犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

日帝時代の検証~食料収奪③

2007-06-17 00:01:42 | 近現代史
2001年3月30日 タンジ日報

[分析]お前ら,よくも歴史歪曲なんて言えたもんだな?
(2)

 読者の皆さん、どうもありがとう。筆者は、あれ以来、個人メールボックスがパンクするほど多くのメールを受け取りました。反応もさまざまでした。

 遠く米国から英語名(たしかジョニー)で、それも英語で、「てめぇ、ケツの穴に気をつけろよ。おれはてめぇの日本語式アドレスが気に入らん」と、応援メッセージを寄こしてくださいました。国定教科書による徹底した反日教育がいかに叩き込まれたかを示す生きた標本です。英語名「ジョニー」はよくて、日本語名「クルマ」(クルマってわが国でも使うよね?)はおかしいというのは、どの国の哲学的思考法なのかわかりかねます。

 また、メアドを公開しないまま「てめぇの額に斧を打ち込んでやる」というメールを送ってくださった方もいらっしゃいました。ありがとうございます。これまたうれしい応援メールです。「日本」が話題なら暴力と非理性が許されると考える驚くべき発想を、身を持って体現してくださった匿名氏のおかげで、私の考えがいっそう強固になりました。

 そのほかの皆さんから、先に私が書いた拙文の誤りを指摘していただきました。特に大韓教科書について誤った情報を流したこと、深くお詫びします。株式会社大韓教科書は公企業ではなく私企業です(旧国定教科書の血統を引いているとはいえ)。そして、株式会社大韓教科書の職員のみなさんは、とても一生懸命、黙々と教科書を作っていらっしゃいます。この方々にやや侮辱的な言葉を浴びせた点、深くお詫びします。しかし! 大韓民国の国定教科書は明らかに官主導で編集されています。

 ほかにも多くのタンジ熱血読者の方々が、私に直接、間接のテロを加えて来られました。それで、筆者は一言申し上げたい。

「読者たちよ、君たちは植民地時代を体験したのですか?」

 答えが「いいえ」なら、テロメールを飛ばすようなことはせずに、拙筆ながら、しばし筆者の文を読んでほしい。歴史への接近は「不可知論」から出発しなければなりません。金泳三の言葉のとおり「なんにも知らねえ」から始めねばなりません。歪曲された情報と検証ぬきの伝説によって過去のある事実について生半可な判断を下すことほど危険でばかげたことはありません。

 本題に入るまえに、面白い事実を一つお教えしましょう。わが国は倫理、国語、国史を国定とする国定教科書制度を運用中です。この制度の起源はどこだと思いますか?

 次は、1990年青林出版社刊行の「お話日本史」という本からの引用です。もちろんこの本、「文化公報部推薦図書」というシールが貼ってありますから、文化公報部の検閲を受けた本ということになります。

「……このようにして、小学校教科書には国定制度を適用することになったが、すべての教科書に適用するのではなく、修身(=倫理)、日本史、地理、国語だけを国定教科書とし、1904年から施行することにした。ときあたかも満州をめぐってロシアと日本が激しく対立し、戦争一歩手前の状態にあったために、教育を国家主義によって貫徹する作業に合わせて、推進されることになった」

 この引用文の最後の一文を、筆者が勝手にわが国に合わせて書き換えてみましょう。

「ときあたかも歴史的正統性をめぐって南と北が激しく対立し、戦争一歩手前の状態にあったために、教育を国家主義によって貫徹する作業に合わせて、推進されることになった」

 わが国の国定教科書制度がどのように間違っているのか、すでに少しは見当がおつきになりましたか? いままで習ってきた歴史的真実が、国定教科書をその根拠としていたとしたら、国家主義教育に読者諸賢の脳が汚染されているかもしれないのです。

 とにかく本題に入ります。これからは、長々と書くことは控え、短く書くことをご承知おきください。

(1)誰による収奪だったのか?
(日本領朝鮮の歴史的真実についての経済史的アプローチ)

 この部分は、前号の文章の中で、読者たちからもっとも多くの質問が寄せられたところだ。なんで「収奪が輸出だなどといえるのか?」という質問がいちばん多かった。

 収奪という言葉の辞書的意味は、読者諸賢もご存じのとおりだ。収(掴み)奪(奪う)だ。すなわち「掴み奪う」という辞書的意味をもつ。「奪う」という動詞は「いかなる代価もなしに他人の者を強制によって所有する行為」をさす。さらに、もっと強制的な意味をもつ「掴む」を合わせた複合動詞の形態になっている。

 本当に日本帝国主義者たちは、日本領朝鮮から米を収奪して(強制的にいかなる代価の支払いもなしに奪って)いったのか?

 ここで読者諸賢にお願いがある。頭の中をすっからかんにしておくことだ。いかなる予備知識もない状態だ。われわれは何も知らない。すなわち不可知論だ。この呪文を10回ほど唱えてほしい。「われわれは何も知らない」と。
 ところで「2001年3月1日発行高等学校国史(下)」の139ページには、食糧収奪について次のような記述がある。

「……しかし、米穀収奪だけは目標通り遂行したので、わが国の農村経済を破綻に追い込んだ。増産量を大幅に越える量の米穀が収奪されたので、わが国の農民は、食料事情の極度の悪化のため、飢餓線上をさまよった」

 そして国史(下)の165ペ-ジには、次のような民族企業の成長についての記述がある。

「当時の民族企業はいくつかの類型に分けられる。一つは、地主出身の企業家が地主と商人の資本を集め大規模工場を建てたものであり、もう一つは、庶民出身の商人たちが資本を集め、新しい企業分野を開拓したものだった」

 ここで、最初の疑問が生じる。では収奪の方法はどのようなものだったのか?

(1)収奪の具体的方法は?

 ご存じのとおり、現行国史教科書の論調は、決して日本に対して好意的ではない。日本の植民地支配の誤りについては、一つ一つすべて、根掘り葉掘り説明している。ところが、この部分では決定的なものが抜けている。それは「収奪」が恣にされたその方法だ。

 ご存じのとおり、東洋拓殖株式会社を中心にした土地纂奪についてのことは、非常にくわしく記述されている。土地所有申告制の執行と執行過程での雑音、そして結局、全国の土地の40%が総督府により日本人に払い下げられたことは詳しく述べられているが、なぜ「食糧収奪」の方法についてはなんの記述もないのか? こんなこと一度でも疑ったことある? 奪っていったならどうやって奪っていったんだ? 軍人たちが刀を突きつけて農民の目の前から米俵をかついで去っていったのか? じゃなければ税金を無制限に課したのか? じゃなけりゃどんな方法で米を「収奪」していったの?

 ならば、当然税金による食糧収奪を疑わざるをえないが、当時農民に賦課された税金は地租と呼ばれた。この地租の受納方法については、現金納付制度が確立されていた。また地租は土地所有者のみに課されたので、小作農比率の高かった当時は、たいてい地主階級が地租を納めていた。

 ならば、土地をとんでもなくたくさん持っていた地主階級が、ばか高い税金を払っていたということか? どうにも曖昧でわからない。ご存じのとおり、139ページの記述は「産米増産計画」の説明に付けられた文章だが、ならば増産された量の何パーセントを奪っていき、その主な方法は何だったのかを、わが国の子どもたちにどう説明したらいいのか?

 他の資料では、平均で1500万俵の米が日本に流出したと記述されている。そしてその量は、日本領朝鮮の米生産量の約3分の1と記述されているが、そんな莫大な量の米が「収奪」されたとして、その悪辣で極悪な搾取方法さえわからないのが、後孫たる者の道理なのか?

 現国定教科書には、これに関する説明は、目を皿にして探しても見つからない。

(よく「供出」ということでもって説明をされる読者の方々がいらっしゃるが、「供出」は国史(下)141ページの説明のとおり、満州事変以後の戦時体制下の軍用米充当の方法として、日本領朝鮮だけでなく日本国内でも実施されたものなので「収奪」とはまったく異なる概念である)

 二つ目の疑問がわく。食糧収奪によって農村経済が崩壊したというが、地主たちは健在だったのか?

 地主とは、土地をたくさん保有していた人のことだ。地主とは、一般に「小作農制度に基盤をおいた大規模農場を所有する農民」にあたる。地主は自分の土地から産出される食糧に基づいて富を創出するからだ。ならば、日帝の「糧穀収奪」によって農村経済が「破綻」に陥ったというが、どこから出たお金で伝統的な「農業に基盤していた」地主階層が「大規模設備工場」(たとえば紡績工場、メリヤス工場、ゴム靴工場、鉱山、精米所、醸造所等々)を建設したというのか? しかるに、日本領朝鮮の米穀生産の3分の1が「収奪」された。米穀を販売して資本を蓄積したはずの地主階級は、じゃあどうやって「収奪」を逃れ「富」を蓄積できたのか? わが国は解放後の1960年代まで伝統的な農業国だった。農業国で米穀生産量の3分の1を奪われるということは、経済の破綻を意味する。なのに経済が破綻するどころか、資本蓄積がされたって?

 小作農は、収穫の50%以上を小作料として納めた。では、小作農の収入の50%から米穀を収奪していったのか? いや地主の取り分50%から収奪していったのか?

 これまた筆者はどうしても答えを見いだすことができなかった。どうか、ご存じの読者の方々、情報提供メールをくださるようお願いします。

日帝時代の検証~食料収奪①
日帝時代の検証~食料収奪②

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