写真:橋弁慶の一場面
私の祖母が謡曲を教えていた関係で、私も大学生の時、祖母に謡曲の手ほどきをしてもらっていました。
月一回は、渋谷の観世能楽堂の定期能を観に行っていたことも。
大学を卒業してからは、自分でやることも、観に行くこともなくなりました。
私がソウルに駐在していたとき、日本から能楽師、狂言師が来て、能狂言の公演が行われたことがありました。
子どもたちに能狂言がどんなもの見せてやろうと思って、ちょっと高かったけれども、家族で観に行きました。
場所は、徳寿宮のうらのほうの、「NANTA」なども行われていたホールだったと思います。
意外なことに、お客さん(韓国人)はけっこうたくさん来ていました。
若い人が多いのは、大学で日本語や日本文化を勉強している学生だったのでしょう。
ただ、前のほうの席は高いのでほとんど空席。みな後ろのほうの廉価な席に座っていました。
開演直前に、「まもなく公演が始まります」というアナウンスが流れたときのことです。
後ろのほうに陣取っていた若者たちがいっせいに席を立ちました。
何事が起こったのかと振り返ると、若者たちは、雪崩を打って前のほうに押し寄せるではありませんか。
そして次々に空席のS席やA席に座ります。
係の人が制止しようとしていたようですが、多勢に無勢。とても押しとどめられるものではありません。
私たち家族は呆気にとられました。
「大人になっても、真似しちゃいけないよ」
子どもたちに言い聞かせました。
翌日、出勤したときに事務所の韓国人にその話をしました。
「それが普通ですよ。だって、前の席が空いていたんでしょう?」
「そりゃそうだけど…」
「だれにも迷惑かけないでしょう?」
(ちゃんと高いお金を払ってS席やA席に座っていた人は、不愉快なんじゃないかなあ)
20年以上前の話ですから、今はどうかわかりません。
私の祖母が謡曲を教えていた関係で、私も大学生の時、祖母に謡曲の手ほどきをしてもらっていました。
月一回は、渋谷の観世能楽堂の定期能を観に行っていたことも。
大学を卒業してからは、自分でやることも、観に行くこともなくなりました。
私がソウルに駐在していたとき、日本から能楽師、狂言師が来て、能狂言の公演が行われたことがありました。
子どもたちに能狂言がどんなもの見せてやろうと思って、ちょっと高かったけれども、家族で観に行きました。
場所は、徳寿宮のうらのほうの、「NANTA」なども行われていたホールだったと思います。
意外なことに、お客さん(韓国人)はけっこうたくさん来ていました。
若い人が多いのは、大学で日本語や日本文化を勉強している学生だったのでしょう。
ただ、前のほうの席は高いのでほとんど空席。みな後ろのほうの廉価な席に座っていました。
開演直前に、「まもなく公演が始まります」というアナウンスが流れたときのことです。
後ろのほうに陣取っていた若者たちがいっせいに席を立ちました。
何事が起こったのかと振り返ると、若者たちは、雪崩を打って前のほうに押し寄せるではありませんか。
そして次々に空席のS席やA席に座ります。
係の人が制止しようとしていたようですが、多勢に無勢。とても押しとどめられるものではありません。
私たち家族は呆気にとられました。
「大人になっても、真似しちゃいけないよ」
子どもたちに言い聞かせました。
翌日、出勤したときに事務所の韓国人にその話をしました。
「それが普通ですよ。だって、前の席が空いていたんでしょう?」
「そりゃそうだけど…」
「だれにも迷惑かけないでしょう?」
(ちゃんと高いお金を払ってS席やA席に座っていた人は、不愉快なんじゃないかなあ)
20年以上前の話ですから、今はどうかわかりません。
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