出張で東京駅に着いたのが夜9時。夕食を食べていなかったので、高田馬場のミャンマー料理やへ。
いつも行くマノーミェーというミャンマーレストランには、そば焼酎がキープしてあったはずです。このそば焼酎というのは、ミャンマー、タイ、ラオスの国境地帯に広がる黄金の三角地帯のケシ栽培を撲滅するために、代替作物として導入されたそばを原料にしたもの。
駅前の交差点を渡ったところに、見慣れないミャンマー文字の看板がありました。ミャンマーレストランのようです。
「見たことないなあ。新しくできたのかな?」
気になったので寄ってみることにしました。駅前の黒いビルの2Fで、ミャ・ミィンモという店です。同じビルの1Fにはノング・インレイ(インレイ湖)という老舗(シャン族の料理)があります。店のドアの前に来ると、店内からは大音量のカラオケの音が漏れ聞こえます。おそるおそる開けると……。
「いらっしゃいませ」
ミャンマー人らしき女性店員が迎えてくれました。
「ここ、レストランですよね?」
「そうですよ。カラオケもありますけど」
歌っていたのは、やはりミャンマー人らしき4人組。家族のようです。
私がメニューを見ていると、歌い終わった男性が日本語で話しかけてきました。
「この店はなんでもおいしいですよ。モン族の料理もあります」
「日本語、お上手ですね」
「ええ、もう30年近く日本に住んでますから」
「というと、8888の頃からですか?」
「はい。8888なんて、よく知っていますね」
8888というのは、1988年8月8日にミャンマーで起こった民主化要求デモと弾圧事件のこと。この事件のあと、拠点となったヤンゴン大学は閉鎖され、民主化運動家は海外に亡命する人が多かった。日本にいるミャンマー人もそうした理由で亡命してきた人が結構います。
「妻はタイ人なんですよ」
奥の席を指します。
「サワッディー・クラッ」
私がタイ語であいさつすると、うれしそうにタイ語でしゃべってきました。
(あいさつぐらいしかわからないんだけど…)
その隣にはご主人のお母さんもいて、こちらは日本語ができないらしく、英語で話しかけてきたりする。いろんな言語が飛び交います。こっちも一軒目ですでに出来上がっていたので、恥ずかしげもなく片言で張り合います。
しばらくして、別の女性客が入ってきました。日本人の一人客です。
私たちの会話が途切れたとき、女性が話しかけてきました。
「ミャンマーにはよく行かれるんですか」
「いえ、2回しか行ったことがありません」
「私は、前はよく行ってたんですけど、ここ数年は行っていません」
「お仕事ですか」
「いえ、観光というかなんというか…」
なんでも、彼女は10年ぐらい前に体調を崩し、いろいろ病院を回ったけれども原因不明。諦めかけていた時、お手伝いさんのミャンマー人から、
「ミャンマーにすごい医者がいる。どんな病気でも治せる。ぜひミャンマーに行ってみなさい」
と言われ、藁をもつかむ思いで初めてミャンマーに行ったそうです。
「で、治ったんですか?」
「そうなんですよ。全快しました」
その「医者」は、かなりの年輩で、体にはまったくさわらず、問診だけで病気の原因をつきとめ、具合の悪い部位に手のひらをかざすだけで病気を治したそうです。
「それはすごい!」
「きっと 超能力者なんだと思います」
以来、毎年のようにミャンマーにお礼参りをしていたそうですが、数年前、そのお医者さんも年齢には勝てずに亡くなられたので、それっきり行っていないという。
にわかには信じられない話ですが、「病は気から」「信じれば治る」ということかもしれません。
帰り際、店の人に話を聞きました。店はご夫婦でやっていて、半年ぐらい前にオープンしたそうです。店名のミャ・ミィンモは、「ミィンモ山のエメラルド」。ミャはエメラルドの意、ミィンモはモン州にある山の名前だそうです。近くにルビーという名のミャンマーレストランがあることを思い出しました。ミャンマーでは、レストランの何に宝石の名をつけることが多いんでしょうか。モン料理が売り物で、厨房の料理人もモン族出身だということです。
「ミャンマー料理はお好きなんですか?」
「ええ、この先のマノーミェーによく行きます」
「ああ、カチン族のお店ですね。あそこ、タイ料理屋になっちゃいましたね」
「え? そうなんですか?」
帰りに行ってみると、確かにタイ料理屋が新装開店していて、店頭には開店祝いの花が飾られていました。
(そば焼酎、半分以上残ってたんだけどなあ…)
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