犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

バブル経済の思い出

2024-02-26 00:09:24 | 思い出
写真:日経平均株価、史上最高値更新(NHKニュース)

 2月22日、東京株式市場で日経平均株価終値は3万9098円をつけました。バブル経済に沸いた1989年12月29日の最高値(3万8915円)を、約34年ぶりに上回ったということです。

 日本がバブル経済を謳歌していた80年代後半、私は社会人になったばかり。

 中学生のときに銀行員だった父が亡くなり、専業主婦だった母は、父の勤務先の銀行の紹介で、系列のファイナンス会社に勤めていました。

 そして会社の人に勧められ、株式投資を始めました。電電公社が民営化したときのNTT株の公募では、一人1株の制限があり、家族全員の名義を借りて申し込みました。5株中1株だけが当選(?)し、購入。NTT株は公開後約2か月で、公募価格の119万7,000円から、318万円まで高騰。

 それに味をしめた母は、自分の現金資産を、つぎつぎに株式投資につぎこみました。

 私は、20歳のときに、父の生命保険金のうち、私の相続分として、約300万円を渡されました。

 そのお金で、ピアノを買ったり、フランスに語学研修に行ったりしましたが、まだだいぶ余っていた。それを株に投資しました。当時は、どの株を買っても上がりましたから、私が買った株も短期間でかなりの利益を出しました。

 ただ、私には大学時代からつきあっていた婚約者がいましたので、結婚資金として、あるとき全株を手仕舞い、1986年1月に結婚しました。

 ブラックマンデーで、株が暴落したのは、その約1年後(1987年2月9日)。幸運にも、暴落の損害を受けませんでした。

 母が持っていた株も急落。

 ただ、株は売らなければ損が確定しないので、母は株を持ち続けました。

 悲惨だったのは5歳上の兄。私同様、父の生命保険金をもらっていて、それを全額、株に投資していたのです。

 そして、より大きな利益を得ようと、信用取引に手を染めていたため、含み損を抱えたまま手仕舞わなくてはならなくなり、担保にしていた株式をすっかり失いました。

 その後、株式市場は回復し、前述した通り、日経平均は、1989年12月29日に最高値をつけました。母はその後も株式を保有し続けましたが、株式市場は低迷。

 母は、ある時期に、株をすべて投資信託に切り替え、年金式に受け取るようにして、老後の生活資金に当てていました。

 そんな母、兄も、今は故人となりました。

 私は、このときの経験から、「株は恐い」ということが身に沁み、その後長らく、「一時払い養老保険」とか、低リターンだけど低リスクの運用しかしませんでした。

 まあ、結婚後は家を高値づかみして、その住宅ローン(今考えるととんでもなく高金利でした)を払うために、株式投資に回すような余裕資金はなかったのですが。

 かつてのバブルは、個人投資家(土地の高騰で生まれたにわか成金たち)が、欲の皮を突っ張らせて、株の投資に狂奔した結果だったんだろうと思います。

 今回、日本の景気がそんなによくもないのに株が上がっているのは、海外投資家の資金が流入しているからだ、と解説されています。

 上がり過ぎた株は必ず下がりますから、無茶な投資はしないのが身のためです。



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