犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

日帝時代の人口⑧~肉と魚

2008-02-07 00:02:20 | 近現代史
 一人当たりの米消費量の低下を補うものとして,粟以外に,マサビュオーはトウモロコシジャガイモをあげていました。朝鮮時代に日本から朝鮮に渡り,救荒作物として定着したサツマイモもあったでしょう。サツマイモは韓国語でコグマ。「孝行芋」が語源という説もあります。

 では,農作物以外の食糧はどうか。朝鮮は,日本と違って仏教の伝統が失われていたので,肉食に対するタブーがなかった。肉食は盛んだったのでしょうか。これについて,マサビュオーは次のように書いています。

「朝鮮の山岳地は,ヨーロッパの温暖な牧草地と違い,牧畜に不向きである。平野部で牧畜を行うと,単位面積当たりのカロリー生産量が(農作物と比べ)5分の1に減る点から考えても適当といえない」

「部分的であっても牧畜を受け入れれば,5人の住民中1~4人が飢えにさらされる危険がある。人口が過密であったために畜産が不可能だったのではなく,逆に,とりわけ植物性食物に頼ることが,高い人口増加を可能としたのである」

「村落の池には夥しい数のアヒルが見られ,全土で牛が飼われている。しかし,稲作で牛に課せられる仕事は少ない。草のある期間は,堤防や丘の草で養えるが,食糧不足の際には,牛の労働力やその食肉の生産性を考慮すれば,その飼育は割に合わない。朝鮮人は肉をあまりたくさんは食用にしない(それでも日本や中国よりは多いが)。家禽や豚も飼育されており,農村では各家庭で多く飼われている。1938年には,朝鮮半島に180万頭の牛,150万頭の豚,4万5000頭の山羊,2万5000頭の羊,4万5000頭の馬が飼育されていた。日本はこの牧畜をさらに発展させようと試みたが,農民の伝統に反することだったため,失敗に終わったのである」

では漁業はどうか。(同前掲書)

「漁業についても1910年以後,急速な発展をとげることになった。大きな漁網,近代化された漁船と冷凍や乾燥のための設備のおかげで,良港の多い東部海岸に漁業基地が設けられ,活発な活動が開始された。1938年には,33万5000人が漁業に従事し,漁船は5万5000隻を数えた。そして漁獲高は年間180万トンから250万トンの間であった。漁獲の半分以上はイワシであり,魚油やグリセリンの生産にあてられていた。1940年以降は魚群が徐々に朝鮮の沿岸から遠ざかり,漁業関係の日本の大企業も急速にその活動が低下した」

 漁獲の半分以上が工業用であり,水産物が沿岸部はともかく内陸の食糧事情改善に寄与したかどうか。もともと韓国の人々は魚をあまり食べなかったらしい。海岸の漁村を除き,内陸の都市では,保存の問題から魚を食べることは少なかった。テジョン(大田)で生まれ育ったある韓国人は,二十歳すぎになるまで刺身を食べたことがなかったと言っていました。

 肉や魚の供給はそれほど寄与しなかったようです。したがって,日帝時代の農産物の増産は人口増加を可能にしたが,それにともなって,朝鮮人の食糧事情は悪化したもののようです。

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