犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

クリスマスの惨劇

2022-12-28 23:13:25 | 日々の暮らし(2021.2~)
 今年のクリスマスは、前日のイブから四女夫婦が泊まりに来ていました。本当は次女親子も来て、26日が誕生日の三女の娘の誕生会をするはずだったのですが、次女の息子が発熱で急遽キャンセル。残念でした。

 25日の早朝、サイレンがけたたましく鳴り響きました。

「クリスマスの朝に、どこかで火事かな?」

 まもなく防犯・防災の町内放送が聞こえてきました。よくある認知症の老人の徘徊の放送だと思ってよく聞いていませんでしたが、家族に聞くと、「近くで凶悪事件が起きて、犯人が逃走中だから注意するように」という内容だったそうです。

 ネット配信のニュースにも取り上げられ、親子3人が殺害、家が放火されたという。場所を聞くと、私の自宅から徒歩15分ほどの場所で、近くにはうちの娘たちが通った公立中学がありました。

 閑静な住宅地では信じられないような凶悪犯罪です。

 続報は、同居している三女のSNSを通じてもたらされました。

「〇〇ちゃんの家の近くだって」

「殺されたのは外国人らしい」


 その日の夜、犯人がスピード逮捕されました。近くに住む無職の男。

「〇〇ちゃんのお兄さんが昔、犯人と同じサッカークラブにいたらしい」

 その後は報道各社の報道合戦があり、被害者や犯人についても報じられるようになりました。

 犠牲者はアメリカ人の夫と日本人の妻、その娘。今までも車を傷つけられたなどの被害があり、怨恨による殺人らしい…。

 犯人はこのニュータウンに分譲初期から住んでいた人のようで、家族で住んでいたけれども、両親が離婚し、今は一人暮らしだった。

 小中学校ではスポーツマンで、成績もよかった。一時、映画監督もやっていた…。

 動機については、今のところ犯人が口を閉ざしているようです。いずれ明らかになると思います。

 しかし、なぜ人を殺すというような真似をしてしまったのか。家庭環境、仕事、交友関係?

 今年読んだ村上春樹の『一人称単数』という小説と『猫を捨てる』というエッセイを思い出しました。

一人称単数

猫を棄てる―父親について語るとき

 タイトルの「一人称単数」は、今ここに実在する私のことです。今の私は、過去の人生におけるいくつかの大事な分岐点において、自分の意志で、あるいは否応なく、ある選択をした結果として、ここに存在します。しかし、その分岐点において、別の選択をすることもありえたし、もしそうしていた場合、まったく異なる人生になっていたかもしれません。



 人はさまざまな欲望をもちます。それを我慢するかしないかで、犯罪者になる可能性もある。窃盗犯になったり、極端な場合は性犯罪者、殺人者になるかもしれない。(「おぞましいこと」という表現は何か性的な行為を連想させます)

 邪悪な欲望をもっても、実行したかしないかで、法的には雲泥の差があります。実行すれば「犯罪者」、しなければ「良き市民」。しかし、「邪悪な欲望を抱いた」という点では同じです。道義的には紙一重の差ではないのか。実行していないのだから、法的には無罪です。でも道義的には有罪と言えるのではないのか。


 犯人は、人生のある瞬間に、「自分の意志で、あるいは否応なく、ある選択をした」結果、人生が狂い始め、こんなおぞましい犯罪を犯してしまったのでしょう。

 犠牲者は国際結婚をした夫婦とその娘。

 私の三女と四女も国際結婚で、三女には2歳の娘がおり、四女は来年2月にやはり娘を出産する予定です。

 国際結婚の家族だったことがこの事件の動機になんらかの関係があるのかないのか。真相は不明ですが、なんとも嫌な気持ちになります。

 事件の犠牲になった3人のご冥福をお祈りします。

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