私が韓国に本格的に関わるようになったのは,1990年。盧泰愚大統領の治世でした。
すでに時代は民主化の流れにあり,民主化の闘士,金泳三か金大中が大統領になるのが自然だったにもかかわらず,盧泰愚のような軍人出身者が当選したのは,両金が最後まで譲らず,さらに全斗煥時代末期に,例の金賢姫による大韓航空爆破事件が起こって,一気に反共ムードが高またためです。
90年当時,私は阿佐ヶ谷にあった韓国専門古本屋(三中堂)で小中学校の国定国語教科書を買い揃え,韓国語の勉強をしていました。
驚いたのはその内容。
小学校5,6年の教科書には日帝時代および朝鮮戦争を背景とした小説があり,鬼のような形相の日本憲兵または北の兵士の挿絵が添えられていました。反日と反共を二本柱とする教科書でした。北は,公式的にはプッカン(北韓)でしたが,小説の中にはプッケ(北傀=北の傀儡)とか,パルゲンイ(赤野郎)というような表現も散見されました。
ただ,これは1990年に日本の古本屋で買ったもので,韓国の学校では89年より新しい教科書が使われていました。89年版もその後入手したのですが,反日は相変わらずであるものの,「反共」色ははっきりと薄められていました。
その後,数回の改訂を経て,反日色は強まり,反共色は薄まるという傾向が定着しました。
このような変化の背景が,今回「大韓民国の物語」を読んで,よくわかりました。
当時,韓国の国史学界を支配し,教科書を執筆していた人々は,『解放前後史の認識』に影響を受けており,『認識』は,中共の毛沢東の革命理論に立脚して,韓国の建国史を批判し,北朝鮮の主体思想に共感を寄せるものだったそうです。
しかし,ソ連と東欧諸国が雪崩をうって崩壊し,20世紀を揺るがした共産主義が失敗であったことがはっきりした90年代に至って,毛沢東思想と主体思想に立脚して教科書が改訂されるとは…。
すでに時代は民主化の流れにあり,民主化の闘士,金泳三か金大中が大統領になるのが自然だったにもかかわらず,盧泰愚のような軍人出身者が当選したのは,両金が最後まで譲らず,さらに全斗煥時代末期に,例の金賢姫による大韓航空爆破事件が起こって,一気に反共ムードが高またためです。
90年当時,私は阿佐ヶ谷にあった韓国専門古本屋(三中堂)で小中学校の国定国語教科書を買い揃え,韓国語の勉強をしていました。
驚いたのはその内容。
小学校5,6年の教科書には日帝時代および朝鮮戦争を背景とした小説があり,鬼のような形相の日本憲兵または北の兵士の挿絵が添えられていました。反日と反共を二本柱とする教科書でした。北は,公式的にはプッカン(北韓)でしたが,小説の中にはプッケ(北傀=北の傀儡)とか,パルゲンイ(赤野郎)というような表現も散見されました。
ただ,これは1990年に日本の古本屋で買ったもので,韓国の学校では89年より新しい教科書が使われていました。89年版もその後入手したのですが,反日は相変わらずであるものの,「反共」色ははっきりと薄められていました。
その後,数回の改訂を経て,反日色は強まり,反共色は薄まるという傾向が定着しました。
このような変化の背景が,今回「大韓民国の物語」を読んで,よくわかりました。
当時,韓国の国史学界を支配し,教科書を執筆していた人々は,『解放前後史の認識』に影響を受けており,『認識』は,中共の毛沢東の革命理論に立脚して,韓国の建国史を批判し,北朝鮮の主体思想に共感を寄せるものだったそうです。
しかし,ソ連と東欧諸国が雪崩をうって崩壊し,20世紀を揺るがした共産主義が失敗であったことがはっきりした90年代に至って,毛沢東思想と主体思想に立脚して教科書が改訂されるとは…。
稗田阿礼と太安万侶が真偽判別して、正しいことのみを書いた古事記はそのように書いています。
イザナギ・イザナミは初めての咬合で得た水蛭子・淡島を流し捨て、イザナミの<美蕃登>を炙き生れ出た<迦具土>は、イザナギにより殺されます。
イザナミが<美蕃登>火傷の死の床での排泄物は、それぞれ神々になっています。
ゲロは金山彦・金山姫
クソは埴ヤス彦・埴ヤス姫
小便はミツハ・ワクムス。
秋葉神社の御祭神は<迦具土>だそうです。
だが、日本人は是を余りハジとは思っていません。
このことは大変なことです。自らの出自を貶めることですから。
日本人は古事記を焚書にしませんでした。
シナ・チョウセンならば間違いなく抹殺される史書でしょう。
名古屋大須観音・真福寺本古事記は、焚書にも遇わず国宝に指定されています。
高麗以後,儒教の影響が濃くなってから,その事実は隠蔽された。
それを記した百済記,百済本記も焚書されたのでしょう。
今の人は,「プンシンスギル(豊臣秀吉)の侵略軍が焼いた」と信じていますが。