写真:チキチキマシン猛レースのケンケン
歌手の谷村新司さんが10月8日 に亡くなっていたことが、16日に公表されました。
ポップスにあまり興味のない私にとって、谷村新司といえば、中学時代に聞いていた深夜放送の印象が強い。
谷村さんは、文化放送が火曜日の深夜に放送していた「セイ! ヤング」の司会を務めていたんですね。ただ、私が聞くのはその中の「天才・秀才・バカ」というコーナーだけ。
最初は、級友がカセットテープに録音したものを、学校の休み時間に聞いて爆笑していましたが、そのうち自分も深夜まで起きていて、聞くようになりました。
映画『燃えよドラゴン』のメインテーマ(のちに三波春夫の「おまんた囃子」)が始まりの合図でした。
このコーナーだけ、バンバンのばんばひろふみが出演していて、チキチキマシン猛レースのケンケンのような声で笑っていたのを、今でも覚えています。
天才・秀才・バカシリーズというのは、天才、秀才がまともなことを言った後、最後にバカがオチをつける、というもの。すべて視聴者のからの投稿です。
天才・秀才・バカの三人が、オウムに話しかけた。
天才「おはよう!」
オウム「…」
秀才「こんにちは!」
オウム「…」
バカ「なんだ、おまえ! オウムのくせにしゃべれないのか!」
オウム「じゃおまえ、飛べるか?」
といった具合。(ただしこれの初出は「欽ドン!」らしいが)
天才・秀才・バカの定型を踏まず、たんなる笑い話も多かったようです。下ネタや差別用語、放送禁止用語のオンパレードでした。そのころは大らかだったんでしょう。
ばんばひろふみが歌います。
♪ いちご白書をもう一度をもう一度
「クククククッ!」(ばんば、ケンケン笑い)
「きっついなあ、これ!」(谷村)
当時、ばんばひろふみは、バンバンの「いちご白書をもう一度」でヒットしてから、鳴かず飛ばずの状態が続いていたんですね。
私はカラオケも好きじゃないんですが、ソウル駐在時代には韓国語の勉強にために、韓国の歌を歌いました。韓国人の中にはアリスが好きな人もいて、ときどきはいっしょに歌ったこともあります。
今回、訃報が流れた後、中国外務省が「谷村新司さんは日中友好事業に貢献した」という内容とともに哀悼の意を表していたのに驚きました。
谷村さんは、日中国交回復後の1981年、アリスとして北京でコンサートを開催。そこには鄧小平氏など中国共産党幹部も来ていたそうです。その後もたびたび、中国でコンサートを開催。2004年には上海音楽学院の教授に就任したとのこと。
「東方網」という中国の新聞(日本語版、2019年 7月 11日)の記事に、次のくだりがありました。
改革開放について谷村は、「鄧小平氏が始めたこの改革開放があったから、みんな自由に他の国の文化を学ぶチャンスができたのです。そのおかげで日本の人と中国の人が話をして、一緒にご飯を食べてお酒を飲んで友達になるチャンスをもらいました。そうやって縁が繋がりました」と語った。
1981年の北京のコンサートで、最後のさよならパーティーをしている時、谷村はある通訳の学生から「日本はなぜアジア大陸に背中を向けるのですか」と質問された。「僕にとってはすごくショックでした。それまで確かにアメリカ文化ばかり勉強していましたから。彼の言葉でそれに気付いて、それで自分がやることは、アジアの人を音楽で繋げようと、それを自分の役割にしようと考えたのです」
最近の中国の威圧的な外交姿勢について、晩年の谷村さんはどんな思いでいたんでしょうか。
ご冥福をお祈りします。
歌手の谷村新司さんが10月8日 に亡くなっていたことが、16日に公表されました。
ポップスにあまり興味のない私にとって、谷村新司といえば、中学時代に聞いていた深夜放送の印象が強い。
谷村さんは、文化放送が火曜日の深夜に放送していた「セイ! ヤング」の司会を務めていたんですね。ただ、私が聞くのはその中の「天才・秀才・バカ」というコーナーだけ。
最初は、級友がカセットテープに録音したものを、学校の休み時間に聞いて爆笑していましたが、そのうち自分も深夜まで起きていて、聞くようになりました。
映画『燃えよドラゴン』のメインテーマ(のちに三波春夫の「おまんた囃子」)が始まりの合図でした。
このコーナーだけ、バンバンのばんばひろふみが出演していて、チキチキマシン猛レースのケンケンのような声で笑っていたのを、今でも覚えています。
天才・秀才・バカシリーズというのは、天才、秀才がまともなことを言った後、最後にバカがオチをつける、というもの。すべて視聴者のからの投稿です。
天才・秀才・バカの三人が、オウムに話しかけた。
天才「おはよう!」
オウム「…」
秀才「こんにちは!」
オウム「…」
バカ「なんだ、おまえ! オウムのくせにしゃべれないのか!」
オウム「じゃおまえ、飛べるか?」
といった具合。(ただしこれの初出は「欽ドン!」らしいが)
天才・秀才・バカの定型を踏まず、たんなる笑い話も多かったようです。下ネタや差別用語、放送禁止用語のオンパレードでした。そのころは大らかだったんでしょう。
ばんばひろふみが歌います。
♪ いちご白書をもう一度をもう一度
「クククククッ!」(ばんば、ケンケン笑い)
「きっついなあ、これ!」(谷村)
当時、ばんばひろふみは、バンバンの「いちご白書をもう一度」でヒットしてから、鳴かず飛ばずの状態が続いていたんですね。
私はカラオケも好きじゃないんですが、ソウル駐在時代には韓国語の勉強にために、韓国の歌を歌いました。韓国人の中にはアリスが好きな人もいて、ときどきはいっしょに歌ったこともあります。
今回、訃報が流れた後、中国外務省が「谷村新司さんは日中友好事業に貢献した」という内容とともに哀悼の意を表していたのに驚きました。
谷村さんは、日中国交回復後の1981年、アリスとして北京でコンサートを開催。そこには鄧小平氏など中国共産党幹部も来ていたそうです。その後もたびたび、中国でコンサートを開催。2004年には上海音楽学院の教授に就任したとのこと。
「東方網」という中国の新聞(日本語版、2019年 7月 11日)の記事に、次のくだりがありました。
改革開放について谷村は、「鄧小平氏が始めたこの改革開放があったから、みんな自由に他の国の文化を学ぶチャンスができたのです。そのおかげで日本の人と中国の人が話をして、一緒にご飯を食べてお酒を飲んで友達になるチャンスをもらいました。そうやって縁が繋がりました」と語った。
1981年の北京のコンサートで、最後のさよならパーティーをしている時、谷村はある通訳の学生から「日本はなぜアジア大陸に背中を向けるのですか」と質問された。「僕にとってはすごくショックでした。それまで確かにアメリカ文化ばかり勉強していましたから。彼の言葉でそれに気付いて、それで自分がやることは、アジアの人を音楽で繋げようと、それを自分の役割にしようと考えたのです」
最近の中国の威圧的な外交姿勢について、晩年の谷村さんはどんな思いでいたんでしょうか。
ご冥福をお祈りします。
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