年末も押し詰まった12月30日、三女の夫のDがフィリピンから入国後、2週間のホテルでの自主隔離を終え、妻(私の娘)と、そしてわが子(私の孫)との対面を果たしました。
妻とは、昨年の9月にフィリピンで別れて以来1年4か月ぶり、わが子とは、なんと生まれて初めてのリアルでの対面です。
30日、娘は仕事があって夕方に帰宅、当初の予定では31日に車でホテルに迎えに行く予定でした。
でも、川越に住む次女夫婦が、1日でも早く対面させてやろうと、自分の車で都内のホテルにDを迎えに行ってくれ、この日の対面が実現しました。
まず、Dと妻は、私の最寄りの駅で再会、そしてわが家で待つわが子との対面。
つい数日前に1歳の誕生日を迎えた孫は、人見知りをするようになり、特に知らない男の人は苦手。
案の定、わが家でお父さんを見た瞬間、顔を背けました。毎日、スマホで動画の通話をしているにもかかわらずです。
Dは直前まで明るく振舞っていましたが、わが子を見た瞬間、号泣。
その場に居合わせた三女と私たち夫婦、次女夫婦も思わずもらい泣きをしました。
この日を迎えるまで、何と長かったことか。
娘がフィリピンで妊娠し、コロナ渦でいろいろな手続きがうまくいかず、フィリピンで婚姻手続きができまいまま帰国。日本で婚姻届けを出し、昨年9月に出産。その後、フィリピンでの婚姻手続き、日本で結婚ビザ取得のための各種証明書を取得、それを在フィリピン日本大使館に送り、結婚ビザを取得。やっと日本に入国できたのに、コロナのせいで2週間、ホテルで隔離されていたのです。
手続きは途中まですべて自力でやっていましたが、最後の最後で絶対ミスをしたくないので、専門の行政書士に依頼しました。
別居生活の間は、毎日LINEで顔を見ながら通話。
その甲斐あって、翌日の午前中にはタタイ(フィリピノ語でお父さん)に慣れ、抱き上げられて笑顔をみせるようになりました。
2021年、私が定年を迎えたり、四女が結婚したりと大きなイベントがありましたが、なんといっても三女の娘が無事にお父さんい会い、親子水入らずで暮らせるようになったことが、最大のビッグイベントでした。
妻とは、昨年の9月にフィリピンで別れて以来1年4か月ぶり、わが子とは、なんと生まれて初めてのリアルでの対面です。
30日、娘は仕事があって夕方に帰宅、当初の予定では31日に車でホテルに迎えに行く予定でした。
でも、川越に住む次女夫婦が、1日でも早く対面させてやろうと、自分の車で都内のホテルにDを迎えに行ってくれ、この日の対面が実現しました。
まず、Dと妻は、私の最寄りの駅で再会、そしてわが家で待つわが子との対面。
つい数日前に1歳の誕生日を迎えた孫は、人見知りをするようになり、特に知らない男の人は苦手。
案の定、わが家でお父さんを見た瞬間、顔を背けました。毎日、スマホで動画の通話をしているにもかかわらずです。
Dは直前まで明るく振舞っていましたが、わが子を見た瞬間、号泣。
その場に居合わせた三女と私たち夫婦、次女夫婦も思わずもらい泣きをしました。
この日を迎えるまで、何と長かったことか。
娘がフィリピンで妊娠し、コロナ渦でいろいろな手続きがうまくいかず、フィリピンで婚姻手続きができまいまま帰国。日本で婚姻届けを出し、昨年9月に出産。その後、フィリピンでの婚姻手続き、日本で結婚ビザ取得のための各種証明書を取得、それを在フィリピン日本大使館に送り、結婚ビザを取得。やっと日本に入国できたのに、コロナのせいで2週間、ホテルで隔離されていたのです。
手続きは途中まですべて自力でやっていましたが、最後の最後で絶対ミスをしたくないので、専門の行政書士に依頼しました。
別居生活の間は、毎日LINEで顔を見ながら通話。
その甲斐あって、翌日の午前中にはタタイ(フィリピノ語でお父さん)に慣れ、抱き上げられて笑顔をみせるようになりました。
2021年、私が定年を迎えたり、四女が結婚したりと大きなイベントがありましたが、なんといっても三女の娘が無事にお父さんい会い、親子水入らずで暮らせるようになったことが、最大のビッグイベントでした。
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