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犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

日帝時代の検証~食料収奪④

2007-06-17 07:22:29 | 近現代史
(2)1920年代の経済状況

 次に、日本の教科書を見てみよう。前に紹介した実教出版の日本史教科書247ページの内容だ。これは「寄生地主制の確立」という小項目の単元からの抜粋だ。

「政府の農業政策も地主の経済的利益を中心に執行され、日清戦争後、土地整備などのための金融機関として、政府によって日本勧業銀行や府県農工銀行などが設立され、耕地整理法も制定された。

 このような流れのなかで、地主は農村においての支配勢力としての地位を固めると同時に、蓄積された利益を農業以外の工業、金融などに投資したり、自ら事業を興したりした。こうして1900年前後には寄生地主制が確立し、地主階級は新興資本家階級とともに国家の支配体制を支える重要な地位を占めるようになった。

 寄生地主制のもとで、農業生産の大部分は、収穫の5割以上に達する小作料負担に苦労する小作農や、零細な土地を耕作する自作農など、貧しい農民たちによって担われた」

 上の抜粋は、日本の農業政策についての概要説明の中から引いたものだ。つまり、小農小産から巨農多産政策へ日本の農業政策が転換されていく過程で、日本が近代において経験した農村経済の疲弊を説明した文章だ。なんかピンとこないか? 1999年4月発行の山川出版社「日本史研究」(日本の大学の日本史の授業で使われる教材)を見れば、1873年の日本の農村における小作農と自作農の比率は27・4対72・6で、自作農の比率がずっと高かった。しかし、この数値は1932年には47・5対52・5と、小作農の比率が急激に増加する。すなわち、日本政府は政策的に地主階級を育成したことがわかる。

 日本の農業政策のあくどさは、次を見ればさらにはっきりする。次は、同じ実教出版の「高校日本史」から抜粋した日本の「米騒動」の説明だ(283ページ)。

「1918年8月上旬、富山県魚津、西水橋、東水橋,滑川などで、数百名の主婦,娘たちが立ち上がった。北洋漁業で働く漁民の妻や娘だった。かれらは「食べ物を分けてくれ」と隣人たちといっしょに村長、地主、米商人の家に押し寄せ、米の買い占め売り惜しみをやめ、米の値段を下げるように要求した。このニュースは新聞に報道され、全国に広がり、騒動は全国に波及した。漁村の米騒ぎが工場労働者、鉱夫、非差別民(わが国の階級に当たる)、建設・港湾労働者を中心とする大規模騒動に発展した。

 米騒動は4大工業地域を主な舞台に1都3府38県(ほぼ全国)に広がり、70万人以上が参加したと推定されている。このころ、労働者の増加と都市人口の増大、1917年の米収穫減と一部地主と米穀商人たちの買い占め売り惜しみなどが原因となり、米の価格が暴騰、庶民生活を苦しめていたのだった」

 まだピンと来ないか? 当時日本領朝鮮は「日本経済圏」の下にあった。日本の農業経済政策は、「産業化」という時代的使命を前にした日本帝国主義者たちには「産業化のために一生懸命働く労働者階級を食べさせ生かす程度の水準」から立案、執行されたのだった(後にわが国ご自慢の朴大統領がこれをパクる。パクり方も優れていて「政府米制度と米穀買い付け制度」によって糧穀流通量を適切に調節するというアップグレードも行った。賢い人だ)。このように馬鹿げていて安易で過酷とさえいえる農業政策のおかげで米価は暴騰し,米の買い占め売り惜しみが横行していたのだ。

 現在、大韓民国の書店で簡単に求められる「歴史新聞」という新聞形式の歴史書をのぞいてみてほしい。ここには、朴某がどうやって米の買い占め売り惜しみを通じて大金を手に入れたかを詳しく説明した囲み記事が載っている。筆者は、タンジの原稿料があまりにも安いためにこの本が買えず、書店でパラパラ立ち読みした。ああ。原稿料引き上げへの道はあまりに遠く険しい。

 もっと面白いことが国史(下)に載っている。165ページの説明だ。

「1920年代、民族企業がだんだん活気を帯びていくとき、民族実力養成運動の一貫として全国的に展開されたのが朝鮮物産奨励運動だった」

 1920年代、日本領朝鮮の経済は活気に満ちていた。重苦しい朝鮮総督府統治のもとで地主と商人階級の民族企業の設立が活発になり、またこれらの生産と発展のために「物産奨励運動」まで起こっている。ところで、偶然なのか? 日本の米騒動で米の買い占め売り惜しみを行っていたのは地主と米穀商人だ。そして、日本領朝鮮で民族企業を起こした資本もまた、主に地主と商人階級によって形成されていた。また、日本で米価格が最高値(日本経済統計総覧引用)をつけたのは1920年で、朝鮮でいわゆる創業ブームが起こった1920年代と、時期的にあまりにも近接している。何か臭わないか? やけにぴったりじゃないか。なかには「その創業に使われた金、ひょっとして日本系資本じゃない?」といぶかる読者がいらっしゃるかも。これに対しては「日本史研究」を引用することで答えよう。

「大戦が終わり、列強の生産力が回復するにしたがい、輸出が後退し、1919年からは貿易収支が輸入超過に転じた。特に重化学工業は輸入が増加し国内生産を圧迫した。1920年には株式市場が暴落し、綿糸、生糸の販売が不振になり、価格が暴落した。それによって紡績、製糸事業は操業短縮などの不況に見舞われた。これを一般に戦後恐慌と呼ぶ」

 さあ、まとめの時間がきた。まずは確認された事実を列挙しよう。順次的かつ論理的に。

〔ここまでの内容の中間整理〕

-伝統的な農業国、朝鮮の主要生産品は米だ。

-毎年、平均して生産量全体の3分の1から2分の1ぐらいの米が、日本領朝鮮から日本本土へ流出していった。

-1917年から19年の日本経済圏(日本および日本領朝鮮、日本領台湾)における買い占め売り惜しみによる米価上昇は、史上例のないほどだった。

-日本において、米の買い占め売り惜しみにより利益をあげた階層は、主に地主と商人だった。

-日本領朝鮮で朝鮮人地主と商人による創業ブームがおこったのは1920年以降で、これは日本経済圏で米価暴騰があった直後だ。

-当時、日本は経済的に朝鮮に投資するほどの余力がない「戦後不況」に見舞われていた。

 さあ、結論を急ごう。

(3)誰が誰を搾取したのか?

 筆者も自分なりに考えてみたが、どう考えても1917年から1920年代にかけての日本領朝鮮の経済状況についての国史(下)の記述は、矛盾そのものだ。地主と商人階級は資本を蓄積して民族企業を設立したが、当時、朝鮮は年間農業生産量の3分の1に近い穀物を日本に提供(?)していたという。これは明らかに矛盾した記述ではないか? 農業国ゆえほかの生産物もない国(当時は日本の一地域だったが)で総生産物の3分の1に近くを無償で略奪されたなら、当然経済は破綻寸前だったはずだ。つまり、総生産領の3分の1以上を無償で略奪される地域は、どうやったって好況を望むべくもなかろう。ところで、地主と商人階級はいかなる金で工場を立て、銀行を興し、企業を運営し、民衆はいかなる金でその生産品を消費したというのか? ひょっとして、日本に輸出したのか? 国内経済が「収奪」によってそんなにも疲弊していたのなら、当然工場を建て、企業を経営して利益を出す方法は日本市場しかあるまいが、一足先に工業化した日本の製品とどうやって競争しようと、むやみに創業をしたのか? そのときもベンチャーブームに乗って「シタマチ(ソウル明洞の日本名)バレー」のようなところで、徹夜で算盤をはじきながら財テクに熱中した「ベンチャー企業家」たちが存在したとでもいうのか? ならばベンチャー資金はだれが出してくれたのか? そして民衆は、いかなるお金で「朝鮮人の製品は朝鮮のもので!」という新しい消費者運動(消費者運動なんてもの自体が植民地的矛盾じゃないか?)に立ち上がったというのか? 朝鮮民衆の消費力がそれほど強かったのか? 総生産の3分の1を略奪されながら? 朝鮮の土地は打ち出の小槌か? 米がどこから湧きだすのか? じゃなきゃ造幣廠をまるごと一つ、日本の奴らからもらったのか?

 では、ここで読者諸賢に聞きたい。はたして、貧しい朝鮮の農民から米を奪っていった人々は誰だと思う? そしてそれで資本を蓄積し、富を積み上げたのは誰だと思う? 日本の貧しい漁村の村婦たち? 帝国主義日本の軍国主義統治に逼迫され、騙され、抑圧された日本民衆たち?

 結局、虚ろな無答のこだまの中で筆者が下すことのできた代案的仮説はこれだった。

「1910年代から20年代にかけての日本領朝鮮における経済政策は、産業化に必要な資本を蓄積するために1890年代末、1900年代に日本で立案された農業政策と軌を一にした。これによって日本は農業資本の蓄積を通じた産業化に成功し、またこれを借用した日本領朝鮮の経済政策においても、ある程度効果をあげ、朝鮮人地主と商人たちの米の買い占め売り惜しみを通しての資本蓄積が可能になった。これらの資本は結局、日本領朝鮮における産業化の基礎となった……」

 はたして、筆者の代案的仮説は100%デタラメだと思うか?

 じゃあなぜわが国の史学者たちは、矛盾した歴史記述をしなければならなかったのか? 米穀の日本流出を通じた資本蓄積という事実を隠蔽し、地主と商人たちの米買い占め売り惜しみを通じた資本蓄積を隠蔽しようとしたのか?

 その理由は簡単だ。社会主義学派では日本領朝鮮における抗日民族主義運動を「反帝、反資本主義運動」と定義している。すなわち

日本帝国主義 VS 朝鮮民衆

という対決の構図ではなく

資本家(=地主と商人) VS プロレタリア

と定義しているのだ。社会主義学派のこのような主張もあながち間違った主張ではないというのが筆者の見解だ。考えてもみろ、どうやって被搾取者の身分であんなに多くの資本を蓄積することができるのか?

 反共という国是の前でひどく悩んだ歴史学者たちの苦悩が、活き活きと伝わってくる。いくら社会主義学派の主張を受け入れがたいといっても、だからといって「民衆を搾取してそれによって富を蓄積した朝鮮人地主階級」の罪を、同じ被搾取階級の立場で、同じ抵抗をした多数の日本民衆に押しつけるのは、あんまりじゃないか?

 もちろん、南と北に分かれて凄絶な思想闘争を繰り広げてきたわれわれの屈折した現代史を振り返れば、理解できないでもない。でも、民族内部の矛盾について反省するどころか、他の民族に罪をなすりつけるのは、はたして妥当なことなのか? ナチのユダヤ人虐殺と哲学的にどれほど違いがあるか? 民族の純粋性を守るために罪なきユダヤ人を虐殺したナチと、民族内部矛盾を隠すために極端な反日感情をでっちあげるのと……。

 読者諸賢よ、あなたたちにあらためて聞く。はたして貧しい朝鮮の民衆たちを搾取し、かれらの米を奪い、富を築いた奴らは誰か?


日帝時代の検証~食料収奪①
日帝時代の検証~食料収奪②
日帝時代の検証~食料収奪③

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