犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

日本の「政治の季節」

2008-07-15 00:40:20 | 思い出
 政治に熱くなる韓国の人々をみると,これまで「政治デモ」というものに一度も参加したことのない私には,多少うらやましい気がしないでもない。

 実は私は日本の「政治の季節」にも乗り遅れたからです。

 日本で「70年安保」をめぐって全国に学園紛争が吹き荒れたとき,私はまだ小学生でした。

 高校に入学した76年には,安保騒動はすでに過去のもの。一部の過激派が支持者のいないテロを散発させる程度で,学生の政治意識は急速に薄らいでいきつつありました。

 大学に入ると,革マルや中核の残党が,独特な書体の看板を立てることはありましたが,関心を払うものはなく,学生のデモといえば「学費値上げ反対」などといった平和なもの。ときどき起こるいざこざは「原理研」と「反原理研」の小競り合い程度。いたって平和な大学生活を送りました。

 私より一回り上の世代は,はるかに政治的な学生生活を送っていたようです。

 最近,その時期を描いた本を読みました。著者は四方田犬彦氏。映画評論家/文芸評論家です。

 四方田犬彦氏には以前から関心がありました。その理由の一つは,名前に「犬」が入っていること。もう一つは韓国で日本語教師をしていたことがあり,韓国関係の書籍を何冊か書いていること(『われらが「他者」なる韓国』『ソウルの風景』)。そして最後に,私の中学高校の先輩であることです。

 1953年生まれの四方田氏が高校に進学したのは1968年,卒業は71年。その2年後に,私は中高一貫の中学に入学しました。

『ハイスクール1968』(新潮社2004年)は,「すべてのことが可能である」かのように希望に満ちた高校一年生(著者)が,新しい文学や映画,音楽に出会って衝撃を受け,あるいは政治運動に翻弄され,友人に裏切られ,学校に絶望し,浪人生活を送る…二十歳を前にして「心が朽ちてしまう」までの4年間を描いた自伝的作品。

 山の手の中産階級の家庭に育った氏は,中三の春に高校数学をすべて自習で終えてしまうほどの優等生。早熟・多感な彼は,友人や教師の影響でビートルズに,あるいは現代詩に目覚め,映画にはまり,ジャズに沈潜するなか,当時高校をも巻き込みつつあった安保闘争にも関わっていく。

 あの時代,大学の活動家は,来る70年安保闘争の予備軍として積極的に高校にも勧誘をかける。アカの教師の影響が強かった学園では3分の1が「民青」。そこに革マル,中核派,反帝学評などさまざまなセクトが食い込んでくる。

 氏はそのどれにも共感を持つことはできなかったが,69年,高校にも吹き荒れた「学園紛争」の最後の時期になって,ついに母校でも「ブント」の上級生の指揮のもと「バリケード封鎖」が起こったとき,妙な達成感を味わってバリ封に参加する。

 しかし,その渦中で仲間の裏切りにあい,そのときの心の傷を氏は生涯にわたって引きずることになる。

 学業にいっさいの興味をなくした氏は,友人たちが掌を返したように受験勉強に戻っていくのを尻目に,喫茶店と映画館に入り浸り,ついに高校に行くことをやめてケーキ屋で働き始める。

 世界ではベトナム戦争が泥沼化の様相を呈し,中国では文化大革命の狂乱,パリでは学生が立ち上がる(パリ5月革命)。いざなぎ景気の只中にあった日本では,68年以降,さまざまな事件が社会を騒がせる。

 金嬉老事件,三億円強奪事件,奥村謙三事件(天皇パチンコ狙撃),大学闘争,東大安田講堂陥落,永山則夫連続射殺事件,ビートルズ解散,70年安保自動延長,大阪万博,三島由紀夫自決,成田三里塚闘争,連合赤軍あさま山荘事件…。


 同じ母校を舞台にした作品なので,ところどころに挿入された校舎の写真,街並み,近隣の喫茶店の名前などはどれもなつかしいものです。

 さすがに,作品の中に実名で登場する級友たちに見覚えはないものの,やはり実名で登場し,あるいは容赦なく批判され,あるいは賞賛される教師たちの幾人かは,私も習ったことがある。受験対策などどこ吹く風で,自分勝手な授業をしていた教師たちが多かったのは,私の在学時代もあまり変わりがありません。

 実際のところ,私が入学するつい数年前に,母校を舞台としてこれだけのドラマが展開されていたことは,この本で初めて知りました。

 この熱い「政治の季節」に遅れたことは,一面で残念な思いもありますが,もし私がその時代に学園生活を送ったとしても,おそらくは政治に関与することはなく,傍観者にとどまっていただろうという気がします。

 私は,氏が揶揄する「羊のように従順な学生」の一人でした。私の学年にも,それこそ逆立ちしてでもかないそうもない,個性的で優秀な級友たちが何人もいました。それらの「才能」を,まぶしく眺めながら,こんな学校に入ってよかったのだろうかと,場違いな思いにとらわれていた当時の自分を思い出します。四方田氏もそうした一群の異才の一人だったにちがいありません。

 本書は,四方田氏の自伝でありながら,大学紛争とは違ってこれまであまり語られることのなかった,安保闘争における高校生の記録としても価値があります。

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2 コメント

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Unknown (o-tsuka)
2008-07-15 15:20:23
はじめてコメントを書かせていただきます。

四方田犬彦氏のこの本については、先輩や同級生の大谷行雄、鈴木昌、金子勝、矢作俊彦らによって「でたらめ」と酷評されているようです。
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o-tsukaさん, (犬鍋)
2008-07-17 04:56:38
コメントありがとうございます。

コメントをいただいたあと,大谷さんの批判をネット上で読みました。

私の知っている教師についての論評は的を射ているものが多いですが,人によっては必要以上に戯画化されている部分もあると感じました。級友,先輩についても同様なのでしょう。否定的に書かれた当人は穏やかではない。一部は単行本化に際し,仮名にしたり内容を訂正/削除したりしたようです。また,著者だけがやけにカッコよく描かれているのも,反感を買うことになったのかもしれません。そういった部分は差し引いて読むにしても,あの時代の空気がよく描かれていると思いました。
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