犬鍋のヨロマル漫談

ヨロマルとは韓国語で諸言語の意。日本語、韓国語、英語、ロシア語などの言葉と酒・食・歴史にまつわるエッセー。

創価学会の思い出

2023-11-23 23:05:34 | 思い出
写真:かつての大石寺正本堂。創価学会破門後、取り壊された。(Wikipedia)

 創価学会の池田大作名誉会長が亡くなったそうです。ご冥福をお祈りします。

 ついひと月ほど前、新宿で飲みながら、統一教会の解散命令などのつながりで

「池田大作って、まだ生きてるんだっけ」

「さあ、死んだっていう話は聞かないよね」

などと話していたところでした。

思い出①

 私が生まれ育った東京都大田区は、池田大作の生家があったこともあり、昔から創価学会員の多い土地柄でした。特に、商店街の人たちに多かった気がします。

 朝早くから、「勤行」というんでしょうか、お経をあげている家もありました。

 家族は、

「創価学会に入ると、冠婚葬祭が安いらしいよ」

などと言っていました。

 同居していた伯母は、自宅で小唄を教えていましたが、お弟子さんの中にも学会員がいて、何の商売をしているかわかりませんが、「仕入れ先とか、取引先とか、学会が紹介してくれるんでありがたい」などと言っていたそうです。

思い出②

 私の母方の伯母は、台湾人と結婚し、終戦直後からずっと台北に住んでいました。その娘(私のいとこ)の結婚相手が、台湾創価学会(SGI)の幹部でした。

 私が大学生の時、伯母を訪ねて台湾に行きましたが、伯母もまた入信していて、家に立派な仏壇がありました。

「いま、〇〇が創価大学に留学しているんだけど、面倒見てあげて」

などと言われました。〇〇というのは従姉弟のご主人の親戚だそうです。

 帰国後、その遠縁の創価大学生から連絡がありました。

「こんど、富士登山があるので、いっしょに行きませんか?」

「登山? いいね」


 私は大学の友人を誘って参加しました。

 集合場所は千駄ヶ谷。参加者は留学生が中心で、欧米やアジアなど、さまざまな国の人たちがいて、バスの中で、いろいろな国の人たちと話をしました。靴も普通で、軽装の人が多かったので、「このかっこうで富士山なんて登れるのかな」と思いました。

「着きました」

 バスを降りると、少し遠くに富士山が見えます。

「あれ?」

 私はてっきり、富士山の5合目までバスで行き、その先を登るんだと思っていました。バスが止まったところのそばには、神殿のような壮大な建物がありました。

「すみません。本堂の中は、予約した信者の方々だけ入れます。それ以外は、外でお待ちください。近くに美術館もあります」

 そこは、富士山ではなく、大石寺という寺だったのです。当時、創価学会は日蓮正宗に属し、大石寺が総本山。創価学会では、富士にある大石寺総本山に行くことを、「富士登山する」と言っていたのでした。本堂(正本堂)とは、創価学会員の寄付によって作られた巨大建築物。

「ごめん、知らなかったんだよ」

 私は友人に謝りました。

「しかたないから、美術館でも行こう」


 ところが、それも創価学会系の美術館で、やっていたのは「池田大作写真展」。池田大作会長が撮った写真が並んでいました。

 その後、創価学会は大石寺から破門され、日蓮正宗とは関係のない宗教団体になりました。創価学会の寄付で作られた正本堂は、創価学会破門後に取り壊され、別の施設が作られたそうです。

思い出③

 大学を卒業して入った出版社で最初に配属されたのが、ある雑誌編集部。私の目の前の席に、30歳ぐらいの事務の女性がいました。

「こんど、後楽園球場に行きませんか」

 当時、東京ドームはまだ出来ていませんでした。

「巨人ファンなんですか」

「いえ、イベントがあるんです」


 世界青年ナンチャラという、創価学会のイベントでした。

「ああ、ちょっと都合が悪くて…」

 そのとき私は独身でしたが、婚約していました。

「それは残念。信者じゃない人を最低2人連れてきて、って言われてるんですけど」

 どうも、「折伏」(創価学会に入信させること)のためのイベントのようでした。

思い出④

 その後、私は雑誌編集部から、単行本の担当になりました。ある企画でいっしょになった編集プロダクションの若い男性から、「家に遊びに来ないか」と誘われました。

 それほど親しいわけでもないのに、なんでだろう、と思いながら、ある日曜日に彼の家に行きました。

 すると家には、「池田大作全集」全何十巻が鎮座していました。

(そういうことだったのか…)

 私は単行本の企画をするようになり、そのときどきのベストセラーを読むことを日課にしていましたが、その中には池田大作の『人間革命』もあり、創価学会の批判本である藤原弘達の『創価学会を斬る』もありました。

 『創価学会を斬る』に対して創価学会は著者、出版社、取次などに圧力をかけ、それが「言論出版妨害事件」として雑誌にとりあげられたりもしていました。それらを読んで、私はこのころ、はっきりと創価学会に対して批判的になっていました。

 知り合いは、自分の貧しかった生い立ち、創価学会から奨学金をもらって、創価大学に行けたこと、第二代会長戸田城聖の素晴らしい人柄などについて、こんこんと語りました。

「でも、出版妨害っておかしくないですか」

「あんなのは嘘です。創価学会をよく思わない人たちの謀略なんですよ」

(…)


 彼が「池田先生、池田先生」という中で、私が「池田大作」と呼び捨てにすると、彼の顔つきが変わりました。

 その後、彼とは仕事もつながりもなくなり、疎遠になりました。

思い出⑤

 数年後、私は転職し、韓国関係の仕事をするようになりました。

 韓国の子会社の女性社員が寿退社をすることになりました。いっしょに日本へ出張したとき、空港からのバスの中で、唐突に質問を受けました。

「創価学会って、日本で評判悪いんですか?」

「そうね。新興宗教だから良く思っていない人も多いね。韓国の統一教会みたいなもんかな。でも、なんで?」

「いえ、ちょっと聞いてみただけです」


 あとで聞くところによると、彼女の結婚相手は日本人で、創価学会員だということです。

思い出⑥

 その後、出張でブラジル、サンパウロに行ったとき、現地の社員の結婚式に招かれました。本人も相手もブラジル人。なのに二人とも創価学会員で、式は、サンパウロの創価学会の施設で行われました。このときのことは、別に書いたことがあります。

ブラジル便り~結婚式

 台湾に住んでいた伯母は、2年前、94歳で亡くなりました。葬儀は、創価学会によって盛大に執り行われたようです。

台湾の伯母

 私のいとこは、学会の幹部ですから、信者などを連れて毎年のように来日しているほずですが、行事で忙しいらしく、連絡もありません。今回も、23日の池田大作の学会葬で来ていたはずです。

 いつか、「宗教色」抜きで会いたいと思っています。


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