犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

李明博政権の出帆

2008-03-01 13:25:36 | 日々の暮らし(帰任以後、~2015.4)
2月25日,韓国の新大統領として李明博大統領が就任し,新政権が船出しました。翌日の中央日報に,李御寧が寄稿しています。(→リンク

李御寧は作家,評論家,大学教授(梨花女子大学長歴任),盧泰愚大統領時代には文化庁長官(文部大臣)を務め,88オリンピックの,あの民族色の濃い開会式を演出しました。
李御寧と言えば,日本では日韓文化論の古典,『「縮み」志向の日本人』(1982年学生社/講談社文庫)の著者として有名かもしれません。ちょっとした言葉の断片から,壮大な文化論を展開する独創的/独走的な論理飛躍で,ベストセラーになりました。今回の寄稿文も,氏の特徴が遺憾なく発揮されています。

‘独創的な大統領’に…李明博大統領に望む

独裁・独善・独走ではない‘独創的な大統領’になるべき

閣下と呼ばれた時代も、「様」を付けて呼ばれた時代も大統領の地位はさびしい。高い山頂には2人が立てるほどの席さえない。したがって大統領という名の周りにはいつも1人という意味の「独」の字がついてまわった。産業化の時代には独裁の「独」が、民主化の時代には独善の「独」がついていた。

先進化の時代を宣言した新しい大統領の前には果たしてどんな「独」がつくのだろうか。すぐにイメージできるのは独走と独創だ。先進化という目標に向かい一生懸命に走れば落伍者が生まれ、実利を追求すれば義に徹した者が後まわしにされかねない。しかも競争原理になれていない私たちは幼い頃から駆け足で遅れをとると「前を走る者は泥棒」だと叫んだ。私たちは不幸にも「ひもじいのは耐えられても、腹が痛いのは耐えられない」という韓国人の自嘲話を聞いてきた。そのため、原理ではない実用を選ぶ現実的な指導者ならば足手まといになる者によって転ばないようにゆっくりと走らなければならない。

だがゆっくり走っていては後から進んでくる隊列にも加わりにくくなる。急がなくてならない。今、国際的な舞台の上では今まで目にしたことがなかったK1やプライドのような異種格闘技が行われているからだ。反人道的ないくつかの致命的な反則のみを規正し、あらゆるルールを撤廃して自由に戦うのが異種格闘技でないか。何故私たちが規制を撤廃しなければならないのかを象徴的に示すときだ。ユーザー(User)たちが作るインターネットの百科事典『ウィキペディア』の「ウィキ」はハワイ語で「速い」という意味から生まれた。失われた10年を取り戻すためにも今まで以上の速度が要求される。したがって李明博(イ・ミョンバク)政府が独走せずに国民とともに歩むためには、始祖以来、最大の乱国の統治に成功したローマのアウグストゥスの座右の銘「ゆっくり急げ」という格言を心に刻まなければならない。ろうそくデモと大邱(テグ)地下鉄放火に始まり、崇礼門(スンレムン、南大門)と政府中央庁舎の火災で幕を閉じた盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領が火だとしたら、清渓川(チョンゲチョン)の復元と大運河計画から始まった李明博大統領は水だ。

就任式の日にも雪が降った。既得権を燃やした火のイメージを拭い去るならば先進化のために経済を救うには乾いた樹に花を咲かせる創造的イメージが必要だ。焼く必要がなければ火は収まるが水は流れ出す必要がなくても地下に染み込む。独走から抜け出し独創的な大統領になるためには「新しい流れ」と「新しい息遣い」を創造しなければならない。それがまさに富裕層と庶民層の間に火をつけるものではなく、国民全てがともに創造層(CreativeClass)として「創造的な資本主義」の実用主義を花開かせる方法だろう。

独裁も独善もそして独走でもない。新しい時代を率いる大統領には「独創」の「独」の字がつくことを全国民が望んでいるはずだ。

李御寧中央日報顧問、梨花女子大学教授/中央日報2月26日


ただ,日本語版を読むと,ところどころわかりにくいところがある。それで韓国語版にあたってみました(→リンク)。

…競争原理になれていない私たちは幼い頃から駆け足で遅れをとると「前を走る者は泥棒」だと叫んだ。私たちは不幸にも「ひもじいのは耐えられても、腹が痛いのは耐えられない」という韓国人の自嘲話を聞いてきた。そのため、原理ではない実用を選ぶ現実的な指導者ならば足手まといになる者によって転ばないようにゆっくりと走らなければならない。

原文は,

경쟁원리에 익숙지 않았던 우리는 어렸을 때 달음박질을 하다 뒤지면 “앞서 가는 놈은 도둑”이라고 소리쳤다. 우리는 불행하게도 “배고픈 것은 참아도 배 아픈 것을 못 참는 것”이 한국인이라는 자조의 말을 들어 왔다. 그러기에 원리가 아닌 실용을 택한 현실적인 지도자라면 발목을 잡는 자들에 의해 넘어지지 않도록 천천히 달려야 한다.

「ペガアップダ」は文字通りに訳せば「お腹が痛い」だけれども,この場合は「他人が妬ましい」という意味ですね。「パルモグルチャプタ」は,「足首を掴む」→「足をひっぱる(妨害する)」という意味でしょう。「足手まとい」ではなく,「(悪意をもって)妨害する人」のことだと思います。

〈拙訳〉
 競争原理に不慣れだった私たちは,幼いころから駆けっこに遅れると「前を走っていく奴は泥棒」だと叫んだ。私たちは不幸にも「お腹がすくのは我慢できても,お腹が痛い(妬ましい)のは我慢ならない」のが韓国人だという自嘲を聞いてきた。であるから,原理原則ではなく実用を選んだ現実的な指導者ならば,足をひっぱろうとする者によって転ばないように,ゆっくり走らなければならない。


 だがゆっくり走っていては後から進んでくる隊列にも加わりにくくなる。

 これでは意味が通じない。原文を見ると,

 하지만 천천히 달리다가는 후진대열에도 끼이기 힘들어진다.

 訳者は「フジン」を「後進」と考えたようですが,「後陣」が正しい。先を行く先進国の隊列の殿(しんがり)という意味です。

〈拙訳〉
 だがゆっくり走っていては,先を行く隊のしんがりに加わるのも難しくなる。


 したがって李明博(イ・ミョンバク)政府が独走せずに国民とともに歩むためには、始祖以来、最大の乱国の統治に成功したローマのアウグストゥスの座右の銘「ゆっくり急げ」という格言を心に刻まなければならない。

 始祖って,檀君のこと? 原文は,

 그러므로 이명박 정부가 독주하지 않고 국민의 동행자가 되려면 시저 이후의 난국을 통치하는 데 성공한 로마의 아우구스투스의 좌우명 “천천히 서둘러라”는 격언을 명심해야 한다.

 시조(始祖)ではなくて,시저(シーザー)でした。

〈拙訳〉
 したがって李明博政府が独走せずに国民とともに歩もうとするならば,シーザー以後乱れた国を治めるのに成功したローマのアウグストゥスの座右の銘「ゆっくり急げ」という格言を,噛みしめなければならない。


 既得権を燃やした火のイメージを拭い去るならば先進化のために経済を救うには乾いた樹に花を咲かせる創造的イメージが必要だ。焼く必要がなければ火は収まるが水は流れ出す必要がなくても地下に染み込む。

 これもちょっとおかしい。

〈原文〉
 기득권을 불태운 불의 이미지가 혁파하는 것이라면 선진화의 경제 살리기는 마른 나무에 꽃 피우는 물의 창조적 이미지이다. 태울 것이 없으면 불은 사그라지지만 물은 흘려보낼 것이 없어도 지하에 스며든다.

〈拙訳〉
 既得権を燃やした火のイメージが破壊することだとすれば,先進化の経済復興は萎れた木に花を咲かせる,水の創造的イメージだ。焼くものがなければ火は収まるが,水は押し流すものがなくても地下に染み込む。

 ただ,後半部は何を言っているのかよくわかりません。イ・オリョンの文章にはときどきよくわからない文章がでてきます。


 独走から抜け出し独創的な大統領になるためには「新しい流れ」と「新しい息遣い」を創造しなければならない。それがまさに富裕層と庶民層の間に火をつけるものではなく、国民全てがともに創造層(CreativeClass)として「創造的な資本主義」の実用主義を花開かせる方法だろう。

 ここは訳しにくかったんでしょう。若干訳漏れがあります。

〈原文〉
 독주에서 벗어나 독창의 대통령이 되려면 청계천 물에 ‘결’자 한 자를 더하여 ‘새 물결’과 ‘새 숨결’을 만들어내야 한다. 그것이 바로 유산층과 무산층을 불붙이는 것이 아니라 다같이 창조층(creative class)으로 바꿔주는 ‘창조적 자본주의’의 실용주의를 펴는 방법일 것이다.

〈拙訳〉
 独走を免れて独創の大統領になろうと思えば,清渓川の水(ムル)に「キョル」という一字を加え,「新しい流れ(ムルキョル)」と「新しい息吹」を作り出さなければならない。それがまさに有産階級と無産階級を焚きつけるのではなく,国民すべてを創造階級(CreativeClass)に変えてくれる「創造的資本主義」の実用主義を広める方法だろう。


 訳はともかく,全編にわたって「李御寧節」であふれています。植民地世代で日本語も堪能,漢文の素養もあるであろう氏は,よく「漢字」をネタにした論を展開します。
 軍事独裁政権時代の韓国で作家,学者,閣僚として活躍した彼は,まぎれもなく「既得権層」です。「既得権を燃やした」盧武鉉政権を苦々しく思っていたに相違ない。金大中もひっくるめて「失われた10年」なんて言っちゃってます。

「ろうそくデモ(反米デモ)と大邱地下鉄放火に始まり、崇礼門(南大門)と政府中央庁舎の火災で幕を閉じた」というくくり方もすごい。

 10年ぶりの保守政権誕生で,胸をなでおろしている「既得権層」も多いことでしょう。


 最後に,拙訳を全文掲げます。


独裁・独善・独走ではない「独創の大統領」になるべき

李明博大統領に望む

 閣下と呼ぶ時代であれ,「様(ニム)」をつけて呼ぶ時代であれ,大統領の地位はさびしい。高い山頂には二人が立てるだけの場所もない。それで大統領という言葉の前には,いつも「独」の字がつきまとった。産業化の時代には独裁の「独」、民主化の時代には独善の「独」だった。

 先進化の時代を宣言した新大統領の前には,はたしてどんな「独」がつくのだろうか。すぐ思い浮かぶのは独走と独創だろう。先進化という目標に向かって一生懸命走れば落伍者が生まれ、実利を追求すれば義理を重んじる人々が置いて行かれるかもしれない。しかも競争原理に不慣れだった私たちは,幼いころから駆けっこに遅れると「前を走っていく奴は泥棒だ」と叫んだ。私たちは不幸にも「お腹がすくのは我慢できても,お腹が痛い(妬ましい)のは我慢ならない」のが韓国人だという自嘲を聞いてきた。であるから,原理原則ではなく実用を選んだ現実的な指導者ならば,足をひっぱろうとする者によって転ばないように,ゆっくり走らなければならない。

 けれども,ゆっくり走っていては,先を行く隊のしんがりに加わるのも難しくなる。急がなくてならない。今、グローバルな舞台の上では今まで見たこともなかったK1,プライドのような異種格闘技が行われているからだ。反人道的で危険な反則だけをいくつか規制し,すべての規則を撤廃して自由に戦うのが異種格闘技でないか。なぜ私たちが規制を撤廃しなければならないのかを象徴的に見せてくれる場面だ。ユーザーたちが作るインターネットの百科事典『ウィキペディア』の「ウィキ」はハワイ語の「速く速く」からとったものだ。失われた10年を取り戻すためにも,速いスピードが要求される。したがって李明博政府が独走せずに国民とともに歩もうとするならば,シーザー以後乱れた国を治めるのに成功したローマのアウグストゥスの座右の銘「ゆっくり急げ」という格言を,噛みしめなければならない。ろうそくデモと大邱地下鉄放火に始まり、崇礼門(南大門)と政府中央庁舎の火災で幕を閉じた盧武鉉大統領が火だったとすれば,清渓川の復元と大運河計画で始まった李明博大統領は水だ。

 就任式の日にも雪が降った。既得権を燃やした火のイメージが破壊することだとすれば,先進化の経済復興は萎れた木に花を咲かせる,水の創造的イメージだ。焼くものがなければ火は収まるが,水は押し流すものがなくても地下に染み込む。独走を免れて独創の大統領になろうと思えば,清渓川の水(ムル)に「キョル」という一字を加え,「新しい流れ(ムルキョル)」と「新しい息吹」を作り出さなければならない。それがまさに有産階級と無産階級を焚きつけるのではなく,国民すべてを創造階級(CreativeClass)に変えてくれる「創造的資本主義」の実用主義を広める方法だろう。

独裁でも独善でも,また独走でもない。新しい時代を率いる大統領には「独創」の「独」の字がつくことを全国民が望んでいるはずだ。

李御寧中央日報顧問、梨花女子大学教授/中央日報2月26日

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 08年2月一覧 | トップ | 韓国便り~卒業旅行 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日々の暮らし(帰任以後、~2015.4)」カテゴリの最新記事