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毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「ガザ難民キャンプで結婚式…パレスチナ人の意思」2014年8月20日(水)No.869

2014-08-20 19:53:51 | 反戦

AFP(8月14日)の記事によると、一週間前の13日、

ガザ市内の国連が運営する学校(難民キャンプ)で、

何とめでたいことに一組のカップルが結婚式を挙げた。

本当は9月に結婚式を挙げる予定だったが、

結婚式のために準備していた衣装も、結婚生活の家財道具も、家も破壊された。

5日間の停戦のこの時に結婚することを決断した二人の気持ちを思うと切ない。 

美しくドレスアップしたヘバさん(23歳)。最高の花嫁姿だ。

 

美しい伴侶を見つめる花婿オマルさん(30歳)。

どんな破壊と殺戮にも、二人の愛と未来を打ち壊させないと、

この日の結婚式を決めた。

 

下の写真でヘバさんの左に座っているのがヘバさんの母、ナビラさん。

ナビラさんは2006年に自宅でイスラエル軍の空爆に遭い、

以来車いす生活をしている。

当時9歳だった息子(生きていれば17歳)をイスラエル軍の攻撃で失った。

「ヘバは私の人生。もっといい環境の下で結婚させてあげたかった」

と言う。

 

 

取り囲む女性たちは涙ぐみながら、男性たちは精一杯の明るい掛け声で

二人の門出を祝福した。

この結婚式は、もはや二人を祝う儀式であるというより、

パレスチナ全ての人々の愛と未来を誓う会だ。

人々の表情はそう言っている。

 

パレスチナ民族伝統のダンスで祝いのパーティーは盛り上がった。

 《写真はAFP=時事より》

―――――――――――――――――――――――――

今日、また戦闘が始まってしまった。

パレスチナからロケット弾がイスラエルに飛んだというが、

イスラエル側のハイテク兵器をもってすれば、それは玩具みたいなものだ。

その証拠に、イスラエル側で誰かが死んだとか怪我をしたとは報道されていない。

逆に、即座のイスラエル軍の空爆で、

ガザでは少なくとも乳児1人を含む3人が死亡し、52人が負傷したという。

この結婚式に参加した人々の誰かが殺されたかもしれない。

ヘバさん、オマルさん、ナビラさん、

そしてガザの全ての人々の生死は、

ネタニヤフ率いるシオニスト国家イスラエルが確実に握っている。

イスラエルによるパレスチナ人無差別殺人をやめさせる力が欲しい。

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「初めてのデモ(その2)」 2014年8月18日(月)No.967

2014-08-18 19:39:09 | 反戦

先日、中国からの留学生3人娘と一緒にガザ連帯平和行動に参加したうち、

とう碧霞さんの感想文を掲載したが、

今日は王そうゆさんの意見を紹介する。

昨今、中国国内で大学生がデモに参加することは非常に少ない。

2012年秋の反日パレード(中国ではデモのことをパレードと言っていた)では、

大学が参加を禁止したので、それを押して参加した学生は、

もし、いたとしても、非常に少なかったはずである。

 

日本でもデモに参加する人は人口に比して大変少ないが、

中国のように国家によって国民の表現の自由が制限されているわけではないのに、

これはどうしたことだろう、といつも残念に思う。

陰で文句言っているだけでは状況は一つも変わらないにもかかわらず……。

初めてデモに参加した学生の声を聞いて、

デモなど滅多に行かない、あるいは全然行かないという日本の人たちはどう感じるだろう。

彼女たちは留学生のハンディをものともせず、

日本の社会で、自分の考えをきちんと表現したのである。

 

―――――――――(王そうゆ) 

八月六日、大阪に先生に会いに行きました。

折しも、その日はロックアクション「ガザ連帯」行動と重なったことで、

私たち三人組もデモに参加しました。

これは私の人生で初めてのデモです。

先生が初めて裁判の原告になったその時の気持ちと同じく、

私もデモに参加するなんて想像もしていなかったです。

 

中国ではデモは国民の権利のひとつですが、

中国人、より正確に言えば、大陸人はあまりデモを正しく行うことができません。

デモは秩序があるべきです。

けど、現実には、政府が指導する以外のデモは

往々にして「団体的な事件」即ち、「暴動」になりがちです。

このような人々は物を壊したりして自分の怒りをぶちまけ、

理性的な請願は隅においてしまいます。

「暴動」は、次第に道理にも法律にもかなうデモに取って代わっています。

だから、私はデモに参加するなどとは夢にも思っていませんでした。

 

ガザの問題は以前から知っていましたが、あまり注目を払いませんでした。

世界が平和になってほしくても、自分のような平凡な庶民は何も役に立たないと思っていました。

先生のガザに関するブログを見て、先生がどれほど停戦して平和になってほしいのか、

その気持ちはよくわかりました。

 

そして、このデモに参加して、初めて、日本人をはじめ、

ほかの国の人々の熱意が身近に感じられました。

日本の多くの人々はイスラエルのガザ虐殺、日本政府の秘密保護法、

武器輸出、集団的自衛権などに大きな不満を持っています。

デモは、これらをスローガンとして進められていきました。

 

人は生まれてから皆平等です。

民族も同じです。

パレスチナは一つの国家として世界の国々に承認されるべきです。

パレスチナ民衆の命や権利は奪われるべきではありません。

民族浄化はそもそも大間違いです。

七月八日から三十日まで、ガザではすでに1300人あまりの住民がイスラエルによって虐殺されて、

そのうち300人以上が子供だということを聞いて、心が痛くて痛くてたまらないです。

皆は無辜の民なのに、どうして殺されてしまったんですか。

これはすべて戦争のせいです。

世界の国々は戦争の後押しではなく、全力を出して、戦争をやめ、

平和で一つの世界を作るように取り組むべきです。

―――――――――――――――――――――

 

 

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「人生初めてのデモ参加」 2014年8月12日(火)No.962

2014-08-12 16:28:33 | 反戦

中国から日本に留学している学生たちと、

8月6日ガザ連帯・平和行動(大阪中之島)に参加した。

その学生の一人からメールが来た。

 真っ直ぐな曇りない目で物事を見つめる若者達。

こんな若者達が世間の垢にまみれ、疲れ果ててしまわないように、

絶望と孤独の中で諦めてしまわないように、

私たち年寄りは、ただ、風除けになりたいと思う。

希望はまだ、ある。

―――――――――――――――――――――――――――――

この二日間、お世話になり、ありがとうございます。

人生で初めてのデモに参加したのがとても有意義だったと思います。

イスラエルによるパレスチナへの攻撃ということは先生のブログに読んで知っていました。

そのあと、自分もインターネットでこのニュースを探しました。

まず、考えたのは(宗教信仰がある国もこのように残酷で冷たいですか。

国民は善良で優しいはずではないですか)ということです。

 

しかしながら、国のリーダーは政治利益ために、人の命を無視したり、

ヒューマニティーも失ったりします。おかしいと思います。

このような戦争を禁止しなくて、

逆に武器と物質を輸出して支援する国はもっとひどいです。

 

 

大阪中之島には、抗議に参加する人がいっぱい集まりました。

「ダイ・イン」ということも私にとって初めてでした。

そのような環境と雰囲気の中で、どのようなことをしても恥ずかしくなかったです。

皆と一緒に広場に横たわった時、考えていたのは殺された子供、廃墟になった町、

涙を流しているお母さんと望みがない人たちの顔です。

同時に、戦争がない国に生活している我々はなんという幸せだだろうと心に深く感じました。

 

アメリカ領事館に向けて、歩きながら抗議の言葉を口から出しました。

警察官がただデモの民衆の安全のために、交通秩序を維持したことに驚きました。

もし、同じことが中国に発生すれば、警察は直接鎮圧するでだけでなく、

さらに人々を逮捕します。

これは中国と日本の大きい差です。

言動の自由が中国では大きく制限され、民衆の知る権利もほとんどないです。

 

実際にデモをすることで、

パレスチナやイスラエル、そして日本に何か変化をもたらせるのか、

ガザの人たちは平安な生活をもらえるか、私はわかりません。

ただ、周りの人々に、うちの国のたくさんのところがまだよくないこと、

ほかの国の中には、うちの国のせいで

一日平穏な生活もできない人がいるということを教えたいです。

言葉と行動で自分の国にいい影響を与えたくて、

冷たい人間にならないように努力します。

これはわれわれ庶民ができることです。

 ―――――――――(へきか)

 

 このへきかさんの文を、中国政府の言論統制の実態の証拠として

「それ見たことか!」と得々とする人がいるかも知れない。

言っておくが、私は決してそれに与(くみ)しない。

中国政府の政策に批判がないのではない。

今まで、ブログに書いてきたことを注意深く読めば、そんなことはすぐにわかるはずだ。

 

今、日本国内で中国政府の非民主的な政策や中国社会の不十分性を云々する人々は、

中国への憎悪を助長し、日本の対中国政策を誤らせる方向へと

人々を煽る傾向を持つ。

その人々は中国に攻められる前に軍備増強して国を守り、

日本の平和と国民の安定を推進するという安倍的「積極的平和主義」(語義矛盾)

に収束していくしかない。

 

しかし、考えても見よう。

尖閣問題をきっかけに、肩をいからせ合う緊張関係に突入した中国と日本だが、

そのきっかけを作ったのは、中国側ではない。

他ならぬ煽り屋のろくでなしの「口だけ番長」前原誠司、

超レイシストで超セクシストの「ピンポンダッシュ野郎」石原慎太郎、

空気読めない「愚鈍な上目使い男」野田目カンタービレなど、

日本の政治のリーダーたちである。

 

こんな数年前の歴然たる事実も、すっかり忘れちゃった人がた~くさんいるニッポン。

せめて自分が生まれてから今までの歴史ぐらい、

きっちり覚えておこうじゃないですか。

煽られて、つい調子に乗って、対抗意識丸出しにして、

気が付いたら「お国のため」と言って戦争に行って死んでた

なんてことの無いように。

『命はひとつ、人生は一回』(加川良)。

 

 

 

 

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「8・9長崎原爆被爆者の声」 2014年8月9日(土)No.959

2014-08-09 21:09:59 | 反戦

8・6の朝、バスで大阪に向かう3人の留学生たちに

「今日は広島に原爆が投下された日なので、平和祈念式典がテレビで放映されるから

見てね」

とメールを送ったが、

吉備高速バスにはテレビがついていなかったので見られなかったとのこと。

しかし、もう一つの原爆投下について私は彼女たちに言わなかった。

中国でも、4年生の授業で『はだしのゲン』を見せて、広島のことは知らせた。

学生たちもその感想を作文に書いた。

「中国の大学生が観た『はだしのゲン』(その1)」 2013年9月24日(火)No.756

「中国の大学生が観た『はだしのゲン』(その2)」 2013年9月25日(水)No.757

「世の中に戦争をしたがる『バカ』がいる」 2013年9月26日(木)No.758

http://blog.goo.ne.jp/bluehearts_10_11/m/201309

 

ここで、日本は唯一の原子爆弾の被爆国だが、

米軍による原爆投下は2回であることを強調したい。

もう一つは69年前の1945年8月9日、長崎市上空から落とされた。

被爆者たちは生き残った者の存在をかけて語り、

その言葉は聴く者の胸を打つ。

去年のコピペを平気でしゃべくるアベ総理のあまりの軽さと対照的だ。

命がけのその言葉を聞いて、(平和のために頑張る勇気を手渡された)と思った。

 

◆被爆者代表「平和への誓い」全文 

一九四五年六月半ばになると、

一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、

当時六歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。

 

八月九日朝、ようやく目が覚めたころ、魔のサイレンが鳴りました。

 「空襲警報よ!山までいかんば!」

緊迫した祖母の声で、立山町の防空壕(ごう)へ行きました。

爆心地から二・四キロ地点、

金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。

しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは

「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。

 

そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入して来たのです。

 

私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。

お隣のトミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。

その瞬間空がキラッと光りました。

その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えておりません。

しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。

外から私を呼んでいたトミちゃんはその時けがもしていなかったのに、

お母さんになってから、突然亡くなりました。

 

たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、

突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。

私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。

わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、

悲しみ、苦しみました。

原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは

人間の力ではどうすることもできません。

今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界から

一刻も早くなくすことです。

 

そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。

被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。

しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。

今、進められている集団的自衛権の行使容認は、

日本国憲法を踏みにじった暴挙です。

日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。

武器製造、武器輸出は戦争への道です。

いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。

歴史が証明しているではありませんか。

日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。

平和の保証をしてください。

被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。

 

福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、

仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおられます。

小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。

このような状況の中で、原発再稼働、原発輸出等を行っていいのでしょうか。

使用済み核燃料の処分法もまだ未解決です。

早急に廃炉を含め検討すべきです。

 

被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。

小学一年生も保育園生さえも私たちの言葉をじっと聴いてくれます。

この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、

思いいっぱいで語っています。

 

長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、

再び愚かな行為を繰り返さないために、

被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。

日本の真の平和を求めて共に歩きましょう。

私も被爆者の一人として、

力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、

私の平和への誓いといたします。

 

 平成二十六年八月九日

 被爆者代表 城台美弥子

(東京新聞)http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2014080990135521.html

https://www.youtube.com/watch?v=isAqkkSZ0EU

 

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「教え子たちのガザ連帯行動」 2014年8月7日(木)No.958

2014-08-07 23:52:42 | 反戦

夏休みで岡山から大阪に遊びにきた3人の留学生。

折りしも8・6ロックアクション「ガザ連帯」行動と重なったことで、

自分たちも参加することを選択した。

昨日の一日の彼女たちを写真に記録した。

 

まず我が家で腹ごしらえ。

お好み焼き&肉じゃがをメイン・ディッシュにお昼ご飯を食べた。

「留学してから一番豪華な食事だ」という言葉が胸に沁みた。

 

食後、早速パレスチナ人民への自分の気持ちを言葉にして書いていった。

 

部屋は完全に図画工作状態。

 

できた!「Don't lose the humanity」(碧霞)

 

「仁慈♡守る」(てんはん)

 

WE ARE WITH YOU GAZA」(聡ゆ)

 

ふう、やれやれ。ちょっと昼寝。

朝早く岡山を出てバスで揺られ、慣れない旅でかなり疲れた。

夕方の行動に向けて体力回復を図る。

昼寝は江西省の大学生ならほぼ全員している。

 

大阪中之島はこんな人たちでいっぱい。

8・6は広島に原爆が投下された忘れられない日だ。

戦争で殺された人たちを想い、折鶴を折る活動もあったが、

私は折り方をすっかり忘れていて、てんはんさんに教えてもらった。

 

さあ、アメリカ領事館に向けて出発だ~~!

主催者発表300人。

イスラエルのガザ虐殺、秘密保護法、集団的自衛権、武器輸出・・・・・・。

全て繋がっている。

ロックアクションは毎月6のつく日に大阪で行動するそうだ。

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「ガザの証言ーイスラエルは我々にどこに行ってほしいのか?」2014年8月5日(火)No.957

2014-08-05 19:57:27 | 反戦

ガザの証言(岡真理さんから)

『イスラエルは我々に死んでほしがっている、
だが、我々はここにとどまる。』

ラーミー・アル=メガリー
エレクトロニック・インティファーダ
http://electronicintifada.net/content/israel-wants-us-die-we-will-remain/13613

2014年7月21日

このちっぽけなガザでは、どこにいようと安全などという感覚はもてない。

何もかもがすぐそこだ。


とりわけ、絶え間なく聞こえてくるイスラエルの爆撃と砲撃がそうだ。



それは、こんな家だった。ガザのどこにでもあるような家。


月曜の朝早く、ハーン・ユーニスにあるアブー・ジャーミー家の自宅をイスラエルが破壊し、

少なくとも家族26名がこの世から消し去られたのは。


 

ここ、この家にいるぼくらと同じように、そこでも、男たち、女たち、老いも若きも、

そして幼い子どもたちが身を寄せ合っていたのだ。

ぼくたちが家を離れたのは、マガージーと近隣のアル=ブレイジュ難民キャンプの住民に電話があり、                                        

録音されたアラビア語のメッセージが、直ちに家を離れろと命令し、                                                                    

さもなくばガザ市東部のシュジャイヤ地区と同じ運命に直面することになると警告したからだ。

日曜日に起きたイスラエル軍の集団虐殺で[シュジャイヤでは]少なくとも66名が亡くなり、                           

数百名が負傷した。

月曜になると、14日間にわたるイスラエルの攻撃の死者数は、一挙に500人に跳ね上がった。

家族全員が殺された家庭も複数ある。

負傷者は3000人以上。

死者の圧倒的多数は民間人だ。

そして5人に一人が子ども。

 

どこに行けと言うのだ?


ぼくのホームタウンであるマガーズィはガザ地区中央部の東に位置する。

「我々、ガザの住民が、イスラエル軍[のスポークスパースン]に電話で、                                      

世界でももっとも人口の密集していると思われる海岸地帯にある自宅を離れろと 

慇懃に命令されるなんて、まったくもって不当なことだ」 

とぼくはラジオ番組で語った。

頭に来て、ぼくは叫んだ、「どこに行けと言うんだ?どこに行けと?」

過去2週間にわたって、ぼくら、マガージーやアル=ブレイジュや、 

シュジャイヤやラファやその他、ガザ地区の北部、東部、南部の多くの場所の民間人は、

自宅に閉じ込められて、緊張と不安と、

昼夜問わぬイスラエルの爆撃の耳をつんざくような恐ろしい爆音に一睡もできないまま暮らしていた。



完全封鎖されて

そうだ、どこに行けと言うのだ。

ガザ地区は、ちっぽけな土地だ。360平方キロしかない。

ワシントンDCの2倍かそこら、ロンドンの4分の一程度だ。

ガザの東部と北部の境界にはイスラエル軍が厳重に展開していて封鎖されていて、

エジプトは、イスラエルを経由しない唯一の陸の境界であるラファ検問所を封鎖している。

最後に残された西の境界、すなわちガザの海には、

イスラエルの砲艦がわんさといて、岸に向けて砲撃してくる。

安全なところなどどこにもないのだ、

先週、浜辺でバクル家の4人の少年たちがむごたらしく殺されたように。

だから、どこへ行けと言うのだ。

イスラエル軍は電話メッセージでわれわれに、

海岸部の街であり難民キャンプであるデイル・エル=バラフにお行きなさいと助言してくださるが、

デイル・エル=バラフはマガーズィやアル=ブレイジュからほんの7キロしか離れていない。

しかも、ガザ地区でもっとも人口が密集している地区なのに。



デイル・エル=バラフだって、すでに攻撃にさらされている。

イスラエルの砲艦や戦闘機がこのガザの街も絶え間なく攻撃しているのだから。

どこへ行けと言うのだ?



ガザの住民たちすべてが死と怪我に直面している。

イスラエルは、パレスチナの片隅にあるこの小さな土地のありとあらゆる地域を攻撃しているのだから。

どこにいても安全じゃない。

人々はイスラエルによる7年にわたる懲罰的封鎖のせいで

実に厳しい経済状況のもとで生きてきたから、助けあうことさえままならない。



ぼくらはパレスチナに戻る

家を追われてぼくは問わずにはいられない。

シンプルな問いだ。「どこに行けというのか?

イスラエルは我々にどこに行ってほしいのか?

われわれに死ねということなのか?」

そうだ、明らかに、彼らはわれわれに死んでほしがっている。

彼らの脅しは実行に移された。

シュジャイヤの虐殺やさらなる虐殺が日々、証明しているように。

イスラエルはわれわれにどこに行ってほしがっているのか?

地獄?

いや、われわれが行くのは天国だ、そしてわれわれの魂は、お前たちを呪ってやるのだ、

国際司法裁判所で、あるいは最後の審判の日に。

「国際社会」なるものがこの世でわれわれに正義をなすことを拒否して、

男たち、女たち、子どもたちに対する暴虐非道を犯し続ける占領者の側に依然として立ち続けるならば。


オバマ合衆国大統領は言った、

自分は「イスラエルの自衛権を支持する」と。

オバマよ、お前が言う、この「自衛権」というのは何のことだ?

テレビのスクリーンで、あるいは荒廃し、貧困に喘ぐガザ地区から発信される写真で、

バラバラになったパレスチナ人の子どもたちの姿を見てくれ。


我々はどこに行くのか?

我々はパレスチナに帰る、われわれ自身の祖国、イスラエルが1948年に盗んだ土地。

う今回だけは、どこにも行くところなどない。

1940年代、イスラエルは集団殺戮を行って、祖父たちは避難を余儀なくされたが、

われわれは、祖父たちの過ちを繰り返さない。

ぼくたちは逃げない。とどまり続ける。


■ラーミー・アル=メガリーはガザ地区のジャーナリスト、大学講師。

[翻訳:岡 真理]

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「大阪8・6はガザ連帯、イスラエル抗議に行こう!」2014年8月3日(日)No.955

2014-08-03 14:18:06 | 反戦

教え子からメールが来た。

「先生のブログを読んで、ガザのことは知っています。

6日は私もイスラエルへの抗議活動に参加したいです。」

と書いてあった。

8月6日は教え子たちとともに、大阪中之島に行く。

 

8・6ガザの虐殺・封鎖を許すな!

秘密保護法廃止!ロックアクション 大阪8月6日

●日時:2014年8月6日(水)18:30~ (19:15デモ出発~西梅田公園解散)
●集合:中之島公園水上ステージ(中央公会堂前)(地下鉄淀屋橋1番出口)

7月8日以降、ガザではすでに1324人の住民がイスラエル軍によって虐殺されました。
そのうち328人が子供です(7月30日現在)。
ネタニヤフ首相は世界中に広がる抗議の声に耳を塞ぎ、作戦の続行を宣言しています。

この一方的ジェノサイドには安倍政権が深く関わっています。
というのも、今年5月12日、安倍首相は来日中のネタニヤフ・イスラエル首相との間で日本・イスラエル共同声明に署名し、両国間の「包括的パートナーシップ」を構築することで合意しているからです。
この声明は、4月末、9か月間続けられてきた和平交渉を執拗な入植地拡大によって事実上決裂に導き、外交的孤立の危機にあったイスラエルに際立った支持を与えるものでした。

しかも、「包括的パートナーシップ」の中には、両国の国家安全保障局間の意見交換開始や防衛当局間の交流促進、サイバー・セキュリティ分野での協力が含まれます。
このことは、日本とイスラエルとの間で軍事・セキュリティ情報が広く共有されるようになることを意味します。

つまり、日本は、パレスチナ人を治安対象とみなすイスラエルの戦争・占領政策に事実上協力するという選択を行ったのです。

このような安倍政権の親イスラエル外交が、今回のガザ虐殺を強く後押ししたことは否定しようのないことです。

また、7月17日の国家安全保障会議では、迎撃ミサイル「パトリオット2(PAC2)」の部品の米国への輸出(三菱重工)と、F35戦闘機搭載のミサイル技術をめぐる日英共同研究(三菱電機)が認められましたが、いずれの兵器についてもイスラエル軍が使用する可能性が指摘されています。
日本はイスラエルのパレスチナ人に対する民族浄化政策をより一層強化することにも手を貸そうとしているのです。

秘密保護法は、この日本・イスラエル・米国の間で成立した「軍事同盟」を支える役割を担うものです。

私達は、虐殺の只中にあるパレスチナ民衆に連帯し、彼らのの命と権利を奪い続ける国境を越えた戦争システムに反対する立場から、「8・6ロックアクション」への幅広い結集を呼びかけます。

・各自プラカードなどお持ちください。
・ガザの犠牲者、原爆犠牲者を含むすべての戦争犠牲者を想い、ダイ・インをします。
・デモの途中、アメリカ領事館前でガザ虐殺・封鎖反対を訴えます。

●呼びかけ
ATTAC関西
関西共同行動
「ストップ!ソーダストリーム」キャンペーン
パレスチナの平和を考える会
「秘密保護法廃止!ロックアクション」実行委員会

 

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「停戦はわずか2時間で反古に…。世界の人々は何ができるか」2014年8月2日(土)No.954

2014-08-02 20:13:11 | 反戦

 ↓下のツイッター文と写真はエゾフクロウさんのブログより転載。

http://blog.goo.ne.jp/ezofukurou588

 

ガザの人々の喜びも束の間、

72時間停戦はわずか2時間で破られた。

家にものを取りに帰って、イスラエル軍の爆撃の犠牲になった人も多いという。

イスラエルはパレスチナ人を皆殺しにしても「自衛」のためとうそぶくのだ。

 

世界の大方はパレスチナ人民が気の毒でたまらない。

イスラエルが即刻ガザ侵攻をやめ、封鎖を解くのが当然だと思っている。

今まで政治的発言のなかった、世界のポップス界のアイドルや

プロのスポーツ選手など世界の『セレブ』たちが、

イスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区への攻撃に対する

強い批判を、ファンの視線に臆することなく

ソーシャルメディア上で公にしている。

 ーーーーーーーーーー2014年07月30日(AFP・BB NEWS)  

英男性アイドルグループ、ワン・ダイレクション(One Direction)のゼイン・マリク(Zayn Malik)さん(21)。27日、マイクロブログのツイッター(Twitter)上の自分のアカウントにハッシュタグ「#FreePalestine」(パレスチナに自由を)を投稿し、パレスチナ情勢への懸念を表明した。

 

世界に1300万人のフォロワーを持つマリクさんの投稿は、29日までに22万回リツイート(引用)されたが、賛成するファンもいた一方で、イスラエルのファンを怒らせもした。中には、パキスタン系英国人でイスラム教徒のマリクさんに対し、殺害の脅迫を書き込む投稿もあった。

 

 

米歌手セレーナ・ゴメス(Selena Gomez)さん(21)は、写真共有サービスのインスタグラム(Instagram)に「これは人間としての問題。ガザに祈りを」と一文を添えた写真を投稿し、波紋を投げ掛けた。

 この投稿は65万4000件の「いいね!」を集めたが、米芸能情報サイト「TMZ.com」は、ゴメスさんについて「人間性支持者なのか、ハマス支持者なのか」と問いかけた上で「たぶん彼女は、ハマスがイスラエルを滅ぼすために数えきれないほどのミサイルを発射していることを分かってないのか、あるいはそれを支持しているのかもしれない。われわれには分からない」と皮肉った。

 これに対し、ゴメスさんはさらにインスタグラムで「わたしはどちらかについているわけじゃない。ただ平和と人類のために祈ってるのよ!」と反論した。(c)AFP/Robert MACPHERSON

ーーーーーーーーーーーー引用ここまで

リスクを顧みず、自分の正義の心を隠さない世界の若者たち。

パレスチナの事態は自分の身の安全だけを考えている場合じゃないからだ。

それにしても、

マリクさんに殺害予告の脅迫をしたりする人、

ゴメスさんに「ハマスはイスラエルを滅ぼすために数えきれないほどミサイルを

発射しているんだぞ」

と客観的事実を無視してイスラエルの立場からしかものを言わない

TMZ.comのような存在があるとき、

私たちはどう考えるべきなのだろう。

「けんか両成敗」などという歴史的経緯を無視した、

無責任で非知的決着はつけるべきではない。

イスラエルが引っ込むべきなのは明白だ。

欧米世界はイスラエルを甘やかしている。

そして日本も。


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「ガザの子どもを殺して喜ぶイスラエル人の姿」 2014年8月1日(金)No.953

2014-08-01 14:16:21 | 反戦

下の文と動画は南京大虐殺のニュースに湧き、難波に繰り出した

1937年当時の大阪人の姿を彷彿とさせる。

―――――――――――――――――――――――――――――

13時間前、ガザのオマールOmar Ghraieb さんのツイッターより。

テルアビブ街頭を行進しながら、イスラエル人たちは大声でシュプレヒコールを唱和する。

「もうガザには学校なんか一つも残っていないさ!

もう、子どもなんか誰一人生きていないさ!」

ハフィントン・ポストUK(記事:ポール・ヴェイル&エリオット・ワグランド)

7月29日投函、7月30日アップデイテッド。

テルアビブのイスラエル人活動家の群れが、

ガザの子どもたちの虐殺に喜び浮かれて、

「もう、子どもは誰一人生きていない」と叫んでいるところをビデオに捉えられた。

 ハフ・ポストの翻訳によると、その暴徒たちは次のように歌っている:

「ガザにはもう学校なんか残っていないさ!子どもなんか一人も生き残っていないさ!」

そのビデオは群衆の次の言葉で締めくくっている。

「ガザはもう墓場だ!」

 

 

国際連帯運動International Solidarity Movementによるこのユーチューブのビデオは、

土曜日のデモにハイライトを当てたものであるとされる。

そこではイスラエル人は旗を振り、進行中のガザ侵攻に支持を示しつつ、

Ahmad Tibi とHaneen Zoabiという

2人のアラブ人のthe Knessetのメンバーを威嚇していた。 

このビデオの作者によれば、

“このプロテストは(声はやたらでかいが)、広場の向こうで行われていた、

より大きい平和支持・戦争反対の左翼のデモに比べ小規模なデモだ。”そうだ。

 (ブルーはーと訳 原文と動画は下 )

 

 

Omar Ghraieb@Omar_Gaza 13 時間

Marching Israelis In Tel Aviv Chant 'There's No School In Gaza, There Are No More Kids Left' via

http://www.huffingtonpost.co.uk/2014/07/29/israelis-chant-there-are-no-children-left-in-gaza_n_5630601.html?utm_hp_ref=tw

Marching Israelis In Tel Aviv Chant 'There's No School In Gaza, There Are No More Kids Left'

A horde of Israeli activists in Tel Aviv has been caught on video cheering the genocide of Gaza children, chanting, "There are no more kids left".

Translated by HuffPost, the rabble sings: "There's no school in Gaza, there are no more kids left". The video concludes with the crowd chanting "Gaza is a cemetery".

The YouTube video, which was highlighted by the International Solidarity Movement, purportedly shows a march on Saturday in which Israelis, waving flags, showed their support for the ongoing campaign in Gaza, whilst admonishing two Arab members of the Knesset, Ahmad Tibi and Haneen Zoabi.

According to the author of the video (original story here), the protest was a "small (yet very loud) demonstration that took place across the square from a much larger pro-peace and anti-war left wing demonstration" (for a full debate on the context of this video, see the comments below).

The latest offensive in Gaza has resulted in more than 1,100 Palestinian deaths, including many civilians, since fighting began three weeks ago.

CORRECTION: An earlier version of this story translated the chant as, "There’s no school tomorrow, there are no children left". The activists actually say, "There's no school in Gaza, there are no more kids left".

コメント (6)
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「抑圧される者を憎み、抑圧するものを愛する危険がいっぱいの日本」2014年7月31日(木)No.952

2014-07-31 08:51:21 | 反戦

今、改めてマルコムXの警句を噛みしめたい。 

――新聞を読むときは気をつけて読まないと、抑圧されている者を憎み、

抑圧をおこなっている者を愛するようになってしまう。――

 

日本のマスメディアは、ハマスについて言及するとき、当たり前のように

「ガザを実効支配しているイスラム原理主義組織ハマス」

「イスラエルの生存権を認めていないハマス」と説明する(例:NHK「クローズアップ現代」)。

 

「実効支配している」もなにも、ハマスは、

2004年12月に行われたパレスチナ地方議会選挙において過半数の議席を獲得し、

さらに2006年1月のパレスチナ評議会選挙でも定数132の議席中で76議席を獲得した、

いわゆる民主主義的な手続きで選ばれた政権与党である。

だが、

①「イスラエルがハマスを承認しない」

       ⇓(従って)

②「米国もハマスを承認しない」

       ⇓(従って)

③「日本政府もハマスを承認しない」

という事情があり、さらに、

現在、日本国内メディアは日本政府の大本営発表機関に成り果てているので、

ハマスは「国際社会からは承認されていない組織」とみなす立場から報じられる。

 

何でも一つの国という井戸の中からだけでは見えないことがある。

しかし、インターネットなどで少し気をつけてみれば、

米国と、その同盟国だけが、一方的に国家承認を避けているにも拘らず、

世界の国々のほとんどは、パレスチナを国家として承認し、

ハマスを選挙によって選ばれた政権とみなしていることが分かる。

「日米欧の言う国際社会」と現実の国際社会とはかい離がある。

 

↓パレスチナを国家承認している国ぐに(緑色)

 

http://ja.wikipedia.org/wiki

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「ガザ在住者のブログより」 2014年7月30日(水)No.951

2014-07-30 17:47:42 | 反戦

京都の岡真理さん発信、拡散希望の文をフェイスブックで見つけた。 

「いつになったら、パレスチナ人は民族として認められるのだろう? 人間として認められるのだろう? 民間人として認められるのだろう? いつになったら、ぼくらの子どもたちは、人権を認められ、殺されなくなるのだろう?」(ブログ文より)

 

血の迫害を体験したユダヤ人が、なぜ今は真逆の立場で、

このように簡単にパレスチナ人を虐殺するのか。

歴史から学んでこそ人間はよりマシな人間になれるのだ。

今、世界に蔓延る、人間の思考停止を心から憎む。

世界支配の主導権争いのなかでアメリカが果たす犯罪的役割がますます顕在化し、

そのアメリカをバックに「人殺しをしたいからする」イスラエル。

ちくしょー!!!!!!

写真はアムネスティ・インターナショナルより転載。

―――――――――――――――――――――――――――――――

オマル・グライエブ( ガザ地区) / 2014 年 7 月 22 日のブログより。

「ガザで子どもは作らないとぼくが心に誓った理由 」 

イスラエルは言った、ガザへの地上侵攻は限定的なものにとどまると。まるで戦車がほんの数メートル前進するだけかのように思わせる口ぶりだ。最初の2日間はそうだった。イスラエルが広範な民族浄化と集団虐殺を計画しているなどとは、ほとんどの者が分かっていなかった。

イスラエルの目的は、ひとつの地区をそこに住む人間もろとも一掃することだった。事態は日曜の夜10時ごろからエスカレートし始める。イスラエルの無人機が低空に舞い降りて、大きな音で唸り始めた。戦車が前進する。アパッチヘリとF16型戦闘機が爆撃し、同時に、援護する。それから、ガザ市東部のシュジャイヤ地区を激しく叩きはじめる。

ノンストップの砲撃。我が家からもすべて聞こえた。爆発や発射の回数を数えるのも追いつかなかった。

何百もの、何百もの、家族が避難した。自分たちの家と生活をあとに残し、どこでもいいからより静穏な場所を探して。ガザに安全な場所などどこにもないのだけれど。

彼らは通りを歩いた。子どもたちを腕に抱きかかえて。死から逃れようと。ブルドーザーのシャベルにのぼった者たちもいる。多くは、ただ、通りを彷徨い歩くだけ。どこに行けばよいか分からずに、あるいはどこにも行くところなどなくて。

 

巨大な火の玉

やがて多くの者たちはシファー病院に集まることになる。そして目にするのだ、親族や隣人や友人たちの遺体が運ばれてくるのを。

あの夜のことをどう言い表せばよいのか分からない。言葉が見つからない。息が苦しくなる。シュジャイヤ地区が燃えているとき、ガザは一個の巨大な火の玉のようだった。

ガザのすべてが闇に包まれていた。停電は一日20時間、あるいはそれ以上に及ぶ。シュジャイヤに対する容赦ない攻撃、人々が叫び、火が燃え盛るのをぼくらは聴いた。

ぼくたちが持っている物と言えばラジオだけだ。そしてラジオが教えてくれるのは、もうすでに知っていること、そして嘘であってほしいとぼくらが願っていること。ぼくらは、最後に残された希望の糸にしがみついていたけれど、やがて真実に直面しなければならなかった。シュジャイヤの人々は、虐殺されていた。

毎夜、毎夜、ぼくらは時間を数える、夜明けが訪れ、空が明るくなり、陽の光がガザに注がれるのをひたすら待焦がれながら。だが、あの晩は違った。太陽にすぐに昇って来てほしくはなかった。光が露わにするであろうものを目にするのを少しでも遅らせたくて。

 

自然災害を凌いで

それがシュジャイヤ地区だとはにわかには分からなかった。弾丸の津波が一帯を襲ったかのようだった。あるいは、燃え盛る地震が。何か破滅的な自然災害。だが、実際に起こったことは、自然災害を凌いでいた。人間性すらも凌駕していた。1948 年のナクバが、1982 年のサブラー・シャティーラの虐殺と同様の場面をともなって、再現されたかのようだ。5 年半前ノキャスト・レッドの大虐殺もフラッシュバックする。

赤十字は、シュジャイヤ地区における人道的停戦を提案した。医学生が、何十人もの死者や何百人もの負傷者を瓦礫の下から引っ張り出せるようにと。イスラエルは当初、停戦を拒否したが、あとで受け入れ、そして、停戦を破って、シュジャイヤ地区を爆撃し、医学生や救急車に対して発砲した。

医学生たちは、72人の亡くなったパレスチナ人を運びだすことができた。その遺体はいくつもの通り全体に散らばっていた。400名以上の負傷者が病院に運ばれた。医学生たちは、死傷者の数は劇的に増加するだろうと 語っている。

外国人や地元のジャーナリスト、医学生、医師は、ただ信じられないという思いで泣いていた。彼らは虐殺を見たということを世界に伝えた。これを見えないままにしておくことなどできない。

ぼくらすべてが、生涯かけても消えない傷を負った。

破壊され、廃墟と化したシュジャイヤの写真がその朝以来、世界を駆け巡っている。だが、息も出来ないくらいに痛ましいのは、親たちが、亡くなったり怪我をした子どもたちを運んでいる写真だ。彼らは、山をも動かさんばかりに泣いている。

いつになったら、パレスチナ人は民族として認められるのだろう? 人間として認められるのだろう? 民間人として認められるのだろう? いつになったら、ぼくらの子どもたちは、人権を認められ、殺されなくなるのだろう?

 

自衛?

きみに想像できるだろうか、両腕に亡くなった子どもを抱きかかえる父親の打ち砕かれた思いを。彼の喪失感が想像できるか? そして、自分の子どもを守ってやることができなかったと彼がどれだけ自らを恥じ、罪の意識を覚えているか。

だから、ぼくは誓うのだ、ここガザで子どもなど決して作らないと。自分の子どもをこんな世界にもたらした挙句、守ってやれないなんてことは、ぼくはしないと。自分の子どもが死ぬ姿など目にしたくもない。ほかの子どもたちが死んだり、その親たちが泣くのを目にするのさえ痛ましすぎるのだから。自分がそれを経験するなんて、ぼくには耐えられない。

いったいどうしたら世界は、一つの地区全体をその住民もろとも一掃することが「自衛」だとか「公正なこと」だと思ったりできるのだろう。どうしたら子どもたちが「戦闘員」や「テロリスト」だなどと思えるのだろう?

近くのモスクが寄付を募り始めたけれど、ぼくはますます無力感を覚えるだけだ。愛する者や自分たちの家や、馴染んでいた生活を失った者たちに、いったい何を与えてやることができる?

彼らにぼくの心を捧げ、どうにかして彼らの痛みを和らげてあげることが出来たらと思うけれど、ぼくにはできない。だから、このささやかな募金キャンペーンに加わった。だが、どうしたら、お金や物質的なもので、子どもを失った埋め合わせをすることができるだろう。

ぼくは何時間も何も感じず、麻痺し、息もできず、呆然としていた。頬を熱くして。最初は一滴の涙も流れなかった。だが、そのあと、急に涙がこみ上げ、洪水のようにあふれ始めた。涙はとても熱く、ぼくの頬は焼けるように熱くなった。

火曜日、ガザにある保健省によれば、封鎖されたガザ地区に対する現在進行中の攻撃が始まって以来、すでに600人のパレスチナ人が殺され、3700人が負傷したという。うちシュジャイヤの虐殺で、72人が殺され、400人が負傷した。

人々は、自宅のベッドで寝ていたときに、戦車の砲弾を雨のように浴びた。逃げ出すか、瓦礫の下で死ぬしかなかった。

 

人間性よ、さらば

ぼくは今日、自分の人間性と魂に別れを告げ、それらを悼む。ぼくは死にたえたアラブのネイションとアラブの指導者たちに別れを告げる。だが、それを悼んだりはしない。人権団体もだ。人権団体にも別れを告げる。彼らはいつだって、人権を守ることなどできはしなかった。報告書や記録がどれだけ書かれようと、罪もない子どもたちを守りはしない。

ぼくはまた、ガザで活動するすべての援助機関にも別れを告げる。パレスチナ人の血を何百万もの「寄付」を集める宣伝の身代わりに利用しているのだから。ぼくは、国際社会の人間性にも別れを告げる。

オマル・グライエブ ガザのジャーナリスト、ブロガー。 gazatimes.blogspot.com (ブログ)、 @Omar_Gaza.(ツイッター)

[翻訳:岡 真理]

http://electronicintifada.net/content/why-i-vowed-not-have-children-gaza/13614

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「大阪地裁に行ってきた」 2014年7月28日(月)No.949

2014-07-28 20:08:13 | 反戦

今日、早起きして大阪地裁に行った。

普通、そんなところに行くことはまずない。

私はスマホがないのでパソコンで地図を印刷したのを頼りに阪急梅田から歩いて行った。

やはり、いつものように道に迷った。

それでも9時20分という集合時刻に5分遅れただけだった。

既に、大阪地方裁判所の入口前には何百人もの人々が集まっていた。

その人々は、昨年末(2013年12月26日)に安倍晋三首相が靖国神社に参拝したことが

違憲であるので訴訟を起こした人たちであるが、

中には黒いスーツに日の丸バッジや菊バッジをつけたグループも数十人混じっていた。

 

私は、今回生まれて初めて原告団に名前を連ねた。

裁判を傍聴したことは今まで何度かあるが、原告になった経験はない。

友人が南昌まで原告募集のチラシを送ってきたので、それに応募したのである。

外国に居てもけっこう何でもできるものだ。

日本に住んでいる人々はさらに行動できる幅が広くある。

今の社会の現実に対して一人ひとりが社会的人間として考えを持ち、それを表明し、

そして行動することが必要だと私は思う。

人間として生きていける社会的条件をキープするために。

若いときには、裁判の原告になるなんて想像もしていなかったが、

歳のせいか、時代のせいか、こういう事態になってしまった。

 

原告がたくさん居すぎて、結局全部パソコン抽選による傍聴券配布になった。

ナント、私は当たった。何でも当たると嬉しいものだ。

ホクホクと202号法廷に入った。

入口で黒スーツ&日の丸バッジの男が一人で3人分も傍聴券を握っているのを見て、

(まさか不正入手???)と疑惑を持ったが証拠がないのでそのままにした。

 

法廷で感じたのは、

すでに座っている被告の国及び安倍晋三側弁護人たちや裁判所の職員達が、

押しなべて、感情をあらわさない無表情か、妙に皮肉っぽい笑いを浮かべていることで、

こんな雰囲気の中で、真面目な人間の主張することが真摯に受け止められるのだろうか

という疑念だ。

そうは言っても、日本は三権分立の国で、

憲法で定められた国民の権利を守るために裁判所はあるはずだから、

ここは頑張って政教分離の原則と、国民の平和的生存権を訴えていくしかない。

3人の裁判官が入廷し、靖国裁判がいよいよスタートした。

 

原告団の代表で意見陳述したのは、24歳の青年だった。

初めて法廷に立つというその若者は、次のように述べた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「自分は小学校から平和教育を受けてきたし、戦争はいけないことだということは、歴史の授業などでも繰り返し教えられてきました。その授業は、戦争の悲惨さを知り、二度と過ちを繰り返さないために、私たちができることは何かを考える授業でした。大学に入学してからは、宗教や思想の歴史と向かい始めましたが、その志の根底には、いつも平和で争いのない社会への想いがありました。

そうした私自身の受けてきた教育を回顧しても、首相の靖国参拝は、アジア太平洋戦争への反省を著しく欠いた行為です。被告安倍は、参拝の経緯を『二度と戦争をおこさないため』だとか『平和のため』と言っています。しかし、もし本当に平和を願っているのなら、戦争で死んだ人を『御英霊』として顕彰する神社には参拝しないでしょう。それは、あきらかに「戦争への準備行為」との認識のもとで、参拝しているのです。

今回の被告安倍の参拝は私たちの平和的生存権の侵害にほかなりません。また、内閣が7月1日に閣議決定した集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を内閣自身で勝手に解釈するというものです。これは、きわめて独裁的な決定です。立憲主義に立っている国とは到底思えません。

名古屋高等裁判所は、2008年4月17日に自衛隊イラク派兵違憲訴訟の判決のなかで、平和的生存権について次のように述べています。

平和的生存権は、現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして、全ての基本的人権の基礎にあって、その享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ、単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。

法規範性を有するというべき憲法前文が上記の通り『平和のうちに生存する権利』を明言している上に、憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し、さらに、人格権を規定する憲法13条をはじめ、憲法第3章が個別的な基本的人権を規定していることからすれば、平和的生存権は、憲法上の法的な権利として認められるべきである。

そして、この平和的生存権は、局面に応じて自由権的、社会権的または参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ、裁判所に対してその保護・救済を求め、法的強制措置の発動を請求しうるという意味における具体的権利性が肯定される場合があると言うことができる。

被告安倍は、これまでの訴訟で参拝が違憲とされているのを知っているにもかかわらず、参拝しています。つまり、被告安倍は、靖国神社への参拝が違憲だと認識しつつも、自身の強い執着に則って、参拝に踏み切るのです。

また被告国や被告安倍は、今回の靖国神社参拝に続いて、秘密保護法の制定や、集団的自衛権の行使容認など、まさに『戦争への準備行為』を着々と進めているように、私には思えてなりません。

こうした事実から今一度申し上げると、被告は私たちの平和的生存権を侵害しています。私は戦争に行きたくありませんし、靖国神社に祀られたくありません。

よって、被告国及び安倍は、自らの行為を憲法違反だと認め、この行為への謝罪と、二度と参拝しないことを約束し、また、被告靖国神社は、今後一切内閣総理大臣の参拝を受け入れないことを約束するよう、司法の良識ある判断をいただきたいと思っています。以上のことを“若者”の一代表として、訴えさせていただきます。」

――――――――――――――――――――――――――――――――――

 あなたも、ぜひ原告に名乗りを上げてください。

 安倍の靖国参拝違憲訴訟の原告応募第二次締切 2014年8月15日

☆被告は国、安倍晋三、靖国神社です。

連絡は下まで。

 

安倍首相靖国参拝違憲訴の会・関西

靖国合祀イヤです・アジアネットワーク

〒540-0038

大阪市中央区内淡路町1丁目3-11-402

市民共同オフィスSORA内

FAX 06-7777-4925

郵便振替口座 00980-8-35073

 

 

 

 

 

 

 

 

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「明日戦争がはじまる」 2014年7月23日(水)No.946

2014-07-23 23:41:24 | 反戦

元A級戦犯の鈴木貞一(東条英機の側近:陸軍中将)が

先の戦争の責任について、いみじくも次のように述べた。

「政治力が弱かった。

しかし、政治家は国民の基盤の上に立っているんだから、

政治家の責任にはできない。

世論の態度があいまいだったから、戦争になったのだ。

(国民がしっかりしていれば戦争は回避できた)。」

(1956年4月15日JOQR文化放送「マイクの広場」より)

 

(治安維持法やらで国民のものを言う権利をはく奪したお前が言うな!)

と非常に腹立たしく思うが、

今の日本の国民の態度のあいまいさについて

ギクリとする発言でもある。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「明日戦争がはじまる」 宮尾節子

まいにち

満員電車に乗って

人を人とも

思わなくなった

 

インターネットの

掲示板のカキコミで

心を心とも

思わなくなった

 

虐待死や

自殺の頻発に

命を命と

思わなくなった

 

じゅんびは

ばっちりだ

 

戦争を戦争と

思わなくなるために

いよいよ

明日戦争がはじまる

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この詩はインターネットで話題にのぼり、

メロディをつけて歌う人もいるそうだ。

ある人はツイッターにこの詩を転載して、

「焼身自殺にもピンとこない、じゅんびばっちりな自分に驚いた」

と呟いた。

作者の宮尾さんは現代日本社会の人々の心を詩にしたという。

宮尾さんはこの7月2日、この詩の著作権を放棄した。

『どうぞご自由にお使いください。願わくば平和のために』と。

(参考:朝日新聞2014年7月9日‐板垣麻衣子記事)

 

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「ガザ虐殺抗議のうちわを作った」2014年7月22日(火)No.944

2014-07-22 15:35:20 | 反戦

道を歩いていてもらった団扇(うちわ)がたくさんある。

全て広告用だ。

それで私も、イスラエルのパレスチナ攻撃に抗議する広告団扇を作ることにした。

昨日関西は梅雨明けしたので、

明日、映画「革命のこどもたち」(テアトル梅田)を観に行くとき持っていこう。

もとは下の団扇たち。

 

一つ目。センスないな……。

 

2つ目。このような写真を見ながら、涼しい気持ちにはなれないと思う。

二律背反というか……。

 

3つ作って力尽きた。写真には写らないが裏だってあるのだ。

 

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