母がアルツハイマーを発症したのが正確にいつかはよくわかりません。今考えれば、2年ぐらい前から物忘れがひどくなり、つい最近会ったばかりなのに「久しぶりね」などと言われて、おやっ?と思ったことがありました。
病院で診察を受け、アルツハイマー初期と診断されたのは去年の夏でした。
もともとメニエール症候群の持病があって、夜、目眩で台所で倒れ、起き上がれなくなったなんていうこともあったため、最初は長女に同居させ、ここ数か月は長女に代わって私が半同居状態でした。
アルツハイマーの症状の一つでしょうか、料理と買い物に問題が生じました。手間のかかる料理はしなくなり、スーパーで売っているコロッケや塩鮭のようなものばかり食べるようになりました。どうも、最近何を食べたかを覚えていないようで、連日同じものを食べても自分では気がつかないようです。同居している90歳の叔母は、足腰は弱っているけれども頭はしっかりしているので、そんな母の変調に気づいていたと思います。でも、自分が料理を代わるわけにはいかない。それで、私が朝、出勤前にその日の料理の下ごしらえをするというような毎日が続いていました。
買い物のほうも、おかしかった。近くにあるコンビニで、毎日同じものを重複して買ってしまうのですね。それで、パンや牛乳が大量に買い込まれているということもよくありました。
考えてみると、料理と買い物は密接なつながりがある。まず何を作るかを決めて、それに必要な材料を考え、家に何があるかを確認し、ないものを買いに行く。意外に頭を使う作業なのですね。母はその思考過程のどこかの部分がうまくいかなくなっていたようです。
ともあれ、亡くなる当日まで、はた目にはいたって健康に見えました。亡くなる直前の日曜日にあった謡の会では、「楊貴妃」の仕手を演じました。私たち夫婦も見に行きましたが、病気なぞまったく感じさせずに、立派に大役を果たし、喜んだものでした。
一年に一度の大舞台が終わって気が抜けたことと、今回の突然死の間に何か関係があるかはわかりません。でも、ここ数年、いちばん一生懸命打ち込んでいた謡での晴れ舞台を終えたあとだったことは、本人にとって本当によかったと思います。
このような亡くなり方の場合、救急隊は死因を判断できないので、警察の検視に回すことになっているそうです。亡くなった翌日、警察署へ行って、専門の検視官のお医者さんから説明を受けました。
髄液の検査から脳梗塞ではなさそうであること。湯船で沈んでいたにしては、肺に水が入っていないことなどから、溺死ではないこと。結果、診断は心不全でした。心不全にもいろいろあって、心筋梗塞の可能性もあるが、それを確認するためには解剖が必要になるとのことでしたが、そこまでする必要はないと思い、解剖はしませんでした。
検視結果を聞くまで、もう少し発見が早ければ助かったんじゃないか、自分がいっしょにいながら何としたことだ、と自責の念にかられていました。検視官から、心筋梗塞であれば、発見が少しぐらい早くてもおそらくは助からなかっただろう、また、あまり長くは苦しまなかったはずだ、という話を聞き、ずいぶん心が軽くなりました。
母は生前、アルツハイマーと血圧、コレステロールの薬を飲んでいましたが、特別心臓疾患があったわけではありませんでした。ただ、母の父も祖父も心臓の病で亡くなったことを聞いていましたから、遺伝的なものもあったのかもしれません。
アルツハイマーが進行すると、子供を見てもわからなくなったり、徘徊したりするようになる、とも聞いていました。齢83、現在の長寿国家日本では平均寿命以下かもしれませんが、きっと息子たちに苦労をかけまいとして、このようなあっけない死を選んでくれたんじゃないかと思います。
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突然のご逝去で大変だったかとお察しします。お悔やみ申し上げます。
御母堂の御冥福をお祈り申し上げます。
高齢でしたので、いずれは、と思っていましたが、こんな形になるとは思ってもいませんでした。