からの授業の準備もそぞろに、外ばかり気になってカーテンの隙間から見ていた。
 保育園児らしい子が暖かそうなフード付きジャケットを着、風に押されながらトコトコ走ってお母さんの後をついて行く姿や、学生たちが傘を盾にして雨風に向かい体を斜めにしながら足を踏みしめて前進する様子が部屋から見えた。窓にビシビシ音を立てて雨が当たる。そうしているうちに、雨がみぞれになり、本格的な白い雪になった。それとともにようやく心が安定。だって、冷たい雨より雪の方がだんぜんホッコリ感があるんだよね。
 スクールバスは普通どおりに運行していた。昼にバスに乗ると、必ず小学生の子たち(大学職員の子どもたち)と乗り合わす。今日はみんなズボンの裾や靴がびしょ濡れで、上着や頭に雪をいっぱいくっつけ乗り込んできた。普段も十分喧しい子達が今日はさらに興奮状態でしゃべくりまくり大騒ぎだった。ここまでうるさくても、大人達は全く注意しない。それ以前に大人達も負けない大声でしゃべっているのだ…。
 
 日本語学科のあるキャンパスに着くと、芝生は既に白かったが、路面やあのペンギンたちはみぞれでぐっしょり濡れていた。風に押されながら、控え室として使っている資料室に行くと、何と嬉しや!シンペイ先生が電気ストーブをどこからか借りて来てくれているじゃないですか。一気に幸せ感が胸に満ちた。ふう、やれやれ。ヨカッタ~!二階のお湯でミルクコーヒーを入れ、一息ついた。

 今日の授業は、隣の隣のビルの4階だ。ビルの廊下や二つのビルの間の広場は、大理石様のものが敷き詰められている。ものすごく滑る。あちこちから、学生達のキャ~!ウワ~!といった叫び声、ドサッと滑って転ぶ音がする。みんな気をつけて、気をつけてそうっと歩いていても、強風で押され、立っていてもツルツルの地面を体が勝手に移動していくのだ。何を考えてこんなツルンツルンの床にしなければならなかったのか。心底怒りが湧く。この大理石の床にしたやつは誰だ!手エあげ!!

 プリプリ怒りながら教室に行くと、1年生がいつもの元気さで迎えてくれた。今日は新しい単語=雪・雨・風と春・夏・秋・冬、暖かい・暑い・涼しい・寒い、を一気に教えられたのが良かったかな。小さなシアワセ…。
 休憩時間には、学級委員がクラスメートに「寒いので、暖かい服を着て防寒対策をしっかりするように。」と指示していた。そういうことまで学級委員が言うんだなあ。
 教室にはエアコンがついている。暖かい。しかし、一定の温度になると今度は急に冷気が吹き出てくる。油断できない。ときどきスイッチを切らなければならないように設定されているのだ。
さらに、この教室もやはり、建て付けが悪いために、すきま風がすごい。カーテンを閉めて防寒し、ライトをつけてもなお非常に暗い教室で授業をした。でも元気な子ども達(大学生だけど)といると、気分はちっとも暗くない。授業の終わりには口々に、習い覚えた表現=「さようなら~。」「じゃまた来週~!」と言って出て行く。
 10月の始めは全く一言も日本語が分からなかった彼ら、自分の名前を日本語読みで呼ばれても「WHO?」状態だった彼らが、2ヶ月半後の今は、簡単な会話ができるまでになっている。人間の能力はすごいなあ~。
 私も彼らを追って教室を後にした。ツルンツルンに滑る廊下を、私と同年配の管理人さんが若者に支えられ、やって来るのに出会った(普段はシャキシャキ元気な人だ)。二人とも片手にモップを逆さに持ち、杖にして慎重に歩いてくる。こんな床でも滑らずに歩ける特殊加工の靴はないかしら。何度も言うが、本当に人騒がせな床だ。日本の学校にこんな床があったら、みんな黙っていないだろう。きっと裁判沙汰だ。
 
 しかし、ここは中国の南昌だ。誰一人怒ってなんかいない。何十人もが雪玉を投げ合ってキャーキャー遊んでいる。その中には、どう見ても中年の男性も混じっていた。何しろここは揚子江の南、気候区分では亜熱帯気候なんですから。
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いよいよ南昌に冬来たる 2010/12/14(火) No.27

2010-12-14 18:49:29 | 中国事情
「先生、水曜日雪が降りますよ。」と昨日、日本語学科主任のシュ先生が教えてくれた。
(いよいよ来るべきものが来るのか)と、今は身構えているところだ。
さっきネットで南昌の今週の天気を見ると、明日は最高気温4℃、最低気温-1℃だそうだ。
(北海道の12月とほぼ同じか、よし、たいしたことないな)などと自分に言い聞かせる。しかし、一つだけ腑に落ちないのは、南昌の天気予報には、最高・最低気温の後に、「体感気温」というのが書いてあり、それは常に最低気温を下回る数字なのだ。ちなみに明日は最低気温は-1℃、体感気温は-4℃と書いてある。翌日も、翌々日も同様に、-5℃だの-8℃だのとかなり低い。
 実際の気温と体感気温のギャップについては、湿度が関係しているらしい。ある人は、湿度が高いから、またある人は乾燥しているから、と。…どっちなんだろう。どちらにしても骨の芯まで沁み通る寒さだということだ。ある学生は「突き刺さる寒さ」と表現していた。
 故郷北海道とここ南昌を比べるならば、北海道の方がしのぎやすい。それは暖房設備が月とすっぽんほど違うからだ。パソコンを使っているこの書斎の状態を説明すると、

部屋の広さ:約6畳程度、しかし天井が高い。広々感が大事か、暖かさが大事か。私にとっては当然後者なんですけど。プラス、ここは一階。床下からしんしんと冷気が上がってくる。
暖房設備 :夏には全然涼しくならなかったエアコン。今はただほこり臭く冷たい風が吹いてくるだけ~。仕方がないので、数週間前に扇風機型電気ヒーターを300元か400元で買った。首が廻るがそんなことしても部屋全体が暖まるわけでもないので、ひたすら自分の足に当てるようにしている。ヒーターに当たる面だけ熱くなり、裏側は凍えている。

もちろん服装なども、油断はない。日本から友人が送ってくれたユニクロのヒートテック、湯たんぽ・カイロが、今の私の体を守ってくれている守護神だ。淀川区三津屋のブティック「バラード」の空気をキープする特殊なズボンとか、とにかくきっちり装備している。足はロシアの長靴みたいなのを履いている。
それなのにさっきからくしゃみが止まらない。明日も授業があるのに。
現地時刻は日本より1時間ずれて、まだ7時半だが、もうシャワーして布団に入ることにした。布団が何より1番だわ。おやすみ~~。
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日本語学科3年生は俵万智が好き    2010/12/13  No.26

2010-12-13 20:20:09 | 中国事情
 今日の日本文学は「短歌」「和歌」を紹介した。

「短歌」「和歌」ともに、日本の中学校の教科書に載っているものから有名なもの+自分の好みをちょっぴり加味してピックアップしたものだ。次のようなラインナップ。

Ⅰ:短歌5首
 ①いちはつの花さきいでて我目には今年ばかりの春ゆかんとす(正岡子規)

 ②列車にて遠く見ている向日葵は少年の振る帽子のごとし(寺山修司)

 ③白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ(若山牧水)

 ④みちのくの母のいのちを一目見ん一目みんとぞただに急げる(斎藤茂吉)

 ⑤「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(俵万智)


 ①では正岡子規は死期が近いとか言っても、やはりあまり通じなかった。言わなきゃ良かった。お気に入り0人。

 ②故郷青森から上京する、ぼくとつな青森弁を話す卓越した感性の歌人寺山修司が、向日葵=少年期の自分に別れを告げ、東京に行く=人生の旅路に向かうといったマイイメージを述べ、故郷の駅から江西省南昌の大学に出てきたときの自分に引きつけて感じることもできるのでは?などと雄弁に解説した。頷いてくれたのは1人だけだった…。

 ③中学校の時、国語の先生が歌ってくれたのを思い出し、私も真似して歌った。一度聞いただけだったのに鮮明に覚えていたのは、牧水の浪漫的な短歌とメロディが中学生の乙女の心にすっと入ったのかも知れない。今日も数名がお気に入りとして手を挙げた。

 ④斎藤茂吉が東大医学部出身と聞いてどよめきが起きた。東大は中国でも有名だった。立派な医者であるにもかかわらず自分の母親を見とれないかも知れない状況で、母の家に必死に急ぐ茂吉の姿は身につまされる。私は立派でもなく、もちろん医者でもないが、母を見とることができなかった…。これも数名がお気に入りに選んだ。

 ⑤これを読んだとき教室内で、隣同士「寒いね」「うん、寒いね」などとあちこちで俵さんの真似する子達が。男同士なのに…。俵万智さんが公立学校の教師でありつつ、「サラダ記念日」で爽やかに大胆に自分の恋を歌い上げたことを伝えると、賞賛ぽい声が上がった。もう、中国と日本の違いは全く感じることができない授業になった。


Ⅱ:和歌…万葉集より5首
 ①春過ぎて夏来たるらし白たへの衣ほしたり天の香具山(持統天皇)

 ②銀も金も玉も何せむにまされる宝子にしかめやも(山上憶良)

 ③あしひきの山のしづくに妹待つと我立ち濡れぬ山のしづくに(大津皇子)

 ④我を待つと君が濡れけむあしひきの山のしずくにならましものを(石川郎女)

 ⑤父母が頭かきなで幸くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる(防人の歌)

 「意味が分からない。」など言いつつも、人気投票してみると、③④の相聞歌に支持が集中した。①爽やかな夏の到来には1票。②親子の絆というかちょっと説教臭い感じの歌に1票。③④は、やはり若者たち。圧倒的共感。大津皇子が持統天皇に殺されて23歳で若き命を終えたことなども支持票を増やしたのかも。この時代は通い婚が一般的で、大津皇子も石川郎女さんのところに通っていたそうだ、と昨日調べたことを言うと、その通い婚制度には興味津津な表情だった。⑤名も無き兵士の歌も数人の票を得た。

 和歌を紹介するために、自分でも何回も声に出して読んだり、歌の背景を調べたりした。それにしても、千年以上の歴史を持つこれらの歌の何と豊かな表現であることよ!くるくる。(舌を巻く音)
 学生達の中に、中国古代の漢詩が好きな子が何人もいることが分かったのも、嬉しいことだった。

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ある事件 - これも中国ならでは(?_?)   2010/12/12  No.25

2010-12-12 09:54:56 | 中国事情
 ここ一週間、ブログに書き込めなかった。メール交換のペアをマッチングするので忙殺されていただけではない。木曜日の夕方、突然インターネットに接続できなくなったのだ。

 初め、まず頭に浮かんだのが、10月半ばの事件---「世界的に有名なあの賞」の報道がここではどうなっているのかについて、テレビを数時間見た限りの様子を以前のブログに書いたとたん、自分のブログに接続できなくなったという事件だ。(日本ではもちろん閲覧可能。exciteブログ「毎日がちょっと冒険」〈冒険は漢字〉を見ると詳細が分かります。)
 あの時は、現実の世界で本当にこういう事があるんだ、ということを身をもって知ることができたヨロコビ、じゃない!言論の「自由」の幅の極端な狭さに恐怖を覚えた。日本が完全に自由だとは思わないが、レベルがまるで違う。

 今度は何故だ?あれ以降私は、日本のメディアも脱帽するほど自主規制のお手本のような文しか書いていない(はずだ)。

 翌日の金曜夜、元々学生達が何人か宿舎に来てパーティーをする予定だった。その中に衆人の言う「パソコンの神様」がいてくれたのは、本当にラッキーだった。
彼は「ふ~ん。」と書斎の我がパソコンを手早くカチャカチャ調べ、「先生はみんなと食べたり飲んだりしていてください。ここは私が…。」と言ってくれた。お言葉に甘え、リビングに戻って、他の学生達と南昌ビールを飲んだり、自作のトンカツとカレーを食べたり、フミちゃんに送ってもらった「ぐりとぐらカルタ」なんかしてワイワイ遊んでいた。(南昌ビールはアルコール度が2.5%と、水のようなもの。学生達は「中国ではお酒は何歳から許可するとか、全然ないですから~。」と言って飲んでいる。私のカレーとトンカツも大変評判が良く、私はたいへん気持ちよかった。)
 彼は数十分で戻ってきた。インターネット接続ができなくなった原因も教えてくれた。
な、ん、と~~!!!
この3棟ある外国人教師用宿舎(compound)はインターネット用のアカウント番号が、部屋番号の順番なので住人なら誰でも分かる。更にパスワードは全員同じものを使っている(もちろん変えたければ変えても良い)。そのことを知る誰か、つまりこの外教メンバーか、それつながりの人間が私のアカウント番号とパスワードを盗用して使っているので、私が使えなくなったと言うのだ。
何でもありの中国。それを良いことに外国人教師(またはその関係者)がセコ技をするとは
キエ~~! 
「パソコンの神様」が私のパスワードを変えて、今は元通りインターネットにつなぐことができるようになったけど、世界中いろんな人がいるものだわ…。
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