中央公論新社より『日本書紀成立の真実-書き換えの主導者は誰か』が出た。
1999年に同じ出版社から出た『日本書紀の謎を解く-述作者は誰か』が、日本書紀の述作者を特定し、学界に衝撃をもたらしてから12年、前著で提唱した書紀成立区分論は学界に定着し、それを傍証する研究が次々に生まれる中、著者自身も研究を深め、新著ではさらに踏み込んで編纂主導者の特定まで行っている。
「日本書紀成立の真実」は森である。なぜなら、著者が森(博達)だからだ。
森の周りを巡るだけでは、真価を知ることはできない。内部を博捜し、文体面の検討を加える必要がある。
文体的特徴を分析すると、「日本書紀成立の真実」はα群とβ群に截然と分けることができる。
本書の構成は次の通りである。
①まえがき
②第一章 日本書紀の研究方法と今後の課題
③第二章 日本書紀箚記
④第三章 日本書紀と古代韓国漢字文化
⑤第四章 書紀研究の新展開
⑥第五章 書紀成立論
⑦あとがき
この中で、③~⑦はα群、①~②はβ群である。α群は正格論文体で書かれているのに対し、β群は変格論文体である。
現代の日本語の文章は、常体と敬体という二つの文体が行われている。通常学術論文は常体でかかれ、敬体は子供向けの文章やPRの性格を持つ文章、講演原稿などに用いられる。常体は「正格論文体」、敬体は「変格論文体」ということができる。要するに、早い話が「である体」と「です、ます体」である。なお、本論考においては、敬体=です、ます調を話習(わしゅう)と称することもある。
外山滋比古は次のように書いている。
「言文一致に一歩近づけるために「です、ます体」を標準にするのがのぞましい、学術論文でも「です、ます」で書くべきである、と主張する有力な国語学者があらわれ、みずからも、その文体で論文を発表して話題になったことがあるが、その後、いつとはなしに忘れられて、「です、ます」体の論文がふえたということはないようだ」(『ことばと人間関係』チクマ秀版社、1993年)
『日本書紀成立の真実』のβ群は話習に満ちている。っていうか「です、ます体」で書かれている。
外山も夙に指摘しているように、話習を用いて論文を書く「有力な国語学者」もいたそうだから、これは誤用ではない。しかし、「いつとはなしに忘れられた」用法なので奇用と言わざるをえない。
通常、日本語の文章では正格論文体と変格論文体を混在させることはない。しかるに、なぜ『日本書紀成立の真実』では混在しているのか。
その秘密は編修過程にある。
まず、β群の「まえがき」を考察してみよう。
日本の出版界の慣習上、本文が「である体」で書かれていても、「まえがき」や「あとがき」だけは「です、ます体」で書かれることは多い。まえがきやあとがきは、書店で本を手にとった消費者が最初に読む確率が高く、PRの性格をかねているからだろう。
同じ著者の前著『日本書紀の謎を解く』もあとがきだけは「です、ます体」で書かれていた。
次に、第一章である。
この論文の初出は『東アジアの古代文化』(大和書房、2001年)であり、そこから本書に転載されたものである。原著を確かめたわけではないが、おそらくは初出論文がなんらかの事情で「です、ます体」で書かれ、それをそのままの文体で転載したためにこのような混在が生じたのであろう。なんらかの事情とは、たとえばこの論文のもとが「講話原稿」だったことが考えられる。
一方、本書を子細に検討してみると、α群(である体)の中にも話習(です、ます体)が含まれていたり、β群の中に「である体」が混じっていることが見て取れる。
このような例外を直視することが大切である。
まずβ群(である体)の中にα群的文体(です、ます体)が含まれる用例は全7例である。そのすべてを次に掲げる。
①「私はこの本を書くために生まれてきた。書き終えての余韻でしょうが、そんな気がします」の「でしょう」と「します」。(第二章、P41)
②「拙著をご覧になった武蔵大学の今井勝人先生がわざわざコピーをご恵送くださった。ここに記して感謝申し上げます」の「申し上げます」(第二章、P59)
③「これは雄略天皇の遺詔で、『隋書』による潤色文です。典拠は次の通り。」の「です」。(第三章 P130)
④「…漢文では虚詞の「之」に代名詞・連詞・助詞という三種の用法があります。」の「ます」(第三章 P132)
⑤「巻二五「孝徳紀」はα群に属しますが、そこに載せられた「大化の詔勅」には数多くの倭習が現れている。」の「属します」。(第三章 P149)
⑥「三例(①②③)としたのは私の疎漏であり、謝罪して訂正します。」の「ます」。(第三章 P166)
⑦「学恩を蒙った国内外の先生方と、我慢強く見守ってくれた宇田川氏、および編集の実務を担当してくれた並木光晴氏に感謝申し上げます。」の「申し上げます」(あとがき、P282)
一方、β群の中に「である」が混在しているのは次の1例のみ。
⑧「そのβ群の述作について、年代は文武朝井後、撰述者は山田史御方ではないかと想定されている。私は、森氏の研究の緻密さに感嘆したものの一人であるが、これにより、憲法が『書紀』編者の手になるということは決定的になったと言ってよいと思う。」(第一章 P33)
まず①と⑧は、引用箇所である。引用元の文体を尊重したのであろう。第一章の論文再録時の扱いにしろ、この引用箇所にしろ、元の文献を尊重するという著者の謹直な姿勢が窺われる。
②⑥⑦のうち②⑥は、各章末の注、⑦はあとがきの文言であり、②⑦は感謝、⑥はお詫びの言葉である。地の文が「である」であっても、感謝やお詫びは「です、ます」を使うことは一般に見られる用例であり、奇用とまでは言えない。
問題は③④⑤である。前後の文脈(である体)からみて、ここに話習が出てくる必然性がない。
ここで注目すべきは、これらの奇用が、α群の特定箇所に偏在していることである。これらはいずれも、第三章第一節「『日本書紀』区分論と終結辞の「之」字」に集中している。そしてこれは、どちらも著者が韓国に滞在中に執筆、発表された、「朝鮮関連論文」である。
おそらくは韓国で発表した「です、ます体」の講話原稿をもとに、「である体」に修正する過程で、著者または担当編集者が見落としたものであろう。なんらかの事情で出版が急がれ、一部未定稿が残った可能性もある。
以上、文体論的考察によって、『日本書紀成立の真実』の編修過程の一端が明らかになった。
本書は、日本書紀研究の金字塔たる『日本書紀の謎を解く』同様、高度に専門的な内容であるにもかかわらず、必要十分な根拠提示、簡明な論証により、予備知識のない一般人にも、スリリングな知的興奮を味わうことのできる好著である。「解釈史学者、印象史学者」に対する厳しい叱正も痛快である。
ぜひ一読をお勧めしたい。
(ここより、突然です、ます体)
このブログの読者の皆様にとって、今回の記事内容はチンプンカンプンかと思いますが、本書および『日本書紀の謎を解く』をお読みいただければ、上の記事を多少なりとも楽しんでいただけるかもしれません。
〈関連記事〉
日本書紀の謎を解く①
日本書紀の謎を解く②
日本書紀の謎を解く③
追伸
森博達様
このたびは御著書をお送りいただき、まことにありがとうございました。お礼の気持ちをこめて上の記事を書きましたが、失礼にあたる部分もあるやに思います。まえもってお詫びするとともに、市井の印象批評家の戯れ言として読み流してくださることをお願い申し上げます。
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