犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

慰安婦ごっこ、戦争ごっこ、死刑ごっこ

2021-07-06 23:57:12 | 慰安婦問題
 一つ前のブログ記事で紹介した、2019年のSBSニュースの中で、イム・ヨンス郷土博物館長という人が、こんなことを言っていました。

「日本の遊びには三つのパターンがあるのですが、一つは「慰安婦ごっこ」、もう一つは「戦争ごっこ」、もう一つは「死刑ごっこ」といって、子どもを立たせておいて石ころで殺すという遊びもあるんです。日本が1568年に作った制度によって、日本で大昔から歌われていた歌です。これは慰安婦ごっこだと、日本人たちも言っています。」

 文中「これ」というのは「花いちもんめ」を指します。

 日本のたくさんの遊びが、すべてこの3種類に分類されるというのはなんとも大胆な説ですが、何の根拠もなくこんな主張をするはずはないでしょう。なにしろこの人は「800ページにも及ぶ関連資料」を持っていたそうですし。

 で、何か手がかりがあるかと思って、ネットで調べてみました。

 まず、慰安婦ごっこ。

 確かに、日本にも「花いちもんめ」が「人身売買の歌」だという解釈があるようです。「勝ってうれしい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ」という歌詞を、「勝った」と「負けた」ではなく、「買った」と「まけた(値段を下げた)」という意味で、「花」は「若い女性」を指すのだそうです。すなわち、人買いが若い女性を一匁(もんめ、銀の重さ=値段)に値切って買い、喜んでいる歌なのだと。

 「かごめ」というわらべ歌では、「遊女の悲哀を歌った歌」という解釈があるそうです。

 親によって遊郭に売られた遊女(売春婦)を「籠の中の鳥」に見立て、自分を身請けして自由にしてくれる人が現れるのを待っている。「うしろの正面」に来た人が、「自分を身請けしてくれる人」なのだそうです。

 さらに、約束するときの「指切りげんまん」には、次のような起源がまことしやかに伝えられています。

 遊郭の遊女が、客に対して不変の愛を誓う証として、小指を切断して渡したことに由来する。ただ、実際には、本当に指を切る遊女は少なく、指の模造品が使われた。その後、この「指切」が一般にも広まり、約束を必ず守る意思を表す風習へと変化した。

 これも、イム・ヨンス館長は、慰安婦ごっこに分類しているのでしょうか。

 次に戦争ごっこ。

 まず最初に思い浮かぶのは、「チャンバラ遊び」ですね。

 私の子どものころは、新聞紙を丸めて刀を作り、それでチャンチャンバラバラ、時代劇の立ち回りを真似していました。「切られたほうは死んだふりをする」という暗黙の了解があったような。

 陣取り遊びなんかも戦争ごっこの一つなんでしょうか。

 「死刑ごっこ」というのは、私はまったく思い当たらなかったのですが、調べてみるとそのものずばり、「しけい」という子どもの遊びがあるそうです。

 最初に一人がボールを屋根の上に投げ上げ、おに以外は逃げる。おには落ちてくるボールを受ける。うまくキャッチできたら次のおにを指名して、おにを交代する。キャッチしそこなった場合、「止まれ」と言って、逃げた人にボールをぶつける。ぶつけられた人が次のおにになる。ぶつけられた人には「刑」が与えられ、「一刑」、「二刑」と累積し、「四刑(死刑?)」になると、壁に後ろ向きに立たされて、思い切りボールをぶつけられる。

「しけい」は「四刑」と「死刑」の掛詞とのこと。

 次の日の晴天を願ってつくる「てるてる坊主」。子どものころ、てるてる坊主を吊るして歌を歌ったものです。歌詞に2番と3番があることは調べてみて知りました。

 童謡『てるてる坊主』(作詞・浅原鏡村、作曲・中山晋平)の歌詞は次の通り。

1番
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
いつかの夢の空のよに 晴れたら金の鈴あげよ
2番
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
わたしの願いを聞いたなら あまいお酒をたんと飲ましょ
3番
てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ
それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ


 3番の歌詞は、死刑ですね!

 以前、「だるまさんがころんだ」について調べたことがあります(リンク)。

 地方によっていくつかのバージョンがあり、九州では、「インド人のくろんぼ」というそうです。「くろんぼ」は差別用語なので、今は使われないのかもしれませんが、これなんかもイム・ヨンス館長の手にかかると「火炙りの刑」で、「死刑ごっこ」の一形態と分類されるのかもしれません。

 以上、イム・ヨンス館長の大胆な仮説から、妄想を膨らませてみました。

 最後に「日本が1568年に作った制度によって、日本で大昔から歌われていた歌」というところについて。

 1568年といえば、長く続いた戦国時代が織田信長によって統一に向かい、この年に信長が上洛したことから、「安土桃山時代」の始まった年とする見方があります。ただ、この年に信長がなんらかの制度を作ったかどうか、調べてもよくわかりませんでした。

 代表的な戦国武将であり、性格も残虐と伝えられる信長を、イム館長は「戦争ごっこ」や「死刑ごっこ」の起源と見たのかもしれません。でも、「慰安婦ごっこ」と結びつけるのは無理があると思います。

 時代はこれより遡りますが、朝鮮時代の王様に燕山君(ヨンサングン)という暴君がいます。1494年に朝鮮第十代の国王となり、1504年、ソウルの円覚寺という寺を廃して妓生養成所とし、全国から未婚、既婚、妾、正妻関係なしに、手当たり次第に美女を強制連行をしたそうです(リンク)。

「慰安婦ごっこ」の起源なら、織田信長より燕山君のほうがふさわしいと思います。
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