毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「菏澤学院2年生はゆとり教育断固支持!」No.1781

2016-10-25 22:45:11 | 教育

最近、雨が続いて気温も急降下しています(今は外気温7℃の表示)。

雨上がりの蜘蛛の巣に大粒の水滴がくっついて巣を浮き上がらせています。

今日の「日本国家概況」(2年)は、

数週間学習を続けてきた日本の教育についてまとめのグループ討論をしました。

メインテーマは「ゆとり教育と詰め込み教育のメリット・デメリット」で、

自分たちが受けてきた中国の学校教育(完全な詰め込み教育)と、

日本が約10年間施行して止めた「ゆとり教育」を体験に基づいて比較することです。

2年生はクラスの人数が12人しかいないので、3人で1グループになり、

討論は中国語でもいいが、まとめの発表は日本語ですることとしました。

この学年は、どの学生も何とか日本語で発表できるレベルを保持しています。

と言うか、「日本語で話しなさい」と言われたら、その通りに頑張るのです。

(つまり、そうでない学年も存在するということが、これでお判りでしょう(笑))。

発表では、

「高校時代の教育環境が劣悪で、知識の詰め込みだけでなく、

50~70名もの生徒を一教室に詰め込んで授業をしていた」、

「先生の要求が多くて、圧力(ストレスのこと)を強く受けていた

(例:朝6時からクラスでジョギングする、毎日あまりにもたくさん宿題を出す、など)」、

「学校と寮の往復で、自由度が低い(男女交際はどの学校でも公的に禁止)」、

「知識を覚えるのに忙しくて、興味のあることをじっくり深く勉強するチャンスがない」、

「先生も親も成績を非常に重視して、期待に沿わないと厳しく叱責される」など、

実体験に基づく詰め込み教育の弊害が噴出しました。

良い所はないのか聞くと、

「学費が安い(800元~1900元/年)」、

「よく勉強するので知識が増え、成績がよくなる」

という利点があげられました。

学費は日本の公立高校で今いくらぐらいなんでしょう。

いくらなんでも1年に800元=15000円てことはないでしょうね。

破格の安さです。

よく勉強すれば知識が増える、というのも確かにその通りですが、

その知識が思考を深めるものに成り得てきたのかについては、

多くの学生たちが「ノー!」と言っていました。

また、勉強すれば成績がよくなるというのも全員に当てはまることではない、

と学生は認識しています。

中国も(は?)相対評価なのだそうです。

クラスまで成績順に分けられ、A組がトップ、次の成績がB組というようになっており、

成績が最悪のクラスに対しては先生たちも投げやりだそうです。

かつての日本にもこんな学校はあったのでしょうか?

私は日本の超辺境の地の出身なので、

昔の日本のメインストリーム教育というものを知りません。


という訳で、学生たちは「ゆとり教育」に熱い、熱い賛意を表明していました。

学生が主役であること、自由が多いこと、興味・関心が育成されること。

これが中国の、と言うか、菏澤学院の2年生が学校教育に強く願うことです。

「日本に留学したい。しかし、日本で何を専門に勉強したらいいか分からない。

特にこれと言って興味・関心がないので。」

とは、先日4年生の一人が言っていた言葉です。


私は、

「日本に留学するのもいいけど、ノルウェーかフィンランドはもっといいんじゃない?」

と要らんことを言って授業を終えました。

帰り道、宿舎近くの柳の木がきれいでした。

 

 

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「ついに神さんが動いた」No.1750

2016-09-14 02:06:48 | 教育

新学期が始まり、早くも3週間目になってしまいました。

ああ、こうやって人生は過ぎていくのね。

いつも、(取りあえず今日中にこれやらんと…)で生きています。

昨日は、外国人教師の初顔合わせパーティーが夕方からあったようです。

しかし、連絡は当日午後3時頃。

オフィスのMr.張から携帯に

「夕方6時半から新しいアメリカ人教師を入れてパーティーをします。」

とメッセージがあったのを確認したのが、午後10時過ぎときたもんだ。

昨日に限って携帯をベッドの枕元に置いて充電したまま出かけたんでした。

授業が終わったのは昼でしたが、その後は昨日のブログに書いた通り、

4時間ぐらいかけて奔走したのに、日本にDVDを送ることができず、

そのまま研究室に戻って、4時半から2人の学生の補習をし、

終わってフラフラ家路についたのが夜7時。

何にもするまいと心に決めて、食パンにキャベツとチーズときゅうりを挟んで食べ、

シャワーした後、直ちに寝ました。

2時間ほどで元気を回復し、携帯を見たら、

(あら?今日言って今日するわけ?)の連絡が入っていたというわけです。

でも、Mr.張の態度がずいぶん変わってきましたよ。

と言うのは、私が事情説明のメールを送ったら、

「気にしないで。僕も今度からもっとはやく連絡すべきだ。」

と、今だかつてない返事が来たのですからね。

以前いた日本人の先生方が聞いたらひっくり返りそうな言葉です。

 

2名の学生の補習はワタシとしてはちょっと嬉しいものでした。

と言うのは、一人は経営学部から転部してきた2年生の徐さんですが、

もう一人は、入学以来の二年間、ほとんど授業に出もせず、

ゲームをやったり、ダンスをしたりして人生を謳歌してきたわりに

暗い表情の3年生の神さん(「かみさん」じゃなくて「しんさん」)なんですよ。

「先生、一年生の勉強から教えてください。

日本語能力試験2級に受かりたいんです」

と言って転部生の徐さんと一緒に補習に先週から参加し、

「あいうえお」から勉強を始めているのです。

昨日、二人と通訳の韋彤さんが立ち去った後で、同室していた同僚の中国人の先生が

「あの男子学生も他学部からの移籍ですか。」

と聞くので、私が頬をひくひくさせながら、

「いや、あの、3年の神さんですよ。」

と言うと、

「ああ、あの子が神さんですか。名前はよく知っているけど、

授業に出てこないので初めて顔を見ました。」

と。本当にすごい転換なんですね。

さあ、これからどれくらい続くか。取りあえず、来週来るかな。

来たらいいな。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

軍事訓練は今日も続いています。

クラスごとにマスゲームみたいなことをやっているだけですが、

歩き方がだんだん一糸乱れぬ風になってきました。

 

 

 

 

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「先生、母が泣きました」No.1745

2016-09-07 09:48:28 | 教育

 昨夜、新三年のてい秋燕さんからメールがありました。

 

今までの私の経験では、

受け持つ学年は常に一年から四年まで網羅し、科目は多岐にわたっていました。

今学期は大学側のいくつかの理由で、二年生に科目が集中しており、

他学年の授業では三年が一科目「日本文学史」だけ、

四年生に至っては皆無です。

相手がころころ変わると、その相手の状況に合わせて授業を考えるので(一応^_^;)、

その必要が少ないほど気持ちが楽ちんです。

二年との絆が強まるのもとても嬉しいことです。

でも、その分三年や四年との交流が少なくなるのが、ちょっとね。

さらに今年、日本語学科に新一年はいません。

募集しなかったからです。

今後は隔年募集とする方針に変わったそうです。

日本語学科が弱体化するのは目に見えていますが、大学の判断ですから

私がどうこう言えるものではありません。

 

そんな中、新三年生のてい秋燕さんから「晩御飯を一緒に食べませんか」と

メールが入りました。

先学期末の会話試験は「自分の家族」をテーマにした3分~5分のスピーチでした。

せっかくなので、クラス全員に家に帰ったら、家族の前でもう一度、

今度は日本語と中国語でスピーチするよう夏休みの宿題に出しました。

秋燕さんはお母さんを前にしてスピーチしたそうです。

それを聞いて、お母さんが感激して泣いてくれたとメールにありました。

期末試験のとき、傍で聞いていた私にとって内容はそう特別でもなかったのです。

でも、生まれてからずっと、必死に守り育ててきた子どもの一言一言は、

その子のお母さんにとってどれほど重みがあるか何度確認してもいいことだと思います。

そして、その逆に親の一言ひとことも、子どもを生かしたり殺したりすると

思わずにはいられません。

数日前に、「黒子のバスケ」事件の被告の陳述を読んでいたので

特にそう感じるのかもしれません。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140718-00037501/

「黒子のバスケ」脅迫事件 被告人の最終意見陳述全文公開

その陳述書もとても考えさせられました。

さて、

下はパソコンに残っていた秋燕さんのスピーチ原稿です。

 

             「私の母」

                           てい 秋燕

皆さん、今日の私のスピーチのテーマは「私の母」です。

母さんは子どもの人生の中で最初の先生だといわれます。

私の母はとてもいい母だと思います。

(私は母にとって、自分の命より重要なものなんだ)と思う事件がありました。

高校の時のある日、母が、寮にいる私に電話をかけてきました。

母は、

「お父さんの同僚の娘さんがバスの停留所で失踪しちゃったんだよ!」

と言いました。

母の話し方は緊迫した様子でした。

「今度家に帰るときは、私が迎えに行くから。」

と、いくら私が大丈夫だと言っても聞きません。

私のことをそこまで心配してくれているんだと思うと、胸が熱くなりました。

実は、どの母親にとっても子どもは宝物なのかもしれません。

私の母はずっと、私の勉強に対して、ものすごく厳しい人でした。

小さい時、もし、私が試験に合格できなかったら、とても厳しく叱られました。

母の真意が理解できなかった私は、長い間母が嫌いでした。

今、私は大学生になっていますから、もう母のしたことが理解できます。

子どものために、母は本当に苦労してきました。

私は母を愛しています。

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「日本語を使い始めた1年生」No.1634

2016-04-07 22:50:35 | 教育

「親バカ」という言葉は、世間のやや冷めた目線もお構いなしに、

熱い思いを我が子に注ぎ、つい自慢する親達を表現したものですが、

同じことは一年生を見る教師にも言えまして、

日本語をま~ったく話せず、意味も分からない子たちが、

少し、また少しと、日本語を聞き分け、話し、書くようになっていく姿を見る程

嬉しいことはありません。

なので、下の学生たちの一言は、皆さんにとっては

(ふ~ん、だから何?)かも知れませんが、

一人ひとりの学生の半年間の歩みが頭に浮かんでくる私にしてみれば、

本当に、可愛い成長なんですよね~~。でへへへ。

 

4月1日一年生のクラスでも「大うそ自慢大会」 をしたんです。

〈わたしあります〉を使う勉強です。

他に、使える文型を使って書いた学生もいました。

覚えた文型を自分で選んで使うことができるのです。

どうです、偉いでしょう?うちの子たち。

――――――――――――-――――――――――――――――

1:最(もっと)も おもしろい嘘(うそ)は 誰(だれ)の嘘(うそ)ですか?

2:最も 大きい嘘は 誰の嘘ですか?

3:最も 小さい嘘は誰の嘘ですか?

・陳棋穎…わたしは、飛行機が2台あります!

・陸惠敏…わたしは、アメリカ製の眼鏡があります!

・王妍…わたしは、地下鉄が2つと映画館と駅があります!

・閻小玲…私は、一兆円のお金があります!

・趙寧…私は、店員2人と化粧品の店があります!

・遅苪…私は、髪がとても長いです!

・劉樹慧…私は、一休さんの友だちです!

・郭長梅…私は、宿題がありません!

・陳芝芊…私は、24時間寝ました!

・李彦…私は、猿がいます!

・張倩楠…私は、韓国のハンサムな男の子です!

・唐瀾…私の出身は、オーストラリアです!

・韋彤…私は、彼女がいます!

(韋彤さんはこの間18歳になったばかり、このクラスで唯一の男性です。

もちろん、彼女の「か」の気配もありません。3年生も同じ嘘をついた人がいましたがね…)

―――――――――

明日、クラスで1・2・3のトップ賞を選びます。

私としては、李彦さんの「私は、猿がいます!」が一番おもしろいかな。

小さい嘘も可愛いですよね。これでも本人は精一杯の大うそをついたんですよ。

 

古い運動場の脇の菜の花。白いのは綿毛です。

今日もさんざん飛んでいましたよ。

 

 

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「やったー!大阪のパワハラ教育長がようやく辞任」2015年3月11日(水)No.1110

2015-03-11 21:43:50 | 教育

ざまあ、見ろお!

東にアベあれば、西にハシモトがおる。

ああ、こんな日本、こんな大阪で生きていくのはたいへんだ、

と無駄に嘆き悲しむのではなく、

反撃に打って出られた大阪府教育委員の立川さおりさんや

その仲間たちに心から尊敬の挨拶を送りたい。

I'M PROUD OF YOU!

権力を持つ者は何を言っても通る、と思っている人が権力の座につくと、

周囲はとんでもない迷惑を被るという代表例だ。

橋下市長も、この盟友中原と同じ発想なので、

「辞める必要はない」などというのだ。

一人、また一人と、着実に辞めさせていけば、

この大阪もちょっとは滅茶苦茶で下卑て粗野な印象がマシになるだろう。

て言うか、橋下市長が辞めれば、ずいぶん大阪もほっこり、はんなりの

雰囲気が蘇るのでは。

資料として中原パワハラ教育長を教育委員会議で告発した

立川教育員のメモなどを克明に記録してブログに公開している方の

ブログ記事を下に貼り付けました。

もう一度、中原の発言とその酷さをおさらいいたしましょう。

 

ところで、立川さんのようにやられたこと、言われたことは決して忘れず、

メモを取るのが大切ですね。

そしてできたら常にレコーダーを身につけたい日本社会の今日この頃です。

それにしても、ここまで教育とは無縁の人間が教育長だった

大阪の教育界は、そして、現場の校長や教師たちの心中は、

いかばかりだったことでしょう。

今回の教訓:

黙って耐え忍ぶだけじゃダメ。

メモを取って、反撃いたしましょう。

 

ーーー資料 【堺からのアピール】教育基本条例を撤回せよ さんのブログから

http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/41017289.html

2014年10月30日

中原教育長のパワハラ発言全文

(10月29日の大阪府教育委員会議で、教育委員の立川さおり氏は、
以下のメモを配布し読み上げました。
これは、「認定こども園」の定員に関する条例案について
この会議で議論が行われた際に、
9月19日の教育委員非公式会議の経過が問題となってのものです。
条例案は松井知事が野党の猛反発を受けて
当初提案を撤回して10月28日未明に可決した経過があります。
このメモの内容は、府議会で立川氏が答弁を求められた場合の、
同氏の答弁内容について、中原教育長が変更を迫った際のやりとりです。
立川氏は
「自分は公募の委員であり、3歳児の母親だ。どのようなタイミングであれ間違っていたら間違っていたと言うべきだ。今回だけでなくメールや電話でも色々言われ、正常な状態で判断できたと言えない」
と述べています。
中原教育長が、議会での答弁内容を強圧的に変更を迫った悪質なパワハラです)




 



1https://www.dropbox.com/s/gnzvwbnn4ut9x37/%E4%B8%AD%E5%8E%9F%E7%99%BA%E8%A8%80%E6%9B%B8%E3%81%8D%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%81%97.pdf?dl=0

10月21日 知事質問 直前 12:00~12:30
出席:教育長、次長、見浪課長、立川 ✳委員会室にて
立川
「私は委員である前に、3歳児の母、当事者として、より少人数が理想だと思っている。答弁を否定するつもりはないし、嘘は言えない」
いつものとおり、途中で遮られ、
教育長、立川へ発言(順不同) 以下のとおり
「何を言ってるんですか。
母親とか、理想的とか、教育委員なんだから、
個人の意見を披露する場ではない。
課長が用意した通り言えば、いいんです。
共産党に利用されるだけ。一緒にされますよ。良いんですか?
25人以下とか、少人数だとか、タイミングが悪すぎる(繰り返し)。
僕の答弁や課長が嘘をついていたことになってしまう。
議会は紛糾して、野党はほら見てみろと、大混乱する。
単に言いたいだけでしょ。目立ちたいだけでしょ。
単なる自己満足でしょ。
知事は、色んなことを全てわかった上で、決断したんです。
立川さんなんか何か言っても何も変わりませんよ。
すべて組織で動いているんです。同じチームでしょ。裏切るんですか?
共産党と一緒に、後ろから知事を刺しに行くようなもの。
何のために、そんなこと言うのか。
(子どものため、と言ったら)
え??何をいってるんですか?
誰のおかげで、教育委員でいられるのか、誰のおかげかって、
大きな権限、こんな地位を与えら れているのか、他でもない知事でしょ。
その知事をいきなり刺すんですか。知事だけではない、
今、進んでいる施策も全部、無茶苦茶になる。台無しになる。
ここにいる、課長や次長の首もとぶ。いいんですか?
この人たちを無茶苦茶にする、責任を持てるのか。
僕も不信任、自分もやってられない。辞める。自分のキャリアに傷がつく。
損害賠償請求、告訴します。
教育委員会事務局の全員を敵に回すだけ、もう信頼されませんよ
それでなくても、前から朝倉さんや事務局に、偉そうにしているのに。
わかんないんですか。
そんなこともわからない人とは思わなかった(繰り返し)
もう、何言ってもダメ?罷免要求出しますよ。
(何度も)議会終わってから、知事が市町村に少人数お願いしますよ
と、いうことはできますよ。
知事に時間つくってもらうから、その思いを伝えたらいいですよ。
だから、議会でいうのはやめてください。(首をたてにふらず、困惑する)
時間もないし、なんだか、バカらしくなってきた、どうするんですか
 
 
 


 

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「質問『どうしてお母さんはいつも怒るんですか』への科学者の答え」2014年9月1日(月)No.980

2014-09-01 21:16:32 | 教育

「子ども科学電話相談」(NHKラジオ第一)の質問は

恐竜や植物、動物、星のことから命のことまで多岐にわたった。

しかも、聞いてくるのが3歳から12歳までの乳幼児、と言っては失礼だが、

とにかく小っちゃい子たちなのだ(一人だけ中学3年の女の子が恐竜の質問をしていた)。

私は植物や動物に関する専門家の答えを聞くと、

その植物や動物の生活が垣間見られるようでワクワクして聞いていた。

例えば、こんなこと。

Q「胡瓜には支柱が必要なのに、トマトには要りません。

植物によってこの違いがあるのはどうしてですか」

A「胡瓜は支柱にぐるぐる巻きつくことで、

しっかり立つのに要するエネルギーを節約している。その分、早く成長できるんだよ。

トマトは自分で茎を太くさせてしっかり立つ。その代り、成長に時間がかかるんだ。

君ならどっちを選ぶ?」

とか。

Q「タンポポの茎はどうして空洞なんですか」

(これは去年の質問だが、感動的なのでまだ覚えている)

A「タンポポは茎を空洞にすることで、使う栄養を節約しているんだよ。

始め、茎は短いでしょう?でも、ある時、空気が一定以上に乾燥すると、

急いで茎を伸ばすんだ。何故かって?茎を伸ばして、花を高くして風に当て、

種を遠くまで飛ばすためなんだ。植物は自分が動き回れないから、

ほんの少しのことも節約して、ちょうどいい条件がそろったら、

せいいっぱい頑張るんだよ」

………植物にとって、日照、湿度、温度などは死活問題だ。

一℃でも気温が変化したら、たいへんな影響を受ける。

科学は、そんなことも解明してくれる。

しかし、ときには、そうした動植物の健気な生を簡単に踏みにじってしまうのも科学だ。

原発事故はその最たるものだ。

 

中には科学相談とどう関係があるのかハラハラするのもあった。

小学校一年生くらいの女の子の質問だった。

Q「どうしてお母さんはいつも怒っているんですか」

(こんな質問には、先生は適当に答えるしかないな)と私は思った。

先生の答えは、

A「お母さん、よく怒るの?ああ、昨日も怒ったのね。なんでお母さんは怒ったの?

もう忘れた?ああ、そうですか。……

あのね、こうしようよ。〈お母さんはいつも怒る〉と思うんじゃなくて、

〈お母さんはどうして怒るのかな〉って考えよう。

もし、机を片づけないから怒られるんだったら、片づけようね。

そしてお母さんに

『きちんと片づけるから、もしできたら“よくできたね”って褒めて』って言ってごらん。

きっと、お母さんは〈いつも怒るお母さん〉じゃなくなるはずだよ」

 

………さすが科学者だ。

原因を探求して、分析し、どうすべきか対策を立てて解決にあたる。

科学でなんでも説明しつくせるはずもないし、解決できないこともあるが、

やってみる価値がある一つの方法ではある。ふむふむ。

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「夏休みの楽しみ『子ども科学相談』も終わった」2014年8月31日(日)No.979

2014-08-31 22:13:35 | 教育

今年の夏はさんざんだ。

広島や京都やあちこちでは水害だし、

コントロール不能の福島原発は汚染水制御用「氷の壁」作りにやっぱり失敗した。

安倍首相は広島・長崎で「犠牲と言うにはあまりにもおびただしい犠牲でした」と

昨年とほとんど同じメッセージを読み上げ、口先だけの慰霊だと衆人にその心根をばらし、

沖縄の辺野古米軍基地移設では住民のあれほど圧倒的な反対にも臆面もなく、

口先では「丁寧にご説明いたします」と言いながら、

実は住民のことなど完全に無視して「早く工事を始めろ」と関係省に命令し、

平和なジュゴンの海の埋め立てに着手した。

台風で奄美大島がやられた。

ガザもウクライナもイラクも、世界中めちゃくちゃだ。

 

しかし、そんな中でも子どもは育っている、ということに感慨をもつ今日この頃。

暗い日々での数少ない楽しみの一つに、

「夏休み子ども科学相談」(NHKラジオ第一朝8:05~11:40)を聞くことがあった。

夏休みの終わりとともにその番組も終わってしまったが、

番組のおもしろさは今も余韻が心に残っている。

今年は3歳から中学生3年生までの年齢の子どもと大人の科学者が、

電話で科学について質疑応答をしたのであるが、

まず、言葉遣いがかみ合っていない。

大人が一生懸命丁寧体で説明し、「…ですね?」と確かめると、

50%以上の子は「はい」じゃなく、「うん」と言う。

アナウンサーが「何歳ですか?」と尋ねると、中には

「ご・さ・い!」と区切って大声で言う子がいる。

ラジオのこちら側で思わず(何だ、その言いぐさは!

「何歳ですか?」と聞かれたら「五さいです」と言えんのか)と叱りつけたくなるが、

今までの人生で「はい」と言うにふさわしい場面がなかったか、

どういう場面で「はい」を使うか教わっていないのだろう。仕方がない。

子どもが「うん」、「うん」と言うと、

電話の横で「『はい』でしょ!」と小さく叱責する声も時折聞こえ、

その時だけ子どもは「はい」と言いなおす。

電話の始めと終わりでは、子どもの言葉遣いが変化している場合もある。

そこからして勉強になっているんだな、きっと。

 

今年の質疑応答で最も印象に残ったのは、

星についての質問をした子と天文学の専門家の話だった。

質問への解答の後で、

専門家の先生が「○君は星の観察が好きなんですか」と聞き、

○君が「はい」と返事をすると先生は、

「生物は人間も含めて、みんな星と同じ成分でできているの。

つまり、人間はみんな、星の仲間、星の子どもなのよ。私も、○君も。

だから、夜になったら星を見たくなるのかも知れないね」と。

それまで、緊張のせいか抑揚がなく、小声の○君だったが、

「そうなんですかあ……」

と発した声に、心の感動が表れていた。

○君は、電話して得したな。こんないいこと聞けたんだもの。

 

他にも迷質問に名解答がたくさんあったが、

明日に続く。

 

 

 

 

 

 

 

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「竹富町の皆さんに声援を送りたい」2014年5月21日(水)No.907

2014-05-21 18:11:20 | 教育

なんか今日は日本からの嬉しいニュースが2つもあった。

一つは大飯原発再稼働はダメという福井地裁の判決

もう一つは、安倍「この世をバ我が世とぞ思ふ」政権による

ものすごい圧力にも負けないでがんばり続けている沖縄県竹富町が、

単独で教科書を採択できる地区になったというニュースだ。

教育関係の末端に居る人間として、

無理に滅茶苦茶な教科書を使わせようとする国家の強圧的態度には、

怒り心頭に達して、吐き気がするほどだったが、

竹富町の皆さんが総意でそれを跳ね返してこられたたことに、

衷心から敬意を表したい。

「主権は国民にある」ということを日本の端っこの小さな自治体が

身を持って示してくれた。(←嬉し涙)

↑竹富町(西表島)の節祭。この人たちが教科書問題で頑張っているんだなあ。


国家の、というか下村文科相をはじめ自民党右派文教族は、

「新しい歴史教科書を作る会」系の育鵬社が発行する

中学公民教科書を何が何でも押し付けようとしてきた。

その先頭になって働いてきたのが、石垣市の玉津博克教育長だ。

その育鵬社の教科書たるや、

この玉津教育長が任命した肝いりの調査官ですら推薦せず、

7種類の教科書のうち、最低の7番目にランクされたものだという。

【栗原佳子 新聞うずみ火】の記事を借りて、内容を見てみよう。

―――――――――――――――――――――――――

教科書の内容は特徴的だ。

憲法について、現憲法より大日本帝国憲法に重点を置いて説明

公民教育の重要な柱である「基本的人権の尊重」についても

行き過ぎた平等意識はかえって社会を混乱させ、

個性を奪ってしまう結果になることもあります》と書く。

領土問題では

東シナ海上の尖閣諸島については、中国がその領有を主張しています。

しかしこれらの領土は歴史的にも国際法上も日本の固有の領土です》と明言。

戦後の日本の平和は自衛隊の存在とともに

アメリカ軍の抑止力に負うところも大きいといえます》とする一方で、

沖縄の基地問題については欄外に小さく

在日米軍基地の75%が沖縄に集中しています》とあるだけだ。

――――――――――――――――――――――――(以上引用終わり)

これじゃあねえ、現日本政府の言っていることを代弁しているだけの、

国定教科書と言われても仕方ないですね。

で、私は竹富町教育委員会に祝福のメールを送ろうとしたんだけど、

MAILER-DAEMONからfailure delivery

が来るだけだった。

前も岩国のオスプレイのことで、

岩国市役所のメールを調べて送ろうとしたんだけど送れなかった。

日本の役所関係って、

一般人のメールをrejectするようになっているのだろうか。

中国に住む一日本人ができることと言ったら、

メールを送るぐらいしかないんですけど。

↓竹富町(黒島)の豊年祭。海の彼方「ニライカナイ」の神に感謝して行われるハーリー「爬竜船競漕」は、祭りのメインイベント。中国にも端午節にドラゴンボートレースがある。似ているなあ。

 

 

 

 

 

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「日本の中学生と意見が合った」 2014年5月7日No. 902

2014-05-08 00:11:09 | 教育

昨日の朝日新聞デジタルの記事で千葉の中学生の「声」を見つけた。

教育現場をランク付けすることに対して、簡潔に批判している。

そして、的を得た批判だと思う。

ここ、中国の教育は、全てランク付けし、表彰し、競わせている。

小・中・高を通じて家庭科はなく、

中学・高校で音楽、美術を履修しなかった財大生は非常に多い。

いや、芸術科目はちゃんとあるのだそうだが、

その時間は数学など「主要な科目」に充てられていた、

あるいは自習していたという。

クラブ活動もほぼないか全くないそうだ。

江財大の大学生は体育が苦手という人が多い。

体育教育に力を入れてもらっていた形跡もない。

その代りと言ってはなんだが、近視が非常に多い。

もちろん私は、人間、死ぬ気で学ぶ時期があってもいい、というか、

あった方がいいと思う。

もし、知ることへの渇望に突き動かされるということが

全くない人生を考えると、

(なんかね~、脳みそがどうなっちゃうんでしょうね~)と思う。

しかし、簡単に「北京の大学はいい。中国で○番だ」とか聞くと、

大学のランキングをもって、いいの悪いの言う単純さに閉口する。

誰がその順位を決めるんだ?神様かい。

世界の大学ランキングだっていい加減なものだ。

例えば英語で授業をしている大学の順位が高いとかさ。

 

学問は、ただひたすらに知りたいから学ぶことだと思う。

で、下の12歳の岩城くんの言葉、一つひとつに

「いんじゃな~い!」と頷く。

 

(声)点数で学校の順位は決まらない

2014年5月6日05時00分

 中学生 岩城元己(千葉県 12)

 先日この欄で、全国学力テストの学校別成績の公表について

賛成と反対の意見があった。

ぼくは反対意見が適切だと思った。

テストで、学校の順位は決められないからだ。

点数だけで順位を決められては困る。

それなら運動会や音楽会は必要なくなってしまう。

 賛成の人は、「成績のよい人を表彰すれば勉強を頑張るよい機会になる」

というが、ぼくは、勉強は新しいことを学び、

知識を深めるのが目的だと思う。

表彰されるためではない。

高い評価を目指すあまり、まちがいをおそれてしまうかもしれない。

担任の先生は、「教室はまちがうところ」と教えてくれた。

まちがえるからこそ自分の意見ができ、学ぶ喜びが生まれる。

 また、去年、実際に受けて疑問に思ったのは、

答案用紙が返ってこないことだ。

どこをどう、まちがえたのか分からない。

テストの方法も改善していってほしい。

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「校長先生方、大いにがんばるー泉佐野市『はだしのゲン』」 2014年3月20日(木)No.875

2014-03-20 22:46:46 | 教育

戦争当時、とりわけ、広島の原爆投下前後の悲惨を描いた漫画「はだしのゲン」を、

子どもたちに見せまいとして、

鍵のかかった書架に移すように松江市教育委員会が小中学校に指示し、

全国からの抗議で慌ててその措置を撤回した。

昨年夏の出来事である。

その時、子どもたちの目に触れさせないようにした理由は、

少数の「市民」から「暴力描写に過激な部分があり、子どもには不適切」

という指摘があったから、ということだった。

8月末、また、松江市の学校の本棚に戻った「はだしのゲン」を、

子どもたちが「これ、読んでいいの?」と次々に手に取り、

書棚には一冊も残らなかった、という記事を読んだ。

 

だが、その後、子どもたちが「ゲン」を読んでどんな感想を持ったのか、

先生方が子どもたちにどんなことを伝えて来たのか、

「はだしのゲン」は本当に子どもたちの発達年齢にとって不適切だったのか。

なぜ、どのメディアもそれを取材しないのか。

話題になった出来事の上っ面ばかり追いかけ、

継続的、教育的、本質的にものごとを掴み、伝えようとしない

日本のマスコミ体質の姿がまたしても浮かびあがっている。

 

ところで今回、大阪府泉佐野市では、市長の千代松大耕(ひろやす)(40歳)

「はだしのゲン」の作品の中にある

「きちがい」「乞食」「ルンペン」という言葉を「差別的表現」として、問題化し、

昨年11月、千代松市長の意向を受けた中藤教育長という人が、

一部の小中学校に「市長が『ゲン』を問題視しているので、

図書室から校長室に移して子どもらの目に触れないようにしてほしい」

と口頭で要請した(まるでネズミ男だね、この人)。

で、今年1月には、市立小中学校18校のうち、

「ゲン」を所有する小学校8校、中学校5校に対し、市教委に漫画を持って来させて、

集めた作品は市教委が保管していたということだ。

 

今回は、泉佐野市の校長会(校長先生たちの会)の頑張りが伝わってきた。

校長会として1月23日、

「特定の価値観や思想に基づき、読むことさえできなくするのは子どもたちへの著しい人権侵害だ

として、回収指示の撤回と漫画の返却を求める要望書を教育長に提出していた。

 

「差別語」と「差別的表現」については別の機会にまた書きたいが、

今日、私の頭に浮かんできたのは、

ただ(の)市長が言ったことに右往左往してかけずり回る中藤教育長と、

少数の「市民」のクレームに振り回された松江市教育委員会の同一性であり、

それと対照的に、学校現場の校長先生たちは、

それなりに真面目に踏ん張ろうとしているのだな、ということである。

 

 

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「豊田先生、ようこそいらっしゃいませ!」 2014年3月19日(水)No.874

2014-03-19 22:08:05 | 教育

3月7日(金)、江財大日本語学科の日本語コーナー特別ヴァージョン、

「豊田英紀先生を囲む会」を開催した。

高松日中友好協会のボランティアである豊田先生は、今年71歳。

学生たちはご本人が教室に到着するや、驚愕したに違いない。

中国の学生たちが『70歳以上の人』を想像するときは、

ヨボヨボのお爺さん・お婆さんの姿である。

(私も赴任して自分の歳を言った時、同様に驚愕の対象となった)

 

黒板に学生たちがチョークで書いた、

豊田先生、 ようこそいらっしゃいませ!」の文言が可愛らしい。

1年から3年まで60名余りがほぼ全員参加したが、

もちろん1年生は、日本語がまださっぱり分からない。

それでもひたすら、一生懸命豊田先生の顔を見ている。

(途中「ボルガの舟歌」を日本語で歌うというパフォーマンスで、蘇った)

さすがに2年、3年は1年生とは全く違う。特に3年はかなりよく理解できていたようだ。

豊田先生の「世界は広い。自分の周囲だけを見て終わらせず、世界的な視野に立つ人間になってください。皆さんの同級生は世界中にいます」

「したいことは、直ちに実行する。」

「私の人生で残念だったことは、何もありません。」

といった言葉の一つひとつが、学生たちの心にすうっと入っていったことが、

後に3年生たちが書いた文を見て分かった。

若者の心は柔軟だ。

学生たちにとっては、また一人のいい日本人と出会えたひと時になった。

 

日本語学科の学生たちは、他分野の人々に比べ、日本人に対するネガティヴな意識は非常に少ない。

大学に入り、日本語学科で日本や日本語を学ぶうちに、日本を理解する素地を身につけていくためだ。

偏らない情報、知識がどれほど大切かの見本である。

そして、そこで多くの学生が初めて出会う日本人―日本人教師の果たす役割は決して小さくない。

南昌で奮闘する日本人教師を強力に側面支援してくれているのが、

高松市から3か月ごとに赴任される高松日中友好協会のボランティア先生たちであり、

南昌市内八一公園内の日本語コーナーに参加する日本人たちだ。

 

3月7日のこの会には、江西科技師範大学から八木先生が、

江西農業大学南昌商学院からは森本先生が学生たちを連れてご参加くださった。

財大からも、何かの時に交流に行きたいものだ。

最後に「上を向いて歩こう」を歌って締めたのは、あくまでも私の趣味である。

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「中・日・米・英の小学生のルール」 2014年2月16日(日)No.847

2014-02-16 19:04:13 | 教育

明日から授業が始まると言うのに、

日本では忘れていたネット・サーフィンに多くの時間を費やして、

ほぼ一日を過ごしてしまった。

でも、授業のネタになるかも知れないから~、と合理化できないこともない。

 

レコード・チャイナや新華網JPの記事が、あまりにも日本人の心にヤサシイ響きなのが多く、

ホンマかどうかつい疑ってしまうほどである。

例えば新華網JPでは

「日本が嫌いどころか、全てが好きだ」、ネットユーザーの告白に「言いにくいことを...」「日本人が中国人を嫌いなのが残念」―中国ネット XINHUA.JP 2月16日(日)9時4分配信

 出張で初めて日本を訪れた中国人、目の前で起こった驚愕の光景とは?―中国ネットXINHUA.JP 2月15日(土)9時57分配信

 

私がこれらを転載すると、まるでヤラセに映りそうなので、

今日は同じ新華網JPの記事で興味を引いた、

表題4か国の小学生のルール(たぶん学校で先生やらに言われる言葉のことだろう)を

御紹介しよう。

各国の児童への教育姿勢・何を教えることが重要と思っているかの違いが

顕著に現れているので面白かった。

ここからーーーーーーーーーーーーー

中米日英、各国で大きく違う「小学生のルール」とは?「隠し事はダメ。秘密はお母さんに喋ってしまおう!」―中国メディア

http://www.xinhua.jp/socioeconomy/photonews/372104/

 2014年02月01日

 中国と日本、アメリカ、イギリスの「小学生のルール」を比べた文章が

インターネットで話題になっているという。

なかでも中国版「小学生のルール」は実用性に欠け、お題目主義の一面があるらしい。

新華毎日電訊が伝えた。

中国版「小学生のルール」
1 祖国を愛し、人民を愛し、共産党を愛そう
2 法律を守ろう。校則と社会のマナーも大切に。
3 勤勉に、探究心を絶やさず学習を続けよう。ボランティア活動も積極的に。
4 命を大切に。体を鍛え、清潔に過ごそう
5 精神力を鍛えて自分を磨く。健康的な生活習慣を身に付ける
6 勤労は素晴らしい。自分でできることは自分でやろう
7 両親を大切にしよう。年上の人には礼儀正しく接すること
8 団結心を大切にし、他人にやさしく
9 自分の言葉には責任を持とう

日本版「小学生のルール」
1 遅刻をしない。学校に来たら勝手に外に出ない
2 チャイムが鳴ったら決められた行動を。廊下で走らないこと
3 教室では静かに。私語も禁止
4 遅刻、早退など緊急の場合はまず先生に連絡すること
5 下校時間は守ろう
6 登下校時は決められた通学路を通ること。買い食いはダメ
7 地震や火事の場合は先生の指示に従うこと

 アメリカ版「小学生のルール」
1 先生には敬意を払うこと
2 遅刻をしないこと
3 質問があるときは挙手を
4 自分の席で先生と話をしてもよい
5 欠席した時は、授業の内容を先生やクラスメートに聞いて理解しておくこと
6 緊急の場合は先生に連絡すること
7 宿題に誰かの助けを借りないこと
8 カンニング禁止
9 授業でわからないことは先生に聞くこと
10 遅刻や欠席は保護者が記入した届け出を提出すること
11 病気、家族の不幸、宗教上の事情の場合は欠席も可
12 先生の質問に答えられる人は積極的に挙手を

 イギリス版「小学生のルール」
1 健やかに育つことが何より大切
2 むやみに他人に体を触らせないこと
3 お金より命が大切
4 隠し事はダメ。秘密はお母さんに喋ってしまいましょう
5 知らない人から食べ物や飲み物をもらわない
6 知らない人と話をしない
7 身の危険を感じたら物を壊して逃げよう
8 身の危険を感じたら一目散に逃げよう
9 悪い人をかばってはダメ
10 悪い人には嘘をついてもよい

(翻訳編集 tnsn)ーーーーーーーーここまで

 

※日本の小学校にはまるでルールがちょっとしかないように勘違いする人がいるかも知れないが、

例えば大阪では、冬にマフラーをしてくるな、手袋もダメとか、

男子はできるだけ半ズボン、女子はスカートを着用せいとか、

学校によっては意味が分からない校則を編み出す先生方がマジョリティだった。

ただ、同じ「日本」と言っても、大阪と北海道ではま~ったく違って、

北海道は非常に大雑把だ(った)。

案外、北海道は沖縄と似ているところがあるかも。辺境同士で。

 

私の胸に沁みたのは次の項目だ。

特にイギリスのは泣くほど好きだ。

7 両親を大切にしよう。年上の人には礼儀正しく接すること(中国)

1 先生には敬意を払うこと(アメリカ)

7 宿題に誰かの助けを借りないこと(アメリカ)

7 身の危険を感じたら物を壊して逃げよう(イギリス)                                 8 身の危険を感じたら一目散に逃げよう(イギリス)                                 9 悪い人をかばってはダメ(イギリス)                                           10 悪い人には嘘をついてもよい(イギリス)

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「休んでもエエで、大阪の先生たち」 2013年10月29日(火)No.785

2013-10-29 21:59:49 | 教育
ここ数年来、冬季・夏季休暇には大阪に帰り、
友人たちと会ってペチャクチャ喋るのだが、
普段元気な皆が、
日本社会のこと、学校のこと(学校の教員が多いので)などに話題が及ぶと、
雰囲気が変わる。
怒りと戸惑い、そして疲れがどっと噴出するのである。
ある人など
「大阪の街で、『ハシモト』なんて呼び捨てしたらアカンで。後ろから刺されるで。」
とまで(ジョークで)言う。
あの人の強権をもってすれば、モンスター・ペアレンツなんか怖くない…?
イヤイヤ、どうも強権の矛先はもっぱら内向きで、
モンスターの方向には向いていないようなのだ。


橋下市長の強力な政治主導で今春任用スタートした公募校長の評判は、
仲間内ですこぶる悪い。
だいたい、応募者928人の中から採用された民間校長11人中、
6人が何らかの不適格者であると公的にみなされているという。
例えば、
・セクハラ行為を繰り返し、減給処分
・3か月でさっさと退職
・虚偽アンケートを保護者に配り、厳重注意
といった具合だ。

他にも、
ある校長は、女性教職員6人に面談で
「なんで子ども作らへんの?」「結婚せえへんの?」と問い、
セクハラを指摘されて職員会議で謝罪した。
別の校長は教頭に土下座して謝らせ(半沢直樹の真似?)、
別の時にはふざけて生徒を川に落とした(けがはなかった)。
さらに、別の校長は無断で(出張や休暇の手続きを取らずに)
計3回、職場を離脱した。市外に長時間出かけたこともあった。

厳しい審査の末に、選び抜かれた人たちがこの様だ。
よほど変な人たちばかりが928人も応募したとは考えにくい。
選んだ人の基準が変なのだ。
誰が選んだかと言えば、橋下徹市長である。

現在、現場の教員たちはとことん疲れている。
うつ病などにかかって休む人は一般企業の数倍に及び、
病気休暇を取る者の60%以上が精神疾患だという。
病んだ社会の縮図のようなところ、
それが今の大阪の学校だ。
先生たちは、無理せんと、どんどん休暇取って休んでほしい。
為政者の強権に振り回され、ぼろ雑巾のようになってからでは遅い。
確か、どこかの学校の校長先生が朝会で子供たちにこう言っていた。

「いのち いちばん、
 にこにこ にばん、
 さんばん 何でもさっさとしよう」


(橋下大阪市長について言えば、「維新」の勢いに陰りが見えてきた。
中国に出稼ぎに来ているとは言え、一応大阪市民の一人として、
希望の光が微かに差し込んできた思いである。)


参考ブログ:内田樹の研究室(2013.09.20)「公募校長」の資質について
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「『はだしのゲン』制限問題から見える日本」 2013年8月28日(水)No.732

2013-08-28 13:04:11 | 教育
今夏、日本では自宅でインターネットが使えず、
数日に一度、近所のマクドでやり手のビジネスパーソンのように
キーボードを打ちまくったりするのが、内心とてもはずかしく、
目立たない小型のタブレット型パソコンが欲しかったが、
ノート型が全然壊れていないというのに次々買うのは贅沢である。
ずっとキャリアウーマン風を装い、100円のアイスコーヒーで
2時間粘るという生活が続いた。
当然、YOU TUBEなんか楽しむ場合ではなかった。

一昨日(26日)、朝6時半に大阪の家を出て、昨日未明に南昌の宿舎にたどりついた。
最近いろいろ問題の多い東方航空が大幅遅延した所為だ。
というわけで、昨日は旅行疲れと部屋の掃除だけでグッタリし、
部屋にいながらにしてブログ更新できるというすばらしい環境を得たにもかかわらず、
ついに、そこにまで到達できなかった。

前置きはここまでにして、
前回「はだしのゲン」騒動のことで書き足りなかったことを
少し足しておきたい。

多くの人々も忸怩たるものがあるだろうが、
今回の松江市教委の対応には、
問題が起きたときの日本人の対応の仕方の悪い一典型が現れている。
彼らは問題を公開せず、臭いものに蓋式の事勿れ主義でやり過ごそうとした。
市教委事務局が教育委員会の会議にも付さず、
勝手に独断で各校に閲覧制限を指示したのがこれに当たる。
また、問題が世間に知れ渡り、批判の声が大勢を占めるやいなや、
また、以前に戻すという処置をした。
報道によれば、ただの一般的な「情報公開の原則」という理由で元に戻したようだ。
即ち、一つの情報として「はだしのゲン」を捉えているということだ。
ここで抜けているのは、「平和教育をどう推し進めるのか」という教育委員会の立脚点である。

そもそも、なぜ、松江市立小中学校の8割の学校図書館(室)に、
今までずっとこの「はだしのゲン」が置かれてきたのか。
初めて図書館に「ゲン」を置いた当時の市教委や現場の学校教師たちには、
積極的な反戦平和教育として位置づけるという意志があったはずだ。

市教委は、いくばくかの市民が「はだしのゲン」を置いていることに意義を唱えたからといって、
なぜ、慌てて閲覧制限などしたのか。
まるで今まで置いていたのが、間違ったことであるかのように。
異論はいつの時代にもある。
反戦平和教育の立場で、きちんと説明したらいいだけだったのだ。
自らの教育理念を抜きに、自己保身ばかり考えている市教委事務局の人たちの
顔を想像してみる。
教育界の先輩方がどんな思いで今まで「ゲン」を扱ってきたのか省みることもなく、
ましてやもう一度日本の近現代を検証することもない今の「教育」委員会の方々は、
一体子どもたちに何を教育できるのだろう。


賛否の声の圧倒的多数は「はだしのゲン」を子どもが自由に読めることを
求める意見だった。
ーーーーーーーーーーーーーー
市教委によると、今回の措置をめぐって22日までに市に寄せられた意見は電話722件、メール1614件、ファクス140件、郵便物60通に上った。賛成が約600件、反対が約1800件という。 (朝日デジタル2013年08月26日)ーーーーーーーーーー
この漫画には、描かれてから40年の歴史がある。
中沢啓治さん(昨年12月に死去。)の6歳の時の体験が元になった
自伝的な内容のこの作品は、650万部以上の売れ行き、20カ国での翻訳という実績がある。
これが閲覧制限反対につながっていることは確かだろう。
マイブログのNo.731にコメントを書いてくれた〈ちょこさん〉は、
私の小学校教師時代の教え子だ。
私自身は漫画「はだしのゲン」を授業で取り上げたことはなかったが、
図書館で自主的に読んだのだろう。
私は彼女の次の言葉を、大切な宝物として胸に収めておこうと思う。

子どもの頃はだしのゲンを初めて読んだ時の衝撃は
今でも思いだせる程です。
でも怖いと感じたからこそ「絶対に二度としてはいけないこと」ということが学べたんです。

子ども達に「見せない」「知らせない」ことで
いつかまた悲しい戦争が起きるのではと思ってしまいました。・・・〈ちょこ〉

(ゆっとくけど、私が書くように依頼したのではありませんヨ

「こどもの頃、そんな過激な描写に触れさせる必要はない」という意見がある。
その意見への反論も前ブログに書いたが、
あるとき私が直接聞いた、次のような保護者の声をあなたはどう思うだろう。
『うちでは動物は飼いません。
動物は死ぬでしょ。子どもに残酷な死を見せることは教育上良くないです。
だから、絶対犬も猫も飼わないんです。』(当時2年生の子のお母さん)

(死は残酷で、悲しいかも知れない。しかし、お母さんもお父さんも
実は動物で、いつ死ぬかわからない存在では?死は避けて通れない事実なのに・・・。
そして、死があるからこそ「生きる」ことも意味があるのだ。
死を迎えるまでの生が輝くのだ)
と今でも思う。

問題の解決方法は隠すことではない。
話し合うことの方が子供はその残酷さ、悲しさを受け止めて育つことができると思う。
子どもの顔を見ながら、その子が受け止められそうな言葉を、脳みそフル回転で、
一生懸命考えながらフォローするのが大人の仕事だ。
大人が語らずして、誰が子どもに教えるのか。
大人は子供への教育を放棄してはならない。
私の長年の教師人生から得た確信である。









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「『はだしのゲン』閲覧制限は平和教育の放棄である」2013年8月22日(木)No.731

2013-08-22 19:42:48 | 教育

 広島での被爆体験を描いた、漫画家の故中沢啓治さんの代表作「はだしのゲン」(全10巻)が、昨年12月から松江市内の市立小中学校の図書館で子どもたちが自由に見ることができない閉架の状態になっていることが分かった。市教育委員会が作品中の暴力描写が過激だとして、各校に閲覧の制限を求めた。
―朝日デジタル:2013/8/17 http://digital.asahi.com/articles/osk201308160095.html?ref=reca



市教委が判断した「過激な暴力描写」部分は下の4コマだ。

しかし、これらは中国では、小さい子どもでも知っている日本軍の蛮行のごく一部にすぎない。
だからこそ、中国の人々は大人から子供まで、今でも心で血の涙を流し続けているのだ。
肝心の加害者側の日本の子どもたちは一体いつ・どこでそれを学ぶのか。
こういう「過激な暴力」は「描写が過激だから」問題なのではなく、
「暴力行為そのもの」が問題なのである。

「発達段階に応じた教育を」と言う人たちがいるが、
その人たちは、いつなら歴史の事実を直視できる段階に日本人が発達するというのだろう。
人間の成長過程において、どんな辛い事実でも、どんな小さい子供でも、
せめてその一端を知らなければならない。

結局、「子どもに知らせるには配慮を要する」とは、
「日本人に知らせるのは配慮を要する」ということではないか。
つまり、「南京大虐殺」や「盧溝橋事件」同様、「はだしのゲン」に描かれた事もまた、
なかったこととして葬り去られてしまうのではないか。
そう思うのにも根拠があって、
「昨年8月、『ありもしない日本軍の蛮行が描かれており、子どもたちに間違った歴史認識を植え付ける』として、小中学校からの作品の撤去を求める陳情が市民から市議会にあった。」(同朝日デジタル) ということである。

こうして都合の悪いことは
「なかった、なかった!」と百万回叫んでなかったことにしようというのが、
今日の日本のある傾向の人々の仕業なのだ。
これこそが、世界の人々に対する蛮行でなくてなんであろうか。
日本の子どもたちは、あったことをあったこととして、ちゃんと受け止めることができる。
そして、これから二度とこうした蛮行をしないことを心に刻むことができる。
あったことを、あったこととしてきちんと教えさえすればいいのである。


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