5世紀になると,ゲルマン民族大移動が始まる。
アジアのフン族(=匈奴?)がヨーロッパに侵入したのが契機とされる。その原因は気候変動にあったらしい。これによりローマ帝国の衰退が加速され,409年にはローマがブリテン島を放棄。そこにゲルマン民族の一派であるアングロ・サクソンが進出し,ケルト人を駆逐する。勇猛ではあるが文化的には粗野なゲルマン民族は,ヨーロッパ全土において,ローマ時代のカトリック文明を破壊する。その後,数世紀にわたり,ヨーロッパ大陸は文化的には暗黒の時代に入ることになる。そして,この暗黒に再び光明をもたらしたのが,アイルランドだったのだ。
「アイルランドのほとんどすべての人が、海などなんのその、哲学者の大群をひきつれてわれわれの海岸へ押し寄せている。」
(オーセルのヘイリック『聖ゲルマヌス伝』870年)
「アイルランド」という言葉が「文明」の単語とともにつかわれることはめったにない。しかし…。
たしかに、アイルランドはヨーロッパのはしに位置する小さな島で、ルネサンスも知らなければ啓蒙時代も知らない。ジョン・ベッチマン(1906-84、イギリスの桂冠詩人)がいうように、どうにかこうにか、やっとのことで、石器時代の文化をもつ第三世界の国といったところである。
だが、そのアイルランドにも、過去には一時ではあったが、まぎれもなく栄光を一身に浴びた時代があった。ローマ帝国が崩壊し、ヨーロッパ中を横切って、粗野で汚らしい異民族(ゲルマン民族)がローマへくだり、工芸品を掠奪し書物を焼いた。
そのときに、すでに字の読み書きを学んでいたアイルランド人は、西洋のすべての文学を書き写すという面倒な仕事をしたのである。手当たり次第、手に入るものをすべて移した。写字生(スクリーバ)は、ギリシア・ローマ文化とユダヤ・キリスト教文化を、ヨーロッパへあらたに住み着いたゲルマン諸族に伝える、いわば導管の役割を果たした。
ヨーロッパの新しい住人は、みずからが壊滅させた文明の瓦礫のなかや、荒廃した果樹園に居をかまえた。もし写字生の働きがなかったら、そののちに起こったことはすべて、とても考えられないものとなっただろう。
アイルランドの修道士たちは、大陸中を放浪(エグザイル)する途中、入江のほとりや谷あいでひとり、ヨーロッパ文明の再建に力をつくした。この修道士の大陸での伝道がなければ、これまたそのあとにきた世界はまったくちがったものに、つまり、書物のない世界になっていただろう。そして、われわれの世界もけっして到来することがなかっただろう。
(トマス・カヒル『聖者と学僧の島:文明の灯を守ったアイルランド』森夏樹訳、青土社9頁)
この時点までに、ヨーロッパ文明の伝播は確実なものとなっていた。アイルランド人は、彼らのいくところいくところへ、ヨーロッパでは何世紀ものあいだ見ることもできなかった、たくさんの書物をもたらした。あたかもアイルランドの英雄たちが、かつて敵の首を腰にさげて歩いたように、アイルランド人は勝利のしるしとして書物を携えてやってきた。ゆく先々で彼らは、学問への愛と製本の技術を教えひろめた。放浪の末にたどりついた入江や谷間に、ふたたび文字の文化をもたらした。そして、疲弊しきっていたヨーロッパ文化に新しい息吹を吹きこんだ。これが,アイルランドがヨーロッパ文化を救った顛末である。 (同281頁)
時代はずいぶんずれますが,漢民族の明が北方異民族(女真)の侵略を受け,清帝国が生まれたとき,韓国は自らを中華の伝統を受け継ぐ唯一の国として,小中華を唱えました。
アイルランドはヨーロッパ大陸に宗教戦争の嵐が吹き荒れた時代を通じてカトリック信仰を固守しました。英国では,国王が離婚したくなったため,離婚を禁じるカトリックから離脱し,「英国国教会」なんぞを作っちゃった。
英国に支配されていた時代,アイルランドは英国国教会への改宗を強要され度重なる宗教弾圧を受けましたが,抵抗を続け,現在もなお国民の92%がカトリック信者。教会に通う人の割合は世界でもっとも高いといわれています。
韓国に日本に対する文化的優越意識は,古代に仏教,儒教,漢字を「教えてやった」という意識と,儒教的華夷秩序における優越,そして近代においていち早く儒教的文化圏から「洋夷」たる西欧文化圏に入った日本に対する侮蔑が複雑にからみあっています。
アイルランド人の意識構造については不勉強ですが,古代においてイギリスを含むヨーロッパ全土のキリスト教文化を救ったという自負と,カトリックを守り続けたという宗教的誇りから,宗主国イギリスに対する「優越意識」をもっているのではないかと思います。
アジアのフン族(=匈奴?)がヨーロッパに侵入したのが契機とされる。その原因は気候変動にあったらしい。これによりローマ帝国の衰退が加速され,409年にはローマがブリテン島を放棄。そこにゲルマン民族の一派であるアングロ・サクソンが進出し,ケルト人を駆逐する。勇猛ではあるが文化的には粗野なゲルマン民族は,ヨーロッパ全土において,ローマ時代のカトリック文明を破壊する。その後,数世紀にわたり,ヨーロッパ大陸は文化的には暗黒の時代に入ることになる。そして,この暗黒に再び光明をもたらしたのが,アイルランドだったのだ。
「アイルランドのほとんどすべての人が、海などなんのその、哲学者の大群をひきつれてわれわれの海岸へ押し寄せている。」
(オーセルのヘイリック『聖ゲルマヌス伝』870年)
「アイルランド」という言葉が「文明」の単語とともにつかわれることはめったにない。しかし…。
たしかに、アイルランドはヨーロッパのはしに位置する小さな島で、ルネサンスも知らなければ啓蒙時代も知らない。ジョン・ベッチマン(1906-84、イギリスの桂冠詩人)がいうように、どうにかこうにか、やっとのことで、石器時代の文化をもつ第三世界の国といったところである。
だが、そのアイルランドにも、過去には一時ではあったが、まぎれもなく栄光を一身に浴びた時代があった。ローマ帝国が崩壊し、ヨーロッパ中を横切って、粗野で汚らしい異民族(ゲルマン民族)がローマへくだり、工芸品を掠奪し書物を焼いた。
そのときに、すでに字の読み書きを学んでいたアイルランド人は、西洋のすべての文学を書き写すという面倒な仕事をしたのである。手当たり次第、手に入るものをすべて移した。写字生(スクリーバ)は、ギリシア・ローマ文化とユダヤ・キリスト教文化を、ヨーロッパへあらたに住み着いたゲルマン諸族に伝える、いわば導管の役割を果たした。
ヨーロッパの新しい住人は、みずからが壊滅させた文明の瓦礫のなかや、荒廃した果樹園に居をかまえた。もし写字生の働きがなかったら、そののちに起こったことはすべて、とても考えられないものとなっただろう。
アイルランドの修道士たちは、大陸中を放浪(エグザイル)する途中、入江のほとりや谷あいでひとり、ヨーロッパ文明の再建に力をつくした。この修道士の大陸での伝道がなければ、これまたそのあとにきた世界はまったくちがったものに、つまり、書物のない世界になっていただろう。そして、われわれの世界もけっして到来することがなかっただろう。
(トマス・カヒル『聖者と学僧の島:文明の灯を守ったアイルランド』森夏樹訳、青土社9頁)
この時点までに、ヨーロッパ文明の伝播は確実なものとなっていた。アイルランド人は、彼らのいくところいくところへ、ヨーロッパでは何世紀ものあいだ見ることもできなかった、たくさんの書物をもたらした。あたかもアイルランドの英雄たちが、かつて敵の首を腰にさげて歩いたように、アイルランド人は勝利のしるしとして書物を携えてやってきた。ゆく先々で彼らは、学問への愛と製本の技術を教えひろめた。放浪の末にたどりついた入江や谷間に、ふたたび文字の文化をもたらした。そして、疲弊しきっていたヨーロッパ文化に新しい息吹を吹きこんだ。これが,アイルランドがヨーロッパ文化を救った顛末である。 (同281頁)
時代はずいぶんずれますが,漢民族の明が北方異民族(女真)の侵略を受け,清帝国が生まれたとき,韓国は自らを中華の伝統を受け継ぐ唯一の国として,小中華を唱えました。
アイルランドはヨーロッパ大陸に宗教戦争の嵐が吹き荒れた時代を通じてカトリック信仰を固守しました。英国では,国王が離婚したくなったため,離婚を禁じるカトリックから離脱し,「英国国教会」なんぞを作っちゃった。
英国に支配されていた時代,アイルランドは英国国教会への改宗を強要され度重なる宗教弾圧を受けましたが,抵抗を続け,現在もなお国民の92%がカトリック信者。教会に通う人の割合は世界でもっとも高いといわれています。
韓国に日本に対する文化的優越意識は,古代に仏教,儒教,漢字を「教えてやった」という意識と,儒教的華夷秩序における優越,そして近代においていち早く儒教的文化圏から「洋夷」たる西欧文化圏に入った日本に対する侮蔑が複雑にからみあっています。
アイルランド人の意識構造については不勉強ですが,古代においてイギリスを含むヨーロッパ全土のキリスト教文化を救ったという自負と,カトリックを守り続けたという宗教的誇りから,宗主国イギリスに対する「優越意識」をもっているのではないかと思います。
川原教授の「和算の研究者は右翼の運動員かと疑いたくなり」の一節は笑えました。
東大の川原教授に拠れば、和算の基礎になったのは秀吉軍の戦利品だそうです。
http://www.classics.jp/RCS/NL05/NL05NOTE.pdf
1627年の『塵劫記』が,明の『算法統宗』を模範としたものというから,もしかして秀吉軍が朝鮮出兵時に持ち帰ったものかな?
例えば数学については中国→朝鮮→日本の関係が成り立つようです。
江戸時代に隆盛した和算も、発祥の中国では廃れていたものが、朝鮮に保存され、更に日本に伝わり発展したようですし。
ようこそお出でくださいました。
(人違いでなければ)
掲示板を去って,はや4年。
かつての投稿原稿をリサイクルしてブログを続けております。
さて,興味深いご指摘ありがとうございます。
ネット検索ではよくわかりませんでした。ヒットしたのはこれくらい。
http://mayanagi.hum.ibaraki.ac.jp/paper01/onchikaishi94.htm
元は特に大規模な焚書坑儒はしなかったはずですが,戦乱の中で多くの漢籍が失われたことでしょう。そして,それが高麗~朝鮮によって保存されていた…
アイルランドの果たした役割と非常によく似ていますね。
異民族支配を脱し明を建国した後、明の皇帝は高麗に漢籍の寄贈を求める。
このとき高麗から明に贈られた漢籍を元に新たに版を起こし、それが後世に伝えられたと云われている。
江戸時代(?)の日本が,西洋人を「禽獣の如く」みなしていたのかどうかはよくわかりません。鎖国初期はそうだったのかもしれませんね。
南北がなしくずしてきに統一されたら,南のさまざまな教会が,大いにはりきると思いますよ。
弾圧されるカトリック、
弾圧するカトリック、
どちらも紛れなき人類史ですか。
流石にこんな宗教戦争に嫌気がしたケトウもいたようです。
信教の自由において、日本人は人類史上最も進んだ国民である。その帝国では、12もの宗教が平和裡に共存している。イエズス会はその13番目になるはずだった。しかしまもなくそれは他の宗教を排斥しようとし、その結果何が起こったかについては、ご存知だろう。カトリック同盟がフランス国内を荒廃させたのに劣らない、恐ろしい内戦である。流血の惨事を経てキリスト教はその血潮の中で溺死した。日本人は国を閉ざし、私達西洋人を禽獣の如く看做すようになった。
(ヴォルテール「寛容論(1763)」斉藤智之訳)
【大】韓民国のオッチョコチョイが中近東に這入り込み、キリスト教の布教に精を出しているようですが、ヤッパリ、キリストの教えを継承するのは【大】韓民国人以外はないとの使命感ゆえなんでしょうか。
朝鮮民族の文化的優越感はともかく、38度線にトンネルでも掘って、北朝鮮の同胞に布教でもすればと思うのですが、そうゆう発想はないのでしょうか。