毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「原発歴史に残そう!言い伝えよう!吉井英勝VS安倍晋三の国会原発答弁」No.3810

2020-03-11 23:35:44 | 原発事故

何度読んでも、安倍晋三首相(当時も首相だった)の

2006年年末の不誠実極まりない国会答弁には冷静で居られません。

京都大学工学部原子核工学科出身の吉井英勝衆議院議員(日本共産党)

の専門的見地からの再三にわたる警告と質問に対し、

な~んもしていないくせに「万全の対策を整えている」ばかり繰り返しています。

その4年3か月後、福島原発事故が起きました。

この答弁で、吉井英勝議員の指摘を真剣に受け止め、対策を講じていたら

2011年3月11日の世界史に残る原発事故災害は起こらなかったでしょう。

 

その超無責任男がまたまた国内の原発再稼働を推進し、

海外にまで原発を売りつけて歩いています。

「福島原発事故は完全にアンダーコントロールされている」

胸を張りながら。

 

ー2006.12.13 衆議院における吉井英勝議員と
安倍首相の原発事故防止関連の質疑応答ー

2006年「巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など

原発の危険から国民の安全を守ることに関する質問主意書」

という質問主意書が、安倍総理大臣に対して提出されていた。

吉井英勝議員「海外(スウェーデン)では二重のバックアップ電源を喪失した事故もあるが日本は大丈夫なのか」
安倍晋三「海外とは原発の構造が違う。日本の原発で同様の事態が発生するとは考えられない」

吉井議員「冷却系が完全に沈黙した場合の復旧シナリオは考えてあるのか」
安倍晋三「そうならないよう万全の態勢を整えている」 

吉井議員「冷却に失敗し各燃料棒が焼損した(溶け落ちた)場合の想定をしているのか」
安倍晋三「そうならないよう万全の態勢を整えている」 

吉井議員「原子炉が破壊し放射性物質が拡散した場合の被害予測を教えて欲しい」
安倍晋三「そうならないよう万全の態勢を整えている」

吉井議員「総ての発電設備について、データ偽造が行われた期間と虚偽報告の経過を教えて欲しい」

安倍晋三「調査、整理等の作業が膨大なものになることから答えることは困難」

吉井議員「これだけデータ偽造が繰り返されているのに、なぜ国はそうしたことを長期にわたって見逃してきたのか」
安倍晋三「質問の意図が分からないので答えることが困難。とにかくそうならないよう万全の態勢を整えている」

衆議院のホームページより

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「金平茂紀記者が伝える原発事故裁判の判決」No.2429

2019-09-23 01:51:06 | 原発事故

毎週土曜日午後5時半からTBS系列で放送されている「報道特集」。

9月21日(土)は福島原発事故避難と裁判の過程を振り返りながら

判決結果を考える内容でした。

フェイスブック友だちがUPした番組動画があったので、

中国にいても全てみることができました。

動画はうまくここに貼り付けられませんが、

関連記事をシェアいたします。

皆さん、その番組を見て、いい番組だなと思われたら

TBS http://www.tbs.co.jp/contact/

「よく放送してくれたね。」とメールを送りましょう。

私も必ず送ります。

視聴者の支持の多さが番組の継続を可能にします。:ブルーはーと

 

「その判決がでた直後、私は裁判所前で、

福島第一原発事故の被災者の顔を見ていました。

怒りや反発というよりは、いったい何が起きたのか理解できない 

茫然自失の表情でした。

しばらくしてから、涙が頬をつたっていました。

東京電力旧経営陣への無罪判決、特集でお伝えします。」

 

膳場貴子キャスター:

「金平さん、実際に裁判を傍聴されていかがでしたか?」

金平茂紀レポーター:

「津波がくるという風に警告した専門家らの長期評価が

いともかんたんに切り捨てられていて、

地震学の権威の島崎さんが、「よく言うよ!」と言い放つほどの 

現実に対してのおそろしいほどの無知に蝕まれている

という印象を私は持ちました。

判決は全体的にはじめから原発ありきの論理で貫かれていて、

まるでこう、福島第一原発事故の起こる前に書かれた判決文ではないか

とも思いましたですね。

法廷で肩を震わせながら

15.7メートルの津波の試算から対策が必要ですよ、

というふうに具申していた

東京電力の社員の勇気ある発言というのも無意味だとされたわけで、

一般の市民感覚との途方もない乖離を私は感じましたですね。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「福島裁判:原発事故の責任はまず経営者にあるのに」No.2426

2019-09-20 14:12:04 | 原発事故

8年前被災され、

福島で苦難の生活を続ける雀(から)さん、

沖縄に自主移住したShigekoさんとそのご家族たち、

全ての福島原発の犠牲者の皆さんの

心を思うだけで胸が苦しくなる判決です。

 

東京地裁の永渕健一裁判長が、業務上過失致死罪で強制起訴された

東電の元会長勝俣恒久(79)、

元副社長武黒(たけくろ)一郎(73)、

同武藤栄(69)の3被告全員に

無罪(いずれも求刑・禁錮5年)の判決を言い渡しました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

(東電経営者に責任がないなら、

いったい誰に責任があると言うんだ?!)

昨日の東京地裁の判決は、

三権分立の原則からの逸脱し、政権と三位一体化した

裁判所の有様を如実に示すものです。

いくら汚い言葉で、

(政権の付属品になったらアカンやろ!!

おまえ、それでも裁判所って言えるんか!このドアホ!

恥を知れ、恥を!!!!!)

と、心中怒鳴っても収まりません。

そういう時は、ブログを書く気力も喪失し、

昨夜は寝るしかありませんでした。

昨夜から今朝にかけて、11時間寝ました。

取り合えず、仕事に行ってきます……。 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「『再稼動 夢よもう一度 銭儲け』経団連会長に代わり一句(^_^;)」No.2860

2019-03-13 03:16:54 | 原発事故

中西宏明経団連会長と言えば、御存知、日立製作所の会長兼執行部代表ですが、

ついでに言えば、

著名財界人が名を連ねる安倍の後援会「四季の会」や「さくら会」の

メンバーでもあるそうです。

世界的に原発衰退が進む中、その流れに逆行する

安倍政権の「原発推進前のめり」政策に合わせた日立製作所は、

イギリスに原発作ろうとして結局3000億円の損失を出して撤退。

それで、今年1月に「原発はもうムリ」の発言があったのですね。

それでも、たちまち前言を翻し、

昨日3月11日の記者会見では

「原子力エネルギーは遠い将来を含めて必要、

という議論を深めるべきだ」と、議論の必要を唱えつつ、

小泉純一郎元首相が顧問を務める

「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」から

公開討論を申し込まれていることについては、

「感情的な反対をする方と議論しても意味がない」と述べたとか

つまり、原発事故の被害者の声や反対意見には耳を塞ぎ、

またこうなってもいいから、

とにかく、今だけ、自分だけは銭儲けしたいと言うことですね。

  ↓         ↓         ↓

         

 

   

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「原発事故 吉井議員質問すべて黙殺の結果」No.2859

2019-03-12 00:41:44 | 原発事故

「日本の原発はそもそもそういった事態が起こらないように

 工学上安全に設計されている」

原発事故の5年前、吉井英勝共産党議員が2006年3月1日に

「最悪の場合、炉心溶融、水蒸気爆発、水素爆発であるとかを

想定して対策を立てていかなければならないのではないか」

と専門的観点から質問したことが

なんと軽くいなされていたことか。

その結果2011年3月11日・12日、福島原発事故が起きました。

「事前に手を打てば事故にならなかった。

思い込みと秘密主義が事故の原因だ」

という吉井議員の言葉は原発事故に留まらず、

あらゆる事故に当てはまるでしょう。

第一次アベ政権は、

2006年に吉井英勝議員の指摘を黙殺した時の政権ですが、

その当時と何にも変わることなく

「世界一安全な日本の原発」と自画自賛して再稼動を進め、

沖縄辺野古では、

辺野古の軟弱地盤深さ90mを改良することも問題ないと

豪語しています。


金儲けを企図する者たちは

常に犠牲の大きさを甘く見積もるということを

私たち庶民は肝に銘じなければならないでしょう。

犠牲になるのは決して彼らではなく、

私たち自身だからです。

原発事故 吉井議員質問ダイジェスト

2006年3月1日、2010年5月26日、2011年4月6日、13日

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「『原発被災者は保障されていて実は社会的強者です』と言う人がいたので」No.2146

2017-12-25 23:37:35 | 原発事故

ウーマンラッシュアワーの政治漫才が大評判です。

私がYOU TUBEで共有したのは、早速翌日削除されてしまっていたのですが、

あちこちにコピーされているのでぜひ皆さん、ごらんになってください。

昨夜、村本さんが留学すると聞いてちょっぴり残念ですが、

大きく成長するために一度日本を離れることはとてもいいことだと思います。


その削除前のYOU TUBE動画下コメント欄に、

「被災者は実は弱者じゃない。保障があるし社会的強者だ」

といった内容の書き込みがあったので驚愕しました。

どこのどんな被災者を見てそういうことを言うのか!と。

沖縄県民に対しても同様に、

「日本政府は、米軍の思いやり予算より沖縄県民にもっとたくさん支給している。

沖縄県民は日本政府のおかげで他の都道府県より豊かな生活を送っている」

と、人々の生活の現実からかけ離れた理屈を振りかざしている人がいました。

このコメントを書いた人は、

現政権を支持しているので見たくない事実を無視あるいは否定し、

何としても政府が正しいという結論にしたいのです。

 

沖縄県民はもちろん、

多くの原発・震災被災者の方々も、上のコメントとは真逆の、

いまだに解決の糸口も見出せないままに苦闘を強いられている状態です。

「見たくないものは無視するか、事実ではないと否定する」

そういう態度、間違っています。

問題を抱えて苦闘している人は、

たまたまそこで暮らしていて災難に巻き込まれてしまったのです。

条件がちょっとずれたら自分がそうなったかもしれないんです


下は、子どもを守るために、

群馬県からマウイ島に3年間母子避難し、

現在神戸で引き続き自主避難している佐藤さんのお話です。

『残るも地獄.逃げるも地獄.私が死んでも絶対に帰ってくるな』

避難を応援して くれたお母さんからの 言葉を胸に、

「私達は戦争と同じ感覚で日本を出ました。」

という言葉を、

今の日本でどれくらいの人たちが

感受性を麻痺させず、思考停止せず、

心の奥で受け止めることができるでしょうか。

また、ここに書かれているメディアが取り上げない健康被害は

かしこい全国民が自力で知るしか方法がないのです。

ーーーーーー

私は震災後3年間海外母子避難し、その後一旦帰国した後、今年の春 娘の中学進学を機に再び兵庫県に母子避難をしてきました。

今回、初めてこういった場所で話をさせていただきますのでお聞き苦しいところもあるかと思いますが、

私のこの6年間の母子避難での経験と、感じてきたこと、群馬での健康被害をお伝えさせていただきます。


我が家の場合は、震災後のゴールデンウィークに小学校に上がったばかりの娘が突然熱を出し、体がつらいとぐったりと横になって動かなくなった事からはじまりました。

 

病院で様々な検査をしても何も原因が見つからず、その時 主治医から「私の娘家族は震災後すぐから九州に避難しているの。ちょっとここを離れて様子をみるのもいいかもしれない」と言われたのです。


混乱の中、病院からの帰り道、ラジオをつけると、、、偶然にも市長が市内の小学校の線量の発表を始めました。

 

その数値は、私の にわか知識でも ヒトケタ違うことがすぐにわかり、私は驚きと怖さの中に突き落とされ、その日からほとんど寝ずにネットで放射能について調べ始めました。

 

低線量被曝、この言葉が何故か頭に浮かび、調べると娘の症状に一致しました。

これは大変なことが起きている。福島だけの問題じゃない。逃げなきゃ子供たちが危ない。

 

主人とも意見は一致し、私が高三の息子と小1の娘を連れ、知り合いのコンドミニアムがあるマウイ島へ3カ月の観光ビザを使って避難しました。

 

この時、私たちは【この3カ月間で政府がこの事故に対して、福島はもちろん関東一円までの国民を西に避難させる政策を取るもの】と思っていましたし、それに対して私たちは何をすべきかと考え、私は《アメリカ、カナダ、オーストラリアの大使館。そして各テレビ局》に現状を伝えるメールを送りました。

また、地元群馬県で 《ネット上で声を上げ始めた人たち》に連絡を取り、帰国後群馬県民として大きくまとまり子供たちを守る行動を取ろうと呼びかけました。

各大使館からは【今回の震災に対するお悔やみと日本政府から何らかの要請があればいつでも協力いたします】と言う心温まる返信がありました。

しかし、そこから読み取れたのは、日本が世界に対して助けを要請しなければ各国は手が出せないと言うことでした。

テレビ局からは何の反応もありませんでした。

そしてネット内で声を上げた人たちは、まとまろうと声をかけた途端、蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまいました。

帰国の迫る中、政府が動かない、外国は手が出せない、マスコミは取り上げない、市民県民レベルでまとまれない。日本はどうなっていくのか…、、、絶望の中の帰国となりました。

娘の体調は、マウイにつくと嘘のように元気になり、この3ヶ月は健康そのものだったのに、帰国後1週間で熱が出てしまい、そのままマイコプラズマ肺炎→百日咳→再度のマイコプラズマ肺炎と続き、ほとんど学校には通えなくなってしまいました。

私は、帰国後すぐから野呂美香さん木下黄太さんの講演会に参加し、県内の土壌調査集計を行いました。

結果、我が家はセシウム合算1,500ベクレル/キログラムという放射線管理区域と同じ値でした。

またその頃、私たちが3カ月間海外避難している間に起きた事が聞こえてきました。

地元市内の産婦人科院長50代の突然死。

お花屋さんのご主人40代の突然死。

家に来る佐川急便のお兄さん、私のお花の先生、私の友人らの相次ぐ難病発症。

友人の子供たちの熱中症による救急搬送も本当に多く、中には複数回救急車で運ばれた子もいました。

 

主人の友人は足のリンパが腫れて動けなくなったとか、知り合いの大工さんは原因不明の体調不良で数ヶ月寝込んでいました。

また、主人自身は驚くほどの皮膚炎が脇の下からお腹にかけてできたりしました。

 

土壌調査結果に加え、こうした健康被害の多さから、やはりこのまま子供たちをここには置いていられない。

政府行政も守ってはくれないと分かり、今度は長期滞在するために、私が学生ビザを取り再び海外母子避難となりました。

 

英語は話せない、知り合いもいない、海外生活の経験もないと言う、、、、後から考えたらほんとに無謀な選択でしたが、その時の私は必死だったので、よく考えたつもりですが、考えるよりそうせざるを得ない状況でした。

この時応援してくれていた母から『残るも地獄.逃げるも地獄.私が死んでも絶対に帰ってくるな』と言われ、私達は戦争と同じ感覚で日本を出ました。

マウイでの日々は本当に多くの素晴らしい出会いの中、たくさんの方々に助けられ、留学によってできた様々な国の生徒達と知り合えた事や何もないシンプルな田舎の島での暮らしで、今までの価値観が大きく変わりました。

お陰様で、私にも娘にも親友ができ、家族や親戚と同じような関係の多くの友人ができましたが、、、長引く海外母子生活に加え、経済的にも立ち行かなくなり、学生生活に加え6つの仕事を掛け持った事で私がうつ病とパニック障害を併発して帰国となりました。


帰国後 ほどなくして再び娘は体調を崩しました。

私は放射能の影響を心配しましたが、主人は生活の変化と長引いた家族バラバラの生活の影響だと言い、再避難を相談しても事故直後は完全に一致していた夫婦の気持ちは、この3年の家族別離生活でこうしてズレが出てきてしまい、何度話し合っても喧嘩になって物別れに終わるという事を繰り返してしまいました。

しかし、この春娘の中学進学を機に、主人からの全面賛成を得られたわけでは無いのですが、再び母子避難を決意し、兵庫に来ました。

 

海外避難で、全て使い果たしてしまったので、今回の避難では借り入れをしてのマイナスの出発となりました。

同じ日本語だし、今回は娘1人。私の稼ぎで何とかなるさと思ってきましたが母子避難には多くの問題が起こりました。

 

他の母子避難の方々ともお話ししましたが、私たちのような母子避難者は子供達にとても寂しい思いをさせてしまいます。

それにより不登校や体調不良を起こす子供が多くいます。

二重生活の経済的困窮。

言葉文化の違いによりなじめず孤立したり。

夫に合流を望んでも、そこに至れず、いつまでこの母子避難が続くのかという終わりの見えない辛さ。

また、離れて暮らす夫への健康不安と自分自身の健康への不安。

私が倒れたらこの生活は立ち行かなくなると言う思いで常に緊張している状態での切迫感。

本当にやる事も考える事も多く、ストレスの多い生活です。

一方で地元に残っている夫もまた、大変寂しく苦しい思いをしています。

二重生活は、お金が本当にかかる上に、家族に会うだけでお金も時間もかかります。

夫1人の食事面での心配もあります。

実は、先月。

主人が突発性上室頻脈という脈拍が異常に上昇してしまう状態で倒れ、救急搬送されました。

 

私は、こちらでの生活を維持するために、仕事を休むわけにはいかなかったので、一旦群馬に戻り主人を車に乗せこちらに連れてきて看病しながら働きました。

そして、他の避難者の方々に勧められ、東神戸診療所という、厚生省指定の被曝専門医で検査を受けたり、デトックスの為に温泉に入ったり、マッサージをしたり。

また重金属排泄効果が高いと言われるケイ素を飲ませたりしたところ、1週間ほど経つ頃には元気になってきました。

 

ちょうどその頃、銀行から電話が入り、自営なので、あちこちの支払いやらがあり、慌てて主人は群馬に帰って行きました。

 

主人が倒れた時、何故か私はやたら元気になって、“主人をなんとか助けなきゃ!”と力が入り動けていたのですが、主人がそんな風に、あっけなく忙しく帰っていった途端、へたへたと力が抜けて何も手がつかず、涙が溢れる毎日になってしまいました。

主人が帰った後、病院に私1人で検査結果を聞きに行ったのですが、その時看護婦さんが『ご主人帰っていったんですね、ママ、大丈夫?』と優しく背中をさすって下さった途端、自分でも思いもしなかったのですが、『6年半もこんな生活してきてて、終わりが見えないんです』と、嗚咽とともに涙が止まらなくなってしまいました。

検査結果は異常なしでした。

放射能とはわからない、精神的なものかもしれません。

長引く家族別離生活が病気を招いたのかもしれません。

だけどこういうことが起きるリスクが母子避難にはとても大きいのです。

他の母子避難者の中には、こういった様々な理由で、戻られた方、離婚された方が多いと聞きました。 

 

そして、それでも母子避難を続けてらっしゃる多くの方々が、《元気のなくなっている、とても厳しい状態》である事を聞きました。

 

子供達は、母親から元気やパワーを貰います。

母親が太陽のように明るく居なければ、子供達も力を失ってしまいます。

ですが、頑張らなきゃと、思えば思うほど、ハードルの多さに、打ちひしがれてしまうんです。

家族避難の様に、根のおろせる状態までに、いつまで1人で頑張れるんだろう。

そんな不安がいつもあります。

時折、向こうのパラレルワールドに何もなかった事として戻ってしまいたい、と、弱気になってしまう事があります。


ですが、今、地元から聞こえてくる健康被害はどんどん酷いものになってきています。
先日久しぶりに集まったサークル仲間、男女合わせて7人なんですが、私以外すべての仲間の実家の父母、そして嫁ぎ先の義父母の半分が亡くなっていて、半分が病気や看病が必要になっている状態でした。
また、
先輩のお母さん70代
友人のお母さん70代
友人のご主人50代
主人の生徒のお母さん40代の突然死。

子供がお世話になった保育園の先生のお母様とお姉様ががん発症2週間で死亡と言うことも聞きました。

またここ最近では、甥っ子の友人18歳が白血病。姪っ子の親友16歳、後輩15歳の相次ぐ2人の突然死が3ヶ月のうちに起こりました。

塾の先生をしている知人は、子供たちの明らかな知能低下をとても心配しています。
私達が群馬にいる頃、遊びに来た娘の友達が『私最近.授業中とかに自分で何してるのかわかんなくなっちゃうの。なんかね、おばあちゃんみたいになっちゃってる。ウケる〜』と言っていて大変驚いた事もありました。知り合いの子供は、突然親の名前が思い出せなくなり、心配して病院に連れていったところ兄弟で、知能障害の診断を受けたそうです。
このような話を聞くたび、弱気になってはいけない、これからもっともっと厳しい状況になって避難してくる人が増えるかもしれないと想像し気持ちを強くしています。

留学してみて知ったのですが、他の国の人々は自国の歴史や問題だけでなく他国のことにも多くの情報を得ていて、いつでもディスカッションできるだけの考えを持っていましたし、今回の日本の原発事故についても意見を持っていました。
ですが日本人は自国の歴史や様々な問題とすら向き合っていないし、原発事故についてもどこか他人事で、考えも意見も持っていませんでした。

またマウイに行ってすぐの時は、避難してきた事を話す私に ハグをして 『大変な震災だったね、子供達の為に行動を起こした貴方は素晴らしい母親だ』と言ってくれたのですが、数年経った頃、ある方が私に新聞記事を見せ『西海岸の魚が死んだ。福島のセシウムが出た。美香はこれを知ってるのか?日本政府は何しているんだ。これを見て日本国民はどう思うんだ?日本人はなぜ政府に言わない?なぜ動かないんだ!世界中を汚染して迷惑をかけてるんだぞ』
と言われました。
私はとても恥ずかしかったです。

先日、ある方から、【生体的解決法】と言う言葉を聞きました。被害者が死んでいくのを待つことで解決させる方法、これが行政の実態だと。
私は水俣病が頭に浮かびました。
確か私が小学生の時に授業で聞いたはずなのに、つい数年前にテレビで判決が出たとニュースで見たとき、かなり前のことで昔の出来事と思っていた事なのに今頃解決?どういうこと?と思ったのを思い出しました。
なんて酷いやり方なんでしょう!

この放射能問題は、年を追う毎ににひどくなっていく事はチェルノブイリで明らかです。
生体的解決法なんて通用しないのです。
1人でも多くの東北関東の方々が、少しでも安心して西に向かうことが選択できるように。
私たちの経験をもとにここに集まった方々と繋がって道を作っていきたいと思います。
考え、意見をだし、繋がって大きな光になりましょう。

世界中の人々は見ています。
そして何より、私達大人達がどうのりこえていくのかを子供達が見ています。
長い歩みになる事は想像できます。
子供達にもその荷を預ける事になってしまうでしょう。世界に助けや協力を求める事になって行くでしょう。
ですが、まずは、私達日本人が日本人らしいやり方で、この問題に向き合い、解決していかなくてはならないのです。

その大きな光になっていきましょう。

有り難うございました。

ーーーフェイスブック記事より(元々はGO WEST総会でのお話)

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「被爆作業員を『待機』?それ『監禁』でしょ」No.1967

2017-06-09 22:06:39 | 原発事故

民(たみ)の命がこんなにも粗末に扱われているという事例が後を絶たない日本。

その一例が、先日(6月6日)、

被爆した作業員を汚染室内に3時間「待機」させた原子力機構の事故です。

「待機」なんておしゃれな言葉ですが、実はそれ、

「監禁」だとちょっと想像したら気がつきますよね。

原発事故からこっち、こうした「印象操作」で覆いつくされている感のある

原発関連記事です。

「原発事故は大したことない」➡「だから原発再稼働は問題ない」

と国民の頭に刷り込むための操作です。

これでは原発犠牲者は浮かばれません。

もう、二度と同じ過ちを繰り返さないためには、

真実を全ての人が共有し、善後策を考えるしかないと思います。

政府や一部特権層だけが事実を知り、

その不都合な事実を闇から闇へ葬る今の日本の状態は、

政府や特権グループが私たち庶民を一人前の人間と見ていないことの証左です。

ーーー 

被曝の5人、汚染室内に3時間 プルトニウムの拡散防止で待機

投稿日: 2017年06月09日 08時22分 JST 更新: 2017年06月09日 08時22分 JST

RADIATION EXPOSURE 
 作業員が装着していたものと同型の半面マスク。フィルター付きで口と鼻を覆うタイプだった(日本原子力研究開発機構提供) | 朝日新聞社

被曝の5人、汚染室内に3時間待機 原子力機構の事故

 茨城県大洗町の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで作業員5人が被曝(ひばく)した事故で、室内に飛散したプルトニウムなどの放射性物質を室外に出さないための処置をする間、5人は室内で3時間にわたって待機していたことが分かった。その間に体内に放射性物質が入り、最も多い人で肺から2万2千ベクレルのプルトニウムが検出されるという、国内最悪の内部被曝につながった可能性がある。

http://www.huffingtonpost.jp/2017/06/08/radiation-exposure_n_17007420.html


 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「国策の原発、事故の責任を問い続ける福島県民」No.1684

2016-06-05 01:58:30 | 原発事故

 5年間という月日は、原発事故のきちんとした後始末のために使われたのか、

責任も何も曖昧・うやむやにして、

ひたすら再稼働させるためのほとぼり冷ましとして使ったのか、

と問えば、もちろん100%後者ですよね。

被害者、被災者への生活保障も縮小される一方です。

こういう日本の状態に神経が持たない人も多いと思います。

腹が立って、腹が立って、病気になる人もいるでしょう。

 私も、毎日、ニュースを見て、暗い気持ちにならない日はありません。

 

そういう時、私は、

矛盾の原因と対峙している人の姿勢を見、言葉を聞きます。

こんな酷い国で、一人分の力を全開して踏ん張っている人たちが、たくさん、います。

下に文を転載しましたが、

福島から大阪に母子避難してきた森松明希子さんの話は、

何回かお聞きしたことがあります。

森松さんはいつも心を開いて、落ち着いて話されています。

家族が引き裂かれた避難生活、辛すぎることの数々も静かに話す、

彼女の精神力の強さに頭が下がるのですが、

いつも明希子さんの後ろには、一生懸命いつくしんで育ててきた幼い命があって、

その命がお母さんを支えているのもヒシヒシと感じます。

5年後、ついに、裁判に訴えたのも、全ては子どもたちのためだと思います。

 

私も、子どももいるし、孫もいます。

孫なんてまだ2歳です。

守ってあげなければ簡単に餌食にされる幼い命です。

参院選まで一か月ちょっとですね。

原発再稼働しなくても、もちろん日本はやっていけるし、

再稼働したら、永遠に放射能のゴミを生産し続けていく

無責任なことになります(なっています)。

(ツケは、自分が生きている時には払わなくてもいいだろう)とか、

(あとは野となれ、山となれ)では、日本民族は滅びるでしょう。

未来への希望が持てる国・社会を、子や孫にパスしたい。

今は、そんな気持ちだけです。

私の子も孫も、当然、庶民の子です。

庶民が切り捨てられない政策を実行する代表者を国会に送り込みたい、

と心から願っています。

 

【3.11避難者の声】

「ふつうの暮らし 避難の権利 つかもう安心の未来」裁判@大阪地裁 

第9回口頭弁論期日での原告意見陳述書(原稿)

                2016〔平成28〕年6月2日  

              意見陳述書

              第一次訴訟原告1-1 森松明希子

原告の森松明希子と申します。
発言の機会をいただきまして、心から感謝申し上げます。

 私は震災から2カ月後の5月、大型連休をきっかけに、
福島県の郡山市から避難をすることになりました。
現在、子どもたち2人と大阪市に避難をしています。
いわゆる母子避難です。

夫は、今も福島県郡山市で、医師として事故前と同じ病院で働いて、
家族の避難生活をささえていています。
夫が郡山市に残っているのは、福島県から避難することが出来ない患者様の治療を
放棄することが出来ないからです。

0歳で大阪に連れてきた私の娘は、5歳になりました。
0歳の時から父親と一緒に暮らすという生活を知りません。

3歳の時に避難した上の息子は、今も福島県民でありながら、
大阪の小学校に入学して、現在は小学校3年生です。
絵を描かせると、いつも大好きな父親と会えることを夢見て
東北新幹線の絵を描いて子どもなりに寂しさを乗り越えています。

子どもたちの父親である私の夫は、
そんな子どもたちの日々の成長をそばで見ることが出来ない
この5年間でした。


今日ここで、私が最も伝えたいことをお話ししたいと思います。
多くの人たちが、身の危険に直面したら逃げるのが当然で、
逃げることは簡単にできると思い込んでいます。

でも、3.11後に起きた東京電力福島第一原発事故を経験して、
そんなあたりまえのことができない社会的状況があることを、
私は身をもって知りました。
そして、すべての国民が現在進行形でそれを目撃していると思うのです。

火事が起きれば、熱いから、人は逃げ出します。
地震で家が壊れれば、崩れて下敷きにならないようにその場から離れます。
津波が海の向こうから見えれば、人は波にさらわれないように高台に走って逃げます。

ですが、原子力災害はこれらの自然災害とはことなり、
明らかに「人災」です。
そして漏れ出るものは「放射能」。
放射能は、色もない、ニオイもない、
それが低線量であれば五感で感じることは出来ません。

原子力を国策としてすすめた国が、
そして原子力産業により莫大な利益を得る東京電力が、
きちんと責任をもって放射線を管理し、
管理できない状態になればすみやかにそれを知らせ、
状況をつぶさに隠蔽せず公表し、
汚染状況を詳細に周知徹底し、
危険については警鐘を鳴らし、
適切な避難の指示・勧告、そして制度と保障を行わなければ、
一般の人々は逃げることは容易ではないのです。

そうであるにもかかわらず、高いハードルを越え、避難を決断し、
避難を続ける人たちの現実の「声」にどうか想像力を持って耳を傾けて下さい。


 母子避難を決心するまでの2ヶ月間は、地震直後の混乱の中、
パニックを起こさないように、ただひたすら
「収束するから」「復興」「がんばろう東北」の言葉を信じて、
とても違和感のある生活に耐えていました。

「健康に直ちに影響はない」と繰り返すばかりの当時の官房長官の言葉とは裏腹に、
子どもたちを一切公園には出さず、長袖長ズボンで外出時はマスクを着用させていました。
外遊びをさせない、洗濯物を外に干さない、窓は開けない。
このようなことが当たり前となっていき、
とても普通の暮らしを遅れる送れる状況ではありませんでした。
 
週末が来れば、家族で車に乗りこみ、
隣県の山形県や新潟県まで高速道路をひたすら走り、
普通の町中にあるようなブランコや滑り台のあるだけの公園を見つけて
小一時間ほどそこに3歳児を降ろして遊ばせて、
また何時間もかけて福島に戻ってくる。
そんなおかしな生活を続けていました。

私の住んでいた郡山市は、
福島第一原子力発電所からは60キロメートルほど離れていますが、
当時は同心円上に避難指示、屋内退避命令などが広げられていき、
徐々に汚染地域が広がっていく恐怖に怯える毎日でした。

それでも国は、
より危険な地域から
順次、人を避難させてくれるものだと信じていました。

私が一番衝撃を受けた出来事は、
避難所で、1ヶ月近くたとうとするころ、
テレビのニュースで
「東京の金町浄水場から放射性物質が検出された」
との報道でした。

福島第一原発から200㎞も離れている東京で放射性物質が検出されて、
60㎞の郡山の水が汚染されていないはずはありません。
実際、翌日には
福島市や郡山市などの水も汚染されていると報じられました。
しかし、報道がなされても、
地域住民全てにペットボトルの水が行政から配られるわけではないのです。

この国の多くの人が、
福島原発事故により水道水が放射能により汚染されたという事実を知っています。
しかし、私たち周辺地域の住民が、
放射性物質がたとえ「身体に直ちに影響はない」程度であるとはいえ、
放射性物質が検出された水を飲まざるをえない状況に追い込まれ、
それを飲むという苦渋の決断をしたということは知られていません。

また、その水を飲んだ母親の母乳を赤ちゃんに飲ませるという
過酷な決断を迫られたことも知られていません。

あの時、どれだけの放射線を浴びたのかも分からない上に、
私たちは汚染された水を飲み、たとえ直ちに影響はなかったとしても、
一生涯、自分や子どもたちに出てくるかもしれない健康被害の可能性と
向き合っていかなければならないという現実があるのです。

それは、「不安」だとか「心配」とか、
そのような軽微な形容で言い表されるものではありません。

「被ばく」は事実であり、
被ばくが健康に悪影響を呼ぼすということも否定出来ない事実です。

私たちは、「被ばく」による健康影響という「恐怖」と、
あの日から向き合わされ続けているのです。


避難して初めの1年間は、
いつ戻れるか、いつになったら家族4人でまた再び一緒に暮らせるのか、
そればかりを考えていました。
これほど長期にわたり、見通しの立たない避難生活を送り続けることになるとは、
避難した当初は考えてもいませんでしたし、
避難生活は、苦痛以外の何ものでもありません。

ですが、5年経ち、次々と明らかになっていく客観的事実から考えれば、
子どもの健康被害のリスクを高めることになる「帰還」(戻る)という選択は、
少なくとも私にはありえません。

放射能汚染は、当然のことながら
強制避難区域や福島県境などの行政区域で止まるわけではありません。
風向きや降雨、地形などによって
ホットスポットが避難元にはいたるところに点在することが分かっています。

5年経った今でも、私の避難元・福島県郡山市には、
自宅の目の前に放射能のゴミが詰められているフレコンバッグが何百個も並んでいます。
その環境に幼い我が子を戻そうとは、私にはとうてい考えられません。

5年前、震災直後から、長崎から放射線の専門家という方が福島県にやってきて
「ニコニコ笑っていれば大丈夫」「鼻血は放射能を心配しすぎるお母さんの気のせいです」とふれ回り、
小児甲状腺がんは100万人に1人くらいしか発症しない、チェルノブイリとは違うんだ、避難をするなんて神経質すぎる、という風潮が作りあげられていきました。
ですが、5年経って、100万人に1人か2人しかならないはずの小児甲状腺がんは、
福島県内の18歳未満の子どもたちを調べただけで、年々増加し、現在166人と多発しています。
放射能による汚染は、福島県内にとどまりません。


日本国憲法の前文には、
「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」
と書かれています。
私は、東京電力福島第一原発事故以降、
放射線被ばくの「恐怖」から免かれ、平和のうちに生存していると思えたことは一度もありません。

 あの日福島の空気を吸い、福島の水を飲んだ私たちにとって、
「被ばく」は、現実の恐怖以外のなにものでもなく、
避難できたからそれで終わり、ではありません。

私たちは、ずっとこの「恐怖」をかかえたまま
健康被害が発症しないことを祈ることしか出来ないのです。
被ばくと直面しながら、避難せずにいる人々と同じように、
子どもたちに甲状腺の検査を受けさせる度、胸が押しつぶされる思いがし、
検査結果の通知を開封する度、手が震えます。

ですから、私たちは、子どもたちの健康被害のリスクをもうこれ以上高めることはできません。
 
私は子どもの命や健康、そして未来を守るために、ただ、
避難を続けたいだけなのです。

それは「避難」という選択が、放射線被ばくからもっとも直截的に身を守る行為だからです。

母子で避難を開始した5年前から1年365日、一日も休むことなく、
毎日が「今日も避難を続ける」という苦渋の決断の連続なのです。

それでも私は、今日この法廷で意見陳述をしている今この瞬間も、
私たちが避難していることは、当然のことであり、
正当であると確信を持っています。

放射能は目には見えません。
でも、少なくとも、この法廷の原告席に座る一人一人は、
誰の目にも見えているはずです。
そしてその後ろにいる、
少なくとも全国各地に未だに10万人を超える「避難」をした人々そのものが、
福島事故による放射能被害を見える形で映し出しているのです。
 一番真剣に「被ばく」と向き合う人々の声を、裁判所には聞いて頂きたいと思います。

「放射線被ばくから免れ健康を享受する権利」は、
誰にでも等しく与えられるべき基本的人権ではないのでしょうか。

国策と大企業である東京電力により推進された原子力発電所の事故により、
避難を余儀なくされ、国の無策によって被ばくと向き合わされ続けることになった被害者に対し、
国と東京電力はきちんと向き合い責任を果たすべきであると考えます。

加害の側が被害を矮小化し、不均衡な支援によって被害者を分断し、
避難の継続を妨害し、実質的に帰還を強いるような施策の実施は、
さらなる重大な権利侵害であると思います。

裁判所におかれてましては、どうか
「ふつうの暮らし」をしていた人々の「当たり前」の日常生活が破壊された実態と、
「被ばく」という「恐怖」と向き合い続けなけれならないという
甚大な被害に目を向け、公正な判決と早急の救済を期待します。

裁判長、
人の命や健康よりも大切にされなければならないものは
ほかにあるのでしょうか?

私は、放射線被ばくから免れ、
命を守る行為が原則であると考えます。

                        以上

ピンクチラシ 切り抜き

「ふつうの暮らし 避難の権利 つかもう安心の未来」裁判@大阪地裁 
第1回口頭弁論期日における原告の意見陳述 は
コチラ
http://sandori2014.blog.fc2.com/blog-entry-168.html


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「村上春樹、ついに国内で原発推進批判」2015年5月8日(金)No.1354

2015-05-08 21:16:01 | 原発事故

村上春樹と言えばデタッチメント(社会事象に立ち入らない)作家だと

言われてきたし、私もそう思ってきた。

2009年エルサレム賞授賞式でのあの有名な「卵と壁」スピーチや、

2014年カタルーニャ国際賞授賞式での

「私たち 日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった」発言には、

(そんな立派なことを外国でだけ言わずに、ぜひ日本国内で発言して欲しいものだ)

(「私たち日本人は」、じゃなくて、「私、村上春樹は」、だろう。

大江健三郎さんを始め多くの人々はずっと、反核、反原発を訴えてきたのだ)

と、非常に違和感を感じたものだった。

その村上春樹さんが、

 

歴史問題、原発問題に対して、最近自分の立ち位置を明確に述べた。

何が変化して、そう決意したのかは分からないが、

頭の根本のネジがずれている百田尚樹が揶揄したような

「ノーベル賞狙い」ではないことは感じで分かる。

村上さんも、日本はもはや後がないと思うに至ったのだろうか……。

 

リテラ 2015.04.23

村上春樹が原発反対の意志を明確にし、大きな話題を呼んでいる。

村上は昨年、ネット上で読者の質問に答える期間限定サイト「村上さんのところ」を開設したのだが、そこに寄せられたある質問メールに対する村上の回答が大論争となっているのだ。

 メールの主は38歳の男性。「原発NO!に疑問を持っています」と題して、村上にこのような質問をぶつけた。

「私自身は原発についてどう自分の中で消化してよいか未だにわかりません。親友を亡くしたり自分自身もけがをしたり他人にさせたりした車社会のほうが、身に迫る危険性でいえばよっぽどあります。(年間コンスタントに事故で5000人近くが亡くなっているわけですし)」
「この先スーパーエネルギーが発見されて、原発よりも超効率がいいけど超危険、なんてエネルギーが出たら、それは止めてせめて原発にしようよなんて議論になりそうな、相対的な問題にしかどうしても思えないのですがどうでしょうか……」

 いやもう聞き飽きた、このセリフ。この質問者の疑問は、福島原発事故以降、百田尚樹、ホリエモン、ビートたけし、池田信夫、町村信孝前衆院議長、ミキハウス社長……原発推進派の人間たちがしょっちゅう持ち出してくる論理、いや、へ理屈の典型だ。「原発事故で死者は出ていない」「交通事故の死者のほうが多いから、原発のリスクは自動車のリスクより小さい」「毎年数千人の死者を出している自動車を廃止せよとは誰も言わないじゃないか」……。

 しかし、この一見もっともらしい“へ理屈”に対して、村上は丁寧に反論している。

 まず交通事故死についても対策が必要と前置きしたうえで、〈しかし福島の原発(核発電所)の事故によって、故郷の地を立ち退かなくてはならなかった人々の数はおおよそ15万人です。桁が違います〉と、原発事故の被害の大きさをあらためて指摘。

 つづけて「死者が出ていないからたいしたことない」という論理に疑問を投げかける。

〈もしあなたのご家族が突然の政府の通達で「明日から家を捨ててよそに移ってください」と言われたらどうしますか? そのことを少し考えてみてください。原発(核発電所)を認めるか認めないかというのは、国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題なのです。基本的に単発性の交通事故とは少し話が違います。そして福島の悲劇は、核発の再稼働を止めなければ、またどこかで起こりかねない構造的な状況なのです。〉

 原発事故の被害を矮小化することなく、交通事故とは次元がちがう問題であることを原則論として語るだけではない。従来の村上春樹では考えられないことだが、「再稼働を止めなければ」と現実の政策にまで踏み込んで批判しているのだ。

 ネットなどではこの村上発言に対して批判も飛び交っている。そのほとんどは、「死亡者と避難者を比べるのはおかしい」「原発も自動車も絶対に安全とは言えないから、経済的な観点を無視できるはずがない」などというもので、まったく反論になっていない。

 そもそもよく読めば、その回答は村上発言のなかにあらかじめ含まれていることが分かるはずだ。

〈それだけ(15万人)の数の人々が住んでいた土地から強制退去させられ、見知らぬ地に身を寄せて暮らしています。家族がばらばらになってしまったケースも数多くあります。その心労によって命を落とされている方もたくさんおられます。自死されたかたも多数に及んでいます。〉

 「数」の問題でいえば、15万人もの人が人生の基盤を奪われるという死に匹敵する甚大な被害を受けている。「死者が出ていない」というが、直接の死者がいないに過ぎず、いわゆる「原発関連死」は決して少なくない。……と、いったん原発推進派の議論の土俵に乗り、「数」の問題にも、「死者がいない」論にも明確に反論している。

 そのうえで、本質は「数」の話ではなく、「国家の基幹と人間性の尊厳に関わる包括的な問題」と述べているのだ。「死亡者」の「数」の比較に還元することは、あたかも客観的で冷静な分析を装っているが、その実、被災者・避難者の人生という“質”や、国土が世代を超えて汚染される“時”の議論を隠蔽し、問題を矮小化している。

 この「隠蔽」と「矮小化」が何者によってなされるのか。村上はその犯人をハッキリと指摘する。

〈「年間の交通事故死者5000人に比べれば、福島の事故なんてたいしたことないじゃないか」というのは政府や電力会社の息のかかった「御用学者」あるいは「御用文化人」の愛用する常套句です。比べるべきではないものを比べる数字のトリックであり、論理のすり替えです。〉

 そう、「政府」であり「電力会社」であり、その息のかかった「御用学者」に「御用文化人」だと。そして、「比べるべきではないものを比べる数字のトリック」「論理のすり替え」と、彼ら原子力ムラが国民をだましてきたやり口を喝破する。

さらに、原発再稼動肯定派が大義名分とする「効率」という言葉について、こう問いかける。

〈効率っていったい何でしょう? 15万の人々の人生を踏みつけ、ないがしろにするような効率に、どのような意味があるのでしょうか? それを「相対的な問題」として切り捨ててしまえるものでしょうか? というのが僕の意見です。〉

 実は、村上は以前にも海外で、この「効率」という観点について、反対意見を表明したことがあった。それは2011年6月9日、スペインのカタルーニャ国際賞授賞式で行われたスピーチでのこと。村上は東日本大震災と原発事故に触れてこう言った。

〈(福島原発の事故は)我々日本人が歴史上体験する、(広島・長崎の原爆投下に次ぐ)二度目の大きな核の被害です。しかし今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を損ない、自らの生活を破壊しているのです。
 どうしてそんなことになったのでしょう?(略)答えは簡単です。「効率」です。efficiencyです。原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国の政策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました(略)。
 まず既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくなってもいいんですね。夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
 そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています。〉

 ここには、春樹文学のひとつの特徴と言われるもったいぶったレトリックや気の効いた比喩は皆無だ。当時、このスピーチは国内でも大きく報道されたが、「政治家らが曖昧な説明しかしないなか公人としての貴重な発言」と評価する者もいた一方、「海外でなく日本国内で言ってほしい」と物足りなさを感じた向きも多かったことは記憶に新しい。

 しかし、もともと、村上春樹といえば、社会や政治などの“巨大なシステム”と距離を置こうとする主人公を作品のなかで描いてきた作家だった。団塊の世代でありながら同世代の作家たちとは一線を画し、学生運動や政治からは一貫して距離をとっていた。デビューから1980年代までの彼の作品は、文芸評論家などから「デタッチメント(かかわろうとしない)」文学とも呼ばれていた。ご存知のとおり、村上が社会的出来事を作品のなかに反映させ始めたのは、1995年阪神淡路大震災、オウム地下鉄サリン事件などが相次いでからである。

 とりわけ、ノーベル文学賞候補と目されるようになった2000年代後半頃から、村上はますます社会的・政治的発言を行うようになっていった。09年エルサレム賞授賞式での「壁と卵」スピーチは有名だが、その他もアメリカやオーストリアのインタビューで積極的に日本社会について語っている。もっとも、それらはみな海外でのことであり、依然として国内メディアでは発言に慎重だったことから、「ノーベル賞へのアピールだろ」などと揶揄されることにもなったのだが。

 しかし、そんな村上がここに来て、日本国内へ向けて大々的に社会的・政治的発言をするようになったのである。これはひとつの変化と捉えてよいだろう。

 前述の特設サイトでの回答だけではない。今月半ばから、共同通信が配信した村上のロングインタビューが毎日、東京、神戸、西日本新聞など、複数の新聞社に掲載された。そこで村上は、国際情勢について、〈「テロリスト国家」を潰すんだと言って、それを力でつぶしたところで、テロリストが拡散するだけです〉と断じ、日本の歴史認識の問題でも明らかに安倍政権を牽制するような発言をしている。

〈ちゃんと謝ることが大切だと僕は思う。相手国が「すっきりしたわけじゃないけど、それだけ謝ってくれたから、わかりました、もういいでしょう」と言うまで謝るしかないんじゃないかな。謝ることは恥ずかしいことではありません。細かい事実はともかく、他国に侵略したという大筋は事実なんだから。〉

 簡潔ながら、説得力のある言葉である。これらの村上の発言についてさっそく百田尚樹が「そんなこと言うてもノーベル賞はもらわれへんと思うよ」などと、ノーベル賞へのアピールかのように揶揄していたが、そうではないだろう。村上春樹はおそらく本気だ。

 「政治」からも「本気」からも最も遠いところにいた村上春樹が、国内でここまで踏み込んでいるということは、やはりこの国が相当に差し迫った危機に直面していることの証なのではないか。

 いや、ひょっとすると、村上は、かつて自身が描いてきた小説の主人公のような人たちへ向けて、発信し始めたのかもしれない。「原発推進派も反原発派もどっちもどっち」「権力批判も大概にしないとかっこ悪い」という“かかわろうとしない”態度のままで本当にいいのか考えてみてほしい──もしそれが村上の思いであるのならば、是非今後も、様々な局面で発言を続けていってほしい。
酒井まど

http://lite-ra.com/2015/04/post-1047_4.html


毎日新聞のインタビュー記事:

村上春樹さん:時代と歴史と物語を語る みんな一生懸命生きている2015年04月27日http://mainichi.jp/feature/news/20150427mog00m040004000c.html



コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「『科学的考察』がナンボのもんじゃ」2015年4月14日(火)No.1135

2015-04-14 22:24:55 | 原発事故

【高浜原発仮処分】再稼働阻む「司法の暴走」専門家批判 

「人格権」盾に科学的考察せず 

と、今日の産経新聞の見出しに書いてある。

 

この見出しを読んだだけで気持ちが悪くなる。

まず一つ目、

「専門家が言っている」と一専門家の責任にすり替えて、

実は自分が主張するこの責任逃れのセコイ語り口。

 

次、メインにイラッとするのが、

『科学的考察』をすれば高浜原発は再稼働しても全く安全であるという

バラ色の科学万能主義。

これはあの日に破たんしたのではなかったか。

2011年3月11日以前、

「原子力発電所は専門の科学技術の粋を結集したものであり、

絶対に事故はあり得ない。」

と何百回聞いたことか。

原発反対派を「感情的で非科学的でどうしようもない人々」

と鼻先で笑っていた科学者たちがたくさんいた。

 

4年前の事故があったとき、一つ覚えの「想定外」しか言えなかったのが

それら「世界一優れた」科学の専門家たちだった。

そして、あれから4年経っても、まだどうやって事故の収束をしていいのか、

科学の粋を集めた東電は途方に暮れているのが客観的事実なのだ。

福島第一原発原子炉格納容器内のロボットは走行不能、回収不能だ。

やることなすこと不能だらけの状態じゃないか。

 

原発事故の危険性が万が一にもあれば

差し止めが認められるのは当然だ

という福井地裁の樋口英明裁判長の判断は、

経済活動より人間の命が大切だ」という、

50年前の日本人なら90%が頷いたろう「人格権」を根拠にしている。

今でも、学校では

「いのち一番、にこにこ二番、三番何でもさっさとやろう」

と先生たちは教えているはずだ。

社会に出たとたんに真逆では、

子どもたちはこの社会をどう捉えたらいいのか困るだろう。

今から教科書検定の道徳には、

「おかねの価値に比べれば人の命などゴミみたいなものだ」

と政府の意向を十分に汲んできちんと書くべきだ。

 

きっとまだまだ生きられるはずの若者たちにアドバイスしたい。

命より金儲けが大切だと信じる人々が多数を占める国に

しがみついている必要はない。

世界は広い。

好きなところに行って暮らしたらいいんだよ。

大切な一個しかない自分の命を持って。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「福島県浪江町で牛を飼い続ける人」2014年12月7日(土)N0.1045

2014-12-06 22:49:05 | 原発事故

先日のブログに「浪江町はゴーストタウン」と書いた。

しかし、その浪江町で、国の殺処分指示に抗い、

もはや絶対に売れない牛たちに餌をやり、

世話を続けている吉沢さんという人がいる。

放射能にまみれた草を食べた牛たちの背中には、

突然変異ではっきりと斑点が現れている。

この牧場の名前は「希望の牧場ふくしま」だそうだ。

吉沢さんは売れない牛に餌を与えながら、朽ち果てるまでここでがんばろうと思う。

その姿を見てもらうことによって、福島事故を忘れるな!と言い続けるのは、

牛屋としての意地なのです。意地はこの際、正しくなければなりません。」

と言う。これもまた日本人の姿だ。

人民新聞、山田記者のインタビューは、一人の福島人の人間としての意地を伝えている。

心からの連帯を込めて全文掲載させていただく。

――――――――掲載ここから

「希望の牧場・ふくしま」吉沢正巳さん(浪江町)インタビュー(上)

11月中旬、紅葉華やぐ晩秋の福島を訪れた。政府と福島県は、帰還促進のため除染作業を急ピッチで進める。避難の権利は認めず、自主避難は、自己責任との考え方だ。放射能への不安の声はかき消され、避難生活に疲れた難民が、自己決定の形をとって帰還に追い込まれている。

「3年半は長すぎた。避難生活に慣れてしまって、気力が湧かない」―葛尾村議会元議長松本さんのため息だ。松本さんは村の顔役として帰還の準備を進めるが、村民450戸のうち帰るのは200戸程度。帰還後の話になると「とんでもないことになってしまった」と、またため息をついた。

浜通りを縦断する国道6号線の交通規制が全面解除された。「復興」キャンペーンの一環だが、原発が近づくと線量計の数値が跳ね上がり、国道沿いの家々は、厳重にバリケード封鎖されている。この6号線を事故原発を横目に見ながらいわき市から北上。「希望の農場ふくしま」を訪問した。

福島報告の第1弾は、「希望の牧場ふくしま」代表・吉沢正巳さんのインタビューとする。希望の牧場は、事故原発から14㎞、居住制限区域と帰還困難区域の境界線上にある。牧場の入口が居住制限区域のため、かろうじて出入りできるという高線量地域だ。線量計の数値は、空間線量が2~3μSv/時、雑草や木が生えている表面汚染は12Bq/平方cmを示した場所もあった。

吉沢さんは、家畜全頭殺処分に抗いながら居住制限区域の農場で寝泊まりしている。水素爆発を間近で見た吉沢さんは、3日後に東電本社に乗り込み、抗議をしたという。経済価値としてはゼロとなった牛300頭を生かし続けるために移動が禁止されている汚染牧草をかき集める日々だ。(編集部・山田)

経済価値ゼロの牛を生かし続ける意味を考え続けて

吉沢…「希望の牧場」は、和牛の繁殖肥育をやっているM牧場の浪江農場としてあり、事故当時、330頭の和牛が飼育されていました。私は浪江農場の責任者として雇われていたのです。

福島第1原発から直線距離で14㌔、現在も居住制限区域に指定されています。浪江町は、3分の2が帰還困難区域となりました。20㌔圏内には、約300軒の和牛農家があり、3500頭の牛が飼われていましたが、4月22日に警戒区域に指定され、機動隊が来て地域全体が封鎖されました。住民は緊急避難を命じられ、ほとんどの農家が牛を繋いだまま避難せざるをえず、1500頭の牛が餓死しました。

しかしM牧場は、社長の「牛を見捨てられない」という判断で、牛を牛舎から放して放牧し、社長と私の2人で3日に1度、餌を運び込んで、なんとか生き延びさせました。ただし、放牧場の草は、とてつもない放射線を放っていました。6月末時点で15μSv/時でしたから、事故直後は50μSv/時くらいはあったでしょう。牛たちの肉・内臓・血液は、ものすごい汚染です。もちろん売れません。

5月12日には、全頭殺処分が指示されました。ペットの犬猫については救済が認められたのに、家畜は全頭殺処分だったのです。この時点で俺たちは「絶対に国の指示には従わない」と決意しました。他の農家の牛約100頭もうちの農場で預かり、助けることにしました。

この牛たちの経済価値はゼロ、飼育する俺たちは日々被曝しています。それでも国の方針に逆らって飼育することに何の意味があるのか?を、ずっと考え続けています。

ひとつの答えは、「放射能事故の影響を記録するための生きた証拠」として活かし続けることです。この地区では、1700頭以上が殺処分されましたが、10軒の農家が殺処分を拒否し、仮設住宅から通いながら牛を飼育し続けています。一方で、殺処分に同意した農家は、心に深い傷を負い、2度と牛の飼育はしないでしょう。

風化が進む3・11/20㌔圏内は農漁業できず絶望の街

吉沢…警戒区域となった20㌔圏内で、農業の再開は不可能です。いくら除染したって、浪江町で米作りなんてできないことは、皆わかっています。今、小高地区で除染をやっていますが、山の除染はしませんので、いったん線量が下がってもやがて元に戻るのです。

事故原発からは今も放射能が放出され続けていますし、環境汚染は続いているのです。津波の被害地区では、農機具も住宅も流され、用水路も壊れ、海水による塩害もあります。もう一度借金して農機具をそろえ、農業を再開しようという農家があるでしょうか?

漁業も同様です。浪江町には請戸に漁港があったのですが、ほとんどの船が津波で壊されました。住宅も壊滅して高台移転します。汚染水が流れ続けている原発から5㎞の漁港で漁業再開などできますか?廃炉作業の現場を傍で見ながら家を建てる人がいるだろうか?

浪江に子どもたちが帰ってくることは、絶対にありません。避難した先の児童・生徒になっていく他ないのです。子どものいる若い世代は町に帰らず、帰ってくるのは仮設生活に耐えきれなくなった高齢者だけです。仮設住宅は、冬は寒く夏は暑い。隣の音が丸聞こえでプライバシーもなく、冬の結露で住宅の基礎が腐り始めています。

現町長の馬場有さんは、浪江町を「流浪の町」と表現しました。町民の3分の1は県外避難しています。他の町民もバラバラになっています。絆なんてズタズタに切れてしまったのです。

津波被害で183人が亡くなりましたが、その後の震災関連死で320人が犠牲となっています。弱い人からどんどん死んでいるのです。病人を抱えて避難した家族の話は、切ないものです。

浪江は、見棄てられる場所です。第1次産業はすべてダメ。病院やスーパーも再開することはありません。上下水道などのライフラインも壊れたままです。墓石だって壊れたままなんです。

2万1千人の町だった浪江は、2千人ほどの、もはや「街」とは呼べない地域となるでしょう。それでも年寄りは、仮設でくたばるより自分の家に帰ったほうが良いと私は思う。そのほうが長生きできるからです。

町が実施するアンケート調査に「生きている意味がない」と書く人が大勢います。鬱状態の人もいっぱいいる。そんな中で自殺者が出て、孤独死が増えているのです。刺身包丁で腹を切って自殺した人もいます。切腹です。仮設住宅は、人減らしのための収容所ですよ!これが人間の扱い方ですか!棄民でしょう。

仮設暮らしはこの先も2年くらい続くでしょうが、復興住宅は、全く間に合わない。そんな中でこの国は、東京オリンピックに浮かれている。金も人も東京に集められ、福島は放っておかれるでしょう。

情報統制が始まった

東電・政府の本心はわかっています。賠償額をできるだけ抑えるために、時間を引き伸ばし、加害者が提示した額で諦めるように仕向けているのです。我々は「被害者」ではなく「邪魔者」扱いです。

東京電力の3分の1の電力は、福島県内の原発・火力発電で作られていました。福島の電気で東京・関東が成り立っているのです。東京・渋谷で月に2回街頭演説をしているのですが、東京の夜は、ますますきらびやかに光り輝いています。夜昼となく人が集まり、賑わっています。その電気はいったいどこから来ているのか?もう忘れ始めているようです。

3・11の記憶がどんどん風化しています。しかし、東京が地震の被災地になることだってありうることを、皆、見ないようにしているだけなんじゃないですか。

3・11の風化が進んでいます。渋谷で街頭演説をしていると、「事故の話なんて聞きたくない」とか、「原発は必要でしょう」とか、  なんとなく安倍政権の国民コントロールの中に皆が巻き込まれ、流され、言いなり状態になっていると思う。

反原発運動が盛り上ろうとした時に、石原都知事が仕掛けたのが尖閣問題でした。これが見事に成功して、あっという間に集団的自衛権まで行き着いてしまった。今は、東京オリンピックが人々の心を冒し始めていると思います。福島では、3・11直後に、日の丸を型どった「ガンバロウふくしま」の旗が一斉に旗めいていました。「絆」が叫ばれ、これが東京オリンピックキャンペーンにつながっている。

絶望のど真ん中に「希望」の旗を立てる

「美味しんぼ」騒動で感じたのは、言論統制が始まったということです。

反撃の実力行使として、私は、斑点牛を農水省前に連れていって、「現実を見ろ、事実を見ろ!」と言ってきた事故の後、猛烈に汚染された草を食って育った牛20頭に突然変異が起こっているのですこれは風評被害ではなく、事実だし、大熊町にも同じような斑点牛がいます。

避難指示区域の内側では、喉に斑点模様が出た燕も見つかっています。植物や魚にも異変が起きています。チェルノブイリと同じことが起こっている。だからこそ、原発再稼働を強行し、原発の時代に逆戻りするうえで不都合な真実がマスコミを通じて広がることを嫌がっているのです。

今,103人の子どもたちの甲状腺異常が確認されていますが、これが300人に増え、500人を越えれば、政府も放射線との因果関係を認めざるを得なくなるでしょう。しかし、その時には既に原発は、全国で再稼働が進んでいるでしょうし、リニア新幹線とセットで原発輸出も始まっているでしょう。原発時代の完全な復活です。

──そんな絶望的な見通しをもちながら、なぜ「希望の牧場」という名称なのか?

吉沢…絶望状態にあって自滅したり崩れないために必要なのは、希望だからです俺たちに原発事故の責任はない。俺たちは被害者であり、避難民です。売れない牛に餌を与えながら、朽ち果てるまでここでがんばろうと思う。その姿を見てもらうことによって、福島事故を忘れるな!と言い続けるのは、牛屋としての意地なのです。意地はこの際、正しくなければなりません。

この農場でも200頭の牛が死んだ。毎日のように死んだ牛を片付ける日々が続いたこともある。頭がおかしくなりそうだった。でも、他の牧場の牛を助け、子牛も生まれた。絶望も希望もごちゃ混ぜ状態。絶望のど真ん中に俺たちは希望の旗を立てたい。決死救命、団結!そして希望へ。

作られた「分断」を超えて

俺たちは、政府の殺処分命令に反して牛を生かし続けた。これは正しかったと信じている。でも、殺処分に応じた人たちの判断も正しかった。津波の現場では、緊急避難のために身内を助けに行けなかった人もいる。その人の判断も正しかった。警戒区域の中でみんながとった判断は、みんな正しかったと言うべきだ。正しさは何通りもあって、みんな認めなくちゃいけない。

ところが、事故の後、あちこちで激しい言い争いが続いている。だから、もう感情的な言い争いはしたくない。殺処分に応じて出ていった酪農家が、「なんでお前らだけが勝手に牛を育ててんだ。命令に従った俺たちが馬鹿を見るじゃないか」と、俺たちを非難する。でもそれは、切ないからなんだ。その気持ちは、同じ牛飼いとしてよくわかる。

子どもたちの避難をめぐっても、夫婦間で、逃げた人たちと残った人たちとの間で、激しい言い争いが起こった。放射能のパニックの連鎖も起こった。

奪われた人生・未来は、お金では買えない。でも、金を貰っちゃうとみんな大人しくなる。「あいつより俺がなんで少ないんだ」というような避難民同士の言い争いが、延々と続いている。金は人を狂わす。金をめぐって家族や親戚関係がおかしくなっているのを見るのは、もうたくさんだ。

そもそも、加害者である東京電力が補償の基準や枠組みを決めていること自体がおかしいんだ。交通事故だって、まず被害者側の被害算定が基礎となって賠償額が決まっていく。加害者が賠償ルールを作るなんて、全く間違っている。

浪江町は、原発立地町でなかったために避難情報が来ず、避難先の津島で4日間も猛烈な被曝に晒された。いったん原発事故が起これば何が起こるのか?仮設住宅に1年居たら、人びとはどうなるのか?こうしたことも含めて、体験したことを伝えなければならないと思っている。

「原発時代」乗り越える実力闘争を

国にとって汚染された牛たちは邪魔者であり、県は「汚染牛が生き続けることは、福島の畜産再建にとって障害になる」と言っている。だから全頭殺処分を指示し、立ち入りも報道の自由も禁止した。

そんな所に俺たちは勝手に住んで牛を飼い、移動が禁止されている汚染された牧草を運び込んでいる。やること全てが反政府的行為だ。だから、この牧場のスローガンは、「治外法権牧場」。

「希望の牧場」カンパ送り先

◎ゆうちょ銀行
10140-59459781

◎他行からは…店名ゼロイチハチ/
店番018/普通5945978

◎名義
キボウノボクジョウフクシマプロジェクト

もうひとつは、「原発一揆」。放射能事故で無茶苦茶にされた俺たちは、原発一揆の先頭に立たなければならないと思っている。国民の実力によって原発の時代を乗り越える連帯運動を、本気で広く深くやらなければならない。実力によって民意を見せつけるしか、原発時代への逆戻りを阻止することはできないだろう

俺は、己の人生テーマとして3・11後を背負うことを決めた。体を張って、本気で闘う姿には、多くの人の理解や共感が生まれると信じている。今回の震災と原発事故でそういう人がたくさん生まれた。若い人たちにそういう姿を見せて、「一緒に考えよう、行動しよう」と呼びかけたい。(続く)

  http://www.jimmin.com/htmldoc/153301.htm

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「浪江町のおばあちゃんたちの言葉」 2014年12月1日()No.1042

2014-12-01 20:21:06 | 原発事故

昨日11月30日は大阪市内で

『原発あかん・橋下いらん・弾圧やめて!―中山千夏講演会』があり、

「じゃりんこチエ」や「ひょっこりひょうたん島のはかせ」の声優だったり、

国会議員だったり、小説を書いたり、ウーマンリブの活動家だったりした千夏さんが

どんな歳の取り方をしているか、人生の先輩に会いに行くような気持ちで参加した。

千夏さんの話は後日にすることにして、

その集会ではいくつもの物品販売ブースあり、

福島県浪江町からの避難生活をずっと余儀なくされている

女性たちグループ「浪江花の会」のメンバーが刺繍した布巾も売られていた。

下の桜模様のと、孫用に猫の柄のを買った。

家に帰って袋から取り出すと、印刷された手紙がついていた。

「浪江花の会

東電原発事故で家を追われ、桑折町の仮設で暮らしている

おおむね65歳以上の7名で作っています。

事故で避難してから、何もすることのない日々でした。

朝から晩まで働いた日々からすれば、

こんな楽なことはありません。

でも、こんなに辛い、切ない思いをしたこともありませんでした。

 

故郷浪江を思い出さない日はありません。

 

このまま寂しく終わりたくない。

日々を、何か手仕事して人と語らいながら、

今をせめて心豊かに暮らしたい。

「負けてらんに

そんな気持ちで作っています。」

 

「被災に際し全国の皆様にご支援をいただき、本当にありがとうございました。

沢山の方々に、様々な形で日々の暮らしを支えていただきました。

明日が見えない日々にどれだけ励まされたことでしょう。

拙い手仕事ですが、手を動かしていれば、不安や辛さを忘れることができます。

何かしていなければ、

こんな老後を望んだわけではないこの暮らしの辛さに押し潰されてしまいます。

毎日、こうしてみんなで働くのは張りがあります。

この1枚を通じて、私たちの思いが伝わればありがたく思います。

ありがとうございました。

福島県伊達郡桑折町東段30C14-5菅野方  浪江花の会」

と書いてあった。

浪江町には原子力発電所がない。

2011年3月11日のあの日まで、東北電力による誘致活動を

毅然として拒否し続けてきた町だ。

町を流れる請戸川には鮭が遡上し、

美しい山里のたたずまいはよくテレビで紹介されていた。

そんな町が、現在もなお家に戻ることができないほど、

福島原発一号炉事故により、

放射能に汚染されたゴーストタウンに変わってしまった。

浪江町の人たちはどれほどの悔しさ、情けなさに身を焦がしたことだろう。

自分たちの選択ではなかったにもかかわらず、

二度と故郷へは帰れない境遇に甘んじなければならないとは……。

そんな中、今も政府自民党は東電から多額の献金を受け取り、

手に手を取って、原発再稼働にひた走っている。

さらに復興予算で「福島県環境創造センター」なる放射能の研究・教育拠点が

2015年度に開所するという。

また、安全神話をばら撒く気か。

墓は破壊されたまま、遺影は壊れた家に取り残されているというのに。

この国の上層部の人間は、普通の人の人生なんか、何一つ考えちゃいない。

日本では政治家や経済人の上層部だけが生きていけたらそれでいいのである。

と、安倍首相率いる政府および自民党の90%は思っている。

90%とは原発再稼働賛成の自民党議員の割合である。

出典ccpics.net  壊れたままの墓

 出典 www.inspiration-gallery.net

ご先祖、家族の写真が家にそのまま取り残されている。

 

 出典blog-imgs-44.fc2.com

家の中で食べ物をあさる豚。

(下から3枚の写真・説明はmisukiruさんのブログhttp://matome.naver.jp/odai/2138053328248435601よりお借りしました)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「福島から避難している中学一年生のスピーチを聞く」 2014年3月11日(火)No.867

2014-03-11 08:21:54 | 原発事故

「今はあの時より怖いです。 

全部なかったことになってしまった、この現実が怖いです。」

 


震災の時、私は小学4年生でした。毎週100キロ離れた ピアノ教室まで習いに行き、帰りにイオンモールでゲームをするのが楽しみでした。 

父、母、兄がいて、それなりの楽しい生活が3年前の震災で終わってしまいました。 

今、私は母と兄3人で、国が認めない放射能汚染から逃れて北九州にいます。 

福島からの避難を許してもらえなかったので、母は父と離婚同様です。この3年間私は父と話をしてません。 

今でも震災が夢のようです。土壌汚染は確かにあるのに、みんな福島で暮らしています。 

私たちもお金がなくなったら、どんなに土壌汚染や、焼却での大気汚染があっても福島に戻る時がきます。 

戸籍上、母子家庭ではないので、公営住宅に入ることもできません。 

あんなに大変な爆発があったのに、みんな忘れて原発を動かそうとか、放射性物質を燃やしたり埋めたりしています。 

また、私たちは震災を経験し、福島原発の当時の所長が死んだことをニュースで見て知っているのに 反省もせず、生活そのものを見直すこともなく、 

原発でなければいいだろうと、太陽光や風車などの代替エネルギーを求めています。 

あの爆発で、人が住んでいる場所でのエネルギー産業はマズイということが 大人はわからないのでしょうか? 

日本には、54基の原発、爆発事故によって今は、1700基以上ある 全ての焼却炉、バイオマス発電、製紙工場、セメント工場から 放射性物質を含んだPMが日本から出ています。 

あの時の爆発で目の覚めなかった人がたくさんいてビックリしてます。 

私たちの未来を救ってくれるのは、大人だと思ってましたが、無理かもしれません。 

今でもたまに思い出します。 

2回目の爆発のあと、母とさいたまへ避難しました。母は「日本はチェルノブイリになったかもしれない」 

「もう帰って来れないかもしれない」と言っているのを聞いて、私は怖くなりました。 

「全部、全部、夢ならいいのに」と言いながら車に乗って避難しました。 

今はあの時より怖いです。 

全部なかったことになってしまった、この現実が怖いです。

 

 

さよなら原発3・9北九州集会での福島からの避難者中学生のスピーチ

2014-03-10 | ニュース

 動画はこちら⇒  http://bit.ly/1hZ9qo4 

動画は8:50辺りから紹介、スピーチ

―――ブログ「風の谷」  再エネは原発体制を補完する新利権構造 さんのブログより―――

http://blog.goo.ne.jp/flyhigh_2012/e/a5e70912d64da23c690e59bf3fe6b381

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「来日のノーム=チョムスキー氏、福島の親子に語る」 2014年3月9日(日)No.865

2014-03-09 09:47:05 | 原発事故

今日は3月9日、大阪では「さよなら原発 関西行動」が行われている。             日時:3月9日(日)10:00~  会場:北区民センターホール(10:00~)
扇町公園(13:00~) 

私なりのせめてもの共同行動として、昨日の東京新聞記事を
ここに紹介させていただく。

ノーム=チョムスキー氏

チョムスキー 福島の親子らに語る 被災者になぜ寄り添わぬ/

3月8日 東京新聞:こちら特報部

2014-03-08 14:42:12 | 世界

東京電力福島第一原発事故から3年がたとうとしている。
来日した米国人の言語学者ノーム・チョムスキー氏(85)が、自主避難を余儀なくされた福島の親子らの訴えに耳を傾けた。
いまだに不安や恐怖にさらされている被災者たち。
「世界最高の論客」と評されるチョムスキー氏の目に、この状況は、どう映るのか。(林啓太)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2014030802000129.html

◆政府は常にウソで言い含める

「無防備な子どもたちが、放射線の危険にさらされている。恐ろしいことだ」。4日に東京都内のホテルで福島の親子らと面会したチョムスキー氏は嘆いた。

チョムスキー氏と会ったのは、福島市に住む武藤恵さん(40)と小学3年生の長女玲未(りみ)ちゃん(9つ)の母子、福島県郡山市から静岡県富士宮市に自主避難した長谷川克己さん(47)の3人。長谷川さんは妻、小学2年生の長男(8つ)、長女(2つ)の4人暮らしだ。

恵さんの自宅は福島第一原発から約60キロ。「政府は換気扇を閉めて、外出する時はマスクを着けるように、ということしか教えてくれなかった」と、当時の混乱を振り返った。

山形県に週末だけ自主避難していた時期もあったが、経済的な問題もあり、やめた。「事故後、子どもの体調が良くない」という。国は緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)による放射能汚染の情報を隠していた。それなのに「『安全宣言』をした。周りは事故前と変わらない日常に戻ってたように見えるが、そうではない」と、放射能の恐怖にさらされている現実を訴えた。

長谷川さんは、郡山市内で介護事業を営んでいたが、事故の5カ月後に自主避難した。「将来、健康被害が出たら、お金で償われても元には戻れない。子どもを守ろうという思いだけだった」。避難先の静岡での生活については「日雇いの工事現場の作業員をして食いつないだこともある。経済的に安定せず、心もとないです」と切々と語った。

自主避難者は十分な補償が受けられない。東電からの補償金も避難区域内に住んでいた避難者に比べて乏しく、経済的な負担が重くのしかかる。

チョムスキー氏は、両手をテーブルの上で組んだり、沈思するように右手をあごに当てたりしながら、静かに親子らの会話に耳を傾けた。話の合間に「ほかの親はどんな対応をしているのでしょうか」 「放射線の被害に理解のある医師からケアを受ける機会はあるのでしょうか」問い掛けた。

「子どもらがどんなに不安でも、政府というのは心配するなとウソで言い含めようとするものなのです」。米国とソ連の緊張が核戦争の寸前まで高まった1962年のキューバ危機のころのことをとつとつと語った。「私の娘の友達の中には、戦争になれば生き残れないと不安そうな子もいた。米政府は『米ソの緊張関係は危なくない』と宣伝した。私の娘は学校の先生から『核戦争が起きても机の下に隠れれば大丈夫』と言われたんですよ」


◆最も弱い子どもらがどう扱われるかで 社会の健全さ問われる

緊張した面持ちでチョムスキー氏の顔を黙って見つめていた玲未ちゃんは、周囲に促されて「武藤玲未です」と自己紹介。チョムスキー氏も、この時ばかりは柔和な表情を見せ、「日本に50年ぐらい前にも来たことがある。私の娘がちょうどお嬢ちゃんと同じくらいだった」と懐かしがった。

チョムスキー氏は、ベトナム反戦運動に関わって以来、外交や大企業優遇の政策で米政府がろうするウソや秘密のやり口を徹底的に批判してきた。

米中枢同時テロの後、米国のアフガニスタン侵攻やイラク戦争について強い反対意見を表明。最近では、米国内の貧困問題でも積極的に発言している。

福島第一原発事故の後、2011年9月に東京都内で開かれた脱原発集会の際、支持を表明する連帯メッセージを寄せた。福島の親子らと面会したのは、福島の子どもたちの「集団疎開裁判」を支援してきた縁からだ。

12年1月、「最も弱い立場の子どもらがどう扱われるかで社会の健全さが測られる。私たち世界の人々にとって裁判は失敗が許されない試練だ」と集団疎開裁判を支持するメッセージを寄せている。上智大での講演を機に来日したチョムスキー氏が、「ぜひ、親子と会いたい」と会談を要望し、実現した。

集団疎開裁判では、郡山市に住む児童と生徒14人が、空間線量が年間1ミリシーベルト未満の地域に疎開して教育を受ける措置を市に求め、仮処分を申し立てた。

司法の判断はつれなかった。福島地裁郡山支部は11年12月、申し立てを却下。仙台高裁は13年4月「福島原発周辺の児童・生徒の健康に由々しい事態の進行が懸念される」としながらも抗告を却下した。

福島の親子らは4月にも、約10人の子どもを原告として、地元の自治体を相手に集団疎開を求める行政訴訟を起こす予定だ。

チョムスキー氏は、親子らに「政府に対する外圧を上手に使うことだ」とアドバイスした。「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)などの権威のある国際的な団体と健康被害の調査について連携し放射線の被害を広く訴えることもできる。日本政府に被害を隠すことは恥ずかしいと思い知らせられればよい

日本は広島、長崎の原爆を経験し、放射線の怖さを知っているはず。それなのに、政府が被災者の不安に寄り添わないとは。言葉にならない」と日本政府の対応を厳しく批判した。

チョムスキー氏は、「こちら特報部」のインタビューに、安倍政権についての懸念も表明した。「日本の超国家主義者は平和憲法を無くそうとしている。安倍晋三首相らが靖国神社に参拝し、従軍慰安婦を否定しようとするのは、日本を帝国の時代に戻そうという狙いがあるのではないか。ヒトラーが権力を掌握していく過程を思い起こさせる」

集団的自衛権の行使容認についても「集団的自衛権と言えば聞こえは良いが、実態は戦略戦争だ。米政府も戦争を国防と言い換えるが、それに似ている。だまされてはならない」と指摘。自民党の石破茂幹事長が特定秘密保護法の抗議活動に対し、「テロ行為と本質は変わらない」と言い放ったことに触れ、「政府は市民の反発を恐れている。テロリストというのは、権力側が反対する市民にレッテルを貼っているだけだ。強制や弾圧を正当化する言い訳にすぎない」と話した。

「政府の過ちをただせるのは市民だけだ。困難だろうが、福島や日本全体で、政府が無視できない運動をつくり出してほしい。地域の市民のつながりを強化してほしい。それこそが状況を改善していく道だ」


<デスクメモ>
青いセーターにジーンズ姿。「現代最高の知性」は、ラフな格好で被災者の前に現れた。好々爺(や)のような表情で話を聞いていたが、いったん口を開くと、舌鋒(ぜっぽう)鋭い。人間の尊厳を守るための闘いで、市民と言論の力が重要だという固い信念を感じたという。声を上げ続けなければならない。(国)

【ノーム・チョムスキー Avram Noam Chomsky】
言語学者、哲学者。1928年、米国フィラデルフィア生まれ。
ペンシルベニア大を卒業し、61年からマサチューセッツ工科大(MIT)教授。50年代に、言語学における革命的な理論を発表し、「現代言語学の父」と呼ばれる。
一方で、ベトナム反戦運動に携わり、人権や平和に関して積極的に発言。今年1月には、米軍普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古への移設について、「沖縄の軍事植民地状態を深化、拡大させる」と反対する声明をほかの有識者とともに発表している。
著書に「統辞構造論」 「メディアとプロパガンダ」 「秘密と嘘と民主主義」などがある。

―――「薔薇または陽だまりの猫」さんブログより転載―――

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「山本太郎さんの‘天皇直訴’まとめーおしどりマコさんブログから」2013年11月25日(月)No.805

2013-11-25 16:51:17 | 原発事故

↑山本太郎さん(おしどりケンさん撮影。山本太郎氏が参議院議員に当選した日、選挙事務所にて。) )

1か月ほど前、参議院議員山本太郎さんが、園遊会で天皇に直接手紙を渡したことで、
一時期、彼に対する賛否両論が沸き起こった。
非難する意見の多くに「不敬」であるという文言があって、私は大いに驚いた。
いったいどこが不敬なのか?
そして、いったい不敬とは何か?である。
ステテコ姿で登場してもいないし、片手で渡したわけでもない。
服装もきちんとして、両手で恭しく渡していたそうじゃないか。
天皇は神様ではない。人間であり、大変リベラルな紳士でいらっしゃる。
園遊会は、天皇が国民と交流する場なのではないのか。
「手紙を天皇に渡したらダメだ」という決まりもないではありませんか。
そして、紳士の天皇はちゃんと、山本太郎の手紙を受け取らはった。
それでええやん。
それ以上、何をグチャグチャゆうことあんねん?
右翼か誰かが太郎さんに脅しの刃物や銃弾を送りつけたことの方が
よ~~~~~っぽど(ふう、ここで一息)、法律違反で悪いことでしょ?
それを、サンケイなど邪悪なメディアは、
「これからも右翼による脅迫は続くだろう」などと、
まるで脅迫するのが当然のような書き方をしているのだ。
これを「メディアによる煽り」というのである。

ついでに言わせてもらえば、
多くの人が天皇「陛下」と書くのも非常に違和感がある。
天皇陛下と言わなければ不敬なら、みんな歴代天皇にも陛下を付けたらどうなんだ。
「東大寺をご建立なさった聖武天皇陛下」
「〈春過ぎて 夏来るらししろたへの~〉とお歌いになった 持統天皇陛下」
教科書に全くそのように書いていないのは不敬の極みではないのか。
ひょっとして、亡くなった天皇はただのヒトだから
「陛下」を付けなくてもいいんですかね。

天皇は地位を表すので、その後に「様」とかつけるのもおかしい。
「博士様」「先生様」とか、みんな違和感感じるでしょ?

ま、私のような「内地人」(←北海道では本州の人々をこう呼ぶ)ではない者の
発言に対して、「お前はそれでも日本人か!」という
罵声が内地から飛んでくるかも知れないが、どっこい私は日本人なんだす。
遠くに出稼ぎに来ているのに、ずっと律儀に祖国に税金も払っているんだす。
なので、自分の国がもっと多様な人の意見に耳を傾け、
少数者を迫害せず、異端を大切にする懐の深い素敵な国になってほしいんだす。
(中国の学生の皆さん、この文末の「だす」は、
皮肉を言っている無骨人というニュアンスで読んでね)

ああや、こうやと意見が多い今回の太郎さんの行動だが、
彼は福島の状況を天皇に訴えたかったそうだ。
では、その福島県民は彼の行動をどう受け止めたのだろうか。
それが、一番たいせつなことだという気がする。
結局、それをこの「事件」のまとめと教訓にしたらいいのではないだろうか。
おしどりマコさんが、きちんと福島の人たちに聞いて回ってくれはったので、
とても参考になった。
長いが、マコさんのブログ文を、ベッタリ貼り付ける。
長くて、値打ちがあるいい記事だと思う。


            ↑おしどりマコさん(右)

以下おしどりマコさんのブログ文全文掲載―――――

山本太郎「天皇直訴」手紙の中身と福島の反応(おしどりマコ)
2013年11月02日
山本太郎参議院議員が10月31日の園遊会で天皇陛下に手紙を直接渡し、騒動になっている。
筆者は山本議員に手紙の内容を取材し、手紙の内容となっていた福島第一原発の作業員と福島県民、計30名ほどに取材をしたのでまとめる。
1.山本太郎議員の手紙の内容
2.福島第一原発作業員の感想
3.福島県民の感想
********
1.山本太郎議員の手紙の内容
「不躾にもお手紙を陛下にお渡しする無礼、お許し下さい。」という書き出しで始まる手紙だそうである。
原発事故によって、未来を担う子どもたちが置かれている状況や事故の収束作業に関わっている作業員の現状をお伝えしたかったと話す山本議員。
具体的な内容として、
東京電力が支払う日当は一日8万円だが、最下層の下請け会社では日当が数千円になっている現状、
原発事故前と同じ法律で、原発事故後の収束作業の健康管理がなされている状況、
しかし、住民は、事故前は年間1mSVだったが、事故後は20mSVまで、となっていること、
子どもたちは大人と比べて放射線への影響が高いといわれているが、影響の因果関係を突き詰めることは難しい中、不安に思う母親が多いこと、
福島県だけではなく、東日本のホットスポットの住民も同調圧力の中、不安に思う者もいること、
などをしたためたという。
********
2.福島第一原発作業員の感想
(みな男性。年代を記そうと思ったが、伏せてほしいという要望が多かったため書かない。年代によっては、人数が少ないからである)
「特に大きい話ではない、事実の1つとして受け止めた。中は(福島第一原発は)普通。特に騒いでもないし、話題にもあまりあがらない」
「代弁してくれたという思いと、やっちゃったなという思い」
「現代の田中正造だと思った。彼がしたことがいいか悪いかは、歴史が判断する。今、とやかく言うことではないし、原発事故が起こり、自分たちが作業していることは事実」
「ルール違反ではあったが、声をあげてもらえるのはありがたい」
「山本太郎を叩いている議員は、我々のために何かしてくれたのか。山本太郎を叩いている議員に、書簡の内容をどうとらえているか、聞きたい」
「ただ、ビックリ。実直なんだよね、山本太郎。福島の現状と子どもたちのことを伝えてくれたのはありがたかったけど、政治家として違う勝負は無かったのかな」
「何とかしたいと思ってくれるのはありがたいが、戦略がない。感情だけで動いてしまった感じ」
「山本太郎の気持ちはわかる。ということは庶民に近い議員だと思う。でも、庶民のルールは通用しないところで動いているので、もっとクレバーに」
「甘い。田中正造は全財産失って、やりつくしたうえで死ぬ覚悟で直訴した。山本太郎はまだやりきっていない。福島原発事故のことを考えてくれる気持ちはわかるが、直訴の前に、やれることはまだまだあると思う。ここで失脚したらもったいない」
「陛下に現状をお知らせしても、陛下はお困りになると思う。陛下はわかってくださっていると思う。でも、山本太郎の行った気持ち、何とかしたいという思いはわからなくもない」
********
3.福島県民の感想
(陛下に関わることなので、地域名、年齢、性別も伏せてほしいと要望されたものは書かない)
「これだけ動いてくれる議員がいてもいいのではないか」(40代男性)
「気持ちはわかるけど、やっちゃった、と思った」(30代男性)
「直訴はわかるが、園遊会でないほうがよかったのでは」(40代男性)
「選挙が終わったら、演説、公約で話していたことを実行しない議員が多々いる中、当選後もずっと原発事故のことで動いている。そこは評価できる」(福島市60代)
「………愚直な人だと思う」(50代男性)
「山本太郎を叩いている著名人は、彼の手紙の内容をどう思っているのか知りたい」(郡山市女性)
「私たちのために、よくぞ危ない橋を渡ってくれたと思う」(いわき市女性)
「政治的利用って言っているけど、どっちが? オリンピックのために皇族が応援演説したことを私たちは一生忘れない。あれを見て福島の中にどれだけ傷ついた人間がいたか。本当にショックだった。東京都知事がキャッシュで4000億円オリンピックのための予算があると言い、皇族が応援のスピーチをし。私たちは東京のための電力をになっていた原発の事故で今も苦しんでいるんです。これ、匿名で絶対に書いてほしい」
「天皇陛下の政治利用って、どういうことだろうね? 皇族は関係ないの? 僕は、天皇陛下も皇族の方々も敬愛しているけれど、オリンピックのスピーチはショックだったよ。スポーツの祭典だから政治関係ないのかな、でも都知事や総理に並んで、皇族の方がスピーチされたのは、福島が切り捨てられた気がしたな。僕の周りにも、あのことは許さないと話す人間もいるしね」(30代)
「自分たちはノーという権利はないんですか。今、イエスだけを強要されている気がします」(双葉郡)
「山本太郎はあまり好きではないけれど、今回のことも甘いなと思うけれど、でも、もったいないと思う。だって、他に原発事故のことであそこまで動いてくれる議員はいないから。山本太郎は苦手だけど、じゃ、他に今、原発事故のことでとにかく動いてくれるだろうなっていう国会議員、他に誰がいる? 俺は相当議員に会ったけれど思いつかないね」(男性)
「まだ議員になって、何もしてないのに早すぎじゃない? 6年あるんだから焦らなくても……田中正造は死ぬ覚悟でやったけど、山本太郎は死ぬ覚悟はあったのかな? 特定秘密保護法案なんかで彼の焦る気持ちはわかるけど短慮だと思う」
「自分は、実は、誰かが天皇陛下に訴えてくれたらいい、と願っていた。どなたかに託そうかと思っていた。原発事故のことは、国連でも、WHOでもムリだ。ローマ法王に直訴に行こうか、と考えていたこともある。日本の行政も国会議員も研究者も、訴えてもダメだった。どこに、誰に訴えたらいいんだろうかと思って。」(40代男性)
山本太郎議員が陛下に直訴するという騒動のあと、山本議員の書簡の内容、その内容の主旨であった福島第一原発の作業員、福島県民がどのように感じたかが報じられていないので取材した。
匿名で書くことを条件に、本心を明かして頂いた。作業員の方々は年代を、福島県民の方々は地域名、年齢、性別などは記そうとしたが、陛下に関わることなのでそれも伏せてほしいと要望され、書いていない。
11月1日に、筆者が山本太郎議員の行動に対するコメントを求めているということが広まり、1日夜には作業員や福島の方々が自ら電話やメールなどで、いろいろなコメントを送ってくださったことを感謝する。
取材をして、作業員や福島県民の受け止めは
・山本太郎議員の行った行動は、軽率ではあるが、代弁してくれたという感はある
・山本太郎議員は甘いが、彼を批判している議員、著名人は、福島原発事故に関して何か動いてくれたのだろうか?
に集約されていたように思う。
特に、取材をしていてオリンピック誘致の際の皇族の方への思いに触れ、こんな激しいものだったのかと筆者は驚いた。
書こうか書くまいか逡巡した。
しかし、想いを打ち明けた方が「難しいと思うけど、書けるんだったら書いてほしい、知ってほしい」と最後に言ったこと。そして、他の福島の方数人に、このような内容を記事に書くのはためらわれる旨を相談したところ、そう考えている人間はいる、自分も同感だ、と話されたため、やはり書くことにした。
筆者は祖父が神主の資格を持ち、神事に携わっていたこともあり、天皇陛下は敬愛している。
筆者は日本を愛しているが、それは日本政府を愛しているということと同義ではないことを最後に付け加える。 http://no-border.asia/archives/16100
ーーーーーーーーーーーーー――――――――――――――終り
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする