昨年、庭のムクゲの枝を剪定したとき、あまりにも丸坊主に伐ってしまったので、このまま枯れるんじゃないかと心配しました。
ムクゲの木を伐りました
しかし、その心配は杞憂でした。
ムクゲの生命力は強い。韓国のようです。ムクゲは韓国の国花。韓国語ではムグンファ(無窮花)といいます。
その生命力の強さが、度重なる外勢(蒙古、清、日本…)の侵略にも屈することなく、不死鳥のように蘇る韓民族を象徴しているんだそうです。
この勢いで枝が茂り続けると、今年の秋にも、再度の「伐採」が必要になりそうです。
ところで、韓国では、「日本の植民地時代に国土の森林が伐採され、木材が収奪された」と教えられています。
ところが、李栄薫著『大韓民国の物語』によれば…
人口増加とともに、開墾とオンドル需要のために木を伐採したため山林が荒廃し、19世紀末には大部分の山野がはげ山になっていた。そのため少しの雨で洪水が発生し、土砂が田畑を埋め、農業生産が減少する。18世紀中葉に比べ、19世紀末は土地の生産性がほぼ3分の1になっていた。
李朝衰退の理由
開墾というのは、森林を伐採して、農地にすることですが、朝鮮時代に行われていたのは「焼き畑農業」です。森に火を放って、肥料をやらずに農業をしますが、地力が衰えるとその農地は放棄して、また新しい森で焼き畑をします。
韓国は寒冷で降水量も少ないので、一度失われた森が自然に回復するのには時間がかかる。
また、冬は寒さをしのぐためにオンドルといわれる床暖房をしますが、その燃料は森林を伐採して得られる薪です。
焼き畑農業と、オンドルのための薪の採取の二つが原因となって、日本の植民地になる前に、すでに朝鮮の山は「はげ山」だったというのです、
日本もまた、明治時代に近代工業が発展すると、森林伐採が進み、山林が荒廃しました。そのため、明治30年(1897年)、森林法を制定するなどして森林伐採を規制し、荒れた山野に植林をするなど、治山治水事業に取り組みます。
日本が韓国を併合した後の1911年、日本は日本の森林法に準ずる森林令を朝鮮半島で公布します。これは、朝鮮で盛んに行われていた焼き畑農業が森林荒廃をもたらす一因と見て、これを禁止するものでした。
そして、国有化した国有林の禿げ山の植生回復を試み、下流域をふくめた治山治水により、水田を水害から守ろうとしました。その一方で、朝鮮半島北部の鴨緑江流域に豊かな森林資源があることに目を付け、こちらではむしろ伐採を進めて、植民地経営の資金としました。
つまり、植民地時代の森林経営には地域差があり、ある地域では植林を進め、別の地域では伐採を行ったというのが本当のところのようです。
李朝衰退の理由
開墾というのは、森林を伐採して、農地にすることですが、朝鮮時代に行われていたのは「焼き畑農業」です。森に火を放って、肥料をやらずに農業をしますが、地力が衰えるとその農地は放棄して、また新しい森で焼き畑をします。
韓国は寒冷で降水量も少ないので、一度失われた森が自然に回復するのには時間がかかる。
また、冬は寒さをしのぐためにオンドルといわれる床暖房をしますが、その燃料は森林を伐採して得られる薪です。
焼き畑農業と、オンドルのための薪の採取の二つが原因となって、日本の植民地になる前に、すでに朝鮮の山は「はげ山」だったというのです、
日本もまた、明治時代に近代工業が発展すると、森林伐採が進み、山林が荒廃しました。そのため、明治30年(1897年)、森林法を制定するなどして森林伐採を規制し、荒れた山野に植林をするなど、治山治水事業に取り組みます。
日本が韓国を併合した後の1911年、日本は日本の森林法に準ずる森林令を朝鮮半島で公布します。これは、朝鮮で盛んに行われていた焼き畑農業が森林荒廃をもたらす一因と見て、これを禁止するものでした。
そして、国有化した国有林の禿げ山の植生回復を試み、下流域をふくめた治山治水により、水田を水害から守ろうとしました。その一方で、朝鮮半島北部の鴨緑江流域に豊かな森林資源があることに目を付け、こちらではむしろ伐採を進めて、植民地経営の資金としました。
つまり、植民地時代の森林経営には地域差があり、ある地域では植林を進め、別の地域では伐採を行ったというのが本当のところのようです。
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