神奈川に住む知り合いから、朝日新聞のアンサンスーチー女史関連の記事に、共通の知り合いのミャンマー人が取り上げられているという連絡がありました。
大阪では新聞をとっていないので、近所のコンビニで購入しましたが、大阪地方版には載っていませんでした。それで、ネットを検索すると、それと思われる記事がヒットしました。
アウンサンスーチー女史がミャンマーの軍に拘束され、自宅に軟禁されたことに対し、在日ミャンマー人が抗議デモを行ったことを伝える記事です。
朝日新聞社 2021/02/03(リンク)
「スーチーさん解放に力を」在日ミャンマー人3千人訴え
日本に住むミャンマー国籍の人たちが3日、東京・霞が関の外務省前に集まり、母国で拘束中のアウンサンスーチー氏らの解放を訴えた。外務省を取り囲むように並び、スーチー氏の写真や「日本政府は軍事クーデターを認めないで下さい」と書いたプラカードを掲げた。
抗議行動を呼びかけたのは「在日ミャンマー市民協会」。主催者発表で約3千人が集まり、「フリー、フリー、アウンサンスーチー!」などとシュプレヒコールを上げた。
専門学校生のイータンダーアウンさん(25)は「ミャンマーは民主主義の国だと思っていたのに、クーデターを知って、悔しくて涙が出た」。協会の運営委員でミャンマー料理のレストランを経営するチョウチョウソウさん(57)は「ミャンマーの民主化を支援してくれた日本政府に、スーチーさんらが解放されるよう力を貸してほしい」と話した。
参加者らは民主化運動の中でさかんに歌われてきたという歌を歌った。「民主主義を守るため、亡くなった人の血のかたまりはなくなっていない。私たちは決して忘れない」といった内容だ。軍の司令官の写真を地面に捨て、踏みつける場面もあった。
元技能実習生の男性ピュニソイさん(32)は、3人兄弟の末っ子で雑貨店を経営する家族を助けるため、4年前に来日した。家族とは先月26日に話したのが最後で、電話もネットもつながらない。「家族も気になるが、一番心配なのは国のために頑張るスーチーさんのこと。日本政府に働きかけてもらうことを期待している」と話す。
記事に出てくるチョウチョウソウさんは、東京・高田馬場で夫婦でミャンマーレストラン「ルビー」をやっている方で、大阪に転勤になる前に、何回か食べに行ったことがあります。
日本にいるミャンマー人は、1988年の民主化運動弾圧を受けて、政治亡命した人が多いのですが、チョウチョウソウさん夫婦もそんなケースです。
ビルマ建国の父アウンサン将軍の娘、アウンサンスーチーは、1988年8月8日の民主化を求めるゼネストのあと、26日の集会で演説を行ったことをきっかけに、政治活動を始め、NLD(国民民主連盟)を結党しましたが、89年に自宅軟禁。95年にいったんは解放されましたが、その後も繰り返し自宅軟禁を命じられていました。そんな中、チョウチョウソウさんは、アウンサンスーチーを支持して、東京で抗議活動を続けていました。
そのときの活動は、2012年に映画化され、文化庁の文化記録映画優秀賞を受賞しました。私も、DVDでその映画を見ました(リンク)。
2016年にお店でお会いした時、
「ミャンマーの民主化されたので、そろそろ祖国に帰ろうと思っている」
と話していましたが、この記事を見ると、今も東京にいらっしゃるようです。
東京に帰任して、コロナがちょっと落ち着いたら、ぜひまたルビーに行きたいと思います。
大阪では新聞をとっていないので、近所のコンビニで購入しましたが、大阪地方版には載っていませんでした。それで、ネットを検索すると、それと思われる記事がヒットしました。
アウンサンスーチー女史がミャンマーの軍に拘束され、自宅に軟禁されたことに対し、在日ミャンマー人が抗議デモを行ったことを伝える記事です。
朝日新聞社 2021/02/03(リンク)
「スーチーさん解放に力を」在日ミャンマー人3千人訴え
日本に住むミャンマー国籍の人たちが3日、東京・霞が関の外務省前に集まり、母国で拘束中のアウンサンスーチー氏らの解放を訴えた。外務省を取り囲むように並び、スーチー氏の写真や「日本政府は軍事クーデターを認めないで下さい」と書いたプラカードを掲げた。
抗議行動を呼びかけたのは「在日ミャンマー市民協会」。主催者発表で約3千人が集まり、「フリー、フリー、アウンサンスーチー!」などとシュプレヒコールを上げた。
専門学校生のイータンダーアウンさん(25)は「ミャンマーは民主主義の国だと思っていたのに、クーデターを知って、悔しくて涙が出た」。協会の運営委員でミャンマー料理のレストランを経営するチョウチョウソウさん(57)は「ミャンマーの民主化を支援してくれた日本政府に、スーチーさんらが解放されるよう力を貸してほしい」と話した。
参加者らは民主化運動の中でさかんに歌われてきたという歌を歌った。「民主主義を守るため、亡くなった人の血のかたまりはなくなっていない。私たちは決して忘れない」といった内容だ。軍の司令官の写真を地面に捨て、踏みつける場面もあった。
元技能実習生の男性ピュニソイさん(32)は、3人兄弟の末っ子で雑貨店を経営する家族を助けるため、4年前に来日した。家族とは先月26日に話したのが最後で、電話もネットもつながらない。「家族も気になるが、一番心配なのは国のために頑張るスーチーさんのこと。日本政府に働きかけてもらうことを期待している」と話す。
記事に出てくるチョウチョウソウさんは、東京・高田馬場で夫婦でミャンマーレストラン「ルビー」をやっている方で、大阪に転勤になる前に、何回か食べに行ったことがあります。
日本にいるミャンマー人は、1988年の民主化運動弾圧を受けて、政治亡命した人が多いのですが、チョウチョウソウさん夫婦もそんなケースです。
ビルマ建国の父アウンサン将軍の娘、アウンサンスーチーは、1988年8月8日の民主化を求めるゼネストのあと、26日の集会で演説を行ったことをきっかけに、政治活動を始め、NLD(国民民主連盟)を結党しましたが、89年に自宅軟禁。95年にいったんは解放されましたが、その後も繰り返し自宅軟禁を命じられていました。そんな中、チョウチョウソウさんは、アウンサンスーチーを支持して、東京で抗議活動を続けていました。
そのときの活動は、2012年に映画化され、文化庁の文化記録映画優秀賞を受賞しました。私も、DVDでその映画を見ました(リンク)。
2016年にお店でお会いした時、
「ミャンマーの民主化されたので、そろそろ祖国に帰ろうと思っている」
と話していましたが、この記事を見ると、今も東京にいらっしゃるようです。
東京に帰任して、コロナがちょっと落ち着いたら、ぜひまたルビーに行きたいと思います。
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